塹壕なき銃砲撃戦
咄嗟に追いかけはしたものの、切田くんが夜道をどれだけ必死に走っても、ガゼルの背中が見えてくる事はなかった。(……ぐへぇ、脇腹、脇腹いたい、貧血起こしそう。……ぐべぇ……)「……はぁ……はぁ……ですよね。……はぁ……知ってた。……うぐっ」ヨレヨレだ。
荒い息をつき、夜空を仰ぐ。(…脇腹痛は、過剰に負担の掛かった横隔膜が原因なの?…まあ、長距離走者はゼヒゼヒ走ったりしないもんな…)ガクリと膝を手にうつむき、整わない息を必死に整える。(…はぁ、駄目だ。僕の体力じゃあ、ガゼルさんには決して追いつかない…)肩で息をしながらも、闇の向こうをじっと見つめる。――いくら目を凝らせども、見えるのはただ月明かりに浮かぶ、群青色の古い街並みだけだ。(……いくら感傷にふけっても、駄目なものは駄目……)ロマンなし夫だ。
汗を拭い、水袋の覆面をずっと握りっぱなしだったことに気づく。(…今覆面を被ったら、息が詰まってしまうな…)
(…しかし、…うん、そうだ。…あー…)汗だくの身体に夜の空気が忍び込み、……ゾクリと、震えが走る。(…ブリギッテさん、怒っているだろうな…)ドサクサで『魔女』を振り切ってきてしまった。無闇矢鱈に過ぎる強行。(……つまり僕は、いつ爆死するかわからない状態ってことだ。……あの人の気分次第で……)
(……短慮で動く人ではないと思うけど……)腹をさすり、裂け目を押さえる。この辺が特に寒い。お腹こわしそう。
(…なんだよ。爆弾なんかで脅しつける様な真似をして。僕がそんな理不尽な脅迫に屈すると…)――『……ずっと一緒に、……溶け合いましょう?……』甘き残響。満更でもない。切田くんの情緒は混乱した。(えっちな空気に惑わされるんじゃないっ!!くぅっ!?)頭をブンブン振る。こびりついて離れない。(…えぇぃ…)カリカリと異音。
(…予測も回避も出来ないんだから、今は爆弾のことを考えてもしょうがない。今はとにかくガゼルさんを見つけないと…)
(追いつく手段に関しては考えがある。…今するべきは、遠ざかるガゼルさんをも捉える視界を確保すること。照明弾の『マジックボルト』でこの闇を照らそう)
(…だけど…)さらなる懸念がのしかかる。懸念祭りだ。(…照明弾は目立ちすぎる。しかも今晩二発目だ。治安維持の兵士たちは、すでにこちらへと向かっているはずだ…)御用ラッシュに呑まれれば、――人海戦術。囲まれて棒で叩かれチェスト・ジ・エンドだろう。(ならば、間違った方向に照明弾を撃つ小細工をしてみるか?兵士を誘導できるかもしれない)
……自身の迷いに違和を感じ、切田くんは頭を振る。(やるべきことがブレている。あれもこれもと手を付けて、半端な照らし方でガゼルさんを見つけられなかったらどうする?)本末転倒、語るに落ちる。(今は、真っ直ぐになるべきだ。ガゼルさんを探すことに集中するべきなんだ)
(……もし、兵士たちに見つかったのなら。……その時は覚悟を決めて、正面から蹴散らすだけだ……)切田くんは腹をくくった。闇に向かって毅然と立つ。「こうなったら派手に行くぞ。遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ。…輝け、『飛ばないマジックボルト』!」
指をパチンと鳴らし、右手を背にして光球を練り上げる。――パワーの流入に唸りを上げて、それはたちまち直視出来ない程の輝きを放ち始めた。
逆光の影の中。鋭く貫く眼光が、闇の向こう側を見据えた。
眩き光が煌々と、暗がりの世界を照らした。
◇
「うぉぉい!眩しいんだけど!!そこで何やってんだ!!!」バタン!!と乱暴な音。「わぁ!?」切田くんはビクリとして、小さな悲鳴を上げた。
すぐ背後の家のドアが、乱暴に開け放たれたのだ。……酔っぱらいだ。
「…えぇ?…」
なんだかとても悲しくなった。(……空気読んで!……いや、これは完全に言いがかり……)顔を歪め、遠慮がちに怒鳴り返す。「…すみません!だけど、引っ込んでいてください!!」
酔っ払いはビクリと怯むも、……その粘ついた視線が、切田くんの外見と声に気を止める。「…あぁ?何だぁ?」ニヤァと、嫌な笑み。「何いってんだお前。なあ。何いってんだ?…お前がさあ!まず、それを止めろよ!人様に無断で眩しくさせて、どう見たって悪いのはお前だろうがっ!!あぁ!?……謝れお前。おう、早く謝れよ!!何突っ立ってんだコラ、いいからこっち来いやオラ!!おうお前、いったい今が何時だと思って」
チュンと小さな異音。一瞬の光条と共に、ドア枠に小さな穴が空いた。
酔った男はぼうっと振り返り、それを見つめて、まじまじと確認する。
チュンと小さな異音。光条と共に、ドア枠に小さな穴がもうひとつ空く。
酔った男はそれをも見つめ、ぼうっとしたまま、切田くんをまじまじと確認する。
そして素知らぬ体で顔を逸らし、乱暴にバタンとドアを閉めた。
「……照明弾の『マジックボルト』!!」
やけくそで投げつけた眩き閃光照明弾が、推力を持って夜空に舞い上がっていく。「…こんなんじゃ、真っ直ぐな気持ちになんてなれるものじゃない」切田くんは静かにつぶやき、照らされた街並みに目を凝らした。
◇
視界の中にガゼルの姿は無い。
(…ぐっ…)分かっていたはずだ。……焦燥が膨らむ。(…急がないと。…いや、焦るんじゃない切田類。焦って死んだら恥ずかしいぞ…)周囲を素早く見回す。眩しい光は確実に敵を誘引する。チョウチンアンコウだ。(…誘蛾灯かな?…って、)
奇妙なものが目に入った。後方遠方、くねくねした動きで猛然と走る、謎の一団が接近している。
「…なんだ?あの人達…」(治安維持の兵士じゃないよな、あの変な動き。……創作ダンスのフラッシュモブ?)創作ダンスにもフラッシュモブにも失礼だ。(フラッシュモブなんて、元々失礼なものでしょ……)じゃあ創作ダンスに謝れ。切田くんを素敵なダンス仲間に引きずり込もうと、エクストリーム表現集団はこちらに手を差し伸べているように見える。
……その手が、チカと光った気がした。
切田くんにとっては、見慣れた光だ。「…まずいっ!!」瞬時に気づき、頭を抱え込む様に地に伏せる。「【マジックボルト】だっ!!」
風を切って、無数の光条が通過した。
◇
動く死体たちの行進。……否、それは突貫だ。『ヒャハ!!…ヒャハハ!!…ふぐぇ』『死んじゃうよぉ』『普通に走り難い』『泣き言を言うな!』『俺、慣れてきた』『暗いの怖いよぉ』限界を超えた、死体の全力疾走だ。腐った哄笑垂れ流し、足りない部位にて激しく体をくねらせて、死体たちは息も絶え絶え通り越し息の根止まって走り続ける。実に楽しそうだ。
――その時、打ち上がった閃光照明球が闇夜を晴らした。夜の街がくっきりと浮かび上がる。『…あぁ?少年だぁ〜』バタバタ走るハインツ隊長は、照らされた遠い人影に、首を傾げて嬉々としてはしゃいだ。『みつけたぁ!ミツケタ少年!うてうてー!少年うてー!イヒャハハ!!』『…ちょっ、マジすか!』『まだ早いですって隊長!…くそっ、『魔力よ、礫となりて敵を撃て!』【マジックボルト】!』『軍では命令は絶対ってね』
死体たちはグネグネ走りながらも、続々と【マジックボルト】を放つ。全然当たらない。『無駄魔力だこれ』『距離がありすぎますよ!隊長!だから脳が漏れてんだって!』
『まあいいさ!この勢いで今度こそ、少年を俺たちの仲間に加えてやろうぜ!』
『少年の強化【マジックボルト】はどうするんです!『障壁』なんて効きませんよ!』
『そのための隊長だろう。俺たちの隊長を信じろ』
『えはぁ~…イヒャハハハ!!』『照れてますね!』『そんな指示出すあんたも大概だよ!』
◇
鋭い目つきで地面に伏せ、胸に手を当てる。……怪訝そうに手探りして、はっと気づく。「…シャーペンが!?」切田くんはもう、シャープペンシルを持っていなかった。
頭の中が真っ白になる。
慌てて胸ポケット等を何度も確認し、ブリギッテに腹を裂かれたときに取り落した事を、ふと思い出す。……今、自身が大事に持っているものは、穴の空いた水袋だけだ。
――衝撃が残響となり、体をざわめかせている。切田くんは少し泣きそうになり、ギリ、と歯を噛みしめた。……不気味な一団が、どんどん近づいてくるのが見える。「……ああ、くそっ!」覆面を邪魔だと被り、伏せた体勢のまま、(被弾面積が小さければ『マジックボルト迎撃』も容易となる)右掌を踊る一団へと差し向けた。
「砲弾の連続発射で蹴散らしてやる。…速射砲の『マジックボルト』!」
――少しの溜め、轟音。空を裂きゆく光砲弾と残響。
発射後、間を置かず即座にエネルギーが集まる。
次弾発射。轟音が響く。
そしてチャージ。続けて轟音。…そしてチャージ。
◇
轟き上げて大気を穿ち、光球は一瞬で死体の隊に肉薄した。正確な砲撃。――直撃する。
『パリィ!』
脇腹を鞘に、折れた剣が煌めく。光の砲弾は衝撃波を撒き散らして、弾き飛ばされて星空へと遠ざかった。キラーン。『イヒャッハー!!ミテミテミテ!?』『あー、はいはい』『さすが隊長。脳みそプリンでも行ける行ける』『それより前見て!?前っ!!』間髪入れず飛来する光弾。
『パリパリィ!』砲弾が弾き飛ばされ、横の建物の屋根が吹っ飛んだ。破片が舞い散り、路面に降り注ぐ。『ナイバッチー』
『でもさぁ、俺らの【マジックボルト】、さっきから当たってなくない?』『無駄魔力〜』全力疾走しながらのクネクネ射撃は、精密とは言い難い。……しかも、伏せた少年への命中弾は、――対抗魔法。かすかな閃光によって打ち消されている。『なにかで防がれてる。遠すぎるし、攻撃が弱いんだって!』
『パリパリパリィ!ヒャーハハハ!』弾き飛んだ光の砲弾が、衝撃波と共に死体たちのど真ん中を通り抜ける。『あっぶねぇ!』
『だったらこのまま突っ込みましょう!こんなんじゃ埒が開かない、もうダメだってこの人!』
『パリパリパリパリパリイッヒ…!』キャッキャとはしゃぐハインツ隊長の額が、金切り声を引く光の杭に一瞬で撃ち抜かれた。
狂った眼がでんぐり返り、白目をむいて力が抜ける。
折れた剣が、手から剥がれ落ちて地面を跳ねる。
それでもバタバタと走っていたが、即座に飛来した砲弾の直撃に、轟音を上げて爆散する。……残った下半身は、もんどりうって後方に飛んでいった。
部下の死体達は走りながらも振り返り、その姿を見送った。『ああー』『ほらぁ!』
空を引き裂き飛来する光弾。『隊長ォーッオアッ!?』臓物のはみ出た死体隊員が轟音を上げ、『障壁』ごとぶっとばされる。『隊長はイチ抜けで〜す』『『障壁』で防げる威力じゃないって!隊長がはしゃいで遊んでるから!!』
『良いから行けっ!この距離ならば全員は殺られない。このまま詰めろ!ハリハリィ!』『ゴーゴーゴー!』走る死体は残り七体。バランスの悪い体を振り回し、疾走するスピードをさらに速めた。――伏せた少年は、もう、すぐそこだ。
◇
(……捌ききれない!?)先頭の一体に手こずりすぎた。既に敵は、数秒の距離だ。(だ、駄目だっ!?逃げないと…!)慌てて伏せた体を起こし、裂けた服がダランと垂れ下がる。……死体たちは物凄い形相で激走し、どんどん距離を詰めてきている。
もう、間に合わない。
(…無理だっ!!)絶望の津波が押し寄せてくる。(この距離では絶対に、全員の『障壁』を削りきれない!)
(…意地にならずに最初から逃げておけば…)後悔など遅い。刹那の思考に鈍速化した世界でさえ、死体たちは刻一刻と迫って来ている。――モンスター・スタンピート。目茶苦茶に蹂躙される。(ああああ、マズイ、マズイマズイ!!何か何か何かっ!!)焦りに空転する中、切田くんはふと思い出した。「こっ、これだっ!!」
刹那の思考をぶった切り(低速世界が音を立てて割れる)、通常速度に加速する世界の中で、酷く慌てて垂れ下がった服の裂け目に手を突っ込む。もう時間が無い。
「めくらましにでも脅しにでもなってくれっ!!」引き抜きざまに投げつけたものが、弧を描き、走る死体たちの足元にコロコロと転がった。――淡く緑色に発光する、ピンポン玉ぐらいの宝玉だ。
「…『超高圧魔力爆石』、起爆!!」
閃光が、走った。
◇
空間ごと弾け飛ぶ凄まじき爆音に、たちまち閃光と衝撃が膨れ上がる。未舗装道が土塊となって一斉に吹き上がり、土煙が渦を巻く。小さく尖った無数の破片が、ヒュンヒュンと鋭い音を立てて周囲の建物に突き刺さっていく。
走る死体達は大きく宙に巻き上がり、もんどり打って地面に激突した。建物の壁にバウンドしたものもいる。バラバラ、ガラガラと降りそそぐ質量の雨。
切田くんは爆風の中、必死に頭を抱えて地面に縮こまっていた。「うわあああっ!?」すぐ上を、宝玉の破片が高速で通過したのがわかった。
◇
バラバラと、吹き上がった細かい土塊が落ちてくる。爆発によって開いた大穴の周りには、動く死体だった死体が無数に転がっていた。――土煙の中、おそるおそると立ち上がる。
……ガサ…ガサ…と、何かを引きずる音がする。
下半身なき死体がひとり、両手のひらで這いずってこちらに向かって来ている。掌を向ける少年をじっと見つめ、……差し伸べる様に腕を伸ばして、ボソボソと呟いた。
『…一緒に…来ないのか?少年』
這い寄る死体は、ニヤリと笑った。
「……」砲弾の『マジックボルト』に破壊され、残骸は弾かれてポーンと舞った。――もう、動く死体はここには居ない。それでも切田くんは、しばし、呆然と佇んでいた。
(…爆弾が、強力過ぎる…!?)
(こんなものがお腹の中に?僕が死ぬどころじゃない、周りごと全部吹き飛ぶぞ…ブリギッテさん…)