「一緒に祭りに行きましょう」
「勇者まつりっ!!?」プリーチャーはピョンコと飛び上がった。かわいさアピール&指ハートマーク付き。ファンサだ。
「…おお……おお!!」感涙せんばかりに声を震わせ、両手を広げて大仰に天を仰ぐ。賛美のあまりに雲の隙間より降り注ぐ、荘厳絢爛たるエンジェルリフト。パーパヤー。
「『勇者祭り』。なんと良き、…かぐわしき文化のかほり…」
「勇者の祭りなどという、…勇者で祭りなのだぞっ!!」声まで裏返す。「そんなもの、絶対に最高に、間違いない物に違いありますまいっ!!」フンスフンスと鼻息荒く、王に問いただす。
「どんなものなのです?どんなものなのでしょう!!良きものなのでしょう!?」
ゴブリン王は冷ややかに答えた。「引っ込んでいろ、プリーチャー」
「王のいけず!」崩れ落ちてヨヨヨと泣き崩れてしまった。可哀想。
ゴブリン王グッガは床の少年を眺め下ろし、……凶暴な牙を剥き出しに、笑う。「…ふむ…」
「良きものだとも」――そこにははっきりと、暴力の予感がある。
「キルタ君。きみには我らが大願の礎となってもらう」
「……そしてきみは、兵士たちの慰みものとなるのだ」
「…慰みものですか」どこ吹く風で答える。――反面、東堂さんは激しくうろたえた。「…なっ…!」赤面し、必死に怒声を張り上げる。「何を言っているの!!」
「…エッチなことをするつもりでしょう!?」自分の言葉に限界まで赤くなり、衝動を振り絞った。「ダメよ!!そんなの駄目!!」
「何を言っとるんじゃこの小娘が!ちっとは慎みを持たんか!!」老人ゴブリンが釣られていきり立った。「…ったく、最近の若いもんは…」
「…フン…」この騒ぎにも王は泰然自若として、惑わされることは無い。「きみには、祭りの見世物となり、我々の勇者と命を賭して戦ってもらう」
(……ん?)その違和感に、眉をひそめる。(…なんじゃらホイ…)
怪訝顔の少年だけに言い含める様に、淡々と説明を続ける。「我々の勇者。それもまたきみと同じ、完全ではない勇者だ。…勇者は祭りを通じ、より大きく成長することだろう」
「そのための『勇者祭り』だ」
(…ただ戦いを見世物にするだけが、『祭り』…?)「…それが兵士たちの慰みになると、…あなたは、そう言っているんですか」
王は深い眼差しで、うなずく。「キルタ君、きみの疑念もわかる。それではあまりに安っぽく、陳腐だと言いたいのだな。…窮地に鬱屈した兵たちが満足するとは、とても思えない」落ち着いた口調で、大広間側へと目をやる。
「だがな、『祭り』を完遂すれば、それは十分に可能なことだ。…来たな。神輿が」
通路の向こうより「えっほ」「えっほ」と、掛け声を上げる勇壮なゴブリンの一団が向かってきた。――粗末な櫓を担いでいる。それは、神輿というにはあまりに貧相な代物だった。
『よいしょぉ!』神輿を降ろし、代表が尋ねる。「王よ、何を担ぐんです?」
「この女だ。爺も乗れ」
(……ぐっ……)焦りばかりが広がっていく。「…ちょっと待ってください!僕が戦えばいいんでしょう?だったら僕を連れていけばいい!」抵抗できる手段は無い。これでは何も出来ぬまま、東堂さんだけが連れていかれる。
「…キルタ君、あまり我儘を言うものではないな。きみは敗北し、お目こぼしを受けているのだ」言葉の内容とは裏腹に、その論調は穏やかだ。
「今、きみは、油断なく握り込んだその跳ねる珠で、爺への狙撃を狙っているのだな?」
(……)鞄より取り出し済の『ビー玉』を、固く握りしめる。(…お爺さんを見失ったら、東堂さんを束縛から開放できない。…何か無いのか、…何か…)
「その闘志は好ましい。面従腹背の輩などより、ずっとな。…だが、もうやらせんよ」薄く笑う。「…それに、今はどう足掻いても、同じことの繰り返しではないかね」視線を受け、立ち上がったプリーチャーがキョトンと肩をすくめる。「同じだよ?」(…うるさいなぁ。言わずもがなでしょ…)
モニャモニャする少年の見る、厳しく引き締めた視線の先。「…あれは撃っても?」小さなため息が返る。「……許可など出来んよ。きみ自身が判断して決めたまえ」
薄汚いゴブリンたちに群がられた東堂さんが、気丈に叫んだ。「変なところを触らないで!」
ゴブリンたちは口々に「人聞きが悪い!」「違いますって!」不満の声を上げる。「何なんです!触れてないでしょう姐さん!…どうなってんだこれ」「重いな。…せーの!」
「…重くない…!」東堂さんはブツブツ呟くが、はべらせ座り体勢のまま、すんなりと神輿に載せられてしまう。
印を結んだ老人が、彼女を盾にする形で陰に回り込んだ。
切田くんは一縷の望みに賭けて、隙を探して一連の作業を油断なく観察している。
ゴブリン王が、更にその様子を覗き込んでいる。「キルタ君」
「準備ができたら迎えをやろう。しばし、大人しくここで待つがいい」
「…だが、そうだな」冷ややかに神輿を一瞥する。「きみには悪いが。待つ間、女の防護が切れぬことは祈ったほうがいいな」
「……この私をさんざんコケにした女だ。思わず、手が滑ってしまう事もあるかもしれん……」(…ぐっ…)ざわり、と胸が逆撫でられる。(…そんな脅し…)
(…どうすればいいんだ…どうすれば…)意地になって食い下がった所で、もはや思考は空回るのみだ。唇を噛みしめる少年に、「…切田くん…」神輿の上、気づかわしげな声が飛ぶ。
(…駄目だっ、…何も出来ないっ!思いつきもしない!!)血の味がする。(……せめて気休めを、……言葉の飾りだとしても!)
「すぐに助けに行きます。東堂さん」
懊悩を押し殺し、落ち着きはらって発した一言。それは『精神力回復』によって力強く響く。
彼女はじっと見つめ返し、――頭を振った。真剣な顔で答える。
「なんとかする」
(……ぼっ…)ぐにゃりと、心が曲がった気がした。(…僕はもう、当てにされていないのか…!?)そんな覆面の奥には気づかずに、『聖女』は頬を可憐に紅く染めて、言葉に熱と渇望を籠めた。
「でも、迎えに来て」
……不意を突かれた切田くんは、慌てて答えた。「え、ええ」
「行くぞー」ゴブリン達が『せーの』で神輿を担ぐ。彼女と老人の高さが変わった。
「……必ず行きます」力強い言葉に、ぐに、と微笑みが返される。繋がる視線を交わし合いながらも、冷静に考えを巡らせる。
(『祭り』の内容次第では、どさくさに紛れてお爺さんを狙撃する事も出来るはず…)
(…とにかく道を探すんだ。この人たちが、ふざけて遊んでいるうちに…)強い視線で王を見据え返し、大きな態度で言い放つ。「あなた方の勇者と戦って、…僕が勝ってしまっても構わないんですか?」
厳粛なる重圧の主が、無造作に歩み寄り、かがんで顔を近づけてくる。――そして、切田くんにだけ聞こえるように、こう言った。「…無論だとも」
「きみが我々の勇者を刈り取って、『真の勇者』になったとしても。私は一向にかまわないのだ。…私の願いは、成就されるのだよ」
すっくと立ち、「見せてもらおうか。君の持つ、真の勇気の輝きというものを」毛皮のマントを翻して、背を向ける。
「勇者に打ち勝つものこそが、『真の勇者』となるだろう」
巨躯とマントで射線を潰しながらも、王は神輿と共に歩き始めた。隙間を縫い、東堂さんの視線も感じる。――勇壮な掛け声がこだましている。
「ワーッショワッショイ!」(ワーッショワッショイ!)
「ワッショイ!」「ワッショイ!」
「ワッショィワッショィワッショィワッショイ!!」
◇
伽藍堂の謁見部屋。ここには黒コートの男と覆面の少年、壁に燃える松明たち(と宝箱)だけが残されている。結構残されている。(……拾ったのか?命を……)切田くんはホッとしつつも(……なんだか胸モヤ〜……)釈然としない。なんなのマジでホント。
(…他人のエゴが作った成り行きだったとしても、…儲けたことに変わりはない…)床の帽子を拾う鷲鼻男に、鋭く声を投げかける。
「…感謝の心はありませんが、お礼は言っておきますよ、プリ―チャーさん。…ありがとうございます」
「ふむ、社交だね」山高帽の埃を払う男が、にこやかに返してくる。「偉いねぇ。折り目正しき良いことだよ、キルタくん。どういたしまして」
「…『猫目』さんはどこです」
もの言いたげに一瞥くれて、スタイリッシュに回転して勿体をつけ、帽子をスイと被り直す。「ヒュー!」そして、
「ンッン〜。キルタくん、きみは実に律儀だねぇ…」実に愉快そうに弄えてきた。「いつまでそのままでいるつもりかね?別にもう、起きても構わんよ」
「それに、…どうせきみでは、私には勝てない」
(……ぐっ……)未だ地に伏す少年の胸、黒い炎が激しく燃え上がる。(この人だって、今はひとりだ。一対一ならば、……殺れるか?)
――答えは否定。火器管制がノーと言っている。
(通常弾は『障壁』を抜けない。障壁メタが効く『ビー玉』も、……高速詠唱めいた早回し音。【シールド】魔法に防がれる。発動が速すぎるんだ…)『スキル』攻撃に匹敵する抜き打ちスピードだ。ダンブルウィードころころ。(『さあ抜きなっ!どっちが速いか試して…』いや、完全に無理筋。さっきの二の舞…)
(…かといってチャージ攻撃なども、おそらく先に潰される。…格闘だけじゃない。高速で繰り出せる攻撃魔法だって持っているかも…)
(……ぐっ、……詰んでいるの?……)無力さに歯噛みする少年に、(……何もないのか?本当に、何の手段も……)鷲鼻男がせっかちに宣う。「はいはい、早く起きる。ほら起きてキルタくん。はやくはやく」
(…お母さんかな?)急かされてしまった。しまいには「ほらほら起きて。はよ起きて」ペチンペチンと手拍子まで始めた。(……うぜぇ〜……)
(……正面からの勝ち筋は無し。付け入る隙を見つけないと……)
(…なにか揺さぶりを…)床のシャープペンシルを掴みがてら、立ち上がって服の埃を払い、嫌味にならない程度に挑発的に語りかけた。
「プリーチャーさん、このままでは貴重な文化が失われるんじゃないですか?」
「ん?」眉を上げて、ニコニコ眺めてくる。(…反応悪ぅ…)めげずに不遜な態度を取る。
「だってそうでしょ。僕が負ければもちろんのこと、僕が勝ったらあの人たちは生きてはいませんよ。…異文化の喪失です。あなたの主義に反するんじゃないですか」
「……うーむ、賢い。痛いところを突く。……ちゃんと詳しく聞いていたのだね。きみは目の付け所が鋭いねぇ……」心底困った、という体で、プリーチャーはきな粉ねじり棒みたいになった。「うんうん。わかるよ。確かにきみの言うとおりだねキルタ君。それは実に困るな。非っ常~に困る」悩ましげに眉根を寄せ、小首も傾げる。
「だが私はぁ!!」バッと両手を上げ、スタイリッシュにくるりと回った。
「『勇者祭り』がっ!」
そして天に向かって高らかに、願望を吐き出した。
「見ったぁーい!!!」
「の、だ!!」
体勢を崩し、白目を剥いてフラフラとよろめく。「からだを巡る、二律背反!ねじれ、ねじ、あっ」
「文化とは、あっ」
「世界の民に立ちはだかる二律背反!その大いなる解決!」「さらにその、あっ、先にある!」
「歓喜と歓声を持ってぇ~」「あっ」
「あっあっあっ」「汁が」「汁が出る」「あっ」
「えはぁ~」
プリーチャーは白目をむいたままうっとりし、ビクンビクンと全身を痙攣させた。
(あれは…アヘ顔!!)切田くんはドン引いた。(…何をしているんだこの人は…)
「ふぅ…」落ち着きを取り戻す。「…きみ、あまりジロジロ見ないでくれるかね?私個人の秘め事を。…いやらしい」(…あ゛?)流石にキレそう。
「…てっきり、僕に見せたかったのかと」「そんなわけ無いでしょ!キルタくんのいけずっ!変態性欲っ!!」(…やっぱ撃ちてぇ〜…)
「だからだね、キルタ君。代わりにきみが、私の文化的欲求を満たしたまえ。…楽しみにしているよ?『勇者祭り』」嫌味な程に、挑戦的な口調。
「逃避でも、代償でも。文化を紡ぐものならばなぁんだっていい。きみの力が今こそっ、文化の未来を切り開くのだよっ!ジャジャァーーン!」
「パパラパー、パパパパラパッパッパーー」両手を広げて尊き天を仰ぎ、……うって変わってニヤニヤと、バチンと思い切り手を叩いた。「そうだ、キルタ君っ!私がテコ入れをしてあげよう!」
「きみが『勇者祭り』をくぐり抜け、その時点で、私の文化的欲求が満たされていなかったら。つまり、がっかり祭りだ。……罰として」そっけなく言う。
「泣き叫ぶ彼女の目の前で、きみを残酷に殺そう」
(……ぐっ……)あまりに短絡的な脅しに、ぐにゃりと心が曲がる。(…くだらない、安い脅しをっ…!)
するとプリーチャーは「効いてる効いてるっ!」キャハーと笑いながら両手を広げ、反復横とびを始めた。「がっかりした?おこった?ねぇ、おこった?」
「だってだってキルタ君。きみは私に文化を保護してほしいのだろう?ねえ、ねえ」
「いっけないんだぁ、キルタ君。文化の保護とは権力の仕事。力があってこそなし得るもの」
「保護して?保護して?」
「きみが言うことではないんだなぁ~?」
「どうだね?どうだねキルタ君?だから『勇者祭り』に、私たちからも精一杯の花を添えよう!ライトスタッフ。ふたりの力を合わせるんだ!」
「…これは見識違いを振りかざす、きみへの懲罰などではないよ?それとこれとは別。私は公私混同などしっな~いのだ!」
「良いだろ良いだろ?この趣向。きみを待つ彼女も、さぞかし声を上げて喜ぶことだろう!!…ねぇキルタ君。想像したかね!?彼女の心底喜ぶ姿を!!」
ピタリと動きを止めて陶酔し、悩ましげに手を当てる。嗚呼、感涙。
「ンッン〜、なんという悲劇。今、貴重なる文化が異なる文化によって、損なわれ、失われてしまうのだ。…眼前で繰り広げられる文化的悲劇。その記憶が作り出す虚しき想いは、未来への架け橋となり、世に正しき文化が躍進する原動力となることだろう!」
「アイロニーを感じるだろう?キルタ君!」チラチラ、チラチラと見てくるプリーチャー。
(……ムギギ、うっぜぇ…!)湧き上がる苛立ちを『精神力回復』で抑え、チャンスを伺う。(…『勝ちに際しても油断などしない』、でしたっけ?…この人は、いくらなんでもはしゃぎすぎだ。調子に乗りすぎ…)
(こんなお祭り気分、隙を晒さないはずが無いんだよ。…『愉快さ』だって怒りと同じ、思考を埋める毒なんだ。…警戒が途切れた瞬間、死角を通して『ビー玉』を叩き込んでやる…)左手をギュッと握りしめる。今見えている、僅かな勝ち筋。
「んん~?」
限界まで目を見開き、満面の笑みでプリーチャーは言った。
「駄目デ〜〜ス!!きみは実にわかりやすいな!切田くん!」
「ふむ、その前に私を倒せば。倒してやるー!という顔だね。それは」
無表情の覆面をニヤニヤと眺め、「んん?…いい加減ウンザリもしてきた?…傷つくねえ、私は楽しいのに。じゃあ巻きでいくかね?」プリーチャーは魔法を詠唱した。――跳ねる様に飛び退り、反射的にシャープペンシルを構える。
「『偉大なる祖の持てし霧の力よ。立ちはだかる壁の力を祓い、疎となり溶け込め』。【パスウォール】」
黒コートの長身が、すとんと床の下に消えた。――落下していったのだ。重力に従って。
(……ぐうぅっ……)切田くんは歯噛みをする。(…やられたっ!!)迷宮の強固な床や石壁を、攻撃を防ぐ盾にされたのだ。これでは『ビー玉』など届かない。
同時に、プリーチャーの姿を見失ってしまった。(…ど、何処に…)
――迷宮を反響する音声が、何処かより聞こえてくる。「壁でも叩いて悔しがったらどうだね。ちょうど私がいるかもだ。……いや、ひょっとして、壁をも貫く、きみの強化【マジックボルト】ならば。徹甲弾と言ったかな。直撃すれば私も危ないのかもしれんな?」
「……それに、私は気になっている」
「何故きみの【ミサイルプロテクション】は、維持されたままずっと消えないのだ?」
周囲を取り巻き続ける【ミサイルプロテクション】は、スキルの魔力回復効果により常に効力を維持し続けている。『障壁』を持たない彼にとっては貴重な防御手段だ。切らすわけにはいかない。
――ムムムとなる。「困ったねぇ、考えたねぇキルタ君。それでは生半可な攻撃魔法など、すべて逸らされてしまう。さすれば私は先程と同様に、きみに触れる程に接近しなくてはならないね?」
「…警戒しながら待ち構えている、きみの精密射撃をかいくぐる。んーなるほど。これは難しい…」ニヤニヤ笑いの気配が、心底愉快げに問いかけてくる。「このまま潜んで、防御魔法が消えるのを待つのも良いが」
「……もしかしてそれは、ずっと消えないのかね?」
「気・に・な・る・なぁ~?」グイ、と足首を引かれた。
(…うわぁっ!!)切田くんはビクリとして、咄嗟に足を引っぱり返す。床から手が伸び、足首を掴んでいる。ビクともしない。
バランスを崩し、たたらを踏む。すると「ヒョホホホホ!」腕はぬるりと床下に消えた。(こいつっ…!)
翻弄されている。悔しさと焦りと憎しみと、とにかく噴き出すドロドロの激情を、『精神力回復』がフル回転で押さえつけている。ガリガリと、無理な負荷が掛かっている。
「キャハハハハハ!油断大敵だよぉ〜〜ん!!」はしゃぐ態度が一転、真剣な口調になる。「ところでキルタ君。小さいほうの娘はその箱の中だ。老婆心だが、そのまま大事にしまっておいたほうが、きみにとっても彼女にとっても安心ではないかね?」
「ではまた後ほど」――プリーチャーの声はそれっきり、聞こえなくなった。
(…本当にいなくなった?…)切田くんは荒い息をつき、執拗に辺りを見回す。壁の中の様子など見える訳がない。……それでもその瞳は、ギラリと光る。(…だが、糸口は見つけたぞ…)
思い返すは黒袖の、枯れ木みたいなプリーチャーの腕。(『障壁』を張っていなかった。【パスウォール】と干渉するからなのか?)
(…壁の中で魔力を纏えないのなら、攻撃する為に出て来ざるを得ないんだから……)ガバナのアルコルが、『障壁』を張り直している光景を思い出す。(……『障壁』展開には、ある程度の時間が掛かる。そこを狙って……)
(……あとは、文化おじさんを見つける手段さえあれば……)
◇
「『マジックキー』」
鍵穴に手を当て、『マジックボルト結晶』を充填して合鍵を作り出す。ひねると、カチリと音がした。(…開いた…)
宝箱の中にはぐてーっとした『猫目』が、みっちみちに詰まっていた。(…液状猫かな?生きてはいるみたいだけど…)呼吸の上下が見て取れる。眠っているようだ。「…ん…」――うなされている。「…んん…」額に汗浮かぶ、苦悶の表情。
少し強めに、ガタガタと揺すった。「『猫目』さん」
跳ねる勢いでガバリと起きた。「……!!」激しい表情で眼帯を押さえ、腰に手を当てる。小剣は腰には無い。「敵はっ!?」手探りしながらも鋭く問いかけてくる。
(……どこかに潜んだままだ。今は言っても仕方がない)ふるふると、首を振る。
張り詰めた『猫目』はカクンと力を抜くと、……ぼうっと眺めてくる。「……キルタ」
「キルタが助けてくれたの?」
切田くんは、この子の処遇について考え込む。今から敵の軍勢の只中に、単騎で乗り込まなくてはならないのだ。
(…逃がすにしても、出入り口は大広間の向こう側か…)出口側と彼らとの間には、百人を超える武装ゴブリン達が挟まっている。百合に挟まる男ぐらいに厄介な存在だ。(…百合とTSは、生々しくないほうが良い…)全力で偏見を振りかざす。(…百合百人…)ゲシュタルト崩壊しそう。
(もとい、この場に置いていくわけにもいかない。…だったら一緒に行って、塹壕代わりの【ミサイルプロテクション】内に居てもらったほうが、安全かもしれないな…)
(…勇者祭りの隙を見て、出口側に送り込むのが良いだろう…)切田くんは、強い眼差しで、力強く手のひらを差し出した。「『猫目』さん」
「一緒に祭りに行きましょう」
「…お祭り?」ぼんやりと見上げたまま、少女は軽く眉をひそめる。「…お祭りって、あのお祭り?」
伸ばされた手に、気後れしたようにうつむく。「…アタシ、お祭りに行ったこと無い」
「…遠くから眺めたことはあるけど…」
「行くんです。今から僕と」
その強い言葉に、少女は頬を赤くした。顔を上げ、――遠くの祭りを眺めるみたいに、彼の覆面をじっと見つめる。
「…ん」そして少女は、手を取った。遠慮がちに、もう片方の手も添える。
彼の手を借りて、「うんしょ」と立ち上がる。少しはにかみ、『猫目』は問いかけた。
「どこでお祭りがあるの?」
切田くんは、毅然として答える。「ここです」
「ここ?」
「ええ」
――辺りを見回す。
先程から何も変わりはない。ここは、『迷宮』の中だ。
壁に掛かる松明の列が、パチパチと音を立てて燃えている。
少し強めに、『猫目』は言った。
「キルタは馬鹿なの?」
その時、大広間側より大声が響く。「祭りの準備が出来たぞ!来ぉい!!」大きく腕まねきをするゴブリン。
一瞥し、再び真剣な表情で覗き込む。「行きましょう」
「……」
『猫目』は不可解さ、悔しさ、何だかわからないもやもやに唇を噛む。……しかし、握った手から感じる何かが、その衝動を押し止めた。
悔しげにうつむく少女にとって、その感覚は、決して不快なものではなかった。
ブスッとふてくされ、恨みがましく睨みつけて、不承不承に『猫目』は答えた。
「…わかった」




