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テスタメント  作者: 竜丸
71/82

第13章 不器用な悪魔のラブソング (4)

     5


 光蛇のウロボロスは直径五メートルほど。負傷者や戦えない者は、光の空間に逃げ込んでいた。空を飛び回る翼ある者が近づくことさえできないことと、目に見えて傷口が回復する不思議な光の中に逃げ込みたい、負傷者を入れたい、弱き者を入れたいと光の周りは人で溢れ返っていた。

 神々しき光に触れるのは愚か近づくことさえできないのに、翼ある者たち獲物を追いこむ狩りのように周りを囲み、突っ込む。当然光の中には入れないが、入れないのは負傷者も弱い人間も同じ。本当の意味で溢れているのだ。

 飛び向かってくるのを叩き、守りながら星の守護は戦うが、庇いながらの戦いは全力を出せず、戦い守っているはずの星の守護が負傷者になるという悪循環が始まる。

《静華、聞こえるわね》

 初めて使った時とは違い、押し潰されそうな感覚のない静華は指を組んで顎と唇につけ、膝を突いて集中力を高めている。

「なんですか、ギムンさん」

 気が少しでも他の場所に向いてしまうと、光が弱くなる。静華は話しかけられたくも、喋りたくない気持ちも抑えて会話を成立させる。

《この大きさじゃ、逆に混乱が生まれているわ。今この町で、殺意の持つ刃から身を守れる唯一の場所なの。分かっているわね、もっと広げて》

 これでも一杯一杯なのは、誰よりもギムンが知っている。彼女の底がすぐそこに見えているのだから。どうすれば出来るのか、教えもせずに突き放すように言ってはみたが、無理だと言われればこれ以上は何も言わないつもりでいた。

 ふわりと被せるように瞑っていた瞼を強く締める。この子も強い子だ。ギムンに返ってきたのは、小さいながらもはっきりとした頷き。

 組んでいた指が手の甲に皺を作り、一定の、無意識にする呼吸の速さで動いていた胸部が、心拍数の乱れと同じように速く膨らみ萎む。薄らと掻く汗も、額に吸いついていられず流れ出す。傍から見れば苦しそうに見える静華の汗を、横にいたリンリがスカートの部分で拭った。意識の乱れは、周りの皆が感じるよりも遥かに脆く、目には見えない七色の太陽の色を反射させて破裂と物体の中間を彷徨う泡のように儚い光を、一瞬にして弾けさせてしまう。たとえそれが、気遣いの起こさせた動きでもだ。

 何度も何度も、流れ出す汗を拭うリンリの行動が何を意味するのか。生き物の気配がする方向に顔を向けると、必死な表情を奥に隠して静華は笑顔を作った。


   御主人、よろしいですか?

   何だい?

   静華も強くなったとは思いますが、流石にこれでは……

   持たないだろうね

   やはり……。でも、今の状況では――

   仕方のないことだよ

   静華からこの女の子を治したいと言われて連れてきたのは、間違いだったのかも――

   そんなことはないよ。それを言うなら、私の力不足の方が問題だ

   そうだ、女の子の体を蝕んでるのは一体何なのです?

   うん、これは……

   どうしたので?

   いや、嫌なこと思ってしまってね。これは多分、魔法使いの子を蝕んでいた物と似て非なる物

   どういう意味で?

   私の力では癒せないという事だよ

   魔法使いの子は治ったじゃありませんか

   あれは治したのではなく、彼女たちの肉体を強めたんだよ。あの時は魔力を喰らうウィルスだったからね、魔力が減りにくい体にしたんだよ。だが今回は違う

   どう違うので?

   肉体そのものを喰らう、植物なんだ。

   動物の肉を、喰らうのですか?

   あぁ、そうだよ。静華に治したいと言われて、力を使ってみて初めて見た植物だよ

   そんな物が……

   あったんだ、ここにね。もしこの植物の進行を止めようと思えば、止められないことはない。肉体を強くすればいいことだからね。だが、してはいけない。分かるね?

   女の子の肉体を強くする。それはやはり……

   不死にするしかなくなるんだよ


 人が夜、明かりを点けるのは暗くて手元が見えないからともう一つ、自分たちの進化を他の生物に見せつけるため。ウェイポイント・ファイブの今宵は、他の生物から隠れるために明かりを消して、自分たちが力のない動物だと改めて実感している者が大半だった。

 家の扉が開く。隠れているのは二人の子供、この家の姉妹。物置に隠れる二つの小さな影に、侵入者が近づく。トイレの扉を開き、寝室を開き、物置の扉に手が掛かる。姉妹は手を取り合い、恐怖に震えた。

「見つけた」

 窓の外から見ただけで、いつもの町とは違う異変を知っていた姉妹は、緊迫感の違う声に見上げた。

「ほら、ここは危ないから安全な場所に行こ。大丈夫、こんな可愛い美少女が怖いわけないでしょ?」

「……でも、下着」

 物置の前で微笑みかけていたのは、夜の仕事をしている者でも出歩かないであろう下着姿の鈴奈だった。美少女でもなく、この状況でもなく、一定の無言の後、指摘したのが下着姿だった。小さい姉妹だが、握り拳一つ分、背の小さな女の子を守るように抱きしめている、多分姉だろう女の子の意外な落ち着きぶりに、声を上げて笑いそうになるのを必死に堪えて、顔で目一杯笑った。

「うん、これなら大丈夫だ。で、服、貸してもらえる」

 姉妹の頷きをもらい、普段でも着ないような地味なシャツとズボンを手早く着て、二人の姉妹の手を取った。

「いい。止まっちゃダメだよ。走るの。光に包まれている場所まで。行くよ」

 家の扉を開ける前にそう言って聞かせ、三人は家を飛び出した。

 あちらこちらで、まだ悲鳴が、歓喜の声が、殺し合う雄叫びが聞こえる。止まれば自分たちもその中に入ると、状況は理解できていないだろうが、命ある者として感じとったのか、姉妹二人は懸命に足を動かす。鈴奈もちゃんと付いてきている二人を、扱ける手前の速さで導く。

 三分、子供時代には長く感じられた時間であり、この状況ではさらに時が経つのが遅い三分間。三人は走り続けた、静華の下まで。静華が光の安全地帯を作っている大通りに出た鈴奈は、このまま行けると、大丈夫だと姉妹二人に言おうと振り返った。

「行って――」

 姉妹二人の手を静華のいる方に投げるように動かし、鈴奈は姉妹の間を通り後ろに向かう。まだ静華の光りの安全地帯まで二十メートルはある。姉妹が振り返ると、鈴奈が一匹の悪魔の腕を蹴り上げていた。

「早く!」

 止まっていると、姉妹が動いていないと分かっていたかのように鈴奈は二人に笑顔を向けた。姉妹二人は動けない、蹴り上げた腕に握られていた剣が鈴奈に向かって振り下ろされていたから。もう一度、同じ言葉を言おうとした鈴奈だったが、言葉が出る前に切り落とされた。

「何をやっているんだ鈴奈!」

 悪魔が自分の腕が切られたことに唸り声を上げていたが、フリシアの一蹴りを受け後ろに倒れた。

「君は戦えないのだから、静華さんの光りの――」

「フリシア! 怖かった、怖かったよぉ」

 上背がある鈴奈が力いっぱい抱きしめてきたことに、フリシアは胸に挟まれ視界が奪われた。どうにか止めろと声を上げたかったが、出来ずに両手の剣の柄で鈴奈の腹を押すが全然抵抗にならない。傍から見ればイチャイチャしているように見える二人の行動を止めたのは、この町の今を現す言葉。

「何やってんだい。ここは命を取り合う場所だよ」

 姉妹に向かって、二匹の天使が飛び向かう。本当なら襲い掛かるところだろうが、普通に飛んでいるのとは違った。正確に言うなら、吹き飛ばされている。空中で何度も回転し、姉妹の前でピタリと止まると、地面の中に頭が埋まっていた。

 姉妹にはこう見えていただろう。肉の壁が目の前にあると、それが自分たちの頭の上を軽々と飛び越したと。肉の塊、いや失礼、小ママンは跳ねるように飛び越した姉妹と鈴奈、フリシアの向こう側で起き上がろうとしていた悪魔の腹に、体重を乗せた拳を見舞った。黒と白の翼が舞い上がる中、小ママンは悠然と腰に拳を据える。

「ほら、あの子等を助けたいなら走るよ」

 しっかり者には遠い感じだったが、踏ん張っていた二人も子供の表情に戻って頷き、走りだした。もう少し、残り五メートルで光の中に入れるという寸前の五人の前に、空から下りてきた巨大な影に足が止まる。

「こいつは厄介だね。最初のは、あの猫君がやってくれたけど、あたしとは相性が頗る悪い」

 五メートルはあろうかという、元が人だったとはとても思えない巨大悪魔。手には体と同じ大きさの、この世の物とは思えない、骨でできた斧を持っていた。その影がこの町には何匹か見える。

「早くお行き」

 小ママンは拳を構えるが、どう考えても受け止めることはできそうにない。フリシアと鈴奈、それぞれが姉妹一人ずつの手を持っていたが、足は動いていない。戦えるとは思っていないだろう小ママンも、表情に余裕はない。

 そんな五人に巨大な骨斧は振り下ろされる。せめてこの一撃、四人が光の中に入るためには絶対に堪えないといけないこの一撃だけは絶えようと、両手を交差させた。

 衝撃は想像を絶するだろう。建物を切り落とすのだから。だが、もう来てもおかしくない衝撃も、振り下ろされる風さえも拳の交差が受け止めることはなかった。

「何だ婆さん、こんなのに梃子摺ってんのかよ。随分弱くなっちまたんじゃねぇか?」

 巨大な骨斧を受け止めている剣は、眠った赤子を乗せても目覚めないほど微動だにしない。盛り上がる巨大悪魔の腕の筋肉を見ると小さく感じるカイヤックの腕回りは、まだ膨らむ余地が感じられる。

「はん、あんたは益々化け物染みてきちまって……」

「まあ、な!」

 大きく硬さを増した腕の筋肉。骨斧は巨大悪魔の頭上へぶち飛ばし、がら空きになった腹を一撃で叩き斬った。盛大に舞い上がる黒い翼の滝を浴びるカイヤックに、空から十四はいそうな悪魔と天使が襲い掛かる。巨大悪魔を切った返しの、たった二撃で襲い掛かってきていた翼ある者は、足元に広がっていた大きな翼の海の中に混ざった。

「さっさと嬢ちゃんの光りの中に行きな、嬢ちゃんズ」

 久しぶりにいつもの肩の棲みかに帰ったイクリプス。何匹か飛んできてはいたが、四人の小さな頭に手を乗せグシャグシャと混ぜた。フリシアは何か言おうとしたが、「こんな顔には成りたかねぇだろ」と自分の顔を親指で指して言わせなかった。

「で、衰えちまった婆さんも、中で休みたいんじゃねぇか?」

「馬鹿にするのもいい加減におし。ほら、あんた等は光の中に入って休んでな」


 建物の屋根の付近の高さで降り下りる翼ある者を切り刻むバナン。

 鬣で首を絞めたり、爪で引き裂いたり、口弾で撃ち殺したり。たまにかわす者もいたりするが、大概容易く翼へと姿を変えていた。あまりにも弱い者が多いことに、感じるのは違和。

 この間の、大したことはなかったが幽霊船の時の天使と比べれば明らかに弱い。戦い方も、まるで理性のない者が多い。二つの事柄からも、バナンの頭は結論を導き出す。

《急造か、それとも力のにゃい者を無理矢理捧げたか、それとも両方か……。どの道、大したことにゃい奴が大半だにゃ。それでも、か……》

 欠伸をしながら戦っているように、軽く肩慣らし程度で戦っていたバナンが見たのは、光の中心で膝を突く、神々しさを身に纏う静華。

《にゃがく使わすわけにはいかにゃいにゃ》

 屋根と同じ高さに地面でもあるように、後ろ足で蹴り飛び上がり空高く、まだまだ数多いる翼の中心に飛びこんだ。餌が飛び込んできたような状況に、翼ある者たちは一斉にバナンに向く。一心に集まる視線の中心で、一匹の獣が翼の生えた王者へと姿を変えた。

《全ての者が我に向かってくるがいい。相手をしてくれよう!》


「イサミ!」

 巨大な剣が、細剣も折れ、足を切られて動けない女剣士に向けて振り下ろされていた。

 名前を叫んだ男戦士は走りだしていたが、間に合う距離でも、間に合ったとしてもどうにかできる状況でもない。結果はどちらも叩き潰されるだけ。分かっていない、いや、分かっているだろうが足を動かさずにはいられなかった。時間は男戦士をあざ笑うように無情に、刻々と流れる。女剣士は死を覚悟したように眼を瞑る。

 巻き起こる音、爆風。その巨大な剣に横から打ち込まれた砲弾。男戦士が足を止めざる負えないほどの煙と風は、巨大な剣を的から逸らすには十分だった。

「兄貴――」

「行けましたぜ!」

 大人の男ほどの大きさの砲筒を持つ二人の少年。二本の鞭を巧みに翼ある者たちの首に当て、一撃目で動きを止めて二撃目で叩き斬る鞭男に、その砲筒の引き金を引いた少女は親指を立て見せる。「アッシらも強くなったでしょぅ」

「隙が無ければな」

 三人の頭上で悪魔が鞭によって翼に戻った。

 外れたと言っても、別に折れたわけでも巨大悪魔が翼に化したわけでもない。当然のように巨大な剣はもう一度攻撃を加えようと動き出す。

「春憐(しゅんれん)やるよ」

「はいはいな、秋蘭(しゅうらん)」

 少し浮き上がった巨大な剣の上に二人の女性武道家が乗り、巨大悪魔に向かって走り出した。振り払おうと巨大な剣を横に振った時には、女性武道家二人は巨大悪魔の肩に飛び乗り、首を蹴りつけていた。痛みで声ならぬ声を上げた巨大悪魔は、肩を揺すり、片手で女性武道家を叩き落そうとするが、二人はすでに地面に降りている。

 大きさで鈍る動き。女剣士は立ち上がることはできるらしく、自分から遠ざかる巨大な剣を見送り、邪魔にならないように引こうとしていた。戦場で武器泣き弱き者はただの獲物。そこに一匹の天使が迫りくる。

「綺麗な女性のハートを盗むのは、オイラ様の仕事だよぉ?」

 飛びかかられそうになった寸前、二人の下から聞こえてきた、この状況に不釣り合いのおふざけ感満載の悪戯声が、天使の腹を二本の小さな短剣が引き裂いた。

「あなたみたいな綺麗な人のハートを盗みたい、が、先客がいるなら、止めなきゃねぇ。じゃあ」

 お礼はこれでいいと、女剣士の唇に悪戯小盗賊が頬を押しつけ、羨ましいなと残して走って向かっう。その先は。

 巨大悪魔が女性武道家を見た時には腹に、筋骨隆々と言うべき肉体を誇示する、大人にしては決して大きくない老解体屋の棘付き鉄球が先にあるハンマーがブチ込まれていた。

「サッサ、さっさと決めろ」

「そう続けるなって言ってんだろ、糞ジジイ!」

 両手に手袋式ハンマーをつけている、老解体屋とは違って平均身長くらいの青年が腹に続けて何発も拳を打ち込む。

「チィ! やっぱ無理か」

「まあ、そうだろうな」

「だったら俺に任すんじゃねぇよ!」

 言い合いが始まった二人に、立ち直った巨大悪魔が巨大な剣を振り上げた。不味いと二人が思った頭上を、巨大悪魔の目まで引かれた線路の上を走る、外れることを許されない列車になった二本の矢が貫く。

「レイビット」

「分かってるよぉ、愛しのシルマァちゃん」

 女弓師に投げキッス。悪戯小盗賊が解体屋二人の肩を台に巨大悪魔の肩に飛び上がり、着地と同時に首に短剣を連続で突き刺し、小さな穴が重なり合ってできた大きな穴に両短剣をねじ込むと、抉じ開けるように喉を掻き破った。巨大悪魔は雄叫びを残して、黒い翼に姿を変えて地面に降り積もる。悪戯小盗賊は地面に着地すると、女弓師に走りだしていた。

「シルマァちゃん、お褒めの――」

「さっき、あの剣士の子に何してたの」

 笑ってはいるが、作り物なのは誰でも分かる表情をした女弓師。一つも顔のパーツを崩すことなく弓が引かれる。まさかと思った悪戯小盗賊は屈むが、その遥か上を矢が飛び天使を翼に変えた。

「ご褒美は後で、ね」

 目が輝き、悪戯小盗賊は駆け出した。

 解体屋はまだ言い争っているが、向かってくる翼ある者はちゃんと翼に変えていた。女性武道家二人も、もう戦いに混ざっている。大砲少年ズは、壁に張り付き、なるべく隙の出来る範囲を狭めている。その周りを鞭男が戦いながら、一方を見ていた。

「これだけ大人数でやっとの奴を、一人で何体相手にしてるんだ、奴は」

 先には、三匹の巨大悪魔相手に、たった一人で戦うカイヤックの姿があった。

「大丈夫か、イサミ」

 壁に張り付いていた女剣士が無事であることを確認できた男戦士は、ほっとしてしまった。ここが戦場であるのも忘れて、剣を鞘に収めるほど。傷ついていたり弱っていたりすれば狩りはしやすい。だが、本来なら容易く喰らえない相手を喰らう喜びは、腹だけではなく心を満たしてくれる。気を抜き戦う事を忘れた相手でもだ。

「ケーン、危ない!」

 五匹の翼ある者が飛び向かって来ているのに気付いた女剣士は、身を盾に庇おうと壁から離れようとしたが、男戦士が壁に押し投げ距離を取る。先にすれば間に合っていただろう、腰に下げていた剣に手を掛ける。乱戦の真っ只中ではやるべきでない、剣を鞘に収めるという行為は、命取りを意味する。先ほど協力した星の守護たちは、すでに自分たちの戦いに入っている。

 不意を突いた意味。戦えない状態なだけで、普通なら戦えるのだから、武器を持たすわけにはいかない。最も速く近づいていた一匹は、剣を抜いていた腕に、一匹はその肩に、後の三匹は男戦士を押し倒し、地面に押さえつける。

 さんざん助けられてばかりでは、剣士とは言えない。武器もない女剣士は、足の痛みは嘘だと言い聞かせ、動きたくないという体を壁から無理矢理引き剥がす。

 牙も爪もまだ何もない肉食の獣が巣穴から飛び出るとどうなるのか。立場はただか弱いだけの一匹の獲物になる。抵抗できる物を何も持たない女剣士に、一匹の天使が飛んでくる。抵抗は出来ない。天使の後ろには悪魔まで来ていた。女戦士は諦めたくはなかったが、男戦士に近づくことしかできない。どれ程近づかれたのか振り返ると、見えたのは天使の体を貫通した鋭き剣。白い羽根が舞い散る中、悪魔は男戦士を襲う翼ある者を、物の数撃で翼へと変えた。

「お前は……」

 腕と肩を押さえて立ち上がった男戦士。女剣士は歩き寄って、支えあった。

「あの光りの中に入れば安全だ。向かえ」

 槍を手に持っていた槍男が、悪魔の横に向かって攻撃を繰り出したが、羽ばたき上がった空中で一回転する。

「この男にでも連れて行ってもらえ」

 そう残して、自分に向かってきていた悪魔を切り裂き、遠くに離れていった。

「あいつは何だ?」

「さあ。分からないが、助けてくれた、ようだ」

「光の中に、とか言っていたな。他の奴も言っていた……。よし、連れて行ってやろう。バル、ガイ、行くぞ」

 二人の槍青年にそう声を掛けて、二人を護衛しながら静華の下に向かった。

「オバェハ、ウバァギルドォガ!」

 剣を構えて屋根の付近に立たずに一匹の悪魔に、言葉の形をなくした悪魔が声を掛けてきた。後ろには数匹の悪魔や天使がいる。

「俺は、お前たちと違って心まで渡したわけじゃない」

 こいつは何を言っているのかと、目や顔を合わせる翼ある者たち。剣を額に軽く当てると、悪魔は輪の中心に先を向けた。

「貴様らのように、信念も、守りたい者もなくした奴らに、俺は負けない。負けるわけにはいかないんだ」


 少女を避けるように、雷は地面を走り抜ける。

「ほら、どうしたんだい? そんなんじゃ、まだまだ足りないよ」

 堪えるだけでもどうにかの雷祇に、風牙は遊びに誘うような笑顔でいる。その笑顔が、さらに子供らしさを増した。雷祇を引き上げるための、名案が思いついたのだ。

「仕方ないなぁ。うん?」

 遊びを中断させられるのは、子供にとって一番嫌で堪らない。動けない雷祇の背後に、先程翼へと変えた天使とは別の天使たちが迫っていた。翼を広げ、今五匹の天使が飛びかかろうとしている。雷祇も気づいているが、どうにもできない。少女はまた襲われるのかと表情はすでに死んでいた。状況を打破できるはずのない二人の側で舞い上がったのは、綺麗な白い翼。

「邪魔だよ。お前たち如きが、僕の邪魔をする気かい?」

 槍を持っていないもう片手の指先に作られた、ガラス玉程度の大きさの風が五匹の天使を散らしていた。まだ周りには雷祇を襲おうとしていた者もいたが風牙の、月のない夜よりも黒い瞳に一斉に逃げるように飛び離れた。

「ごめんね、邪魔が入った。今の、見てたよね?」

 歯を噛み締め、後ろの少女を守るのに必死の雷祇に、風牙はもう一度作り笑顔。そう思えたが、笑顔は雷祇にではなかった。後ろの少女に向かっている。

「君は、ちゃんと雷祇に届くように鳴き声を上げれるかい?」

 余裕などない。明らかに自分に対しての言葉でない語りかけに、相手が誰なのか気付いた時には後ろで、血と悲鳴が雷祇の背中に飛び散った。肩を押さえて、痛みが和らぐわけでもないのに喉が切れそうなほど上げる悲鳴。

「お前!」

 巻き上がる怒号の雷が雷祇の力を増幅させる。やはりだ、風牙はこの時、確かな答えを導き出していた。自分自身の抑えられない感情が、テスタメントとしての力を揺り起す起爆剤になる。

 今まで耐えるだけで手一杯だったので気を抜いたわけでもないだろうが、風牙の槍は弾き返された。明らかな変化に、向かってきてもいいよう元の大きさに槍を戻し、すぐに戦闘態勢をとる。だが、遥か地を這う雷祇は、その姿を軽く見ただけで、背中を向けると、少女を抱えて走りだした。一体何をしようとしているのか答えをすぐに弾きだしたらしく、止めも邪魔もせずにただ走りさる先を見送る。

 雷祇が走り向かった先は、違う通りにある癒しの光り。数匹襲ってこようとした翼ある者は、埃でも落とすように軽く振った雷命に切り刻まれていた。

「もう大丈夫。この中にいれば安全だよ」

 怒涛の速さで戦場を駆け抜けて、光の中に少女を置いた。気付いた鈴奈とフリシアは駆け寄ろうとしたが、視線は戦うべき相手に向けられている。静華の作り出す光の中には入るべきではない、怒りを放つような眼差しを。二人は近寄ることさえできなかった。そして、誰にも声をかけられないまま飛び出していった。

「やぁ、お早いお帰り――」

「黙れ! お前はどうしてこんなことができるんだ!」

 対峙する二人の少年。一方は抑えきれない怒りの渦の中に、対照的に一方は与えられた好物をゆっくりと楽しんでいる。次の、この時のために用意していた取って置きの調味料を加えて、料理はさらに旨みを増す。

「しかし、邪魔だな……。あの二匹」

 向けている、綺麗な瞳には似合わない殺意は風牙の体をスルリと抜ける。雷祇を見続けていた瞳は、空で翼の雨を降らせるバナンと、地上で翼溜まりを作り出すカイヤックに向けられる。

「ちゃんと、せめて一匹ぐらいは道連れに、雷祇、君に忘れられないように死ねって言ったのに」

 頭の中で巡る、忘れられない死という風牙の言葉と、忘れないでと残した女の子。呼吸が、止まる。

「どうしたんだい? まさか忘れたの」

 残念そうな声とは裏腹に、忘れているはずのない顔を見て、待ちきれずに涎が零れそうな口を開く。さらに、もっともっと、おいしく食べるために。

「残念だなぁ……。もう忘れたんだ。この一週間くらいだと思ったんだけどな、死んだのは。だって、そう言ったから。邪魔になりそうな、不必要な奴らはなるべく道連れに死ねって、そう言ったんだよ。君に忘れられないように、君が育つ肥料になって死ねってね」

 分かっているのに、続けるなと、喉の奥が言葉を作れない。目の前にいる少年が、二人をあんな行動に、自分の招いた終わりに向かわせたのかと。

「でもまあ、上手くやったと思うよ、あの人売り。だって、こうしてちゃんと君たちの中に入って、根を植えられるのを寄越したんだから。ねぇ、雷祇。忘れられない死に様だったかい? 二匹の捨てられていた女の子は、君に忘れられない記憶を与えたかい?」

 最も出てきてほしく名前を、パラパラとふりかけた。最高の料理の仕上げに。

「シャーミとミーシャは君を縛り付けているかい?」

 言葉にならない雄叫びをあげていた。抑えられない、憎しみの夜の海に溺れて。


「ね、ねぇ、さっきのって、雷祇君だったよね……」

 動けずに、恐ろしさの壁に、地面に張り付いた足を見降ろす鈴奈。何も答えないフリシアは、横を通り過ぎて光から出て行こうとしていた。

「ちょっと、フリシア! アンタ何を――」

「離してくれ、鈴奈! 私は戦う。大して年の変わらないはずの雷祇君が、どうしてあんな目が出来るのか! 答えは戦いの中にしかないはずなんだ! 少しでも、私は少しでも強くなりたいんだ!」

 腹に手を回して踏ん張る鈴奈の指を、一本一本剥がしていく。力で敵うはずがない鈴奈は、手伝ってもらおうと周りを見回す。すると、顔を避けるように固まっていた男たちがいた。

「あ! アンタたち、昼間襲ってきた奴らね」

 見つかったと慌てる男たちに、フリシアを抑えるの手伝えと命令する。弱みがあり、体つきのいいフリシアに抱きつけるともあって、男たちは鈴奈を押しのけてフリシアに抱き付き、足を止める。

「この、離せ! 変なところを触らずに離せ!」

「フリシア、アンタは強いよ、確かにね。でも雷祇君だったら、こんな状況すぐに出れるんじゃないかな? カイヤックさんの言葉からだったら、それぐらいはできてもいいと思う。で、アンタ等、それ以上フリシアの変なとこ触ると、殺してもらうから。アタシ等は、ビックママンズの一員だからね」

 言葉とフリシアの親指の先には、かなりの勢いで翼ある者を翼へと変える肉だ、小ママンがいた。

 一瞬手が緩みかけたが、「離しても殺してもらう」という、欲を抑えてちゃんと捕まえろという無茶な言葉にも、男たちは胸やら尻やら、太ももや股の間にあった腕を、両肩や足の関節、腕や腹に動かした。ただ、腹を捕まえるのは色々と、腕を上にズラせば胸に、目の前には尻があるという好条件に、変われとの声が上がる。ただそれも、耐えるの大変なんだぞと男が声を上げたことで一同は納得して、抑えるのに気をまわした。

「いいから、離してく――」

 イクリプスも、鬣も口弾も爪も、色々な武器が一斉に動きを止めた。

 それは、町中に落ちたのではなく発せられた、目を閉じたくなるほど眩しい雷が起こったから。

「お前は、お前がぁ!!」

「行こうか、テュポン」

 不安定な雷を瞳と髪の中に溢れさせる雷祇と、綺麗に新緑の淡く深い瞳と髪の色の風牙は、互いに一歩踏み出した。

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