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関係改善ディスカッション

「……は?」空気が一瞬で変質(へんしつ)した。フードを(かぶ)る女が(はな)つ、剣呑(けんのん)な言葉の響き。


 ――凍傷する(ほど)に極寒の金属線が、内腑(ないふ)(しば)()()()()と締め付ける感覚。(しび)れを(ともな)った電流が、粟立(あわだ)つ肌裏を一気に沸騰(ふっとう)させる。


 周囲が一斉(いっせい)に色めき立った。(ふく)()がる緊張のボルテージ。ガチャガチャと金属の騒音が、偽装酒場、違法ギルド内を()()くす。


「……フフ……」(うごめ)く不快害虫どもを(なが)(まわ)し、彼女は高らかに笑いかける。「ねぇ。馬鹿にするのも大概(たいがい)にしてほしいのだけれど?……出来ないかな」


 カウンターの向こう。老婆が目をギラつかせ、ヒヒヒと笑った。ならず者たちが()()()と、取り囲む形に動き出す。……(にご)った瞳、薄汚(うすよご)れた白刃(はくじん)。酒臭い呼気(こき)に、粘液糸引(いとひ)く薄ら笑い。


 一触即発(いっしょくそくはつ)。凶刃(かま)えし暴力機構を悠然(ゆうぜん)(なが)め、『聖女』は最終通告を発した。「…へぇ?本当にそれで良いんだ?…」


「…ふふふっ…」愛嬌(あいきょう)()めて薄ら笑い、腰のメイスに手をかける。――(つか)のグリップが、ミシ、と嫌な音を立てた。


 有象無象(うぞうむぞう)の踊る人形(ヒトガタ)(かこ)みの威圧にて()()と鳴く烏合(うごう)(しゅう)(しゅう)の権威を盲信し、怠惰(たいだ)なりしや地下墓地(カタコンベ)にてカタカタ()れる骨と皮。暴力に()けど非力、()(やぶ)る事などたやすき腹袋(はらぶくろ)()れ。


 獲物を(ねら)う美獣の姿勢が、()()()と低くなる。(にじ)り地を()む足指が、ギュギュと不吉な声で鳴く。異能の力に細腕(みなぎ)り、引き絞られし強弓(ごうきゅう)となって(きし)む。――さあ、『聖女』よ、力を()(はな)て。(むら)がる悪意を蹂躙(じゅうりん)するのだ。



「待って、東堂さん」



 声にピクリと反応して、せっかく散々(さんざん)()()んだ力を霧散(むさん)させてしまう。彼女は戸惑(とまど)う。「どうして?切田くん。だって、こいつらは…」


 問いかけを静かに(さえぎ)り、切田くんは老婆に(おう)じた。



「わかりました。九割ですね」



「切田くん!?」「お、おいぃ!?」周囲が一斉に色めき立った。不可解に(いき)()蠕動(ぜんどう)。――東堂さんも、(あいだ)に割って入ろうとしたアルコルさえも愕然(がくぜん)として、(あざけ)る老婆は(いぶか)しげに(まゆ)をひそめる。


 ならず者たちでさえ困惑を(かく)せない。「何言ってんだ?あいつ」「どういう事なん?」「フカシだろ」「趣味かも?」「変態か」「変態だ」武器を(かま)えたまま目配(めくば)せし合い、ひそひそと(ささや)き合っている。(…変態ではない…)


「おいぃ!キルタぁ!?ババァもだっ!!お前ら一体何を言っていやがる!!?」


「…へぇ?素直ないい子じゃないかい。当人が良いって言ってるんだよ?アルコル。それで良いじゃないさね」疑心(ぎしん)宿(やど)す老婆の瞳。……(くさ)す態度とは裏腹(うらはら)の、用心深げな距離を感じた。



 ◇



 東堂さんは半包囲の()れを(にら)みつつ、()()()()こちらに()()ってくる。「…切田くん。押し付けられた理不尽を、ただ我慢して受け入れる気なの?いくら都合があるからって…」


「そんなの駄目よ。ここでの私たちは、そういったものと戦ってきたはずだわ」


 確信を()めた言葉に、(…ウィッス…)切田くんは一言も無い。(東堂さんの言葉は正しい。…だけどこれは、決して屈服(くっぷく)なんかじゃない…)とはいえ、ムムムとなる。(……うーん。説明すると詭弁臭(きべんしゅう)がするし、奴らにも聞かれてしまうな……)


(ならば()()は、『精神力回復』を使わせてもらう。すみません)「東堂さん、ちょっと(さわ)りますよ」「えっ」――グイと腕を伸ばし、()()う彼女の細い腰を抱き寄せた。「ひぁっ…!?」


「ちょっ…!」目を白黒させた『聖女』が、少し(おび)えた様子で見てくる。「ちょっと…!?きる…」(かま)わず真剣な眼差しで、彼女のフードを指の背で広げる。……きめ細かな黒髪に隠れし耳へと、「ひゃっ…!」口元を寄せた。「大丈夫。東堂さんは正しいです。…けど、すみません。(くわ)しくは後で」


 (おだ)やかな声が耳を()でる。「…んっ、…はぃぃ…」――かすれた声でゾクゾクと、わずかに息を(あら)げる。


(僕らの目当ては魔法書とスクロール。消耗品だ。残りはすべて、目的以外のもの…)


(……ハハ……)


(……良いんだよ、九割で。強力なアイテムを見つけたところで、効果がわからなければ指輪と同じ、当面の価値は無い。つまり(のこ)りのなんて記念品、観光土産(みやげ)のご当地饅頭(まんじゅう)だ。(くさ)らせる前に、全部渡してしまっていい……)『精神力回復』を流し込もうと、(すく)む左手に、()()()と手を()える。「…んぅっ…」


「ちょっ、駄目…、切田くん。…みんな見て、るからっ、」()でる感触に手指が触れ合い、東堂さんは苦しそうな息を吐く。自然と指が絡み合って、汗ばんだ手のひらが密着した。


(…とは言え、向けられた悪意に(こうべ)を垂れるのは不愉快だ。恥ずかしくて苛立(いらだ)たしい…)


(どうせ相手は敵なんだ。だったらいっそ、(こころ)のままに倒してしまいたいよな?)


(…だけど、ちょっと待ってくれ。このお婆さんは今、僕たちに()()言ったんだ)



 カタカタ嗤う人形(ヒトガタ)皮膜(ひまく)の裏側に、――ドロリと、黒く(ただ)れた衝動が走る。



(『タダで迷宮に入れてあげるよ』)


(『お代は出世払いでいいよ』)



(…ハハ…)口元が、笑いの形に(ゆが)んだ。(親切なお婆さんじゃないか!その甘さには付け込ませてもらう)


(もちろん、約束は出来るかぎり守るさ。約束を守るのは素敵なことだ)()()精神が形作る仄暗(ほのぐら)濁流(だくりゅう)に、『精神力回復』が(あや)しく()らめき、()()()()()でつける。「…ひぅっ…!?」


 その(あお)りに(さら)されて、東堂さんもまた()()(からだ)を固くする。(みだ)れる息を押し殺し、なにか言いたそうに覗き込んでくる。……その不服そうな、それでいて何かを懇願(こんがん)する()れた瞳に、切田くんの昏い衝動は一層(いっそう)膨れ上がった。(……それに……)


(……東堂さんには『スキル』侵食(しんしょく)の件を、まだ(つた)えていないんだ……)


(……聞きかじった未確定の凶事を(つた)えるって事はさ……)


(…情報が正しくても間違っていても、その後も『ずっと不安が続く』って事なんだぞ?)


(そんなの言う意味あるか?…第一、言えるわけがない)


(だから今は、こうやって『精神力回復』を使いつつ、(こと)真偽(しんぎ)と経過を観察させてもらいますよ。東堂さん)


「…んぅぅ…」交錯(こうさく)する視線に(しび)れ、弱々しく(ふる)えて、彼女は苦しげにうつむいてしまう。(から)んだ手指がギュウギュウと(にぎ)られる。痛い。(……怒らせちゃったみたいだ。やべ……)


(……)


(…ところで…)




(……なんでこの人、さっきからこんな(なや)ましい声を出してるの?)




 真剣な空気が吹っ飛んだ。プヒー。……いや、真剣ではある。(…えーと、待ってくれ。うん。…はたしてこういう『スキル』だったかな、『精神力回復』って…)どうだろう。ムムムとなる。(…なんか良くないな。…良くなくない?)


 因果関係がよくわからない。(ため)しに彼女と正面から向き合って、しっかり両手を(から)()ってみる。東堂さんは顔を赤らめ、(こま)(がお)で目を彷徨(さまよ)わせる。――検証開始。


(エッチな気分になれーっ!!)シビビビとエネルギーを流し込む。(ヤー!)「…んぅ…」


 ……検証失敗。落ち着くばかりだ。二人とも別に()()()()気分になったりはしなかった。(…残念…)残念である。手を(から)める東堂さんも、なんだか物足りなそうにしている。(……何だかよくわかんないな。落差とか、状況とか。前提の問題なのかな?)頭をひねる。


 いけない、今はそれどころではない。(まあいいか。状況続行…)切田くんたちはカウンター越しの老婆に向き直り、あらためて決定事項を(つた)える。


「僕はそれで(かま)いません」


「…私も…それで…いいです…」


「だから何をしてんだお前らぁ!!やめろやめろっ!!何のプレイだっ!!(すき)がありゃす〜ぐベタベタしやがって!!?」アルコルが声を裏返し、(なな)基調(きちょう)で怒鳴った。


 尻馬(しりうま)に乗って外野たちも騒ぎ出す。「そうだそうだ!」「()めてんじゃねえぞ!」「何見せられてんだ!」「ド変態!」「いいから続けろ!」「うるせえてめえら!!じゃねえ、キルタだ!お前、少し黙ってろぉっ!!そんなんじゃグラシス組のメンツが(つぶ)れるだろうがぁ!!」


「…面子(メンツ)って…」彼女のかすれた(あき)れ声に、巨人は(さと)す様に()(ふく)める。「さっきのと同じだろ?メンツってのは、組織にとっての防衛線なんだぁ」


(つぶ)れたメンツ()っときゃあ、内から外から()めくさられて、()()()()好きに攻められるって塩梅(あんばい)だろうが。そんなフワついた下っ端まで大勢集まってるのが組織ってもんなんだぞぉ。つまり、どこの組織だってメンツは大事なんだよ。余計な茶々を入れるなぁ」


 ()()()老婆を一瞥(いちべつ)し、巨漢は聞こえよがしに声を(ひそ)めた。「そもそも、こんなん交渉でもなんでもねえ。…キルタ、おめぇの思惑(おもわく)なんざな。この手のババァにハイハイどうぞした所で、足元見られるだけで何も通らねえんだ。理屈も道理もドブん(なか)だろ。こういう手合(てあい)には椅子でも投げつけとけぇ」


「…おいババァ!阿漕(あこぎ)大概(たいがい)にしろ。そんなん通るか。…第一こいつらはグラシス組がケツを持ってるんだ。グラシス組と事構(ことかま)えるつもりって事でいいんだなぁ?」


 声を(あら)げる疵面(しめん)巨人を()にも(かい)さず、(よそお)う老婆はゆったりと煙を吹く。「人聞きが悪いねえ。こいつは無理を通そうって手間賃さ。なぁに、ずっとってわけじゃない。そうだねぇ…()()()()()()()()()(かま)わないよ」


「…なんだとぉ?」


「ふん。期限を切ってやるって言ってるのさ。甘々もいいところさね」あからさまに(しゃ)(かま)え、(あお)調子(ちょうし)でのたまう。


「それにね、最初だけで良いだなんて甘い顔をすればさ。おまえ達は『迷宮』に入った途端(とたん)素知(そし)らぬ(かお)で出てきてさあ?小銭渡して()()()()だなんて、そんなセコい真似をするに決まってるだろ。当然の予防線さね」


「!そんな不義理をするやつぁ、グラシス組にはいねえ!!」


 怒鳴るアルコルを、()めた目で見下げる。「…それにだねぇ、おまえ達…」後ろのふたりを上から下から()めつけて、老婆は(あき)(がお)で言った。


「探索役はいるんだろうね?向こう(迷宮ギルド)で言う『斥候』『盗賊』職の区分だよ。…あんたら迷宮探索をなにか勘違いしてないかい?」


「『スキル』だか魔法だか知らないが、拾った力で怪物倒して、お宝拾って()()大金持ちって?はん。自殺願望でもあるのかい」


「グラシスのところの食客(しょっかく)なんだろ?召喚勇者の。あんたらの準備不足さ。そんな不心得者(ふこころえもの)を迷宮に(ほう)()んで死なせちゃあ、グラシスにどんな言いがかりをつけられるか知れたもんじゃないさね」



「そりゃ、探索屋はここで(あつ)める気だったさぁ…」



 気まず()な巨人を横目に、老婆はガラガラ声を張り上げた。「行きたい奴!居たら出てきな!!」



 ウェヘー。気の抜けた笑いや(あき)れが()()う。取り巻きはニヤニヤ笑うばかりで、名乗り出るものなど誰もいない。


 非協力人員の(しゅう)を見回し、東堂さんが冷たく()いかける。


「ねえ。そもそもどうしてこの人たち、『迷宮』に行かずにたむろっているの?」


「休みかサボりだろう?気分が乗らない時だってあるだろうよ。…特に今は、あんたらと一緒じゃあ面白くなさそうだしねぇ?」老婆はしらじらしく(まゆ)を上げた。



「!むゔゔゔうんっっっ!!!」



 (ごう)()やしたアルコルが(非協力人員たちは一斉に目を(そむ)ける)激しくいきり立ち、苛立(いらだ)たしげにふたりに()げる。


「…糞みてえな()(ぐさ)並べやがって、このド(クサ)れが。仕方ねえ、今日は引くぞキルタぁ。こいつら意固地(いこじ)になってやがるんだ。邪魔をしてでも手前(てめえ)が上だと言い張りてえ。全部そういう事なんだろうよ!!くっだらねぇ…」


「…待ってください」(双方がメンツなんてものを持ち出すから、実利を無視して迷走するんだ。そんなのに付き合っていられるか。僕らの強化は、急げるものならいくらでも急ぎたいんだ)


(…だけど、確かに。九割でいいからとにかく入れてくれ、なんて言い張ったら、さらに足元を見られてしまうな…)


(……だったら……)



「解決しますよ、その『問題』。そのために僕たちは来たんでしょう?」



 しゃしゃり出る覆面に()()()を投げかけ、お呼びじゃないとばかりにキセルをぷかりと吸う。(…ぐっ……こいつ…)この塩対応に、強い苛立(いらだ)ちを感じる。(…待て、切田類。今はやるだけやってみよう。…このババ…お婆さんの()(ぐさ)に付け込もう、なんて得意顔(さら)してたのは、僕のほうじゃないか)


 切田くんは情報商材の販売員みたいに、白々(しらじら)しく、慇懃(いんぎん)な口調で(かた)りかける。「『迷宮』に問題が起きているんでしょう?…『本部の指示で僕らが来た』んですから」(…それをすげなくあしらったら、本部のメンツを(つぶ)すことになるはずだ)


 老婆は煙を吹き出すと共に、フンと鼻で笑う。――切田くんは慇懃(いんぎん)さを引っ込める。「それは()()()で解決する問題です。メンツや駆け引きで先延ばしにしたって、誰も得しない」


「…だから、まずは僕らからそちらに歩み寄りますよ。その『迷宮』に巣食(すく)う問題をひとつだけ、先に僕らが解決して来ます」


「…はぁん?」興味なさげにキセルを吸い込み、天井を見上げて真っ直ぐ煙を吹いた。「…ひとつだけ?わざわざ(しわ)いことを言うねアンタ」


 切田くんは態度を切り替え、慇懃無礼(いんぎんぶれい)(あお)る。「ただ『問題を解決する』、なんて言い方をしたなら、あなたは『まだ終わっていない。()()()()問題を解決しろ』なんて、()()()()()()()つもりでしょう」


「当然の予防線です」



 ……場の空気が(こお)った。



 武器を(かま)えた()()()()にまで、嫌な緊張が走る。

 老婆は眉根(まゆね)を寄せて、カンと煙管盆(きせるぼん)に灰を落とした。「…ハン」



「…おまえ…言ってくれるね」



 口が裂けるほどに凶悪な笑いを浮かべて、じろじろ(にら)みつけてきた。――状況が動いた。何かしらが()さった様だ。


 切田くんはどこ吹く風で続ける。「なにも、グラシス組や本部の意向(いこう)()めることもない。僕らだって仕事が進みません。もちろん、そちらの実利やメンツは尊重(そんちょう)しますよ。こちらが無理を通す代金は、あなたの言い値で払いましょう」


「…ただし、そこに『あなたがたの』仕事をこなした分は、加味(かみ)してもらいたいですね」肩を(すく)める。「なぁに、見ていてください。()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……ハァァン?大きく出るじゃないか」挑発的な(たたず)まいに殺気さえ(ただよ)うも、老婆は表面上、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)に鼻で笑う。


 横でぽかんと見ていたアルコルが、憮然(ぶぜん)として(うな)った。「…キルタ、そうやって(おど)しつけるのもいいがな。もっとはっきり報酬を主張しろぉ。そんな言い方じゃあ、ババアに知らねえ顔で()()()()()だけに決まってんだろうがぁ」


「ああ、そうですね。はっきりと。…えーと、バヨネットさん、でいいですかね?」


「…名を(つら)ねちゃいるがね。あたしをどうこうしたって無駄だよ」



 老婆の顔をじっと(なが)め、毅然(きぜん)とした態度で言った。



上納(じょうのう)を何割にするか、もう一度あなたが決めてください。ただし僕らが『迷宮』から帰って来た時に」



「…はぁ…?」流石(さすが)の老婆も顔を(ゆが)め、聞き返した。「…なんだって?…」


 ()()う相手に、ちらりと視線を送る。彼女も彼の目を見て、しっかりとうなずいた。「私もそれで良い。切田くんの判断にまかせるわ」


 老婆は(しゃ)(かま)えつつも、ジロジロと警戒心を(あらわ)にする。「…なんのつもりだい?」


 ()()()()()に答える。「ああ、いえ。これからの僕らとの関係は、あなたが自由に決めていい。僕も、あなたの判断に(まか)せます」


「信頼するとは言いません。どちらにどう()れてもいいように、僕らも準備をしておきますよ。どうです?」



 ――老婆は椅子に深く座り直し、ニィ、と口元を釣り上げる。……ひどく(ゆが)んだ、邪悪な笑みだ。



「…ククク…クハハハ…へぇ。()()だって?」


「言ったね?小僧。本当にそれがまかり通ると思っているのかい。ずいぶんと()められたもんだねぇ」


 そして、ぼさっと突っ立つ男たちに向かって(わめ)いた。「『猫目』はどこだい!?」


「…あいつなら上だよ。婆さん」


「呼んできな!」


 不用意に答えた男が、「…んだよ、もう」()()()()と背を向ける。……他の者たちも肩をすくめながらガチャガチャと武器をしまい、各々(おのおの)の席へと戻っていく。徒労(とろう)と肩透かしの(しら)(どり)。料理もすっかり()めてしまった。


 老婆も()()()()()に興味を(うしな)い、キセルに煙草と藻草(もぐさ)()めて火を付ける。……そして、()らすかのように、ゆったりとキセルをふかし始める。


 やがて、気のない素振りで言った。「斥候(せっこう)を一人つけてやるよ。大したことない奴だがね、うちの子飼(こが)いさ。…そいつの報告を値付けの参考にさせてもらうよ」


「安否も勘定(かんじょう)に入れるからね。大事に(あつか)いな」(監視役ってことか)


「ねぇ、切田くん」東堂さんがポツリと言う。ふてくされた声。



「話が違う」



(な、なんのこと!?)「す、すみません!?」切田くんは(わけ)もわからず謝った。……彼女はそっぽを向いてしまった。「…もういい」



 ◇



 屋内の高所より響く、むず(がゆ)くも甘ったるい声。「なぁに~?婆ちゃん」


 酒場の奥。年若い少女が二階から降りてきた。まだ顔や体型にあどけなさを残す、華奢(きゃしゃ)で可愛らしい少女だ。(…若すぎる。中学生ぐらいに見えるけど…)


 あられもない格好。薄手(うすで)のベビードールは薄い胸元が露出し、そのスカート(たけ)は白く(まぶ)しい太もも上。どちらも今に()()()()だ。


 コツコツと音を立てる木のサンダルをつっかけているが、細い脚は素足のまま。


 焦げ茶色で(くせ)のある、長めのショートヘア。金色の瞳の顔立ちは可憐(かれん)で、子供の雰囲気がまだ残っている。


 ――そして、目立つ特徴がひとつ。左目に眼帯を掛けている。


 切田くんは、昨晩殺し合いをした禿頭(そくとう)の男を思い出し、(まゆ)をひそめる。(そんな連想で不快に思うなんて。…それに、似ても似つかないじゃないか。全然可愛いし)


(…あれ…この(にお)い…)違和感。甘ったるさに()じる、なにかの(にお)い。……同時に、手がギュッと(にぎ)られるのが分かった。彼女もなにか納得の行かなそうな、胡乱(うろん)げな顔をしている。


 ……気だるげな少女と視線が交錯(こうさく)した。後ろめたくなり、目をそらす。


 少女はその姿を見て薄く笑い、(つぶや)いた。


「ざっこ」


「本業だよ!さっさと準備しな!」投げつけられた老婆の声に、()()()()答える。「いけるようになったの?ええ~?…はぁめんど」


「これから行けるようにするんだ!あんた、くっついて見届けて来な!」


「…えー?死ねとおっしゃる?ひっどー。花の命は短いけれど?」


「…余計なことを言うんじゃないよ!」苦虫を()(つぶ)す顔。……切田くんはこの因業老婆(いんごうろうば)に対し、すっかり反感を持っていた。(問題の内容をバラすなって、この()(およ)んでまだ言ってるのか。…自分を強く見せることばかりで、協力する気もなにもないな。この人)


「はいはいはい。で、誰といくの。こいつらでしょ」少女は警戒もなくスイと歩み寄る。……薄い胸元を強調する前かがみになって、覆面の穴を覗き込んだ。


「さっき見てたよね?」


 ギクリと、心臓が()()がる。……恐る恐る少女に目を向けると、可憐(かれん)な顔に()()()()(うす)(わら)いを浮かべ、挑発的にじっと見てくる。「ねぇ、なんで覆面してんの?ファッション?」


(…てか、見えそう…)切田くんの視線は彼女の胸元、ベビードールと薄い胸元との隙間に吸い寄せられる。角度的に、非常に気になる箇所(かしょ)だ。(…いやいやいや、駄目だろ)思わず目が泳いでしまう。


「へぇ?」少女はニンマリと笑い、覆面男と手を取り合うフードの女を愉快そうに(なが)める。


 そして興味を(うしな)ったかの様にスイと離れ、今度は横のアルコルへと寄っていく。「へぇ~。グラシス組のでかい人も?…()けちゃうかな」


「俺は行かねぇ」「ふーん」気の無い返事を返し、(いそが)しく()()()と身を(ひるがえ)す。


 そしてまた、ロックオン。上目遣いで切田くんを覗き込んだ。……ふわりと甘い(にお)い。その片目が、いたずらっぽい(つや)を持つ。何かを狙う表情だ。「ま、いろいろよろしくね?お兄さん」さりげなく身を()()せて、眼帯の少女は手をのばした。手の甲で、切田くんの胸を、羽のように軽く()()()()でる。




 少女はたしかに、切田くんを()でようとしたのだ。




「えっ、痛っ…!」


 その手首は寸前で()()()にされていた。――横から伸びる手。隣の少年と(から)めていたはずの手だ。


 ()()()な声で、彼女は言った。


「切田くんに(さわ)らないで」

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