統治の前に:魔王を倒そう!
私は、フカフカした椅子の背もたれから背を離し、少しうつむいて肩をすぼめ、両手を膝に置いて座っていた。
チラリと目だけで前を見ると、サリアが手を組みながら呆れた顔をしている。
「じゃあ、もう一度確認しますよ。」
サリアは組んでいた手をほどいて、私の方をまっすぐ見ながら言った。
「うん。」
「勇者様は、どこかに所属しているわけではないのですね?」
「…うん。」
「どこかの王だとか、大商人だとかに援助を受けているとか、そういうこともないのですね?」
「うん、君のとこだけ。」
「はぁ…。」
サリアは頭を抱えながら、落ち着かない様子で辺りをウロウロした。
私は自分が何を怒られているのかもわからないので、彼女の動きに合わせてホワンホワンとせわしなく上下に揺れるポニーテールを、ぼぉっと眺めた。
彼女はしばらくブツブツと独り言を言っていたが、唐突に私の目の前まで寄ってきて、私の両肩を掴んだ。
「本当に、ほんっとうに!どことも関係を持っていないんですね?」
「いや、でも君の家には世話になってるから実質的には、」
「もっと大きな組織には!?」
彼女の眼鏡が私に当たりそうなくらい迫ってきて、私は椅子に埋まりそうになりながら答えた。
「いや、ない、ないよ。君の家以外から、助けてもらったことは。」
「そうですか…。」
そう言うと彼女はすっと腰を上げて、ようやく私を解放してくれた。
「それなのに魔王を倒してしまったんですね…。」
彼女はそう呟くと、またブツブツと言いながら、難しい顔をして部屋の中を歩き回り始めた。
サリアの言う通り、私は魔王を倒した。しかも一人で。
昔から剣は得意だったから、これを世の中のために役立てたいと思って、この国を支配し、皆を苦しめていた魔王を倒すことに決めた。
私の村にもよく、魔王の手先である、真っ黒な姿をした人型の魔物がやってきて、私の両親を含めた村の皆を脅し、その蓄えを持っていくことがあったんだ。
そういうわけで私は旅に出たのだけど、魔王を倒す旅についてきてくれる仲間は、何故か誰一人見つからなかった。
もちろん、行く村行く村で仲間を探しはしたんだれど、力自慢腕自慢の勇士たちは決まって留守で、どの村も職人と主婦しかいなかったんだ。
それどころか、魔物を倒す武器を欲しいと言うと店から追い出され、村の人に悪さをしていた魔物を倒しても感謝されずに、悪い時は村から追放されたりした。
何故か私の情報が広まっていて、村に入る前に門前払いを受けたこともある。
こんな様子だから、旅は思っていたより困難なものになってしまった。
店で買い物が出来なかったから、私の剣も鎧も、両親が手作りしてくれた木の装備のままだった。店に置いてあったのは、鉄製のピカピカした装備ばかりなのに。
あと、私の故郷には地図がなかったから、魔王の城への行き方は、人に教えてもらわなくてはならなかった。
しかし、魔王の城へ行きたいと言うと、大抵誰も道を教えてくれなくて、結局ほとんど行き当たりばったりの旅をしていた。
幸い私の剣の腕だけは確かだったようで、一人でも、そんな装備でも十分、魔物と戦うことができた。
サリアとはそんな旅の途中、山の麓の村で出会った。
たまたま村が魔物に襲われているところを助けたら、村の富豪だった彼女が、魔王討伐の援助を申し出てくれたんだ。
そんなことを言われるのは初めてだったけれど、修理も新調も出来なかった装備は軒並みボロボロだったので、私は喜んで申し出を受けた。
彼女は私の装備をわざわざ遠くの街から買い揃え、魔王の城への地図もくれた。
私は彼女に礼を言おうと思ったが、私を見つけると決まってどこかへ走っていってしまうので、私は仕方なく、置き手紙を残して村を出た。
ここから私の旅は一気に楽になった。
道を塞ぐ魔物を一振りでなぎ倒し、城へ最短ルートで向かった。
魔王の城は三方を山で囲まれた平野にあり、四角い土台の上に繋がった塔が三本立っているだけの、こじんまりとした城だった。
実は、サリアにもらった地図によれば、城は私の故郷のすぐ側にあったのだが、こう隠れているのでは、当てずっぽうに探したのでは見つからなかっただろう。
私は正門から突っ込んでいき、引き止めてきた門番を切り捨て、城下町に入った。
あっという間に町は大騒ぎになり、慌てて出てきた大勢の魔物に囲まれたところで、私はやっと侵入経路を間違えたことを悟った。まあ魔物は全員倒せたから問題はなかったんだけれども。
そういえば、城下町には普通の人間も住んでいたみたいなんだが、家の扉の隙間から、私が戦っているところを彼らに覗き見られていた気がする。
まあ何はともあれ、私は魔物を倒して城に入っていった。
入ってみるとその内装は、大理石の床にアーチ型の柱など、案外普通なつくりで、魔王っぽい禍々しいオーラはなかった。
私は魔物たちの叫び声をくぐりぬけ、中央の塔の最上階まで一気に駆け上がった。
魔王がどこにいるかは知らなかったんだけど、私が自分の部屋に選ぶならここかな、と思ったからだ。理由は単純、城で一番高いところだからだ。
最上階と言ってもそこまで高くはなく、息も切れないうちに辿り着けた。
私は、焦った様子で道を塞ぐ魔物を蹴散らしながら、一番奥にある部屋に向かっていき、大きな両開きのドアを足で蹴破った。
「ギャーッ!」
「ワー!」
「ヒーッ!」
私が入った途端、思ったほど広くないその部屋のあちこちから、恐怖の声が上がった。
武器を構えた魔物たちが、あるものは私に突進し、あるものは奥に逃げていき…ともかく部屋は阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。
私は向かってくる魔物を倒しながら、部屋にいる魔物を一人一人確認した。
だが、全員が全員同じくらいの背の高さで、体の色も同じ上に、この大騒ぎ。なかなか魔王と思しき魔物は見つからなかった。
しかし、奥で固まる魔物たちの様子を注意して見ると、ある一匹の魔物が彼らの中心にいるのが分かった。
さらに、他の魔物はそいつを囲むように立ち、その魔物をなるべく自分たちの後ろに隠そうとしているようだった。
私は、そいつが魔王だと直感で感じた。
まあ、その魔物も他の奴らと同じく、剣を構えながらおろおろしていて、魔王っぽい威厳は特に感じられなかったんだけど、周りの状況から見て、私は取り敢えずその魔物に狙いをつけた。
私は部屋の中央にある長机に飛び乗り、そこから固まりの中央にいる魔王に向かって飛んだ。
固まりの先頭にいる魔物の頭を思い切り踏みつけ、その勢いで私は魔王に剣を伸ばした。そして、慌てて私の前に割って入ってきた魔物ごと、魔王の体をブスリと突き刺した。
「アーッ!」
「イヤーッ!」
私の両側から、割れんばかりの大声が響いてきた。
私は両足で地面に着地し、腕にうんと力を込めて、魔物二匹分の重さが加わった剣を右に左に振り回した。
「ヒーッ!」
「ウソダーッ!」
剣に吹き飛ばされた魔物たちは、アレコレ叫びながら、一目散に部屋の外へ走っていった。
魔物は遺物を一切遺さない。
部屋に転がる私に切られた魔物も、剣の先でぐったりしている魔王も、やがて黒い光となって跡形もなく消え、剣には汚れすら残らなかった。
部屋から逃げていった魔物が見えなくなったあと、城はしばらく魔物たちの叫びが止まなかったが、やがて小さくなり、聞こえなくなった。
私は魔王が座っていたと思われる、部屋の一番奥にあった、毛がたくさん入っていそうな黒い椅子に手を置きながら、部屋の奥の大きな窓から外を見ていた。
城下町の門から、黒い魔物たちが大勢走って出ていく姿が見えた。それぞれが必死で、まとまりのない様子だった。
私は呆然としていた。これで旅は終わりなのだ。私は志を果たしたのだ。しかし、終わったという実感がなかった。
私は旅の間、魔王の強さを想像しては不安に思っていた。何と言っても世界を支配できるほどの力だ。当然とても強いはずだと、そう思っていた。
だが魔王は迫る私に怯え、私と剣を交えることもなく、死んだ。旅の最後に、これではあっけなすぎた。
まあでも、世界は平和にできたからいいやと自分に言い聞かせて、私は大きく伸びをした。
城の門から外に出て、さて、取り敢えずは故郷に帰って両親に報告しなきゃ、などと私が考えていると、城下町の正門から、二十人くらいの集団が列をなしてこちらへ向かってくるのが見えた。
魔物の残党かと思い、私は剣を構えたが、集団の中から一人走ってくるその姿をみて、ホッと息をついて剣を下ろした。
それはサリアだった。白いスカートを揺らしながら、私の側まで駆け寄ってきた彼女は、眉間に少ししわを寄せて、ムスッとした顔をしていた。彼女の眼鏡越しに、私に対する非難の目が見えた。
「勇者様!置き手紙だけで出て行ってしまうなんて…!」
「ああ、ごめん。ホントは直接お礼をしたかったんだけど、なかなか君と話せなくって。」
そう言うと、彼女は急に目を丸くして顔を背け、さらに固く口を閉じてしまった。
私は慌てて違う話題を探した。
「あ、そうだそうだ。魔王、倒せたよ。」
「えっ、やはりそうですか!」
サリアはぱっと顔を上げた。その顔は先ほどとは違い、目も口も柔らかく開かれた、明るい笑顔だった。
「私勇者様が心配で、家来を引き連れてここの近くまで来たのですが、その時、城下町の門から逃げていく魔物たちを見たんです。それで、もしやと思って町の中に入ってみることにしたんです。」
彼女は嬉しそうな目をしながら、手振りも添えて早口で話し続けた。その話すのに合わせて、彼女のポニーテールが上下に元気そうに弾んでいた。
「やはり思った通り魔王を倒していたのですね。さすがです!」
「なるほど、私が言う前から勘付いてはいたんだ。」
「いえ、そういうことではなくて…。」
「ん?」
彼女は身振りを急に大人しくして、言葉を止めた。
私は首を傾げて、小さくなる彼女を見た。
「あの村で会った時から…信じてましたから。勇者様なら魔王を倒せるって。」
「そうなんだ…。ありがとう。」
突然真剣な表情で言われて、私は照れてしまった。
彼女も言ってしまってから顔を赤くして、クルリと後ろを向いた。
「さ、さあ、送りますよ。行かなきゃいけないところがあるでしょう?」
彼女は私の方に振り向いて、少し震えた声で元気に言った。
「ああ。両親の元に早く行きたい。」
「え?まあ、それも大事ですが、先に報告に行くべきところがあるでしょう?」
「え?どこに?」
「勇者様を送り出した人のところにですよ?」
「両親だけど。」
「いや、それはそうかもしれませんけど!」
私には彼女が何を言ってるか分からなかったが、彼女は何やら困惑しているような口調で話した。
「いや、最初に報告に行かなきゃダメですよ、王様のところには!」
「…王様?」
「そう、王様です。勇者様がお仕えしている。」
「…いや、そんなのいないけど…。」
「あ、勇者様は総督に仕えているんでしたっけ?」
「ううん、誰にも仕えてないよ。」
「あ、じゃあ魔王討伐の依頼を受けて…」
「ないよ。誰からも。」
「え、え、ええ!?」
突然彼女はひどく狼狽し、そのポニーテールは暴れまわった。
私は頭を抱えながら右往左往するサリアを、呆然としながら目で追っていた。そうしていると、不意に彼女が私の目の前まで近づいて来た。
「え、え、え、どこからの支援もなし!?ラプシャの大商人とか、リプトの豪族とか…あ、私のとこ以外で!」
「う、うん…そうだよ。」
「嘘ぉ…。」
彼女はヘタリと地面に座り込んでしまった。
「えぇ?おいおい、大丈夫か?」
私は彼女を両手で支えてゆっくり立たせたが、その間彼女は首をがっくりと下げ、まんまるとした目からは生気が失われていた。
私が彼女をまっすぐ立たせると、急に彼女は正気が戻ったように顔を上げて、私の肩をガッシリと掴んでこちらをギラリとした目で見た。いや、ほぼ睨んだと言っていい。
私はビクッとして顔を引きつらせた。
「うわぁ!」
「…お話があります…!」
彼女の声には今までにない凄みがあった。私が旅の中で足を震わせたのはこの時が初めてだった。
にわかに辺りが騒がしくなってきたので、サリアは辺りを見回した。
どうやら城下町の住人たちが様子を見に来たらしい。彼らは不安と好奇心の混ざった顔をしながら、こちらに集まってきた。
「場所を変えましょう。…あなたたち!」
「はい!」
「城に誰も入れないでください!」
「承知しました!」
サリアは後ろを振り向き、連れてきた家来たちに向けて叫んだ。それから私の肩から手を離し、城に向かってスタスタと歩いて行った。
私がぼーっと彼女を見ていると、彼女はスッと足を止めた。
「…ついてきてください。」
「は、はい!」
私は慌てて小走りで彼女の後ろについていき、城の大きな門の中に入った。