光る夜空
足元には、横一文字になったドアの上部が転がっている。(…ひぇぇ…)――斬りつけたと言うにはブレの無さすぎる、工業機械で切断されたみたいな断面だ。切田くんが避けたお陰で、身代わりに被害を被ったのだ。(…ドア?…ドア!?…し、死んで、…僕の、せい、で…)
(……ドアァーーーッ!!)滂沱の感覚。(…ううっ…)ホントに泣きたい。(…剣豪ものならズルっといくやつだ。竹や灯籠みたいに。…ああ、くそっ…)
(……こんなん初見殺しもいいところだろ……)改めてゾッとする。もし、ダズエルの咎める声が上がらなければ、こうなっていたのは自分の胴体だ。(……無理ゲーやめてぇ……)残機もゼロだ。
半壊した木賃宿の内側、死肉転がる惨劇のほとり。破壊の雨に晒され項垂れた、漆喰の隙間を避けて、固まって張り付く覆面の少年。
……何も出来ない。出来ようがない。
(……ダズエルさんが、助けてくれた…?さっき……)酷く煩く鳴り響く鼓動が、無力感を掻き立てる。息苦しさと脈圧に目眩がしそうだ。じっとりと身体中を濡らす汗を、夜の空気が容赦なく冷やす。怖気が走りそうで気持ち悪い。(……『視線が合えば殺せる魔法』、だってさ。……なにを、ハハ。何を言ってるんだ、あの人は…)乾いた笑み。
貧民窟の闇に潜む、見えない敵。なんの予兆もなく襲う不可視の攻撃。
(おかしいだろそんなの。…死ぬじゃないか!!バカじゃないのか!?)
(…敵に見られもせずに見えない敵と戦うなんて…)裏地に溜まった脂汗が、ポタポタポタと滴り落ちる。――逃れ得ぬ、抵抗できない死の予感。
(出来るわけがない!!!)
(……くそっ、なんで僕ばかりこんな目に……)目頭がジワと熱くなる。心が思った以上に打ちひしがれている。……土砂降りの雨の中、一度萎えきった戦意を掻き立てるのは、どうにもうまくいかない。
膨れ上がる負荷に反応して、『精神力回復』がカリカリと音を立てた。イッツクール。(よし)曇り空精神に立ち返る。
(戦う事が嫌なのは分かる。尤もだ。…だけど考えろ。今殺らなきゃ、本当に殺られちゃうんだぞ…)突入時の失策を思い返す。(他人の情報を鵜呑みにして失敗したばかりじゃないか。…何が、彼にそう言わせたのかを考えるんだ)
(『視線が合えば殺せる魔法』。「見られた」とダズエルさんは認識し、その直後に深刻なダメージを負った。…つまり、『相手は視認出来た』ってことだ。決して見えない敵ってわけじゃない…)
裁断ドアを観察する。(切断跡、鋭利な断面。視線による即死や石化といった、ゲーム的神話的な攻撃じゃない。不可視の刃を飛ばす遠距離攻撃?)
(…【ディテクトマジック】に反応は無かった。風切り音も。あったのは、着弾時の異音だけ。…ダズエルさんの叫びが無ければ、僕は、気づく間もなく死んでいた…)覆面の奥の目が、ギラリと光る。(……なのに……)
(なぜはずした?)
歯車の溝が急速に噛み合い、音を立てて全力で回り始める。(タイムラグが有るんだ。切断が発生するまでのラグ。ステルス弾が接近したり、詠唱やチャージ時間がある等。本当に見ただけで殺せる攻撃ではないんだ)
(僕が壁に隠れていることで、相手は次弾を撃ってきてはいない。鎧を貫くやつや『マジックミサイル』ほどの破壊力は無いってこと。射線を切れば撃ってこない相手…)
(ならば、話は単純だ。僕は『隠れた敵』に、『普通に狙撃されている』。そう考えてしまって良い。…スナイパー。マークスマン。お祈り念じて撃ってくるあれだ。映画によくある…)見えない敵が形を持ち始めた。熱さえ放つ全力回転が、血流に沿って超高速で脳内に展開する。
(敵は、このドアを狙える位置にいる。こちらからも射線は通っているし、…カウンタースナイプ。僕の狙撃は『スキル』の力で必中…)
(そして、真っ暗闇からの狙撃。敵には暗視の力があるはず。…赤外線視力、集光視力か?)
(……だとしたら、お願い攻撃にはなるが、手のうちようはある……)
ふと、昏い考えがよぎる。(……もし、僕の考えが何もかも的外れだったら?たとえばわざと外したとか、こっちをいたぶって悦っているとか。いかにもありそうな話じゃないか?)「……だったら、『ずるい、ずるい』とでも泣きわめくよ」自問自答の末、静かに覚悟を決めた。「よし、行くぞ。切田類」
◇
ボロボロの壁を城壁代わりに、即席のドクトリンに従って反抗戦の準備を開始する。一度萎びきった切田くんの士気は、(『塹壕の中じゃあ笑うもんだぜ。ボーイ…』ありがとう、濃い顔のイケオジ)今や、哀れな犠牲者から籠城戦に臨む一兵卒程度にまで回復している。無いよりマシだ。(『しけ顔晒しちゃぁ、周りにだって迷惑ってもんさぁ。ハハッ』…ごもっとも。ニコー)覆面だが。
銃眼を通しての狙撃戦となる。……夜の闇がこちらの索敵を阻んでいる。解決するべきはここだろう。――パチンと指を鳴らし、手のひらの上に『飛ばないマジックボルト』の光球をポンと出す。ヒカポンだ。(……へへ。暗闇がポンと飛びやがるぜぇ……)ガンギマリだ。
(…こんな、わけもわからない魔法の弾丸だけど、元から三つの力を持っている)
(①、飛ぶ。重力の影響を受けずに飛ぶ。空気抵抗で減衰する)
(②、ぶつかる。あたかも物質であるかのようにふるまう。当たると痛い)
(③、光る)(……これだ。この力を③、光る側に寄せてみる……)
(……本当に、そんな事が出来るものなのか?)超常能力の仕組みなど、切田くんには原理原則のげの字も感じられない。出来るかボケぇ。(……出来てくれよ。出来なきゃ素直にごめんなさいだ)
「砲弾化も杭の形成も、直感的に出来たんだ。こいつだって……」脳裏に焼き付く感覚を、パズルみたいに片っ端から探る。……歯車に噛み合う箇所が『スキル』構造と連動し、新たな機構となって感覚を呼び覚ましていく。
――指数関数的に膨れ上がる作動音。不可視の回路を伝って力が流れ込み、直視できない程の白光が放たれ始めた。――成功。「よし。出来るようになってるんだから…」
一旦の誉れを誇る暇もない。マグネシウムも二度見する強力光源を背に、崩れかけた壁の向こうへと意識を向ける。
――暗闇。闇夜の貧民窟。……夜に溶け込み、鋭敏に耳をすます。
風の音。
かすかな囁き。
遠い、小さな足音。
床の軋む音。
……僅かに人の気配がある。(…敵か?…いや、違うな。騒ぎに釣られた貧民街の住人が、興味本位で覗いているのか?)
(……邪魔だっ!)切田くんは鋭く叫んだ。「見ている人達!引っ込んでください!光を見ないで!!」背負う光源が、一気に膨れ上がった。
逆光の影の中。猛り輝く変光星が、壁穴より全力で投げ放たれた。
「照明弾の『マジックボルト』!」
直視に目を焼く発光体が、宙を穿ち、高き天空へと打ち上がっていく。――太陽には遠く及ばないものの、それは月明かりの何千倍もの光量で、静かの海を煌々と照らした。
荒屋の木戸窓から覗く、みすぼらしい格好の子供達は、眩しそうに、「わぁ!」そして嬉しそうに目を細め、天に昇っていく光球を目で追った。
「ねえ!目ぇ跡ついた!」
「僕も!」
◇
「…ブランシェ!?」フクロウの視界が真っ白に染まる。同調が途切れ、「ブランシェっ!!」酷く慌てる。「離脱しなさい!…平気?本当に?…なら目が治るまで回避運動を、…文句言わない!急いでっ!!」
ブリギッテ本体の目をも刺す光。煌々と輝く閃光体が、上空めがけ浮上している。「蓄力弾の光を見せ札にして、閃光魔法を通したのね。…煩わしいこと」
「…ふん。なかなかやるわね…」苛立ちに手をかざし、指の隙間から漏れ出す光を見上げる。「強力な光の目くらまし。照明もされてる。…看破されたか偶然か…」
「…今は、ブランシェの身の安全が優先。遠隔の魔力回線を通し、使い魔へと『魔力譲渡』、『障壁』展開」
◇
「……狙撃手はどこ!?」半分ドアより顔を出し、素早く外の敵をうかがう。(……探せっ!!)集光視力ならば目は焼き付いたはずだし、そうでなくとも直ぐには狙撃できないはずだ。この一瞬が勝負を分ける。「……なんだ……鳥?」
遠くの屋根に際立つ緑光、突如現れた魔力塊。照明弾に浮き出るそれは、白くてずんぐりした鳥を包んでいた。(攻撃を受けたと思って『障壁』か防御魔法を張ったのか?…ひょっとして、鳥が狙撃をしてきていたの?)
(…そういう怪物がいるのか…)怪しい反応はその一つだけ。他は見当たらない。(…異世界だしな…)混迷の先、ずんぐり鳥が、緑光を引き連れ飛び立つ。(動いたっ!!)その時、あることに気づく。
(あの鳥、こちらを見ていない!?)……ゾワ、と背筋に走る勝機。
「めくらましが入ったのか!?」(これで視線の攻撃は使えない。…まぐれ当たりだったとしても!)緑の光は死角へと飛び去ろうとしている。(危険でも行くしかない。今を逃せば振り出しどころか、もっと悪い…)刹那の思考が加速する。(夜間高所からの、いつ来るともしれない狙撃。…次はダズエルさんだって教えてくれない。完全な不意打ちになる…)
(……死ぬってことなんだぞ……)実感の欠けた浮ついた危機感に、ボソリと呟く。「逃がすものか。今が絶好のチャンスなんだ。生きて帰って東堂さんに…」(……東堂さんに、どうするんだ?状況を押し付けてイチャイチャしてもらう様に誘導して、僕の下心を満たしてもらう?)
(やめろっ!今はそれどころじゃ、って、あれ?…これ、僕か?…いや、いつも僕ではあるんだけど…)
(とにかくっ!ここで死んだら今までの苦労だって…)
(……何の苦労?僕はずっと、目の前の事に必死で、それどころじゃ……)
(……繋がっていない?実にならない負荷ばかりで、何のための苦労なんて無かったの?……いや、何を言ってるんだ。こんなに苦労してるのに……)
(……死にたくないから、生きて帰るため?……それは、そうなんだろうけど。そんな分かりきった事実に納得なんて、……僕だって……)
(……!!?)ボーっとしている事に気づいた切田くんは、液体窒素を浴びせられたみたいに慌てた。
(わあああっっ!?何秒経った!?…一瞬!?ほんとに!?)既に通常速度。まどろみの一瞬で、既に鳥は死角に消えようとしている。(南無三っ!!)泡を食ってドアを飛び越え、心臓を鷲掴まれし絶望顔で、空にシャープペンシルを彷徨わせる。――カリカリという幻聴が聞こえ、彼の思考はスッと冷えた。(…よし)
(…こんな焦った場面でも、『精神力回復』で瞬時に落ち着けるんだから…)「慌てて飛び出た者同士でも。砲弾の『マジックボルト』を…」僅かな溜め、エネルギー収束。「誘導弾に変えてっ!!」
――暗い星空。凍る焦熱。夜の静けさ。浅い呼吸。廻る街並み。閃光に照らされ宙を渡る、遥かへと遠ざかる緑色の光。
「誘導する『マジックミサイル』!!…行けぇっ!!」――轟音、空を震わせて、荒ぶる砲弾が発射された。
破砕エネルギーの塊が、唸りを上げて空を裂く。ドップラー効果に弧を描き、すぐさまフクロウ後方へと襲いかかった。――光球のほうが速い。「よし、取った!」(……今回は本当に危なかったな。これで何とか……)
着弾。「…なにっ!?」誘導弾は、フクロウの横を高速で通り過ぎた。……外したのだ。(どうしてっ!?)
(…まずい、ここに来て敵のインチキが!?)瞬間、鳥の位置が大きくズレたように見えた。間違いなく何らかの不条理が介在している。(…幻術を見せられていた?瞬間移動か何かで躱したのか!?)「……いや、まだだっ!フルパワーで!!」掴みかかる腕に、不可視の回路が弾道を捻じ曲げる。砲弾は鎖に繋がれた鉄球となり、空に大きな光の輪を描く。
◇
「『ノックバック』。ただ『来ないで』と押しのけるだけの『スキル』」
攻撃を躱すために緑光を押した、『呪殺の魔女』の目が怪しく光る。「……フフッ?……釣られちゃった?慌ててのこのこ。……見通しが甘い。我慢がない……」小さな舌なめずり。「どす黒い自我の海から発現した『スキル』でも、使い方次第では友人を守ることだって出来る。……そして」
妖しき唇より紡がれる、謳いかけるは祝詞の詠唱。
「『ガルド・デア・エイギス。顕現せよ、頑ななる叡智の盾』」
◇
(フィジカル勝負をしてるんじゃないんだ。イカサマ押し付けるインチキ勝負をしているんだぞ…)ギリと歯を食い締める。(これで駄目なら、僕は…)「もう一回だ、行けぇっ!!」(インチキでさえ無様を晒す、本物の役立たずだろ!!こんな所で負けるものかっ!!)「フルパワー!!!」煽り立てる危機感に、渾身の勢いでシャープペンシルを振り下ろす。
轟音の尾を引き、極光が弧を描きフクロウを追跡。――スパークするほどにチャージエネルギーMAX。羽ばたき躱そうとする鳥の後ろへと、猛る光球は無慈悲にも喰らいついた。……直撃する。
……着弾、爆発。光が周囲に飛び散った。遅れて濤と震わす爆音の波動。「…やったか!?」
◇
「【フォース・シールド】」
使い魔へと繋がる魔力回路を通した、遠隔魔法が発動する。――「あらあら、ずいぶん甘ったれたこと…」血肉の生贄を甘く弄える、漆黒に沈む、妖しき夜魔の呼び声。「躱されても意地になって固執するだなんて、甘ったれた新兵のすること…」
「……まあ、こんなものよね……」がっかり混じりのアンニュイ口調で、『魔女』は嗤った。「うふふふ、残念。詰みね?覆面さん。…さあ、晒しなさい。邪悪なる侵略者にふさわしい、爛れて腐った腹の内を!」
「『あなたの見つめる彼の者の、血肉をここに捧げ奉る』」
◇
燭光が爆散して粒子煌めき、花火となりて夜空を美しく彩る。――ずんぐり鳥が衝撃に弾き出された。細かく舞い散る粒子の光が、不可視の盾を浮かび上がらせている。
フクロウは、無傷だ。
「……ぐっ……」ぐにゃりと視界が歪む。(…戦車の装甲か何かかよっ!?魔法防御か!?)
(極限までチャージされた、最大威力だったはず。……僕の攻撃なんて、一切が効かないって事なの?)肝心な時に敵の装甲を抜けない武器など、保持していたって何の意味もない。役立たずだ。……実際によろめきそうになり、切田くんは慌てた。(…諦めるな!相手を空中でよろめかせたんだ。今の攻撃は無駄じゃない!)
(今ならば直線的な攻撃が当たる。力を集めて一点を、バリアごと貫くんだ!そうすれば、まだ僕は勝てるんだ!)……内腑を侵す病的な冷たさ。赤黒い視界の未来へと、震えるシャープペンシルの先を向ける。
「…あ、鎧を貫く『マジックボルト』ぉっ!」
少しの溜め。けたたましい金切り声に光の杭が発射され、即座に白フクロウに着弾した。……その時、切田くんはあることに気がついた。
背を向けるフクロウは
首を背中までぐるりと回して、今、
切田くんを見ている。
「…あっ」
◇
「【ウーンズ】。…うふふっ…」
◇
直撃した光の杭が、綺麗な火花となって四方に飛び散る。……絢爛たる燭光の傘下、ゾワと逆撫でる、不快な異音。
――腹部の辺り、空間を切り裂く微かなスクラッチ音。「あっ、…あっ…」チクリとした痛み。服が横一文字にカパリと垂れ下がった。……変な柄Tシャツの裂け目下。切田くんの腹部に、赤い線が引かれている。
「…ああ…」線上に現れたたくさんの赤い玉が、ポツポツと大きくなる。腹の中にある何かが、重みで線を内側から押し広げようとしているのが分かった。「…あっ、ああっ…駄目だ。これ、駄目だ…」
慌てて両手を押しつける。――これはいけない。駄目かもしれない。濁流の如く押し寄せる内部の力がかなり強い。
大きな鳥が、バサバサと上空を通過する。お腹を押さえる切田くんは、呆けた顔でそれを見上げた。「……あっ」空を渡る、強い緑光。
フクロウには、鎧を貫く『マジックボルト』の痕跡など、どこにもなかった。