意味不アタック
眩いばかりに煌々と輝く破壊の光球が、一斉にアジトの外壁を突き破った。
故異界たる条理に擬する、不条理に基きし幻想魔弾。増光する地上の十連星。――衝突し弾けたエネルギーが火花となって、周囲を華麗に、苛烈なまでにストロボする。
貧民窟が暗転。幾多漏れ出す爆発閃光。木賃宿全体が振動し、内部より粉塵が吹き出す。……しかし、それまで。何らかの事象が続くことはない。周囲はたちまち、夜の静謐さを取り戻す。
「…んもぅ、勘弁してよぉ…」くたーっとなる。「ヤーダ、ヤダー」駄々もこねる。
アンニュイ顔の『魔女』は遠巻きに、「…あああ、もどかしい。お肌の裏がザワザワするわぁ…」イベント模様を苦々しく眺めていた。「これ、終わったかなぁ。こういうの、ほんとジレンマねぇ…」苦虫を噛み潰し、次の事案に監視の目を巡らす。
厳つい顔したガバナの眼帯男が、死にかけ甲虫みたいに地面を這いずっている。……心臓のポンプに合わせ、首からびしゃびしゃ血液が湧き出ている様子が見える。
「…こいつ、嫌なことを思い出させるやつ。早く死んじゃえばいいのに」高みより見下ろすブリギッテは、気怠げに眉をひそめた。「……無いわよねぇ……」ガックリ落胆。「目を離せば、強力なポーションや治癒魔法、『スキル』で戦線復帰する可能性がある。連戦になるのならば、魔力の無駄打ちは避けたい」
「…不愉快だけど、見ていなきゃ…」物憂げに視線を切り替え、ふぅ、と、諦めの吐息をつく。「ほんっと、出るのはため息ばかりなりけり〜。…幸せが逃げちゃうのよ、ホント…」
建物裏に回り込んできたガバナのひょろガリ男は、既にうつ伏せに倒れこと切れている。頸部を無残に切り裂かれ、腰のカットラスを抜く暇さえ与えられていない。
屋根上の見張りと合わせて、これで外の敵は全滅したはずだ。残った敵は、建物内の一人きり。
「魔力蓄積型の未確認魔法。燃焼、特殊効果なし。【マジックボルト】系、純物理運動エネルギー攻撃の魔法?…あの威力では、通常の『障壁』じゃ防ぎきれない。全滅の公算が高い、か」
「無防備を装って、懐にのこのこ立ち入って。交渉に応じた事に付け込んだのねぇ」
「……ああ、もうっ……」嘆きに翳る、微かな涙の気配。「……どうしていつも、こうなっちゃうんだろ!」――『呪殺の魔女』として名を馳せるブリギッテとて、以前はここまで血なまぐさい生業に手を染めていたわけではなかった。
◇
ある裕福な商家に生まれたブリギッテは、生まれ持った魔力と聡明さを見初められ、高名な女性老魔術師の弟子のひとりとなった。
それまでは、家業の様子を眺めるのが日課だった。魔術師の徒弟として行う、行儀見習いや小間使いといった下働きの雑用も、――「サボりじゃありませんって」「うっとおしいよな。大して偉くもないのに偉ぶって」「ギンバイなら帳面も変えとかないとな」丁稚の様子などを見て、意識の幼い自分のような子どもには必要なものだと、少女は良く知っていた。
我慢して従うだけではない、理を感じる姿勢に、老魔術師である師匠は彼女の事を特別に目をかけた。
年若いうちから少女は、またたく間に古代語や魔力操作を習得し、内蔵魔力を纏う『障壁』や、――簡単なものではあるが、迷宮のまがい物などではない本物の魔法を、満面の笑みで師匠に披露した。
「あんたはね、苦労するよ。ブリギッテ」呆れ、そして彼女の身を案じて、シワだらけの顔を歪めて師匠は言った。……喜んでくれるものと思っていた少女は、ひどく落胆したものだった。
高齢で体を壊した師匠が死に、姉弟子たちに疎まれていたブリギッテは友人を連れ、知識欲と自称する欲に駆られて、『迷宮都市』、――もっとも古き迷宮『神代の迷宮』へと流れ着いた。
しっかりした身元とつてに頼んだ紹介状で、下層に入る上級探索者資格を取得して『迷宮ギルド』に所属する。……ならず者まがいの下級に揉まれての、魔物肉やゴミ拾いの小銭集めなどで、研究の時間をつぶすわけにはいかないのだ。
長らく一緒に暮らしている友人に、貸家と資料、機材を守ってもらい、名の売れた手練の探索者パーティーに入れてもらって迷宮下層を目指す。――初めての探索はうまくいった。迷宮上層から次元断層を越え、何日かの『下層』探索で、いくつかの貴重なアイテムや『まがい物の魔法書』等を手に入れ、彼女も皆も大した怪我もなく、無事に地上へと帰還することが出来た。
パーティーの皆はブリギッテの手際を過剰に褒め称え、彼女は満面の笑顔でそれに答えた。
和やかに別れ、帰路についた。貸家に続く暗い路地。
ブリギッテは襲われた。
「ブリギッテが悪いんだよ!!」
上ずった声。どこかで聞いた誰かの声が、今は不気味でおぞましく響く。
「ブリギッテが悪いんだ!」
後ろから掴みかかられ、地面に押し倒されて顔を殴られる。
もみくちゃにされ、地味な服を引き裂かれる。
ブリギッテは萎縮し、悲鳴もあげられずになすがままにされた。
貸家から窓を破って飛び出した友人に、すんでのところで救われた。
片目をえぐられ、顔中を引き裂かれた襲撃犯は、共に『下層』を探索した優秀なパーティーの一員だった。
「…何故?理由を教えて。…一体私の何が悪かったの?」
服と胸を押さえ杖を構えたブリギッテの問いに、襲撃犯は答えることも、逆に怒り狂うこともせず、……ただ無事な片目をぎょろつかせて薄ら笑いを浮かべ、その目をそらした。
折れそうな心を理によって奮い立たせ、『迷宮ギルド』に訴えを起こす。
「『迷宮』下層に潜れる上級探索者は貴重です。多少の問題を大事にしようとはせず、ここはどうか穏便に」
「大した怪我もなかったのでしょう?探索者同士の争いは、わたしどもも本来は不干渉なのです。ブリギッテさんだからこそ私もこうして骨を折っているのですよ。そこを汲んでいただきたいですな」
ギルドに詰めていた職員や探索者は、その様子とブリギッテを見て、意地の悪い顔でひそひそと言葉をかわし、顔を歪めて笑った。
「意味がわからない。どうなってるの?」徐々に心を怒りに支配されるブリギッテの脳裏に、あの日の師匠の声が響いた。
しばらくの間探索を休み、資料や情報を整理しながら過ごす。
攻撃的かつ挑発的な服装、人を遠ざける威圧的な物言い。それらを身に着け、大手の迷宮探索クランに所属した。
示威的に魔法の腕をひけらかし、仲良くしたげな探索者とはビジネスライクに距離を取った。――目に余る行為を向けたものには、正しく相応に、容赦なき処断を行なった。
それでしばらくは、うまくいっていた。
そしていつしか、話はこじれた。
◇
アジト内に戦闘の気配はない。味方の合図も動きも無いのだから、「……あっったま痛い…!」結果は知れたことである。「……これ、何故か私の責任問題になる奴よねぇ。ほんっと腹立つわぁ……」
「ご自慢の特務騎士がこの有様?馬鹿じゃないの。軽口叩いて油断していたからじゃない!」湧き上がる衝動に駆られ、堰を切って次々と悪態をまくしたてる。「…どいつもこいつもそんなだからっ!…私が!こうして!巻き込まれているわけ!…分かる?」
「……勝手に寄ってきて勝手にしくさって。それで、どうして、私が追い詰められなければならないの…!?」
「…ウフフ…」笑おうとするも上手くいかず、ギリ…と、奥歯を噛みしめる。
「……巫山戯やがって……」
激情に表情を歪め、天に両手を差し上げて、「…ウフフ、アハハハハ!方針決定〜っ!」今度こそ彼女は笑った。――酷薄な笑顔を満面に浮かべ、『魔女』は夜空に向かって独白する。「覆面の魔術師は生け捕りにする」
「手脚の腱と舌を切って『盗賊ギルド』に連れて行きましょう。…逃げられないよう、魔法が使えないように」
「特務騎士隊を一瞬で全滅させた魔術師を引き渡す。…この件が決して、私の落ち度ではないことを知らしめることも出来るでしょう」
「……それでもわからないと言うのなら、そう。――すべて、お前たち『ギルド』が悪い……」優雅に両手を差し伸べて、――『魔女』は縊り殺す形で空間を握り潰した。
「……そうなれば、一応の言い訳は立つでしょう?……ね。ブランシェ」彼女の友人は夜空に輪を描きながら、『ギィィ!』と小さく答えた。
◇
切田くんはクサクサした気分を押し殺し、面倒くさそうに部屋を見渡す。――生きている人間の気配はない。損壊した漆喰の壁には無残な大穴が空き、床には死骸や体液、残骸、食器や酒瓶等が散乱している。まさに汚部屋だ。(…きちゃないな…)
奥の戸を開け、慎重に建物内を探っていく。二階も見る。(残りの敵は、外だけか…)誰もいない。
(…何だっけ、ヤベー奴すぎる敵が一人残ってるんでしょ。勘弁してよ…)隊長の言を思い返す。(…嫌だなぁ…)頭が痛い。イヤイヤイヤのイヤ〜である。(…本当に、ダズエルさんとガゼルさんは殺られたのか?…いけ好かない人たちだったけど、二人とも僕へのカウンター役として来ていたんでしょ?)
(僕を無難に処理出来る、と見込まれる程度には、腕は確かだったはずだ。…それを、いとも簡単に…)
床一面に広がる血の海のほとり、脇腹剣の死体を見る。他と比べて損傷が少ない。(なぜ、この人たちと別行動を取っている?…『口ばかり達者で気難しくとも、腕が立つのが出ているのだ』…隊長さんは他人事みたいな言い方をしていた。遊撃枠、…組織戦の外の存在、…他部隊の助っ人か、僕のような外部の傭兵?)
――張り詰めていた風船が、プシューと空気が抜けてぐへぇとなった。(…だったらもう終わりでいいよ。終わり終わり。お疲れちゃん。雇い主は死んだわけだし、このまま退いてくれてもいいんじゃないかなぁ。報告に戻るとかさあ…)ボコボコの切田くんには、戦闘への忌避感が湧き上がっていた。(殴られたところもずっと痛いし、…もう嫌だ。傭兵だったら関係ないよ。ご指定の盗賊は全滅させたわけだし)
(…それに…)
(…早く帰らないと、東堂さんが心配だ…)
本心ではあったが、自身の中で言い訳がましく響いた。……やましさを受ける様に、昏い気持ちがブクブク湧き出てくる。(帰って恩を着せたいんだろう?東堂さんに『スキル』浸食の件を話してさ。…そうすれば、僕から離れられなくなる理由が出来るって事だもんなぁ?)
(なにそれ最高。なかなかときめくシチュエーション。…いいよなあ、不可抗力ヅラで美人に懐かれるのって)
「…おま、…僕は何を言ってるんだ。…まったく、無意識ってやつはすぐ、僕自身にさえマウントを取りたがる…」悪夢が好例だ。
(『精神力回復』を理由にくっついてさ。『しかたないよね』って言い合ってぇー)
「うるさい」
(くっつきたいだろ?)
「くっつきたいよ!!」
(ハッハ。くっつきたいよな、僕)
「まだ敵がいるんだ、黙っててくれっ!」
(いつもお正しいことで)
荒ぶる心の声を鎮め、ゆっくりと、外への扉を開ける。くっつきたい。……壁を刳った十の大穴のおかげで、扉周りは倒壊寸前だ。パラパラと欠片が降りそそぐ。
――暗闇。影の街。沈み込む夜の静けさ。
貧民街の夜は暗く、月明かりに輪郭が浮かび上がる程度。遠くの街の燈火が、ぼんやりと夜の向こうに浮かんでいる。何処かで梟が鳴いている。
ドアを広げ、用心深く外の様子を伺う。敵の姿はない。【ディテクトマジック】にも反応はない。(……指差しヨシ……)
(…ヨシって言ってたからヨシ…)……静寂をピリリと突き抜けて、微かに誰かの声が聞こえた。「……ルタ…キルタ!出てくるな……」かすれた声。ここに来るまでに何度か聞いた声だ。「…ダズエルさん?無事ですか!」
「…下がれ…キルタ…」「どこにいるんです!」
「…視線が」かすれ声が、鬼気迫る叫びへと変わった。
「視線が合えば殺せる魔法だっ!!下がれって言ってるんだよぉっ!!…ゲウッ…」
(…!?)廻るサイレン、シグナルレッド。慌てて後ろに飛び退った。
支えを失ったドアが、キィと音を立てて閉じる。――空間を切り裂く耳障りな音。木屑が一気に飛び散った。(ひっ…!?)ドアの上半分が、ゆっくりと内側に倒れていく。
バン!と音を立てて床に落ちる。(あわわわわわ…!?)全身の血が凍る。(何がヨシ!だよ!?)ドアは下部しか残っていない。外から自分は丸見えだ。(…不味いマズイまずいっ!!?)慌てて必死に身を隠そうと、損壊した壁に奇妙な体勢で張り付く。
床一面の盗賊たちが、今も汚臭を放っている。……張りつめた静寂。覆面の裏側を伝い、ぽたりと汗が滴る。
――もう、外からの声は聞こえない。
◇
「外した!?…どうして気づかれたの…」『魔女』は驚きを込めて歯噛みをする。予測不能なはずの攻撃を完全に回避された。……敵は明らかに、気づきによる退避をしていた。危険な兆候。「…感知や予知の特殊な『スキル』を使ったの?…そんなレア物、フロントの捨て駒に使い潰すわけ…」
標的は建物内へと逃げ込んでしまった。完全に死角の位置。素早く周囲に視界を巡らせる。――伏兵の気配なし。ガバナの眼帯禿がこと切れていることを確認して、視線を標的へと戻す。「……それとも偶然?……ふぅん。次の一撃で測ってあげる……」
「【ウーンズ】の魔法は弾道のない座標攻撃。魔力は呪いへと姿を変えて、あなたのそばに突然現れる。どこから攻撃しているか、読める道理はない」
「…そして、あなたがどれだけ強力な攻撃を持っていたとしても、あなたの攻撃は決して私に当たることはない…」
――白い大きなフクロウが、夜空を切り裂いて飛んでいる。射角を取るために、アジトから距離をとっているのだ。
「…ブランシェ。頼れるのはあなただけ」ブリギッテは深刻な顔で呟く。「高速で空中を飛ぶ使い魔を通しての遠隔攻撃。『呪殺の魔女』様の必殺攻撃」
「……覆面の魔術師。私の道に勝手に紛れ込んで、私を追い詰める邪悪なイレギュラー…!!」食いしばった歯をギリ…と噛み鳴らし、汲めど尽きせぬ衝動を抑え込む。
「……いつもいつもっ……」
折れ曲がった三角帽子の陰。『魔女』は妖艶でサディスティックな、猛禽類の笑みを浮かべた。「うふふふ!私の腹立ち紛れのなぐさみに、無残な姿を晒してもらうわね、ガバナの覆面魔術師さん?」




