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ホットひと息

 戦闘を終えたふたりは、(ふたた)び歓楽街まで戻ってきた。時刻はそろそろ夕方だ。


 混んでいる。(グェー…)以前に増して喧騒(けんそう)は増し、笑いや嬌声(きょうせい)(あふ)れている。様々(さまざま)な酒の匂い。食欲を誘う料理の匂い。――そこはかとなく(ただよ)う、()()()匂い。


 その多くは仕事の終わり、暗くなる前の(わず)かな一時(ひととき)を過ごす(ため)の人々であろう。無事な終日への安堵と埋め合わせの馬鹿騒ぎに、羽目をはずす者も多そうだ。


 ――隣には、外套のフードを深く(かぶ)る女性がいる。


(…(ほっそ)いからなぁ、この人…)厚い人波に割って入ると、流れに持っていかれそうで心配になる。握った手を引き寄せ、少し先行すると、……熱と気配。(かか)()む様に腕が絡まり、(からだ)が寄せられるのが分かる。


 敵や賊の気配は無い。いたとしても、()()分厚い人混みの向こう側だ。外套に顔と服装を隠し、探索魔法の追っ手も振り切った今、彼らに目星を付けられる心配は()()あるまい。――自身が危険に近づくのならば、また話は別だが。


 ……歓楽の人波をひいこら()()けて、やっとの事で外套を売ってくれた店へとたどり着く。建物の看板には、たしかに『ローカス商店』と書かれている。(…ぐへぇ、着いたぁ…)超混んでた。お祭りか。


(脱出するにも潜伏するにも旅の装備は必要なんだから。さっきの店主さんに相談して……って、…あれ?)手を繋ぎ合うふたりは、店の前にて足を止めた。……ものの、


「……」


 兵隊たちとの()()()()からずっと、東堂さんはどこか上の空のままだ。看板の前で立ち止まったまま、フードの(かげ)でうつむいている。


 ふたりの間には特に会話もない。切田くんも雑談が得意な(たち)ではないので黙っていたが、――握る手のひらの熱を感じていたし、特に気まずい感じもなかったので、(こういうものか)と気にはしていなかった。


 しかし、目的地であるローカス商店にはたどり着いてしまった。


(……そうか。()()に呼びつけられてこのかた、ずっとドロドロのストレスが連続している……)このまま声をかけて彼女を()()()とさせる事に、切田くんは(とげ)を感じる。


(理不尽な想いを()いられているんだ。心の負荷だって大きい。……奥底の疲弊(ひへい)は、上辺(うわべ)の『精神力回復』で(おさ)えられるものじゃない。とにかく休める場所を探さないと……)


 切田くんは言葉を飲み込み、……握ったままの彼女の手を()()()()と揉む。(…無いかなー…)ナイ。……怪訝な顔になり、ムッとして顔を赤らめて、(…ヤベ)刺々(とげとげ)しくなにかを言いかけた彼女は、()()()気づく。


「ごめん。ぼうっとしてた」


(…セーフ?…いや、やっぱり何か駄目だった気がする…)「考え事ですか?」


「……うん。……そう」端切れの悪い答え。「……」無言でじっと見つめ、目をそらす。……そこに奇妙な熱を感じ、少し戸惑う。(…何だ?…じめっとした、…梅雨の湿気、みたいな…)


「気を使ってくれてありがと。行きましょう?」(すず)やかな声で、覗き込む様に笑いかけてきた。……気のせいだったろうか。(…気のせいかぁ…)


 フードを取って、おずおずと『ローカス商店』に入っていく。(…気まずィ〜…)すると早速、店主がため息混じりに見咎(みとが)めた。「なんだ、何故戻ってきた。来るなと言うのが聞こえなかったのか?…まったく…」


 情に(さお)差し流された、みたいな言い方に、切田くんは流石に申し訳ない。「…すみません。事情があって」


「串焼き屋さんに聞いたの。ローカス商店のホッパーさんのところに行けって」


 それを聞いた店主は、頭をグリグリと掻きむしり、毒づく。


「……こんなヤバそうな案件を取り込む気か。しかも子供だぞ。見境なしにも(ほど)がある……」


「えっ」


「まあ、いいだろう。何が必要なんだ?」



 ◇



 大きめの背負い袋(バックパック)、飲み口のついた水袋、火口箱、薄い毛布、地味なローブ、蝋引きの防水布。(…テントは流石に邪魔かな…)ホッパーはふたりの要望に合わせ、それらを2セット取り出してくる。


「飲み口がついていない水袋も、追加で一袋お願いします」切田くんの要望に、東堂さんは少し眉をひそめた。「かぶる気なの?」


 交換用水袋を奥から取り出し、ホッパーがやれやれと気がかりを向ける。「必要最低限、と言ったところだな。簡易的な野営ならば十分だろうが…」


「それと、見てほしいものがあるんですが」硬貨を並べ、魔術師から奪ったショルダーバッグを見せる。――小奇麗な本が三冊入っている。店主は一瞥(いちべつ)をくれて即座に答えた。


「魔法書か。売るのならば高値で買い取るぞ」


 切田くんのテンションが少し上がった。(魔法を習得するためのアイテムかな?)「…どういうものなんです?」


「読めば魔法が使えるようになる」(よし)心の中でガッツポーズを取る。憶えられる保証はまだ無いものの、(…この流れからすると、絶対『異世界言語』で読めるやつ。僕は詳しいんだ)魔法を使えるのはカッコイイ。流れとか言うな。


「詠唱と魔力は必要になるが、擬似的な『スキル』が手に入るようなものだな。店に置けば金貨百枚からでも(さば)ける高価な品だ。良いものは天井知らずだな」


「どうやって魔法をおぼえるんです?」


「その魔法に適正があり、古代語を読める者ならば目を通すだけで習得できるはずだ。ただし一度使うと力を失う使い捨てのアイテムだな。読んだことが無いのか?」「はい」


「…つまり、お前らは『スキルホルダー』か。ろくに戦う(すべ)も持たずに『スキル』の力だけで戦ってきたのか?…よく生きていたものだ」



「……」



 ふたりは口をつぐむ。図星を刺されたのはそうだが、余計な情報を言うべきではない。(だいぶ察してそうだけど…)ホッパーは眉間にしわを寄せ、「ああ、違う。すまんな、そいつは俺の仕事じゃあない」硬貨を片付け、仕方なさそうに続ける。


「お前たち、今晩から野営をするつもりか」


「……わかりません」


「野営は(つら)いぞ。こんな軽装備ならばなおさらだ。街の外はもちろん、街の中でさえな。今までしたこともないんだろう?」顔を見合わせるふたりに、やれやれと肩をすくめる。


「今日は裏手の酒場に泊まっていけ。余計な詮索(せんさく)なぞされん宿だ。橋の下だのスラムの木賃宿(きちんやど)なんぞに泊まったら、身ぐるみ剥ぎに寄って来た奴らと『問題』を起こすだろう。お前たち」


「…酒場の主人には俺の紹介だと言え。ちゃんと宿賃は払えよ」


 ありがたい話だが、ずいぶんと美味い話だ。それに、先程聞こえた『取り込む気か?』という言葉が気になってもいた。(ここに来るよう、串焼き屋さんに誘導された?何のために?)


(…裏社会の人間が、僕らの力に興味を持っているの?)警戒値が跳ね上がる。(…だったらホッパーさんだって、僕らを誘導して(とど)()きたがっている、という事になる。…寝ている間に裏社会の人間を引き込むつもりなのか。…罠なのか?これ…)「……そうしなければ、どうなります?」


「別にどうもせんよ。好きなほうを選べばいい」鋭く剣呑(けんのん)詰問(きつもん)だったが、気にもとめずに店主は答える。(…あれっ?…)


 肩透かしされた気分。ホッパーは裏の意図を隠すつもりさえ無いようだ。(…僕が肩肘張り過ぎなのか。…含むところはあるようだけど、この人は、僕らに親切にもしてくれた…)「…ホッパーさんはどっちが良いと?」


「さあな。お前たちがしばらくこの街に滞在するならば、泊まっていったほうが都合の良いこともあるだろうな。一切関わりたくないと思ったのならば、悪いことは言わん。さっさと街を離れることだ」気のない返事に、ぐりぐりと頭を掻きむしる。


「後悔の無いよう決めることだな。俺は知らん」


 隣にちらりと目を向けると、東堂さんは不安げにうつむき、ためらいがちに答えた。「……ベッドは……あったほうがいいかな……」


 切田くんはうなずき、ホッパーに向かって答えた。


「泊まっていきます。ありがとうございます」


 店主はふんと鼻を鳴らし、座ってそっぽを向いてしまった。


 一礼し、外に出ようと背を向ける。「酒場でも泊まれるんですね」「そうね」


「…連れ込み宿だぞ」


「え」



 ピタリと止まったふたりの背中に、片眉を上げて一瞥(いちべつ)をくれる。



「別に構わんだろう?」「別に構わないわ」東堂さんが即答する。切田くんは何か言おうと()()()()したが、結局口をつぐむ。


 彼女はツンとした態度でフードを(かぶ)ると、少年の腕を引いてドアを開けた。



 ◇



 裏通りは狭く、薄暗くて汚い。そして表通りに負けぬ(ほど)に混み合っている。(ほぎゃあぁぁ…!)小さな酒場や食堂、立ち呑みのあばら家、怪しい屋台や露店などがひしめき合って(「蟻のミートボールだよ!」「食べてみます?」「…本気で言ってるの?」)、繁華街の表通りにも引けを取らぬ混雑具合だ。……喧騒(けんそう)と笑い声。(あい)も変わらぬすえた匂い。


 ホッパーに紹介された宿は、周囲とは一線を画す大きな酒場だ。二階建ての奥行きのある建物で、ずいぶんと羽振(はぶ)りが良さそうだ。――それでも門構えはボロボロで、この雑然(ざつぜん)とした裏通りに調和し、溶け込んでいる。


 店内では、ガラの悪い男たちが大勢で歓声を上げている。扇情的な格好(へそ出しすぎ)の女給たちが忙しそうに働いており、客にしなだれかかっている女給の姿もある。娼婦も兼ねているのかもしれない。


 視線を追った東堂さんが、そっけなく言う。


「切田くん、興味があるの?ああいう人に」


「え」


「前もデレデレしていたでしょう。道で声を掛けられて」


「め、面食らっただけですよ」……問う声に、なんだか険がある。別に興味は無くなどないが、決してそう答えるわけにもいくまい。


 喧騒の内とテーブルに分け入る、場にそぐわない格好の二人組。――何人かの客がそれを見咎(みとが)め、ひそひそと相談を始める。……店内に、剣呑(けんのん)な気配が満ちる。


 カウンターでは酒場のマスターが、気にもとめずに皿を磨いている。カウンター越しに声をかけてみる。


「すみません」場にそぐわぬ若い声に、ギロリと鋭い眼光。フード姿のふたりに眉をひそめた。「ガキの来るところじゃねえぞ。さっさと出ていけ」――たちまち張り詰める、一触即発の空気。切田くんは落ち着きはらってクールに答えた。


「ホットミルク」


「切田くん?」東堂さんがジトッとした目で(とが)める。真剣(ガチ)めの剣幕にヒェッとなった。西部劇ごっこでふざけている場合ではない。


「…ホッパーさんの紹介で」


「ふん」酒場のマスターは客席を見渡すと、かるく手を振ってみせる。客たちは一斉に興味を失い、騒ぎの中へと戻っていった。


 マスターは銀色のミルクタンクを取り出し、鍋に中身を注ぎかまどにかける。……牛乳の匂いがする。(あるんだ。ホットミルク)「…私にも一杯お願い」納得のいかなそうな東堂さんの声に、マスターは無言で牛乳を継ぎ足す。


 沸騰する前に鍋を持ち上げ、木彫りのジョッキに順に注いでいく。――()()()みたいに鍵を取り出し、コトリとジョッキの横に置いた。「そら、銀貨二枚の銅貨二枚だ。二階の一番奥の部屋を使ってくれ」


「どうも」「ありがと」


「コップは後でちゃんと返せよ」



 ◇



 夕暮れ時、薄暮(はくぼ)。周囲は暗くなり始めている。


 酒場の二階は()()()と狭い間隔で、"お(とま)り部屋"のドアが並んでいる。壁掛けのランタンには火が入っておらず、木窓より差し込む光は(すで)に頼りない。……下から遠く、喧騒(けんそう)が聞こえてくる。


 一番奥の、殺風景な空き部屋。部屋の中は薄暗いを通り越し、暗い。


 (すみ)には燭台(しょくだい)があり、半分に溶けた蝋燭(ろうそく)が受け皿に載っている。(…課金アイテムだろうな。後払いの…)本来ならば廊下のランタンから火を移すのだろう。


「…暗いね。明かり、どうしよっか」「僕、出来ますよ。東堂さん」パチンと指を鳴らすと、燭台(しょくだい)にこぶし大の光球が現れた。課金回避。――煌々(こうこう)と部屋中を照らし、その場でフワフワ浮いている。


「…明るくなった。また別の力?」


「同じやつですよ」「ふぅん」興味深げな横で、切田くんは心の中で得意気に種明かしをする。


(『飛ばないマジックボルト』だ。決して強い力ではないけれど、なかなか融通(ゆうずう)の聞く力だな。『スキル』と言っていたっけ)


「……いつまでポーズを取ってるの?」


「はい」指パチした腕を引っ込める。


 粗末なベッドが一台。袋状の麻マットが敷いてあり、一応は清潔そうなシーツが(かぶ)せてある。南京虫のいる気配はない。他には粗末な机が一つ、椅子は見当たらない。(結構狭いな。ベッドは東堂さんに使ってもらうとして、椅子がないのは困るな…)


(僕は床でいいか…)考え込んだ少年を尻目に、東堂さんが()()と進み出ていく。てきぱきと鍵やジョッキを置き、机を持ち上げてベッドの横に配置する。


 そして早々(そうそう)に、ベッドの端へと腰掛けた。


 ぎし、とベッドが音を立てる。



「切田くん」



 入口で()(すく)む少年を見つめ、自分の横をポスポス叩いた。


「はい」切田くんは素直に従った。ハイハイBOT(ボット)だ。



 牛乳ジョッキや荷物を置き、東堂さんの横へと(遠慮がちに、ギクシャクと、少し隙間を開けて)座る。……体重をかけると、ギシリと不安な音が鳴った。だいぶ()()()()()ベッドだ。


 これで部屋には二人きり。


 すぐ横より彼女の体温と、隣を意識している気配が伝わってくる。自分と同様に、少し緊張もしているようだ。「……じゃあ、脱ごっか、切田くん」


「うぇ、…は、はい?」思わず横目で見ると、東堂さんはいそいそと外套や装備を外し、(たた)んでベッドや床に置いている。(…なぁんだ…)切田くんはホッとする。……と同時に、()()()()もする。(…別に全部脱ぐわけじゃないだろ。何を考えているんだ僕は…)


(ちょっと期待したって?)


(……)懊悩(おうのう)する横にて『聖女』は(かが)みこみ、ローブを足元からまくり上げていく。――あらわになる、スラリとした脚。扇情的な、ボロボロのストッキング。(…ヒュー)


(……こんな綺麗な先輩が、すぐ横で着替えをしているだなんて)


(正直めちゃめちゃモヤモヤする。しかも連れ込み宿(ラブホ)で)


(…やばいだろ、これ…)動揺もしていたし、変態っぽい思考にもなっていた。――だが、『精神力回復』により落ち着き払って外套や荷物を置いていく。一見クールだ。(有能スキルすぎる。普段ならば絶対にキョドっていたはず)


 制服姿の彼女が、白いローブを(たた)んだ外套に重ねる。


 膝上丈(ひざうえたけ)のスカートから伸びる、スラリとした足のライン。――穴だらけのストッキングと生足が作る隙間が、彼女の動作に合わせて(なま)めかしくよじれている。(…おおー)切田くんはついチラチラ見てしまう。


(…見まいとは思ってるんだよ。…こんなに意識していたら、すぐに気づかれて嫌がられてしまうな。…どうしよう…)


 ブレザーのネクタイを(ゆる)め、外す。――肩までの黒髪が()()げられ、吸い込まれそうな白いうなじが垣間見(かいまみ)えた。(ヤバーイ!!)切田くんは悶絶した。


(だめだダメダメ。意識しすぎて苦しい。東堂さんが無防備すぎるのも悪いんですよ。わざとやってる訳じゃないんだろうけど…)



 ……どこからか、カリカリという幻聴が聞こえる。



(まあ、それどころじゃないか。非常時だものな)


 ジョッキをふたつ手に取って、机の上の埃を強く吹き散らかす。牛乳ジョッキを戻し、串焼き肉の包み(←うまそう)やドライフルーツの袋を机に置いていく。


 東堂さんはうつむいて、ブレザーのボタンを丁寧に外していく。


 血塗(ちぬ)られたブレザー。(かたまり)()がれ()ちないよう、慎重に脱ぐ。…ブレザーはもはやボロボロだ。これはそっと床に置いた。


 中のブラウスはほとんど汚れていない。ボロボロの(そで)を丁寧に(たた)んでまくりあげ、彼女は人心地(ひとごこち)付いたように、「ふう」と息をついた。


「今日は大変でしたね」なんの気なしの言葉に、破顔する。


「ふふ」くすくすと照れくさそうに笑い、彼女は答えた。


「大変だったね」



 初めて見る、東堂さんの笑顔だ。



 いつもの凛々(りり)しく硬質な感覚は薄れ、(ととの)った氷の美貌は、今は柔らかさをたたえている。――そして、その柔らかさは、()()()()()こちらに向けられている。(…んンー…)


 切田くんは暖かくてソワソワした気持ちになった。食料袋へと手を伸ばす。「…食事にしますか。バゲット食べます?」「食べる」


 取り出した丸いバゲットは固く、かさかさだ。短刀で切り分けようと思ったが、奪った盗賊の短刀をそのまま洗ってもいないことを思い出す。……流石に使える気分ではない。(…なんか油塗ってあるし…)錆止めだ。


「貸して」東堂さんは手を伸ばしてバゲットを受け取ると、蓋をするように手のひらを重ねる。…すると、カラカラのバゲットが、心持ち瑞々(みずみず)しくなった様に見えた。真ん中からふたつにちぎる。(『スキル』を使った怪力だろうか。…いや、バゲットが柔らかくなったのかな?)「バゲットを柔らかくする『スキル』ですね」


「ふふ。なぁに?それ」クスクス笑いながらバゲットの半分を差し出し、彼女は言った。




「『生命力回復』よ」




「…なるほど」(わからん)ペコリと受け取り、内心首を(かし)げる。


(生命力を回復するスキル。それはわかる。僕の傷を直したスキルだよな。死の淵からでさえ回復させる強力な『スキル』だ。…それで、どうして固いバゲットが柔らかくなるんだ…)


(…バゲットの生命力を回復したのか?…バゲットの生命力って、なんだ…?)


 不条理さはともかくとして、――『スキル』を明かす程度には彼女の信頼を得たことはわかった。(ならば、こっちも答えるべきだろう)「僕のスキルは『精神力回復』です」


「落ち着くスキル?」


「そうです」


「そっか。最初から私とセットなのかもしれないね」手に持つバゲットの片割れを、軽く(もてあそ)びながら言う。


「私のスキルでヒットポイントを回復して、きみのスキルでマジックポイントを回復する。よくあるゲームみたいに。…どう思う?」


「僕らは同時に召喚されたわけですし、何らかのシナジーが設定されていても不思議ではないと思います。偶然と考えるよりは自然だと思いますよ」


「……そうじゃなくて」


 東堂さんは、少し()()()()。(……ん?)切田くんは不意を突かれ、当惑する。


(…あれ、どこを間違えたんだろう…)不条理を感じる。難しい。



 ◇



「いただきます」「いただきます」ふたりはバゲットにかぶりついた。


(本当に柔らかくなってるな。食料庫の棚から取ったときよりも)


 元が固焼きのバゲットだが、それでも今は焼き立てのフランスパン程度だ。(…全部パンでいいだろ…)固いながらも、しっとりとしたやわらかさがある。小麦とバターの風味を感じる。おいしい。


 東堂さんはジョッキを取り、そっと、温かいミルクに口をつける。そして人心地ついたようにフウと息をついた。「でも、落ち着くスキルとして使っちゃうの、おもしろいね」


 切田くんは行儀悪く、串焼き肉とバゲットをもぐもぐ噛みながら答える。肉ウマーイ。「パンを柔らかくするのも」


「ふふ。ちゃんとおいしい」彼女は晴れ晴れした表情で笑い、串焼きに手を伸ばして一口食べる。


「お醤油の味。不思議ね。…向こうじゃないのに」


 曇った声に、スイと片手を差し出す。……その手のひらを見て、彼女は柔らかく微笑んだ。「それじゃご飯が食べられないでしょう?」



 東堂さんはベッドの上で身じろぎし、体をすぐ隣へと寄せた。――肩と肩が触れ合う距離まで。



 そのまま、そっと、切田くんへと寄りかかった。



「…ちゃんと落ち着く…」



 彼女の熱を()()感じる。肩と腕越しに、鼓動も伝わってくる。……そして、ゆったりとした呼吸の動きも。


 ふうっ、と、深く息を吐き出して脱力する。――彼女は安堵し、そして、こちらに身を任せている。


 切田くんはあまりのことに、ギチリと固まってしまった。(あわわわわわ…)


 もたれかかった東堂さんから、「…ふふ」と、小さく満足げな笑い声が聞こえた。


(…か、勘違いするなよ切田類。言っていたじゃないか、片手が塞がると食べにくいって。…これは便宜上の問題だ。効率の問題…)硬直したまま、ギクシャクとホットミルクを飲む。……まだ熱いミルクが胃に流れ込み、体を温める。

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