第2章 涙を流す森 (4)
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森に入って数十分経ったというのに、カイヤックは草花や木々以外生き物に会う事がなかった。人も森には手を出さず、森の住人達も人に手を出さないという2つで築かれた、世界でも珍しい共存が成り立っているこの空間。その森の中を、いつもなら聞こえるはずの生き物達の鼓動が聞こえない中、警戒しながら一歩ずつ歩いていた。
“すでに生き物の気配がねぇな。しかし、この森を自分の欲望のためだけに無くしたいとは、あのカスどうかしてやがる”
そのどうかしてる今回の依頼をウェルスは受け、この森の魔獣達を町に向かわせようと本当にしてるのか? そんな事も頭の中に巡りながらも、心の中ではそうであって欲しくはないと考えながらカイヤックは歩いていた。そして、当てもなく森の中を彷徨い続けていた時だった。
ガサァ!
少し前の茂みが揺れた。それを聞いた瞬間に、背中の剣に手を掛けゆっくりと抜く。
“何か居やがるな”「出てきな! さもねぇと、こっちからいくぜ」
もしかしたら動物かもしれない。しかし魔獣の可能性もあるし、人、つまりはカイヤックの連れかもしれないという心理が働いて、一応声を掛けたのだ。反応がないその茂みにゆっくりと摺り足で、大きな剣を低く構えながら近づく。
「随分と寂しそうに歩いてるんじゃな。てっきり泣いてるのかと思ったわい」
その茂みの後ろから聞こえてきたのは人の声。ただ、その声の主はカイヤックの連れではなく、1人の老人。
“昨日に続いて、また会ったか”
そう思いながらイクリプスを鞘に収める。葉っぱを払いながら、布に包んだ大砲を持って姿を現した爺さんの後ろに、坊と嬢ちゃんの姿があって、特に嬢ちゃんを見て俺は驚いちまった。
「おいおい。嬢ちゃんをこんなとこに連れてくるもんじゃねぇぞ、爺さんよぉ」
この言葉に、嬢ちゃんを指差す爺さん。
「なぁに言うとるんじゃ。静華嬢から来たいと言い出したんじゃ。それに、お前さんを見つけたのも静華嬢じゃぞい」
爺さんがそう言ったので、嬢ちゃんをチラリと見ると、嬢ちゃんを庇うように前に出て、警戒心剥き出しにして俺を睨みつける、爺さんの連れの坊。
“ほぉ〜。あの時は気づかなかったが、なかなかいい目をしてやがる。こいつぁは、相当強くなるかもな”
坊を見ながらそう考えていると、警戒心を増して俺を睨みつけてくる。
「何ですか? 僕に何か付いていますか」
「いや、何も」
そこで爺さんが昨日の夜の事を話した。
「雷祇、警戒せんでもいいぞい。こやつは無関係じゃ。昨日の夜、ホテルに着いてからこやつの所に行っとたんでな。その時に確認はしておる」
「あぁ、そうだぜ。だからそう警戒しなさんな。俺も気になってここに来たんだ。連れが全員居なくなっちまってよぉ」
ここで突然、小さな声で嬢ちゃんが喋りだした。
「あの、声が聞えます。数人の男の人と、聞いたこともない、恐ろしい声が……。聞いたことがない声は、随分と、心が乱れているようです」
“なんだ突然。この嬢ちゃん、超能力でも使えるのか? いや、今のは超能力でも何でもねぇな。この嬢ちゃん目が―”
俺が嬢ちゃんの目の事を聞こうとしたが、爺さんに遮られた。
「どの方角からじゃ?」
「ここからだと、あっちです」
“そうか。方向は分かっても、方位は分からないのか。静華さんがいた場所を考えると当然か”
嬢ちゃんが指差したのは、北の方角だった。
「何で俺まで一緒に行かなけりゃならねぇんだ」
何故か知らんが、俺まで一緒に行かねぇといけねぇハメになった。爺さんは俺達の前を走っている。
「文句を言わんと付いて来ればいいんじゃ。戦力は多いに超した事はないからの。それに、お前さんの連れかもしれんだろ? 声の主が」
「あぁ、わぁった。付いて行くのは100歩譲っていいとする。けどよ、何でこの俺が嬢ちゃんを背負って走らねぇといけねぇんだ?」
僕の横を走りながら、巨大な男、カイヤックが静華さんを背負っている。左手に、昨日見た時は背中に背負っていた、僕なら十分隠れれるくらい大きな剣を持ちながら。
「そんな事も分からんのか? お前さんの体が一番大きく、ワシらの中で一番力があるからじゃろうが」
「た、確かにそうだろうがなぁ。けどなぁ、俺ぁ今さっき嬢ちゃんと会ったばっかりだぞ。嬢ちゃんも初めて会った人間に、背負われるなんざ嫌だろうに。なあ? 嬢ちゃん」
静華さんは、精一杯の力でカイヤックの背中にしがみ付いている。
「いえ、そんな事ありません。大きくて安心できます、多分。それに、少しでも早くこの声のところに行きたいので」
「そうなのか? 安心出来るねぇ。そっか、じゃあ仕方ねぇ。しっかり掴まってなよ嬢ちゃん、本気で走るからな」
僕の横を走っていたカイヤックが、終演に追いつきそうなくらい一気に速さを増した。
“……。もしかしてこのカイヤックって人、めちゃくちゃ扱いやすい人なんじゃ……。まあ、今はそんな事どうでもいいか”
僕もスピードを上げて、生き物の気配がない緑の中を2人に付いて奥へと走る。
「遠くに何か聞えますね? 魔獣の声かな……」
「ああ。まだ遠いだろうが、多分魔獣で合ってると思うぜ」
「何でお前さんが先に喋っとるんじゃ。ワシの番じゃぞ」
カイヤックに先に喋られたのが気に入らない様子の終演。
「うるせぇな、爺さん。いいじゃねぇかそれくらい。そんな事よりも、大分近づいたみたいだぜ、嬢ちゃん」
俺が振り返り嬢ちゃんの顔を見ると、まるで化け物を見たみたいに驚いた顔を作った。
「どうした? 嬢ちゃん、今頃俺の―」
俺が自分自身を馬鹿にするような事を言おうとすると、嬢ちゃんが小さな声で「爆発する」と呟いた。その言葉に、横を走っていた坊が気づいて声を掛けた。
「爆発? 何がですか?」
「声のする方とは違う、向こうで大きな爆発があります」
そう言って指したのは左側、つまり西だった。その言葉で僕たちが止まった瞬間、それは起こった。
ズドォーーン!!!!!!
地面を揺らす程の爆発が起こり、轟音が森の木々を震え上がらせる。かなり僕たちとは距離があるはずのなのに、心地よい森の香りを、僅かな火薬の臭いと生き物が焼けていく臭いで辺りを一瞬にして包み込み、僕はすぐに気分が悪くなった。その爆発が起こった方角は、静華さんの指した指の先に続いていた。
「何なんですか? 一体」
大体想像は出来たが、誰か1人ぐらいはその言葉を言う必要がある。
「さあな。けどどう考えても、自然現象じゃねぇな。人の手で起こしたもんだろうよ」
「始まったんじゃろう、作戦がの。ここからは、二手に分かれた方が良さそうじゃ。ワシが爆発のあった方に向かう。お前さん達は、声のする方に行け」
そう言って走り出そうとすると終演を、カイヤックが止める。
「おい、待てよ爺さん。何で爺さん一人なんだ? 爆発が起こった方が大変だろうから、他に誰かと一緒に行くべきだろよ」
僕もそう思ったが、終演が自信満々に言葉を残して爆発のあった方に走り去った。
「何言うとるんじゃ、ワシ1人でいいんじゃよ。この中で1番強い者が1人で行動すべきじゃろ? それがワシで、大変そうな爆発の方に行く。まあ、心配せんでも、早く済んだら手伝いに行ってやるわい」
そう言って。
「でも、何でわざわざ爆発の方なんだ? ほぼ確実に、爆発の方が人数多いだろうによ」
その言葉に、申し訳なさそうに静華さんが話す。
「私がいるからだと思います、多分。私を庇いながらならの戦いは、大変辛いと思うので」
“そうだろうな。1人は静華さんを庇い、もう1人が、もし敵がいたなら戦わないといけないから”
それを聞いて、「なるほどな」とカイヤックは納得し、終演を感心したようだ。それから僕たちは、怯える森の中を走り出した。声のする方は、そこそこの距離があったらしく、やっとはっきり声が聞こえてきたのは、目の前に小さな崖が見えてからだった。その小さな崖を、躊躇うことなく僕たちは飛び降りた。
「これはこれは、俺の予想外の役者が登場したものだ。やぁ、カイヤック」
横にいるカイヤックを見てみると、怪訝そうな顔をしてその男を睨みつけている。
「ウェルス……」
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「やっぱり、てめぇだったか!」
片膝を付いている格好から、立ち上がり様に投げた殺気を込めた俺の言葉に、ウェルスはまったく動じる様子はなく、人を見下す笑顔を作ってやがる。
「へぇ〜。やっぱりって事は、俺が動いてると思ってたんだ」
「無論だ」
俺がそう言った後に、奴は俺を見ながら何かに気づいたらしく、肩を震わして笑いを堪えている。
「おいおい。俺を探しに来たんじゃないのか? もし捜しに来たってんなら、ガキ2匹連れてるのはおかしくないか? あ! もしかしてカイヤック様は、その2匹のガキを犯る場所を探しておられたんですか?」
「あぁ! 何のこ―」
何言っているのか分からなかったが、奴が見ている方に目線をやると、そこには坊がいて、嬢ちゃんを背負っている事を俺に思い出させた。
“……すっかり忘れてた。軽かったからか?”
俺が振り返えり、見たのを確認してから坊が話しかけてきた。
「あの人があなたの連れの人ですか? それなら僕には関係ないですよね?」
「あぁ。おめぇには関係ねぇよ。俺の問題だ」
そう言いながら、ウェルスと呼ばれた男に向き直るカイヤック。ただ僕の心の中は、
“……。関係ない事ないんだけど、終演に僕たちが動いてる内容聞かなかったのかな? まあでも、余計なことを言ったらややこしくなるだろうから、ここはこの人に任せるか。けど、多分この人相当バカなんだろうな”
などと考えている。
「嬢ちゃん、降りてくれ。奴には、いろいろと聞かなきゃならねぇ事があるんだ」
僕の前に歩み出て、静華さんを目の前に降ろした。
「おい、坊。ちゃんと嬢ちゃん守ってやれよ。奴は頭が切れるからよ、何してくるか分からねぇからな」
そう言いながら、僕を見ずに頭に大きな手を乗せて撫でてきた。思わず扱けそうになるくらい強く撫でる手を、僕は払おうとしたが先に手を退けられてしまった。そうした後で、僕たちより12・3メートルほど前にいる男の前に進んでいった。
“まだ坊って言ってんのかよ! くそぉ。ムカつく、メチャクチャムカつく! それに、言われなくても、見比べれば一目瞭然なんだよ。向こうの方が頭いい事くらい”
俺を目の前にしても、小馬鹿にしたような喋り方をしやがる。
「もしかして、2人を調教でもするつもりだったのかい? 昔の事が忘れられず」
「俺はガキ好きの趣味はねぇよ!」
この時、奴の目が少し変わったように見えた。
「そうかい。じゃあ、ガキの惨殺が忘れなくて、の間違いだったか?」
「……。何故てめぇが森を無くす事に手を貸す」
溜息混じりに首を横に振り、態と呆れて見せる。
「話を変えたか。まあいい、アンタの疑問に答えてやるよ。理由は簡単だ。金のためと、俺の趣味と、アンタを殺すためだ、カイヤック」
「金と、趣味と、俺を殺すために……だと? そんなくだらねぇ事のために、てめぇはこの森の住人や町の人間を殺すってぇのか!! 俺を殺してぇなら、なぜ直接殺しに来ねぇ!! てめぇ、それでも男か!!」
奴は呆れだけではなく、哀れみまで込めた顔を作る。
「はぁ〜。あのさぁ、俺の趣味じゃないんだよ、サシの勝負なんてな。それに、勝てないと分かってる殺し合いをするなんて、バカのする事だ。アンタのようなバカのな。それと最後に、その事には男も女も関係ないと思うぜ」
ウェルスと呼ばれた男の脇に、大きな袋に入った何かが気になっていたが、それよりもさっきの会話を聞いていて思った事があった。
“やっぱり見た目通り、カイヤックはあのウェルスって人に絶対舌戦では勝てないな”
そう思っている僕の背中に、静華さんが突然くっ付いてきた。
「どうしたんですか? 静華さん」
背中越しでも震えているのが分かったので、前を向いたまま優しい声で訊いた。
「怖い、です。何、かが、何かが来ます……」
伝わってくる、体と声の震えが異常だった。
「何が来るんですか?」
「分か、りません。けれど、けれど、何か、とても強い、恨みの感情を持って、ここに、向かってきます」
「もうそろそろだな」
笑顔を浮かべ、楽しみながらの言葉。
「何がだ!」
その全てが、無性に俺を苛立たせる。その俺の苛立ちが、奴を調子付かせる薬となっているのには気づいてるが、それでも自分を抑える事が出来そうにねぇ。
「喋ってるだけにも飽きたろ? アンタとは戦う予定がなかったものの、試しておきたい事もあるんで丁度良かったが」
少し後ろの竹薮を見たように感じたが、気のせいかもしれねぇ。
「後ろのガキ達も見ているだけじゃ退屈だろうから、今回は俺の開くパーティーに参加してもらう事にした」
そう言うと、今まで気づかなかったそこそこ大きな袋を、坊達の居る方に投げやがった。その袋をイクリプスで叩き落とそうと腕を伸ばした瞬間、隙が出来た俺の左側に素早く奴は回りこみ、脇腹目掛けて一歩踏み込み様に刃が波打つ剣・フランベルジェで素早く斬りつけてくる。それに気づいて手を伸ばしつつも掌の中でイクリプスの柄を右に回転させ、刃を下に向けどうにか一撃目は防いだ。
“チィ! 届かねぇか!”
左手を避けるように袋が後ろに飛んでいく。どう伸ばしても届きそうにねぇが、精一杯伸び上がっちまった俺の体。この状態の俺の隙を、奴が見逃すわけがねぇ。力なら断然俺の方が上だとウェルスの奴も分かっているので、軽く弾いただけのフランベルジェをすぐさま引いた奴は、今度はがら空きになった右側に回り込みながら体を捻り一歩踏み込んでくる。そして左手に持っている殴るようにして使う突き専用の剣・ジャマダハルで首を狙ってきやがる。奴の性格上、一撃で決めたがるのは分かっていから、それを防ぐためイクリプスを右手に持ち替え、俺自身も右に体重移動させながら、イクリプスでジャマダハルを防いだ。俺がイクリプスを右手に持った事で、奴は後ろに2つ跳んで俺の攻撃範囲から身を引く。
「深追い厳禁」
そう言いながら。
「チィ!」
攻撃できなかった事と、止める事が出来なかった袋。この2つの苛立ちを押さえて、大きな声を出した。
「あの袋の中に、何を入れてやがる!」
「直に分かるさ」
「後ろのガキどもは関係ねぇはずだぞ!」
「何言ってる? 関係あるのさ。ここに来ちまったんだからな。助けに行くんなら今だったってのに、といっても、後ろを向いた瞬間アンタを殺すがな。さぁ、盛大な拍手で迎えようぜ、パーティーの主役、魔獣様をな」
グゥワァーーン!!!!!
轟きにも似た鳴き声と共に、僕の横の茂みから姿を現した魔獣は、丈が1メートル弱の小さな魔獣と3メートルに迫るくらいの大きな魔獣の2匹だった。
「さぁ、パーティーの始まりですよ、皆様」
奴はそう言いながら、フランベルジェを腰の鞘に収め、被ってもいない帽子を右手で取る仕草をし、胸の当たりに手を添えてお辞儀をして見せた。