盗賊退治はいかが?
港より少し離れた港湾居住区。商会建物や流通倉庫の立ち並ぶ、忙しくも整然とした商業区画。荒々しき荷役や船乗りたちの集う港とは一線を画す、選ばれし者のみが集う区画の一棟。
外観上は怪しい気配のない堅気の建築物が、一歩踏み入ればその凶悪な本性を剥き出しにする。――そんな、商会風の建物の内。
「…それで?ネッド。おめえはどう見たんだ」応接室の豪華なソファにてふんぞり返る、眼鏡を掛けた尖った風貌の男が、卑屈に振る舞う軽薄男を威圧的に睨みつけている。
「へ、へえ。何の事て…」「彼奴らの事に決まってんだろうが。…いいから言ってみろ」
ガバナファミリー幹部、グラシスだ。
眼鏡越しの眼光は鋭く、細く贅肉の無い身体をしている。口調は乱暴だが落ち着いていて、若さに見合わぬ貫禄がある。
ガバナファミリー。暴力による支配を迂遠に隠す『国家の象徴権力』とは相反した存在。直接的な暴力によって迷宮都市の裏社会を率いる、国でさえもおいそれと手を出せない一大組織である。
グラシス組はその直参として、港と歓楽街を仕切っている。――ここは、彼らが使うアジトの一つだ。もうもうと立ち込める葉巻の紫煙。
うながされたネッドは薄ら笑い、「…ああ。ヘヘ。そうゆう奴っすね。分かってますって」つらつらと得意げに語り始めた。
「そうですね、まず女戦士トードー。陰気な女ですが頑ななだけですね、あれは。崩せば脆いチョロさを感じます。もうひとりの魔術師キルタはお人好し丸出しです。…ただこいつがですね、ガキのくせに変に落ち着いた、不気味なやつなんですよ」
ネッドはグラシスの前でも軽薄だ。神経質な語り口は軽く、真剣味に欠ける。
「ふてぶてしいっていうんですかねぇ。あいつ人様を待たせておいて、いけしゃあしゃあと『買い物のついでに昼ごはんも食べてきました』なんて抜かしやがる。…何だあいつ、人を馬鹿にしやがって。ありゃあ一辺絞めてやらなきゃいけやせんぜ」
グラシスは一言で切って捨てた。
「ガキの方は必要ない」
「えっ」
「…何だ。人様に徒労と手間ァ押し付けて、同じこと二度言わせる馬鹿なのか?てめえは…」
刳る視線と恫喝に、ネッドは変に焦って言い繕う。
「…いや、そうじゃないんです。…その。さっきのは言葉のあやでして。俺ぁ別に、あいつだけ追い出してやろうとかじゃないんです、カシラ。それに随分と仲良さそうでしたし、…その、モメるのも分かりきってますし。…そのですね、つまり俺の担当ってことは…」
「…何なんだ。まったく…」たまらんとばかりに椅子に深く沈み込み、ため息と共に煙を大きく吐き出す。
「……ネッド。この際だからはっきり言っておく」
「いいか、おめえのスキル『好感度』は、アホみたいな名前だが誰にも負けねえ。やり方次第じゃおめえひとりで国とだって戦えるぐらいの強い『スキル』だ。累積型の低出力ゆえに『スキル』の侵食もない。ユニークスキルゆえに見破られる可能性も低い」
「おめえは世界に選ばれたんだ、ネッド。それをなんだ。モメるから嫌だと?」
目線を彷徨わせ、言葉を濁す。「嫌だとは…」
「同じだ。日和りやがって」腹立たしげに葉巻を吸い込むが、長い灰が落ちることはない。
「良いかネッド。嫌なやるべきことが出来ねえってのは、まあ言ってみれば普通のことだ。おめぇは普通だよ」
「…へへ」照れくさそうに首を竦めるネッドに、グラシスはついに怒鳴り散らした。
「普通ってのはな!そのへんにいる奴らと同じってことだよ!!クズってことだ!!!」
「ヒッ…!」
グラシスは心底頭が痛そうに、腹の底からため息をつく。「…ああ、くそっ。ネッド、お前は甘ちゃんなんだよ。お前がそんなんじゃ、俺はいつまでたってもオヤジに顔向けできねえ」灰を落とし、面白くもなさそうに咥え直す。
「女のほうな、ありゃ本物の厄ネタだ。…王立総合魔術研究所での襲撃事件な。昨日の昼前。警備兵、衛兵隊、研究員の魔術師五十余名が一方的に惨殺された。犯人は、この国で召喚された召喚勇者どもだ」
「…そりゃあ、…だって、この国自慢の【ブレインコントロール】はどうしたんです」「知るか。そして大立ち回りを演じた末に、無傷で脱出してきたのがあの女だ」気を沈め、長くゆっくりと葉巻を吸い込む。
「さらにその後、追撃してきた衛兵隊を一個中隊、ものすごい力で突き殺している。抗魔盾も鎧も貫いてな。全滅だ」
「…は?めちゃくちゃだ。俺そんなのを迎えに行かされてたんすか?…そんなご無体な…」
ギロリと向けられた眼光に、ネッドはまた首を竦める。「…すいやせん」
「衛兵隊の装備は強力だ。徹底的に対策をされている魔術師にできることじゃねえ。ガキのほうも召喚勇者なんだろうが、コソコソ逃げまわってたんじゃたかが知るだ。…迷宮荒らし共の死体から見るに【マジックボルト】は飛ばせるようだが、そんな程度じゃ価値は無え」
葉巻を灰皿に置き、ちょいちょいとを手招きする。――そして、ヘコヘコする軽薄男の胸ぐらを、グイと掴んで引き寄せた。
強く睨みつけ、言い放つ。
「女は『魅了』して、傀儡にしろ」
「『魅了』を維持できるよう隔離しろ。薬を使って中毒にしつつ、徹底的に疎外感を叩き込め。『魅了』を解かれても離れられないようにな。…だからガキから引き離すんだろ?頼れるものを無くせと言っている」
「…お、俺の『スキル』は『魅了』まで上げないほうが強くて…」
「甘ったれたこと言ってんじゃねえ!!!やりたくねえだけだろうがっ!!!」
激昂するグラシスに、ネッドは再度ヒィッと悲鳴を上げた。怯え顔に指を突きつけ、噛み付く様に怒鳴りつける。「ガキが使えるようなら残してやってもいいが、女の心変わりを見せつけろ!それでも折れないなら他で使ってやる。お前がやるんだ。いいな、ネッド!!」
胸ぐらを掴まれたネッドは、汗だくのまま、ギョロギョロと目を彷徨わせている。「…その」
「なんだ」
「うまく段取りできるかどうか…」「いいからやれ!!」
◇
ヘラヘラした態度を振り向きざまに硬化させて、軽薄男は去り際に、押し殺した唸り声を放つ。
「……俺だって、ちゃんと考えてるのにっ……!」
ドアが閉まるのを待たずして肩を落とし、「……だぁぁ……」グラシスはやれやれとため息をついた。
「馬鹿の相手ってのは、ほんと砂を噛むみてえに不愉快だな。…ひでえもんだ。ありゃあ。弱腰に隠した怨念がユニークスキルを呼んだんだろうが、その怨念だって並以下だろ。あんなんで使い物になるか。…アホボンが」
「目先だけの問題行動も多い。裏目る前に先んじて処分したいのが正直な所だが…」
「上手く使えと言うには聞こえは良いが、ただの丸投げだろうが。お前なら出来ると?おためごかしを。まったく…」
「おい!!」どこかに怒鳴ると、へい、と部屋の外から小さくハリのある声が答える。
「歓迎の準備だ。当たりは強めに行け。一戦やらかすつもりでな。中に2、外に2だ。外は戦士団を並べとけ!勇者のカチコミを想定しろ!!」返事と共にドタドタと騒がしい足音が聞こえだした。
「…ふん、実際ブチ切れてかかって来ないもんかな?新入り共」鷹揚に構え直したグラシスは、――ギラリと、凶相に口元を歪めた。
「血が沸き立てばこんなクサクサだって、多少は収まるだろうよ」
◇
(インテリヤクザだ)切田くんはひと目見て、そう思った。
眼鏡を掛けた痩せぎすの男、グラシスは、偉そうに葉巻をふかしながら応接ソファにふんぞり返っている。……左右に強面の護衛を侍らせており、それぞれが攻撃的に睨みつけてくる。
(葉巻って、それだけで大物っぽさが出て良いよな)どうでもいいことを思う。(…だけど、…うーん、これは…)
(…脅しを交えてかっぱぎに来るつもりかなぁ…)剣呑漂う鉄火場の状況。お客様を連れ込むヤクザ結界だ。
暴力の匂わせによって軟禁者を制圧し、言質を取られぬよう追い込んで、自主的に契約をさせる。一般企業も普通にやる手口だ。追い出し部屋とか。(向こうだったら入り口塞がれて『スマホ出せ、スマホ』なんて言われる局面だけど。そういうのはヤクザじゃなくて半グレなのかな?)
スマートフォンの録音録画機能は厄介極まりないが、――社会構造上に不正排除の仕組みがあり、正常に機能している場合にのみ効果は限定される。歴史的には極めてレアケースだろう。ここでは使えない。
(当然僕らはスマホどころか、かっぱがれる何の資産も持ってはいない。身一つだけだ。…それでも人を使って、わざわざ連れ出したってことなんだから。『スキルホルダー』って需要あるんだな…)
(…国の予算で、あれだけ大掛かりに呼ぶぐらいだしなぁ…)国の重鎮並べての大見学会が行われるぐらいだ。望まれる側にはたまったものではないが、たまらん返しは実行済みである。かえって鬱屈のぶつけ所に困る所だ。
案内を終えヘコヘコする軽薄男を顎で下がらせ、グラシスは探る目で尋ね掛けてきた。「…お前ら、『神代の迷宮』に入りたいんだって?」ギロリと睨めつける。
「正規の手段以外で『迷宮』に入って稼ぎたいなら、うちの組織に所属するしか手段は無い。…覚悟は出来ているんだろうな?」
(…始まったみたいだ…)問答無用で初手から、『何も言わずに全面服従しろ』と来たもんだ。『出来てます』とでも答えれば、一旦の服従意識につけ込んで、押し込まれるだけのヤクザメソッドが次々並び立つことだろう。
(…まあいいや、話を進めてみよう。…僕だって、この選択に目があるのか、探りを入れなきゃならないんだぞ…)「あの、雇い入れの条件を詳しくお願いします」
「…あ?」臆することの無い、……というよりもこの場の空気にまったくそぐわぬ斜め上の返答に、グラシスは思わず眉をひそめる。――周囲が瞬時に沸騰した。
「舐めとんのかゴラァッ!!!」
「いい。黙ってろ」猛烈にいきり立った護衛たちを、グラシスはそっけなく手で制す。そして、続けろと言わんばかりに顎でしゃくった。……切田くんの内に警戒感が増す。(脅しつけ路線を止めた?…聞く気にさせたってこと?)
(…いや、相手が身構えたって事だ。潜在的な怖さは増している…)
「『迷宮』にはいれたら、とは思います。ですが、無条件にハイハイ他人に舵取りを渡すほど、僕らに余裕があるわけではありません。…もし僕らにとって理不尽すぎる『飼い方』を望んでらっしゃるんでしたら、僕たちは即座にこの場を去ります。街も出ますよ」
少年のあまりの平坦さに、……少し黙り、グラシスは考えるふうに葉巻を吹かした。「…お前ら、国と喧嘩したらしいな?昨日だけでずいぶんと死体の山を築いたと聞いてるぜ。まるで災害だ」
「ここを去ると言っても行くところなんかないんだろう?うちで働くなら匿ってやると言っている。まともなメシも寝床もある。お前らは選ぶ余裕なんて無い。違うか?」
切田くんはうなずいた。「ありませんね」
「だったら素直に従っていればいい。多少の理不尽など飲み込んでな。大人はみんなそうしている」
「相手にもよりますよ。素直に従うぐらいなら野ざらしで死ぬほうがマシ、なんて事、この世界にはいくらでもあるでしょう」
「……このっ、口を慎めガキゃ!!」再びいきり立った護衛に、グラシスは怒り心頭で怒鳴り散らした。
「うるせえ!!黙ってろと言ったろうが!!ほんっと使えねぇ…」
「だ、だってカシラが当たりは強めに行けって…ぐぼっ!!」護衛が吹っ飛んだ。捻じりこまれた裏拳がどてっ腹に入ったのだ。――棚に突っ込み、調度品がガシャガシャと床に転がる。
背筋を伸ばしたもう一人を一瞥し、……グラシスは再び、険しい眼光で睨みつけた。「キルタだったな?いいか、うちは『企業』だ。働けねえやつ、稼げねえやつはお呼びじゃねえ。…口先だけのやつもな。だったらキルタ、お前。…何が出来る?」
「……」沈黙。『スキル』にまつわる下手なことは答えられない。
「そこの女、トードーの話は聞いている。国軍相手に大立ち回りの末、包囲を破って脱出してきたらしいな。腕のいい奴がうちで働くのは大歓迎だ。キルタ、お前はどうした。今までどんな結果を出してきた」威圧的かつ落ち着き払った態度で、意識の上から睥睨する。
「ずいぶん口先は達者なようだが、その手の奴なんざその辺探せばいくらでもいる。うちが欲しいのは即戦力だ。とっくに実力を示しているトードーに、まとわりついて来ただけのお前なんざ正直お呼びじゃねえ」
「女の陰でいちいち口出ししてきやがるから、仕方なく相手してやってるんだ。それを分かって物を言え。言ってる意味わかるか?」
「ねぇ、ちょっと」横から東堂さんが口を挟んだ。あからさまにグラシスを小馬鹿にした声だ。
「あなたの組織ってその程度なの?情報がいい加減ね。切田くんは私より強いのよ」
「東堂さん」押し止めようとする切田くんを制し、彼女はどことなく自慢げにうそぶく。「追ってきた兵隊たちが全滅した話、まだ届いてないのかしら。やったのは切田くんひとりよ」
(東堂さんがいなけりゃ、僕は轢き潰されて終わってますよ)「…ふたりで殺りました」
おずおずとした追従に、満足げにグラシスを睨めつける。
「ふたりの共同作業。でも強いのはやっぱり切田くんのほう。わたしが手こずった重装備の兵隊たちを、切田くんはあっという間に倒したのよ」
「どうやってだ?」グラシスの油断なき眼光が、警戒心を刺激する。
(探られているな。…ここは黙っていても仕方がない。チンピラの死体やホッパーさん経由である程度の情報は回っているはず…)
「…『マジックボルト』です」
プッ、と誰かが吹き出した。
護衛たちが小馬鹿にしている。……吹き飛ばされた護衛さえも起き上がって、わざわざ元の位置で笑っているのだ。
グラシスも眉をひそめ、興味なしといった体で言う。「【マジックボルト】なんざ、そこらの魔術師だって誰にでも使える。他には?」
……切田くんは正直ムッとした。
(…どうにも敵対的な人たちだ。脅しつけに来ない分だけ、交渉の余地はあるかな、とも思ったけど。…なんなのもう。『マジックボルト』格好良いでしょ?)
(この流れは駄目っぽいな。殺り合う可能性がある以上、不用意に情報は開示したくない…)
(…それに、気に食わないな。正直言って。…もういいや)「東堂さん、ここまでにしておきませんか?」
切田くんは引き際だと思った。――『迷宮』に入るチャンスを棒に振るのは残念だが、相手は餌をちらつかせながら挑発や言いくるめを駆使し、こちらを良いようにしたいだけのようだ。……これは、どちらかというとチャンスではなくピンチの部類だろう。
東堂さんもだいぶムッとしていた。腹立たしげに同意する。「…そうね。わからずやの人たちだわ。これ以上付き合う必要なんてない」
「あの、僕らはそろそろ」
声を高めた少年を遮って、グラシスは声を張った。「ああ、わかった。詳しく話せないならいい。だったらキルタ、口先じゃない実力を俺たちに示せるか?」
「…その御自慢の【マジックボルト】で、あるいはお前が見せたくない力をこっそり使ったっていい。俺たちに実力を、結果を示すことがお前にできるか?キルタ」
(…食いつきが悪いと見て値を下げてきたか。交渉術ではあるんだろうけど…)切田くんはげんなりし、東堂さんは鼻で笑う。
「私たちふたりなら、どんな敵が相手でも無敵よ」
「キルタひとりでだ」
「…駄目よ。ありえないわそんなの。私たちは二人組なの。ふたりで戦うのが前提よ」
「キルタのほうが強いんだろう?なにを慌てることがある」
「……」黙り込む東堂さんを挑発するでもなく、穏やかに、言い含めるように続ける。
「最初だけだ。これはキルタの実力を測る試しだぞ。それが終わったらお前らを二人組として扱ってやる。それでも嫌か?」
(脅しも駆け引きも終わって、ここからが本題ってことか。…駆け引きがあって当然って感じ、僕は嫌いだな。…僕は正直、値引き交渉みたいな事だって嫌なんだ…)値引き交渉に勝って得をする類の妄想は、根拠なき自我と詐欺師を内外に呼び込む事となる。気をつけたほうが良いだろう。(全力で偏見……!)
(…とは言え『迷宮』は、僕たちの強さに直結している…)相手に譲る余地があるのなら、安易に交渉を捨てるべきではない。切田くんはご機嫌斜めの相方をなだめた。「…もう少しだけ話を聞いてみましょう、東堂さん」
「…切田くんがそう言うなら」彼女も不本意そうに答える。
さて、交渉の本番開始だ。少しだけ身を乗り出す。
「それで、オカシラさん。僕はなにをすればいいんです」
◇
「うちの組は『盗賊ギルド』という組織と揉めていてな」面白くもなさそうに、フシフシと葉巻の煙を吐き出す。「迷宮ギルド、ひいては素行の悪い貴族どもが引き込んだ外国の組織だ。うちのシマにも食い込んで好き勝手やっている」
「そんな奴らの一団が、真夜中にうちの傘下の商店を襲った。金を奪うだけじゃねえ、詰めていた人間を皆殺しにしやがった。畜生働きのド外道よ」
「…今、俺たちはそいつらのねぐらをつかんで監視している。キルタ」何気ない口調で、グラシスは言った。
「お前、ひとりで殺ってこい」
ギラリと殺気立つ手のひらを、サッと腕を伸ばして握る。……彼女も強く握り返してきた。
そんな様子を一瞥し、グラシスはそっけなく続ける。「見届けに何人かつけてやる。そいつらに実力を隠してもいいし見せつけてもいい。結果だけで良いからお前ひとりで殺るんだ。…相手は十人前後。フル装備の衛兵隊一個中隊より強いってことはない。出来るよな?」
「……切田くん、これは『違う』わ」
そう言いながら東堂さんは、じっと横顔を見つめてきた。「…今までは、私たちを害しに来た人たち。これはどんなに酷い事をした人達だとしても、私たちには関係のない人たちよ」
「店員や店主だけじゃねえ、女子供まで惨殺された。店主の妻は強姦された形跡もあった」
「……」黙り込む彼女を横目に、切田くんは慎重に考えを巡らせる。(確かに、相手がどんなに極悪人だったとしても、今回は僕が殺す道理など無いな。東堂さんの判断は正しい)
(つまり、それを押してでも働けるかどうか。値する十分な報酬があるかどうかだ。…働くっていうのは嫌なことなんだな…)
(……働きたくないな……)切田くんはどんよりした。働きたくなぁい。
(とはいえ、『迷宮』による強化は必要。…そして正規の手段では、おそらく僕らは『迷宮』に入れない。魅力的な報酬ではある…)
(…働きに対して提示された報酬は、①『国の追手から匿う』こと、②『今後も働かせてやる』こと、そして③『神代の迷宮に入らせてやってもいい』という、おぼろげなものの三点。…はたしてこれは、『関係のない十人の盗賊を殺す仕事』と釣り合うものだろうか?)
(……うーん、微妙だな。元の世界で言うと『武装民兵ゲリラをひとりで潰せ』って事だろう?いくら僕が銃を持っているからって、元デルタとかスーパー暗殺者じゃないんだから…)
切田くんは、昨日の朝まで普通の高校生である。不思議な武術など習っていないし、怪しい里や血統の出身でもない。……なんなら普通の高校生よりも、フィジカルに関しては自信がなかった。
(向こうは、足元見る気満々だ。後で報酬を翻すかもしれない。…とても信用出来るものじゃない、か)
(だったら自分の舵取りを手放すことはない。ここは離脱かな?)
(拒否を理由に襲ってくれば、反撃する道理は立つ。…そうなればこの人たちをボコボコの半殺しにして、有利な条件を引き出すことだって出来るかもしれない…)
(……ただ、このヤクザさんたち、僕らが追手の兵士を皆殺しにしたって知っているのに、この少人数でいるんだよなあ……)ムムムとなる。
(…うーん、正直厳しいな…)
「キルタ、ちょっと耳をかせ」悩む切田くんに、グラシスはちょいちょいと手招きをする。
「…なんです」
「いいから来い」
おずおずと近づく少年に対し、立ち上がったヤクザは、顔を近づけてヒソヒソ囁く。
「…お前、女にいい暮らしをさせたくはないのか?」
「……」
(うぐっ)切田くんは、内心大きくよろめいた。
グラシスは真面目くさって続ける。「『迷宮』は稼げるぞ、キルタ。【マジックボルト】以外の魔法書も手に入るし、魔法の武器や道具だって手に入る。使わなくとも高く売れるぞ。うちはそこから上納金を徴収する。そうなればお前もうちも潤うwin-winだ。お前が実力を示しさえすれば、必ず『迷宮』で稼がせてやる」
「もちろん今回のような荒事にも携わってもらうが、それには特別な報酬を出す。組織のために命を賭ける『スキル持ち』なんだから優遇するのは当たり前だ。…実力を示すって言うのはな、取引相手に約束を守らせるってことだ。お前を味方にしておく判断をさせるってことなんだぞ?」
「…キルタ。お前が断れば女ともども街から出ていくしかない。しかも街からうまく出られればの話だ」
「…当然、追われる毎日。ろくに屋根の下で休むことも出来ない。そんな日々が女に耐えられるか?お前、心苦しくならないのか」
「うちで働けばいいところに泊まれる。いいものも食える。これ以上追われることもない。女にとって、どっちが幸せだ?」――少年から顔を離し、強く鋭く囁きかける。
「俺は奪いも脅しも騙しもするが、筋は通す。…甲斐性を見せろ、キルタ。これは男の世界の問題だ」
(…くっ…)
切田くんは、観念したかのように言った。「わかりました」
「…切田くん!?」
「殺ってみせますよ。その盗賊団。…僕がひとりで」