ブリーフィング
猛る武勇を誇ることもない。『聖女』は水枯れし切り花の様に萎れ、モゾモゾと、少し、甘える気配に密着する。「……それでね?私、怒っちゃって。……オカシラさんともケンカしちゃって……」
「あー」なるほど。ケンカしたと言うからには、相当派手にドンパチしたのだろう。花火大会だ。ドンドンパラパラ、イェッフー。初日の暴れっぷりを思い出して(自分まで派手に吹っ飛ばされた)切田くんは少し笑いたくなる。
そんな軽妙な気分に反し、――彼女の声は、涙の気配に揺れる。
「……ごめんね、切田くん。約束、台無しにしちゃって…」
グスと小さく鼻を鳴らし、肩に額をくっつけてシュンとしてしまった。
(…不在を狙って僕の脳を破壊しに来ていたって事?…ぐぐ、ハピエン厨の僕に向かってっ…!)切田くんは義憤に駆られた。
(…脳破壊はともかくとして、…初日の『洗脳』と同じ状況。一方的に罠にはめて、致命的な状況に陥れようとしてきたんだ…)非常にムカムカしてくる。(…やってくれる。舐めくさって踏みつけが得だと判断されたって事か。…そんなの当然の反撃ですよ。手緩いぐらいだ)そう声を掛けようとして、切田くんは言葉に迷う。…そんな慰め方は、どこかしっくりいかない。
(東堂さんは争いを避けられる状況ではなかったし、避けるべきでもなかった。その事自体は仕方が無い。…だからといって、発生した不利益は無くならない、か)
(…そこまでこじれたのならば、…プランは破綻。『迷宮』に行くのは無理だよな…)腕の中、うつむく彼女を見る。(気にしないではいられないのか。…そんなの、向こうの勝手で呪縛に掛けられたようなものじゃないか!)
……カリカリと幻聴。滾る衝動が理性の鋳型に冷え固まって、打縋と伴に鋭い刃に研ぎ澄まされていく。――叩くべきだ。潰すべきだ。禍根は断固、断ち切るべきだ。
(どうしてこっちが気に病まなくちゃならないんだ。…ふざけるなよ。どれも全部、向こうのせいじゃないか…)ギラリと構える切田くんの胸に、黒炎が静かに燃えている。(…ここで咎めに出なければ、居座る悪意に対し『仲良くしましょう』などと、抵抗なき奴隷人形になることを意味する…)
(卑劣に生活を破壊される可能性は、どこにいたって普通にありうるんだ。…そんな加害を受け入れられない、と、心に決めたのならば、立ち回りにはある種の自暴自棄性が求められる…)
(…だからせめて、全て駄目になった後のことも考えておかないと…)仄暗くなる考えを切り上げ、切田くんは気楽な声をかけた。「じゃあ、潰しましょう」
「…えっ?」
「金玉ついでに潰しましょう」
「切田くん?」冷たい返答にヒェッとなったが、素知らぬ調子で続ける。「東堂さんのしたことは正しいですよ。仕掛けてきたのは向こうですから」
「なので」
「カチコんで家探しをして、金目のものを奪ってとんずらしましょう。昨晩の仕返しに、アジトごとぶっ潰してやるんです」
ババーン。脳内SE付き。ちょっとドヤ顔だ。(そのお金でスクロールを買い込めば、『迷宮』ガサガサするより良いよね。よし解決)
「……」顔を上げた東堂さんが、何かを言おうとしてためらう。……そして目を伏せ、答えた。「そうね。それが良いのかもしれない」
「ハハ。毒されてきましたね、東堂さん」
「…切田くんのせいなんだからね。そんな事ばかり言うから…」ふてくされてしまった。――キリリと、神妙な顔を作る。「それに、僕も謝らなきゃいけません」
「実は僕も昨晩、ガバナの兵隊をふたり、三人?やっつけてしまって。…あ、不可抗力ですよ。もちろん」
「だからすみません。僕も台無しにしてました」
「……切田くん?」
ジトッとした目で睨まれる。……そして彼女は、小さく吹き出した。
「…ふふ。もう。…そうね。二人で反撃を始めましょう。フフ…」
「ハハ。ええ。反撃を始めましょう」
◇
「切田くんの学生服、裏から布を当てて補修しておいたわ。裂けたローブはバラしてしまったから、私のを使って」
「助かります」備え付けのベットや机には、ローブや外套、背負い袋などの装備品がズラリと並んでいる。即席の、ブリーフィングルーム兼ハンガーデッキだ。
ここで二人の意思疎通を図っておくのが良いだろう。混乱の渦中では、思い込みや勘違いも生じやすい。……休憩を通して、状況や思索の整理が必要だ。
呪殺の鉤爪に引き裂かれし衣服たちの切れ目は、遠目ではわからない程度に修復されている。学ランを着込み、さらに東堂さんの茶色いローブを受け取る。(…いい匂いしそう)嗅いでみようとした切田くんは、賢明にも我に返った。変態セーフだ。
そして、彼の側からも伝えるべき事は沢山ある。
「昨晩手に入れた、スクロールという使い捨てのマジックアイテムがあるんですが、そこからでも魔法が習得できると分かりました。おそらく『異世界言語』のおかげだと思います。……これです。『ミサイルプロテクション』と『ヒートウェポン』」
「…ちょっと待って…」たどたどしく、ブラウスのボタンをはめていく。「……そんなに真剣に見られると、恥ずかしいのだけれど」
「え」
「違うわね。そのまま見ていてくれていい。私も、少しずつ慣れるから」(……ん〜?)
巻物を受け取り、目を通す。「…だめね。魔法書を読む感覚がない。発動は出来ると思うけど、適性が無い感じがする」
「…わかりました。それは東堂さんがスクロールとして使ってください」
「一回は使えるのね。『ミサイルプロテクション』っていうの、切田くんは習得できたんだよね」
「そうです」「そう。だったら近くの敵からは、私がきみを守ればいいのね」
「……それは」遠距離からの攻撃を『ミサイルプロテクション』で防ぎ、近接には彼女が立ちふさがる。理屈ではそれが正しいのかもしれない。だが、切田くんにははっきりと拒否反応が出ていた。(東堂さんを前衛に立たせて、役割を分けて戦えって?)
ムムムとなる。(…理には適っているんだろけど。ゲームに習った短絡思考で東堂さんを盾にして、その陰からちまちま射撃するのが正しいってコト?)
(……ないわ。ヤダ)「…決めてしまうのは早計かもしれません。付け焼き刃でフォーメーションを組んだところで、僕らは素人。東堂さんの陰にコソコソ隠れて、僕だけスケープゴートを決め込むことになるとしか思えません。…そんなの僕が嫌ですよ」
「二人ともちゃんとしていて、ふたりとも無事でないと意味がない」
「…それはまあ、そうなのだけれど…」
ふたりはもにょもにょする。お気持ちを表明するだけで終わってしまった。……厄介勢、良くない話し合いの流れだ。
「保留ね。…そういえば、私とケンカしたオカシラさん、魔法とアイテムで幾重にも武装していたわ。多分、スクロールの力も使っていたと思う」スカートのホックを留め、白いドレスローブを着込む。……そして、言いにくそうに続けた。「……でも、私のスキル『ディバイン・オーバーパワー』。……その、……強化の『スキル』ね?」
「それと【ピュリフィケーション】を組み合わせれば、相手の付与効果や防御魔法を解除できた。ただ、そのためにはどうしてもワンクッション必要になる」
(…?…強化のスキルなのが恥ずかしいのかな。肉体以外も強化できるんだな)相手の防御魔法を打ち消し、攻撃する。間違いなくゲームチャンジャーとなりうる強力な手札だ。
それはそうと、二人でチラチラ意識し合い、なんだかギクシャクしてしまう。「…想定しておきます。僕の方なんですが、チャージ無しで敵の『障壁』を抜ける、実弾攻撃が可能になりました。魔法の弾丸スキル『マジックボルト』の力を固めて物質化したもので」
手を引っ込めて、制服ポケットから小さな透明の玉をいくつか取り出す。帰り道に暇だったので作っておいたものだ。
「『ビー玉』です」
……なんだか、別の意味でチラチラ見ている。
「要ります?」
「…ひとつ、ちょうだい」
「どうぞ」欲しかったらしい。学生服を補修した時に見つけていたのだろう。
東堂さんはツンとしたまま、差し出された『ビー玉』をつまんで透かしてみたりする。直径2センチにも満たない透明な球体。
大事そうにブラウスの胸ポケットに仕舞う。お気に召したようだ。「ありがと」
笑いかけられ、嬉しくなる。「大っきいのもありますけど」『ガラス玉』を取り出してみせる。「そっちは邪魔になる」「はい」ゴソゴソとしまう。
「…ねぇ、切田くん。ネッドみたいな精神攻撃って、切田くんの『精神力回復』で防げるのでしょう?」真剣な口調。「他にも同じような敵がいるかも知れない。ずっと手をつないで戦いましょう」
「え」光景を想像してみる。……振り回されている。ぶつかった。
「…ずっとは…その、僕が足手まといになります」
「我慢して」相変わらずツンとしている。……切田くんは困りながらも、制服ポケットから『ビー玉』と『ガラス玉』をショルダーバッグにジャラジャラ移しておく。――ここならば、戦闘に際してもすぐに取り出せるはずだ。
「そうすれば、隊列だなんて『それらしい事』を気にせずに、隣同士で守り合って戦えるでしょう?」主張は続く。「腕を組んで戦うのでも良いのだけれど、いくらなんでもそれじゃあ動きにくいのだから」
「…はあ。それはまあ…」強めのツッコミを入れたい。
「妥協の選択なの。それに、触れ合っていればホッとするでしょう?能力なんて関係なしに」
「…なるべくで。あとですね、東堂さん。…僕からも少し、言いにくいことなんですが…」「何?」
「昨晩、敵の雇われ魔術師と交戦して、敗北しました」
「……なんですって?」
外套を羽織る途中の東堂さんは、思わず硬直して目を剥いた。
「他の盗賊たちは倒したんですが、その人だけ極端に強かったですね。顔見知りだったので、腹の傷を魔法薬で癒やされ、対価として協力を要請されました。条件は『盗賊ギルド』の壊滅です」
「…誰?」
「ランジェリーショップで会った女性です。三角帽子の」
「わかった。殺しましょう」
「駄目です」(…これじゃ、爆弾のことは言えないな。こじれるのが目に見える。…言ったら爆発するけど)切田くんはそっとお腹をさすった。『超高圧魔力爆石』の威力ならば、もはや爆弾の位置がどこだろうと関係ない。
「駄目って、…どうして?」「駄目です」「…なあに、それ…」駄目出しに不服そうに、つっけんどんに彼女は答える。「じゃあ保留ね。…私のほうからも…」
言葉に詰まり、――そして彼女は遠く、文化大ホールの音響みたいな声で続けた。
「…切田くん。昨晩、…今朝ね。…きみ、先に眠っちゃったでしょう」
「え」――ピリ…と、空気が張り詰めた気がする。何故だろう。
「す、すみません」
「怒ってはいないの。別に」怒っているようだ。「…雑事を終えて隣に行っても、あまりにグッスリだったから。本当に疲れていたんだろうなって」
「…ただ、ね?」変にそっぽを向く。……そして、意を決して睨みつけてきた。
「…私、眠れなかったんだよ?」
(…ん?)申し訳なさはあるが、よくわからない。首をひねると、東堂さんは真っ赤になって、しどろもどろに言い募る。「…だから、ね?…その、さ…」
「ホントはね?だったらもう、切田くんのこと、起こしちゃおうかな、って思ったんだけど…」
「…その、そこまでするのは流石にはしたないと思って。…不安だったし、場所も場所だし…」チラチラこちらを伺い、小声で必死に言い繕っている。……そして、心底不服そうに眉を釣り上げた。「…何で不思議そうな顔をしてるの?」
「は、はい!?すみません!?」「…そのせいで眠れなかったの!寝つけなくて…」ふてくされてしまった。
(…『精神力回復』の効果が効かなかったってこと?…確かにさっき、東堂さんは眠そうにしてたけど…)
(…意識の無い状態じゃあ発動していない?…だけど、ブリギッテさんの時は…)『精神力回復』は、切田くんにとってまさに生命線だ。把握出来ていない部分があるのならば、積極的に知っておいたほうが良いだろう。「検証しておきたいですね…」
「…今から?」東堂さんが真っ赤になって、真剣に聞き返してきた。
(……んん〜?)切田くんはようやくピンと来た。なるほど、これでは検証のために、もう一回ベッドで僕にくっついて寝てくれ、と言っているのと同じ事になる気がする。合ってます?
「い、いえ!今ではなくて!…その、今から大立ち回りの予定ですし?」
「…そう。まだ昼だものね。もう着込んでしまったし」彼女は頬を膨らませ、プイとそっぽを向いてしまった。合ってなかったかも。
(…この流れは、…なにか不味い…)どうにも空気が悪い。形勢もだ。把握しきれぬ何かの問題が存在するのだ。
すでに二人は着替えと装備を整え終え、妨げるものはもう何もない。切田くんはこの窮地を乗り切るために『賢者』の頭脳をフル回転させ、今すべきことを必死に導き出す。
「あの!…ところで東堂さん、お腹が空きました!」
正解だ。腹が減っては戦が出来ない。なにせ昨晩から何も食べていないのだから。正しさが心強い。流石は『賢者』だ。
……何故か、東堂さんがジトッとした目で見てくる。
「…え、えーと?」語尾を泳がす切田くんを眺め、彼女は小さく嘆息した。
「昨日のうちに酒場で水袋に入れてもらった、ワの付く飲み物がリュックにあるわ」
「ワの付く飲み物」
「そう。【ピュリフィケーション】があれば、悪くなった水でも飲むことは出来ると思うけど。ワの付く飲み物ならそのままでも保存が効く。2リットルは入っているわ。旅をするには心もとないけれど、何かあったときのために持っていて」
「味見もしておきたいですね。僕、飲んだことないです」年齢的な問題もあるが、背に腹は変えられない。切田くんにとっては少し楽しみでさえあった。
「そうね。朝食は、バゲットとワの付く飲み物でいい?」
「【ヒートウェポン】の魔法を使えばおいしく焼けます。ベーコンとチーズで試してみましょう」
◇
蝋引き紙をランチョンマット代わりに、ふたつに割ったバゲットに分厚く切り出したベーコンを乗せる。蝋引き紙は便利だ。「短刀を貸してください」
「どうぞ」
「どうも」差し出された短刀を受け取り、呪文を唱える。
「『黒鉄に宿りて震えよ魔力。灼熱の力よ、纏え』、【ヒートウェポン】」
詠唱に答え、鉄の刀身がたちまち赤熱化した。……熱伝導によって、握った柄までが高温を放つ。「ぅ熱っつ!!」たまらず放り出してしまった。
カランと落ちた短刀の下、床からブスブスと白い煙が上がる。火事だ。(…火事だ、じゃないでしょ…)落ち着いとる場合か。東堂さんが布切れを取り出して何重かに折り重ね、挟んで短刀を掴んだ。火事は回避だ。
「…手を出して」
「…すみません」
仕方ない人、といった風情で、切田くんの手を取ってむにむにする。「切田くん、さっきの話」
「え?」ギクリとする。
「……私には、きみが必要っていうこと」ジトッとした目で、含みを持たす様に言う。「色んな意味で」
「色んな意味で」
「そう。……考えておいてね」短刀は、今も高温を発し続けている。
東堂さんは手をむにむにしながら、じっと覗き込んでいる。
固まる切田くんからスイと手を放し、短刀に向かって詠唱を始めた。
「『世にあまねく聖なるものよ、淀みを祓う清浄さよ。今ここに清らかな水となり、風となり、光となり、力となりて、穢れしものを、不浄を滅せよ』」
「【ピュリフィケーション】」
細やかな光の粒子が、穏やかな風に舞った。
(……『実利のため』だけじゃない。そう言ってくれてるのかもしれないけど……)
切田くんだってもちろん、好意を通わせ合えるのならばそのほうが良い。――しかしながら、インチキ混じりの混沌大鍋、たまたまそちらに偏っただけの都合の良い状況に、拭いきれぬ卑しささえ感じるのだ。(…どうせ僕がボロを出したら、そこで嫌われて終わりだしな…)
清めた短刀がベーコンに押し当てられる。――ジュウと小気味良い音。浄化された空気を押しのけて、(うまそう)たちまち部屋に肉の焼ける匂いが漂う。「この時点でうまそうです」「我慢して」「はい」
切り出していたチーズを、焼けた短刀でこそぎ取る。熱々の溶けたチーズがバゲットとベーコンの上に、とろりと掛けられていく。(絶対に間違いないやつだ)「はい、切田くん。どうぞ」
「いただきます」熱々のベーコンチーズパン。ふたりはうなずき、早速かぶりついた。
「…おいしい…」「めちゃめちゃうまいです。これ」味の濃いベーコンと、濃厚なチーズの風味。火傷する程に熱々な一口だ。こんがり焼けた塩漬け燻製肉の味が、小麦の甘さを際立たせて、口の中でチーズと溶け合っている。(出来たて肉チーズパンなんて美味いに決まってるよな。うめぇ〜)
続いてワの付く飲み物を水袋から飲んでみる。(……)ふたりは、困った顔を見合わせた。「こっちはちょっと…酸っぱいですね」「渋いわね、これ…」
◇
ガンガンガンと、騒々しいノックが鳴り響く。――戦慄と、走る緊張。
二人は真剣な顔でうなずきあい、シャープペンシルとヘビーメイスを手に取った。
「鎧を貫くやつで先に仕掛けます」
「何かあっても、私が守るから」
今後の方針も決めた。装備や補給も整えた。動き出すには良い頃合いだろう。――さて、反撃開始だ。
東堂さんはフードを、切田くんも水袋の覆面を被る。そしてシャープペンシルを構え、ドアの向こうの見えない敵へと狙いを定めた。