ラブコメの波動
忌まわしきガバナの刺客、地面を這い擦る覆面魔術師は、「…フフッ…」無様な悪あがきを散々続けた末に、とうとう力尽きて動かなくなった。
「あらあら〜?も〜ぉ死にかけているのかしら。ピカピカ光って身を晒す、ヒーロー気取りのマスクマンさんが?無様だこと」その滑稽なざまを、夜空を舞うブランシェを通して見るブリギッテが、笑う。
――その姿、淫靡なる魔性。闇をも弾く蠱惑の影が、蒼く艷やかに浮かび上がる。
大きな三角帽子の鍔の夜陰、締め付けに潰れる程に柔らかな双丘。くびれたラインを強調する、ボンテージ風の『魔女』の装束。タイトなスカートとロングブーツの合間、むっちりとした張りの良い太ももが、白影となって夜に浮き出る。「勘違いもここまで来ると笑えないわね。ちょっとは期待してあげたのに」
「貴方ときたら、知略と見せかけ騎士ごっこ、命を晒してバァタバタ。…どっちなの?何がしたいのかしら?」
「うふふー。とぉっても笑えるー」
「……」黙り込み、腕を組んで、しかめっ面でパタパタと足裏を踏み鳴らす。
「…ああ、もうっ!」我慢しきれずに焦れきった声を上げた。「よけいな面倒をかけてくれる。そんな身体で動いたら、そうなっちゃうに決まっているでしょう?」
「…ブランシェ、動きがあったら知らせて。今それに死なれては困るの。そっちに向かう」白いフクロウのブランシェは、『ホゥ』と一言だけ返す。
「……えっ……『ごはん』?」
「ちょ、ちょっと待って、ブランシェ。今は待て、よ。ね?」不満そうに『クルル…』と返した。「…ゴメンって。まったく、文句が多いね君は…」
◇
凶なりやし異界の呪腕。不可知の鉤爪にて怨敵四人を引っ掻き裂きし、闇側の尖兵。――女魔術師『呪殺の魔女』。条理の月明かりを身に纏い、暗夜の貧民窟をひた進む。ぶつぶつ。「……ああ、もう。お金だの契約だの、浮き世というのは本当に面倒くさい……」
「寄越さずば死ねだの、死にたくなくば働け、だの。……馬鹿馬鹿しい。結局は抑圧の種にしか使われていないじゃない。……ここね」屋根上より聞こえる『ギャッ』という鳴き声に、ブリギッテは気兼ねなく答えた。「ありがとブランシェ。…今死なれたら、やっとのプランが台無しになるのよ。まったく…」
「…『魔力よ、照らせ』。【ライト】」
不思議な明かりが灯った。光源は見当たらない。
先程まで戦いを繰り広げていたガバナの覆面魔術師が、――今は、力尽き果て地面に転がっている。
覆面を剥いだ状態でダラリと仰向けに伸びており、土塊の道には背中で擦った血のラインが残っている。「よーやるわ、本当」フンと鼻で笑う。
「これだから虫に触るのは嫌なのよ。居るだけで面倒増やして、押し付けて。…何その覆面。ダサ。ブ男だか疵面だか、中身を見せられる側の身にも…」
「……」
「……子供?」
目を凝らしたブリギッテは、その光景に思わず息を呑んだ。近くで見る敵の姿は、どう見ても年若い少年にしか見えない。
「待って。嘘でしょ?」
「本当に子供?ガバナはこんな子まで殺し屋に使うの?」苛立ちを顕にし、「…これだもの…」スタスタと歩み寄る。
「薬屋の話も納得出来るということ?…後味悪いのよ。忌々しい」そして彼女は、酷く沈痛な様相で、少年の傍らにかがみ込んだ。
「……酷い……」無残な有様だった。
腹部の裂傷だけではない。肩は刃によって切り裂かれ、あどけなさを残す顔には何度も酷く殴りつけられた痕がある。ボコボコに腫れ上がって鼻が曲がり、鼻血の流れた痕跡もある。
手足や衣服に反撃を行った形跡はない。明らかに内部的、一方的に晒された暴力。――少年の髪を、そっとかきあげる。「…こんなにも傷ついて…」……何故か、郷愁めいた、不思議な感覚。
「……この子……昼間の……?」不意に彼女はそのことに気づいた。
「……どうして……」
しばし呆然とした彼女は、慌てて赤い液体の入ったガラス瓶を取り出し、躊躇なくポンと、コルク栓を開けた。
◇
――意識の黎明。力が抜け、凍えるほどに寒い。
拘束の軛。…動く事は出来ない。抜け出ることさえ許されぬ、深淵の暗渠。消え細る体を徐々に蝕む、夜世界の冷たい空気。
……そして、ふわりとした感触。まとわり沈む氷温泥土より引き上げ、不吉から遠ざけてくれている。冷え切った空の身体を包む、不思議な熱。
空洞の澱、じんわりと意識が浮かび上がってくるのが分かる。(……あ、れ……?)
(……生きてる…?)切田くんは戸惑う。――そんなわけはない。自分は死んだ。(……何だか気持ちがいい。……安心する……)
(……なんで……)うすぼんやりと意識を向けると、自分は今、柔らかい感触に包まれて、身体に熱を分け与えられている。(…雪山かな?)とても心地良い気分だ。(…あったけぇ〜…)得した感じ。
……遥か遠く沈みそうな思考の奥、現在の状況を整理してみる。(……なるほど。東堂さんが来てくれたんだ。……だから生きてる……)死亡確認は一日ぶり二回目。男塾とタメを張れそうだ。(…ふむ。絶対に来ないだなんて、僕の思い込みだったな…)
(何事にも紛れは有る。…たとえば僕が出発した後で、敵の正しい情報が入ってきたとか。だったら来てもおかしくはない…)つまるところ、どうやら自分は助かって、そして死なずに生きているのだ。バンザイ。勝利である。
ならば何も心配いるまい。キルタ・オブ・ザ・デッドもおばけキルタの成り上がりも、意識を持った標本エンドも回避成功だ。(危ねぇ〜…)
切田くんは心底ホッとして、そのまま暖かい湯船へと沈み込んだ。服だけ溶かす温感スライムだ。(……柔らかくて、あたたかくて、心地良いな。……最高だ。『スキル』で作った安心なんかより、こっちのほうがすっといい……)
(……また、膝枕でもしてくれているのだろうか。……なんだかんだで嬉しい……)身を任せる。ズブズブ沈む。(…あれ?…でも、何か変だ。なんだか全体が、あったかくて柔らかすぎるような…)東堂さんのスラリとしたシルエットを思い出し、首をひねる。(…えーと、その。違うんです。…いや、)
(…なんだ?)うっすらと目を開けると、背中の人物はビクリと反応した。
◇
「……起きたの?きみ……」夜に響く鈴の音。蠱惑の囁き。「…男の子だものね。丈夫なんだ…」――熱い吐息が、頬を撫でる。甘い声色が、ゾワゾワと鼓膜を直接揺らす。(…ふわぁぁ…)心地よい怖気が走った。
(…な、何っ!?)サイレン不発。急転直下に加速する鼓動。――焼け付く脳髄、グラグラ廻る三半規管。(……ふおお……)切田くんは背中からぎゅっと抱きつかれて、その腕に包み込まれていた。とにかく柔らかくて暖かい。暑いぐらいだ。(ウヒョー)
触れるほどに迫る、大人の女性の唇。「…寒くはない?身体は大丈夫?」ねっとりとした囁き。「……は、はい?……え、ええ。多分……」
「よかった。ふふ…」ぐいと引き込まれて、ピタリと冷たい頬が触れる。三角帽子とサラサラ髪の感触。「やっぱり男の子よね。…んー…」ふかっとした感触に更に呑み込まれる。
……吸い込まれる。
(…すっげ…)気持ちが良い。とても気持ち良い。(…やわらか…)
地面にぺたん座りをする彼女が、背中から腕ごと掻き抱いてきている。――甘い圧力の中、トクトクと伝わる鼓動が心地良い。頭が茹だって温野菜だ。(……し、沈む。体がぞわぞわする。……駄目に……駄目になりそう……)
(…いや、待ってぇ!?)至福の快楽に翻弄されながらも、現在の状況がまったく理解出来ないことに気づいた。(なぁにコレぇ!?)
「…ど、どういうことなんです…?」「はぁ~、楽し。…しあわせ」飼い猫にするみたいに頬をぐりぐりしてくる。もっちりスベスベだ。……眉シワ猫の「なんやの」顔さえ見える。切田くんは、再度、辛抱強く問いかけた。「すみません。その、…僕たちは敵ですよね?」
「意地悪言わない」
「…あの、放してもらえます?」
「だーめ」「……」(だーめて)
「…はぁ。こうすることでしか摂取できない養分。…ん〜、埋まる〜…」駄目である。取り付く島がない。抱きつかれて頬をかいぐりかいぐりされている。(…何なのホント。お姉さん気分でからかわれているのか?)先程までお互いの命を奪い合っていた熱い仲である。からかうだのからかわないだの、そんな考えさえおかしく感じた。(約束されたご都合ハーレム展開なのかも。ボーナス回だ。前世の徳でも積みすぎたかな?マニ車回したり逃がす小鳥を買ったりして)
(違いますよね。知ってた)仕方がないので切田くんは、現状をよく観察してみることにした。
(…拘束されている、というほどでもない)腕ごと抱き締められてはいるが、うら若き女性の細腕だ。切田くんでも簡単に振り払えそうだ。
受傷した腹部をさすってみる。(ベッタベタやないかワレェ)……重ね着した衣服には切れ込みが入ったまま。濡れた肌に傷口の感触はなく、血と薬品の匂いがする。(開腹痕が消えている?……これ、誰かの言ってたポーションってやつかな。ゲームでよくある…)
(薬ひとつで瀕死の重傷が回復する?この世界バランス悪くない?)
かっ捌かれはしたものの、中身ごと膾切りにされたわけではない。……ショックと貧血で気を失っただけかも、などと思い至り、死に際に散々盛り上がった切田くんは無性に恥ずかしくなってきた。(…ああ、もう。ちゃんと瀕死でしたし。…だけど、どうして彼女は僕を回復させたんだ?)(…いや、まあこれは『精神力回復』が目当てだろう…)
(…だけど、…うーん、変です。こんなにもなるものなの?)異様を越えて事態は珍妙である。ボーナス回どころか闇さえ感じる。ほっぺぐりぐり。(…やめろ〜…)敵である『魔女』は安らぎ、明らかに油断しきっているように見える。(…奇妙だ。…見えない力が働いている?やはり『精神力回復』には、僕の知らない特殊効果があるのか…?)
……ふと影を差す、昏い感覚。(……だとしたら、『マジックボルト』で今なら確実に先制できる……)
即座に首を振る。(違うだろ、切田類。通常弾は『障壁』に防がれ、チャージを見せれば殺される。状況は悪いままなんだ。変わってない)
(…だけど、…やっぱり変だ。はたして今のこの人に、そんな考えはあるのか?)意を決し、直接聞いてみることにする。もういいや。ポーイ。「…えーと、この隙をついてですね。僕があなたを攻撃するとは考えないんですか?」
べったり『魔女』は断言した。「しないでしょう?攻撃」「…えっ?」
「きみは私を攻撃できない。だって」
「きみは苦労してきた、落ち着いた人だもの」
「……」切田くんは黙り込む。降って湧いたような突拍子もない答え。……しかし彼には、その答えが間違いだとも思えなかった。
年上のグラマー美女は嬉しそうに、幼子のように嬉々として語る。「だから、きみを救った私に対し、きみが『馬鹿め』と攻撃してくることは決して無い。きみにはそれをするだけの軽挙さや、せせら笑いが足りない」
「そうでしょう?それが嬉しいの。伝わるかしら。…ふふ…」
弾む艶笑。楽しげな気配。抱かれし上腕に、ぎゅっと強い力が籠もった。(…ぐうっ…)ふかふかに更に呑み込まれる。しかも大人の良い匂いまでする。わけがわからない。(……へぁぁ……)緩やかに溶かされて、意識が真っ白になる。――されるがままの全身を、しびれが支配する。(……なんか、すごい……)半溶けの切田くんに、『魔女』は優しく問いかけてきた。「ねえ、きみの名前は?」
「……切田類です」「へぇ、ルイ=キルタ?意外とこの辺風の名前なんだ。私はブリギッテ。ブリギッテ=ネルヴァ」彼女は得意げに、つらつらと語った。
「悪名高きネルヴァ商会の放蕩娘にして、『呪殺の魔女』とも呼ばれているわ。業界内では結構、名が通っているのよ。聞いたこと無い?」
「…いえ。…それよりブリギッテさん、何故僕を助けたんです?確かに恩義は感じていますが、どうして」
「ふふ。きみに初めて会った時、私の望みを伝えたわ。覚えてる?」背後の彼女が、ニッコリと笑ったのがわかった。
「きみは私のものになるのよ。ルイくん」
「……ああ、やっと見つけた!」ブリギッテは、深く深く息を吐いた。「…探していなかった。諦めていた。…だから、思ってもみなかった!…すごくうれしい…」溢れ出る歓喜の奔流に、切田くんはもう、どうすれば良いのかわからなくなっていた。
当惑する腕の中を覗き込み、『魔女』は諭す口調で続ける。「ルイくん。きみが落ち着いてるのは、苦労してきたからだって言ったわ」「え?…ええ」
「きみの落ち着きはね、ただの目先の苦労で身につくものではない。あなたは道理を導き出して来た人よ。仕組みを辿り、繋げてきた人」
「…安い演技と抑えた声で『落ち着いている自分』をアピールするような、そんなうんざりする人達とは違う。あなたは他人に言われるままでなく、自分で道理を求めてきた人」
「…わたしたちは来た道は違えど、同じ時を生きて来た。それが、とっても嬉しいの…」
「……だから、わたしたちはわかり合える……」情念の暖かみが、重みとなって直接もたれかかってくる。やわらか。……うっとりと、囁きかける声。
「…ほら。その証拠に、こうしているとすっごく落ち着くし…」
(……ぐっ……)心地よさとは裏腹に、切田くんの内側には焦燥が吹き荒れている。胸の奥がどんどん苦しくなり、耐えきれなくなる。「待ってください、ブリギッテさん。勘違いですよそれ」
「どうして?何が?」
(…自分が不利になるだけのことを。…僕は何を言っているんだ…)「『スキル』ですよ、その落ち着くやつ。僕が持っているそういう『スキル』の効果なんです。僕自身がそうさせているわけじゃない。あなたは僕のことを買いかぶっているんですよ」
「ああ、なぁんだ」ブリギッテはホッとした。「だったらそれは、『あなた』でしょう?ルイくん」
「…えっ?」切田くんは黙り込む。
「ふふ。じんわり。楽しいね…」当惑する暇など与えられない。――情感の籠もる囁き声が、再び、ぞわぞわと耳穴を撫で始めた。「大事なところが重なり合っている私たちなら、他には決して出来ない事ができる。…そう。わかり合えるというのは、とても貴重で、尊いことだわ」
「…きみは、私のものになる…」彼女の奥底の熱が、増す。……囁きが、ひそひそと、微かな秘め事になる。「…だから…」――唇が、耳に軽く触れたのがわかった。
「……私も、きみのものになってあげる……」
「…私を好きにしていいよ…」
ふたりの鼓動が強く増したのが、双方に分かった。――ブリギッテはひどく慌て、赤面して裏返った声で続ける。「あの!…その。こういうの、あんまり認めたくもないんだけど…」
「男の人って、私みたいなタイプに性欲を感じるのでしょう?…ルイくんも、感じる?」
「…男の人は…まだ少し、怖いけど…」ゴクリと、つばを飲み込み、「ハァッ…」小さく息を吐き出す。「きみとなら、平気だと思うから…」
少年を抱える腕にギュッと力を込めて、彼女は空元気を振り絞った。「いいえ?私のほうがお姉さんですものね。まかせて。ちゃぁんとリードしてあげる」
「…きっとうまく出来る。…トロトロに溶け合って、一緒に混じり合えるわ…」
高揚を増す浅い吐息が、鼓膜を揺らして脳を揺らす。
「…そうなるように導いてあげる。…ルイくん…そうなったら、きっと、すっごく気持ちいいよ…?」
――耳鳴りがする。懇願の入り混じった囁き声が、遠くに聞こえる。「…どう?ルイくん…」
「……どうって……」「…嫌?」
頭がぼうっとする。……口をぽかんと半開きのまま、正直に答える。「……嫌じゃ…ないですけど……」
ホッ…と、深い安堵と深い微笑み。「…ふふ。じゃあ、こっちを向いて?」拘束の締め付けを緩めた呪腕が、――次元断層を越えて、妖しく蠢き始める。
「…さあルイくん。今から始めましょう…」相互の鼓動が、複雑に重なる。――ぬるりと裂け目に忍び込んだ指が、未だ乾かぬ濡れた素肌を伝う。……雑音を縫って、断片的に聞こえる声。「…私が教えてあげる。ゆっくりと…やさしく…」遠い声。耳鳴り。脈が煩い。動悸が激しすぎて息が出来なくなる。
「…わかり合うこと…感じ合うこと…」遠い声。焦熱に脳が焼け、……遠い声。衝動を伴った電流が、何度も何度も全身に走る。
切田くんは、彼女に言われたとおりにモゾモゾと振り返って、彼女の胸にのめり込もうとした。
――カリカリと、幻聴が聞こえた。(……なっ、なにかマズイっ!?)陶然と沸き立っていた頭が、冷や水を浴びせられたかの様に一瞬で冷える。(…『精神力回復』が効いていない!?効果が鈍くなっているのか!?…ぼ、ぼうっとしている場合じゃない、何か言わないと…)「待ってくださいっ!」
「えっ…」突然の制止に彼女はうろたえ、離したくないとばかりにギュッと抱き締めてくる。ブリギッテはしょもんとして、酷く悲しそうに問いかけた。「…嫌だった…?」「嫌じゃありませんよ!!」半ギレ。「……じゃなくて。その、そもそもっ!」「そもそもなあに?」
しどろもどろに、言葉を繰り出す。「戦いが終わった後で、あなた言ったじゃないですか。『盗賊ギルド』に連れていくって」
「でないと責任を問われてクビになるみたいなこと、言ってたじゃないですか」
「ああ、言ったわね。確かに」頬を寄せ潰し(ムギュ)、「言った言った」(…近い近い!)「…僕を『盗賊ギルド』に連れて行くという事は、僕はあなたのもとには残らない。そうなりますよね、ブリギッテさん」
「そうねぇ。そうなれば私は『一時的に』あなたの命を助けた。それだけで終わってしまっていたでしょうね」「…その話はどうなったんです」
「心配してくれるんだ?」「そんっ……」言い逃れのためだ。……とはいえ、ほんの僅かでも、気持ちが含まれている事も事実だろう。「……そうですよ」(…だからって、殆どが嘘だろうに…)
「…ふふ。優しいね?…ありがと」ブリギッテは軽い調子でクスクス笑った。「なんのことはない。簡単な話よ」諭す口調で、こともなげに言った。
「私とルイくん、そのふたりで『盗賊ギルド』の連中を皆殺しにすればいいの」
「……なんですって?」
「だってそうでしょう?ルイくんは、ガバナに組して『ギルド』を敵に回した。私は仕事の失敗を、態度ばかりの無能な屑たちに理不尽にいびられる。…元々、気に食わない人たちだったもの。いい機会だわ」
「私とルイくんなら簡単よ。ただでさえ食い詰め者が集まる場所だもの。民度も実力も知れたものよ」
「……」切田くんは、思わず絶句してしまった。
ブリギッテも釣られるようにまた、黙り込む。
「…ねえ。…私、間違ってる?」
……そして彼女は、聞くものすべてが不安になる、そんな声を出した。
「えっ」それは耳元で発せられたはずなのに、奇妙なほどに歪んで遠く聞こえる。「どうして黙っているの?ルイくん。私、なにか間違ったこと言ったかな」
「私が思っていることなんて、みんな私の勘違い」
「きみは私とは違う」
「……本当は、そう思っているの?……ルイくん……」
……本物の怖気が、背筋に走った。(…な、なにかマズイっ!嫌な予感しかしないっ!?…答えるんだ切田類。彼女が納得するだけの答えを!)――バサバサという音。頭上スレスレを掠めた白い鳥が、前方の屋根に降り立つ。コテンと首を傾げ、……凝視の視線。こちらをじっと見つめている。
挟み撃ちだ。
(……ぐうっ……)表情が、奇妙に歪んだ。絶望が津波みたいに押し寄せてくる。(…駄目だ。ここで戦っても勝てない!!)
(ここは黙って従うべきなのか?…言われたことに追従し、あなたは正しいと迎合して、…今は作り笑いを浮かべるべきなの?)
(……さあ、どうする……切田類……?)
◇
すぐに頭を振る。(…駄目だ。やはり従うわけにはいかない。とにかく今は東堂さんのところに戻らないと。…でないと彼女は『本当に』、短刀を喉に突き刺す可能性が高いんだ)
(『スキル』の侵食の件だってある。約束だの信頼だのを持ち出すまでもない、戻るしかないんだ)選択は否定。剣呑さを剥き出しにする相手にぶつけるには、あまりに胃が重い。つらい。(…ぐぇぇ…)
(いや、ここは引けないライン。こんな異世界に東堂さん一人で放っぽり出す気かよ。論外なんだよ)歯を食いしばり、抜け道がないか、地図を広げて山道を探る。(誤魔化すだけの嘘はつきたくない。ブリギッテさんは、敗死寸前の僕の命を拾ってくれた恩人なんだぞ?)
(…それに、この人は道理を突き詰める人だから、言葉と状況、読み取られたパーソナリティから、不実な言動は察知される可能性が高い…)道が狭まり獣道だ。遭難寸前。(もはや、危険を承知で真っ直ぐに行くしかない。…心の共感を大切にする人なら、分かってくれると信じたい。彼女だって、僕とはわかり合えるって言ってたじゃないか)
(……だけど……)昏い考えが、よぎる。
(…人同士が『本当に』分かり合えるっていうのはさ、欲も感情も乗り越えて、お互いを理解して尊重し合える関係、ってことだろう?)
(……僕は、そんなことが出来る人間じゃあない……)胸の奥が、ギュッと締め付けられる。(…この人だってそうなんじゃないの?『賢者』がそうそういるものか。どれだけ理屈を積んだって、僕は未だに気分でものを言ってしまう…)
(彼女だって結局、共感と同調を迫ることで僕を取り込んで、『精神力回復』の効果を得たいだけなんじゃないの?)
(…言いがかりだろうか。僕が強い相手にマウント取って、馬鹿にして気持ち良くなりたいだけ?…でも、そうじゃないとおかしいじゃないか。…僕なんて…)『精神力回復』が、カリッと音を立てた気がした。(思いつめても仕方がない。行こう)
「…すみません。離してください」
「あっ…」緩んだ腕を強引に押しのけ、立ち上がる。
「ブリギッテさん。僕はあなたと一緒にはいけません」
「…っ!」座り込んだままの彼女が、動揺に揺れた。
後ろめたくも、引くに引けない。「助けてくれたことは感謝しています。それに、あなたの気持ちを踏みにじりたくなんてありません」
「…でも、僕は行かないと」
彼女はうつむく。――帽子に隠れ、表情が見えなくなる。「…あの娘のところに行くの?」
「……」躊躇を押し殺し、はっきりと答えた。「そうです」
うつむいたままの彼女は、ボソリボソリと言葉を並べる。「…駄目よ」
「駄目。許さない」
「だってそれじゃあ」
「助けた意味、ない」
「…あなたのすることは手伝います」
「……」沈黙が答える。
「『盗賊ギルド』、皆殺しにするんでしょう?」舌が滑って浮つく。「僕の力が必要だと言ってくれるのは嬉しいし、命の恩は返したい。でも今は、戻らなければいけない事情があるんです」
「…わかってください。そうしなければいけないんです。その後ならば」
___________________________
『引っ込んでいなさい』『うまく行くわけがない』『ぜったい贔屓』『わけのわからない事ばかり…』『かわいくない子』『死んで清々したわ』『折角仲良くしてあげたのに!』『いやあ、優秀な人が来てくれて』『皆の力を合わせて』『誘ったくせに!』『まあまあ、お互いに悪いところも』『なぁ、戻ってこいよ』『行くとこなんて無いくせに』『優秀ぶって』『協調性だよ。歩み寄る気がない』『なんだ、あいつ』『頭悪そう』『詠唱を潰せっ!口さえ塞げば』『お前自身が怖いからだろ!』『……おかしくしたのは、お前のほうだ』
___________________________
「…どうしてそんな意地悪を言うの…?」
――冷たさ。不安定さ。そして空虚さを漂わせ、『魔女』の声が夜に響いた。「あなたがそんなに意地悪を言うのなら…これだけは言いたくなかったけれど」
「ルイくん。きみのお腹の中にね、爆弾が仕掛けてあるの」