そらをとぶ切田くん
月明かりと人工照明、諦観の惨状入り混じる、いつもより暗澹たる有様を晒す貧民街。――未舗装道にぽっかり開いた爆撃の大穴、土塊に混じり承認欲を主張する、異臭を放つ死体と残骸。
ある意味感慨深き素敵な情景だ。深く突き立つ殺傷片にて毛羽立った壁にこびりつく、汚液と肉片のサイケデリック。(…オエー…)照明弾の閃光に照らされた街角の光景は、まさに死屍累々だ。(…これはひどい…)無軌道な観光客がやらかした並の散らかし具合だ。
(…流石に街を汚しすぎたかな。町内会の人が激怒して、ナタ持って犯人探しをするやつだ。吊し上げ、ドンドコファイヤー村祭り、石打ちからの密室私刑と流れる様な村八分コース…)どんな因習村だ。(…爆発の被害者は、住人の人たちは大丈夫だろうか…)
(…さっきの酔っぱらいの人とか)思い出すだけでムシャクシャしたので、周囲を気にかけることをやめた。(しらん)
ハッと気がつく。(…急がないと。このままではガゼルさんに離される一方だ。照明弾だってじきに燃え尽きる…)眼前の光景、酷く散らばるゴア表現を見渡す。(この人たち、さっきの隊長さん達だよな。…ガゼルさんが『スキル』か何かでけしかけてきたの?僕を殺すか、足止めのために…?)
「…死体…だったもんな。ガゼルさんも…」
迷いと大穴に背を向けて、パチンと指を鳴らす。ふわりと浮かぶ光球。「敵の目論見通りに足を止めている場合じゃない。今は、僕がなすべきことをするんだ」
「この『マジックボルト』につかまって飛べば、ガゼルさんを空から探せるし、追いつけるはずなんだ」切田くんが、またおかしなことを言い出した。
◇
(『マジックボルト』が持つ3つの力。…①飛ぶ、②物質化、③光る。…光るというのは、エネルギーが外に放出されているということ。放出する光を抑え込み、エネルギーを②の物質化に集中させる…)
(…そんなん出来るの?)不条理に条理を期待するなど、一周回っても疑念しかない。出来るかボケェ。「…出来るはずだ。…見えない回路の仕組みを辿って、…照明弾だってうまくいったんだから…」念仏ぶつぶつ唱える切田くんの意思に答え、『飛ばないマジックボルト』は急速に自らの光を弱めていく。――追加エネルギーの流入によって、それは徐々に硬質な輪郭をなしていった。
全ての光が消えた時。野球ボール大の透明な球体が存在していた。
下からわっしと掴む。壊れない。コンコンと叩いてみる。弾けない、歪まない。まるで本物のガラス玉の様だった。――成功。(クラップアンドクラッカー、ファンファーレ。ピュイピュイ。ありがとうみんな。みんなありがとう)おめでとう。「よし」試しに球体を誘導弾として操ってみる。切田くんの周囲をぐるりと回り、結晶球は元通り手のひらにすっぽり収まった。「…ほらね。出来るようになっているんだから。…あとは、これにつかまって飛んでいけば…」
「……つかまって、飛んでいけば……」そこで我に返る。
猛烈な不安が全身をギュウギュウと、胃液が逆流するぐらいに締めつけてくる。意思の力が萎縮するのを感じる。――自分は今、過剰なストレスにさらされている。
この馬鹿馬鹿しい挑戦を、『する』ということによって。
少しえづきそうになり、咳払いをする。「……これにつかまって飛ぶだって?」(…えぇ?…馬鹿じゃないの?)疑問でいっぱい。(またまたご冗談を。だってこれ、えぇ?)
(要はこの玉に、ぶらーんってなって飛ぶんだろ?)取っ手がない分メリーポピンズよりキツイ。(いやいやいや、死んじゃうだろ。上空で手が滑ったり、玉が消えたり壊れたり…)
(……死ぬ……)
――不意の落下。驚愕に凍結。慌てふためき即座の落着。
激突。刹那の爆発的衝撃。走る電撃。……死の瞬間。
体感を伴った鮮明な想像に、震えが走り、身が竦む。(そんなとこ解像度上げなくていいから!…ああ、嫌だ…)
(それにさあ。こんな玉っころひとつで僕の体重を支える揚力が出るのか?無理無理無理。これは無理)
(ていうかこれ、カッコ悪いよね。ぶらーんておま。…恥ずかしい)ためらい。迷い。怖気づき。切田くんは全力でうだうだした。……ガリガリと、『精神力回復』が怯懦の感覚を抑えつける。精神に、過大な負荷が掛かっている。
ふと(……?)周囲を見渡すと、パタパタと木枠の音、扉や窓を慌てて閉める音が聞こえてくる。住人たちが覗いていたようだ。銃撃戦の末に大爆発。異世界ここだけハリウッドだ。(…すみませんね、ドーモ。…見てもいいんよ別に…)
(平気さ。こうして見られたところで覆面があるんだ。――理に適って意思もあるなら、恥ずかしいことなんて何も無い)
(それに、『精神力回復』がコントロールしてくれている。…ガゼルさんは赤方偏移するぐらいに猛烈に遠ざかっているんだ。迷っている場合じゃない、急がないと…)指を絡めた両の手に、しっかりと宝玉を握り込む。振り落とされれば即死なのだ。……握り込み具合を何度も確認する。
そして、両腕を天に高々と差し出し、(『宇宙のなんとか』的な古典の表紙のやつ〜)少年は気合を込めて叫んだ。「…行くしかない。今の僕なら行ける。…行けっ!『マジックフロート』!」
「……」そして首をひねった。「…なんか違うな」
決して臆したわけではない。ただ納得が足りなかっただけなのだ。マジックフロート。プヒー。「『マジックフロート』ねぇ。…しっくり来ないというか。そういうセンスは大事だと思うし…」
(ガラス玉だろ)「…はい?」奥底にある昏い心情が、皮肉げに浮かび上がる。(ガラス玉だそんな物。それでいいだろ)
「…うーん、かっこ悪くない?」(…自分の謙虚さをアピールしつつも、そこはかとなく中二心を刺激する。いいネーミングだろ。どうよ)若干ウザい。……でも、それは自分だ。(僕だ)
それに、先程から両手を宙に差し上げたままの、何だかアレな感じの自分の姿を顧みて、自分にはふさわしいのかもと思い直す。「…まあいいか。…よし、飛べ『ガラス玉』っ!」球体に力が流れ込み、両腕に(…ぐぅっ!)たちまちキツい上昇負荷が掛かる。
ゆっくりと、足が大地を離れた。
その時、バタバタと住居の窓や扉が開く。(…なにっ!?)歓声が上がった。外に出てきた影まである。――住人たちだ。(…なんなの。なんなのもう…)
(…見てんじゃねぇー!)そんな下方の様子と、離れていく荒れ放題の惨状(犯人は僕だ)にも目をやる。「……すみません!!」あまりの申し訳なさに叫ぶと、幾人かが手を振り返してきた。納得がいかない。(…ぐぬぬ…)――そのまま一気に加速し、切田くんは上空へと舞い上がった。
◇
「うわああああああ…こえええええええ」影の街を見下ろし、思わず叫ぶ。お腹の下がキュッとなる。衝動に乗って様々な思いがこだまする。(高い!死ぬ!)(腕痛い!)(…あと、お腹がめちゃめちゃ寒い!)相対的な冷たい風が、容赦なく吹き付けてくる。これでは風邪を引くか、お腹を壊してしまうことだろう。……覆面の裏、ボソボソぼやく。「風を切って飛ぶと気持ちいい、なんて話はよくあるけど。…今の僕には風に乗る翼も、寒さや高さから身を守るものも無いんだぞ…」
「…これじゃあ、風も高さも全部敵じゃないか…」高度を上げると、繁華街や王城、城下を彩る夜景の光が見えてくる。「…わ、わぁー。綺麗だなー…」ガラでもないと思いつつも、少しの得に救いを求めて、眼下の光景に見惚れようとする。
……そこに、蠢く弱い光があることに気がついた。光の群体が、徐々にこちらへと向かってきている。「……治安維持の兵隊…?」
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「報告は出てないのか!?」「あんな光量、見たことがありません!」「また光った!?二発目だぞ!?」「貧民街なんでしょ!?放っておけば…」「他の隊も出ているんだぞ!いいから走れ!」「魔術師相手なら、近衛に応援を頼まないと…」「戦争始まるんじゃないの、これ!?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
「……こっちに詰めてきているんだ。早く、ガゼルさんを見つけないと……」風の力がさらに増し、破れた衣服が強くはためく。――高空に打ち出した照明弾の『マジックボルト』は、明滅して今にも燃え尽きようとしている。(…見つからない。駄目なのか?)
(……ここまでか……)暗闇と焦燥感が色濃くなっていく。(…こうなったら追うのは諦めて、空からアジトに先回りするしかない。東堂さんと合流しさえすれば、後はどうとでもなるはずだ…)
(…でも寒いし腕と肩が痛いし、それにもう、手の奥のほうが痛いんだよ。このままじゃ握力が保たない!…僕にはアジトまで飛べる体力なんか…)「…やっぱりここで見つけないと。どこだ、何処にいるんだ!?」必死に眼下の街を見回す。
……視界の端、ちょっとの違和感。照明弾が燃え尽き、全てを闇が塗りつぶす寸前。
そこには、夜の街を全力疾走している何かがいる。「いたっ!!」切田くんは限界までスピードを上げて、食いしばり夜空を一気に滑空した。(あれに決まっている!夜の街を全力疾走する存在が、そうそう居てたまるものかっ!!)
◇
車載動画のめくるめく街並み。静寂満ちる街路に響く、スタッカートの利いた等速の靴音。定刻通りの人体解剖模型を思わせる、息遣いなきコッペリアの激走。……そして、「……むっ…?」夜を縫い異質に届く、パチンという微かな物音。――とても良い姿勢で走るガゼルの遥か前方、不思議な明かりが灯るのが見えた。
光源に影なす、闇に浮かびしは異形の存在。血塗られた、裂けた外套ローブを身に纏う、不気味な覆面を被りし人の姿。
「…ほう…」ガゼルはゆっくりスローダウンし、腰のカットラスを抜き放った。「…待ち伏せか?キルタ。正面切って一騎打ちときたか。…クク。とことんこちらを舐めてくれるものだ…」
(…ご親切にどうも…)スルーされたらどうしようと思った。「話を聞いてくださいガゼルさん。僕らはまだ、敵同士なんかじゃありませんよ」両手を差し上げ、敵意の無さを示す。……しかし、右手には未だ『ガラス玉』を握ったままだ。
蒼白な男は興醒めの体で、ゆらりと天を仰ぎ見る。「…敵ではない?…お前を死体に襲わせたのは、俺の力ではなかったと?…」心底呆れた声。「…せっかく俺が、…せっかく、お前に気を回してやったというのに…」
「…つまりお前は、俺にはそんな『スキル』能力など無いクズだと、心の底から見下しているのか…」
「……不快だな。実に不愉快だ……」うつむいてクツクツ笑い、ガゼルは道化師みたいに豹変した。「ククッ。キィ~ルタァ~?」
「つまりお前は、はなから俺を馬鹿にしていたのかぁ?」
「巡り会ったその日から?侮蔑の花咲くこともある?もしかして今、俺って存在自体を馬鹿にされてる?」
「うーわ、ひどい奴だなお前。俺、めちゃめちゃお前に酷いことされてるよぉ。サイアクー。マジサイテー」
「ゲス野郎が」
「お前マジか。マジで言ってる?お〜いキルタくぅん?聞こえてますかぁ。耳ついてます?…クックックッ」身体ごと螺子曲げる、軽薄なる悪意と嘲笑。……煽られる切田くんの胸が、ひどくざわめく。(……ぐっ……)
「…ガゼルさん、どうして…」
……少し声が、震える。
「…どうしてそこまで、僕を目の敵にするんです…」
「…ふむ…」ガゼルはその質問に、『なるほど、もっともな問いだ』といった体でうなずいた。「…では聞け。納得の行く答えを聞かせてやろう。俺に任せておけ、キルタ…」
「…?…はい…」
◇
「…ある日、新参の小僧が俺のもとにやってきた…」
「…そいつはツレの女とイチャイチャしながらやってきて、そして自分の力を誇示するための、闘いの見届け人になれと俺に言うのだ…」
「…俺は不覚にも、その戦いに巻き込まれ、深い傷を負ってしまう…」
「…すると、俺に傷を負わせた敵の美女と、俺を巻き込んだ新参の小僧は…」
「…抱き合って乳繰り合っていた…」
間違いのない事を確認し、ガゼルは何度もうんうんとうなずく。……「…キルタ、この話をどう思う…?」ニヤァと、口元を歪めた。「…絶対に許せないよなぁ。そうは思わないかぁ?…」
「…どうしたぁキルタ、その顔は。…納得出来たみたいだな。な?キルタ」
「……ぐっ……」切田くんは盛大に鼻白んだ。よろめき半歩後ずさる。(…そんな曲解、…そんな悪意のある曲解なんかで…)
(……いや、大体合ってるな。……でも、だって!!)「それは…それは、そういうんじゃないんです!とにかく事情があって!!」必死で声高な弁明を遮り、ガゼルはうそぶいた。「…まあ、気にするな…」
「…冗談だ…俺もそんなことは気にしない。…俺の心は広いんだ…」
「…えぇ…?」(ホントなんなんだ、この人は…)
「…問題はだな、キルタ。もっと単純なことなんだよ…」ゆらり、と、ガゼルの雰囲気が、より昏いものへと移行した。「…ダズエルほどあけすけになるのも見苦しいから、あの場は取り繕ってみせたがな…」
「…ああ、そうだ。…そうだとも…」死んだ瞳がぎょろりと剥かれ、幽鬼の視線がくまなく撫でる。「…お前のことは最初から気にいらなかった。…一番最初から、気に食わなかったんだよ…」
「…もらった『スキル』でいっちょ前ヅラして、賢しげな口を聞くお前のことが…」
「…嫌で、嫌でたまらなかった…」
「…俺なんか、こんな『スキル』を引かされて…」
「…殆ど死んでいるようなものなのに…」
豹変し、ガゼルは挑発的な道化師に変わった。「だからさぁ、死んでくれよキルタぁ。おねがいだよぉ。後生だからさぁ!」
「社会的に死んでくれよ。精神的に死んでくれよ。生物的に死んでくれよぉ」
「なあ、いいだろ?物言わぬ死体になってくれよぉ。なあ、たのむよ、こんなに頼んでるんだからさぁ」
「…あーあ、嫌な奴。俺がこんなに頼んでるのに。…こんなに頼んでるのにぃ、…何で聞いてくれないのぉ?」
そしてうっとりと、白目を向いて天を仰いだ。「あぁ~。良いよなあ、そうなってくれたら、すっごくすっごく良いよなあ!ホンット良いよなあっ!!…良いよぉ〜。…ほんと良いよぉ〜。…あぁ〜」
「…だってさぁ。なぁ?お前がそうなってくれたならさぁ」
「死んでも動いている分だけ、俺のほうがましってことになるだろう?」
天を仰ぎ、つばを飛ばしてガゼルは笑った。「ギャハハハ!愉快、痛快ィ!そりゃいいや!ぜひそうなってくれ!頼むって!!」
「いやいやいや!だったら俺がお前を死体にして、従わせてやりゃあ済む話だよなぁ!!……あっそうか。……ギャハハハハハ!!」
「イヒヒヒヒヒ!!マジうける。クヒュヒュヒュヒュ!…『コンナニタノンダノニィー』。アヒャハハハハハハ!!!」唾を飛ばし、よだれを垂らしながら、――抱腹絶倒。ガゼルは腹を抱えて笑う。……それでも目だけは不気味な光を湛え、ずっと切田くんを睨みつけていた。
(……ここまで言うのか……)
(…大して関わり合ってもいない相手に…)不快なざわめきが広がり、頭がカァッと焼け付く。……同時に切田くんは、何だか悲しくなってきた。
カリッ、と小さな音が聞こえる。(…いや待て。これ、挑発だよな?)
(どうして?…僕を馬鹿にするためだけに?…まさか。だって、あの時言ったじゃないか。『…こうして、感情のあるふりでもしないと、なにか寂しい気がしてな』って。…つまりこれもお芝居?)
(…何のために?)今までの出来事が、脳裏にフラッシュバックする。――戦いの記憶、窮地の記憶。空間ごと廻るシーンの連続が、棘の痛みを伴って、次々に脳内を駆け巡る。→→→
『狙撃だっ!!』…『【蜘蛛の巣】だっ!!』…『必ず罠にハマって死ぬ』…『へぇ…魔術師なの?その歳で』…『ご丁寧に何の御用だ?』…『ああっ…駄目だ。これ、駄目だ…』…『一緒に…来ないのか?少年』…『背中には気をつけろよ』思わず後ろを振り返った。
そこにはダズエルがいた。
「あっ」剣を振り上げたダズエルは、気まずげに声を出した。
「あっ」切田くんも気まずそうに、いたたまれなさそうな声を上げた。
「……あっ」せっかくだからと、ガゼルは同じように声を上げた。