第13章 不器用な悪魔のラブソング (5)
6
巻き起こる暴風と相反して涼しげにも崩れて笑う。家さえも踏ん張りの効かない風に乗って飛び回る雷の蛇が、二人の乗っていた建物を破壊する。前に進むのはおろか立ち止ることすら出来ない風渦巻く球体の中で、常人では作り出せない脚力が刃を交え合わせた。
「どうだい? 君に合わせて、僕も力を外に出してるんだよ」
あくまで表情は楽しみの中。今の状態で、どんな言葉も届くはずがないが、それでも言葉を投げかける。
「君は力を一点に集中できない。それが惜しい。ちゃんと契約できれば、そんなことなくなると願うよ」
風に支えられているのとは違い、踏ん張る場所が無ければ雷祇は体を支えられない。
今目の前にある、笑う声が立たない笑顔を引き裂こうと雷命を引き上げたが、風に浚われ、体は球体の外に放り出されてしまう。
泳ぐように動かした腕も勢いを緩める効果は得ず、二百メートル近く離れた場所で両足が地面に着く。それは着地というよりも、勢いを付けて空に飛び出す最後の踏み出しのように、まだ勢いが死にきらない背中から後ろに体を引かれる状態のまま、一歩踏み出した。
「もっとだ、もっとだよ」
二人が交え合った刃の残りカスでも、力の面で戦いに身を置く人間がからすれば、懇願してでも欲しいとさえ思うほど圧倒的。
力の集中点である雷の発生源が足に集まり、人間らしさの消えた一歩を刻める雷祇が踏み出した。目的はただ一つ。風の球体の中心、二つの命をただの肥料として撒いた笑顔を切り裂くために、飛び出していた。
こっちだよ、さあおいで。脈絡なく、弾き飛ばした時点で始まっていた鬼ごっこ。目を逸らせない、逸らさない中心地。移動しただけで舞い上がる瓦礫が力のない者、戦いの中にいる者、光の中に入れていない者を満遍なく襲う。雷祇も例外ではなく、大人の腕ほどある元柱が、家を支える作業を解放してくれた主人を守ろうと目の下を掠める。
だが、雷命の向かう先は一つしかない。近づくな、近づくなと纏わり、もし、万が一の確立だが傷付ける可能性のある刃を遠ざけようとする風。
ゴールに到達するのが難しいのは百も承知している。どんなことでも、それは同じだ。乱されるな、ゴールじゃなくまだ始まってもいないのだから。銀の色を放つ血の味を殆ど知らない、無垢とまではいかないが穢れてはいない刃を金色に染めようとするが、剥がれて銀色の、戦いたくない汚されていない気持ちが見え隠れする。それでも逸らさず、ただ見つめるのは風牙の顔。
建物十件分吹き飛ばされたが五件目に差し掛かり、やっと半分近く取り戻せた陣地。たった数歩でこれほどまで近づける危険人物に次なる刺客が迫る。雷祇なら部屋にして住むことができそうな大きさの屋根に、選択肢は一つ。
避ける。
横に跳び、バランスが崩れてもただ前に進むことだけを忘れない体に、お前にはその恰好がお似合いだと空から手が伸び体を地面に押しつける。大地に触れる掌。悔しさ、怒り、人の理性を狂わす感情がギリギリと歯を鳴らせる中、抗うのを忘れたように低く、深く沈みこんだ。
真上に来ていた、白と黒に覆われた月夜の代わりの風の球体に向ける瞳。これからだ、羽根を奪われ地に落ちた人が改めて求めた空に、機械の力よろしく、真っ直ぐ跳び出した。
「来い、もっとだよ!」
ただ傍観しているのは愚の骨頂。食事をするにも腹を空かせないと意味がないように、遊びも全力でなくては面白くない。待ち構えていた風の槍。自分の意思なく真っ直ぐに撃ち出される鉛玉のような軌道でしか飛べない、跳ぶ相手に向かって繰り出された。
自分の中に流し込む雷に訴えかける。力になれ、僕の力になれと。両手でしっかりと握り締める雷命。
冷静さの断片も残っていないだろう、涎を垂らし獲物を狙う獣に成り果てた姿。誰でもそう思いそうな変わり方をしているが、体の中に染み込んだ、鬼やなんだと呼ばれる男と毎日繰り返していた命を奪わないとはいえ、真剣でのやり取りは実を結んでいた。
繰り出された槍をギリギリまで、相手に攻撃を当てた瞬間の、どこまで深く当て、次はどう動くかという、瞬きさえも時間の外に置かれて動きを止める僅かな隙を突くために、限界を超えてまで引きつける。もう弾いても、どこかしらにダメージを受けるのは必然。
位置関係からして顔の見えない二人。それほど寸前に伸びる槍が胸を捉える。どこまで受けるつもりだ、どう動く、こう動いたらこう動く。出来上がる、時間の外の思考の隙間に、ねじ込むように腕が動いた。
小指と薬指に挟んだ雷命。受け止めるか、もしくは弾くと思い立てた戦略が、武器の思わぬ動きに一から立て直す。自由になった両手で掴むのは、風の槍の柄。驚きよりも寧ろ感銘に値する動きを、脳の一番大事な部分に飾ろうとじっくりと見つめる風牙の目先で、自分の胸を軽く突き刺した槍を深く、痛みで行動範囲を狭めないよう突き刺し引き寄せた後は、体を傷つけながら押し下げる。
腹筋の辺りまで描いた肉の色の線から舞い散る血飛沫。漏れ出したのは燃料ではなく、重たい体を軽くしただけ。雷祇は一段速さを増し、二本の指に頼りなく絡まっていた雷命をしっかりと握り変える。片手は柄を離さず、まさかここに乗られるとは思っていなかっただろう三叉の槍の、刃を支える二本の枝の部分に足を掛け、起こし上げる体。
歪む表情。肩に向かって、その先にある首に向かって薙ぎ出される。槍を掴んでいた腕に容赦なく刃が触れ、後は斬り裂くだけ、それだけでいいんだ。
「甘いよ」
地面を這いつくばる蛙は、いくら空に飛びだして鳥を攻撃しようとしても当たるわけがない。二人の違いは、それほど歴然。
触れた、確かに腕を切り裂くために、首を切り落とすために雷命は動いた。斬れる映像が頭の中にも流れた。なのに感じない、感触もない。肉を切った実感が、何もない。当たり前だ、相手は空を自在に動ける存在なのだから。
風の槍を支点に、雷命に押されて回転する。ここまでして、自らの手で槍を刺しておいてたった、たった数本の髪を掠めただけで、斬り落とすことすらできずに雷祇では絶対不可能な、地面と平行に体を保つ風牙が攻撃可能な何も持たない一方の腕を伸ばす。
まだだ、抵抗する風に負けずに、狙いを定めて止めた雷を真下に動かすが、腹に触れる手。人では作れないこの風を作り出している手が触れた。分かっている、防御しないとどうなるか。それでも前に向ける、後戻りしない殺意の真ん中に打ち込まれる、どんな大男の、カイヤックの蹴りよりも重たい風の一撃。
気持ちだけではなく答えようとしていた腕がしっかりと、四本の指先の皮膚を柄に残したが、それも瞬く間に風に誘われ球体を一気に抜け上がった雷祇と同じように、掴む残像もろとも吹き飛ばされた。
夜の大空に瞬く星の一部になってしまいそうなほど高く吹き上がった。翼ある者さえ大していない高さで、定まらない方向感覚。今地面に頭が向いているのか、それとも空は右手の側にあるのか。気持ち悪くなろうが何だろうが、冷静に目を開き回転の仕方を確かめていた。向かってくる風の球体は待たないよと囁く。
どうにか、何とかして態勢も体勢も立て直さなければ、やられるのは確定事項に書き込まれる。ちょこまかと動き回り、どこに定めるべきか見当もつかない視界。どうにかしようにも羽根が生えているわけでも、機械の翼があるわけでもない。ましてや地面に降りているわけでもなく、今いるのは呑気に高みの見物を決め込む星と月が居座る夜空。だがいるものだ、どの世界にも輪に入りたがらない変わり者が。
「それを使うかい。悪くない。強さで敵わない僕と遣り合うには、頭を使わないとね」
本来なら狂気を収める鞘でさえ、この戦場にいれば武器に変わってしまう。紐を掴んで振り投げ絡めたのは、空から最適な場所を探っていた一匹の天使の翼。見ていなかった方向からの違和感。引き千切られそうになる翼は何とか体にくっ付きはしていたが、何が起こったのか確かめようとした瞳が振り返り捉えたのは、擦り減り使い込まれた靴裏。
そのまま両足で着地。生き物は理解が出来ない場合には暴れるしかなく、天使もそうだった。もしかすれば本当にあるかもしれない、翼の生えている生き物だけにしかわからない空に溺れているといった感じでもがく天使の腹を、引き千切った翼が残る雷命の鞘で殴りつけた。自然と前屈みになりもするが、雷祇が髪を掴んだまま体を地面の方向に振ったことでより早く向きが整う。
鞘はいつもの定位置の腰に戻り、口に銜えていた雷命を手に持つと、冷めない熱がまた一段と沸き上がる。引き寄せ合うように近づく二人の距離。全てで劣るならせめてこの星の力を借りて、対当にまで。頼りない地面ではあるが、鉛玉が飛び出す筒は選べない。どれだけ錆びていようが、どれだけ綺麗に磨かれていようが、目的は何かを貫くため。
雷を流し込む。跳び上がるのではなく、駆け下りる雷祇のスタートを告げる、白くあの時と同じように真っ白な翼が舞い落ちる。まだ始めて間もない二人の感情渦巻く戦いの中で、初めて上から雷祇が攻撃する。
「うぉぉおお!!」
風の球体をぶち破って全力で振り下ろされる雷祇の刃を受け止め、風牙は顔を綻ばせた。
「もっとだ、もっとだよ雷祇!」
戦い初めて過ぎた時間は、一生忘れられない、寿命まで全うできれば最も長く感じたろう。だが、永遠に開けないと思っていた夜でも終わりがくるのだと教えてくれていた。空には火が入り、動き出す準備段階の太陽の汽笛に赤と黒が混ざり始めている。宴も終わりが近づき、町は疲労に包まれ、余裕がある者はいなくなっていた。圧倒的な、他の者が戦いに近づくことさえ許さない雷祇と風牙を除いては。
間違って近づいてしまった者たちの末路は、どれもこれも決まっている。例外なく二人の放つ木漏れ日程度の微かな力にも打倒され、死と向かい合う。一点で戦い続けているわけではない二人の移動先に偶然居合わせてしまった者も、同じ運命を辿っていた。
最後の巨大悪魔を打倒したカイヤック。一人で九を数えると、流石に疲労が見え隠れする。それでもやっといなくなった巨大悪魔に、一息つくようにイクリプスを担いで辺りを見回した。
気になっていたことがあったから。どれだけ綺麗な一輪の花でも、宝石の中に入ってしまえば美しさは霞んでしまう。ただの間違いではなかった。光が、まだ目覚めきっていない世界の半分程度開いた目の輝きにも負けてしまう程度の強さになっている。疲れからくる顔の変化ではなく、余裕がなくなっていた。
「不味いな……」
息が上がっているのが遠目からでも見て取れる静華の姿。
それと同じように最大道幅、十五メートルほどの大きさに広がっていた光りが小さく、中にいる者の傷がほとんど回復しなくなっている。どうすればいいのか考えようにも、数はまだまだいる翼ある者が迫ってきた。休みに入ったばかりのイクリプスを出す必要もないと、飛んできた勢いも借りて殴りつけ消し去った。
耳の穴に人差し指を入れ、その手で頭をグシャグシャと掻く。どうするべきか、この状況を切り抜ける方法を知る者はいないだろう。
空を見上げた。赤みが増すにはまだ遠いが、夜が眠る時間。また一匹の悪魔が向かってきたが、踏みつけて消し去る。朝の目覚めはすぐそこに迫っている。星も霞み始めた空で最も目立っている、足と肩に剣は刺さっているものの悠然と翼ある者の相手を務めるバナン。
「おーい、糞猫。聞こえるか!」
戦いに集中していたバナンは、地上から飛んできた殴り声に、驚きと崩されたテンポ。一斉に翼ある者が迫ろうとするが、鬣を数億の針に変え牽制してから地面を睨みつけた。
《この状況で何を叫んでおる! 貴様はまともな判断もできんのか!》
空に向けて放たれたが、地面に這いつくばっている者たちにも当然のことながら響き渡っている。耳を塞いでも、綿を詰め込んだとしても耳元で叫ばれている方が遥かにマシな大声が。
「お前、嬢ちゃんの光りの上まで降りてこい。うんで、戦ってる星の守護! お前ぇらの側にいる戦えねぇ者や、動けねぇ奴抱えて光を囲め!」
砂漠を抜けて、近くの町なら届いてしまいそうだった。
町の中心で圧倒的に、もっとも強い相手と戦い続けていた男。ここまで生き残った星の守護なら本能的にわかるだろう順位。逆らう者はいなかった。それほど強烈な印象を植え付ける戦いぶりだったのだ。一斉に動き出す、一点を目指して。町の中心で戦っていた時と同じように陣取り、向きの分からない者には背中を押して向かわせる。星の守護の流れを作り出すカイヤックの側を、また一人駆け抜けた。
当然のことながら、翼ある者たちが簡単にそれを許さない。どうぞ襲ってくださいと言わんばかりになる背中に、何の迷いがあるというのだ。が、そう簡単には襲えない。周りを警戒しながら、弱い者などを護衛し進む者には力がある。襲われそうになっているところを横から助けたり、翼に変える役目をカイヤック含め、強い星の守護が請負い、走り向かう者をサポートしていた。
バナンは光のすぐ上に降りて、この行動を眺めていた。近づきたくても近づけない静華の様子を、ゆっくり見る時間もなかったが、この時になって初めて気がついた自分に、苛立ちを隠さず、地上で背中追えずに空から襲おうとしている翼ある者を鬣で括りつけて感情を発散していた。
徐々に静華の光りの周りに星の守護も、翼ある者たちも集まり寄る。カイヤックは同じような役目を負っていた五人と、足を切られて遅れていた最後の三人を抱えると、向かうべき場所に体を向ける。すっかり黒と白の半円になった、町の生き残りを賭けた最後の戦う場所に走り向かう。何匹か妨害が入るだろうと踏んでいたが、予想に反して走ってきたカイヤック一行はすんなりと向かい入れられた。
「なんだ、随分行儀がいいじゃねぇか」
翼ある者たちは、今か今かと飛びかかるアクションを取っている。それでも飛びかからずにいる姿は、まるでカイヤックを待っていたようにさえ見えた。
理由はあった。戦える、今まで戦い抜いていた星の守護たち全員が、片足を光りに入れているのに加えて、バナンが雑魚を引き受けた要因。警戒していた相手、纏め上げる強き翼ある者たちの存在。空で戦いながら数えた、決してバナンに向かって来ようとしなかった強き翼ある者は、数えて八。それらが統率を取っていたのだ。ただこの場合の厄介と、バナンが考えていた厄介は少々違う展開になってはいたが。
その輪を乱す、随分と遅れてやってきた一匹の悪魔。もちろん翼ある者の側に着くのかと思ったが、勢いを緩めることなく、悪魔は光のドームの前で止まった。もう始まるのか、目の前に止まる悪魔に三人が各々の武器でぶつかり合うとしたが、五人が他の星の守護と同じようになったのを確認して目をやる。
「そいつは手ぇ出さねぇでいい」
カイヤックの声に、星の守護は寸前のところで思い止まる。
「なんだ、結局最後までこっちじゃねぇか」
言葉も視線も返さない。止まりはしたが襲い掛かってくる気配しかない星の守護の目の前で翼を畳み背を、星の守護ではなく翼ある者たちと戦う意思があるのだと見せる。大胆で、理解がない者には切り捨てられそうだが、ここにいる星の守護にとっては最も効果的だった
それを見送って、カイヤックは抱えていた三人を光の中に下ろす。自分は地面に降りている悪魔と一緒の、光から完全に出た状態で、見事なまでに統率された翼ある者を見回した。続いて、戦える星の守護を全員見る。
「まあ、今日居合わせたのは偶然だろうが、こうして生き残ってんだ。よろしく」
静華の光りがあるとは言っても、町にいた半数以上が死体になっている。光の中と周りにいる人間は足しても三分の一に満たないのは、残りが灰になっていたから。
「星の守護になった理由は知らねぇし聞かねぇ。強くなりてぇって奴もいるだろうし、弱ぇ奴守りてぇって奴もいるだろう。中にはただ戦うのが好きだって奴も。でもよ、どれだってよ、できねぇじゃねぇか、な。死んじまったらなよ」
強き翼ある者たちは、今にも飛びかかりそうな翼ある者たちを静める。カイヤックは最後の言葉をどういう気持ちで言ったのか、それとも何も考えずに口が動いたのか。少なくとも自分に言われた時に返す言葉は持っていないだろう。
「だったらよ、この状況、どうにかしようや」
答える声。「そうそう、どうにかね」
「あぁ。ぅんで、生き抜こうや」
この言葉にも一人が答えた。「おう」
「だったら戦い抜こうや」
少し大きくなったカイヤックの声に、先ほど答えた者以外も数名が答えた。「おぉ」
「だったら目の前の奴らブッ飛ばそうや!」
数名だった返事が、男も女も関係なく連鎖のように繋がる。「おお!」
「もうちょっとで出てくる太陽さんの顔拝もうや!!」
動けない者も、戦える星の守護が上げる雄叫びに同じように叫んだ。「おおぉ!」
「じゃあ死ぬんじゃねぇぞ、生き残れよテメェら!!」
一番傷を負っているバカみたいな戦い方しかできない男の声に、いつの間にか皆が馬鹿みたいに声を張り上げていた。その先頭で誰よりも大きく、開戦の狼煙を高らかと舞い上げた。
「よっしゃぁぁ、来いやぁぁ!!!」