ボッシュート
空渡り天翔る星屑を超高高度質量の雨となし、――全てを耕し、鏖にする。地上の太陽を現世に顕す、確証破壊の化身『狂王』の傘の下。
退廃と暴力、欲望渦巻く背徳の街『迷宮都市』。グツグツ煮える混沌の鍋、焔の陰にて暗躍する者あり。――西方鎮守パンデモーヌ伯率いる私兵集団、愛国戦隊パトリオッタ。その『二番』、褐色肌で黒髪の、エキゾチックな女性。
口元を薄絹で隠す、鍛え抜かれし痩身の女。『追跡者』クスタ=スタブ。
尋常ならざる手段によって一度引き剥がされた彼女が、目標にやっと追いついた時。
(……なっ、)そこには、異常な光景が広がっていた。(……なんだ、これはっ!?)
轟々と逆巻く紅に翳る、焦げた肉塊。むせかえる様な油脂の臭い。
延焼寸前の、もはや手を付けられないほど燃え上がる家屋。空中には謎の光球がふわりと浮かんでいる。
――混沌の中心。災厄の元凶。
不気味な覆面、キルタと呼ばれる異界の少年が、味方であるはずのガバナの戦士(丸焦げでない方)の死体を漁っている。懐より巻物を抜き出し、目を通している様だ。
少年の被る奇妙な覆面。正体を隠す意味もあるのだろうが、……本人の柔和な雰囲気を誤魔化すためだ、とクスタは思う。要は虚仮威しだ。――だが、本当におかしいのはそんなことではない。(…異常…異常よ…)
(この少年は、…あきらかにおかしい!)光景の語る、雄弁たる脅威のサイン。
(…油脂の匂いを伴った炎は【ファイアーボール】。…もう一方の死体は【ライトニング】の破壊痕…)――薄絹の下、唇をキュッと引き締める。(たった二日目の召喚勇者が空を飛び、強力な攻撃魔法の数々を使いこなしている…)
(……それでも初日は、【マジックボルト】の強化型しか使えなかったはずだ。一体何が起こっている?)
少年の持つ巻物がハラハラと、塵となって消えていく。……通常、マジックスクロールは熱のない炎にて燃え尽きる。ゆえに、一度しか使えない事に変わりはないが…。(まさか、スクロールの魔法を取り込んでいる?使い捨ての紙っぺらから、分厚い魔法書を読み込む事と同じ効果を?)
(そんなことが出来たなら、……めちゃくちゃになるに決まっている!!)脳裏を掠める赤黒き前知。戦慄が、クスタを震わせる。
(スクロールは魔法書よりも、ずっと産出が多い。魔法書では未産出未解読、超高レベルの魔法さえ見つかることもある。…そんなものが向けられたのなら、どれほどの狂乱を呼ぶことか!)現に眼前、凄まじき破壊の痕跡。たった一日でこれならば、日を重ねれば一体どうなるものか、想像に難くない。(…危険…危険…!)
(…異界の化け物め。…この召喚勇者の少年は、決して野放しにしてはならない!!)パブリックエネミーナンバーワン。最大脅威に目されし、このうすぼんやりとした覆面少年は、……早速の証明。朗々と、新たな魔法詠唱を開始した。
「『黒鉄に宿りて震えよ魔力。灼熱の力よ、纏え』、【ヒートウェポン】」
左手のひらに突き刺さった矢弾の鏃が、みるみるうちに赤熱化する。……億劫そうに覆面をめくり、矢羽にガッチリと噛み付いて、彼はゆっくりと矢柄を引っこ抜き始めた。
「…むぐううううおおおおおおおっっっ!!」
押し殺した悲鳴。……ジュウジュウと肉の焼ける匂い。血染めの矢弾をぺっと吐き出し、荒い息をつく。「……うあああぁぁ……痛ってぇ……」左手をワナワナと震わせ、スイと覆面を被り直す。「…ふぅ」
(…なんだ、それはっ!)クスタは笑い出したくなった。この時点で彼はもう、平静を取り戻したかの様に見える。(…何のジョークだっ!可笑しいだろ!ふぅ、じゃないんだよ。…フフ。この精神力だって異常すぎる…)
(少なくとも、成人もしていない様な少年の出来ることではない。…否、訓練を受けた大人とて、そうそう出来る事なものかっ!)衣装の懐より、針の様な細身の短剣を取り出す。(なるほど、これではパンデモーヌ様が身柄を欲しがるのも分かる話だ…)――からくりのスイッチを入れると、先端から液体が垂れ、刀身を覆っていった。
(無臭の強力な昏睡薬。…殺しはしない)
(この二日間、一度たりともひとりになることの無かったあなたが見せた、初めての隙…)
(今が、絶好の好機でありましょう…)彼女はニヤリと、薄絹の陰、唇を歪めた。
◇
音も無く、蟒蛇の如くジリジリと、クスタ=スタブは少年の首を狙う。……心臓めがけて毒を流しこめば、薬が効きすぎて即死まである。ここは、脳へと向かう血流に載せるのが良いだろう。(この『スキル』とて万能ではないが、…見つかりはしない。この私に油断など無いのだから…)
少年は未だ、『追跡者』に気づく事はない。それどころか、たった今気がついた、という体で、延焼する家屋に驚いている。「…これは大変だ」
焦げ穴の手のひらを、無造作に家屋へと向けた。「…『速射砲のマジックボルト』」
光球、炸裂砲弾が次々と撃ち出され始めた。淡々と響く、轟音と破砕音。――破壊エネルギーによる小爆発により、燃える家屋が次々と崩され、解体されていく。
近隣の住人たちに逃げ惑う様子はない。元から無人なのか、息を殺しているのか。あるいはとっくに逃げ去ってしまったのかもしれない。
破壊作業にすっかり見入ってしまっていたクスタは、ふと我に返り、恥ずかしそうに少し笑う。(…フフ。油断など無いと…?)
解体される家屋、連続で砲撃するボロボロ服の覆面少年。背後でそれをボケっと眺める、踊り子まがいの暗殺者。なかなかにシュールな光景だ。(いや、確かにこの魔力量も異常だとも。観察の必要はあったのさ。何故魔力が枯渇しない?フフ、…もはや笑うしか無い…)含み笑いに気づかれる事はない。少年の首は、もう、すぐそこだ。
(私のスキル『ハイド・イン・シャドウ』は、たとえ私の姿が目に入っても、決して気づかれることがない。…一刺しで仕留める。悪く思うな、少年)低い姿勢に、筋肉が張り詰める。……短剣から、毒液が滴り落ちた。
(……今っ!)一呼吸で飛び込む。凶刃が、キルタ少年に迫った。
――『追跡者』クスタは、押しつぶされた。(…えっ)
(…ぐはっ!!?)地面に叩き落とされ、土埃が舞う。――強い力で地面に押し付けられている。(…ぐうっ!?…な、なんだこの力はっ!?)突然何かに上から押されたのだ。(…一体なにがっ!?…攻撃!?…どこから!?…)
(…動けっ!…ないっ!!)
◇
「ん?」異音の気配に、切田くんは振り返る。……なにもない。誰もいない。「…気のせいか…」(埃っぽい気もするけど、まあ解体した瓦礫の埃か)余った二枚のスクロールを確認する。
(ダブった二枚、『スクロール・オブ・ミサイルプロテクション』と、『スクロール・オブ・ヒートウェポン』が一枚づつ。東堂さんに渡すとしよう)裂け目にスクロールをしまい込む。……これで恐らく、するべき事はすべてやり尽くした筈だ。
やれやれと脱力し、本当に大きく息を吐きだす。もうすっかりガス欠である。「朗報が持って帰れる。義理でも喜んでくれるかな…」
「…良かったよな、これで…」未だくすぶる黒焦げの死骸と、仰向けの死体にも目をやる。……パチンと指を鳴らした。浮かんでいた照明光球が、フッと消える。
――残火が赤く、闇を照らした。
内側ポケットのふくらみに手をやる。『ガラス玉』が入っている。
「……いや、今日はもう疲れたよ。やめとこ。絶対落ちる」管制塔がノーと言っている。今回の夜間便は欠航だ。「欠航だけにもう結構。…て、駄目だな。全然頭回ってない。…一旦、調子悪いか」
「…さっさと帰ろ…」オヤジギャグに縋るほどの疲労もあるが、この両手へのダメージでは『ガラス玉』を保持できないのだ。空路が駄目ならば陸路しかあるまい。
裂けたローブと外套を気まずそうに押さえ、――復路出発。切田くんはその場を歩き出した。「お腹寒いな。…恥ずかしいし…」
◇
漆喰混じりの瓦解した木材が、今も、パチパチと音を立てて燃えている。
(何処の誰様だっ!?『スキル』攻撃ぃ!?…くそぉッ!!)バタバタと必死にもがくが、重圧を振り払うことは出来ない。未だ強い力が、クスタを地面に押しつけている。
――足音が近づいてくる。(……ぐっ…)流れる脂汗。(この攻撃の主?何故私の位置がわかったんだ!?)
(『ハイド・イン・シャドウ』は効いている!…一度でも認識を外せば、まだ、挽回は出来るはず…)敵の無慈悲な、声が響いた。
「【バインディングチェイン】」
闇より伸びくる細長い光が、地面の存在などものともせずにクスタの躰に幾重にも巻き付き、ギュウギュウと締め上げた。「ぐああああぁっっっ!!」
苦悶の声に、足音が近づく。「…貴様の仕業かっ!…おのれぇっ!!」
「……『ハイド・イン・シャドウ』。目をそらせば失認するスキル。低出力で効果の高い、良い『スキル』ねぇ」女の声が、クスタを弄える。
「だけど、『空から見た景色』からならば、不思議と良く見える。随分とコモンスキルのようでもあるし」
「うふふふ。無様な姿ねえ…」――焔差す闇の帳に、敵の姿が浮かび上がった。
豊満な長身を包むボンテージ風の衣装、大きな三角帽子。――クスタとはまるで対称的な、男をひと目で情慾に惑わす、扇情的にくびれた躰。短杖をこちらに突きつけ、高いヒールのロングブーツを高らかに鳴らし、余裕綽々、クスタの側へと歩み寄ってくる。
「『呪殺の魔女』…ブリギッテ=ネルヴァ!」
苦々し気に、クスタは叫んだ。「貴様ぁ…国に雇われているはずの『盗賊ギルド』の殺し屋が、なんのつもりだ…!」
「あら。パンデモーヌ伯の虎の子、パトリオッタの諜報員さんね?伯爵も領地を離れて、ここで随分と暗躍していらっしゃる」
「…殺し屋風情がつけあがるな!!貴様の行状が見過ごされたのは、あくまでギルドを通して国に協力してきたからだということを忘れるなよ。…貴様の実家、商会にも累が及ぶぞ!?」
忌々しげな煽りに、『魔女』はコロコロと笑った。「あらぁ?あらあら…」
「血を分けた、などという絆など、育たなければ脆いもの。難癖をつけられてイジメられるだなんて、『商会』とやらも大変ねぇ。一体どんなプロパガンダに使われるのかしら?」
「イキったところで、お前は終わりだっ!…実際に権力に押しつぶされたことのないものだけが、その恐ろしさから目をそらす…」怨讐を吐き出すクスタの毒を、馬鹿にしきった口調が遮る。
「ねぇ。そんなことはどうでもいいのよ。国だの権力だのと、今はどうでもいいの」酷く凍りついた声。…ビリ…と重圧が立ち込めた。
「ねぇあなた」
「どうしてルイくんに手を出すの?…私のルイくんなのよ?」
クスタは思わずあっけにとられた。
「…殺し屋風情が色ボケか?あんな子供相手に趣味の悪い」
「答えなさい」
「…いいだろう。さわりだけでも教えてやる。奴は特殊な召喚勇者だ。新型召喚術式にかこつけて、不貞の輩が洗脳の軛を外した強化勇者だ。調査のためにも、国で身柄を確保する必要がある。私の任務の邪魔をするな、『魔女』」
――極寒が、天の高みより降り注ぐ。
「……この泥棒猫」
「…はぁ?」クスタは馬鹿にしきった声を作る。……挑発のつもりだったが、それはいささか感情が籠もって響いた。
(…この女、情報とは違って随分感情的だな。…だが、本気で国を敵に回そうなどという愚かな女でもあるまい。そんな奴なら、もっと早死をしている…)
(くだらん見栄で私を舐めた真似をして。…クク。ゆさぶって歯噛みをさせてやる)「私情で権力の邪魔をするなど、愚民極まれりといったところだな?…あんな子供のどこがいい。よしよししながらヤるような、貴様の性癖にでも刺さったか?」
「……その汚い口を閉じなさい」怒りの口調に、更なる嘲笑を向ける。「ハッ。閉じられるものなら閉じて…」
「…おごごごぉっ!!」鎌首をもたげた【チェイン】が、薄絹をこじ開け口中にねじ込まれた。……またたく間にクスタの舌は縛り上げられ、締め付けられてしまう。「おごっ!おご、ごごっ…!!」口からよだれが、だらりと垂れる。
そんな踊り子を優雅に眺め、『魔女』ブリギッテは艶やかに笑った。「あらあらぁ?あなたのお口、閉じられなかったわねぇ。…どうやらあなたの勝ちのようねぇ」
「ああん。…悔しいわぁ…」
……落ち着き払った、真剣な口調。「…縛ろうとするから逃げられる」
「…押さえつけようとするから離れていく。そうよね?」覆い被さる、覗き込む瞳。――残火が、影法師の嗤う目だけを浮かび上がらせている。
「…だったらこうして、しばらく大事に見守りましょう…」
「……だってぇ……私が守ってあげなくちゃぁ……」ねっとりとした口調が謳う。
「あの娘もなにもかも残念なことになってぇ?」
「失意のうちにここに戻ったルイくんをぉ」自らのふくよかな胸を、淫靡にくびれた腰のラインを。……羽根のようにやわらかく撫で、微笑を浮かべる。「うふふ…そうよ。諜報員さん、…あなた、天才ねぇ?」猛禽の視線。――空に蓋する影が、唇を釣り上げた。
「…んはぁっ…」ウットリと、悩ましげに、『魔女』は囁く。
「…『よしよし、いいこいいこ』って慰めてあげる。そうよ、そうしましょう…」
「…頑張ったね。…ルイくんは頑張った…」
「よしよし、頑張ったね。偉かったよ、ルイくん。…あん」火照る頬を両手で押さえ、細月を陶然と見上げて、彼女は身を震わせた。
「あの娘さえいなければ、…うふふ、うふふふ!そうなる!楽しいわ!必ずそうなる!」
「……ああ……幸せぇ……」ハァッ、と艶やかなため息をはく。
豹変。『魔女』は短杖で地面を叩き、魔法を発動した。「うふふ…!【クレイトゥマッド】」
地面が瞬時にぬかるみ、ぶくぶくと泥水が湧き出てくる。自重に耐えきれず、クスタの身体はズブズブ泥土に沈み始めた。「さようなら?諜報員さん」「おごっ!!おごごごうっっっ!!」醜悪で必死な呻き。うすら笑う『魔女』が、声高に問いかける。
「怖い?ねぇ怖い?このままじわじわとなぶり殺しにされると思った?」のしかかる様に覗き込み、『魔女』は妖艶に、高らかに笑った。
「うふふ、ふふふっ!…あははははははっ!ざんねーん!!」
クスタ=スタブは押し付けられ、泥中へガボンと沈んだ。……見えなくなった。
周囲は静けさを取り戻す。未だくすぶる残火が、パチパチと音を立てている。
「顔も見たくないのよ」忌々し気に吐き捨てる。
「大事なものを馬鹿にして…」