後出しジャンケン
揺らめく大気。景色が歪むほどに汗ばむ熱気と、強烈に鼻をつく松脂臭。何処か厳粛なる儀式めいた、激しく燃える燈火の順列。王と家臣の、謁見部屋の中心。
紅を背に抜き放ったゴブリン王グッガは、厳しき羅刹の如く悠然と見据え、その切っ先を向ける。――幾度も戦争をくぐり抜けた、強者の、王のたたずまい。
勝てない。
無力さと敗北が、蔦となって締め付けてくる。……このままでは負ける。一方的に負ける。圧搾に歪む脳神経をじわじわと侵食する、悔恨と、冷たい死の予感。
「どうしたね?キルタ君」
――王は来ない。襲ってはこない。余裕の態度で高みから睥睨している。……それどころか、諭す口調で話しかけてくる。「君のターンエンド、私のターン。私からゆくのが筋ではあろうが。…先程の、弾打ちだけのきみではあるまい。まだ私に見せられるものはあるかね?」
「情けとも、侮りとも取って欲しくはないな。私はきみに期待しているのだよ」
(……ぐっ……)重圧に押し潰されそうになり、少しえずく。……今や、取り巻く世界は全て異物へと変わり、切田くんを排斥しようと内から外から蠕動している。
……焦燥に、萎え落ちそうになる気持ちを、(……このっ!)怒りによって無理にでも奮い立たせた。(どこまでも僕を舐めくさって…!)
(……その余裕ぶった面をひん曲げてやる。……いや、)駆け出す意識を繋ぎ止める、凍てついた楔。(……怒りや焦りに脳が染まれば、『思いついて当然』の事さえ思いつけなくなる。僕が今まで散々、痛い目を見て学んできた事じゃないか!)
(…落ち着いて考えるんだ。…必ず何か、打開策はあるはずなんだ…)
引き金を引くだけで撃発可能な拳銃とは違い、切田くんの『マジックボルト』は意志の力で攻撃対象を指定しなければ成立しない。攻撃の意志を中空に放つだけでは、『スキル』の力が通わないのだ。……つまり現状、切田くんの手札はすべてクズカード。解決の手段はない。(…台パンしたいよ、まったく…)バンバンバンバン。
(…だけど、攻撃の意志自体は王様に向けることができた。『マジックボルト』が完全に使えない訳じゃない…)外してしまった魔力の杭を思い出す。
(王様は不正ターゲット。異なるルールによって『スキル』は妨害され、意志には従わない。ならば、…例えば自分の手を動かす『ビー玉パリィ』なら…)――周囲の時が止まって見える程に、刹那の思考はカリカリと目まぐるしく回る。(…アイディア次第で、まだ戦える…!)
※検証開始※。握り込んだ『ビー玉』にパワーを込めて、王の剣を受け流せるように誘導しようと意識する。……じわりと、左手が上がった。
しかし、その違和感に、切田くんの手が止まった。(駄目だ、『ビー玉』が動いていない!?)――検証は失敗。『スキル』の力が通っていないのだ。(王さまが持つ剣を対象として狙ったせいなのか!?装備品も対象にできないの!?)
(……マズイ、これでは……)剣が無理なら兜や鎧も狙えない。装備品を貫通させて、『結果的に』王を攻撃することは不可能だ。
そして、どうにかスキルや魔法の攻撃を当てたとしても、王の力は『そのダメージを0にする』。……王の言葉が正しいのならば。
覆面の内側をつたって、汗がポタリと落ちた。
(……だっ……駄目だっ……!)『ビー玉』を握り込んだ左手と、右手のシャープペンシルを交互に見る。あれほど心強かったその二つは、今はあまりに、脆弱で無力だ。
(打つ手が、無い!!)切田くんは脂汗に塗れ、じり、と後ずさった。
◇
そっと、肩に手が添えられた。
思わずビクリと跳ね上がり、おそるおそると背後に目をやる。
「下がって、切田くん」声の主は優雅にその身をすくめ、外套の中、重い背負い袋を脱ぎ落とす。ガシャンと大きな音が響いた。
……遠い声で、その人の名を呼んだ。
「…東堂さん…」
煌々と燃え盛る炎に影差す、すらりとした細身の影。毅然と立つ彼女は、自らの胸に手を当てて瞑目し、朗々と詠唱を諳んじる。……その澄みわたった声は、『迷宮』の壁に奇妙なほどに反響する。
「『魔力を以て命ずる。聖霊よ、守護の力となりて我が身を守れ』。【プロテクション】」
「…あとはまかせて」声を和らげ、横を抜ける。……逸らした瞳が、じっと覗き込まれている。
力なく下げた手の甲に、冷たい手のひらが、やんわりと触れた。
そのまま『聖女』は悠然と、王の御元に進み出ていく。フードの奥より鋭い眼光を飛ばし、腰に佩くヘビーメイスに手をかける。
その凛とした姿に、切田くんの胸が拉げた。
(……ぐうっ……!)
情けないところを見られた。臆病だと思われた。恥ずかしい奴だと思われた。邪魔だから下がっていろと言われた。弱いと思われた。僕にこいつの相手は無理だと言われた。舐められたまま終わった。まだやれたのに代えられた。出番を取られた。まだやれたはずだ。手段はあった。せっかくまだ、考えている途中だったのに。
汗だくに冷えきった身体が、酷く強張る。圧壊寸前に胸が締め付けられている。……少年は思わずよろめき、そのまま後ろに三歩下がった。
ゴブリンの王は失笑する。「クハハ。キルタ君。きみが私の期待を裏切るのは、これで二度目だな」
「…弾撃ちの魔術師ともなれば、そうもなろうが」
「まさか女を盾にするとはな」
ピリリとフードが外される。――顕となった、氷像の美貌。艷やかなまつげの下に浮かぶ、絶対零度の蔑みの目。
鈍く光るヘビーメイスをベルトから外し、彼女は静かに宣言した。
「口先なんて意味がない。これで順位付けをしましょう」
「…ほう?」王は片眉を上げ、興味深げに答える。
「私に力で勝てると思うのも浅はかだが、男を立てなくとも良いのかね?」
「切田くんは私よりもずっと強い。自然とあなたが下になる」――価値も興味も微塵も無い、深淵を写し込んだ様な虚ろな目で、悠然と構える王を下に見る。
「たまたま持っていた対策がハマっていい気になっている強者気取りに、私が序列というものを教えてあげる」
「クハハハハハハハ!」
心底愉快そうに王は嘲笑し、……そして、静かにのたまった。
「慰めるためだけの根も葉もないおべんちゃらなど、男が惨めになるだけではないかね。キルタ君も気の毒なことだ」
沈黙。……そして浮かぶ、憎々しげな表情。ギリと奥歯を鳴らし、殺気がぶわと膨れ上がる。――彼女の中の何かが、スッと抜け落ちた。
「…世界を馬鹿にし続ける、罪深きものよ」
透明で空虚な瞳が、王の姿へと向けられている。
「馬鹿にすべきではないものまで馬鹿にして、いつしか神の怒りに触れた」
「決して拭えぬ穢れを纏いし王よ」
氷結世界の幽鬼の如く、……ゆらり、と、ヘビーメイスを蜻蛉に構える。
「そんな馬鹿な王さまが女に無様に叩き伏せられて、地面に惨めに這いつくばってから」
「今の気持ちを聞いてあげる。少し黙って」
「…ほほう?」失笑混じりに王は牙をむき出した。垣間見えるは愉悦の表情。
「出来ないことへの挑戦というものは」
「後悔の暇がある事柄でやるものだ。女」
ゴブリン王の気配が変わった。
決壊の勢いにメキメキと、濁流の如く筋肉が漲り、たちまち全身、斑模様に太い血管が浮き出る。異相と化し膨らむ身体から、うっすらと白い蒸気が立ち昇る。
全力全開。仕掛けてくる気だ。
暴威を喧伝せし太い牙。現し世ごとに恐れ震わす、凶なりやし悪鬼の形相。――顕現をなすほどに渦を巻く、重苦しくも噴流する漆黒の殺意。
担いだ長剣引き絞り、全身に溜めた力を結集させて、
「カアッ!!!」震脚。爆裂波濤の踏み込みに大地鳴動し、地殻津波の如く突撃せしゴブリンの王グッガは、
「クハハハハハハハ!!」全身全霊を切っ先に、必殺の長剣を振り下ろした。
『ぁああああああああああああああああっ!!』迎え撃つは鋼の一撃。深淵よりの雄叫びを引いて、蜻蛉に構えたヘビーメイスが鋭く宙に円を描く。水飛沫の如く跳ね上がった鈍器と、渾身に打ちおろされた長剣が交錯する。
激突、衝撃。――金属同士が撃ち合い、泣き叫ぶ轟音。
王の長剣は、その太い両腕ごと跳ね上げられた。――過剰な負荷にビキビキと、両腕の筋肉が悲鳴を上げる。「なんと!?」吹き飛ばされそうになったゴブリンの王は、崩されながらも驚愕に叫ぶ。
東堂さんは笑っていた。虚無を湛えた瞳の下、……深き地の底にて焦熱に歪む、コポコポ笑う透明なマントル。
『三下が』
獣の瞳が、ギラリと光る。へし折れる程にヘビーメイスが軋み、「アハハハハハハハハハ!!」慣性に逆らって袈裟懸けに転じた。高笑いに載せし暴威無双の鉄塊が、ゴブリンの王めがけて叩き込まれた。
そのはずだった。
「えっ」ヒュウと手前に空振ったヘビーメイスを、なめらかな動きで腰のホルダーに格納する。「…ちょ、ちょっと…?」……混乱と狼狽に、わけも分からず慌てる。「…ちょっ、何をして…えっ?」しゃなりとその場に座り込み、足を崩して横たえる。
両手をぺたりとつき、不安定な体を支えた。……横たわる人魚の様な、どこか艶めかしい姿だ。
「…どうして…?」
「東堂さん!?」(東堂さんが、はべらせ座りに!?)
――王の革マントの陰。ゴブリンの老人が両手を伸ばし、何かの呪いに複雑な印を向けている。鋭く囁きかけた。
「『対象の敵を、行動終了にする』…王よ、とどめを!」
「応よ」剣を逆手に持ち変えて、ゴブリン王はニヤリと嗤った。
へたり込んだ『聖女』は、なおも気丈に毅然と睨み返す。――地に伏せどなお燃ゆる憎悪を見やり、王は淡々とのたまう。「魔力による強化が自信の源か。実戦ではままあることよ」
「だがな。広くを見越し、策を張り巡らせるのが政というものだ。……終わりだな。女」
「お前が、下だ」
王は凶刃の切っ先を、睨みつける女の眉間へと、
「!カァッ!!!」
渾身の力で叩きつけた。
激しく火花が散った。長剣の先端が欠けて空を切り、跳ね飛んだ欠片が壁を跳ねて更に火花を散らす。――尖端の欠けた王の長剣は、彼女の眉間の前、見えない壁に阻まれ止まっていた。
「ぬうううううぅっ…!!」流石のゴブリン王も、怒りと焦りに顔を歪める。……こうなれば無理にでもと、再び渾身の力で剣を押し込む。……一寸たりとも剣は進まない。
吹き出した脂汗が、顎を伝って落ちた。
東堂さんは、じっと睨みつけ、凛とした口調で言った。
「私の【プロテクション】は、すでに『ディバイン』化している」
「…悪いけど、お堅い女なの」
――思わずよろめき、後退る。そこに有るのは憤怒と憔悴。ギリと奥歯を噛み締めて、心底憎々しげに、地に横たわる女を睨みつける。「…二度も三度も…」
「爺っ!!」絶叫寸前に王は怒鳴り、半身で振り返った。……激発と懊悩に、強く激しく問いただした。
「我が身はっ…!…我が身はそれほど非力であるかっ!?答えよ!!!」
「否!凶獣さえ屠る王の力、衰えてなどおりません!!おかしいのは向こうでありましょう!!」
◇
(…ここだっ…!)昏き炎を宿す切田くんの目が、ギラリと光る。(…絶好のチャンス…)
周囲の時が止まって見える程に高速で廻る、刹那の思考。(……【ディテクトマジック】に映る、東堂さんを包む防壁の光は、あの時の梟に匹敵していた。――主力戦車並みの装甲。あんな普通の段平に、抜ける道理はない……)王の激発が、ふてぶてしく睨む『聖女』の呼吸が、ゆっくりとコンマ倍速で流れていく。
(東堂さんの守りの力を、僕は信じた。……そう言えば、聞こえはいいけど……)
(……ぐっ……)弱々しく毒づく。切田くんはなにか、『東堂さんを見捨てた』気分になっていた。
切っ先を向けられた瞬間も、切田くんはじっとチャンスを伺っていたのだ。……何もせず、棒立ちで。(…こんな非常識な世界の中で、防げる保証もなかったくせに。…僕は一体何を言ってるんだ…)――心の中で頭を振る。
(…いや、何も出来ないくせに『なにかしよう』だなんて、そんなのは邪魔なアピールでしかない…)
(…くそっ。…なのに、このモヤつき…)拭えない気持ち悪さが、白蟻みたいに巣食っている。
……そして、嫉妬。王に立ち向かう東堂さんに感じた、激しい感情。
(僕のほうが、先に、守りたかったのに!)
その激しさとめちゃくちゃな内容に、彼の心がぐにゃりと曲がる。
……危険な感覚に、降って湧いた衝動を押し込める。(…何だよ、それ。何を考えているんだ僕は…)
(…とにかく。今、あのお爺さんを倒せば、パワーの差で東堂さんが勝つ)
(結果的には守れる。救える。…そんな訳のわからない懊悩の事なんて、その後でゆっくり懺悔すればいい…)刹那の思考の区切り。鈍化した世界が急激に、通常速度へと加速する。
――世界の動きに相反し、その煮えたぎる思考は、加速度的に鎮静へと向かった。(…今は、この僕を視界から外した王さまの油断。…付け込ませてもらうぞ。…行けっ!!)
手のひらに握り込んだ三つの『ビー玉』を、親指で次々と弾き出した。
「『ビー玉バレット』」
弾き出された『ビー玉』がパワー流入により急加速。――正面射線は王のマントによって塞がれている。(…だったら迂回攻撃だっ!)一発は天井へ。残りの二発は左右の壁へ。
「…『跳弾』!」三発の『ビー玉バレット』が、即座に石造りの壁と天井に火花を散らした。それらは老ゴブリンの身体めがけて、正確に乱反射した。
王が火花を視界の隅に捉え、声を裏返して咄嗟に叫ぶ。
「爺!!」
(死角からの三方向攻撃。王さまのガードも魔法詠唱も、このタイミングで絶対に間に合うものか!…くらえっ!!)