表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

25/80

好感度が100になりました

 港湾部居住区、グラシス組のアジト。(かざ)()のない廊下へと響く、存在証明の如き軽薄(けいはく)なノック。「トードー、ちょっといいか?」……返事はない。扉は(かた)()ざされている。(…居留守かよ…)


 ガバナの『スカウトマン』たるスキルホルダー、『寝取りのネッド』は、新人どもの片割れ女を()()()()()()傀儡(くぐつ)化するべく、扉越しでの語りかけ攻撃を(おこな)っていた。


 部屋の合鍵もあるにはあったが、今使えば決定的な不信を植え付けるだけだろう。――第一、『好感度』のスキルを使うのは扉越(とびらご)しでも(かま)やしないのだ。(…ふん。留守のとこ悪いがな、お前は俺に、もうとっくに弱点を見せているんだよ)確信を持って(かた)りかける。「()()()()()()。聞いてくれないか?」


「……(+1)に?」固く閉ざした扉を(つた)い、冷え切った声が答えた。


(『好感度』プラス1。実にチョロい)ネッドはほくそ()んだ。



 ◇



 それからふたりは、いろいろな話をする。キルタの話だ。


 どんな奴か、良い所、キルタの直してほしい所。(「…(+1)うして貴方(あなた)にそんな事を教えなければならないの?」)キルタがうまくいったらその後どうするか、うまく行かなかったら、どんな助け舟を出すか。……なんだって良い。とにかくキルタの話であれば、ガードなど無いも同然であった。


 (かす)める様に効果を(さぐ)り、途切(とぎ)れぬ様に(さそ)()す。考える暇など与えない。自分だけに見える数値の(ため)に、誠実を(よそお)った会話を(つな)げていく。



 そして、その時が来た。



 扉の向こうの声の調子が変わる。不信も、気だるさも、つっけんどんな態度も。すべて突然消え去ってしまった様に。「……あっ、……そっか。そうなんだ……」――(くも)りのない、晴れ晴れとした声が答えた。


「ねぇネッド。私、あなたの事が好きだと思う」


(『好感度』100、()らえた。…ホントチョロいな〜)心底(いや)らしい笑みを浮かべる。どうせ扉の向こうにゃ見えやしない。


(…さて。おとぼけキルタに見せつけるためにも、(みだ)れた部屋の状況を作っておかないとな?ムワンムワンになるまでだ)「なあ、トードー。顔を見て話したいな。ここを開けてくれないか?」(…悪いなあキルタ。これも仕事でな)


 四六時中(しろくじちゅう)フードで顔を隠した気難(きむずか)しい女になど、ネッドの食指(しょくし)は動かなかったが。まあ、若い女には(ちが)いあるまい。――それよりも、このギスギス女を寝取ってみせることで、おとぼけキルタがどんな顔をするのか。ネッドにはそちらのほうに興味があった。


 扉の向こうの、声が答えた。




「それは駄目」




(……何?)意外な答えに、ひどく拍子抜(ひょうしぬ)けをする。「なんでだよ」(…『魅了』が()いていないのか…?いや、変化はあったはず…)


 平坦な声が()(つの)る。


「あなたのことを想うと、好きの気持ちが(あふ)れそうになるから」


「…うん。うん?」(…何だって?)ネッドは眉根(まゆね)を寄せて、首を(かし)げる。……奇妙だ。わけがわからなくなってきた。(…可愛いことを言ってくれる。…だが…)「じゃあ開けてくれよ。だったら良いだろ?」


「私、今は切田くんのことを待たなければいけないの」



 ……激しい苛立(いらだ)ちが、(ふく)()がった。



(ああ?なにがしたいんだよこの女。脳内か?偏屈(へんくつ)をこじらせて意固地(いこじ)になっているのか?)「……キルタのことなら大丈夫さ。それより俺が、あいつのことなんてすぐに忘れさせてやるって。そうなれば()()むこともなくなるだろ?」


「あなたの言うことももっともね、ネッド。でも、それは困るの」


「…なんで」


「ここを開けてあなたを(まね)()れることの、デメリットが大きすぎるから」


「……なにをわけのわからんことを……」意味不明。意図不明。()()がる困惑(こんわく)と、……()()()への、少しの(あせ)り。


 苦々(にがにが)しげなネッドの耳に、さらに(たた)()ける言葉が(つた)わってきた。



「ねえネッド。あなた、本当の信頼って見たことある?」



(……うわぁ)ネッドはひどく辟易(へきえき)する。(…夢見(ゆめみ)がち女の戯言(ざれごと)が始まったぞ。…まいったなぁ、これは…)「お、おう。…そりゃあ…」(美辞麗句(びじれいく)()っておくか?…いや…)


「無いな。まあ」


「ふふ」扉の向こうは、コロコロと愉快(ゆかい)そうに笑った。


「馬鹿みたいよね、『本当の信頼』。自分探しがキラキラするために言うたぐいの。自分では()ずかしくてとても言えない。他人が言っていたのなら、ニッコリ笑って話を合わせて、心のなかではあざ笑ってる。そういったたぐいのこと」


「……お、おう。そうかもな?」


 ネッドはこの場所に、酷い居心地(いごこち)の悪さを感じてきた。



「…でもね。切田くんはそれをくれる気がするの」


「感じたのよ。切田くんは他の人とは違う」


「きっと(えら)ばれた人なのよ。運命や神様に」


「『本当の信頼』、ふふ、馬鹿みたいよね。本当に」


「だって、見てよ!世の中を、世界を。そんなもの『フィクション』の中にしか無いじゃない!」



「…フィ、フィクション?」



「でもね、彼はそれをくれたのよ。いいえ、()()()()()()()()()()()()!」


「あがいてくれているのよ」


「それを私に向けてくれている。…切田くんが、切田くん」


「…はぁっ…」


()()()()()()


「だって、そんなの」


「好きとか、性とか」


()()()()()()()()()()()()()()()()!」


「ああ…何かしらこの気持ち。なんて言葉にするのかな」


「『歓喜(かんき)』?『法悦(ほうえつ)』?『福音(ふくいん)』?」


「アハッ、言葉って馬鹿みたいね?」


「だから()くすの。ふりでも、演技でも」


「心も、純潔(じゅんけつ)も。みぃんな切田くんのもの。すべてをあなたに(ささ)げます、ああ、切田くん…」


「そう演じ続けるの。だって他にやり方がわからないもの。切田くんの大切な信頼が、どこかに行ってしまわないようにするやり方が」



「そう、私は切田くんの『聖女』をすればいい!」



「『自分が傷つくような戦い方なんて止めて!』ですって。アハッ、アハハ!馬鹿みたいよねえ。カマトトって言うんでしょう!?こういうの!」


「だって、そうしないと、切田くんは、どこかに行ってしまう!」


「私なんて切田くんに必要な女じゃないんだもの!」


「…ふふ…でもね、でも、ね?切田くんが自分を犠牲(ぎせい)にして」


「もし傷ついて帰って来るのなら」


「…ふふ…」



「『()()()()』」



「ふふ…アハハ!私が必要になる!私が切田くんに!やったわ!やった…やったあ…」


「アハ。(つむ)がれてきたぁ。どんどん育つわ。あなたを(しば)る想いが、(きずな)が!」


「もう離さない。離れられない。絶対に離さないから」


「ふふ…アハハハハ!!」



 扉を(はさ)んで()()()()()()声を、軽薄男は暗澹(あんたん)たる気持ちで聞いていた。(やべえ。…ぶっちぎりでイカれた女だった)


「ふふ…好きよ、ネッド。どうしてあなたが好きなのか、私には全然理解できないのだけれど」


「きっと私には理解できない、見えない力がそこに流れているのね?…ねえ、ネッド?」


(……チッ……)()()()(ふく)む様な言い草に、心の中で舌打ちする。……(いな)、それでも『魅了』は()いているはずだ。気のせいだ。


 扉の向こうが、続ける。「だからその力は、これからは切田くんのために役に立ててほしいの」


「……はい?」


「そうよ。こんなに私が好きだと思えるネッドですもの。あなたならきっと切田くんの役に立てるわ!…どうか切田くんに、その力を貸して、ネッド!」


(……ああ……くそっ……)重圧みたいに締め付ける衝動に、無言になる。



「……ネッド?……ねぇ、ネッド?」



 苛立(いらだ)ちを(おさ)えるネッドの耳に、ドア越しの声は、端的(たんてき)に言った。


「返事」


「へ?」ドゴン!!と、扉が()えた。「…ヒッ…」――ビクリとして、(な、なんだコイツッ!?)腹立たしげに睨み返す。


「ねぇ、ネッド?」ゴン、


「わかるよね?」ゴン、


「私の言ってること、わかるよね?」ゴン、


「私が好きだと思える人だもの。そのぐらいわかるよね?」ゴン、


「でないと変でしょ?おかしいでしょ?」ゴン、


「見えない力の話だよ?」ゴン、


「切田くんは()ぐにわかってくれたよ?」ゴン、


「私、何かおかしなこと言ってる?」ゴン、


「言ってないよね?」ゴン、


「なのに、どうしてわからないの?」ゴン、


「私が好きになった人だよね?」ゴン、


「変だよね?」ゴン、


「そんな人、私が好きになるわけないもの」ゴン、


「ねえ、変だよね?」ゴン、


「そんなんじゃ()ぐに、好きも嫌いも一緒になっちゃう」ゴン、


「っ!いやいや、待て待てっ!そんな風に突然言われてもさ!」(かわ)いたつばを飲み込み、ネッドは必死に()(つくろ)った。


「ほら!…なんていうか、そういうのって、…ほら、繊細(ナイーブ)だからさ!」


「…ちゃんと持ち帰ってじっくり考えるっての。(かんが)(ちが)いがあるといけねえ。大事なことなら尚更(なおさら)咄嗟(とっさ)の返事じゃ不満だろ!?な!?」



「……そうね」扉を()るがす『聖女』の鉄槌が、止まった。



「あなたの言うことももっともね、ネッド」


「……ああ。それで、結局の所。今日はここを開けてはくれないって事でいいんだよな?」


(【魅了】の最大効果は、視覚からの影響がもっとも強い)


(対象が目に入った時の衝動の奔流(ほんりゅう)、とても常人に耐えきれるものじゃない。癇癪女(かんしゃくおんな)()(なが)()()()()()騒音だって、()()(おさ)まる…)


(…使うか?合鍵を)ポケットに手を当てて昏い算段(さんだん)をしていると、扉の向こうが暢気(のんき)(かた)った。「大丈夫よ、ネッド」


「明日、顔をあわせましょう。切田くんと一緒にまた話し合いましょう、ネッド。あなたへの(いと)しさもまた、大切なものに思えるもの」



「……それに、持ち帰って、じっくりと考えてくれるのでしょう?」



(……ふん)


(そうだな。キルタの目の前で心変わりをさせるのも面白いか)ほくそ笑む。第一、こんなメンヘライカレポンチを()きたい気分でもない。いくらなんでも。


「わかったよ。今日は帰るわ。…また明日な」


「ええ、また明日」



 ◇



「ふふ、出会いというのはあるものね。理由がよくわからないのだけれど」東堂さんは扉を(はな)れ、ひとり(つぶや)く。「でも、物事には優先順位がある。一時(いっとき)の衝動で未来を棒に振るほど、私は(おろ)かではないつもり」


「…ああ、だけど、『好きだ』なんて言ってしまって」


「……切田くんにも言ったこと無いのに……」


(けが)れちゃったな、なんだか。…ふふ。複雑な気分」ベッドに座り込み、自分の胸に手を当てて、心底楽しげに、彼女は言った。



「『世にあまねく聖なるものよ』」


「『淀みを(はら)う清浄さよ。今ここに清らかな水となり、風となり、光となり、力となりて、(けが)れしものを、不浄を滅せよ』」


「…【ピュリフィケーション(浄化)】…なぁんて」



 ――清浄(せいじょう)さが()ち、(さわ)やかな風となる。(こま)やかな光の粒子が部屋中を(つつ)()み、……そして、(しず)やかに消えていった。


 彼女はゆっくりと、目を開ける。




 嫌悪感。




 最初に感じたのは、激しい嫌悪(けんお)の感情だった。そして不可解(ふかかい)さ。


 なぜ?

 どうしてこうなった?


 ……自分の中でまとまり、理解を(みちび)く。


 血が()()ち、髪が逆立ち、殺気が(ふく)()がった。――怒りだ。激怒の感情だ。



「ああ…やってくれる…やってくれたわね…ガバナ…ネッド!」



 ヘビーメイスを(つか)もうとして、ふと気がつく。――そうだ、『聖女』の断罪(だんざい)に、今よりもっと()()()()()服がある。外套と茶ローブを()()て夏服姿になる。そして、きちんと(たた)んで置いてある、もう一着のローブへと手を伸ばした。



 ◇



「おつかれさんっと」アジトの入り口を内側から守る門番に声をかけ、ネッドは夜の街に繰り出した。「……けっ。ドウシテわかんないの〜?だとさ。知るかバーカ。(つう)じるか」


「…こっちの苦労だって、お前も何も分かってねえくせに…」


 ――『スキル』で女を良いように(あやつ)るのは面白かったし、良い気分にもなった。だが、続けるうちにネッドは、いつしか言いようのない(むな)しさに(とら)われることにもなった。


 それは後ろめたさではない。ネッドを(さいな)むのはいつも、()()()()()だった。


 魅了状態、もしくは高い『好感度』による思考誘導で関係を作っても、相手の不自然な好感にまみれた言葉にネッドが返せるのは、いつもそれにそぐわない、違和感のある言葉。……合わせたことさえ不安になる、通じ合わぬ言語の乱立(らんりつ)。(…俺は女を(だま)すどころか、女を(だま)してさえいない)


 グラシスが言うようなデカいことをする気概(きがい)もなかったし、趣味でもなかった。……それでも、いつしか宿(やど)った『スキル』の効果自体は、自分が(のぞ)んだもののように感じる。


 だが、その(のぞ)みと『スキル』が引き起こす実際は、あまりに乖離(かいり)しすぎている。自分と『スキル』と現実。それらがうまく(つな)がり合っていない。ネッドにはそう思えるのだ。(…だからって。俺がその()()()()()を分かったところで…)思い切り(つば)()く。(…俺の周りにゃ、()()をわかる奴なんざ誰もいねえんだから。そこを()めたって(まった)く意味がねえんだわ…)


「『スキル』が作った偽物(にせもの)の好感?…だから何だよ」


「『好感度』で(したが)えて、いい感じに(あやつ)って。『好感度』って感じのいい顔をさせときゃさ。俺も女も(まわ)りの奴らも、(おんな)じように気持ちがいいんだろ?みんな幸せだろ。…『スキル』を使わねえ現実なんて、そうは上手く行かねえんだからさあ…」


 夜風に(あお)られ無性(むしょう)(げき)してきたネッドは、そのままブツブツと夜につぶやき出す。


「酔っ払いも、女の世話を(たの)んでくる奴らも。俺にだけは(たの)しそうに(から)んでくるんだ」


「『頼りになるな、ネッド』『お前がいねえと始まらねえな、ネッド』。それみろ!みんなの思いが後押しするんだ。俺のやり方が、世界と()()ってるって証拠じゃねえか」


()()()()だなんて考え方が悪いのさ。態度(たいど)ばっかのお前らと(ちが)って、俺はちゃあんと考えてあるんだ。それをいつも、…いつもいつもっ!くだらねえ(おど)しやら順位付けなんかで邪魔しやがって!!」


「……そりゃあ、まあ。俺にちょっとぐらい足りねえ部分があってもだ。将来性ってものを考えてさあ、まともに俺を尊重(そんちょう)すべきだろうが!!」


「ファミリーなんだ。手を掛けて、(そだ)てて!!」


「若いんだからさ!」



 毛玉みたいに苛立(いらだ)()()らすネッドは、「そうゆうもんだろ!」「そうゆうもんだ」「ああ!」などと、夜道にブツブツ口ずさむ。そして得心(とくしん)いった様に(そら)へと笑い、ムカつく相手を(おも)(えが)いた。


「ふん。だが、まあ今回はあれだな。あの()()ましたキルタの顔が(ゆが)むところが見られる。…悪くない。…いや、良いよなぁ。いい気味だぁ。エハハ」両肘(りょうひじ)を上げて肩を(すく)め、やれやれと首を振る。


「ハハ。我ながら(ひで)え話だよなあ?…だけどな、そういうのは実際に、自分の深いところにつながっているって気がするんだ。俺は、お前らと違って、その辺ちゃあんと考えてあるんだな」


「…そりゃあ誰だって、自分が嫌な奴だなんて思われたくはない。だから認めない」


「だがな。世界中のありとあらゆるすべての人間は。()()()()()()()()()()んじゃないかと、今の俺には思えるのさ」


「この感覚は、()()()()()ちぐはぐじゃない。()()ってる。…そう、心の底から実感出来るだけで、随分(ずいぶん)と俺にはこの『スキル』を使う意義がある。そう思えるね」


「……まあ、端的(たんてき)に言うとだな」




「ざまぁ、ってことだよ、キルタ。ハハハッ!」




 ヒュッ、と音がした。




 視界が突然回転した。(ん?…なんだ?)(いぶか)しげな思いは、一瞬で衝撃と痛みに()わった。「ぐわあああああああああっ!!」石畳を()(ころ)がる。連続的な激突(げきとつ)に思考が飛び、引きちぎられて(こま)かく断片化(だんぺんか)する。



 ……回転が止まり、ネッドは仰向(あおむ)けになっていた。いつのまにか自分は、道路に倒れ、なすすべもなく夜を(あお)いでいる。頭が、顔が、腕や肩がひどく痛む。



「…な、何が…」


「こんばんわ、ネッド」



 夜風にそよぐ白影(はくえい)。……浮かび上がる、細身のシルエット。(けが)れなき純白(じゅんぱく)(まと)う女が、そこにいた。



 淡雪(あわゆき)の如き、清廉(せいれん)なるドレスローブ姿。細やかな装飾や刺繍(ししゅう)(ほどこ)され、体型に()ってスラリと優雅(ゆうが)に仕立てられている。ひと目で高価な物だと分かる。


 ――その純白さには、一辺(いっぺん)(くも)りもない。清浄かつ、どこか異常な存在にも感じられた。


 夜の静寂(しじま)に浮かぶ、丁寧に編み込まれた黒髪を肩で切りそろえた女。……少女だろうか。少女が大人の女性に変わろうとする、その一瞬だけを切り取ったような、そんな女だった。


 事細(ことこまや)やかなる神授(しんじゅ)の造形(うつ)()る、千差万人をも(ふち)へと引き込む、(つや)やかなる美貌。――長いまつげの下で()れる、夜より昏き漆黒(しっこく)の、光さえ吸い込まれし黒洞の瞳。



 思わず意識を(うば)われる。ネッドは今や、全身の痛みさえも忘れてしまっていた。



(…なんて、美しい…)



 ――そして、昏い欲望が身をもたげた。(自分のものにしたい。『好感度』のスキルを使ってでも!)(くる)しみを押し殺し、情欲に半身を起こす。……さあ、誠実な質問(攻撃)を投げかけるのだ。


 (ゆが)む笑いに言葉を(つむ)ごうとしたネッドの目に、その時、なにか不可解(ふかかい)なものが(うつ)った。



 脚だ。



 自分へとつながっている。自身の足だ。


 それは(ひざ)からねじれ、ありえない方向に折れ曲がってレの字を描いていた。……両方の足がだ。


 脂汗が吹き上がり、激痛が(おく)れてやってくる。「…ああ…ああああああああ…」悲鳴ともうめき声ともつかない声が、口から(あふ)()る。


「ごめんね、ネッド。痛いよね?」


 つかつかと女は歩み寄り、(また)の間にヘビーメイスをズドンと差し込む。「う゛あぁっ!!」衝撃が、ねじれた脚を(はず)ませた。


「……でもね。私の味わった痛みは、こんなものじゃない。……『ごめんね、ネッド。痛いよね?』ですって。馬鹿みたいよね?ふふ……」



「『んんんあああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!』」



 爆発的衝動。振り下ろされた右足が、ネッドの無事な太腿骨を一瞬のうちに踏み砕いた。肉が(つぶ)され、奥底の固いものが圧搾(あっさく)されて、ささくれごと()(つぶ)されて粉微塵(こなみじん)になる。


「うがあああああああああああああああっっっっ!!」ネッドは限界まで腹の空気を(しぼ)()し、それでもまだ(さけ)ぼうと、空気を求めてヒハヒハあえぐ。



 惨状(さんじょう)を眺め下ろす女の憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)は、瞬時に、固い作り笑顔へと代わった。「よくもやってくれたよね、ネッド。あなたは私の大事なものを素知(そし)らぬ顔で(けが)し、踏みにじった」


「だから相応(そうおう)(むく)いは受けてもらおうかな。因果応報、当然だよね?」


 声にはたしかに聞き覚えがあった。信じがたいことに、この美女は、あのイカれたフードのメンヘラ女だ。「……て、てめえ、トードーかっ……!!」


 東堂さんはカクンと首を(かし)げ、ネッドに向かって嫣然(えんぜん)と笑った。


「アハッ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ