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テスタメント  作者: 竜丸
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第14章 切れることのない連鎖、外せない枷鎖 (4)

     4


 道案内というよりも、ただ示しただけ。道に沿って行けば、馬車が止まっている。

 その直後にはヘレナは意識を失っていた。案内が出来なくなった時点で、背中から降ろしてもよかったが、そのままバナンは寝かせていた。脇道も見当たらず、一本の道。心配の度合いで決まるわけでない速さは、空を翔ける、いつの間にか大きくなった獣が最も速い。余裕はないものの、追走はできている久々のコンビが続くが、追いつくことは不可能に近い。気持ちは三人とも、少なくとも二人は同じだ。無事でいてくれ。

 何かを感じて顔を上げる。心の中に靄が立ち込め、心配する気持ちを覆い隠す。代わりに這い出てきた感情は、決して明るくなる材料ではない。最も敏感に感じ取った雷祇に続き、バナンも少し遅れて感じた。

 大地を走る時も、空を翔ける時も、障害を避けたりすればバランスが崩れてしまうもの。全力疾走の途中、両足で止まり、また走り出すような動きをした翼。本当に僅か、回転が遅れただけのバナンの背中には、引き離せるならなるべくしたかった二人の、整えるのが必要なほど乱れてはいない呼吸が迫る。

「おかしくなったのはこの感触で、か。まったく、過敏な奴らじゃ。お前さんがいいなら、ワシが静華嬢を華麗に救い出すとするかの」

 子供のように苛立ちを見せ、叫び返したりするのが、別れる前までの性格。楽しむ気はなかったが、この雰囲気の変わった獣が、さてどんなものかと、期待をしていた気持ちは少なからずあった。

だが、反応は殆どなく、受け流された。耳を後ろにピクリと動かす素振りも見せず、尻尾も苛立ちを少しでも発散させようと揺れこともしない。翼に力が入り、一気に二人を引き離す。当て嵌まる言葉は、必死。

 横を走る少年の顔にも余裕がない。

 何かあったとは感じ取ってはいたが、詳しい内容までは電話口の向こう側からでは読み取れなかった。余程のことがあったのは間違いないだろう。それを含めて考えたとしても、この変わりようには呆れるしかなかった。待ち構えているのが、一人と一匹が恐れている結果かも知れずに。

 嫌な予感ではなく、不安な気持でもなく、確信めいた良くない出来事を思い浮かべて、気持ちにかかる靄に覆い尽くされる前に、三つの影は突っ切っていた。


「まだだ、もっと繰り返せ!」

 何でもいい、例えば鉄の剣でもいい。そういった物が体を貫通すると、血が噴き出すのが当然。刺さった時にすぐに抜かなければ、傷口から流れ出す程度で、処置を施すことが出来る。

 仮に、こんな状況に陥った時に最もやってはいけないことは、刺さっている物を抜くこと。痛みもあるが、自分の体を貫通しているという恐怖や、混乱で抜いてしまうこともある。手を触れなければ助かっていたかもしれないのに、これをしてしまうと助かる可能性が数段下がってしまう。腹に四つも刃が貫通した跡がある場合など、助かる見込みはない。

 聞きたくないのに聞こえてくる肉を貫く音。漏らさないようにしても堪え切れない呻く声。映像として見ることはできないが、行われていることがどんなに惨たらしいことなのか、目の前で見せられているように理解できた。

 嫌だ。仲良くなった人ともう別れたくも、一生会えなくなるのも耐えられない。気丈に振舞う少女を演じることはできそうになく、自然と流れる涙に鼻水。鈍感に作られている人間でも、隠さず表に現れる悲しみを見れば、心が苦しくなるのが当り前。愛らしい少女の顔を悲しみで埋め尽くしている当人なのだから、一番重く受け止めるはずだ。

「嬢ちゃん、泣きなさんな」

 まただ、また気持ちが揺れている。微風でしかない吐息にも消えそうになる。人生という名の憎しみが。

 演技で出来るのか? この状況でそんなことが、本当にできるのか? 一度も顔を見たことがない静華ですら感じ取れる笑顔は、震える声を明るく、微笑みの明るい色に染め上げる。

「俺ぁ、やっちゃいけねぇことをやったんだ。報いなら、喜んで受ける。拒否する権利も、ねぇんだ。嬢ちゃんにゃ、嫌な思い出になっちまうかもしれねぇが、もう少し付き合ってくれ。そうすりゃ、無事に帰れるからよ」

 普段通りに喋る声に隠して、剣を引き抜いた。下半身の皮膚を剥がされる拷問を受けるとこんな風になると、不謹慎にも誰か一人ぐらいは思ったかもしれない。石の部屋の中にいる者で、それほど余裕がありそうな人物は誰もいないのだが、そう思ってしまう。それほど、真っ赤に、鮮やかに染まる両方の足。

 周りにいた人間はもうできない、二度と。当然だろう、二本の足で立つことさえできなくなったんだぞ、皆は。今苦しむこの男のせいで。笑え、高笑いするんだ。復讐がやっと終わる。これで終わるんだ。

 親の後を継いで猟師に、もしかすれば村の子供に学問を教える教師に、子供の頃には夢にも思わなかった商売人に。どこに伸びるのか、どこに向かうのか、何本にも枝分かれしていた将来を切り落として、太い太い、枝葉が一本も生えない、何よりも硬い復讐の鋼の幹を作り上げたこの男を、ようやく殺すことが出来るんだ。言い聞かせろ、聞け、聞くんだ。

 なのに、どうして、どうしてこんな、こんなふざけた感情が湧いて出てくる。無くなったはずだろ、村が焼かれて無くなったあの日に。同じように燃えた。カスすら残っていないのにどうして。

 振り向く瞳は焦点を捉えていない。目を合わせることが出来ない人間なら上手く見ているのを装えるが、この瞳は何処を見るべきか知らないだけ。出てきてはいけない言葉を何度も何度も噛み砕いて、飲み込む口元に注がれる視線。

「お願いです。もう、止めさせて、ください……。あなたの言葉なら、カイヤックさんは聞くはずですから、お願い……。お願い、します」

 噛み砕いて飲み込んだために、無造作で作り直すことはできない。もし全ての欠片を見つけ出しても、口を動かして出てくる時には形が変わっている。忘れてはいない発音の仕方で口は動く。形を崩さず出来上がっている物を出すだけでいいのだから。

「黙れ。お前には関係ない」

 そうだ、関係ない。ここにいる人間は誰も、死んでいる男たちでさえ、二人のもっとも重く圧し掛かる過去には関係ない。名前も知らないこの少女や、捕まえた二人だったらもっと関係がない。必要のない話に耳を傾けるな、聞いたところで揺るがない。全てを失ったあの時の光景を上塗り出来るのならば、瞼だって切り落とそう。たった一人の男が繰り広げている、自害にしては壮絶で、凄惨な映像で。

 理解の出来ない世界があるのは、無菌の箱庭から一歩外に出てから嫌という程体感してきた。傷を癒せるようになった自分の力も理解しがたい世界の一部。本当なら一生を過ごしただろう部屋から誘い出した事件も、現在繰り広げられている光景も、出会ってきた出来事も、起因は一つの道を歩いてきていた。

 思う心。

 形は色々で、今でも姿を変えている。人が一人、生き物が一匹、考えることが出来るなら自然現象でさえ、何かしらを思いを持って、動いている。体を癒すことしかできない力かもしれないけれど、出来ることなら修復してあげたい。壊れて、傷付いて、どうしたらいいのと、声に出して泣く心を。止めて、カイヤックの行動だけじゃなく、自分を苦しめるのも止めて。もうそこまで動きを作っていた口の筋肉を制止したのは、頭の中に響く警告を告げる声。

     聞こえる、静華。返事は待たないわ、このまま話を続ける。そこは私たちの棲む幻界とあなたたちの棲む現界の狭間の空間にして、死を通して繋ぐ道。今すぐそこを離れないと、力の使えないあなた諸共飲み込まれてしまうは。危険なの、今すぐ逃げなさい!

 突然の声。しかも、よく分からない内容をしている。戯言ではなく、真剣に言っているというのは感じ取り、理解できる内容ではなかったが、危ないという事だけは理解できた。

 速く行動を起こさなくてはいけない。小さく、今にも消えそうな警告声に応えなくては。けれど、どうやって伝えるべきなのか、数の少ない手段しか持ち合わせておらず、相手は話を聞いてくれない。緊迫していた声が、とうとう途切れてしまった。最後まで、すぐに行動しろと促していた。考えている時間は、一刻も許されない。ギムンが言う飲み込まれると、カイヤックの時間が。考えが頭の中でも纏まらないが、それでも口にしなければ始まらない。

「お願いです。ギムンさんが言うには、ここは危ないです。だから、逃げないと。今すぐ離れないと」

 突然、止めてというニュアンス以外で出てきた、新たな言葉は幾つかあった。その中でも取り分け気を引かれたのは、ギムンという、さんが付いているのだから人の名前であろう、聞いたこともない名詞。どうにかして、例え嘘でも助け出そうとしているのか、疑うには十分な状況だった。口ぶりも顔も真剣ではあるが、対応する言葉は、ただ黙れ。

 誰もが戯言だと、意味の分からない事を言い出したと感じ、訳が分からない表情になっていた。ただ一人、カイヤックを除いては。

「嬢ちゃん、あのカラスが、後ろだ!」

 警告が響いた時に気付いていなかったのは、青年と静華だけ。感じる風に、慌てた剣が咄嗟に頭の上に運び出る。響く触れ合う刃に振り返り見たのは、血がなければ誰しもがこのように成り果ててしまうのかといった、真っ白な肌の色をした、先ほど背後から首を切りつけた男。

 握られる手には、見たこともない、刃物のように鋭く整えられた骨。一体何がどうなった。確かに死んだはずだ。混乱の最中にいる青年の横では、腕を切り落としたはずの男が、落ちたはずの腕で剣を振り下ろしていた。

「行け! お前は嬢ちゃんを、ちゃんと上へ返すんだ!」

 一閃で振り抜いたイクリプスが、骨剣を吹き飛ばしていた。

 予測して、そうした。腕を切り落とすのは無理だと。剣で受け止められるなら、弾くのは可能だと。ただ立ちつくすのでさえ拒絶し、誰もが痛みに負けてしまう傷。真っ先に、手に持つ巨大な剣で自分の命を落とそうと考える致命傷にも、カイヤックは立ち上がり、二人を守った。

「何考えて――」

「嬢ちゃんは無傷で雷祇たちんとこに、帰すんだろ。だったら、早く上へ行け」

 次々と雨水さえ染み込むことを許さない石の壁や天井、地面から白く半透明な、こうなる前までは人だったのだろうと認識できる形をした物が湧いて出てきている。手には一律に骨の剣。

 振り返ることはもうせずに、促す言葉を残してカイヤックは部屋の中心に向かって走り出した。こんな奴に言われなくてもと、静華を抱え、後ろで動けずにいる三人に発破をかける。上に行くぞ、と。

 上に行く。生きる決心を聞いて、片手にはイクリプス、もう片手には自分の腹を刺していた剣を持ち、掛かって来いと構えた。容赦なく、白い物体は襲い掛かる。青年が階段に差し掛かろうとした時、覆い隠すように、黒い、向こう側が透けて見えない、けれど絶対に物体ではないと言い切れる得体の知れない霧が、部屋の地面を溢れ尽くしだした。剣で切っても、振り払っても出てくる黒い霧。構っていられないと、階段上を見上げて、青年の足は止まった。

 お前たちに帰る場所はない。階段には、鼠だけは通るのを許可された隙間しかない、骨の剣の網が出来上がっていた。部屋に視線を戻す。カイヤックは一人、この世の物とは思えない、現実的に異世界の物であろうと動く者と戦っている。腹からは溢れんばかりに血を流しながらも。

 俺は何をやっている。助けられている。殺そうとしていたはずの男に、助けられている。上がるのは無理だ。なら、どうする。静華にズボンを握らせると、青年は一体の動く者に斬りかかった。剣はそこに何もないように、見えるだけの影を切り裂いたように、触れる違和感なくすり抜けた。

 動く物が振り返る。静華を壁に押し付け、青年は戦う構えを取った。連れて帰ると心に決めて。


 馬車が少し離れて止められている。石の通路みたいな、階段みたいなものが見える前に三人が着いた。仲間の身を案じれば、すぐにでも飛びこみたいところだが、足を止めるにはそれなりの理由があった。

「なんですか、これ」

「ワシが何でも知っとると思うな。見たことないわ」

 溺れる人が、遥か遠くに浮かぶ雲に掴まろうともがく姿に似た、薄黒い霧が手を招き、溢れだしている。バナンですら少し躊躇する。けれど三人には、決まった心が固まっていた。

「バナン、その子、木にでも凭れさせてあげてください。もしものことがありますから」

 湖の畔に降りるにはちょっとした、終演の背よりも少し高い段があり、その下を刺していた雷祇の指の先にヘレナを下ろした。

「それじゃあ行くかのう」

「はい」

 黒い霧の中に三人は飛び込んだ。


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