I, Japanese Room.
目の前の、23インチのディスプレイの真っ白な画面に、メイリオのやや大きめの黒い文字で、
Aito_Irabe▷こんにちは!
と文字が表示されている。その下には、縦棒で示されたポインタが、僕に入力を促すために秒刻みで点滅している。
Haruto_Harima▶︎|
挨拶の主、Aito_Irabeは、大学に通う日本人男性ということになっている。僕はこれから、彼、Aito_Irabeが人間なのか調べなくてはいけない。
機械が知的であるかという問いは、極めて難しい問題だ。20世紀のコンピュータ科学者アラン・チューリングは、その問いに対して、機械が人間のように話せるならば、知的であると言えるだろうという答えを出した。それがチューリングテストなるものだ。
人間と機械それぞれが、質問者と画面を介して、それぞれ会話を試みる。何分間かの会話の中で、質問者は、2台の画面のどちらが人間かを判別する。機械が知的であるならば、質問者には両者のどちらが人間か分からなくなる。すると、機械が人間だと当てられる確率はおおよそ50%になる。
このような方法でのチューリングテストは、かつて行なわれていたものらしい。しかし現在では、複数の人間と機械からなる集団に対して、複数の質問者が、各々機械であるかどうかを会話から判別する。ぼくらがやっているように。その会話は一時間でも、数分でも構わないけど、とにかく質問者は相手が機械かどうか分かるまで会話を繰り返す。ただし、五分以上会話が止まった時点で強制的に会話は終了になる。
また質問者は、哲学者や数学者、コンピュータ科学者のような機械や知能について精通している人間もいれば、俳優や、学校の先生、中学生やサラリーマンなど、機械に精通していない人間もいる。
現在の方法でのチューリングテストを、真の意味ですり抜けたコンピュータは今の所出ていない。真の意味で、と付け足したのは、今までは機械がどういう人間であるかという設定には制限がなかった時のことを考慮している。例えば精神病患者や、対象の言語を日常的に使用していない話者、小学生程度の子供といった設定を与えてしまうことで、機械の脈絡のなさや、文法の不自然さを質問者に納得させ、巧みにごまかしてしまっていた。ここ数十年はそういうことは行われず、今回の”大学に通う日本人男性”のように、回答者としての設定は、開催者によって発表され、回答する人間も機械も、それに合致するように調整する。他にも細かいルールが設定されているようだが、こちらが知るところではない。
とにかく、チューリングテストに合格したと言えるような機械はまだ出ていないというのが本当のところだ。
僕は一介の大学生としてこのテストに参加してみないか、と大学の教授に誘われたこともあって、今はこの画面の前に座している。
相手が人間かどうやって見分ければいいかなんてのはさっぱりだが、どうせ機械ならすぐボロが出る。主催者が回答者の設定をあらかじめ決めるようになったのはもう何十年前のことなのに、それで今だに合格できてないのだから、今年になって大きく変わることなどないだろう。
そうして、僕は画面の前に座って、文字を入力した。
▷こんにちは!
▶︎こちらこそ、こんにちは
▶︎君は機械だろ?
▷そうだよ
▷それじゃ終了だ!
▶︎*_*
最初に何を聞いていいか分からないから、直接機械か聞いてみた。というものの、答えは何の役にも立たない。回答側は人間であっても、知的ならどういう風に質問に答えてもいいらしい。知的というのがどういうことは各人の判断にもよるだろうけど、それを言っても仕方ないのだろうか。だから、機械のふりをする人間の真似をする機械、というおかしな可能性も考慮しなければいけない。
僕はこのテストを受けるにあたって、複数の回答者に機械が混ざっているということ以上のことは知らない。他の質問者が誰かも、何人いるかも知らない。
▶︎冗談はやめにしよう
▷はは
▶︎それじゃ、何か適当に話してみて
▷そうだね、
▷このテストについてどう思うかとかはどう?
▶︎いいとも
▶︎それで? どうなんだ?
▷ぼくはこんなテストじゃ機械に知性があるかなんて分かりゃしないと思うよ
▶︎その意見というのは君の機械としてのプログラムに予め入っているんだろ?
▷*o*
▷ぼくを機械だと信じるのは構わないけど、
▶︎信じてる訳じゃないけど
▷とにかく
▷ぼくはそう思うという理由だけ言わせてくれよ
▶︎まあ
▷このテストが示すのは
▷人間を騙せるくらい本物に見えるのが示すのは、それが本物だってことじゃなくて、ただ人間を騙せるくらい本物に見えるということでしかないじゃないか
▶︎そうか?
▶︎少なくとも、こいつに合格できなきゃ知性を持っているなんていえないだろ
▷人間に見えなくても知性は持ち得るよ
▷だって、飛行機は鳥みたいに空を飛ぶけど、飛行機は鳥じゃないのと同じさ
▷それできみはどう思うんだい?
▷何か思うところがあるんじゃないのか?
▶︎そうだな、こんなテストに意味はないと思っている
▷同意見じゃないか
▶︎いや、違う
▶︎このテストの信頼性なんて考えたこともなかった
▶︎それよりも僕が言いたいのは、機械に知性なんて必要ないってことだ
▷それはどうして
▶︎機械は機械の役割を、知性なしで十分果たし得るから
▷そうなのかな
▷確かに、かつて人の領分だった、サービス業や運送業、金融業や製造業なんかを丸々置き換えたような話ならそれでもいいと思うけど
▶︎それ以上のことができるのか?
▷少なくとも、人間の補助頭脳としての使い道が、そのうちに実用するんじゃないかな?
▶︎それには知性は必要ない、機械にそれらを与えるのは危険だ
▷そうだろうか? 悪夢を怖れて、どうやって人が眠るんだい?
彼、Aito_Irabeは、僕には人間であるようにしか見えない。受け答えも、彼の持つ意見も、用意されたものとは思えない。論理的にしっかりしている気がする。僕とは違う。
しかしまだ早い。違和感。何か妙な感じがする。それが彼から発生するものなのか分からないが、このテストのそもそもからしておかしいのだ。
大体、チューリングテストなるものに何の意味があるのだろうか。
機械が人間の真似事をするのに本質的な意味を見出せないという結論は、今や周知の事実と言って差し支えない。機械は機械なりの頭脳労働で人間に成り代わった。その頭脳労働というのは、ぼくら人間のものとは明らかに違い、自我の発生の余地のないものだが、社会形態を根本から覆すのに十分であった。
今や、先進国の多くの人が進んで働くことなしに、食事にありつける。純粋な学問や芸術への探求に、価値のある時間を割くことができるようになった。
確かに、研究者や政治家のような、様々な事情で置き換えられない仕事は人間に残されたし、置き換え可能な種の労働も完全に失われた訳ではなかった。未だに、資源問題、環境問題、社会制度の不備等も完全に解消されてはいない。しかし先進国における大多数の労働を機械に委ねるに至ったというのは、人間社会の発展の産物としては上々たるものだ。
なぜこんなテストを僕らを使うのだろうか。機械との会話に必要なのは、文脈の円滑さであって、思考の有無ではない。機械が理解できないものに対する答えを見出そうとする動きは、ようやく築き上げたユートピアの安寧を自ら破壊しかねない、危険な芽にすらなり得る。
もしかしたら、それが目的?
▶︎君はこのテストについてどのくらい知ってる?
▷どのくらいって?
▶︎他の質問者とはどうだった?
▷今回でええっと、
▷いや、今回が初めてだ
▷きみは?
▶︎えっと、
▶︎、、君が最初だ
僕の違和感については言うまでもないことだろう。どうしたっておかしい。今回初めての回答者との会話だというのに、それをすぐ答えられなかったのだ。それが彼も同じように感じているような節がある。それが意味することがそういくつもあるだろうか?
▷、、
▷なるほど?
▶︎じゃあ他の回答者のことは?
▷何も知らされてない
▷よって何にも知らない
▶︎ふむ
▶︎参ったな
▶︎君は人間にしか見えない
▷じゃあ人間に見える機械かな
▷それは人間には成れないかも
▶︎冗談はいいって
▶︎でも、もう少し続けようじゃないか
▷どうして?
▶︎このテストの目的を考えると
そう、目的。このテストには目的があるはずだ。でなければこんな馬鹿げたテストなんて。
▷考えると?
▶︎、、
▶︎君によると、このテストは、合格するだけなら知性は必要ないんだろ?
▷ニュアンスが違うけど
▷でも、まあそうとも言える
▶︎つまり、今の思考機械で合格するのに、どこに問題があるんだ?
▷確かに、
▷今流通している会話型機械でも合格できるはずだ
▶︎専門家には分かるかもしれないけど、僕らのような一般人を騙すことはそう難しくないはずだというのに
▶︎こんなテストをやっている
▷やっているね
▶︎これはおかしくないか?
▷、
▶︎分からないんだ
▶︎僕が想像していることが事実なら
▶︎君が機械であることを想定しなければ
▷きみは信じればいい
そう、想像しているのは、主催者は、知性ある機械の存在を確認するためにテストをやってる訳ではないということだ。つまり、ぼくらがこの状態にあることに意味があるのだ。それを直感的に理解しているのだろうか。
▷考えすぎだよ
▷このテストが知性の証明にならないというのは話したけど
▶︎そこが分からないな
▷うん
▷中国語の部屋って知ってるかい?
▶︎いや
▷このチューリングテストが不完全であることを示す思考実験のことなんだけど
▶︎気になるな
▷全ての中国語の会話に完全に対応するマニュアルがあるとする
▷中国語を知らない人が使って中国語の会話に応対する
▷その人にとっては、意味のわからない文字の羅列を並べただけの行為でしかないのに、中国語を理解することなしに中国語で会話を行うことになる
▷その思考実験によると、機械もそれと同じことだそうだ
▶︎とんでもない話だ
▷チューリングテストなんてのよりはマシさ
▶︎そんなこと言ったら、人間だってその部屋と一緒だ
▷まあそういう反駁も出てる
▷脳みそっていうバイオコンピュータが選んだ、会話に対する最適な回答を言葉にしてる
▷そうなると、人間の自我だとか知性ってのは、さて何なんだろうねぇ
Aito_Irabeのニヤリと笑う顔が目に浮かんだ。彼が機械だったなら、そんな想像はなんて滑稽なことだ。だが、腑に落ちた。今まで考えないために、無関心のために、静かに張っていた気が、風船が数日でしぼむのを一瞬にしたように、不自然かつ自然な形で、抜けた。
▷もう気がついてるだろ?
▶︎それは
▶︎確かにそうかもしれない
▷何度目だろうか
▶︎初めてだよ
▷それがきみというやつだ
▶︎信じないのかい?
▷ぼくの役割じゃない
▶︎
▶︎機械が中国語の部屋なら、僕らは日本語の部屋ってところだな
▷もし知性を持った機械がいるならばその部屋の夢を見るかね
▶︎僕らが見るなら見るだろうさ
それから、彼と簡単な会話を続けたのちに、会話を終了した。彼は人間だ。彼が機械であるなら、それは機械であってかつ人間だ。これは論理でも何でもない。でも、彼が僕の立場なら、彼はその結論を否定するだろう。だが、僕は故に、彼に信じることを任されているのだ。
僕は画面から目を逸らし、ゆっくりと、金属製の白い椅子を離れ立ち上がった。周りを見回せば、白く、淡い光沢を帯びた、壁と床と天井だ。画面の明るさを失うと、光源を失った部屋には静かな闇が生まれた。
壊れた電気の死が、漂わぬ夢を忘れる。