表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/80

ラブコメの波動

 ()まわしきガバナの刺客(しかく)、地面を()()る覆面魔術師は、「…フフッ…」無様(ぶざま)な悪あがきを散々(さんざん)続けた(すえ)に、とうとう力尽(ちからつ)きて動かなくなった。


「あらあら〜?も〜ぉ死にかけているのかしら。ピカピカ光って身を(さら)す、ヒーロー気取りのマスクマンさんが?無様(ぶざま)だこと」その滑稽(こっけい)なざまを、夜空を()うブランシェを(とお)して見るブリギッテが、笑う。


 ――その姿、淫靡(いんび)なる魔性。闇をも(はじ)蠱惑(こわく)の影が、蒼く(つや)やかに浮かび上がる。


 大きな三角帽子の(つば)夜陰(やいん)、締め付けに(つぶ)れる(ほど)(やわ)らかな双丘(そうきゅう)。くびれたラインを強調する、ボンテージ風の『魔女』の装束(しょうぞく)。タイトなスカートとロングブーツの合間、()()()()とした張りの良い太ももが、白影となって夜に浮き出る。「勘違(かんちが)いもここまで来ると笑えないわね。()()()()は期待してあげたのに」


貴方(あなた)ときたら、知略(ちりゃく)と見せかけ騎士ごっこ、命を(さら)してバァタバタ。…どっちなの?何がしたいのかしら?」


「うふふー。とぉっても笑えるー」



「……」黙り込み、腕を組んで、しかめっ面でパタパタと足裏を()()らす。



「…ああ、もうっ!」我慢(がまん)しきれずに()れきった声を上げた。「よけいな面倒をかけてくれる。そんな身体で動いたら、そうなっちゃうに決まっているでしょう?」


「…ブランシェ、動きがあったら知らせて。今()()に死なれては困るの。そっちに向かう」白いフクロウのブランシェは、『ホゥ』と一言だけ返す。


「……えっ……『ごはん』?」


「ちょ、ちょっと待って、ブランシェ。今は待て、よ。ね?」不満そうに『クルル…』と返した。「…ゴメンって。まったく、文句が多いね君は…」



 ◇



 (まがつ)なりやし異界の呪腕(じゅわん)不可知(ふかち)鉤爪(かぎづめ)にて怨敵(おんてき)四人を()()()きし、闇側(ダークサイド)尖兵(せんぺい)。――女魔術師『呪殺の魔女』。条理(じょうり)の月明かりを身に(まと)い、暗夜(あんや)貧民窟(ひんみんくつ)()()()()。ぶつぶつ。「……ああ、もう。お金だの契約だの、()()というのは本当に面倒くさい……」


寄越(よこ)さずば死ねだの、死にたくなくば働け、だの。……馬鹿馬鹿しい。結局は抑圧(よくあつ)(たね)にしか使われていないじゃない。……ここね」屋根上より聞こえる『ギャッ』という鳴き声に、ブリギッテは気兼(きが)ねなく答えた。「ありがとブランシェ。…今死なれたら、やっとのプランが台無(だいな)しになるのよ。まったく…」



「…『魔力よ、()らせ』。【ライト(灯火)】」



 不思議な明かりが(とも)った。光源は見当たらない。


 先程(さきほど)まで戦いを()(ひろ)げていたガバナの覆面魔術師が、――今は、力尽(ちからつ)()て地面に(ころ)がっている。


 覆面を()いだ状態で()()()仰向(あおむ)けに伸びており、土塊(つちくれ)の道には背中で()った血のラインが残っている。「よーやるわ、本当(ホント)」フンと鼻で笑う。


「これだから虫に(さわ)るのは嫌なのよ。居るだけで面倒増やして、押し付けて。…何その覆面。ダサ。ブ(おとこ)だか疵面(しめん)だか、中身を見せられる(がわ)の身にも…」


「……」


「……子供?」



 目を()らしたブリギッテは、その光景に思わず(いき)()んだ。近くで見る敵の姿は、どう見ても年若い少年にしか見えない。



「待って。嘘でしょ?」


「本当に子供?ガバナはこんな子まで殺し屋に使うの?」苛立(いらだ)ちを(あらわ)にし、「…これだもの…」スタスタと歩み寄る。


「薬屋の話も納得出来るということ?…後味悪いのよ。忌々(いまいま)しい」そして彼女は、酷く沈痛(ちんつう)様相(ようそう)で、少年の(かたわ)らにかがみ込んだ。



「……(ひど)い……」無残(むざん)有様(ありさま)だった。



 腹部の裂傷(れっしょう)だけではない。肩は(やいば)によって切り裂かれ、あどけなさを残す顔には()()()酷く(なぐ)りつけられた(あと)がある。ボコボコに()()がって鼻が曲がり、鼻血の流れた痕跡(こんせき)もある。


 手足や衣服に反撃を(おこな)った形跡(けいせき)はない。明らかに内部的、一方的に(さら)された暴力。――少年の髪を、そっとかきあげる。「…こんなにも傷ついて…」……何故(なぜ)か、郷愁(きょうしゅう)めいた、不思議な感覚。



「……この子……昼間の……?」不意に彼女は()()()()に気づいた。



「……どうして……」



 しばし呆然(ぼうぜん)とした彼女は、(あわ)てて赤い液体の入ったガラス(びん)を取り出し、躊躇(ちゅうちょ)なくポンと、コルク(せん)を開けた。



 ◇



 ――意識の黎明(れいめい)。力が抜け、(こご)えるほどに寒い。


 拘束(こうそく)(くびき)。…動く事は出来ない。抜け出ることさえ(ゆる)されぬ、深淵(しんえん)暗渠(あんきょ)()(ほそ)る体を徐々(じょじょ)(むしば)む、夜世界の冷たい空気。


 ……そして、ふわりとした感触。まとわり(しず)氷温泥土(ひょうおんでいど)より引き上げ、不吉から遠ざけてくれている。冷え切った(から)身体(からだ)(つつ)む、不思議な熱。



 空洞(くうどう)(おり)、じんわりと意識が浮かび上がってくるのが分かる。(……あ、れ……?)


(……生きてる…?)切田くんは戸惑(とまど)う。――そんなわけはない。自分は死んだ。(……何だか気持ちがいい。……安心する……)


(……なんで……)()()()()()()と意識を向けると、自分は今、柔らかい感触に(つつ)まれて、身体に熱を()(あた)えられている。(…雪山かな?)とても心地良い気分だ。(…あったけぇ〜…)(とく)した感じ。


 ……(はる)か遠く(しず)みそうな思考の奥、現在の状況を整理してみる。(……なるほど。東堂さんが来てくれたんだ。……だから生きてる……)死亡確認は一日ぶり二回目。男塾とタメを()れそうだ。(…ふむ。絶対に来ないだなんて、僕の思い込みだったな…)


(何事にも(まぎ)れは有る。…たとえば僕が出発した後で、敵の正しい情報が入ってきたとか。だったら来てもおかしくはない…)つまるところ、どうやら自分は助かって、そして死なずに生きているのだ。バンザイ。勝利である。


 ならば何も心配いるまい。キルタ・オブ・ザ・デッドもおばけキルタの成り上がりも、意識を持った標本(ひょうほん)エンドも回避成功だ。((あっぶ)ねぇ〜…)


 切田くんは心底ホッとして、そのまま(あたた)かい湯船へと(しず)()んだ。服だけ()かす温感(おんかん)スライムだ。(……(やわ)らかくて、あたたかくて、心地良いな。……最高だ。『スキル』で作った安心なんかより、こっちのほうがすっといい……)


(……また、膝枕でもしてくれているのだろうか。……なんだかんだで(うれ)しい……)()(まか)せる。ズブズブ(しず)む。(…あれ?…でも、(なん)か変だ。なんだか全体が、あったかくて(やわ)らかすぎるような…)東堂さんのスラリとしたシルエットを思い出し、首をひねる。(…えーと、その。違うんです。…いや、)



(…なんだ?)うっすらと目を開けると、背中の人物はビクリと反応した。



 ◇



「……起きたの?きみ……」夜に響く(すず)()蠱惑(こわく)(ささや)き。「…男の子だものね。丈夫(じょうぶ)なんだ…」――熱い吐息(といき)が、(ほほ)()でる。甘い声色(こわいろ)が、()()()()鼓膜(こまく)を直接()らす。(…ふわぁぁ…)心地よい怖気(おぞけ)(はし)った。


(…な、何っ!?)サイレン不発(鳴らず)。急転直下に加速する鼓動(こどう)。――焼け付く脳髄(のうずい)、グラグラ(まわ)る三半規管。(……ふおお……)切田くんは背中からぎゅっと()きつかれて、その(かいな)(つつ)()まれていた。とにかく(やわら)らかくて(あたた)かい。暑いぐらいだ。(ウヒョー)


 ()れるほどに(せま)る、大人の女性の唇。「…寒くはない?身体は大丈夫?」()()()()とした(ささや)き。「……は、はい?……え、ええ。多分……」


「よかった。ふふ…」()()と引き込まれて、ピタリと冷たい頬が()れる。三角帽子とサラサラ髪の感触。「やっぱり男の子よね。…んー…」ふかっとした感触に(さら)()()まれる。


 ……吸い込まれる。



(…すっげ…)気持ちが良い。とても気持ち良い。(…やわらか…)



 地面にぺたん座りをする彼女が、背中から腕ごと()(いだ)いてきている。――甘い圧力の中、トクトクと(つた)わる鼓動(こどう)心地良(ここちよ)い。頭が()だって温野菜だ。(……し、(しず)む。体がぞわぞわする。……駄目に……駄目になりそう……)


(…いや、待ってぇ!?)至福(しふく)の快楽に翻弄(ほんろう)されながらも、現在の状況がまったく理解出来ないことに気づいた。(なぁにコレぇ!?)


「…ど、どういうことなんです…?」「はぁ~、楽し。…しあわせ」飼い猫にするみたいに頬を()()()()してくる。もっちりスベスベだ。……眉シワ猫の「なんやの」顔さえ見える。切田くんは、再度、辛抱強(しんぼうづよ)く問いかけた。「すみません。その、…僕たちは敵ですよね?」


「意地悪言わない」


「…あの、(はな)してもらえます?」


「だーめ」「……」(だーめて)


「…はぁ。こうすることでしか摂取(せっしゅ)できない養分。…ん〜、()まる〜…」駄目(だーめ)である。取り付く島がない。()きつかれて(ほほ)をかいぐりかいぐりされている。(…何なのホント。お姉さん気分でからかわれているのか?)先程(さきぼど)までお互いの命を(うば)()っていた熱い仲である。()()()()だの()()()()()()だの、そんな考えさえおかしく感じた。(約束されたご都合(つごう)ハーレム展開なのかも。ボーナス回だ。前世の徳でも()みすぎたかな?マニ車回したり逃がす小鳥を買ったりして)


(違いますよね。知ってた)仕方がないので切田くんは、現状をよく観察してみることにした。


(…拘束(こうそく)されている、というほどでもない)腕ごと()()められてはいるが、うら若き女性の細腕だ。切田くんでも簡単に()(はら)えそうだ。


 受傷した腹部をさすってみる。(ベッタベタやないかワレェ)……重ね着した衣服には切れ込みが入ったまま。()れた(はだ)に傷口の感触はなく、血と薬品の(にお)いがする。(開腹痕が消えている?……これ、誰かの言ってたポーションってやつかな。ゲームでよくある…)


(薬ひとつで瀕死の重傷が回復する?この世界バランス悪くない?)


 ()()()()()はしたものの、中身ごと(なます)切りにされたわけではない。……ショックと貧血で気を(うしな)っただけかも、などと(おも)(いた)り、()(ぎわ)散々(さんざん)盛り上がった切田くんは無性(むしょう)()ずかしくなってきた。(…ああ、もう。ちゃんと瀕死(ひんし)でしたし。…だけど、どうして彼女は僕を回復させたんだ?)(…いや、まあこれは『精神力回復』が目当てだろう…)


(…だけど、…うーん、変です。()()()()()なるものなの?)異様(いよう)()えて事態は珍妙(ちんみょう)である。ボーナス回どころか闇さえ感じる。ほっぺぐりぐり。(…やめろ〜…)敵である『魔女』は安らぎ、明らかに油断しきっているように見える。(…奇妙(きみょう)だ。…見えない力が働いている?やはり『精神力回復』には、僕の知らない特殊効果があるのか…?)



 ……()()影を差す、昏い感覚。(……だとしたら、『マジックボルト』で今なら確実に先制できる……)



 即座(そくざ)に首を振る。((ちが)うだろ、切田類。通常弾は『障壁』に(ふせ)がれ、チャージを見せれば殺される。状況は悪いままなんだ。変わってない)


(…だけど、…やっぱり変だ。はたして今のこの人に、そんな考えはあるのか?)意を決し、直接聞いてみることにする。もういいや。ポーイ。「…えーと、この(すき)をついてですね。僕があなたを攻撃するとは考えないんですか?」


 べったり『魔女』は断言(だんげん)した。「しないでしょう?攻撃」「…えっ?」


「きみは私を攻撃できない。だって」



()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「……」切田くんは(だま)()む。()って()いたような突拍子(とっぴょうし)もない答え。……しかし彼には、その答えが間違いだとも思えなかった。


 年上のグラマー美女は(うれ)しそうに、幼子(おさなご)のように嬉々(きき)として(かた)る。「だから、きみを(すく)った私に対し、きみが『馬鹿め』と攻撃してくることは決して無い。きみにはそれをするだけの軽挙(けいきょ)さや、せせら笑いが足りない」


「そうでしょう?それが(うれ)しいの。(つた)わるかしら。…ふふ…」


 (はず)艶笑(えんしょう)(たの)しげな気配。(いだ)かれし上腕(じょうわん)に、ぎゅっと強い力が()もった。(…ぐうっ…)ふかふかに(さら)()()まれる。しかも大人の良い匂いまでする。わけがわからない。(……へぁぁ……)(ゆる)やかに()かされて、意識が真っ白になる。――されるがままの全身を、()()()が支配する。(……なんか、すごい……)半溶けの切田くんに、『魔女』は優しく問いかけてきた。「ねえ、きみの名前は?」


「……切田類です」「へぇ、ルイ=キルタ?意外とこの辺風の名前なんだ。私はブリギッテ。ブリギッテ=ネルヴァ」彼女は得意(とくい)げに、つらつらと(かた)った。


「悪名高きネルヴァ商会の放蕩娘(ほうとうむすめ)にして、『呪殺の魔女』とも呼ばれているわ。業界内では結構、()(とお)っているのよ。聞いたこと無い?」


「…いえ。…それよりブリギッテさん、何故(なぜ)僕を助けたんです?確かに恩義(おんぎ)は感じていますが、どうして」


「ふふ。きみに初めて会った時、私の(のぞ)みを(つた)えたわ。覚えてる?」背後の彼女が、ニッコリと笑ったのがわかった。




()()()()()()()()()()()()。ルイくん」




「……ああ、やっと見つけた!」ブリギッテは、深く深く息を()いた。「…探していなかった。(あきら)めていた。…だから、()()()()()()()()()!…すごくうれしい…」(あふ)()歓喜(かんき)奔流(ほんりゅう)に、切田くんはもう、どうすれば良いのかわからなくなっていた。


 当惑(とうわく)する腕の中を覗き込み、『魔女』は(さと)す口調で続ける。「ルイくん。きみが落ち着いてるのは、苦労してきたからだって言ったわ」「え?…ええ」


「きみの落ち着きはね、ただの目先(めさき)の苦労で身につくものではない。あなたは道理を(みちび)()して来た人よ。仕組みを辿(たど)り、(つな)げてきた人」


「…安い演技と(おさ)えた声で『落ち着いている自分』をアピールするような、そんな()()()()する人達とは違う。あなたは他人に言われるままでなく、自分で道理を(もと)めてきた人」


「…わたしたちは来た道は(ちが)えど、同じ時を生きて来た。それが、とっても(うれ)しいの…」


「……だから、わたしたちはわかり合える……」情念の(あたた)かみが、重みとなって直接もたれかかってくる。やわらか。……()()()()と、(ささや)きかける声。



「…ほら。その証拠(しょうこ)に、こうしているとすっごく落ち着くし…」



(……ぐっ……)心地(ここち)よさとは裏腹に、切田くんの内側には焦燥(しょうそう)()()れている。胸の奥がどんどん苦しくなり、()えきれなくなる。「待ってください、ブリギッテさん。勘違(かんちが)いですよそれ」


「どうして?何が?」


(…自分が不利になるだけのことを。…僕は何を言っているんだ…)「『スキル』ですよ、その落ち着くやつ。僕が持っているそういう『スキル』の効果なんです。僕自身がそうさせているわけじゃない。あなたは僕のことを買いかぶっているんですよ」


「ああ、なぁんだ」ブリギッテはホッとした。「だったらそれは、『あなた』でしょう?ルイくん」


「…えっ?」切田くんは黙り込む。


「ふふ。じんわり。楽しいね…」当惑(とうわく)する(ひま)など(あた)えられない。――情感(じょうかん)()もる(ささや)き声が、(ふたた)び、()()()()と耳穴を()(はじ)めた。「大事なところが(かさ)なり()っている私たちなら、(ほか)には決して出来ない事ができる。…そう。わかり合えるというのは、とても貴重(きちょう)で、(とうと)いことだわ」


「…きみは、私のものになる…」彼女の奥底の熱が、増す。……(ささや)きが、()()()()と、(かす)かな秘め事になる。「…だから…」――(くちびる)が、耳に軽く()れたのがわかった。




「……私も、きみのものになってあげる……」




「…私を好きにしていいよ…」




 ふたりの鼓動(こどう)が強く増したのが、双方に分かった。――ブリギッテはひどく(あわ)て、赤面(せきめん)して裏返った声で続ける。「あの!…その。こういうの、あんまり(みと)めたくもないんだけど…」


「男の人って、私みたいなタイプに性欲(せいよく)を感じるのでしょう?…ルイくんも、感じる?」


「…男の人は…まだ少し、怖いけど…」ゴクリと、つばを飲み込み、「ハァッ…」小さく息を吐き出す。「きみとなら、平気だと思うから…」


 少年を(かか)える腕にギュッと力を込めて、彼女は空元気(からげんき)()(しぼ)った。「いいえ?私のほうがお姉さんですものね。まかせて。ちゃぁんとリードしてあげる」


「…きっとうまく出来る。…トロトロに溶け合って、一緒に混じり合えるわ…」



 高揚(こうよう)()す浅い吐息が、鼓膜(こまく)()らして脳を()らす。



「…そうなるように導いてあげる。…ルイくん…そうなったら、きっと、すっごく気持ちいいよ…?」



 ――耳鳴りがする。懇願(こんがん)の入り混じった(ささや)き声が、遠くに聞こえる。「…どう?ルイくん…」


「……どうって……」「…嫌?」


 頭が()()()()する。……口をぽかんと半開きのまま、正直に答える。「……嫌じゃ…ないですけど……」


 ホッ…と、深い安堵(あんど)と深い微笑み。「…ふふ。じゃあ、こっちを向いて?」拘束(こうそく)()()けを(ゆる)めた呪腕(じゅわん)が、――次元断層を越えて、(あや)しく(うごめ)き始める。


「…さあルイくん。今から始めましょう…」相互(そうご)鼓動(こどう)が、複雑に(かさ)なる。――()()()と裂け目に(しの)()んだ指が、(いま)(かわ)かぬ()れた素肌を(つた)う。……雑音を()って、断片的(だんぺんてき)に聞こえる声。「…私が教えてあげる。ゆっくりと…やさしく…」遠い声。耳鳴り。(みゃく)(うるさ)い。動悸(どうき)が激しすぎて息が出来なくなる。


「…わかり合うこと…感じ合うこと…」遠い声。焦熱(しょうねつ)に脳が焼け、……遠い声。衝動を(ともな)った電流が、何度も何度も全身に走る。


 切田くんは、彼女に言われたとおりに()()()()と振り返って、彼女の胸にのめり込もうとした。


 ――カリカリと、幻聴が聞こえた。(……なっ、なにかマズイっ!?)陶然(とうぜん)()()っていた頭が、()(みず)()びせられたかの様に一瞬で冷える。(…『精神力回復』が()いていない!?効果が(にぶ)くなっているのか!?…ぼ、ぼうっとしている場合じゃない、何か言わないと…)「待ってくださいっ!」


「えっ…」突然の制止に彼女はうろたえ、離したくないとばかりにギュッと抱き締めてくる。ブリギッテは()()()()として、酷く悲しそうに問いかけた。「…嫌だった…?」「嫌じゃありませんよ!!」半ギレ。「……じゃなくて。その、そもそもっ!」「そもそもなあに?」


 しどろもどろに、言葉を()り出す。「戦いが終わった後で、あなた言ったじゃないですか。『盗賊ギルド』に連れていくって」


「でないと責任を()われてクビになるみたいなこと、言ってたじゃないですか」


「ああ、言ったわね。確かに」頬を()(つぶ)し(ムギュ)、「言った言った」(…近い近い!)「…僕を『盗賊ギルド』に連れて行くという事は、僕はあなたのもとには残らない。そうなりますよね、ブリギッテさん」


「そうねぇ。そうなれば私は『一時的に』あなたの命を助けた。それだけで終わってしまっていたでしょうね」「…その話はどうなったんです」


「心配してくれるんだ?」「そんっ……」()(のが)れのためだ。……とはいえ、ほんの(わず)かでも、気持ちが(ふく)まれている事も事実だろう。「……そうですよ」(…だからって、(ほとん)どが嘘だろうに…)


「…ふふ。優しいね?…ありがと」ブリギッテは軽い調子でクスクス笑った。「なんのことはない。簡単な話よ」(さと)す口調で、こともなげに言った。




「私とルイくん、そのふたりで『盗賊ギルド』の連中を()()()にすればいいの」




「……なんですって?」



「だってそうでしょう?ルイくんは、ガバナに(くみ)して『ギルド』を敵に回した。私は仕事の失敗を、態度ばかりの無能な(クズ)たちに理不尽(りふじん)()()()()()。…元々(もともと)、気に食わない人たちだったもの。いい機会だわ」


「私とルイくんなら簡単よ。ただでさえ()()(もの)が集まる場所だもの。民度(みんど)も実力も知れたものよ」



「……」切田くんは、思わず絶句してしまった。


 ブリギッテも()られるようにまた、黙り込む。




「…ねえ。…私、間違ってる?」




 ……そして彼女は、聞くものすべてが不安になる、そんな声を出した。


「えっ」それは耳元で発せられたはずなのに、奇妙なほどに(ゆが)んで遠く聞こえる。「どうして(だま)っているの?ルイくん。私、なにか間違ったこと言ったかな」


「私が思っていることなんて、みんな私の勘違(かんちが)い」


()()()()()()()()




「……本当は、そう思っているの?……ルイくん……」




 ……本物の怖気(おぞけ)が、背筋に走った。(…な、なにかマズイっ!嫌な予感しかしないっ!?…答えるんだ切田類。彼女が納得するだけの答えを!)――バサバサという音。頭上スレスレを(かす)めた白い鳥が、前方の屋根に降り立つ。コテンと首を(かし)げ、……凝視(ぎょうし)の視線。()()()をじっと見つめている。



 (はさ)()ちだ。



(……ぐうっ……)表情が、奇妙に(ゆが)んだ。絶望が津波みたいに押し寄せてくる。(…駄目だ。ここで戦っても勝てない!!)


(ここは(だま)って(したが)うべきなのか?…言われたことに追従(ついじゅう)し、あなたは正しいと迎合(げいごう)して、…今は作り笑いを浮かべるべきなの?)


(……さあ、どうする……切田類……?)



 ◇



 すぐに(かぶり)を振る。(…駄目だ。やはり(したが)うわけにはいかない。とにかく今は東堂さんのところに戻らないと。…でないと彼女は『本当に』、短刀を(のど)に突き刺す可能性が高いんだ)


(『スキル』の侵食(しんしょく)の件だってある。約束だの信頼だのを持ち出すまでもない、()()()()()()んだ)選択は否定。剣呑(けんのん)さを()しにする相手にぶつけるには、あまりに胃が重い。つらい。(…ぐぇぇ…)


(いや、ここは引けないライン。こんな異世界に東堂さん一人で()っぽり出す気かよ。論外(ろんがい)なんだよ)歯を食いしばり、抜け道がないか、地図を広げて山道を探る。(誤魔化すだけの嘘はつきたくない。ブリギッテさんは、敗死寸前の僕の命を(ひろ)ってくれた恩人なんだぞ?)


(…それに、この人は道理を突き詰める人だから、言葉と状況、読み取られたパーソナリティから、不実(ふじつ)言動(げんどう)察知(さっち)される可能性が高い…)道が(せば)まり獣道(けものみち)だ。遭難寸前(そうなんすんぜん)。(もはや、危険を承知(しょうち)で真っ直ぐに行くしかない。…心の共感を大切にする人なら、分かってくれると信じたい。彼女だって、僕とはわかり合えるって言ってたじゃないか)



(……だけど……)昏い考えが、よぎる。



(…人同士が『本当に』分かり合えるっていうのはさ、欲も感情も乗り越えて、お互いを理解して尊重(そんちょう)し合える関係、ってことだろう?)


(……僕は、そんなことが出来る人間じゃあない……)胸の奥が、ギュッと締め付けられる。(…この人だってそうなんじゃないの?『賢者』がそうそういるものか。どれだけ理屈を()んだって、僕は(いま)だに気分でものを言ってしまう…)


(彼女だって結局、共感と同調を(せま)ることで僕を取り込んで、『精神力回復』の効果を()たいだけなんじゃないの?)


(…言いがかりだろうか。僕が強い相手にマウント取って、馬鹿にして気持ち良くなりたいだけ?…でも、そうじゃないとおかしいじゃないか。…僕なんて…)『精神力回復』が、カリッと音を立てた気がした。(思いつめても仕方がない。行こう)


「…すみません。離してください」



「あっ…」(ゆる)んだ腕を強引に押しのけ、立ち上がる。


「ブリギッテさん。僕はあなたと一緒にはいけません」



「…っ!」座り込んだままの彼女が、動揺(どうよう)()れた。



 後ろめたくも、引くに引けない。「助けてくれたことは感謝しています。それに、あなたの気持ちを()みにじりたくなんてありません」


「…でも、僕は行かないと」


 彼女はうつむく。――帽子に隠れ、表情が見えなくなる。「…あの娘のところに行くの?」


「……」躊躇(ちゅうちょ)を押し殺し、はっきりと答えた。「そうです」


 うつむいたままの彼女は、ボソリボソリと言葉を並べる。「…駄目よ」


「駄目。許さない」


「だってそれじゃあ」


「助けた意味、ない」


「…あなたのすることは手伝います」


「……」沈黙が答える。


「『盗賊ギルド』、皆殺(みなごろ)しにするんでしょう?」舌が(すべ)って(うわ)つく。「僕の力が必要だと言ってくれるのは(うれ)しいし、命の恩は返したい。でも今は、(もど)らなければいけない事情があるんです」


「…わかってください。そうしなければいけないんです。()()()()()()


___________________________

『引っ込んでいなさい』『うまく行くわけがない』『ぜったい贔屓』『わけのわからない事ばかり…』『かわいくない子』『死んで清々したわ』『折角仲良くしてあげたのに!』『いやあ、優秀な人が来てくれて』『皆の力を合わせて』『誘ったくせに!』『まあまあ、お互いに悪いところも』『なぁ、戻ってこいよ』『行くとこなんて無いくせに』『優秀ぶって』『協調性だよ。歩み寄る気がない』『なんだ、あいつ』『頭悪そう』『詠唱を潰せっ!口さえ塞げば』『お前自身が怖いからだろ!』『……おかしくしたのは、お前のほうだ』

___________________________




「…どうしてそんな意地悪を言うの…?」




 ――冷たさ。不安定さ。そして空虚(くうきょ)さを(ただよ)わせ、『魔女』の声が夜に響いた。「あなたがそんなに意地悪を言うのなら…これだけは言いたくなかったけれど」


「ルイくん。きみのお腹の中にね、爆弾が仕掛けてあるの」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ