アンタッチャブル
「こっちだ!着いて来い!」胴鎧ゴブリン(偉そう)の先導に従い、迷宮『出入り口』の豪華な黒門を抜ける。
――瞬間。ぞわりと、奇妙な感覚が走った。(…なんだ?)
現実感とかけ離れた感触、ざらりとした不条理な感覚。肌や脳が、本能的に警告信号を発している。「…感じましたか?」「…ええ」
「『迷宮』に入った証拠だよ。別になんでもないよ」
世界各所に存在し、過去より現在、富と暴力とを無限に排出し続けている、『迷宮』。――『迷宮』は生きている、と、人々の間では伝えられている。
いつの間にか変化する構造。自然発生する致死の罠。異界より招かれし魔獣たち。……理解不能、意味不明、都合の良すぎる理不尽なる仕組み。(…異界に足を踏みいれたって事だけ?本当にそれだけなの?)
迷宮そのものが別の世界に存在し、『出入り口』を通ることで次元を超える、という学説も流布されているようだ。――もし、その説が正しいのならば、ここは切田くんたちが召喚された世界とはまた違う、別の異世界ということになる。……彼らには知る由もないが。
(…何か、嫌な予感がする…)根拠なき不安が取り巻いている。進むべき足を竦ませる、怯懦の感覚。
情報が足りないのだ。勇んで『迷宮』に来たは良いが、己の無知が呼ぶ暗闇が、今、現実の暗闇となって眼前に広がっている。(…初見殺しやわからん殺しをされたくはないな。判断の隙も与えられないなんて、冗談じゃない)
指パチし、試しに『飛ばないマジックボルト』を出してみる。光球が発生して浮かび上がり、周囲や階段を煌々と照らした。……『スキル』や魔法は今までと同じ様に使えそうだ。根底のルールは変わらないはずだが…。
早足で進む胴鎧ゴブリンの後を追って、警戒しながら階段を降りる。
「…不安だね、切田くん…」東堂さんは心配そうだ。(……同意ですぅ)
力強くにこやかに答える。「ええ。めっっっちゃ不安ですね」めっちゃ不安。理由は上記。
「…あのねえ、キルタ…」クソデカため息。「そこ、同意するところじゃないから。『僕がいますぅ』って聖女さまを勇気づける所だからね?」(け、軽薄ゥ!)
「ほら、はやくする」(…なんなの…)『猫目』は煽るし、東堂さんは黙っている。チラッ。(アカン)切田くんは咳払いをする。
「その、なにせ、ろくな情報も無しでの危険地帯への突入ですから。…それでも僕ら、それぞれが、今出来る事を十全にこなしていれば。…この構成なら、付け入る隙はありませんよ」三人を指し示す。(…確かに根拠は薄くても、元気づけておくのが丸いか…)「大丈夫です。僕がいますから」
「…ん」
ヒュー、と『猫目』は口笛を吹く。「ま、臨機応変にやるしかないでしょ。少なくとも?アタシの領分は任せといて」(…それをいうんか?それをいうてまうんか?)ムキムキしてきた。
(だったら僕はなっちゃうぜ?フ○ォーク准将に!!)ヒュー。高度な柔軟性で大組織に取り入って、我欲で思うがままに動かしたい。今のところ成果はゼロだ。
通路を進むと、紅い炎のゆらめきが映り込み始める。聞こえてくる微かな喧騒。カチャカチャという物音。――集団の気配。
この先は広場になっているようだ。そしてそこには、大勢の何かがいる。
広場の入り口に立った胴鎧ゴブリンが、内部に向かって声を張り上げた。「使者を連れてきたぞっ!!」
辺り一面にギラギラ広がる、澱み、黄ばんだ瞳。
それが、
一斉に向けられた。
ひしめく眼光、炎の陰影。飽和した視線が錆び針となり、怖気立つ全身を深く刳る。ぞわぞわとした蠢きが、視界いっぱいに満ち満ちる。
不潔な体臭。武器の金属臭。ニヤニヤ笑う口臭。嘔吐を誘う腐臭。血肉と脂を煮詰めた様な、凄まじき忌避臭。……張り詰める緊張と、むせ返る、殺意の臭い。
一触即発。切田くんは(悪臭は魔法でブロックしたものの)油断なく、胸ポケットのシャープペンシルに手を当てた。
大広間に響き渡る、悍ましき吠え声。「そいつらが使者か!?」
「そうだ!手を出すなよ!!」
「……なんだ!」「やっと来たのか!」
空気が弛緩した。小さな歓声が上がり、安堵の声が飛び交う。淀みなど元から無かったかの如く消え去り、和気藹々としたざわめきに満ちる。「いやー、良かった。長かった!」「コボルトどもの気持ちもわかるってもんだな!ドワーフもかぁ?」
「これで事態が動くな。こんな辛気臭い場所も、いい加減飽き飽きしてたところだ」
「毎日肉が食えるのは悪くなかったがな!」「違いねえ」笑い声がこだましている。――そこには、和やかな空気が流れている。(…落差で風邪引きそうなんですけど…)
「…多いわね」
大広間には、まさに無数のゴブリンがひしめき合っていた。おそらく百ではきかないだろう。
城壁もかくやと組まれし、石組みの大広間。不条理なる迷宮構造物。――百余りのゴブリンを収容してなお余裕のある空間を、まばらな焚き火では照らしきれず、高い天井はほぼ暗がりが占めている。
端には水場が備わっている。――『迷宮』の施設だろうか。「…しっかし、どこから湧いてんだコレ。おっかねえ」「魔法だろ?」「ションベン飲むよりゃマシだろ!」ゴブリンが群がり、談笑しながら鍋や水袋に水を汲んでいる。
煮炊きの炎がそこかしこで焚かれ、輪を作っている。肉の焼ける臭いが立ち込めており、防護を突き抜けるレベルで(…充満しすぎ…)獣の匂いが鼻を突く。薪の持ち込みはあるようだが、『迷宮』産の皮や脂までもが燃料に使われているようだ。
焚き火を囲む者たちは、おのおのが肉にかぶりついたり、「やっぱり美味いよな」「外のよりも臭みがない」「舌触りもまろやか」鍋に木鉢を突っ込んで掬ったりしている。
銀色の缶詰を足で固定し、ガツガツと短剣を突き立てこじ開けるゴブリンがいる。いびつになった缶詰から、中の肉をそのまま短剣で掬い、舐め食べる。
しばらく咀嚼し、隣の仲間にニヤリと笑いかけた。
「当たりだ」
(うらやましいな)物欲しげに眺める。
手に入れそこねた缶詰ガチャだ。(あっさり諦めずに、駄々をこねれば良かったな。『一つだけ!ひとつだけですからっ!』って…)失敗を悔やむ。(ヤダヤダ!)――嗚呼、さらば我が缶詰ガチャ。遠き日の憧憬よ。(……なるほど。この感覚が、サウダージってやつなのかな……)
「…なにか、変な事考えてる?」
「いいえ、まさか」
「…ホントに?」
「…むー…」ムスッとした『猫目』が、口を尖らせる。
「…本当に大丈夫なの?アタシの『スキル』は戦闘向けじゃないんだから、ちゃんと守ってよ」
「『スキル』?…隠しておかなくてもいいんですか?」
「別に。暗いところでもよく見える『スキル』だよ。聖女様には後で見せてあげる。……キルタもついでだから見れば。見れないと寂しいでしょ」東堂さんには笑いかけ、向けられるのはフフーンといった顔。(扱い〜)
ニマニマする少女を見やり、切田くんは迷いを感じる。
(…この状況、『猫目』さんは上で待ってもらったほうが良かったか。隔壁も開けっ放しだし…)ガバナが設置した二重の隔壁は、外側からでしか閉じられない仕組みとなっている。
本来ならば、番人である『メイズフォレスト』が閉鎖するのだろう。……隔壁内にも伝声管はあった。『迷宮』からの帰還時や、ゴブリンとのやり取りにも使われたはずだ。
かといって『猫目』を上に残したままでは、『迷宮』に備わる死の罠に対応できない。うまく迎えに行ける保証などないのだ。
奥に消えた胴鎧ゴブリンが、必死なほどに息を切らせて駆け込んでくる。勤勉ゴブリンだ。――大広間をつんざいて、彼は声を枯らせて大声を上げた。
「王がお会いになる!!こっちだぁっ!!!」
◇
奥側の通路を進むと、広々とした部屋にたどりつく。
壁面に設置された松明が、ズラリと並んで燃えている。順列を成す焔の明かりが、部屋の隅々までを強く照らしていて、……正直暑い。(ボス部屋かな?)荘厳なテーマ曲が流れそうだ。
角に豪奢な宝箱が鎮座しているのが、切田くん的には少し気になる。(ボス報酬かな。…先にください)
厳しき緑の巨漢が、部屋の中央にて雄々しく立ちはだかっている。――ゴブリン種族らしくはあるが明らかにサイズの違う、大木ほどに鍛練された筋肉質の巨躯。その太い腰に佩く、使い込まれた長剣が、ガチャリと不吉な音を立てる。(…そして、これがボス…)
「私が王だ。ゴブリンの王グッガだ。覆面の使者どのよ」
思慮深ささえ感じさせる、落ち着いた声。(……うーん……)切田くんは虚を突かれる。(……ラノベで良くあるゴブリンキング的なものと思っていたら、ゴブリンのキングが出てきてしまった……)(……やりにくいな)
ゴブリンの王を名乗る巨漢。全身を屈強な筋肉で堅めた、緑の大男だ。(2メートル程もある)。――明らかに異質であった。
全身に立派な具足を纏い、毛皮つきのマントをひるがえしている。
鉄兜を被り凶悪な面相をしているが、その表情には、深い知性と威厳が感じられる。
脇には賢しら顔の老ゴブリンを従えている。世話役だろうか。
切田くんは、想定以上の脅威を感じると共に、(…んもー…)なんだか牛になってげんなりする。
(…どうも、世界の仕組みが僕に優しくないんだよ。盗賊退治と思いきや、国の特殊部隊が出てくるとかさあ。イジメでしょこれ…)崩れかけた気を引き締める。――目前の光景こそが、切田くんにとっての現実で、今から自分は『王』と交渉を行なうのだ。
(…気持ちで退くな。そして媚びるな。堂々としていればいい)
「切田です」
「吉報を持ってきてもらえたかね?」
しわがれた、穏やかな声。――高みの余裕を感じさせるたたずまいに、逆に、酷く落ち着かない気分になる。……慎重に、言葉を選ぶ。
「僕らはこの国の王の使者ではありません。この『出入り口』を管理する組織の者です」
「ほう」
「…我らは王の使者を要求したのですぞ?」
老ゴブリンが眉をひそめた。
傍らを手で制し、王はうながす。
「続けたまえ」
「…組織はあなた方が出入り口の占拠を止め、『迷宮』の自由な通行が回復されることを望んでいます」
「それで?」
「僕は、この問題の解決を依頼されたものです。……しかしながら、決して積極的な争いを望むものではありません。両者のすり合わせが行われれば、それでいいと考えています」
「ふむ。寛容なことだ」
「組織の一方的な味方でもありません。条件次第ではあなたがたの味方となって、迷宮からの脱出を支援する事も可能です」
後ろで『猫目』が納得いかなそうに、小声で何かを言っている。
ゴブリンの王は表情を変えず、諭す口調で切田くんに問いかけた。
「それほどの力がきみにはある、と言いたいのかね?」
「僕らはあなた方の殲滅が出来ると見込まれて、ここに送り込まれています」
「無理を通せるだけの力があると、そう言うのだな」
ゴブリンの王は毅然とする切田くんを見やり、穏やかにうなずく。
「それで、条件によって我々の側に立つ、味方になるという証拠は?」
「…地上への隔壁は、現在開いています」
「ほう?」
「あなたがたは今、自由に外に出ることが可能です」
「…ちょっとキルタ」
「少なくとも、ここで無駄に僕たちと戦い、戦力を損耗するのは避けたいのではないですか?」
◇
「あいわかった。キルタ君と言ったな」
ゴブリンの王は暫し吟味し、バチンと強く両手を叩く。そして鷹揚にうなずいて、切田くんにこう言った。
「つまりきみは、我々を謀ったということになる」
「えっ」訝しげな様子に対し、言い含めるよう、穏やかな声で続ける。
「きみは、自らを王の使者と謀って、私の陣地に押し入った」
「これは侵犯であろう」
「そしてきみは、我々にこう要求した」
「『ここを出ていくか、何処なりとも消えろ』」
「傲慢にもほどがある、というものだな」
「それを打ち消そうと滔々と利を語ったところで、あいにく私は商人ではない」
「…それに、きみは少し、礼儀というものを憶えたほうがいい」
「礼儀とは、相手に敵意のなさを示すものでもあるが、軽挙妄動の輩ではないという教育の度合いを示すものでもある」
「そして君は、王の前にいるのだ。キルタ君」
「我々粗野なゴブリンとて、他の種族と交渉する段では、多少は礼儀を気にするものだ」
「つまりきみは、自分の都合で軽挙に動く、輩のたぐいということになる」
「そんな輩が謀ったのだ。我々が心底待ち望む使者であると」
「窮地の我等をぬか喜びさせ、徒労を押し付けた」
「…これで現状を打開できると沸いた兵たちの落胆を思うと、私は胸が痛い」
「これらは許されることではない」
……切田くんは絶句する。答える言葉が思い浮かばない。
「ちょっと、大丈夫?」
「黙って」
女性陣が小声で囁き合っている。
ゴブリンの王は鉄兜の奥、立ち竦む覆面の奥底を、じっと覗き込んだ。
「キルタ君」
「きみは、我々の期待した使者ではないようだ。きみは期待を裏切った」
「きみは、他の有象無象の『耳削ぎ』共と同じように」
「たかがゴブリン、たかがその頭領と、侮ってここに立ったのかね」
◇
切田くんはよろめきそうになる体を、必死に『精神力回復』で押さえつける。……錯乱した思考が、ぐるぐる、ぐるぐると脳裏を廻っている。
(この王さまの言っていることは正しい。ぐぅの音も出ない…)
(…確かに僕は、非礼が過ぎたかもしれない。気持ちで負けないよう、強く見せようとして虚勢を張って、相手に失礼を押し付けてしまった?)
(…覆面も取ってないし、それに、言い方も不躾すぎたかも…)
(…でも僕は、礼儀作法なんて一切わからないぞ。テーブルマナーだってろくに知らないんだ。…一体どうすれば…)
自らの無知が窮地を招く。慌てて取繕おうと、浮ついた考えを巡らせる。
(……その、結局は僕が悪いんだから。まずは下手に出ないと。謝ったり、反省してみせたり、……言葉の謝罪に価値が無いのだとしても、許してもらいたい姿勢は見せるんだ。……えーと、『非礼や門番を騙して入り込んだことは謝罪します』から始めて……)
「発言をお許しください王さま。ゴブリンの王グッガよ」
淀みを切り裂く、凛とした声。王は、切田くんの後方へと目を向けた。
「聞こう、神官殿」
東堂さんは、よどみなく滔々と言った。
「我々は災害にございます」
「…ほう?」
流石のゴブリン王も眉をひそめる。白き『聖女』は何食わぬ顔で、一方的な宣告を投げ続ける。
「王さまは、台風の日に行軍を強行いたしますか?」
「それもようございましょう。しかしあくまでそれは、災害に耐え忍び進むということ。台風の前に立ちはだかるということではございません」
「無論、台風の進路を妨げることなど、何人たりとも叶いません」
「…自らを天候を操る神の如しと申すか」
口元を歪める、ゴブリンの王。
東堂さんは素知らぬ体で、優しく親密な声を掛ける。「切田くん。言ってあげて」
「この愚かな王に教えて上げなさい。卑賤な蛮族の頭領にもわかるように」
「…ええ…?」
ギラリと向けられる凶相。……切田くんは恐れ慄くよりも、ものすご〜く気まずい気分になった。
「…あー、そのぉ…」確かに今は譲り合う場面ではない。(…そ、そうか。王さまと殺り合うほうがプラン通りなんだ。だったら虚勢を張ってでも、この気圧された感じを振り払ったほうが…)
(……いや、待て。…待ってくれ……)…『精神力回復』が、ガリガリと嫌な音を立てている。
(言いくるめられていたのか?)半ば呆然と、王の顔面を睨みつける。牙を剥き出しにしつつも、どこか態度に余裕のある王。(…正論パンチで誑かされて、この人に小馬鹿にされていたんだ…)
(…僕は、交渉をそれらしくしようと意識しすぎて、逆に言いくるめられてしまっていた?)
(……ぐっ……)恥ずかしさと悔しさに視野が狭窄し、『精神力回復』が嫌な軋みを上げている。(…落ち着け、切田類。怒りを感じるのはいい。だけど、怒りを回した分だけ思考が止まるんだぞ)
(そもそも、僕が交渉上手だったことなんて、産まれてこのかた只の一度だって無いじゃないか。『それっぽい』言い回しを並べただけで、交渉のプロにでもなったつもりか?)
(…今は、怒ったり、落ち込んだりしている場合じゃない。僕が本当に言うべき事柄を、この人に直接ぶつけてやればいい…)
切田くんは懐からシャープペンシルを抜き、ゆっくりと、ゴブリンの王へと向けた。
「御託はいい。そこをどいてください」
「僕らは奥に進めればそれで良い。本当は組織のことだってどうでもいいんです。なおのこと、あなた方や外のことなど、僕の知ったことではありません」
「キルタ、あんたねえ…」
「格好いいわ、切田くん」
――呆れた声と、穏やかな称賛。
(…けしかけたのは東堂さんなんだけど…)複雑な心境だったが、かっこいいと言われて悪い気分ではなかったので黙っていた。
礼儀をかなぐり捨てられた上に無礼を押し付けられたゴブリンの王は、その口元を緩め、笑う。……子供を諭すように、ゆっくりと口を開いた。
「向こう見ずさは若さの特権ではあるのだろうが」
「…さりとて許されているわけではない」
――余裕の王に斜向かう、冷淡な声。
「いくら勿体をつけて大人ぶっても、あなたの言葉にはその先がない」――どこか空虚に響く、冷たくも麗しき『聖女』の声。
「つまり、相手を思いやった、助言や苦言が目的ではない。どれだけ正しい形を整えたところで、それはただのマウント。嫌がらせ。そこらの庶民が偉そうにのたまうだけの、空っぽな飾りの言葉」
「結局はあなたって、私たちに偉ぶって見せたいだけの羽虫なのでしょう?なら、草葉の陰がお似合いよ。…ブンブン飛ばれてまとわりつかれてもうざったいから、叩かれたくなければ引っ込んでいて」
……シン……と沈黙があたりを覆った。誰もが固まったように動かなかった。
沈黙を破ったのは、笑い声だ。――ゴブリンの王は興が乗ったと、実に楽しげに笑っていた。
「クハハハ!嫌がらせとは心外な。王者のするそれは、『たわむれ』というのだ」
「戯言を」冷え切った声が答えるが、意にも介さず。王は切田くんに向かって鷹揚に口を開いた。
「たわむれついでに、そうだな。……キルタ君。私が王たる所以を見せてやろう」
「試しに私を攻撃してみたまえ」
◇
「……はい?」(……何だって?)
耳を疑い、聞き返す。いくらなんでもそれは無い。
ゴブリンの王は、真剣な顔で首肯する。
「構わぬ。決裂なれば同じであろう。その開戦の火蓋、私は甘んじて受けよう」不条理を押し通す、王の余裕。……切田くんは警戒心を顕わにする。
(正気か?……本気だとしても、何か強力な防御の手段があるのか?)
(それは魔力によるもの?…多分違う。【ディテクトマジック】の緑の光が見えない。この人たちは、『障壁』さえ張っていない…)
(ならば『スキル』、…ダズエルさんのような防御の『スキル』?)
(…王さまに、人格の破綻は感じない。侵食の気配がないのならば、きっとたいしたスキル出力じゃない。ブリギッテさんの見えない盾のような、圧倒的な遮断の力は出せないはずだ…)
(なのに、この自信…?)
(……舐めているんだ)……昏い衝動が吹き上がった。
(…馬鹿にして。この人は最初からずっと、僕を晒し者にして嘲笑うつもりだったんだ)激情に、クシャリと歪む。(…その傲慢さには、精々付け込ませてもらうさ。…ハハッ)もはや躊躇せず。シャープペンシルで王の眉間を指し示す。
(……ブリギッテさんには阻まれた。それでもこれが最大の、対装甲攻撃のはずだ。……いけっ!)
「鎧を貫く『マジックボルト』」
――少しの溜め。
金切り声を上げる魔力の杭が、空気を切り裂いて発射された。
避けられる距離ではない。
外すことなど決して無い。
魔力の杭はゴブリン王の頭、その横を抜けた。そして、『迷宮』の硬い石壁に、小さく深い穴を開けた。
ゴブリンの王は動じない。微動だにしない。
「…ぐっ…!」(当たらない!?なんで!!)直視出来ない現実が、目の前に横たわっている。認めたくなさに震え慄き、焦燥に顔を歪ませる。
(…曲げて逸らされたわけじゃない。狙いが狂ったのか?…僕に精神攻撃や幻覚の類いは効かないはず。…なのに、どうして…)
「弾打ちか」
ゴブリンの王はポツリと言い、片腕を上げて老ゴブリンの側へと向かい、かばう。
老ゴブリンも遠慮を見せずに、王のマントの後ろへと下がった。
「有用ですな。厚い体皮や装甲を抜き、急所を狙う効果の弾丸。この威力ならば強力なクリーチャーにも通用しましょう」
「惜しいな」王は呟き、そして鷹揚に構える。「迷いの無さは評価しよう。だが男子たるもの、魔法などという手妻に頼るものではないな。キルタ君」
「では教えよう。私の力を」
「えっ」(…なんで?…そ、そうか。誤情報で惑わそうと)
「私の力は」ゴブリンの王は言った。
「『自分フィールド上に【ゴブリン】がいる時、私は魔法、効果の対象とならず、そのダメージを0にする』」
「だ」
「…はぁ?」
「つまり君は、魔法の弾打ちなどに頼らず、男らしく拳で来るべきだったのだ」
切田くんは、思わず声を張り上げた。
「そ、それがあなたの『スキル』の名前なんですか!?」
「では始めよう、キルタ君。陣取り合戦を」――腰の剣に手を当てて、ずい、と半歩進み出た。
「すなわち、戦争だ」
――気圧され、逆に半歩下がる。吹き出す汗に覆面が張り付く。(『対象にならない』?なんだそれ…)
(…つまり、『マジックボルト』の狙いがつけられないということ?)
(だって、それじゃ…)息苦しさに、呼吸が乱れる。切田くんは溺れかけみたいに、何度も息を吐きだした。……今はあまりに軽く感じる、右手の、シャープペンシルの重み。
(僕の能力は、一切が通じない!)
(なにも、何も通じない!!)
ゴブリンの王グッガは、ゆっくりと腰の剣を抜いた。――幾多の命を斬り裂きし、使い込まれた分厚い長剣。鉄と脂とが紅炎を映し、刀身がギラリと光る。
「たわむれは終わりだよ。キルタ君」