「あたしに興味があるの?」
目深に被った外套フードの奥、姿勢の良い、虚ろな目の女が、自らの捻じりあげる華奢な少女の右腕を、無表情にじっと眺めている。カチ、カチ、カチ。
「…いっ……あっ……あ…」窒息めいた吐息。万力工具の圧搾により、悲鳴とも呻きともつかぬ声が漏れている。少女の腕に不自然なほど食い込む、白魚みたいに繊細な指。
身を捩る『猫目』は蒼白に引き攣り、滴る程に脂汗を吹き出す。鷲掴みにされた腕肉が、神経ごとメリメリ押し潰されていく。その痛みは、声にもならない。
「…ぃぎっ…!」白目を剥き、泡を吹く。年下可憐な眼帯少女は息も絶え絶えに、高空に酸素を求めるが如く喘いだ。
その様子に、フードの女は、薄く口元を釣り上げた。
「東堂さん!」咄嗟に挙がった声にハッとして、掴んだ少女の腕を投げ出す。――そして狼狽え、救いを求めるように隣の覆面少年を見る。
しかし切田くんの側も、自らの気付きにハッとさせられることとなった。(…そうだ。僕は油断していた?…今、彼女に触れられるのはマズイんだ)
(この子に『精神力回復』が流れ込んでしまえば、――潜在的な敵であるガバナに、能力の情報が渡る事になってしまう!)
ある程度のコントロールが可能になったとはいえ、未だ『精神力回復』は常時発動している。スキル能力に詳しい相手には察知されてしまう恐れがあるし、――この少女が探索者として優秀であるのなら、なおさらの事だ。
隠してこその『スキル』のアドバンテージである。害のない回復スキルだと侮られれば、ディスアドバンテージ。無用な攻撃をおびき寄せてしまうし、魔力回復の力は魔術師にとって極めて有用なはずだ。思わぬ欲望を刺激する恐れまである。決して公表されるべきではないのだ。(…うかつだ。それを今、東堂さんが身を挺して守ってくれたというのに…)
(安っぽい正義面で大声出して、…泥を被せて恥をかかせてしまった?)……身体の芯がヒュウと冷え、凍った胸が酷くざわつく。(……ぐっ、僕は馬鹿だ。考えなしだっ!すぐに謝らないと。……東堂さんっ!)
咄嗟に謝ろうとして、(…待て、切田類。謝る先の未来が見えないんだから…)ふと、思い直す。(彼女は僕を助けてくれたんだ。月並みかもしれないけれど…)狼狽える表情に向かい、切田くんは真剣な顔で言った。
「ありがとう、東堂さん」
「…ふぇ…?」彼女は目を丸くして、豆鉄砲を食らったみたいな声を上げた。
◇
「なんでさ!!」腕を押さえて呻く『猫目』が、納得いかないと文句を絞り出す。「…ぅう、…つぅぅ……ねぇ、待ってよ!…おかしいって!」
「そんなの絶対おかしいよ!…あたし何もしてないのにっ!なのに突然こんな酷い真似をして、…それで、どうして『ありがとう』なの!?…ホントふざけてるよ。もうめちゃくちゃだよ!!」一理ある。だが、正直に答えておく。
「すみません。ですが、僕ら的にはオッケーです」
「はああああああああああ!?」可憐さもへったくれもない顔でメンチ切られた。隣の東堂さんは困り顔で、何故だかテレテレしている。どっちもかわいい。「オッケーです。じゃないでしょぉ!?なぁにがオッケーよぉ!?どこにどれくらいオッケーな要素があるのさぁ!?おおん!?」物凄い勢いでキレられている。隣接テーブルのならず者まで『そりゃ怒るよ…』とチベットスナギツネ顔だ。(…なんです。なんだってんです…)
バツの悪そうなふたりを手酷く睨みつけ、ぷんすか口を尖らせる。「あーあーあー、もう、絶対これ腕折れたって。痕になってるし。……絶対、責任とってもらうから」恐る恐る押さえた手を覗き込み、『猫目』は固まった。
「…あれ…」怪訝な顔。腕には痕など残っていない。
そんなはずはない。万力工具に噛み潰された様な、無惨な痕があるはずだ。――視覚情報に脳が追いつき、幻痛が消えていく。面食らって片目をパチパチさせて、……そして少女は、別の何かに気づく。
「……えっ……」
その目がいよいよ驚愕に見開かれ、畏怖を込めた視線でこちらを見上げた。
「『猫目』!じゃれてないでこっちに来な!さっさと仕事の話だよ!」
「…う、うん」カウンター越しに怒鳴られた『猫目』は、フラフラと老婆のいる奥へと去っていく。……状況終了。この場はなんとか凌いだようだ。(……どうにも苦手だな、こういうの……)切田くんはホッとする。
「…ごめん、切田くん」去りゆく少女の後ろ姿を眺め、東堂さんが言った。
「やりすぎたみたい」
「えっ」奥へと向かう『猫目』は、熱を込めた視線で、もう一度だけ振り返った。
……彼女はそっと、自らの眼帯に隠された目を押さえていた。
「…なるほど」
◇
偽装酒場を出立し、三人は、加工場の裏手を抜けていく。
相も変わらぬ寂れた漁業区。長屋や倉庫などの施設も立ち並んでいる。磯臭さや生臭さに澱んだ空気。けたたましくがなり続ける、機械装置の作動音。(魚の加工のための機械が動いている。ギョニソーかな?)ギョニソーではない。(こんな異世界なのに。現地技術のレベルが読めないな…)
(怒鳴り声も飛び交っている。きっとブラックな労働環境なんだろう。…そりゃ、働かなきゃ仕方ないんだろうけど。餓死するし)
(…そんな地獄の命脈切って、食い扶持捨ててまで『迷宮』に命を賭すのとどっちがマシなんだろうか)切田くんはふむうとなる。
金貨や財宝、恐ろしい怪物に致死の罠。――『神代の迷宮』へ繋がる非正規の『出入り口』、ガバナの秘密の抜け道へと、三人は今、向かっていた。(…まあ、普通行かないよなあ。緩やかな死からは目をそらせても、目の前にある死は怖すぎる。…僕だって、たまたま手元にインチキ銃があるから行くって話で。…手ぶらじゃ行きません…)
(手近な『迷宮』で即英雄。…夢やロマンは何時だって商売道具さ。屍晒さず済んだところで、国の審査で戦略物資を掘っているんだから、迷宮探索者なんてただの下請けだ。いや、飾りの勲章で踊らせる奴隷鉱夫なのかな?)
(見栄えの胸壁煽り立て、愚者の黄金今日も皆に鞭を打つ。奴隷グルグル絶賛高速大回転だ。チンジャラチンジャラ。……かくして勲章にも満たぬ安易な夢や一攫千金は、こうやって非合法組織の食い物にってことだよな。……世知辛いって、こういう事なのかな……)
(…将来の夢ですか?僕、ギャンブルで食べていこうと思うんです。パチだったら還元率も高くて、競馬よりよっぽど…)ろくでもない思索にふける切田くんを尻目に、案内する『猫目』は人懐っこく、しきりに東堂さんへと話しかけている。
「ねぇねぇトードー。トードーって本物の聖女さまなんだよね?」
眼帯少女は扇情的なベビードール姿から、エッチではない質素な上着とスカートに着替えていた。上から皮製のジャケット防具を身に着けている。――動きを邪魔しない、どこか衣装めいた作りだ。
膨らんだ背負い袋に、小物の入ったポーチ。足元はサンダルからブーツに履き替え、腰には量販品の小剣を帯刀している。
まとわりつかれる東堂さんは表情固く、フードの奥より気鬱そうに答える。「……違うわ。そうなった覚えもない。そもそも『聖女』って何?ご都合アイドル?」
「勝手にそんな扱いをされるのは、正直迷惑なのだけれど」
その突き放す態度に、『猫目』はむしろ笑いかける。「ああ、言わないよ。あたし、ふりは得意だからね。…すごいよね、聖女さまって本当にいたんだ」
「しかもあたしのとこに来てくれただなんて。ねぇねぇ、どうしてこんな国に来たの?酷い国を回って、虐げられる人を救済する旅とかしてるの?すっごい聖女さまっぽい」感心し、何度も頷く。
「そういうのアイドルって言うんだねえ。神さまの像が勝手に動いちゃってる感じ?」そしてケロリと、ぼっち切田くんに視線を向ける。「でも、それだとキルタの存在がよくわかんないなー。護衛って感じでもないし。…なんかキルタって、見るからにダメな感じでしょ。偶像に触らないで!って司祭に叱られる感じの」
眼帯少女は愛嬌を込め、体を曲げて覆面の下を覗き込んだ。「ねー。キルタはくそざこだもんね?エッチなファッション覆面魔術師キルタくんだもんねー。ね、キルタ?」
(ひどい言われようだ)何か言い返そうとも思ったが、すでに『猫目』は興味を失い、またしきりに東堂さんへと話しかけている。(…ムキー!)モヤがムネムネだ。
(…このままにしてはおけないか。よけいな詮索をされるのは困る…)
(ほら、東堂さんも困ってるし。…いや、僕があれこれ言われるのはいいさ。別にぃ?)「あの、ちょっといいですか。『猫目』さん」
「キルタだからってあたしに敬語は変だって。なぁに?」「少し、東堂さんと相談してもいいかな」少し強い口調で重ねる。
「こちらにも事情があって、言えることや言えないこと、いろいろあるんです。『猫目』さんへの対応を、僕らは決めておかなければいけません」
「…え?大げさー。対応ってそれ、本人に言うこと?」茶化したものの、真剣な空気に気づき、バツが悪そうに「わかったよ」と答える。……ふたりは少し距離を取った。「切田くん」東堂さんは声の温度を下げる。
「深く関わるべきではないわ。彼女は敵勢力の人間だもの。危機管理は必要よ」
「…気の毒だけれど、冷たくあしらいましょう」冷たい口調に見え隠れする、抑圧されし揺らめく炎。――彼女は怒り、そして、苛立っている。……なんだか『猫目』にではなく、こちらに向けられている気もするが。(…なんでぇ?)
(…いや、特に理由はないはず。気のせいだろう…)ちらりと目を向けると『猫目』はそっぽを向き、つまらなそうにブスッとしている。(東堂さんの判断は正しい。正しいと僕も思う。…若かろうが社交的だろうが、結局は敵側の人間だ。深く関わるべきではない…)
(…とはいえ距離感の近い人だから、邪険にすると険悪になってしまうかもしれないな。…『迷宮』探索の協力をしてもらう以上、へそを曲げられても困るけど…)
「仕方ないでしょうね」切田くんの落ち着いた返答は、いささか冷たく響いて聞こえた。……東堂さんは元気をなくし、目を伏せる。
(迷宮の奥深くでへそを曲げるのは、自殺に等しい事のはずだ。だったらこちらは、ビジネスの範疇で礼を尽くす。…牽制し合いの形になるな。胃がいてぇ〜…)
(……そうすれば、『猫目』さんだって、僕と同様の態度を取らざるを得ないはず……)ろくでもない思索に耽る少年の前で、――憂いに沈む『聖女』は、ボソリと呟いた。
「…嫌な女かな、私」
(…んぇ?…)不意を打たれて目をぱちくりする。(…なぁに、突然…)どうにも脈絡が繋がらない。(責める態度に聞こえたのかな?僕が不服がってる感じに。…ヤベ)
(まあ、『あえて冷たく』するというのは、……愉悦を感じる対象以外になら、冷たくする側だって結構キツイからな。疲れて弱気にもなるものか。なら、『精神力回復』を)「手、握ります?」
その言葉に東堂さんは黙り込み、どこか探るような視線で見つめてくる。なんだろう。
「…ありがと」そして、彼女は柔らかな微笑を浮かべた。「…元気出た」
「それと、手も握る」
(……んん?)「は、はい。どうぞ」
差し出されたものを両手で捕らえ、東堂さんは満足そうにニコッとした。切田くんも戸惑いつつも、ニコッとほほえみ返しをしておく。【覆面】
「ねぇ、なんで突然イチャイチャしてるの?打ち合わせは?」大変不服そうに、『猫目』は言った。
◇
「勘違いしないでほしいのだけれど」
吹雪纏いし凍てつく声で、東堂さんは、上から高慢かつ尊大に語りかける。〜荘厳なる絶望テーマソング。「別に、あなたのためにやった事ではないの」
「温度差さあ」「真面目な話をしているのだけれど?」「うん。…これのこと?」少女は姿勢を正し、眼帯を指差した。
「そう。あなたを想ってとか、同情してだとか。善意でなされたことではない。…むしろ逆よ。私は、飛んでくる火の粉を払っただけ」
背の小さい『猫目』を見下げる様に、冷徹な視線を向ける。「あなたの腕が大変なことになっていたら、わたしも切田くんも困るから。結果的にそうなってしまっただけのこと」
「感謝される言われなんて無い。あなたも感謝するべきではないの。…救いの意思がないものに『救ってくれた』などとすり寄るのは、邪魔で滑稽なことでしか無いわ」
東堂さんは少し、言葉を飲み込む。
「…得したな、程度に思っておいて」
「アハハ…、得したなって」眼帯を押さえ、困り顔で笑う。「……こんなの、治癒術士にいくら払ったって出来ないことなのに……」
「並の術士なら切り傷を塞ぐ程度、教会の【キュア・シリアス・ウーンズ】に大金を払ったって、やっと骨折をつなぐ程度だよ?」
「出来ないんだ。魔法だって『スキル』にしたって、こんなこと出来る訳がない。…神様の御業だとか奇跡だとか、そういったものなんでしょう?」少女はうつむき、ボソボソと言う。「…それを、あたしにもたらしてくれた聖女さまに、知らんぷりなんて出来ないよ…」
「だったらこの力が、どれだけのトラブルを呼ぶかも想像がつくでしょう」声に、静かな殺気が籠もった。「はっきり言っておくわ。口封じをされたくなければ、余計な詮索はしないで」
「……そのさ…聖女さま……」言い淀んだ『猫目』は、困り笑いでモジモジする。そして、ぴょこんと頭を下げた。
「キルタが聖女さまの大事な人だってのはわかったよ。からかってごめんなさい。それで怒っているんでしょう?」
「…っ…!」
東堂さんはよろめいた。「そ、それとこれとは…っ!」
「当たり!」キシキシ笑い、かしこまった態度に豹変する。「あたしみたいなのは後ろ盾が必要なんだ。…ほら、色々な暴力渦巻く業界だしさ。アタシの見た目じゃ舐められちゃうでしょ?酷い事にな〜るの」
「味方は常に多くないとヤバいから、つい癖で粉かけちゃったんだ。…正直に言うと、魔が差して、からかう気持ちもあったと思います」少女は殊勝に頭を下げる。「ごめんね?聖女さま。もうキルタに手を出そうとしたりしません」
「そ、そう」
「だけどさ〜」顔を上げ、ニシシと笑う。「ねえ、聖女さま?キルタだってあの時ずうっと、チラチラあたしの胸元を見てたんだよ。アタシの胸と服の隙間を、すっごいいやらしい目つきでさぁ?」「ちょっ!?」「…とぉっても興味あったみたいで~。キルタだって男の子だもんねー」少年を横目に、ニヤニヤと笑う。
「だから嫌がらせのひとつもしたくなっちゃってぇ〜。いくら聖女さまだってそういう気持ちはわかるでしょ。んもぉ~。キルタってばホント見すぎ!って感じでぇ~」
――ギシ、と、空気が軋んだ。
「……」ギギギと錆びた機械の様に、東堂さんは振り返る。「…切田くん?」
「嘘だよね?」
不穏さを纏いし虚無そのものが、切田くんの奥底を覗き込んでいる。――竦めども吸い込まれそうになる、クリスタルガラスの深き黒洞。
(…言いがかりっ、…ではない、けれども、誇張がですね…)冷たい汗が伝う。(…嫌な雰囲気だ。東堂さんから凄みを感じる…)
(薄い胸板と服の間に隙間ができるのはずるいと思うんだ。見ちゃうだろ普通…)
(そ、それより、…な、なにか、マズイ…)アイスピックで刳り込む様に、彼女は重たい口を開いた。「……何か、私に、言うべきことはないの?」
「この子の言うこと、嘘なんだよね?…切田くんはそんなことしないよね?」暫し口を噤んだ彼女は、
空虚な顔でコテンと、壊れた機械みたいに首を傾げた。
「……どうしてなにも、言わないの?……」
ゆらりと、腰のヘビーメイスの持ち手を握る。「どうしてそんなことするの?…切田くんはそういう事、する人じゃないって。そう思っていたのに」
「……信じてたのに……」ギシ、と嫌な音が聞こえた。
(それは死にます。東堂さん)一度その身に受けたことのある暴力。――振り上げられたならば、切田くんには避けることも受けきることも出来ないだろう。(…まさか、この人がそこまでやるわけがない。たかだが他の子の胸元を、ガン見したぐらいで…)
(……)確証のない願いが虚しく響く。……駄目だ。そんな思考停止を、受け入れるわけにはいかない。(…東堂さんに直接『精神力回復』を流し込まないと。やり方が子狡いなんて思うなよ、切田類)
(『スキル』侵食のせいなのか、東堂さんは不安定な時がある。本当に我を忘れて、あの時みたいに攻撃してくる可能性はあるんだ。……僕のほうから行くしかない。……行けっ!)「東堂さん、話を、いえ、耳を貸してください」
「……ずいぶんと都合の良いことを言うのね。切田くん……」
鈍器の柄をギリと握り、唇を釣り上げる。「……そうやって近づいて、触って。落ち着く『スキル』で誤魔化すつもり?さっきとか、……あの時みたいに」
覗き込まれている。
カリカリと音を立てる『精神力回復』が、切田くんを暴風雪の中でも毅然とした態度に保つ。「誤魔化しなんかじゃありません。でも、触れさせてください」
「…えっ?」彼女の空虚な瞳が揺れた。いくらなんでもそれは無い。「…だって、触れたら『スキル』を使う気でしょう…?そんな都合のいい言い分を…」
「ええ」言葉を被せてうなずく。
「……だって、そうしたら……」彼女は鼻白み、虚無の目を彷徨わせた。
ボソリと答える。「…別にいいけど」
切田くんは歩み寄り、――身を固くする細い腰を、力を込めて抱き寄せた。「…っ…」彼女は息を呑んで、少し押しのける様に抵抗して、これから起こる事への緊張に、肩を怒らせる。
(…あとは、嘘も飾りもない正直な気持ちを。それを心からの真剣さで押し込むんだ)切田くんは、この上なく真剣な顔で言った。
「東堂さんもああいう格好、今度してください」
「……」
沈黙。
ギュッと、力が籠もるのがわかる。……伝わる温度が熱くなる。「…そうじゃなくて…」ボソリと彼女は肩を落とし、顔を埋める様にうつむく。(……通ったかな?)切田くんには聞こえてない。
やがて、ツンとして、そっけない口調で言った。「…似合うと思うの?」
「似合いますね。万雷の拍手です」ピュイピュイ口笛。乱れ飛ぶ紙吹雪と紙テープ。会場総立ちだ。
「…ばか」ポスと腹を叩かれる。痛くはない。ぶすっと頬を膨らませて、彼女は呟いた。「…考えとく」
「よかった」心底ホッとした。(…セーフ…)まだ怒ってはいるようだが、どうやら窮地は脱したようだ。
「…よかったって…」などとゴニョゴニョ言っている側から離れ、元凶を見る。ニヨニヨと『猫目』は嗤い返した。「なあんだ。割とカッチリしてるんだねえ。ニシシ。…つまんないの」
――切田くんの胸に、棘がチクリと刺さる。(…この子にははっきりと、僕に対する攻撃の意志がある…)
(『攻撃が、行われている』。……彼女の受け答えは明瞭。誤魔化す感じも薄い……)
(挙動にも浅慮を含む神経質さは見受けられない。…普通の人がする反射的マウント行為ではなく、意思によって意図された動きの様に見える。…執着が、怨嗟があるんだ)
(……ろくな会話も、接点だってない。……なのに、どうしてここまで、この子は僕に敵意を向けるんだ……?)
その時脳裏に、天啓が走った。
(『セクハラ目線』のせいか!)
(ですよねー)切田くんはガックリ膝から崩れ落ちそうになった。すっかりしわしわ落胆だ。(…駄目だぁ〜…)終わった。
(…ぐっ、…だって、仕方ないじゃないか!見ちゃうだろ普通!)
(敵認定するには、流石に僕に非がありすぎる。はい敵です。僕が敵ですよ。女の敵〜…)ぐんにゃりしてしまう。お湯をかけたみたい。
「…ふーん…」下からじっとりと眺め下ろし、――『猫目』はニッコリと、扇情的な笑みを浮かべた。蠱惑的な笑顔。「あたしに興味があるの?キルタ」
突然振り向けられた色艶に、(……んん!?)頭が真っ白になる。てか、首元の隙間から見えそう。(…えっろ…)
……カリカリという幻聴が聞こえたので、素早く立て直しを図る。
(…動揺につけ込んでおたおたさせて、あわよくばさっきの再燃を狙っているの?)再燃は死ぬ。腹パン貫通だ。集中が没頭へと至り、刹那の思考が加速する。(…イタズラか怨念か。…はてさて、僕はどう答えるべき?)
(『はい』は流石に除外。…別に、興味が無くはないけど…)相対的に引き伸ばされた時間の中で、加工場の機械音が、ジトっとした眼帯少女の瞬きが、ゆっくりと超スローモーションで流れていく。(だからといって、撥ね除けすぎも宜しくない。ビジネスの意欲を削いでしまう。…いくら仕事や契約を盾にしたって、人の心には限度があるんだぞ…)
(……だったら、彼女のお望み通りに狼狽してみせるか、はぐらかしておべんちゃらで場を保たせろって?……そういうの、僕向きじゃないんだよ。全・然・向いてない。一体僕にどうしろと……)
クシャと、唇を噛む。(思いつかない!!なんにも出てこない!!…こんなの、事実をなぞって考えるふりをしてるだけだ!)詰んだ。手は無い。完全にお手上げである。ポーイ。
(…やむを得まい。せめて正直に行くか)高速で考えても無駄のようだ。刹那の思考を中断し、世界がしょんぼり加速する。(…煙にも巻けるし、最低限、真摯さだけは場に残せるだろ…)誠実さと姑息と投げやりを一つに纏めて、「『猫目』さん」真剣な顔で答えた。
「なぁに?」
「その質問にどう答えるべきか、僕にはわかりません」
「……はぁ?」『猫目』は肩透かしを食らった顔をした。
「…ワケわかんない」(…ですよね…)
◇
(…ふん、急に怒って睨んできたと思えば。なにそれ!)
少女はメチャクチャ怒り心頭だ。(…性的な以外の『あたし』には興味ない、価値なしって言ってる?コイツ…)非常にムカムカする。(ハァ〜〜〜???)
(そういう事になるでしょ?……アタシ、本当の事を言っただけなのに。当てつけがましいヤツ……)
(上辺ばかりのクズのくせに。…フン。チラチラ見たあげくに目をそらすような、ヘタレ男のくせに。…どうせ他の男と同じ、いやらしいことしか考えていないくせに…)
「…キルタ、生意気な奴…」ふたりに気づかれないよう、少女は、含む口調でボソリとつぶやいた。
「……聖女さまをたぶらかした、悪い男のくせに!!」