さかさま
(…甘ったれの子供が。物を知らずに殺したかっ!?…ヘラヘラと、はしゃいで!!)
(…無知!…愚劣っ!…浅薄な無能がぁっ!!)
プロダは内より湧き出る激情に駆られ、ミシミシと、螺子切れるほどに歯噛みをする。(私の大事な家族を、妹をっ!!……よくもぉぉ……っ)
犯人は、超常の武器をその内に隠し持つ子供である。肉を削ぐ礫の魔法を意志の力にて現出させ、更に弾道補正によって驚異の精密射撃を実現している。
スキル能力、『意思による現出』。――つまり、少年の【マジックボルト】による殺戮は、全て、本人の意図したものであるということだ。(……命令もなく、一人でっ!!そんなの本物の殺人鬼ではないか!!)
その引き金はクロスボウよりも軽く、治安維持の兵士にさえお手軽気分で風穴を開ける。隠れて付きまとう妹を手にかけるなど、お遊び気分だった事。想像に難くない。
……お遊び気分の致死暴力など、ちょっとした物陰でさえ起こりうる日常茶飯事ではあるが。それでも、自分たちに降りかかるのは極めて理不尽である。そんなプロダの腹の底より沸き上がる怒りは、
(……?)どこからか流れ込む不思議な感覚によって、延焼を止め、沈静化してしまった。
しかし、その落ち着きは、彼女の中に冷たさと毒だけを残した。
(……これは駄目だな。もう殺るか)壁に押し付けた少年は既に朦朧とし、呼びかけどろくな返事も帰ってこない。
麻痺毒の分量が多すぎたようだ。これではすぐに肺も心臓も麻痺してしまうことだろう。(…やれやれ。強力な薬という物は、効かない分量と、死ぬまでの幅が狭すぎるのだ…)
相手が子供だという事も失念していた。ガックリと力が抜ける。(…怒りというものは甘美な毒ではあるが。常に疲れと手違いを呼ぶものだな…)とにかく、もう駄目である。
腰の背の飾り曲剣へと手をかける。――針剣のような仕掛けなどない、まっとうな兇器。背を踏んで使えば、宣言通りの解体も可能だろう。
(…まあ、気は進まんな。…面倒でもあるが…)本命の情報は何も得られず、ただ任務の消化の為だけが残った。クスタ=プロダは唇を噛む。(本当に何も知らない子供だと?…とはいえ、自らの疑惑を拭う事など出来まい…)
(そして、疑惑の主は、必ず咎める。…そうだろう?妹を殺した加害者を、誤って見過ごすわけには行かないのだから)ギリリ、と、曲剣の柄を握り締める。(だから少年。私の家族の為に)
(死ねぇっ!!)
――豪と、突如突き飛ばす圧力。(……っ!?)曲剣を抜き打とうとしたプロダは、突然、何かの圧倒的な力によろめかされた。
「なんだっ!?」
◇
突発的に巻き起こった、衣装箪笥に横殴られるが如き暴風。暗殺者クスタ=プロダは限界風圧に煽られ、押し潰す様に敵の少年へとのしかかる。――吹き荒れる微細な光粒子が、全身を次々と刺し貫いた。
「…ぐうぅっ!?…なんだ!このパワーは!?」粒子を浴びた箇所に、脳まで焼ける激痛が走る。不意の災厄に泡を食ったプロダは、少年の頬を鷲掴んだまま、咄嗟に振り返った。
――厄災の元凶。爆心地。
虚ろな様相に超然と立つ女神官のフードがめくれ、今は、暴風にはためいている。――顕わになった、端整な美貌。同性さえ引き込む虹の艶を持つ、螺鈿細工の神授造形。
丁寧に編み込まれども暴風に乱れ舞う、肩までに切り揃えられた星空の黒髪。謝肉祭の仮面張り付く笑い顔。高価なビスクドールを思わす長いまつげ。その陰に潜む、闇より深き、無尽の黒洞。……異様な殺気。
目が、合った。
……ゾワァッと、全身の毛が逆立った。「…見られているだと!?『ハイド・イン・シャドウ』を打ち消す魔法があるのか!?」
深淵が急激に溢れた。「…くうぅっ!?」暴威がブワと、空間ごと跳躍したのだ。唸る大気に光る嵐を捻じり裂き、神経を逆撫でる哄笑を上げながら、虚ろな女がプロダに迫った。
「…この圧力っ!?」咄嗟に毒剣を抜き、側転で逃れる。――針先が引く血の糸が、強風に散った。
そんなプロダに目もくれず、狂笑する白影は少年へと向かう。勢いのままに壁に激突。――轟音、振動。暴風に舞い散る粉塵。(…仲間の救出を優先した?…その甘さが命取りだっ!)「…そこっ!!」プロダは振り返りざまに、すぐさま返す毒刃で突きかかった。
◇
少年と女神官の姿がない。「消えた…?」
流される粉塵の先に、わずかな痕跡。……衝突に抉られた壁の穴。腕や足が入る程度だろうか。(…どこに…)パトリオッタ『二番』長姉、『追跡者』クスタ=プロダは素早くあたりを見回す。――ふたりは、プロダのすぐ側にいた。
「ばぁ!」
「…うおぉっ!!?」
目と鼻の先に、女の顔がぶら下がったのだ。思わず慄き、飛び退る。
「…天井だと!?」それは天井に立っていた。
天板に片足突き刺した戦神官の少女が、逆さ吊り刑死者みたいにぶら下がっていた。――両手には脱力した覆面少年を、ぬいぐるみの様にギュウと捕まえている。
逆さまドレスローブの裾が、暴風にはためく。……スラリとした長い足。それを包む艶めかしい光沢のストッキングが、今、はしたなくも顕わになっている。
放り出されたヘビーメイスが床を跳ね、ガランガランと音を立てた。「……あはぁ……?」陶酔に染まる頬。表情のない笑み。
「…し〜んじた!!」
抱きしめた両腕に、異常な力。逆しま女は虚空を見つめ、ブツブツと、爛れた祝詞を詠い始めた。「愛も恋も信頼も、ぜぇんぶニセモノ。嘘っぱち。自分に酔って得意がるための言葉」
「それらを指す感覚が、すべて躰が作る幻影にすぎないのなら。じゃあ本当の信頼って、いったい何なのかな?」
「……フフ。それは、とおっても素敵なこと」虚ろな笑顔が、甘やかにとろける。掌中のものをグイと抱き寄せる。「だって、そうするとすっごくすっごく満たされるもの。これも幻影?…フフ。でもね?とっても実感」
「それって、一体、なんなのかな、なのかな…?」甘きに浸る薄紫色の唇から、陶然とした言葉が紡がれた。
「それは信仰」
「そう、あいのかみ」
……虚無を写し込む瞳が、ギョロリと見据えた。「…くっ…」プロダは怯み、後退る。(…こいつ、独りよがりをベラベラと…)
(…しかし、なんだ?この光の魔法が起こす痛みは。…『スキル』効果だけでなく、体の組織まで破壊されているのか!?)
「こんにちわ、泥棒さん。泥棒さんには神の報いを受けてもらおうかな」踊り子女を覗き込み、逆さま少女は薄っすら笑った。「だってあなたは、切田くんを盗もうとしたんだよ?」
「…わかるよね?それがいけないことだって」
「……わかるよね?」
コテン、と、首を傾げる。
そして「……ああ」と得心したかのようにつぶやき、――虚無を映し込む瞳の上、ニヤァ…と逆しま笑いを深めた。
「無知というものは本当に罪深きもの。自分のみならず、周りまで不幸にする」
「だったら、みんなにも分かるように。広く万人に知らしめないと」
「ね?愛を知らせなきゃ。みんなを救わなきゃ」
「そうでしょう?」
「あなただって、そう有りたいよね?」未だ轟々と吹き荒れる、光り輝く浄化の嵐の中で、少女の声は、万人に知らしめんと言わんばかりに、暴風の中をつんざいてよく通った。
「人のものを盗っちゃいけないってわかる信仰のオベリスクを、私と一緒に作りましょう?」
膨れる異様さに、粒子光の強さが増していく。「螺子切って」
嗤う躰が化け猫の如く、引き絞る強弓となって力がみなぎる。――躍動の予兆。「螺子切って!」
逆巻く光粒子の激痛が、今もどんどん増している。……プロダはよろめく躰を支え、歯を食いしばって毒刃を構えた。「『ぜぇんぶ螺子切って!!』」
「……あら?」
気の抜けた声。ふと少女は、自分の両手が大事なもので塞がっていることに気づいた。……何だかグニャっとしている。「……フム」
締め上がりすぎだと気づき、「……んー」彼女はニッコリ、緩く大事に抱え直して、白磁の様な頬を寄せた。全部逆さまだ。「ごめんなさい。これじゃ、今は無理ね?」
「ざーんねん。…ふふ」少女はとても柔らかな笑顔で、とても幸せそうに相好を崩した。重圧も、攻撃の予兆も、刺し貫く激痛も。すべてが霧散して消えてしまった。――今は穏やかな光の粒が、暴風に流され渦巻いている。
浸る少女が、ギロリと見据えた。「『…邪魔』」
「ぐっ…!!」プロダは大きく飛び退った。……柳の下の真っ暗夜道、ぶら下がり化生と光の奔流を見る。(…この感覚。臆しているのか、私はっ!?)
(…だとしても、『スキル』効果を消す力とやり合うのは得策ではない。…己が使命を思い出せ。…今はこれと交戦する意味など無いのだ!)せせら笑いに、歯を剥き出す。(……自意識過剰の酔っ払いめ。来ないのならば、私の負け筋は消えたぞっ!!)
未だ粒子渦巻く室内を、彼女は素早く見渡した。
◇
(……ぐええぇ……)消えかかった朦朧の向こう側。切田くんは誰かにふん捕まえられて、メキメキと締め上げられているのを感じる。(……これは、死にまぁす……)駄目だ。口から内蔵出そう。骨もヤバいし苦しい。ギブギブ。おごごご。
――締め付けが、急に緩んだ。
最終的に自分は、細く柔らかな躰に抱きしめられていることとなった。(……この力は、『生命力回復』か。……いつもありがとうございます……)麻痺に冷えきった体が徐々に温まり、全身に力が戻ってくる。(…結局、また助けられてしまったな。東堂さんには駄目なところばかり見せてしまって…)
どうも最近良いところがない。負け田くんだ。(……結局、自力解決は出来なかったか。……あれだけ無様に足掻いておいて……)朦朧の霧が薄れると、切田くんは自身の頭に血が上っている事を発見した。無力な自分への怒りだろうか。
(……いや、違う。この感覚、……なんだ?)
(さかさま?)
まぶたを開くと、凄い近くに東堂さんの顔があった。(わぁ!?)鼻の頭がくっつきそうだ。(…近い!びっくりした…)彼女はクスリと、いたずらを成し遂げたかの様に笑った。
艷やかな髪が強風になびく。間近に聳える端整な美貌が、今はジットリと、いたずらっぽい表情をたたえている。……彼女は、たしなめるように言った。「ねぇ、切田くん。…ずっと手を握って戦いましょうって言ったの、正しかったね」
(…そうかも)そうしていれば麻痺毒を無効化出来たし、無様に拐かされることも無かったはずだ。切田くんは同意しようと思った。……そして、この状況を考え、躊躇する。
「…なるべくで」
「えぇ?」東堂さんは不満そうだ。
光粒子の嵐は急速に収まりつつある。撹拌された家具や小物、書類などが、力なく地面に転がっていく。
暴風に旗めく逆さまローブや外套の裾が、重力によって垂れ下がっていくのがわかる。シルクのストッキングと太ももの境界線まで顕になり、切田くんは(これは良くない)と思った。「…あの、東堂さん。めくれてます裾」
「おさえて」「はい」彼女の太ももを、ポフと押さえる。
その向こう、三姉妹の次女エミュが窮状を叫んだ。「姉さま!紫暗の毒が効かない!」
「もう引け、エミュ!」即応する指示に、すぐさま割れた窓へと走る。即座にアルコルが気づき、その巨体で逃げる女の背へと躍りかかった。「逃がすかよぉっ!!」
そして「…っ!」横から飛来した針状の短剣を、煩わしそうに払い除ける。短剣が壁と床を跳ね、鈍い音を立てた。
いつしか、光の嵐は止んでいた。
「…ええぇい、くそっ…」アルコルは忌々し気に歯噛みする。褐色肌の女性ふたりの姿は、既に部屋の中から消えていた。
◇
「…逃げたかな、切田くん」「この魔法なら見えますかね。…『魔力よ、示せ』。【ディテクトマジック】」帯びる魔力が、緑光となって見えてくる。――部屋の中に敵らしき反応は無い。床に転がるグラシスの指輪が光っている。……それと、気になるものがもう一つ。
『障壁』に包まれたアルコルの姿だ。(……何っ!?)
巨人は油断なく目を配り、光粒子に削られた自らの『障壁』を強めてゆく。……少年の視線に気づき、苛立たしげに顔をしかめた。(…魔術師!?この人、キャラを作っていたの!?)警戒度が跳ね上がる。
(……粗暴な感情モンスターのふりをして、油断を誘っていたんだ……)とはいえ、当面の敵は彼ではない。そしてやはり、敵の魔力反応らしき光は見当たらない。「…見当たりませんね。ただ、消える力が魔力じゃない場合は、この魔法では…」
「わかった。念の為にもう一度、さっきのを使いましょう。…降りるよ、切田くん」「はい」天井を蹴り、華麗に半回転してドスンと着地する。「ぐへっ」
「私から離れないでね」「は、はい」「…強い風が吹くから、気をつけて、切田くん…」東堂さんは袖の中に手をかけた。…その時。
「…えっ…」片腕に抱かれた少年が、勢いよくもぎ取られた。それは体ごと突っ込んできたらしく、突き飛ばされて少しよろめく。
あまりに強引なやりよう――バーゲン品か、ただの引ったくりだ。に、東堂さんは少しの間呆然とする。
「…どうして…」切田くんは、もう見えない。
◇
(うわあああっ!?…何度も何度もっ!!下手くそか僕は!?)また攫われてしまった。これではピーチ姫状態だ。
無様さへの動揺を『精神力回復』で鎮め、切田くんは即座に反撃を放とうとする。(空中発射の『マジックボルト』で隣接空間すべてを攻撃すれば、…いや、それでも敵の場所だけを無意識に避けてしまう事になるの…?)
視覚情報を処理する前に神経にブロックされてしまえば、……前意識。精神の出番は回ってこない。撃っていない箇所を認知することさえ出来ない可能性が高い。(…ならば、僕の身体を掠めて『マジックボルト』を乱射して!)
(……下手くそジャガイモ剥きみたいに、薄皮一枚を全周から削り取ってやる。怪我まみれになる代わりに、結果的に周囲すべてを流れ弾に巻き込めるはず。……急げっ!躊躇する暇なんか!)
「待て!…待ってくれ!!今、消える『スキル』を解く!!」必死な声が飛んだ。
「えっ!?」驚いた切田くんは、そのまま壊れたドアの向こうの壁へと押し付けられてしまった。(わああっ!?)……抱きしめる女の腕が背に挟まれて、壁との激突を和らげてくれている。「…あいたっ!」それでもゴチンと後頭部を打った。
「す、すまないっ!」目の前に相手の姿が現れた。
薄絹で顔を隠す、褐色肌で長身の女性だ。スラリと鍛えられた痩身。覗き込む端整な双眸が鋭く、凛々しい。しなやかな体躯に纏う衣装がエッチだ。
少年の背を抱き、壁に手をついて覆いかぶさっている。……大人の女性が放つ魅惑の熱。うっすら漂う、異国情緒の香の薫り。
切田くんは思った。(…これは…壁ドン!?)
「…頼む、話を聞いてくれ!」切羽詰まる訴え。自らの薄絹を掴んで剥がす。
美しい。――端整な造りの、エキゾチックな美貌。意志の強い、きりりとした表情。……その顔は今、必死の形相だ。
必死さにも惹かれ、切田くんは思わず見惚れてしまっていた。
◇
「……ハァ?」東堂さんが、コテンと首を傾げる。「……なぁに?…それ……」
撹拌された部屋の中央。表情は既に、虚無をたたえるかのごとく空虚だ。「…ええ。そう。…そうね?…結局は、言ったってわからないんだよね?…アハハハ…」軽い調子でケラケラ笑う。位相がかけ離れていく様な、奇妙で不穏な空気。「だからさ、もういいよね?」
「もう、切田くんだけ残せばいいよね?」軽薄に、彼女はうわ言をまくしたてる。「ふふ…ふふふ…」
「そうしたら切田くんだってすぐに見つかって」「私は見つけた!って言ってぇ」「ギュッてしてぇ」「切田くんはちょっと戸惑うんだけどぉ」「結局答えてくれてぇ」「ふたりは幸せな」「ふふ」「そうしよっと」「みんな焼いちゃおう」「焦がれる想いで」「焦がしちゃえばいい」「さあ、急いで?」「切田くんがどこかに行っちゃう前に!」「出来る出来る!」「今の私なら出来るよ!」「想いの力で!」「願いはちゃんと叶うんだよ!」「フフ!」「アハハハ!そうなろうっと!」はしゃぐ態度一転、……見開いた獣の瞳が、ギラリと妖しい光を放った。
「アンサー。【切田くん以外のすべてを浄化する】」
「周囲の街ごと浄化の光で焼き切って!全部が全部、スポンジみたいにグズグズになっちゃえっ!」
「私の『スキル』に繋がる想いの力は。もうとっくに!世界の大事な仕組みとだって繋がっている!そう思うでしょう!?」
『アハハッ!アハハハハッ!!…出来るようになっているんだからっ!!』――軋む大気。形の良い唇より漏れ出す、高圧で衝動的な高度詠唱。
「『神命に於いて答えよ。世にあまねく聖なるものよ、淀みを焼き祓う清浄なる炎よ』」
――わんわん歪む異常詠唱に、「…古代語じゃねえ。何の言葉だ?」アルコルが顔をしかめる。「……この感じ、相当ヤベえ。おい、トードー!!やめろっ!!!」
吠える制止をものともせず、音割れ詠唱は、奇妙な抑揚と共に紡がれ続ける。「『今ここに清らかな浄火となり、焦熱となり、光となり、力となりて、穢れし全てを、不浄を滅せよ』」
「『キリエ=イグニス=エレイソン。宣告せよ!壁は砂に、木は灰に。残った澱など塩の柱となすが良い!』」
そして『聖女』は腹の奥底、全身全霊の力を込めて、振り絞るような絶叫を放った。
「『其は、汝、邪悪なり!!』」
『ぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!!』
……歪む。……歪む。……何かが歪む。
……集まる。……集まる。……淀んだなにかが集まる。
空間が震え、壁が、天井がビリビリと揺れる。詠唱に既に答える形で光の粒子が湧き上がり、存在を強めて渦を巻き始める。粒子同士がその意志を伝え合い、情報が白雷となってスパークする。
◇
「何だ、この光」「綺麗ねぇ」「ホタルって奴じゃないの」
「さわれないよ、ほら見て」
「熱っ!?なんだこれっ!?」「危ないぞ!!」「駄目だ、逃げろぉっ!!」
「へいきだよ?」「何してるの!!止めなさいっ!逃げるの!!」
◇
彼女は異常なほどよく通る晴れやかな声で、何かの執行を叫ぼうとした。「浄化の時を!…『ディバイン』!!」
「東堂さん、待って!!」声が響いた。
聞き慣れた相手。
望んだ相手。普通の日常。
――木漏れ日。静かで、穏やかな、温かい時間。
「…切田くん!?」東堂さんはハッとする。
不穏さ、歪み、渦巻く光の粒。……溜め込んだなにかの力は、元から存在しなかったかの様に全て霧散して消えてしまった。
周囲の床や調度品から、音を立てて一斉に煙が吹き上がる。……焦げ臭さが周囲に充満する。東堂さんは白煙の中、何度も何度も周囲を見回して、迷子の幼子のように彼の姿を求めた。「…切田くん!?…どこ…?」
◇
「東堂さん、待って!!」切田くんは慌てて叫んだ。敷居を隔てた轟きと、外部にまで広がる光の粒子。(…広範囲の攻撃魔法!?そんなのあったの!?)大技を仕掛ける気なのだとしたら、こんな至近距離では巻き込まれてしまう公算が高い。
その制止に、プロダは希望を見る。「虫のいい話だとしても、教えてくれっ!!もうひとりの妹が帰ってこないんだっ!!お前に、任務で張り付いていたはずなんだ!!」必死な口調で縋りつく。「本当にお前でないのなら、心当たりはないのか!?」
「……たった二人の家族も守れずにっ……!」喰い締めた顔から、涙が溢れ落ちる。
切田くんは咄嗟に悟った。――昨晩のこと。背後を追う、姿を隠す『スキル』を持った誰か。そこで知らぬ間に、何かが起こったのだとしたら。
一瞬躊躇した切田くんは、ボソリと答えた。
「……言えません」
一瞬、失意の表情を見せる。しかしすぐさま気がついて、喜びに顔を輝かせた。
「ありがとう」
そう呟き、すぐさま廊下の先へと走り、消えた。……その背を見送り、切田くんは思う。(…今、僕は伝わってほしいと思った)
(咄嗟とは言え、裏切ったな。僕は…)
◇
(…どうして私は、キルタ少年にあんな聞き方を…)下まぶたにこびりついた、涙を拭う。
(…最初に肩を掴んでから、どうにも調子が狂ったな。…あの少年ならば答えてくれる気がした。敵対しておいて、どうしてそんな甘ったれた考えを、私は…)
(私は殺して解体しようとしたのにな。そんな相手に親切にして。…おかしな奴だ。フフ…)
「姉さま!無事でしたか」街を走るプロダのもとに、エミュが駆け寄ってくる。彼女の方も無事なようだ。「…結局、スタブの行方は分からずじまい、ということですね」
「いや、少年が教えてくれた」
「…『教えてくれた』?」
胡乱げなエミュに、重々しく言い諭す。「『知らない』ではなく『言えない』と、キルタ少年は言った」
「…召喚されて、たったの三日目。関わり合った人間などたかが知れている。…言えない義理はある、そんな関係性の相手。その中で昨晩スタブを殺れた者など一人しか居ない」
「どうにも頭に血が上っていたな。彼でないのならそいつしかいないのだ。つまり少年が手を組んだと言った相手、『呪殺の魔女』。…スタブを殺ったのはそいつだ。私がそちらを探る。エミュ、お前はパトリオッタ『七番』を抑えろ」
その指示にエミュは驚愕する。それは、雇い主への完全なる裏切りだ。「えぇっ!?ちょっ、…そんな無茶苦茶な!」
「我々は任務を放棄している。パンデモーヌ伯も『七番』の使用にいい顔はすまい。『七番』の確保は一時的、スタブに使うまででいい」
「……エミュ、出来るか?無理なら私を待て。三人いてこその我々なのだからな」
プロダの問いに困った顔を浮かべ、エミュは肩をすくめた。
「また流浪の生活に逆戻り?姉さま。パンデモーヌ伯のところは金払いも良かったのに。嫌なことだって言われなかったし」
「すまんな、エミュ」
「いいよ、任せて姉さま。そっちこそ気をつけて」
「お前の方も。頼むぞ」
二人の姿が見えなくなる。
走るふたりを不審そうに見ていた街の人々でさえ、彼女たちが消えたことに気づいたものは、誰もいなかった。