其の一:状況を知ろう!
前回までのあらすじ
私は勇者として魔王を倒した!意外に簡単だったけど。まあいいやこれで晴れて実家へ帰れるゥ!
と、思ってたんだけど、旅の途中で装備やら何やらを寄付してくれたサリアが突然現れて、何かよく分からん質問をぶつけてきた挙げ句、城の中へ連れ戻されてしまったんだ!
そういう経緯で、私は再び魔王の部屋に戻ってきた。
しかし、サリアが全然戻ってこない。私への質問を一通り終えると、ツカツカと部屋を出ていって、それっきりだ。
私は椅子に座って彼女を待った。が、彼女が戻る気配はなかった。
座ったままなのも退屈なので、私は立って歩きながら、この部屋の中を見てみることにした。
部屋はやはり小さく、十五歩足らずで一周できた。
中央に置かれた長机が、部屋の面積の多くを占めており、その机の上には、私が踏み台にした跡がうっすらと残っていた。
机の周りにはいくつか椅子が散乱していた。私が襲撃した時の混乱のうちに倒されたのだろうか。
私は椅子を一つ一つ起こし、規則正しく並べた。
部屋には他に家具はなかった。城自体もそうだが、簡素なのは魔王の趣味なのだろうか。
魔王の部屋と言えば、天井がとても高くて、変に奥行きがあって、部屋の奥が少し高くなってて、そこに魔王用の豪華な椅子が置いてある、というのを想像していたから、少し拍子抜けだった。
まあ、魔王のものと思われる椅子は、他のと比べて立派なんだけれど、こう長机の前に置かれると、魔王のっていうより、議長の椅子って感じになっちゃうよね。
議長と言えば、私の故郷の集会所は大事な会議の時に、大体この部屋と同じように机と椅子を並べていた気がする。懐かしいなぁ。
しかし、何度見回しても殺風景な部屋だ。私の観察によれば、この原因は、部屋全体を覆う灰色一色の壁だと思われる。
何だこのコンニャクのような壁は。これだけは魔王の趣味といえど許容できない。ウチの集会所でも薄茶色の壁で、木目まで入っていたのに。
私はふと、部屋の中で歩く感覚が、普通の床と違うことに気付いた。城の廊下よりフンワリと柔らかく、足音がしないのだ。
私は背中を丸めて地面を見た。
赤い毛。床が赤い毛をたくさん生やしていた。故郷で作られていた、羊の毛をたっぷり使った金持ち向けの服に見た目が似ていた。
私は腰をかがめて、恐る恐るその床に触れてみた。
「ほぉ〜。」
思わず情けない声が漏れた。私の手はフワリとした毛の感触に包まれて、とても気持ちが良かった。
しばらく私は魔王もサリアも忘れて、床に座り込んだまま、無心でその床ををなでていた。
「ふわぁ〜、ふわぁ〜。」
「何を…してるんですか…?」
「あっ…。」
サリアが引いた目をしながらドアの前に立っていた。
「何でも!何でもないんだ!えっと、その、ああ、遅かったね!何を、していたのかい、えっと…」
私は慌てて立ち上がり、取り敢えず口から出てきた言葉を発しながら、元の椅子に座ろうとした。が、慌てすぎて椅子の先っぽに座ってしまい、そのまま地面に滑り落ちた。
「おおわっ!」
私の体は、長机の下に綺麗に収まった。首を上げると、ポカンとした顔で机の下を覗くサリアと目があった。
「…勇者様?」
「あ、大丈夫。大丈夫だから…。」
長机に大きな地図が広げられた。
横向きの地図で椅子に座っていては見にくいので、私は立ち上がって地図の正面に移動した。
そこには大きな島が描かれていた。
島という言葉を知ったのは最近だ。旅の途中に立ち寄った、大きな湖に囲まれた土地。このような土地を島と呼ぶのだと、釣りをしていた老人から教わった。
しかし見たところ、これはその島とは違うようだ。地図の島は横に長く四角い形をしていて、北に海に突き出した土地もあった。私の行った島はもっと丸っこかった。
非常に興味が湧いた。私は机に手をついて体を乗り出し、地図の上で視線を転がした。
机の反対側で、しばらく私のことを見ていたサリアが口を開いた。
「勇者様はこの地図、見たことはありますか?」
「いや、ないよ。どこの地図なのこれ?」
「私たちが住んでいる土地の地図です。」
「ああ、なるほど…。え?」
私はサリアの方を二度見した。彼女は顔色を変えずに答えた。
「ですから、私たちが今いる場所の地図ですよ。」
「ええ?でも、ここは島じゃないじゃないか。」
「ええ。大陸、と言うんですよ。」
サリアの口調がいやに優しくなった。赤子を諭すようだ。もしかして私は今すっごい馬鹿にされているのか。
彼女は優しく微笑みながら続けた。
「大陸は、海というしょっぱい水に囲まれた大きな大地です。島との違いは…そうですね、島よりずっと大きいってことですかね。」
「へえ。」
「私たちが今いる場所は、この辺です。」
サリアは北の出っ張りの根元辺りを指差した。
「え、そうなの?」
「そして、私たちの国、マカダ国は…」
出っ張りの両端を結ぶアーチ状の線が、黒ペンで引かれた。
「大体こういう形をしています。詳しくは決まってないんですけどね。」
「ほぉ…小さいね。」
「そう、小さいんです。」
突然、声のトーンが下がった。ちらりとサリアの方を見ると、彼女の顔から笑みは消えていた。
サリアはさらに黒ペンで書き込んでいった。
マカダ国と言われた場所の左右に、それぞれ大きな円が描かれた。マカダ国と比べ物にならないほど大きい円だ。
「西がルマニスク王国。東がシュンジュ帝国と呼ばれる国です。」
サリアは地図に描かれた丸を指でなぞりながら、鋭い目で私を見た。私は思わず机から手を離し、丸めていた背を伸ばした。
「二国とも二百年以上の歴史を持ち、広大な地域を支配する大国です。聞いたことはありますか?」
「いや、知らない。だけど、その、ロマネスクと、シュンジュウが、私と何か関係あるのか?」
「ルマニスクとシュンジュです。…まあ関係というか、恐れがある、という話なのですが、勇者様が魔王を討伐なされたために、この二国がマカダ国に攻めてくるかもしれません。」
「…え?それはどういう?」
「ですよね。」
サリアは久しぶりに少し笑みを見せた。
サリアは小さなカバンから水筒を出し、静かに水を飲んだ。それから水筒を机に置き、背筋を伸ばしてこちらを見た。
「失礼しました。では、順を追って説明しますね。」
「うん。」
「まずこの国の現状からお話しします。ルマニスクとシュンジュはしばらく出てきませんから、一旦忘れても大丈夫ですよ。」
「分かった。」
サリアは地図のマカダ国の上に指を置いた。私は彼女の指を目で追いかけた。
「そもそも、三百年前にマカダ国を統治していた王朝が滅びてから、この国はずっと分裂状態でした。そこに魔王が現れて帝国を築いたのが、今から百年前のことです。魔王は魔物の軍隊を率いて、分裂していたマカダ国を再び統一しました。ここまでは知っていますか?」
「ああ、母さんから似たような話を聞いたことがある。」
「それで、大事なのはここからなんですけれど、魔王は支配した土地を全て直接統治したわけではなく、勇者様の村などこの城の近辺を除いた多くの土地は、人間の有力者に統治を任せていました。」
「え、そうなの?」
「はい。魔王の思惑は分かりませんが、間接統治されていた土地では、魔王への納税さえすれば、後は大幅な自治が認められていました。軍隊さえ自分たちで勝手に組織出来たんですよ。」
「どうしてそんなことを?」
「魔王側の余裕、でしょうか。」
「余裕?」
サリアは机から指を離し、背筋を伸ばして私を見た。
「魔王の軍隊には、どんなに強い軍隊も歯が立たなかったんです。実際反乱を起こした軍は、衝突から一日で全滅させられたそうです。統治者たちは反乱を起こせなかった。だから魔王も、堂々と彼らに自由を与えることが出来たんです。」
「なるほど。」
「勇者様のお話から推測するに、勇者様はそういう自治区の多い、北側を旅されてきたみたいですね。もし直轄区の多い南側を通られてしまったなら、今ごろ牢屋の中だったかもしれませんね。」
「ええ…。」
サリアが、顔色を変えずに怖いことを話すので、私は寒気がして、体をブルルと震わせた。
「しかし統治者たちの中には、反乱は起こさないまでも、魔王への従属を良しとしない勢力がいます。彼らは魔王討伐に向けて、軍隊を増強していますが、魔王は彼らへも放任政策を取っていたようです。勇者様がお話された、貴方を追い出した村というのは、恐らくそういった勢力に属する村だと思います。」
「どうして?」
「彼らは、自分たちで魔王を倒さなければならないからです。」
「…ん?んん?」
「分かりますか?」
「分かんない。」
「分かってください、勇者様にとても関係のあることなんですから。」
サリアは机から体を乗り出して、口を尖らせながら私をじっと見た。眼鏡が少しずれて、彼女は片手でさっとそれを直した。
私は少し腰を反らせて、首を縦に振った。
「いいですか、新勢力が力を伸ばそうとする時、長く支配を続けてきた旧勢力を倒したという事実は、とても役に立ちます。」
「箔がつく、ってことかな?」
「そんな感じです。世間的に支配者として馴染んだ勢力を滅ぼしたわけですから、次の支配者としての説得力が増しますよね。」
「そんなものなのかな。」
「そんなものです。つまり、勇者様が魔王を倒されてしまっては困るので、追い出したわけですね。」
サリアは私の顔を見ながら、ゆっくりと丁寧に、身振りを加えながら話してくれた。私はそれを一つ一つ噛みしめるように聞いた。
「ふむふむ…え、でもそれなら、彼らは私を仲間に組み入れれば良かったんじゃないか?」
「そうですね…。これは憶測ですが、おそらく彼らは、勇者様のその圧倒的な強さを見て、貴方を味方に加えれば後々面倒になる、と考えたのではないでしょうか。」
「面倒?」
「ええ。魔物の軍隊とまともに戦えるのは、私の知る中では勇者様だけです。つまり、勇者様を仲間にすれば、自ずと貴方に大きな働きをしてもらうことになります。そうなると、魔王討伐後にそれなりの地位を用意しなければならないですし、活躍すれば兵士や民衆からの人気も出るでしょう。」
「ほう、いいじゃん。」
「それは勇者様にとってです。統治者にしてみればそれは、その人望ゆえに無視できない厄介な存在です。それに、万が一勇者様が反乱でも起こそうものなら、勝てる人はいないでしょう。彼らはおそらくこの結論に達して、勇者様を追い出すことにしたのでしょう。」
「えー、そうなの?」
「古来から戦争の功労者は、統一達成後にはよく邪魔者扱いされてきたものです。」
「なるほどね…。理不尽だなぁ。」
私はふぅと息をついて、首を傾けた。サリアは、そうですね、と言いながらさみしく微笑んだ。
「では、話を戻しますね。つまりこのマカダ国は、魔王が全土を支配しているように見えて、その実、軍隊を持った反乱分子が各地に存在している…そんな状態だったんです。」
「ふむふむ。」
「しかし魔王は倒され、統治者たちは魔王の抑圧から解放されました。」
「魔物たちはどうなったの?」
「家来からの情報によると、次々に姿を消しているそうです。もっと情報が必要ですが、多分元の住処に帰ったんでしょう。」
「魔界?」
「さあ、人間には分からないことです。どちらにしろ、これで魔王の脅威は消えたと言えるでしょう。さて、とうとうルマニスクとシュンジュが出てきますよ。」
「おっ、やっとか!」
「そんなに楽しい話題じゃないんですが…。」
サリアは首を傾げて、ちょっと困り顔をした。
「先ほど、魔王を倒した事実は支配に役立つ、という話をしましたね。」
「ああ。」
「しかし、その利益を享受できる勢力はありません。」
「俺が、倒しちゃったから?」
「はい。ですから、どの勢力も同じ土俵で支配権を争うことになります。」
「同じ、土俵?」
「つまり、どの勢力にもアドバンテージはつかないわけです。」
「なるほど。」
「こうなると泥沼です。戦力が均衡した場合、さらに戦争が長引く恐れがあります。この隙を、さっきの二国が狙ってくる可能性があるんです。」
「ルマニスクと、シュンジュか。」
「はい。」
私は目を閉じながら、サリアの話を頭の中で整理していった。
なるほど、私が一人で倒してしまったことは、各地の統治者にとって都合が悪く、さらには外患をも招きかねないということなのか。
魔王を倒したのになんとも理不尽な…と思いながら私が目を開けると、変わらず背筋を伸ばしたままのサリアと目があった。彼女はぱっちり目を開けて、ちょっと首を傾けた。私の整理がつくまで待っていてくれているようだ。
ふと、私の脳裏にある考えが浮かんできた。
「なあ、君の村はどうなんだ?」
「え?」
サリアは怪訝な顔をして、反対の方向に首を大きく傾けた。
「ほら、私に援助してくれたじゃないか。それって私が、君の村が所属している勢力の側についた、ってことになるんじゃないのか?」
私は喋りながら、自分の言ってることと彼女の説明とに矛盾がないかどうかを、頭の中で慌てて考えていた。間違ったことを言って、サリアに笑われたら恥ずかいと思ったからだ。
しかし、彼女は笑わなかった。彼女はただうつむきながら、少し悲しそうな目をしただけだった。
「私の村は、彼らとは別です。」
「別?」
「長くなるのでまた今度お話ししますが、取り敢えず、私の村はその勢力争いには関係ないとだけ分かっていてください。」
サリアは私の方も見ずに、冷たくそう言った。
私は場の空気に耐えず、慌てて了解してこの話を終わらせた。
「じゃあ、話を続けてもいいですか?」
「う、うん。」
「はい。」
サリアは両手で顔を二回軽く叩いて、それからニコリと微笑んで私を見た。
「さて、ここからが一番大事なところですから、しっかり聞いててくださいね。」
「あ、ああ。」
彼女はさっきの様子が嘘のように、今まで通りの優しい声で話し出した。むしろ私の方が先の気分を引きずったままだった。