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テスタメント  作者: 竜丸
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第15章 兎と獅子の星崩し (2)

     3


 月明かりも疎らに差し込む、町外れの森の中に三匹のウサギはいた。

《何とか逃げ切れたね》

《兄貴が引きつけておいてくれたからだ。ねぇ、兄貴》

 木の根に腰を降ろしていたので、すでに整いつつある呼吸の二匹の白ウサギに振り返られて、両手で木にしがみ付かないと立てなかった黒ウサギが、肩で息をしながらも胸を張った。

《楽、勝、だっ、たさ》

 これ以上はとてもではないが話ができそうにない。黒ウサギの、本来のものとは随分と違うのだろう、笑顔は、作っているのさえ限界だと訴えている。

 仲が良い程度の関係なら、無理するなと声を掛けることも容易なのだろうが、二匹はこの黒ウサギのことを兄貴と呼んでいる。だからこそ、黒ウサギも無理して意地を張っているのだろう。だとしたら白ウサギは、当然持ち上げる必要がある。

《凄いです、流石兄貴です!》

 この言葉だけでは分からないだろうが、二匹の白ウサギは心の底から目を輝かせて尊敬の眼差しを向けている。心底、この黒ウサギのことを信頼しているのだろう。無理矢理釣り上げている口元が下がりそうなのを堪えている姿は、傍から見れば痛々しくも見えた。

「随分と和んでいるようだが、そんな余裕がお前たちにあるのか?」

 赤の他人にしてみれば避けて通りたい三匹のおかしな関係。他人には理解できない世界はあるのだから、この三匹にとっては平和な日常のやり取りなのだ。普通ならそっとしておき、遠巻きに眺める程度なのだろうが、土足で踏み込む幾つもの影があった。人の姿。

 人間だけではなく、それなりに人類のことを知っている獣たちなら敵に回したくない相手。制服姿の星の守護と、かなりの依頼をこなしてきたのだろう格好をしている旅星たちの姿。すっかり気を抜いていたのか、三匹が逃げ出せそうな方向は、全て封鎖されている。

「進化して話獣になったならまだしも、退化型のお前らが二度も逃げ切れると思うな」

 その中の一人、肩に人が両手一杯広げた程度の銃を背負う男が、近づかずに三匹を睨んで離さない。

「さっさと盗んだ物を返せ。正直なところ、あれさえ返ってきたらお前たちなんてどうでもいい。逃がしてやっても構わない」

 両手に鋼のグラブを付け、常に薄ら笑ういを浮かべていた男が慌てて振り返り本気かと聞いたが、最後の旅星、大きな鉄製だろう網と、何やら機械をぶら下げている男が冷静に銃持ちの男をちらりと見た。

「いいとは思えない作戦だが、それぐらいしないと返さないだろうから仕方ないか」

《おい》

 二匹の白ウサギを庇うように前に出ている黒ウサギが、逃げ切れる可能性は限りなく低いが、その素振りなく旅星三人に、場数の違いが表れる頼りない戦闘態勢を作りながら尋ねた。本当に助かる、もっとも高い可能性に賭けることにした。

《俺が案内するから、この二匹は今すぐ逃がしてやってくれ》

 賢明な判断だった。一匹いれば十分で、何より自分がリーダー格だと相手も分かっているだろう。だからこそ、自分だけ犠牲になる道を選んだ。

「はぁ? 何言ってやがる。どうしてそんなこと――」

「いいだろう」

 何かあるかもしれないと考えていた黒ウサギも、あっさりとした返事に拍子抜けして腰まで抜かしそうになった。ある意味抜かしたかもしれない鋼グラブの男は、かなりイライラを募らせて銃持ちの男に迫る。剣幕もそれ相応で、言っていることも正しかった。

「奴等が俺らのやっていることを話獣や魔獣どもに話すかもしれないんだぞ! それを――」

 そう、そんな危険を冒す必要があるのだろうか? 銃持ちの男はそれでもなお、冷静だった。いや、少し笑っている表情にさえ見えた。

「何だ? 俺がおかしなこと言ったか?」

「いや、お前でも一応それなりに頭を使うことができるんだと、感心してたんだ」

 完全に馬鹿にしたセリフにも、今の全うな意見を言ったようにキッパリと言葉を返せずに、奥歯でギリギリと擦り切り潰している。

「すまない、お前の言動らしくなかったものでな」

《おい、本当にいいんだな?》

 首を振る白ウサギの制止を見ることなく、黒ウサギが守ろうとしている相手をとても冷たく、鋼グラブの男の考え諸共、甘い考えだと撃ち潰す。

「あぁ、構わない。どの道、野垂れ死にだけだろう」

 驚くのは銃持ちの男の意図を理解できないもの全てだが、ただ一人、網持ちの男だけが頷き納得していた。「そういうことか」

「そういうことだ」

「どういうことだよ?」

 もう銃持ちの男は口を動かす気はなかった。網持ちの男の方が、分かりやすく説明してくれるはずだ。黒ウサギに、今の状況はどうやっても抜け出すことができない網の中だと、絶望の淵だと教えてやるはずだから。

「簡単なことだ。三匹、いや、黒いのは残るのだから、白い、進化した話獣も退化型の話獣も見知らぬ、たった二匹のウサギ型の新種の話獣を、何も聞かずに奴等が仲間だと受け入れると思うか? ここ五十年、半世紀大戦が終戦してからは一度も進化も退化も確認されていない魔獣たちの中で、どちらの気配もなかったウッドデグラビットが、突然話獣になったんだぞ?」

「そんなこと、奴等が本当のことを――」

 ここで本当に網持ちの男が話を理解しているか分かるのだが、どうやら心配の必要はなかったようだ。

「それだよ」

「だから何がだ!」

 銃持ちの男は淡々と冷静に話を進めていただけだが、この男は違った。二匹の白ウサギに向ける瞳には、違う物が宿っていた。

 自分から進んで海の中に飛び込んで、知らない間に溺れていることに気づいた者に、クツクツと抑えきれない笑いを浮かべて、どうやって、もがいてもがいて、力の限り苦しみ抜いて死を味わってもらおうか考えている。そんな目の色をしている。

「話獣の、特に進化した話獣の中には人間よりも思慮深く、知識も豊富で優れた頭脳を持っているものが、少なからずいる。もしこの二匹がそんな話獣がいる場所にまで行け、本当のことを話したとする。話獣、神獣、魔獣に知られたくない、獣どもの体を弄る星の守護の施設から逃げ出せたと話したとする。そしたら、奴等はどうする?」

「もちろん、星の守護に攻撃――」

「殺すんだよ」

 自分の体を視線が透けて、向けている相手が分かった。鋼グラブの男が振り向いた先には、三匹のウサギ。

「なんで殺すんだよ。仲間だろ?」

「考えてみたらわかる。本当は嬲り、遊んで犯そうとしていた所を急に呼び出され、お前が慌てて鍵を閉め忘れただけだが、そんな理由を知るはずがない話獣が、もしこのことを言ったとしてもだ、信じると思うか?」

 溺れ始めた。お前たちは、どんな風にもがき、苦しんでくれるんだ?

「それなりどころか、星の守護が全力で隠しているはずの施設から、ウッドデグラビットの、進化したならまだしも退化して話獣になった奴ら二匹が逃げ出せると、普通考えるか? 考えるはずがない。考えるとしたらこうだろう。自分たちの居場所を見つける為に、首輪を付けられてここまで来た。既に、獣としての生き方を捨てた、裏切り者だと」

 お前たちはこれでどれだけ溺れ、逃げ惑う?

「だから殺すんだよ。多分、感覚もなく殺されるだろうから、話獣の前まで行ければ、私たちに捕まえられるよりはいいだろうな。まあ、そこまで行ければの話だが」

 黒ウサギが振り返る先には、自分よりも力の劣る、この場で震えることしかできない二匹のウサギがいる。いいのか、自分がいたとしてもどうにかなるのか、どうすることができるんだ、この場でのベストな選択は何なんだ。

「そういうことだ。さぁ、案内してもらおうか。おい、二匹を捕まえて逃がしてやれ」

 制服組の三人が近づいてくる。本当にいいのか、この二匹だけで生きていけるのか。

 体は何も考えずに動いていた。守るんだ。声に出さずに結んだ口。動く体。

 それが答え。

「どうやらこの場で、お前の目の前で二匹が殺されるのを見るのがいいようだな」

 進化した話獣や神獣、元の魔獣にすら負けてしまう退化型の話獣だが、彼らにだって野生の力ぐらいある。気迫も備えている。侮ってなどいない。だからこそ、準備も万端だ。数も揃えている。警備隊が二十五人、旅星が三人。

 近づいてきていた三人に、五メートル上空まで跳び上がった黒ウサギが、途中で折った枝に全体重を乗せて殴り掛かっていた。だが、元々戦い方を知らない弱い魔獣の退化型。制服組の三人はあっさりかわして、元いた位置にまで戻り、隊列を整えた警備隊は銃を構えた。

「なんだよ。最初からこうしてりゃよかったんだよ。態々、逃がす必要もない。それに、あの白いのと、まだ楽しんでないしな」

「私にはよく分からない趣味だな」

「知らないだけだ。楽しいんだぜ、獣とやるの。どうだ、してみるか?」

 網持ちの男は首を振る。呆れているのではなく、人それぞれの趣味に口を挟むつもりはないとため息が出ていた。「遠慮しておく」

「するならさっさとしろ。こんなところを見られて一番厄介なのは旅星なんだぞ。この町にはどれだけいると思っている」

 守ると決めた以上、動くのは確信がある。覚悟を決めたとはいえ、その心をへし折るなど容易い。心に決めた誓いの部分を潰せばいいのだ。

 黒ウサギが無防備に近づいてくる鋼グラブの男に向かって体を沈めた。あのジャンプ力は伊達じゃない。この力なきウサギの最大の武器であるのは間違いない。だったら攻撃手段は一つ。飛び上がっての攻撃は先程の動きで当たらないのが分かっている。そう、残されたのは、捨て身の突進。

 砂埃を巻き上げ、重力に弾き出されたように黒ウサギの体は一つの弾丸に変わった。

「撃たなくていいぞ、警備ども!」

 突き出す武器。これが鍛え上げられた剣であれば考えものの突進力だが、所詮は脆く折れるしかない木の枝。相手は鋼なのだ。どこをどうやって対抗できるのだろう。衝突の瞬間は瞬く間に訪れた。

 飛び出してから一度も足を付くことなく目の前にまでやってきた黒い弾丸の武器を、左手一本で軽々と薙ぎ折る。驚く顔には、そこに固定しているだけで突っ込んでくる予定のところを、待ち切れずに踏み込み打ち出した拳が右目を捉える。

 潰れる音がはっきりと聞こえた。痛みがやってくる間もなく、勢いが足から抜け出し、拳にめり込む頭蓋骨を中心にグルンと一回転した体が、頭に残った勢いに引っ張られて拳と別れを告げた。次に待っていたのは、鋼の拳よりも遥かに強い、地球の皮膚、地面。

 後頭部から打ち付けられると、逃げ切らなかった自ら作り出した勢いを止められずに、山から転げ落ちる人形のように、力なく腕を振られ、首を振られ、体を振られて転がるだけ転がった。

 回転する視界。まだ痛くない。目が変だ。なんだかおかしいなとは思った。一体、今どうなってるんだ。このグシャグシャに掻き混ぜられた目の前の物は何なんだろう。

「流石に、あの勢いで来たやつを正面から殴ると手が痛いな」

 痛くないのに、どこも痛くないのに体が動かない。退けて欲しいのに、退けたいのに、体が動かない。目の前のグシャグシャに掻き混ぜられた物をどうにかしてほしいのに、気持ち悪いのに、どうして体が動かないんだろうか。

《兄貴!》

 この声、そうだ、早く目の前の物を退けて、二匹を助けないと、助けないといけないのに体はなぜ動かないんだよ。

《ミミ、お前だけでも逃げろ。僕が奴等を引き付けるから、お前だけでも》

《ダメ、ニィ、ダメ!》

 どう転んでもいいように考えていた。でも結果はどれも同じだったろう。その中で三匹が、黒ウサギに続き白ウサギが選んだ道は最悪だった。一番命が短くなる道だった。

 振り返る白ウサギ。敏感な耳にはっきりと音が聞こえてきた。何度も聞いたことがある。その度に逃げて、隠れた音だった。気付いた時には、足が感じた肉体の痛みが脳にまで届いていた。足を撃たれた。戦うことすらできなかった。無傷の白ウサギは、叫んで足を抱えて蹲るもう一匹に近寄った。

《もう無理だよ。元々無理だったんだよ、返そうよ、ねぇ、返そうよ》

 見えないけど、何かされたんだ。少なくとも、この場では無事に要られたはずの二匹が何かされたんだ。

「手、出さなくて良かったのによ」

「するならさっさとしろ。そう言うことだ」

 調味料も必要になのによと文句を垂れながらも、ズボンを下ろした。

 落ちる心。どこまでも、自分のせいだと攻めている心を、グイと耳を引き上げ、持ち上げられた。綺麗に流れ込むようにする為に。

「これがお前の選んだ結果だ。分かるか? 分かってるよな。お前も馬鹿じゃない。だから、ある程度考えられるから引っ掛かってくれた」

 何の事だ、何が引っ掛かったんだ。納得した声は、頭の上ではなく少し離れたところからした。

「そうだよな。私も言っていておかしいと思ったんだ。本当に、力のある話獣ならこの三匹の哀れな仲間を殺すのかって。そうだよな、頭が俺たちよりいい奴も多いんだ。こんな考えするのは、俺たち人間のように力の弱い、退化型の話獣なんじゃないかって」

 聞きたくないのに、心を掴んだまま、逃げられないように耳が持ち上げられた。

「確率は、そうだな、二割。あの二匹だけで生き残れた可能性はそれぐらいはあったろうな。今この状況ではどうだろうな。零、かな。神でも現れない限り無理だろうな」

 痛くないのに動かない体。目の前の変な物も無くなってくれない。

「どうした? 動きたいのか? 諦めた方がいい。俺たち人間はな、弱いんだよ。それを良く知ってる。だからこそ工夫するんだ、戦い方に。俺たち三人は魔獣捕獲が仕事でな、あいつのグラブにはな、対魔獣用に仕込んである、終演様が作った体の機能をマヒさせる成分が塗ってるんだよ。それも改良して、随分と性能も上がってる。どうだ、感じるか?」

 顔に何か気持ち悪い感覚が来た。黒ウサギは何をされているのか分からなかった。そうかと、銃持ちの男が何かを続ける。どんどんと、気持ち悪いものが広がっていく、最初は顔の上の方だけだったのが顔全体に、勢いが緩まらず体に広がった時には、吐き気がしていた。

 そして、口から物が吐き出されるように、突然抑えていた物を突き破って体中に痛みが走った。体の芯の、奥の奥から叫び声が上がった。

「随分と効いてるな。分かるか、見えるか? お前の潰れて開いた顔の穴の中に、肘まで入ってたんだ、叫んで当然だ」

 痛くて痛くて、忘れていた痛さが突然感じたこともないぐらいの痛さで、悲鳴を止められなかった。

「俺が直接聞いたわけじゃないが、終演様は昔、こう言ってたらしい。魔獣は、感情というくだらない物を持ってしまった、人間と同じ哀れな生き物だ。なあ、もう手遅れだが、あの白ウサギはお前の前でボロボロにされて、お前が居場所を教えるまで殺されることなく痛めつけられる運命が待つだけだが、なぁ、お前が泣いている理由は体が痛くてか、心が痛くてか?」

 涙で歪んだ視界の向こうに、助けたいはずの二匹の怯えた白ウサギを見つけることさえ許されなかった。

《教えるから、あの子の居場所、教えるから、兄貴とニィを助けて》

《ミミ、何言って――》

 怒ってやるなと、撃たれて動かない足を踏みつけられて白ウサギは痛みで呻いた。

「そうか、お前はミミって名前か。いい心がけだと思うぞ、素直なのはな。でもな、悪いがお前の体で俺が楽しんでから、ゆっくりとあの黒いのに聞き出すことにしたんだ」

《きたにゃいのは体だけじゃにゃいみたいだにゃ》

「あぁ? ……今お前が言ったのか?」

 踏みつけられている傷口から、必死で足を退けようとしている白ウサギの口は痛みに震えている。だったらどこから。男が疑問の答えを探そうとした途端、顔に激痛が走り、体は吹き飛んでいた。


     4


 起こった突然の異変に、誰も今の状況を把握出来ずにいた。

「何やってる構えろ!」

 肩から銃を体の前まで降ろして、いの一番に撃てる体制は整えた。出てくるなら出てこい。普段なら容易く言える言葉も、銃口は相手を捉えきれずに彷徨う。警備隊も、驚き下げていた銃を構えなおしたが、向ける先はバラバラ。蹲り、泣き、力弱いウサギを狙っていられる場面ではないのだ。

「クリアード、どこだ、相手はどこにいる?」

 だが違う、そうじゃない、焦る必要はないんだ。こちらには、隠れている相手を見つけ出せる力が、道具があるじゃないか。本来ならこちらが強襲に使う物だとしても、見えない相手には有効なはずだ。

 銃持ちの男の言葉を受ける前から、網持ちの男は首から下げていた機械を覗き込んでいる。そこには映っているのだ。今現在、目で捉えられていない相手が。故障だと思いたい現実が。

「どうした」

 異変。この現状だけではない、網持ちの男は現状ではない何かの異変に呑まれている。銃を下げることができず、取り敢えずは白ウサギに銃口を合わせつつ、網持ちの男までジリジリと地面をすり足で移動した。

 覗き込む機械。画面に映るのは真っ赤な物。辺り一帯に潜んでいる話獣、魔獣、神獣の場所を探るために作られた機械。距離の調整も可能で、半径二キロから五メートルまで絞るのが可能なその機械の画面が、殆ど真っ赤に染まっていた。

「どういう、ことだ?」

「半径は十メートルだ。つまりは、直径十五メートル級の獣が、いるんだ。俺たちから――」

 見上げると、そこにあるのは森の屋根。葉っぱが生い茂り、元から見えにくい月の姿は完全に捉えられていない。

 もし、あくまで仮定だが、本当に十メートル級の獣がこの真上にいるのなら、飛んでいる音が聞こえないのが不自然極まりない。普通なら故障か、少し形を変えているのもあって鳥の大群でもいてそれを映しているのだろうと思うところだが、この二人には思い当たる節が一つ、大きな出来事があった。

「まさか、雲龍帝の、部下どもが、助けにきたのか……」

「これの故障以外では、それが妥当だろう。だとしたら、この戦力じゃ一溜まりもない」

 息使いが荒くなる二人は、命の危険を、死の恐怖を目の前に見ていた。

 首を振り、何が起こったと立ち上がる鋼グラブの男は、未だに下を履いていない。先程の状況で下を履こうとするなら、吹き飛ばされている間にズボンを掴み、空中に浮いている状態で履かなければならないのだから、下半身丸だしは仕方のないことだ。まあ、襲おうとしなければこんなことにはならなかったのだが。

《さっさとそのキタニャイ物をどうにかしろ》

 状況を踏まえれば分かるだろうが、待つつもりはないらしい。鋼グラブの男は怒り顔で横にいた警備隊を睨みつけた。

「お前が、って、さっきも同じこと――」

 はっと思い出した時には、銃持ちの男と網持ちの男の銃口を無視して汚い物を空中で揺らしながら宙に飛んでいた。激痛を伴う空中遊泳は、案外早く終わり地面を転がった。

 大きなチャンスが転がり込んできた。見えない、大きさも分からない、攻撃方法さえ知らない相手は、攻撃した時点では確実に鋼グラブの男の側にいたはずだ。

 引き金に力が籠る。後は火薬を叩いて弾丸を発射するだけだったが、網持ちの男が止めに入った。いや、思わず声が出ていた。自体が一変したのだ。

 言葉に出すよりも見せる方が、見ただけで分かるのならそれに越したことはない。先程まで真っ赤だった機械の画面を見せる。あれだけ真っ赤だった画面が、今は四つの赤い点があるだけだ。

 四つだ。一つは黒ウサギ、二つは白ウサギ。計算が合わないのは、もう一つ赤い点があること。近づいてくる先には、寄り添う二つの赤い点。素早くも、焦っている様子もなく、ゆっくりとした動きで、一つの赤い点が姿を現した。

 警備隊も二人の動きに合わせて、白ウサギの横に銃口を向けていた。何が出てくるか想像もできていなかった星の守護たちの目に、一匹の獣の姿がはっきりと見えた。

 獅子の獣。威風堂々とした鬣に、普通の獣ならついていないはずの翼。姿恰好から想像するに、この獣は話獣だ。退化型の話獣だと確信が持てた。一択しかない答えに、話獣自らが答えてくれた。

《で、貴様らはここでにゃにしてる》

 正解だった。話獣が、力を持っている話獣が、こんなバカみたいな喋るをするはずがない。彼らは誇り高い、獣たちなのだから。何を怯えていたのか、恐怖から解放されて、見つけていない答えの部分を忘れて、銃を肩に担いでいた。

「見慣れない話獣だな」

 退化型は進化した話獣とは違い、一斉に退化するため数が多いのだが、獅子の話獣なんて聞いたことがない。網持ちの男と目で話をするが、知らないと答えが返ってきた。だったら化けるタイプなのかもしれない。退化型は色々と特性を持っている。何もない話獣もいたりするが、大抵は手に職を持っているおかしな種族になるのだ。その中で、何かに化けることが上手い種類が出てきてもおかしくはなかった。

《俺様から言わせれば、この三匹のにゃかまの方が見にゃれにゃいにゃ》

 どうやら頭はいいようだ。頗る冷静で、慌てる様子もない。先程の黒ウサギとは大きな違いだったが、そういうのもいるかもしれない。獣たちのことを全てを把握している訳ではないのだ。油断は確かにしていたが、警備隊の照準は常に獅子の話獣を捉えている。心配の必要はない。

「痛ってぇな。あぁ、テメェか、さっきから俺を殴ってた奴は!」

 土だらけの下半身の心配をせずに立ち上がると、すぐに獅子の話獣に近寄ろうとしたが、にゃんのことだと惚けられ、思わず足を止めていた。

「テメェ意外に何がいる!」

《にゃにかいるかもしれにゃいだろ?》

 そうなのかと網持ちの男を見るが、首を振っている。やっぱりテメェじゃねぇか。グラブに力を込める。弱いだろうが、先程の黒ウサギよりは存分に強いはずだ。さぁ来いよ。はたかれ見れば、そうでなくても元々ここにいた人間にも滑稽に見える下半身丸だしの戦う構え。戦う時になればそれほど感じないだろうが、情けない格好もここに極まりといった空気になった。

 見ていないのだ。鋼グラブの男を。鋭く、まるで進化した話獣のような威圧感漂う視線を送っているのは、網持ちの男。

《さっき焦っていた理由は知らにゃいが、数が分かるのか、貴様》

 恐怖が体を走り抜ける。力なんてまるで感じない話獣に睨まれただけなのに、唾を飲み込むのですら意識しないと出来ない。

《だったら――》

 獅子の話獣が笑ったような気がした。慌てて機械を手に取る。まただ、また画面が真っ赤に染まっている。《これにゃらどうだ?》

 焦り方を見て、数が分かる訳じゃないのだろう。所詮、人間の出来る事。程度が知れている。

 殺すのも、殺すのは容易だが、果たして今の状態で命を奪えるのだろうか? 自分自身が不安だった。くだらない考えだった。悩む必要なんてない。目の前には人間にやられた仲間がいるのだ。そうだ、ならないといけない物があるはずだ。

 震える手の中を覗き込むと、またしても画面が真っ赤になっていた。異変を作り出しているのはこの話獣だ。確信と共に命令を下していた。撃て!

 鋼グラブの男がいるが関係ない。身を伏せ、当たらない可能性を高めようとしているし、大丈夫なはずだ。それよりもこの話獣を始末する方が先だった。一斉に、警備隊と旅星二人の銃から音が鳴った。本来鳴るはずの火薬臭い銃声ではなく、破壊された時の音が。

 終わったか、終わったのか? 鋼グラブの男は、恐る恐る、二人の旅星を見た。表情はなかった。いや違う、表情を変えれないほど何かを見ている。まさか自分の裸を見ている訳じゃないだろうことは理解していた。自分の体の少し上を見ている。

 何があるのか恐ろしくて堪らなかったが、確認せずにはいられなかった。慎重に顔を上に向けた。

《その汚い物をどうにかしろと言ったと思うが、聞こえなかったか?》

 側にいたのはずの獅子の話獣はいなくなっていた。目の前にいるこの獅子の話獣は、空気だけで感じることができる。ここにいる人間だけで対処できる可能性はひと握りも、一粒さえない進化した話獣の姿だった。

 意外なことに、蛇に睨まれた蛙になると思っていた鋼クラブの男は、窮鼠猫を噛むを体現するように拳を繰り出していた。

《無駄だ》

 拳が話獣を捉えるよりも数段早く、繰り出した肘が九十度よりも伸びる前に前足で弾き飛ばされていた。先程までとは明らかに違うのが、この時の勢いでも感じられた。

 木を一本二本とへし折った肉人形は、三つ目の木に到達することで初めて動きを止めた。

《貴様ら人間と戦う時は、なるべく攻撃を受けないのが無難だと知っている。一人、お前たちと同じ星の守護の男とやった時の教訓だ》

 だからこそ、最初に銃を破壊した。下手な動きをする者がいてもいいように、自分の武器は納めていない。鬣が地面を突き破り、二十七本生えている。

《で、理由を聞こう。なぜこの三匹を追い掛け回している?》

 殺さないのかと、違和感があった。特に、二人の旅星には。

「答えられない、そう言ったら?」

 駆け引きをしていい場面じゃなかった。絶対的に、交渉をする相手には好ましくなかった。しかも、こちらは何時でも殺そうと思われたら殺されてしまう身だ。しかしなぜだか、確信があった。この話獣は殺さないのではいか? 現に、叩き飛ばされた鋼グラブの男には息があるようだった。

《……答えさせるまでだ》

 生えていただけの鬣が、瞬く間に成長したかと思うと星の守護たちの首に一斉に巻き付いた。

 殺される。先程までの確信は間違いだったのか。それも悪くはないか、殺された方がマシだ。何をされるか分からないのだから、この場で楽に、例え絞め殺されるという苦しい死でも、死んでしまった方が助かる。死ぬ覚悟を固めて目を閉じた。

 瞼の裏にあったのは笑っている楽しそうな顔、困った疑問の顔、泣いた悲しそうな顔。どうしても振り払えない。獣の王にならなければいけないのに、目の見えない女の子のあの悲しそうな、どうしてなのかと訴えかける顔が焼き付いて離れない。

《消えろ》

 目を開くと、鬣が無くなっていた。違う、地面から出ていた鬣が消えていた。やっぱりだ、この話獣は何か変だ。

《聞こえなかったか。この三匹には二度と係わるな、消えろ》

 それでも威圧感は他のそれと変わらない。恐ろしくて足が竦んでしまいそうになる強さを持っている。

「いいのか、それで?」

 強く、激しい怒りの目をした。苛立っているのは自分自身にだ。だがここでそれを攻められる要素はない。唾を飲み込む。「あの男も連れて行っていいか?」

 激痛に声すら出ていない男を指差した。頷く話獣。警備隊に抱えさせて、皆が話獣から目を離さずに森の浅い方に消えていった。

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