トレード
「…外に出ていろ。『寝取りのネッド』」店に入るなり顔をしかめた店主のホッパーが、苛立たしげに自身の薄い頭部を掻きむしった挙げ句に、ガバナの『スカウトマン』たるネッドの事を、酷く鋭く睨みつけた。
「…おいおい、そりゃ無いぜ、ホッパーの旦那。俺は、あんたに、わざわざ客を…」
「おめえの邪魔をする気はないがな。話がややこしくなる。…早く行け」険悪な顔で睨み合う。――店内に、剣呑な空気が満ちる。
「……ああ!」「ああ。そゆことね?」ネッドはおどけて肩をすくめた。
「……あーあ。こうやって和を乱すのって、ホント良くないよな。ギスギスばっかりしちゃってさぁ……」これみよがしに舌打ちをし、……我慢しきれなくなったネッドは壁を蹴って怒りを顕にして、少年たちに向かって刺々しく指を指した。
「いいかお前ら。こいつのせいだ。…買い物が終わったら、さっさと酒場に戻ってくるんだ。でないとお前らのことなんざ放っといて帰るからな。先の事も何もかも、全部台無しになるんだ!」
「……いいなっ!?台無しだっ!!」
◇
けたたましい音を立ててドアが閉じる。(…うるっさーい…)やれやれとフードを外し、少年少女は素顔を晒した。――開放感を感じる。殺伐の中をくぐり抜けてきたとはいえ、ギスギスした空気は肌に合わない。
「…ああやって、返答を迫るタイプの人って、嫌いだわ、私」
「僕も苦手ですけど」顔をしかめる彼女に、切田くんは真面目くさって答えた。「じゃあ、あの人に対しては無口キャラ推しでいきますか。東堂さん」
「……無口キャラ推し?」怪訝そうだ。
(…そういえば漫画とかに出てくる『無口キャラ』って、現実には成立しない気がする。喋りたくなければ場を離れりゃいいだけだし)切田くんは馬鹿なことを考えている。
(…それが出来なくて、黙って我慢しちゃう人は、――残念ながら、加害を被るだけの不憫キャラにしかなれない。無口キャラとは違うんじゃないかな…)……ふと、無口キャラ推しであるはずの彼女が、整った顔をいたずらっぽく、挑戦的にじとっと笑いかけてきた。
「じゃあさ、切田くん。きみは私が何も言わなくとも、考えていることを全部、察してくれる人にならないといけないんだよ。…本当に出来る?」(…無茶苦茶言いよるわ、この人…)
「…うーん、察するところ、『この世の全ては私のもとにひれ伏しなさい!』とかですかね」
「…言ってない!そんなの…!」ムスッとしてしまった。プンプンだ。(似合うと思うんだけどな…)三段笑いもつけてほしい。
……奥のカウンター、ホッパーが難しい顔で眉を釣り上げ、ブツブツ何かぼやいている。「つまらん情が裏目に出たか。よりにもよってあいつが来るとはな。…聞いてないぞ、グラシスの所に出向していたとは…」
「…どうしました?」
「……いや」訝しげな切田くんに、店主は力なく頭を振った。「悪いな。個人的な事だ。…あいつだって組の使いっぱしりぐらいはちゃんとやるさ。たっぷり待たせておけばいい」
「武器が欲しいんだったな。こっちだ」ホッパーに連れられて、カウンターの奥へと向かう。
◇
「おお」「わぁ」
壮観であった。部屋には古今東西さまざまな武器が吊るされ、乱雑に積まれていた。マジカルバナナではない。
短剣、長剣。
曲刀、細身の剣。
手斧に戦斧。
長柄の武器に戦鎚や鎚鉾。
弦を外した弓やクロスボウもある。(…かっけー…)
「まあ、うちは武器屋じゃない。全部が全部よろしくないルートから集まったものだ。中には魔法の武器も混じっちゃいるがな」やれやれと、肩を竦める。「お前たちが買える普通のは、正直なところ売れ残りの死蔵品だ。…迷惑料代わりだ。今日は安く売ってやるぞ」
(ネッドのことかな?…まあ、迷惑ではある)興味深げに武器を眺めていた切田くんだが、ふと隣に尋ねかける。「そういえば東堂さん、なにを使うか決めましたか?」
「うん」「見繕ってやる。レイピアあたりか?」気を利かせようとするホッパーに、東堂さんは答えた。
「棍棒」
「……」切田くんとホッパーは、遠い目で沈黙した。悟りを開きそう。
「棍棒がいいわ。安いし」東堂さんは片手でギュンとエア素振りしてみせる。「…えいっ。私、武器なんて使ったことがないもの。技術抜きで戦える武器が必要よ」
(東堂さんの判断は的確だ)切田くんは苦悩する。(だけど、太い樫の木の棍棒を振り回す東堂さんなんて、僕が嫌だ)「…杖なんてどうです?打撃用の」
「…クォータースタッフか。悪くない選択だな。…第一安い」ホッパーは一メートル半ほどの長尺の杖、先端が金属で補強された、中国拳法の棍のような武器を引っ張り出してきた。
「それじゃあ軽すぎるし」
「第一、やわすぎるわ」
東堂さんの戦いぶりを思い出す。確かにこのクォータースタッフではすぐにへし折れてしまうだろう。「…そうかもしれませんね」「おいおい」ホッパーは怪訝そうだ。
「これがいいわ」東堂さんが手に取ったもの。それは、黒く光る巨大鉄球の付いた鉄棒だ。
鉄球には凶悪な鉄の棘が何本も埋め込んであり、側面には鋭利な鉄の鈎が飛び出している。(対騎兵用だろうか)柄の部分もすべて黒鉄製で、柄の長さは一メートル、棘鉄球は棘の長さを合わせれば直径三十センチほどにもなる。非常に重そうだ。
「…お前な。そんな細っこい形で、……って、…おいおい…」苦言を呈したホッパーだったが、――光景に、息を呑んだ。
轟と空気が震え、風圧が巻き起こる。東堂さんはその棘付き鉄球棍棒を、片手で軽々と素振りしてみせた。
「…これ、どうやって持ち歩くの?」「…なに?」
「腰に差したら、脚にこの棘がチクチク刺さりそうなのだけれど」東堂さんは鉄球の棘に手のひらを、チクチクと当てた。
「そうだな?」
「そうですね?」確かに痛そうだ。
◇
結局棘のないタイプ、同じぐらいの長さの鎚鉾を選ぶことになった。
ヘビーメイスと呼ばれている武器だ。鉄球のかわりに打撃部には円筒の重しが付き、そのまわりをひし形の鉄片が組み合わさって十字の縁を形作っており、全体が鈍い銀色に輝いている。外見だけは非常に優美だ。
「綺麗な作りをした棍棒ね」
「フルアーマーの騎士が殴り合う時に使う武器だな。兜越しでも頭を殴れば派手に血が吹き出すところから、『ホーリーウォーター・スプリンクラー(聖水散水機)』なんて言われているが。…まあ、言ったもんだな」
「正規に買えば結構するがな。金貨十枚でいいぞ」
(…散水機とか有るんだな…)技術力に当惑しながらも、財布から金貨を渡す。研究員やならず者たちが持っていた金貨はまだあるが、先を考えると少し心もとない。「あと、被りの魔法書を買い取ってほしいんですが」
「…ふむ。見せてみろ」肩掛けバッグから出した黒い本を受け取り、軽く目を通す。「…【マジックボルト】か。金貨三十枚で買い取りだな」
「ちょっと」東堂さんがそれを聞き、抗議の声を上げた。
「金貨百枚以上で売るんでしょう?安すぎるわ」
「馬鹿を言うな。お前たちの住んでいたところでは、この手の品は何割で仕入れていたんだ?消耗品だぞ」
「……」
「三割でも良心的だ。うちはぼったくる店とは違うんだからな」
(消耗品なのは関係ないんじゃないかな…)「…じゃあ、それでお願いします」
しぶしぶ答える少年から目をそらし、くしゃくしゃと頭を掻く。「……まあ、そうだな。【マジックボルト】は需要のある品だ。なんなら別の魔法書と交換してやってもいいぞ」
「売れ残りだが、お前には必要なんじゃないのか?」
……ありがたい話ではあるが、随分と親切な話だ。ふたりは顔を寄せ合い相談する。
「…切田くん、いい話だと思うけれど」
「…僕もそう思います。ただ、今は現金を持っておきたいと考えています」
「売っちゃう気なの?」
「ええ」
「…どうして?怪しい話だと思った?…それとも売れ残るような魔法なんて、大したものじゃないと考えているの?」
「いえ、どんな手札でも増やせば役に立つとは思いますけど…」
「…店主さんに遠慮をしているの?たしかに貴重な品ではあるのだろうけど」
「そこまで殊勝じゃないですよ。ホッパーさんにだって利益は出ると思いますし」
頑として譲らない様子に、東堂さんは困りきって尋ねた。「…じゃあどうして。そのお金で何か、別のものが欲しいの?」
冗談めかし、いたずらっぽい顔で問う。「まさか、新しい魔法よりも私の下着のほうが大事だなんて言わないでね」
「……えっ」
切田くんは、ひどく残念そうな声を出した。
東堂さんは目をパチクリさせる。(かわいい)
(…東堂さんの言うことも尤もだけど、…ここは絶対に引くわけには行かない…)少年の内には決意の炎、確固たる意思がある。(決めたことを、する。それが出来るかできないかで、決意の重みは違ってくる。毅然とした態度で望むんだ)
「…大事なの?」
「はい」
「…そ、そうなの?」
「ええ」
「…そうなんだ。…で、でもきみ、そんなにノリノリだったかな。昨晩もさっきも、ただ調子を合わせてくれたものとばかり…」
「それとこれとは別です」
「……う、うん。でも、その、切田くん。後にしよ?」
「うーん」
「…エッチな下着は、後のお楽しみにしよう?ね?」
「お前たちは何を言ってるんだ」ホッパーが頭を抱えたまま、ふたりの会話に割り込んでくる。「塩撒かれたいのか。見せつけるのが趣味か?」撒かれたくない。
「キルタ、お前たち今いくら持ってるんだ」
「あと金貨二十枚ちょっとですね」「ずいぶん持っているじゃないか。それだけあればシルクの良い下着ぐらい、何セットか買えるだろ」
「そうなんですか?良かった」ホッとする。ならば、交換になんの支障もない。(もっと良いお値段がするかと思っていたけど。…たしか、凝ったメイスは、近世に近い中世後期の武器のはずだ。技術や流通は意外と進んでいるのかもしれないな)
……東堂さんは、安堵したような、困ったような顔をしていた。――頬を染めてうつむき、目を向けづらそうにチラチラと、呟くように尋ねかける。
「…そんなに楽しみなの?」
答える前に、ホッパーが眉根を寄せて割り込んだ。「その話はもういいだろう。後でふたりでこっそりやってくれ。人の見ていない場所でだ。いいな」
「わかりました」切田くんはうなずいた。……東堂さんはそっぽを向いてしまった。
「……そうか。今、魔法書を持って来るから待ってろ」なんだか老け込んだ声。
◇
ホッパーに許可を取り、ここで魔法書を読んでいくことにする。
横では東堂さんが、竜巻でも起さんばかりに轟々ヘビーメイスを素振りしている。天井や商品、棚に当たりそうで非常に危ない。……ホッパーは気が気じゃない様子だ。「…おい、ぶつけるなよ?」
「気をつけるわ」コンパクトな素振りを始める。大振りよりも鋭さが増している。……やがてその素振りからは、殺気さえ漂い始めた。「ふふ」(東堂さんが楽しそうでなによりです)
今回の魔法書は【マジックボルト】よりも簡単な魔法のようで、すぐに読み終わってしまった。――魔法書は塵となって消える。早速小声で詠唱してみた。
「『魔力よ、示せ』。【ディテクトマジック】」
武器のいくつかが、ぼんやりと緑の光に包まれて見えるようになった。なんだかカッコイイ。(光っているのが魔法の武器かな?魔力が見える魔法か。これは普通に役に立ちそうだな)
「迷宮に入るならば、【ディテクトマジック】は切らさないでおけ。罠や仕掛け、見えない敵が見えることもある」
「ホッパーさん、助かります」
「…俺は普通の仕事をしただけだ。礼を言われる筋合いなどない」礼を言われるのが本当に嫌そうに、眉をしかめてボソリと続ける。
「…見えないものが見えたからといって、それがすべてだと思い込めば、必ず罠にハマって死ぬ」
「余計なお世話だろうがな。気をつけろ。『迷宮』だろうとなかろうとな」
「…えっ?」当惑する切田くんを横目に据えて、つっけんどんに答えた。「俺にだって仕事があるんだ。…もう子供じゃないんだろう?あとは自分たちで何とかしろ。俺は知らん」
「…ありがとうございます?」素振りを止めて寄ってくる東堂さんと、一緒に顔を見合わせる。「…その、ホッパーさん。あと一つ、聞きたいことがあるんですが」
「わかっている。みなまで言うな」真面目くさって目をつぶり、ホッパーは答えた。
「高級店や貴族向けの、下着を扱う店を紹介してやる」
「ありがとうございます」「…ありがと」




