インタラプト
一方その頃。眼帯の少女『猫目』は己への注目を上手く切り、気配さえも完全に消しさって、部屋の角にある宝箱の陰へと身を潜めていた。
(……特等席だよ?)誰にも気取られてはいない。存在さえも完全に忘れさられている。(悪いけど、戦闘に巻き込まれるのは御免だからね。…キシシ)
――隠密技能。『スキル』や魔法等の超常能力など使わずとも、彼女には斥候としての優れた才能があり、そしてそれは、十二分に訓練されている。(『正面切って』っての、アタシには向いてないんだよ。己を知るっていうのかな?ごめんね〜)
クスクス嗤いながらも、自身の隠れる宝箱(腰の高さほどある)に耳を当てる。「出来ない義理を不義理にするなら、せめて筋だけは通さないとね〜」
「はてさて、あたしはアタシの仕事を…」「…いや、待って?」構造を通して伝わる、箱向こうの不穏な動き。……チラと顔をのぞかせ、動向を覗う。「……そんな事より……」熱の籠もった目線の先。
悠然と進み出る女の、風貌を隠すフードが、優雅にゆっくり外された。
――思わず意識を吸い込まれる。感情を揺さぶる潮汐力にすべて捻じり裂かれてしまう程に、黒洞の引力を放つ絶世の美貌。その凛とした、美しき立ち姿。
「出番キター!ぎゃー!!」ぶんぶんと腕で空を切る(隠密)。頬を染めてほぅとため息をつき、「…しゅげぇぇ…」うっとり眺める。
「…聖女さま…すごく綺麗…」デレーッとなる。餡掛け状態だ。
「…隙間からチラチラ見えてたけど、直接見ると、もうすんごい。尊みがすごいぃ。…はぁ〜」「……本物の聖女さまかぁ……」
「……そっかぁ。あたし、あの人に……」
蕩けた顔で、手首を押さえる。
「……腕ギュッてされたんだぁ……」
「……くふふふふ……」可憐な唇より漏れる、甘い声。上気しきってトロトロに潤む、金色の瞳。――中空を仰ぐ彼女は息苦しい呼吸を繰り返し、やがて「はぁっ」っと深く息を吐きだした。
ふと、視界の隅に少年が映る。
「別にキルタはどうでもいいけど?」
呟いて真顔になる。切田くんはこの状況、何も出来ずに棒立ちだ。臆して腰が引けている。「……なんか駄目駄目ぇ〜」ニマニマと口角を釣り上げる。
「ぷふ〜、キルタはす~ぐあんな感じになるんだから。ほんとざっこ。たよりな。…ざこキルタ。なんだエロカワイイって。変なの混ぜるなバーカ」
「ふふん。聖女さまの活躍をぼったちで眺めてるだけなら、キルタもここに来て隠れてればいいのにね」
「『狭いから来ないで』って言ってやろ。キルタ、どんな顔するかな…」毒づきながらも首を引っ込め、再び宝箱へと耳を当てる。
「さぁーて、なにが入ってるのかな。聖女さまの役に立つ良いものなら、…これからも、『迷宮』に通ってくれるだろうし…」
「…よし。罠は…反響測定で…」コンコンと、軽くノックする。
突如の轟音。金属の撃ち合わさる爆圧に「わ!」『猫目』はピンとなってしまう。びっくりもしたし、これでは測定できない。「うるさいな」
「……仕事の邪魔しないで……」すぐに無心となり、コンコンと宝箱をノックする。「…みっちりと、何か入ってるかな?ギミックらしきぶれ音は無し…」
コンコン。宝箱の中から、木箱を叩くノックの返礼が響く。
「ドユコト?」……不審な顔で、首をかしげる。(…やまびこ?)
(内部機構の音じゃない。…本当に、中から鳴らしているみたいな…)
(……んなわけ)眉をひそめる『猫目』の目に映ったもの。
それは、腕だった。
――仕立ての良い、黒い外套の袖。節くれだった男の腕。それが、閉じたままの宝箱からヌッと突き出ていた。
理解できないものをしばし眺めた『猫目』は、
跳ねる殺意をほとばしらせて、腰の小剣に手を伸ばした。
――何かが『猫目』の後頭部をがっしと掴んだ。「ひっ!」瞬間、迫る手によって乱暴に口を塞がれる。
「んん!」涙目でもがく。両手で腕を掴み返し、振りほどこうとする。小剣がカラカラと床を跳ねる。……小揺るぎもしない。掴まれた頬や首から、メリメリと嫌な音がする。
「…んご、お…!!」口を潰され、声にならない。必死の形相で少女は、宝箱の向こうに助けを求めた。
(聖女さま!)
(……キルタ!!)
助けを求める目線の先。宝箱の側面から、何かが浮き上がってくる。
黒い帽子のつば。
鷲鼻。
皺の寄った唇。
目付きの悪い、不気味な中年男の目。
それらが、ニヤァと笑った。「わたしデェス」
「んんんん!!」ものすごい勢いで引きずり込まれる。涙を流し呻いた華奢な躰は、宝箱の中へと消えた。
◇
透明な弾丸が火花を散らし、――左右側壁、プラス天井。一斉に跳ねる。(……今だっ!……行けぇっ!!)
反動した減衰を補い、追加のパワーによって再加速。三方より迫る『ビー玉バレット』に、両名とも反応しきれていない。……防御は間に合わない。(この弾速とタイミング。反応も遅い!……獲った!!)切田くんは己の勝利を確信した。
瞬間。※キュリラ※、と、早回し音。三発の『ビー玉バレット』は、老ゴブリンを貫く寸前、三枚の透明な円盤に激突した。「…なにっ…!?」(…なんだそれっ!?)
驚愕を置き去りに、『ビー玉』と円盤は粉々に砕けて四散する。破片は更に細かい粒子となり、掻き消えていく。……攻撃を完全に防がれた。三方面からの『ビー玉』跳弾攻撃は、すべて防御されたのだ。
――憔悴に満ちる場に軽々しく響く、甲高い男の声。「【シールド】の魔法だよ。実に初歩的な魔法だ。ンッン〜。魔術を志す者ならば、きみもこれぐらい覚えておきたまえよ?少年」
(…だ、誰っ!?)動揺を隠せぬ視界には、いつしか黒い人影が映り込んでいた。……そこには人など、存在しなかったはずだ。
黒い山高帽と、仕立ての良い黒外套。外套の下には貴族らしい立派な上下を身に纏う。――部屋の角に佇む豪華な宝箱。そのすぐ前方。
長身痩躯の鷲鼻男が、スカした態度で帽子を抑え、ニヤニヤ笑いで立っていた。……切田くんの【ディテクトマジック】には、男を包む緑の光がはっきりと映っている。(…『障壁』!?…魔術師!!いつの間にっ!?)突如の不覚に、焦りが膨らむ。
(……だからって、そこにいたからって、どうして三方向からの『ビー玉バレット』を防げたんだ?……詠唱も何もしていなかったじゃないか!……しかも、三方同時にだなんて……)――不明早回し音。気配なき、突然の出現。(……まさか、こいつ……)衝動が、胸を焼き焦がした。
(インチキをしたなっ!!何かイカサマをっ!!)
(絶対僕が勝ってたろ!それを後から割り込んでっ!!)金属蒸気に焼かれ、ギリリと歯を食い縛る。
その時、山高帽の男はすでに猛然と走り出していた。怒りに囚われる、切田くんに向かって。「ワハハハハハハハハ!文化・イズ・宝ァ!!」
「うわっ!?」(…しまっ!?……何だって!?)
不意打ちと珍妙な叫びに、更なる動揺の淵に叩き込まれる。咄嗟に(…『ビー玉』で迎撃を!!…間に合わ)……駄目だ、中年男のほうが速い。
(……まだだっ!!)瞳に燃える黒炎。切田くんは右手を突き動かして、シャープペンシルを渾身の力で男の顔に突き込んだ。(…このまま殺るか怯ませればっ!…くらえっ!!)先端が、機械のように正確に、迫撃する男の眼球へと迫った。
中年男はほんの少しだけ顔をずらす。かすめるシャープペンシル。そのままの勢いで身体ごと懐に飛び込んできた。(…!?…避けっ!?)激突。山高帽が飛んだ。
「…ぐあっ!!」腕に激痛が走る。突きを放った右腕が掴まれ、逆関節に捻じり上げられている。(腕がっ!?…折られっ…)
「うわぁっ!!?」その勢いで足を払われ、つんのめって石畳に激しく激突。衝撃と痛みに星が飛び、頭も視界も真っ白になる。
シャープペンシルが、軽い音を立てて床に転がった。
背中にのしかかる男は、さらに手慣れた手付きで掴んだ腕を捻じり上げてくる。「ぐうっ…!!」(だ、駄目だっ!…極められた!?)関節を極められて動けない。激痛と、骨をへし折られるかもという恐怖。
腕を掴む鷲鼻の男が、心底面白いといった体で言った。
「これが文化アームロックだよ、少年。…うーん。実に文化的な技だ」
◇
「切田くん!!?」東堂さんの悲痛な叫び。へたり込んだ姿勢で声を荒げる。「…切田くんを離しなさいっ!」――そして憎悪に燃える激情の瞳で、マントの陰に隠れる老ゴブリンを睨みつけた。
『……お前がっ……!!』
……昏き地の底より噴き出す、灼熱の怨讐。老ゴブリンはビクリと慄くが、それでも印を崩すことはない。「…助かりましたぞ、プリーチャー殿」
「プリーチャー、…なぜそんな場所にいた?だが火急の用向き、大義であった」
声に安堵を込めつつも、どこか面白くなさそうに王は言い放つ。
一方、床に組み敷かれた切田くんは、ショルダーバッグになんとか片手を突っ込もうと足掻いていた。(…ぐっ、まだだっ!『障壁』持ち相手なら、鞄の中の『ビー玉』で…)鞄は床と身体に挟まれている。手が突っ込めない。
(……だっ……駄目か!?……ぐぅっ……)悪あがきも通らない。凍りつく様な現状認識が、全身を、じわじわと侵食する。
――敗北したのだ。切田くんたちは。
(……嘘だっ!!!)
(僕はまだ負けてないっ!!まだ何かあるはずだっ、…何か、まだ…!!)
ゴブリンの王グッガは二人を見下ろし、高みより悠然と言い放った。
「…女の防護はやっかいだが、そうそう魔力が保つものでもあるまい。終わりだな」嘲笑も勝ち誇りもせず、淡々と論評を口にしていく。
「健闘を讃えようキルタ君。意識外からの急所を突く攻撃、見事であったぞ。…正直肝を冷やしたわ」
「褒美として、せめて苦しませずに送ってやろう。…それともプリーチャー、貴様の手柄首とするか?」
地に伏す少年の胸に、思って当然の考えがよぎる。
(……死ぬのか、僕……)
王の長剣で身体を刺されて、体の機能を壊されて、死ぬ。はっきりと突きつけられた、眼前に迫る現実。――未だ腕関節はロックされ、動くこともできない。即応出来る通常弾では、倒せる敵はこの場に存在しない。
切田くんは、今から死ぬのだ。
(……嫌、…嫌だっ!死にたくないっ!!)溢れ出そうな涙の熱さに、脳神経が沸騰し、錯乱する。絶望に震える唇を噛み締めて、それでも彼の『精神力回復』はガリガリと高速で廻った。(…このままじゃ駄目だっ!!黙っていたら本当に殺られちゃうんだぞ!?)
(…駄目だ駄目だっ!!こんな終わり方っ!!…何かあるだろっ!何かっ!!)煮えたぎる脳から絞り出す、本当に最後の悪あがき。沸騰する水の底にひっそりと潜む、地下水みたいに冷えきった思考。――切田くんは無理筋を承知で、最後の手段を逆に辿った。(…この状態からでもお爺さんだけを倒せたのなら。王さまだって、そこが急所だと認めたじゃないか!)
(東堂さんの拘束さえ解けば、パワーの差で王さまに勝つ!…そら見ろっ、僕はまだ負けてない!)
――極限心理のまま、刹那の思考を高速で回す。(…王さまと、関節技おじさん。二人掛かりで守られてはいるけど、お爺さん本体の守りは薄い。この状態からどうやってお爺さんを倒す?)
(…まずは、腕の拘束を解かないと。『ビー玉』も出せないし『マジックボルト』の射線もとれない。…関節技?抜け方なんて知らない!もっと向こうで色々調べておけば…)これだから異世界ジャンプの準備は、常日頃からしておくべきなのだ。(…何か無いのか?…今ある手札で、この拘束を解く方法は…)
(……ある)
切田くんは、その思いつきに、泣き笑いのような顔を浮かべた。(……ぐうっ、…ああ、くそっ……)
(押さえられている僕の腕だ)
(極められた腕さえ無ければ、結果的に僕の拘束は解ける!…『マジックボルト』で僕の腕を千切って…!)
(振り切って転がれば、無理にでも射線は通る!あとは手数の多い多連装で、【シールド】魔法も追いつかないほどの弾幕を張れば…)
(段取りも完璧!…突破口は見つけたんだ。僕はまだやれるぞ…!)……歓喜の声が虚しく響く。
――心がぐにゃりと、折れ曲がるのが分かった。
切田くんは、窒息しそうな息苦しさに、短い呼吸を繰り返した。(…はは…)
(出来るわけがない)
薄ら笑いを、浮かべる。
自分の腕を千切るだなんて、出来るわけがない。……胸に去来する、諦めの感情。
(やるんだよ…!!)他人事のような声が、響く。(『精神力回復』があれば可能だろ。僕が凄いってところを見せつけてやれ!)
(派手に意識を引いて、奇襲と思ってくれれば隙だって突けるはずだ。吹き出す血で目潰しを仕掛けてやるのもいい!痛みだって『精神力回復』で抑え込んで…)
(そのぐらいで死にはしないっ!東堂さんさえ自由になれば『生命力回復』で…)
(…東堂さん…)
ふと脳裏をよぎる、初めて会った日の事。……ドン底気分で横たわる彼に、彼女がかけた言葉。その記憶が、切田くんの思考を、強く揺さぶる。
(……約束したろ)
(自分を傷つけるような戦い方はしないって)
(なのにお前は、東堂さんの見ている前で、その約束を破るのか?)
覆面の奥が、奇妙なほどに歪んだ。
(…ぐぅっ…だからって…だからって今はそれどころじゃ!!)
(うあ…ああああ…別のなにか、何か、何か別の、別のっ!!)
「抵抗しようとしているね?」
のしかかる背中が、そっと囁きかけた。――過剰なまでに目を見開いた鷲鼻男が、興味深げに、じっと切田くんを覗き込んでいる。
(…あああ…)気づかれた。……出来なかった事だと言えど。――ブツンと、望みが絶たれる音。もはや反撃不能。悲惨な未来の確定。
もはや刹那の思考も途切れている。通常速度に流れる世界の中で、腕関節をガッチリ極める中年男は、実に楽しげにのたまう。「迷わなければ、間に合ったとでも思ったかね?」チッチッチと、舌を鳴らす。
「それでは炎に飛び込む蛾と同じだよ。我々は、勝利に浮かれて戦いに心を残さぬ新兵などではないのだ。世の中それほど甘くなーい」
「…つまるところ、今のきみは正しいのだよ。キルタ君と言ったね」
鷲鼻の男が、突然ガバリと起き上がった。捻じりあげた切田くんの腕から、手を離して。
(えっ?)
意味がわからない。(……何してんの?)
(……なんでぇ?)関節技から開放されたのだ。わけがわからない。
プリーチャーはすっくと立ち上がり、天を抱え込むが如く両手を大きく広げて、声も高らかに呼び掛けた。
「お待ちくだされ王よ!平に、平にぃいいいいいいい!!」
そして、呆然と見上げる切田くんを眺め下ろし、ニマニマ囁きかけてくる。「きみもね、ほら。今は黙って、ね。抵抗は駄目だよ~」
「文化的にね。文化人らしくふるまいたまえ。魔法もスキルも今はスターップ」
(…なぁにこれぇ…)混乱する少年に、男は人の悪い笑みを浮かべる。
「きみの短慮ひとつで全滅だ。そこの彼女も、…もうひとりの子も。姿が見えないことが心配ではないのかね?…キルタ君。それではあまりに気の毒だ」
(…『猫目』さん!?…どこに行った?)ハッとして周囲を伺う。……確かにいない。部屋の中に『猫目』の姿を見つけることは出来ない。見えるのは、物言いたげな、はべらせ座りの東堂さんだけだ。
ゴブリンの王グッガは沈黙を挟み、ゆっくりと言葉を紡いだ。「プリーチャー」
「我々の望みを分かってなお、この戦いに水を差すのか」
感情のない、穏やかな声。……一触即発の不穏な空気。プリーチャーは素知らぬ体でニッコリ笑い、優雅に一礼を返した。
「では王よ、発言をお許し頂きたい。これは諫言などではございません。あくまでご助力、ご参考までに」
「…聞こう」
「このふたり、異国が召喚した勇者にございましょう」
「……なに?」眉をひそめるゴブリン王。
プリーチャーはにこやかに、陶酔感溢れる語り口で、声に抑揚を付け始めた。「んんんんんぅ〜、ファンタジィーーっっ!!」
「この国や迷宮に限らずとも、幾多数多の世界、よくよ~くあることにございます。『迷宮』の力を捻じ曲げて、戦争の道具……エヘン、いやいや、国防の要として異界より勇者を招く。実に楽し……オッホン。嘆かわしきは人の、国の業にございますなぁ」
「つっま~り。彼らは異界の存在にございます。王や兵の皆さまと、まぁ~ったく同じ」
「異界にはもちろん、国が、社会が、なにより文化がございます。貴重な、非常に、非常に貴っ重~な異界の文化!これをみすみす切って捨てるなど…」
「ダメ!!」突然の大きな動作で、両手でバツを作った。
「文化的ではございません!まさに書物を燃やすが如き愚行!!」
「…文化とは、迷い子すべてを教導せし、北空に煌めく不動星。愚かの沼にて溺れもがく業人に知恵を与えん、黄金の叡智の実。…それはまさに、万人に崇め奉られるべき超常の、全ての教義が指し示す、まさに尊きものの象徴…」
朗々と謳い上げ、ニマニマ笑って辺りの様子をチラチラ伺う。……そして彼は、両腕を大げさに広げて周囲を睥睨し、高らかに宣言した。
「つまり端的に言うと!」
「んいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいもの」
「デッス!!!」
「んもったいない!!もったいないんですぅ~。ほんと駄目、王よダメダメダメ」言いながらも、両手を広げたまま倒れていく。――自らの身を一切庇うこと無く、そのまま石畳の床へと激突した。
五体投地だ。
「あ痛」
「どうか、どうかご再考を。王よ。文化のため、後の世のため、世界のために。なに、とぞ」倒れ伏したまま抑揚を消し、プリーチャーはあっさりと言った。
◇
沈黙が場を支配している。壁に列を成す松明たちが、パチパチと音を立てて燃えている。
――暫し押し黙ったゴブリンの王は、思い直したように鼻で笑う。「…ふん」そして、ゆったりと言葉を投げ下ろした。「貴様の言、考えるところも無くもない。…プリーチャー、勇者と言ったな」
「キルタ君」視線を巡らせ、床に伏したままの少年を見やる。
「きみの世界の勇者とは、女の尻に隠れて戦うものなのか?きみの生きて来たその世には、そういった文化があるのかね」
「……」覆面越しに、王を見上げる。……彼は何も答えなかった。
王は、しばらくの間見つめ返し、何故かうなずく。「ふむ」
「では、キルタ君。きみは勇者かね?」
切田くんは今度は、不本意そうではあるもののおずおずと答えた。
「…僕があなたの考える勇者とは思えません。その黒服の人が知っている仕組みが、勝手に僕らをそう呼んでいる。ただの都合の呼び名ですよ」
「プリーチャー。どうだ?」鷲鼻男に目を向ける。プリーチャーは身を起こし、衣服についた埃を払いながら答える。
「勇者にございましょうこの少年は。…王とてそう、お思いになるのでは?」
「ふん」鼻で笑い、――凶悪な牙を剥き出しに、ニヤリと笑った。
「今日は良き日のようだ」
「と、なれば」
スゥゥ、と大きく息を吸い込む。たちまち王の胸部がパンパン膨れ上がり、張り詰めた。……溜めを作り、王はしばし息を止めた。
――猛烈な、凄まじい大音声で轟き叫んだ。
「「「『神輿を持てぇい!!!』」」」
ビリビリ、ビリビリと空気が震える。東堂さんは目をつぶって顔をしかめ、切田くんは両手で耳を押さえた。
――遠くからかすかに『応!』という、たくさんの声が聞こえた。
ゴブリンの王は、神妙な顔で言った。
「勇者祭りをせねばならんな」