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「あたしに興味があるの?」

 目深(まぶか)(かぶ)った外套フードの奥、姿勢の良い、(うつ)ろな目の女が、(みずか)らの()じりあげる華奢(きゃしゃ)な少女の右腕を、無表情に()()()(なが)めている。カチ、カチ、カチ。


「…いっ……あっ……あ…」窒息めいた吐息。万力工具の圧搾(あっさく)により、悲鳴とも(うめ)きともつかぬ声が()れている。少女の腕に不自然なほど食い込む、白魚(しらうお)みたいに繊細(せんさい)な指。


 身を(よじ)る『猫目』は蒼白(そうはく)()()り、(したた)(ほど)に脂汗を吹き出す。鷲掴(わしづか)みにされた腕肉(うでにく)が、神経ごと()()()()()(つぶ)されていく。その痛みは、声にもならない。


「…ぃぎっ…!」白目を()き、泡を吹く。年下可憐(かれん)な眼帯少女は息も()()えに、高空に酸素を(もと)めるが如く(あえ)いだ。




 その様子に、フードの女は、薄く口元を釣り上げた。




「東堂さん!」咄嗟(とっさ)()がった声に()()として、(つか)んだ少女の腕を投げ出す。――そして狼狽(うろた)え、(すく)いを求めるように(となり)の覆面少年を見る。


 しかし切田くんの(がわ)も、(みずか)らの気付きに()()とさせられることとなった。(…そうだ。僕は油断していた?…今、彼女に()れられるのは()()()んだ)


(この子に『精神力回復』が流れ込んでしまえば、――()()()()()であるガバナに、能力の情報が(わた)る事になってしまう!)


 ある程度のコントロールが可能になったとはいえ、(いま)だ『精神力回復』は常時発動している。スキル能力に(くわ)しい相手には察知(さっち)されてしまう恐れがあるし、――この少女が探索者として優秀であるのなら、()()()()の事だ。


 (かく)してこその『スキル』のアドバンテージである。害のない回復スキルだと(あなど)られれば、ディスアドバンテージ。無用な攻撃をおびき寄せてしまうし、魔力回復の力は魔術師にとって(きわ)めて有用なはずだ。思わぬ欲望を刺激する(おそ)れまである。決して公表されるべきではないのだ。(…うかつだ。それを今、東堂さんが()(てい)して守ってくれたというのに…)


(やす)っぽい正義(づら)で大声出して、…(どろ)(かぶ)せて恥をかかせてしまった?)……身体の(しん)()()()と冷え、(こお)った胸が酷く()()()()。(……ぐっ、僕は馬鹿だ。考えなしだっ!すぐに(あやま)らないと。……東堂さんっ!)


 咄嗟(とっさ)(あやま)ろうとして、(…待て、切田類。(あやま)る先の未来が見えないんだから…)()()、思い直す。(彼女は僕を助けてくれたんだ。月並(つきな)みかもしれないけれど…)狼狽(うろた)える表情に向かい、切田くんは真剣な顔で言った。



「ありがとう、東堂さん」



「…ふぇ…?」彼女は目を丸くして、豆鉄砲を食らったみたいな声を上げた。



 ◇



「なんでさ!!」腕を押さえて(うめ)く『猫目』が、()()()()()()と文句を(しぼ)()す。「…ぅう、…つぅぅ……ねぇ、待ってよ!…おかしいって!」


「そんなの絶対おかしいよ!…あたし何もしてないのにっ!なのに突然こんな酷い真似(まね)をして、…それで、どうして『ありがとう』なの!?…ホントふざけてるよ。もうめちゃくちゃだよ!!」一理ある。だが、正直に答えておく。


「すみません。ですが、僕ら的にはオッケーです」


「はああああああああああ!?」可憐(かれん)さも()()()()()もない顔でメンチ切られた。(となり)の東堂さんは(こま)(がお)で、何故(なぜ)だかテレテレしている。どっちもかわいい。「オッケーです。じゃないでしょぉ!?なぁにがオッケーよぉ!?どこにどれくらいオッケーな要素があるのさぁ!?おおん!?」物凄(ものすご)(いきお)いでキレられている。隣接テーブルのならず者まで『そりゃ怒るよ…』とチベットスナギツネ顔だ。(…なんです。なんだってんです…)


 バツの悪そうなふたりを手酷(てひど)(にら)みつけ、ぷんすか口を(とが)らせる。「あーあーあー、もう、絶対これ腕折れたって。(あと)になってるし。……絶対、責任とってもらうから」(おそ)(おそ)る押さえた手を覗き込み、『猫目』は固まった。



「…あれ…」怪訝(けげん)な顔。腕には(あと)など残っていない。



 そんなはずはない。万力工具に()(つぶ)された様な、無惨(むざん)(あと)があるはずだ。――視覚情報に脳が追いつき、幻痛が消えていく。面食らって片目をパチパチさせて、……そして少女は、別の()()に気づく。



「……えっ……」



 その目がいよいよ驚愕(きょうがく)に見開かれ、畏怖(いふ)()めた視線で()()()を見上げた。



「『猫目』!じゃれてないでこっちに来な!さっさと仕事の話だよ!」


「…う、うん」カウンター()しに怒鳴られた『猫目』は、フラフラと老婆のいる奥へと去っていく。……状況終了。この場はなんとか(しの)いだようだ。(……どうにも苦手だな、こういうの……)切田くんはホッとする。


「…ごめん、切田くん」去りゆく少女の後ろ姿を(なが)め、東堂さんが言った。


「やりすぎたみたい」


「えっ」奥へと向かう『猫目』は、熱を込めた視線で、もう一度だけ振り返った。



 ……彼女はそっと、(みずか)らの眼帯に隠された目を押さえていた。



「…なるほど」



 ◇



 偽装酒場を出立(しゅったつ)し、三人は、加工場の裏手を抜けていく。


 (あい)も変わらぬ(さび)れた漁業区。長屋や倉庫などの施設も()(なら)んでいる。磯臭さや生臭さに(よど)んだ空気。けたたましく()()()続ける、機械装置の作動音。(魚の加工のための機械が動いている。ギョニソーかな?)ギョニソーではない。(こんな異世界なのに。現地技術のレベルが読めないな…)


(怒鳴り声も()()っている。きっとブラックな労働環境なんだろう。…そりゃ、働かなきゃ仕方ないんだろうけど。餓死するし)


(…そんな地獄の命脈(めいみゃく)切って、()扶持(ぶち)捨ててまで『迷宮』に命を()すのとどっちがマシなんだろうか)切田くんは()()()となる。


 金貨や財宝、恐ろしい怪物に致死の罠。――『神代の迷宮』へ(つな)がる非正規の『出入り口』、ガバナの秘密の抜け道へと、三人は今、向かっていた。(…まあ、普通行かないよなあ。(ゆる)やかな死からは目をそらせても、目の前にある死は(こわ)すぎる。…僕だって、たまたま手元にインチキ銃があるから行くって話で。…手ぶらじゃ行きません…)


(手近な『迷宮』で(そく)英雄。…夢やロマンは何時(いつ)だって商売道具さ。(しかばね)(さら)さず()んだところで、国の審査で戦略物資を()っているんだから、迷宮探索者なんてただの下請(したう)けだ。いや、(かざ)りの勲章で(おど)らせる奴隷鉱夫なのかな?)


見栄(みば)えの胸壁(きょうへき)(あお)()て、愚者の黄金今日も(みんな)に鞭を打つ。奴隷グルグル絶賛高速大回転だ。チンジャラチンジャラ。……かくして勲章にも()たぬ安易な夢や一攫千金は、こうやって非合法組織の食い物にってことだよな。……世知辛(せちがら)いって、こういう事なのかな……)


(…将来の夢ですか?僕、ギャンブルで食べていこうと思うんです。パチだったら還元率も高くて、競馬よりよっぽど…)ろくでもない思索(しさく)にふける切田くんを尻目に、案内する『猫目』は人懐(ひとなつ)っこく、()()()()東堂さんへと話しかけている。


「ねぇねぇトードー。トードーって本物の聖女さまなんだよね?」


 眼帯少女は扇情的(せんじょうてき)なベビードール姿から、エッチではない質素(しっそ)な上着とスカートに着替えていた。上から皮製(ソフトレザー)のジャケット防具を身に着けている。――動きを邪魔しない、どこか衣装めいた作りだ。


 (ふく)らんだ背負い袋に、小物の入ったポーチ。足元はサンダルからブーツに()()え、腰には量販品の小剣(ショートソード)帯刀(たいとう)している。


 まとわりつかれる東堂さんは表情固く、フードの奥より気鬱(きうつ)そうに答える。「……違うわ。そうなった(おぼ)えもない。そもそも『聖女』って何?ご都合アイドル?」


「勝手にそんな(あつか)いをされるのは、正直迷惑なのだけれど」


 ()()()(はな)す態度に、『猫目』はむしろ笑いかける。「ああ、言わないよ。あたし、()()は得意だからね。…すごいよね、聖女さまって本当にいたんだ」


「しかもあたしのとこに来てくれただなんて。ねぇねぇ、どうしてこんな国に来たの?酷い国を回って、(しいた)げられる人を救済(きゅうさい)する旅とかしてるの?すっごい聖女さまっぽい」感心し、何度も(うなず)く。


「そういうのアイドル(偶像)って言うんだねえ。神さまの像が勝手に動いちゃってる感じ?」そして()()()と、ぼっち切田くんに視線を向ける。「でも、それだとキルタの存在がよくわかんないなー。護衛って感じでもないし。…なんかキルタって、見るからにダメな感じでしょ。偶像(ぐうぞう)に触らないで!って司祭に(しか)られる感じの」



 眼帯少女は愛嬌(あいきょう)を込め、体を曲げて覆面の下を覗き込んだ。「ねー。キルタはくそざこだもんね?エッチなファッション覆面魔術師キルタくんだもんねー。ね、キルタ?」



(ひどい言われようだ)何か言い返そうとも思ったが、すでに『猫目』は興味を(うしな)い、また()()()に東堂さんへと話しかけている。(…ムキー!)モヤがムネムネだ。


(…このままにしてはおけないか。よけいな詮索(せんさく)をされるのは困る…)


(ほら、東堂さんも困ってるし。…いや、僕が()()()()言われるのはいいさ。別にぃ?)「あの、ちょっといいですか。『猫目』さん」


「キルタだからってあたしに敬語は変だって。なぁに?」「少し、東堂さんと相談してもいいかな」少し強い口調で(かさ)ねる。


「こちらにも事情があって、言えることや言えないこと、いろいろあるんです。『猫目』さんへの対応を、僕らは決めておかなければいけません」


「…え?大げさー。対応ってそれ、本人に言うこと?」茶化したものの、真剣な空気に気づき、バツが悪そうに「わかったよ」と答える。……ふたりは少し距離を取った。「切田くん」東堂さんは声の温度を下げる。


「深く(かか)わるべきではないわ。彼女は敵勢力の人間だもの。危機管理は必要よ」


「…気の毒だけれど、冷たくあしらいましょう」冷たい口調に見え隠れする、抑圧(よくあつ)されし()らめく炎。――彼女は怒り、そして、苛立(いらだ)っている。……なんだか『猫目』にではなく、()()()に向けられている気もするが。(…なんでぇ?)


(…いや、特に理由はないはず。気のせいだろう…)ちらりと目を向けると『猫目』はそっぽを向き、つまらなそうにブスッとしている。(東堂さんの判断は正しい。正しいと僕も思う。…若かろうが社交的だろうが、結局は敵側の人間だ。深く(かか)わるべきではない…)


(…とはいえ距離感の近い人だから、邪険(じゃけん)にすると険悪(けんあく)になってしまうかもしれないな。…『迷宮』探索の協力をしてもらう以上、へそを曲げられても困るけど…)


「仕方ないでしょうね」切田くんの落ち着いた返答は、いささか(つめ)たく響いて聞こえた。……東堂さんは元気をなくし、目を伏せる。


(迷宮の奥深くでへそを()げるのは、自殺に(ひと)しい事のはずだ。だったらこちらは、ビジネスの範疇(はんちゅう)で礼を()くす。…牽制(けんせい)()いの形になるな。胃がいてぇ〜…)


(……そうすれば、『猫目』さんだって、僕と同様の態度を()らざるを()ないはず……)ろくでもない思索(しさく)(ふけ)る少年の前で、――(うれ)いに(しず)む『聖女』は、ボソリと(つぶや)いた。


「…嫌な女かな、私」


(…んぇ?…)不意を打たれて目をぱちくりする。(…なぁに、突然…)どうにも脈絡(みゃくらく)(つな)がらない。(()める態度に聞こえたのかな?僕が不服がってる感じに。…ヤベ)


(まあ、『あえて冷たく』するというのは、……愉悦(ゆえつ)を感じる対象以外になら、冷たくする(がわ)だって結構キツイからな。(つか)れて弱気にもなるものか。なら、『精神力回復』を)「手、(にぎ)ります?」


 その言葉に東堂さんは黙り込み、どこか(さぐ)るような視線で見つめてくる。なんだろう。


「…ありがと」そして、彼女は(やわ)らかな微笑を浮かべた。「…元気出た」


「それと、手も(にぎ)る」


(……んん?)「は、はい。どうぞ」


 差し出されたものを両手で()らえ、東堂さんは満足そうにニコッとした。切田くんも戸惑(とまど)いつつも、ニコッとほほえみ返しをしておく。【覆面】


「ねぇ、なんで突然()()()()()()してるの?打ち合わせは?」大変不服そうに、『猫目』は言った。



 ◇



「勘違いしないでほしいのだけれど」


 吹雪(まと)いし()てつく声で、東堂さんは、上から高慢(こうまん)かつ尊大(そんだい)に語りかける。〜荘厳(そうごん)なる絶望テーマソング。「別に、あなたのためにやった事ではないの」


「温度差さあ」「真面目な話をしているのだけれど?」「うん。…これのこと?」少女は姿勢を(ただ)し、眼帯を指差した。


「そう。あなたを(おも)ってとか、同情してだとか。善意でなされたことではない。…むしろ逆よ。私は、飛んでくる火の粉を(はら)っただけ」


 背の小さい『猫目』を見下げる様に、冷徹(れいてつ)な視線を向ける。「あなたの腕が()()()()()になっていたら、わたしも切田くんも困るから。結果的にそうなってしまっただけのこと」


「感謝される言われなんて無い。あなたも感謝するべきではないの。…(すく)いの意思がないものに『(すく)ってくれた』などとすり寄るのは、邪魔で滑稽(こっけい)なことでしか無いわ」



 東堂さんは少し、言葉を飲み込む。



「…得したな、程度に思っておいて」


「アハハ…、得したなって」眼帯を押さえ、困り顔で笑う。「……こんなの、治癒術士にいくら(はら)ったって出来ないことなのに……」


「並の術士なら切り傷を(ふさ)ぐ程度、教会の【キュア・シリアス・ウー(重傷治癒)ンズ】に大金を(はら)ったって、やっと骨折をつなぐ程度だよ?」


()()()()んだ。魔法だって『スキル』にしたって、こんなこと出来る(わけ)がない。…神様の御業(みわざ)だとか奇跡だとか、そういったものなんでしょう?」少女はうつむき、ボソボソと言う。「…それを、あたしにもたらしてくれた聖女さまに、知らんぷりなんて出来ないよ…」


「だったらこの力が、どれだけのトラブルを呼ぶかも想像がつくでしょう」声に、静かな殺気が()もった。「はっきり言っておくわ。口封(くちふう)じをされたくなければ、余計な詮索(せんさく)はしないで」


「……そのさ…聖女さま……」()(よど)んだ『猫目』は、(こま)(わら)いでモジモジする。そして、ぴょこんと頭を下げた。



「キルタが聖女さまの大事な人だってのはわかったよ。からかってごめんなさい。それで怒っているんでしょう?」



「…っ…!」


 東堂さんはよろめいた。「そ、それとこれとは…っ!」


「当たり!」キシキシ笑い、かしこまった態度に豹変(ひょうへん)する。「あたしみたいなのは(うし)(だて)が必要なんだ。…ほら、色々な暴力渦巻く業界だしさ。アタシの見た目じゃ()められちゃうでしょ?酷い事にな〜るの」


「味方は(つね)に多くないとヤバいから、つい(くせ)(こな)かけちゃったんだ。…正直に言うと、魔が差して、()()()()気持ちもあったと思います」少女は殊勝(しゅしょう)に頭を下げる。「ごめんね?聖女さま。もうキルタに手を出そうとしたりしません」


「そ、そう」


「だけどさ〜」顔を上げ、ニシシと笑う。「ねえ、聖女さま?キルタだってあの時ずうっと、チラチラあたしの胸元を見てたんだよ。アタシの胸と服の隙間を、すっごい()()()()()目つきでさぁ?」「ちょっ!?」「…とぉっても興味あったみたいで~。キルタだって男の子だもんねー」少年を横目に、ニヤニヤと笑う。 

 

「だから嫌がらせのひとつもしたくなっちゃってぇ〜。いくら聖女さまだってそういう気持ちはわかるでしょ。んもぉ~。キルタってばホント見すぎ!って感じでぇ~」




 ――ギシ、と、空気が(きし)んだ。




「……」()()()()びた機械の様に、東堂さんは振り返る。「…切田くん?」


「嘘だよね?」


 不穏(ふおん)さを(まと)いし()()()()()()が、切田くんの奥底を覗き込んでいる。――(すく)めども()()まれそうになる、クリスタルガラスの深き黒洞。


(…言いがかりっ、…ではない、けれども、誇張(こちょう)がですね…)冷たい汗が(つた)う。(…嫌な雰囲気だ。東堂さんから(すご)みを感じる…)


(薄い胸板と服の間に隙間ができるのはずるいと思うんだ。見ちゃうだろ普通…)


(そ、それより、…な、なにか、マズイ…)アイスピックで(えぐ)()む様に、彼女は重たい口を開いた。「……何か、私に、言うべきことはないの?」


「この子の言うこと、嘘なんだよね?…切田くんはそんなことしないよね?」(しば)し口を(つぐ)んだ彼女は、


 空虚(くうきょ)な顔で()()()と、(こわ)れた機械みたいに首を(かし)げた。




「……どうしてなにも、言わないの?……」




 ()()()と、腰のヘビーメイスの持ち手を(にぎ)る。「どうしてそんなことするの?…切田くんはそういう事、する人じゃないって。そう思っていたのに」


「……信じてたのに……」()()、と嫌な音が聞こえた。


(それは死にます。東堂さん)一度その身に受けたことのある暴力。――振り上げられたならば、切田くんには()けることも受けきることも出来ないだろう。(…まさか、この人が()()()()やるわけがない。たかだが他の子の胸元を、ガン見したぐらいで…)


(……)確証のない願いが(むな)しく響く。……駄目だ。そんな思考停止を、受け入れるわけにはいかない。(…東堂さんに直接『精神力回復』を流し込まないと。やり方が子狡(こずる)いなんて思うなよ、切田類)


(『スキル』侵食(しんしょく)のせいなのか、東堂さんは不安定な時がある。本当に我を忘れて、あの時みたいに攻撃してくる可能性はあるんだ。……僕のほうから行くしかない。……行けっ!)「東堂さん、話を、いえ、耳を貸してください」


「……ずいぶんと都合の良いことを言うのね。切田くん……」


 鈍器の(つか)()()(にぎ)り、(くちびる)を釣り上げる。「……そうやって近づいて、(さわ)って。落ち着く『スキル』で誤魔化すつもり?さっきとか、……()()()みたいに」



 ()()()()()()()()



 カリカリと音を立てる『精神力回復』が、切田くんを暴風雪の中でも毅然(きぜん)とした態度に(たも)つ。「誤魔化しなんかじゃありません。でも、()れさせてください」


「…えっ?」彼女の空虚(くうきょ)な瞳が()れた。いくらなんでもそれは無い。「…だって、()れたら『スキル』を使う気でしょう…?そんな都合のいい言い分を…」


「ええ」言葉を(かぶ)せてうなずく。



「……だって、そうしたら……」彼女は鼻白(はなじろ)み、虚無(きょむ)の目を彷徨(さまよ)わせた。



 ()()()と答える。「…別にいいけど」


 切田くんは(あゆ)()り、――身を固くする細い腰を、力を込めて抱き寄せた。「…っ…」彼女は(いき)()んで、少し押しのける様に抵抗して、これから起こる事への緊張に、肩を(いか)らせる。


(…あとは、嘘も(かざ)りもない正直な気持ちを。それを心からの真剣さで押し込むんだ)切田くんは、この上なく真剣な顔で言った。



「東堂さんもああいう格好、今度してください」



「……」


 沈黙。


 ギュッと、力が()もるのがわかる。……(つた)わる温度が熱くなる。「…そうじゃなくて…」()()()と彼女は肩を落とし、顔を(うず)める様にうつむく。(……通ったかな?)切田くんには聞こえてない。


 やがて、ツンとして、そっけない口調で言った。「…似合うと思うの?」


「似合いますね。万雷(ばんらい)の拍手です」ピュイピュイ口笛。乱れ飛ぶ紙吹雪と紙テープ。会場総立ちだ。


「…ばか」ポスと腹を叩かれる。痛くはない。ぶすっと(ほほ)(ふく)らませて、彼女は(つぶや)いた。「…考えとく」


「よかった」心底ホッとした。(…セーフ…)まだ怒ってはいるようだが、どうやら窮地(きゅうち)(だっ)したようだ。


「…よかったって…」などとゴニョゴニョ言っている(そば)から離れ、元凶を見る。ニヨニヨと『猫目』は嗤い返した。「なあんだ。割とカッチリしてるんだねえ。ニシシ。…つまんないの」


 ――切田くんの胸に、(とげ)がチクリと刺さる。(…この子にははっきりと、僕に対する攻撃の意志がある…)


(『攻撃が、行われている』。……彼女の受け答えは明瞭(めいりょう)。誤魔化す感じも(うす)い……)


挙動(きょどう)にも浅慮(せんりょ)(ふく)む神経質さは見受けられない。…普通の人がする反射的マウント行為ではなく、意思によって意図された動きの様に見える。…執着(しゅうちゃく)が、怨嗟(えんさ)があるんだ)


(……ろくな会話も、接点だってない。……なのに、どうしてここまで、この子は僕に敵意を向けるんだ……?)


 その時脳裏に、天啓(てんけい)が走った。




(『セクハラ目線』のせいか!)




(ですよねー)切田くんは()()()()(ひざ)から崩れ落ちそうになった。すっかりしわしわ落胆(らくたん)だ。(…駄目だぁ〜…)終わった。


(…ぐっ、…だって、仕方ないじゃないか!見ちゃうだろ普通!)


(敵認定するには、流石(さすが)に僕に非がありすぎる。はい敵です。僕が敵ですよ。女の敵〜…)()()()()()してしまう。お湯をかけたみたい。


「…ふーん…」下から()()()()と眺め下ろし、――『猫目』はニッコリと、扇情的(せんじょうてき)な笑みを浮かべた。蠱惑的な笑顔。「あたしに興味があるの?キルタ」


 突然振り向けられた色艶(いろつや)に、(……んん!?)頭が真っ白になる。てか、首元の隙間から見えそう。(…えっろ…)


 ……カリカリという幻聴が聞こえたので、素早く立て直しを(はか)る。


(…動揺につけ込んで()()()()させて、あわよくばさっきの再燃を狙っているの?)再燃は死ぬ。腹パン貫通だ。集中が没頭(ぼっとう)へと(いた)り、刹那の思考が加速する。(…イタズラか怨念(おんねん)か。…はてさて、僕はどう答えるべき?)


(『はい』は流石(さすが)に除外。…別に、興味が無くはないけど…)相対的に引き伸ばされた時間の中で、加工場の機械音が、ジトっとした眼帯少女の(まばた)きが、ゆっくりと超スローモーションで流れていく。(だからといって、()()けすぎも(よろ)しくない。ビジネスの意欲(モチベーション)()いでしまう。…いくら仕事や契約を盾にしたって、人の心には限度があるんだぞ…)


(……だったら、彼女のお望み通りに狼狽(ろうばい)してみせるか、はぐらかして()()()()()()で場を()たせろって?……そういうの、僕向きじゃないんだよ。全・然・向いてない。一体僕にどうしろと……)


 クシャと、唇を噛む。(思いつかない!!なんにも出てこない!!…こんなの、事実をなぞって考える()()をしてるだけだ!)詰んだ。手は無い。完全にお手上げである。ポーイ。


(…やむを得まい。せめて正直に行くか)高速で考えても無駄のようだ。刹那の思考を中断し、世界がしょんぼり加速する。(…(けむ)にも巻けるし、最低限、真摯(しんし)さだけは場に残せるだろ…)誠実さと姑息(こそく)と投げやりを一つに(まと)めて、「『猫目』さん」真剣な顔で答えた。


「なぁに?」


「その質問にどう答えるべきか、僕にはわかりません」


「……はぁ?」『猫目』は肩透かしを食らった顔をした。



「…ワケわかんない」(…ですよね…)



 ◇



(…ふん、急に怒って(にら)んできたと思えば。なにそれ!)


 少女は()()()()()()怒り心頭だ。(…性的な以外の『あたし』には興味ない、価値なしって言ってる?コイツ…)非常にムカムカする。(ハァ〜〜〜???)


(そういう事になるでしょ?……アタシ、本当の事を言っただけなのに。当てつけがましいヤツ……)


上辺(うわべ)ばかりのクズのくせに。…フン。チラチラ見たあげくに目をそらすような、ヘタレ男のくせに。…どうせ他の男と(おんな)じ、いやらしいことしか考えていないくせに…)



「…キルタ、生意気な奴…」ふたりに気づかれないよう、少女は、(ふく)む口調で()()()とつぶやいた。



「……聖女さまを()()()()()()、悪い男のくせに!!」

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