第2章 涙を流す森 (2)
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僕たちがフロントに鍵を預けに行った時には、先程までいたカイヤックとその仲間であろう同業者はいなくなっていた。僕らの依頼主は、この町の大地主の娘‘マリア’という女の子らしいのですが、屋敷の門の前で警備をしている門番に事情を話しても、取り合ってもらうどころか、まったく聞く耳すら持ってもらえずに僕らは追い返されてしまった。
門の前でうろついていても、門番に捕まってこの町の牢に入れられると思った僕たちは、仕方なく屋敷を離れる事にした。その時僕はただ歩いているのも嫌だったので、歩きながら終演に聞いてみる。
「本当にそのマリアっていう女の子、この屋敷の娘なんですか?」
「なぁ〜んじゃ、ワシが聞き間違ったとでもいうんか」
「それ以外考えられないでしょ。門番の人がそんな事は聞いてないって言ってたんですから」
「そんなもん、大事な話じゃったら、門番ごときに言うとは限らん。それに、その娘に会わせて確認してみんと分からんじゃろうに」
「僕たちみたいなこういう悪戯とかする変な人がいるんで、そう簡単に大地主の娘に会わす事なんて出来ないんですよ、きっと」
「しかし、このまま帰るわけにはいかんじゃろうが。何とかせにゃいかん」
終演が珍しく、握り拳をしてまでやる気を見せた事に僕は驚いた。
「終演にしては、なんだかやる気があるみたいですね。依頼人に会いに行こうとか、今の言葉とか」
少し後ろを歩いていた僕に振り返って、「当然じゃ」と威張りながら言った後に続いた言葉に、僕はこの終演という人物を改めて軽蔑した。
「今回の依頼の成功報酬を貰わんと、ワシらは破産じゃぞ。破産はまあ仕方ないにしてもじゃ、夜遊びが出来んのが痛いじゃろ」
“破産の方が痛いでしょ”というこの心の声をしまって、僕は溜息をつきながら首を振った。
「やっぱりそういう理由ですか」
そんな僕の行動を不思議そうな目で見つめている終演。
「それ以外何があるんじゃ?」
「いや、正義のためとか、もし困ってたらどうしようとか、そういうことですよ」
僕の言葉に、胸を張りながら答えた。
「そんなもんに興味ないわ」
“この人はほんと……”
そして僕たちは、ある物を買って夜になるのを屋敷の近くに潜んで待つことにした。
「これは、これは。どうぞこちらへ。食べ物も用意してありますので」
「そんなもんに興味ねぇよ。それよりも、詳しく話聞かせてもらおうじゃねぇか。なぜこの町の誇りである、森や野生の魔獣・動物を殺して欲しいのか」
大地主の屋敷に数人の星の守護が招かれ、その中心にはカイヤックがいた。大地主の前に少し低めのテーブルを挟んである、大地主が座っている物と同じソファーに足を大きく開いて膝に手を置き、前屈みになって大地主を睨みつけているカイヤック。大地主の座っているソファーは、後2・3人は詰めれば座れそうなのに、カイヤックの方は確実にもう誰も座れない。他の星の守護は、文句を言わずに立ったまま大地主の話を聞くようだ。カイヤックに睨みつけられている事で、大地主の額からは汗が噴出し、それをハンカチで押さえながら何とか話を最後まで話し終えた。大地主は喋り終わった事で喉がカラカラに渇いたらしく、テーブルに置いてある水に手を伸ばす。それと同時にカイヤックがテーブルを壊れんばかりに殴りつけた。それに驚いて、上に乗っていた物は飛び上がった。
「くっだらねぇ!! たかが町長になりてぇぐれぇで、俺に殺せってのか? あぁ? なぁ、てめぇふざけてんのか? 奴らは、俺達と同じ命。その命を、そんな事のために奪えってのか?! この俺に!!」
カイヤックの威圧感が凄みを増す。それでも、大地主は怯みながらも水を掴み損ねた手を広げながら懸命に答えた。
「し、しかし! 私が町長になればこの町は発展するんです。この町の住人どもは、今の町長の奴に騙されているんですよ。この町は何処の大きな町からも近く、今森がある場所に線路を引けば交通の便が良くなり、森を切り開く事で出来た土地に工場などを誘致する。この町は、こんな観光業でしか稼げない無能な土地ではないんです! もうすでに、大きな会社などにこの話を持ちかけた所、多くの会社からは賛同を頂いてる。お願いです! 私では到底できないこの仕事を、あなた達なら軽々とできると思っての頼みです。人に危害を加えていない生き物は殺せない。だからこそ、あなた方に森から魔獣や動物達をこの町に追い立てて欲しいんです。そして、町に来た魔獣に人を襲わせる。そうすれば―」
大地主が続けようとした所で、カイヤックが割って入った。
「俺ぁ、そこにも引っかかってる。てめぇ、この町の町長になりたいんだったな? じゃあなんで、町の住人を襲わせる必要がある!」
大きな声にも先程までの様なうろたえ方をしなくなった大地主が、強い口調で言い返した。
「も、もちろん決まってるではないですか! 町に語り継がせるためですよ。魔獣や動物は今まで大事に守ってやったのに、その恩を忘れてこの町を襲ったんだと」
その言葉に項垂れ深い溜息をついて、囁くように言った。
「おい、カス」
「は、はい?」
いきなりの言葉に、誰の事だか分からずにキョトンとした大地主に、カイヤックが顔を上げて続けた。
「てめぇ以外いねぇだろうが。もしも、もしもだ。そんな事をしたいんだったら、頼む相手を間違えたな。いくら積まれようが、どんな良い事が待ってようが! 俺ぁ死んでもそんなくだらねぇ事しねぇ。じゃあな」
そう言うとカイヤックはソファーから立ち上がり、床に置いてあった鍔が大きな太陽になっている巨大な剣を背中に担ぎ、部屋の扉に向かって歩き出した。それを大地主が必死に止めるがカイヤックは無視して、「おい、帰るぞ」と後ろで話を聞いていた星の守護を引き連れて部屋を後にした。部屋の中では、大地主がまだ叫んでるようだったが気にも止めずに。
「あぁ、胸くそ悪りぃ! なんなんだあのカスは!!」
今にも暴れだしそうなカイヤックから少し距離を置いて、他の星の守護が歩いていた。屋敷にいた星の守護は、カイヤックを含めて5人。その中の1人で、終演に喧嘩を売ったあの時の太った男が、カイヤックの機嫌を取ろうと物凄く低姿勢で横に付いた。
「そ、そうですよねぇ〜。何なんだあのカスは、ってとこですよねぇ〜。俺達がそんなことするか! ってことですよねぇ〜」
それに続こうと、ガリガリの細長い男が太った男と同じ様に低姿勢を作って、太った男とは違う方に付いた。
「そ、そうだよな、ブート。そうなんですぜ、カイヤックさん。俺も思いますよ、人間を襲わせるんじゃなく、せめて、魔獣殺しとかな―」
ガリガリの細長い男は、ここで言葉と歩くのを止めた。というよりも、続ける事が出来なかったのだ。その男を見下すカイヤックの視線が、蛇に睨まれた蛙の様に男をしていた。息をするのすら躊躇う男に、カイヤックが顔を近づけて笑顔を作る。
「俺はな、無駄な殺しが嫌れぇなんだよ。例えそれが、どんなに小さな生き物でも、人間にとって害のある奴らでも、この世界が、この星が生み出した奴らに必要ねぇ命なんざねぇんだ」
太った男とガリガリの細身の男はその場で固まっていた。その2人を避けてカイヤックは歩き出す。その歩き出したカイヤックの前に、小柄な男が賺さず回り込み、カイヤックに賛同してみせた。
「そ、そりゃ、もう、そうですよねぇ〜。サイもどうかしてますよ。無駄な殺しなんてしちゃあ、いけねぇですよねぇ〜」
その言葉でもカイヤックの機嫌は直らず、小柄な男を見ることなく「無論だボケ」とだけ言った。その後暫く5人を沈黙が包み込む。太った男・ブート、ガリガリの細身の男・サイ、小柄な男・ジヨは3人集まって、先程の失敗を話し合うため、カイヤックから相当距離をとって話している。そんな中、今まで一言も喋らなかった1人の男がカイヤックに話しかけた。
「あの、すいません。俺忘れ物したみたいなんで、取りに戻ってもいいですか?」
5人の中で1番綺麗に整った顔つきの男がそう言った。それを聞いて、カイヤックが振り返りその男に言う。
「そんな物ほっとけ、後で俺が買ってやるよウェルス。あんなふざけたカスが居る屋敷に、2度も行くことねぇからな」
この男はウェルスという名前らしい。しかし、カイヤックにそう言われたウェルスは、話しずらそうに照れながらも、ある事を話した。
「いえ、その。実を言うと、それがお袋からもらった唯一の物なんで、結構大事にしてるんです」
それを聞いてカイヤックは少しだけ黙ると、その沈黙の間に考え納得したようだった。
「……分かった。じゃあ、俺達は先にホテルに帰ってるぜ。てめぇの強さなら、もし何かあっても殺られる事ねぇだろうしな」
それに少し笑顔を作って答えた。
「勿論、俺が殺られる分けないですよ。その失くした物、ペンダントだったもんで、紐が切れたんだと思います」
「そうかもな。なるべく早く帰ってこいよ」
ウェルスはカイヤックに1度頭を下げて、振り返り特徴のある3人に頭を下げると、屋敷に小走りで向かった。
「……」
その姿を見送って、4人は屋敷を後にした。
1つの小さな溜息。
「ふぅ〜。確かにアンタは強いよカイヤック。けどな、それだけじゃ世の中渡れない。覚えておいて、損はないぜ。それに、アンタは俺の……。いや、今回はこの事とは関係ないか」
そこまで言うと、1度夜風で乱された髪の毛を掻き上げ、ポケットからペンダントを取り出して首にかけ、もう姿の見えなくなったカイヤックの方を屋敷の扉に凭れながら睨みつけていた。暫くそうした後で、屋敷の扉を開けて中に消えていった。
「あの、一ついいですか?」
「なんじゃい?」
「これ泥棒ですよ」
「何言うとるんじゃ。泥棒は盗みが目的であって、ワシらは依頼主を見つけ、依頼内容を聞くことが目的なんじゃぞ。それのどこが泥棒なんじゃ」
まるで正論を言っているかのように僕に言う終演だが、僕は心の中で“見た目だよ”とツッコんでいた。が、今は少しでも早くこの格好をやめたかったので、納得したように振舞う。僕たちは、なぜか知らないが頭に唐草模様の風呂敷を巻いて、鼻の辺りで風呂敷を括っている。しかも、先程わざわざ買いに行った物はこの風呂敷2枚だった、ということは内緒である。そんな事を塀の上で話していた僕たちは、音が鳴らないように飛び降りて、人の気配がない屋敷に取り付く。そしてゆっくりと窓を開けると、鍵が開いていた。この時、僕愛用の懐中時計を取り出して時間を確認した。10時になったところ。僕は懐中時計をポケットになおして、終演が入った窓に続いて入る。変な意味で格好に気合を入れた僕たちだったが、なぜだか屋敷の中にはあっさりと入り込めた。
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人の気配どころか、生き物の気配すらない屋敷の中。僕が何度か屋敷の塀に登って確認した時は、2人1組の警備員が犬を連れて3分に一度は同じ場所に来ていた。ただ、敷地内には屋敷が3つあったので、その中で昼間見た時に一番厳重でなかった屋敷を選んで、今はその屋敷の中を依頼主がいるかどうか調べているのだが。それにしても、人の気配がなさ過ぎる。そんな事を思いつつも、僕は忍び足で歩いているが、終演はケルベロス片手に気配をまったく消さず、部屋の扉を開けるときも何か細工があるかどうか考えずに、気にせず「マリア嬢、居るかのぉ〜?」と、大きな声を上げながら開けていた。
「……。もう少し警戒したらどうですか?」
いつものように、僕よりも少し前を歩いている終演にそう注意を促してみたが。
「警戒したところで、ここまで生き物の気配が無いんじゃぞ。どっちかというと、見つかった方がまだ話が展開するわい」
その顔は、退屈だから何か起こってほしいという表情だった。僕はその顔を見たので何も起こらないでくれと願ったが。
それは僕たちが屋敷を半分近くまで見て回り、終演の退屈が最高潮に達し、僕の眠気が限界になった時、突然起こった。
シンニュウシャ!! シンニュウシャ!!
どこからともなく屋敷に響き渡る警報と、人の声ではない高く耳が痛くなるような声。そしてこの声を僕は昔どこかで聞いたことがあると、両耳を手で押さえながら思っていた。
“どこだったっけ、こんな事起こったの……。2回体験したような……。それに、この後とてつもなく面倒くさい事が……”
警報が鳴り止んだので、耳から手を離した。
「ほほぉ〜。こんな森の奥に、戦争時の遺産があるとは思わんかったの。いや、森の奥だからこそあるのか。まあ何はともあれ、これから楽しくなるのう、雷祇よ」
振り返った顔には、楽しさが溢れていた。それを見て、徐々に何が起こったのか思い出し始めた僕の顔は、終演とは反対に引きつり始める。
「も、もしかして、今のってあの面倒くさい、機械人形の警報、ですか?」
その問いに「そうじゃ」と答えながら、ケルベロスに巻いていた布を剥ぎ取って僕に向けた。僕は慌ててケルベロスの前から退き後ろを振り返ると、車輪の足で猛スピードでこっちに向かってくる機械人形たちの姿が見えた。
「ちょ、待ってください! こんなとこで―」
「久々の打ち上げ花火じゃて! 暴れるぞ、ケル!!」
右手でケルベロスの後ろの方の上についている取っ手で機械人形たちに狙いを定め、左手でケルベロスの左側に付いている30センチの撃鉄を起こし、その撃鉄が引き金となるケルベロス。その作業を一瞬のうちに済まし、30センチ引かなければ撃てない引き金を躊躇うことなく引いた。
ドゥクゥン!!!!!!!!
“あ〜ぁ……。あれって、風穴って言っていいんですかね”
ケルベロスの弾には、数種類の効果があるそうだ。例えば、弾が当たった瞬間にヌルヌルの液体が飛び出るとか、強烈な光で目を眩ますとか、泥が飛び出すとか、まあ色々と。そして、最大5連射が可能で、その時5発とも弾の効果は同じだ。ただ、さっきはあえては補助効果の物だけを並べた。そう今回の弾の効果それは、今僕を強烈な爆風が襲っていると言えば分かってもらえるでしょう、爆発の効果。その爆発で機械人形は吹き飛び、今見えてる屋敷の3分の1も吹き飛んだ。その爆風がやっと止んだ事や、僕の髪の毛が爆風で固められた姿を見ずに、終演はケルベロスを肩に担ぎ、軽い足取りと鼻歌を歌って「よーし。行くぞ〜い!」と、張り切った声で前に進んでいた。
“最悪だ……。テンション上がってるよ……”
そんな終演から、爆風で吹き飛んだ屋敷に目線を移して思ったこと。
“もし僕たちがやったってバレたら、一生タダ働きかな”
その後、機械人形に2度程ケルベロスを放った終演も、僕たちを追いかける機械人形に警備員も加わってからは、逃げ回る事を選択している。もし間違って、警備員にケルベロスが当たれば確実に死んでしまだろうし、これ以上撃てば屋敷が壊れかねない事に気づいて。けど僕たちの顔はバレてはいないだろう。だって、未だに風呂敷を被っているから。
「のう、雷祇よ」
「なん、ですか?」
息が少し上がっている僕とは違い、それ程息切れせずに走っている終演。
「もう、この屋敷には居らんのじゃないかの、マリア嬢」
正直僕もそう思ってきていたところだが、まだ屋敷の中を全部見回ったわけじゃないので、
「はぁ、はぁ。一応、全部、見ましょうよ」
壁際を走っている終演は「仕方ないのう」といい、もう少しこの屋敷を見回ることにした。正直、僕もこの屋敷にはいないと感じていたが、後2つの屋敷でもケルベロスを撃たれたらと思うと、どうしても進む気にはなれなかったのだ。走りながら懐中時計を見るとそろそろ、屋敷に入ってから3時間半くらいが経とうとしていた。
「?」
「どうしたんじゃ、雷祇」
大きな窓から月明かりが射し込む廊下。その月明かりで出来た雷祇の影の中を走っていた終演だったが、突然影が消えた事に驚いて振り返った先に、肩で息をしながら壁を指差し、終演を見ていた雷祇。
「声」
「声?」
額に少し掻いた汗を拭い、僕が壁に指差しながら言った言葉に首を傾げる終演。それは当然な反応だった。僕だって、なぜこんな事を言っているのか分からない。
「声が、聞こえたんです」
整いきらない息で必死に言う僕に、終演は当然な答えを用意する。
「ワシの方が壁際を、走ってたんじゃぞ? その、ワシが聞こえんで、窓際を走っとった、お前さんが、壁の中から、声を聞いたんか?」
少し止まっただけなのに、終演の息はもう整いだしていた。僕は唾を飲み込んで、目を閉じた。
“聞こえない”
今はもう聞こえなくなっていた。けど、けど確かに僕はここを通る時に声を聞いた。それだけは確信が持てる。もう一度目を開けて、終演を見る。
「本当に聞いたんか、声を」
僕の目が真剣だったのだろう、終演が真剣に僕に聞いてくれた。僕はそれに頷く。
「もし本当にお前さんが声を聞いたとして、その声の主がワシらの依頼主かどうか分からんじゃろう?」
それはもちろんそうだが、ただ、聞こえた声がとても真剣で、切実なように聞こえたから、僕はほって置く事が出来ない。
「あの……」
けど、そんな不確かな事で時間を使ってられない気持ちもある。今だって、機械人形に追われてるし、ここに依頼主がいなかったら、まだ半分位しか捜していないこの屋敷を、朝までに捜しきる事が難しくなる。けど、それでも、
「まあ、その壁を捜すくらい、それ程の時間を食うまいて」
終演は、僕の心の中を見透かしたようにそう言った。僕は頷いて、屈んで壁の下辺りを触って、何かないか探し始める。
「何してんですか、終演」
屈んでいる僕の後ろに来ていた終演が、何かゴソゴソしていたので何気なく振り返った。
「……。真っく―」
すぐにどうなってるか理解して、慌ててその暗闇から顔を抜いた。
ドゥクゥン!!!!!!!!
頭をもぎ取られそうな風に、床の絨毯を握り締めて踏ん張った僕の頭スレスレを、風呂敷を千切りとってケルベロスの弾が通過する。風が収まったと思った瞬間には背中からの強烈な爆風で、終演を飛び越し一回転しながら窓の外に僕の体は吹き飛ばされた。
「何すんですか!!」
「殺り損ねたかの」
その言葉の後の終演の軽い舌打ちに、かなり頭に来た僕だったが、終演がまだ収まらないケルベロスの爆風の中に何かを見つけたらしく、割れた窓から身を乗り出している僕に言った。
「当たりかどうかは分からんが、道はあるようじゃな」
終演が指差す場所から煙がなくなるとそこには、下へと続く階段があった。
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「もしお前さんが声を聞いたのなら、そろそろ追いついてもいいと思うんじゃが」
僕たちが階段に踏み入った時、壁が降りてきて帰り道を塞いだ。「これで道は進むしかなくなったのう」と、明かりが点いていない真っ暗な階段を慎重に2人して下りている。暫くすると目も慣れてきて、慎重ではなく一歩ずつ確かめながら下りていた。そんな中で、僕を見上げながらそう言ってきていた。確かに、追いつけなくても足音くらいは聞えるはずだと、僕も思っていたところだ。今この階段に響く音は、僕と終演の足音だけ。その2つの足音が響く中、下り続ける事15分程。
「明かりじゃのう」
僕よりも少し前を行く終演が、突然そう言ったのは。僕もすぐその明かりを確認する事が出来た。走って下りようと思ったが、何があるか分からないので僕は雷命を腰から抜いて左手に持った。それからすぐして、少し広い部屋に出た。数本の蝋燭の明かりだけしかないその部屋は、少し薄暗い。その数本の蝋燭以外ない部屋の奥に、淡いオレンジの明かりで照らし出されるのは、薄暗い明かりでも分かるくらい綺麗な装飾が施された木の扉。この薄暗い部屋に、僕は罠がないか見回していた。
「何しとるんじゃ」
階段から身を乗り出して壁を見ていた僕に、木の扉に手を掛けている終演がそう言ってきた。僕は無駄な事をしたと、すぐに終演の後ろに付いた。それと同時に、終演が扉を開いた。
「こんばんわ。終演さん、雷祇さん」
そこに居たのは、1人の女の子だった。この部屋は先程の部屋と違い、少し広くかなりの数の蝋燭があり、部屋はかなり明るい。その女の子が、突然大きな声で僕たちに話しかけてきたのだ。名前を呼ばれた事に、僕は驚いて思わず身構えた。そんな僕とは違い、冷静に女の子を見ながら終演は話しかける。
「なぜ会ったこともないワシらの名前を、お前さんは知っとるんじゃ?」
終演の名前を呼んでいたので、知り合いかと思っていたがそうではないらしい。もちろん、終演が会った事ないのに僕が会った事あるはずがない。終演の少し低めの声と、僕たちの雰囲気を察した女の子は、
「す、すいません、すいません、すいません」
顔を少し赤く染め、何度も頭を下げる女の子。腰の辺りまである綺麗な長い髪が、その度に何度もバサバサと揺れる。背や歳は僕と同じくらいのように見え、顔は少し綺麗な感じ。
「あ、あの、そんなに頭下げなくても」
僕が止めないとずっと頭を下げそうだったので、そう言って女の子を止めた。そして女の子が顔を僕たちの方に向けた時、その女の子に何だか少し違和感を感じた。僕はその違和感を確かめたくてじっと見ていたが、終演は違ったみたいで「あの……、そんなに警戒しないでください」と、女の子が僕たちに言ってきた。それに終演は、あっさりと拒否をする。
「警戒するなというのは、少し無理があるのう。なぜお前さんはこんなとこに幽閉されておるのか、どうしてワシらの名前を知っておるのか。それに―」
女の子がどんどん俯いていくので、僕は少し可哀想になって終演を止めようとした時、女の子がこっちを見ながら必死に訴えてきた。
「全て説明します。だから、だから信じてください。私ではなく、今から話す事だけでも」
その時の顔がとても真剣だったので、僕には嘘をついているようには感じなかった。
「はぁ〜。終演、話聞きましょう。警戒してるだけじゃ始まりませんから」
「仕方ないの」
どうやら終演も女の子が嘘をついている様には思っていないようで、すぐに僕に賛同した。
「あの、もう少し近づいてもいいですか?」
「あ、はいどうぞ」
僕らと女の子の距離では、少し声を張らなければ話せないので近づきたかった。そして徐々に女の子に近づき始めて、先程までの違和感が何だったのか分かった。女の子は目が見えていないようなのだ。最初に部屋に入った時から感じていた、こちらを見ているようで見ていない感覚。そんな事を考えながら歩いているとある程度の距離まで近づいたらしく、女の子が話し始めた、僕はとても信じられないような話を。
「私がお2人に、正確に言えば違いますが、でも依頼を頼んだのは私です。それで、あの……。私には、その、‘不思議’な力があるんです」
「ちょといいかのう。その‘不思議’な力とは、どんな力なのかのう?」
「それは……。烏です」
僕と終演はハモって「烏?」と繰り返してしまった。
「はい。純白の烏さんで、名前はギムンさんと言います。そのギムンさんが、突然頭の中に現れて私に色々な事を教えてくれたりするんです。それ以外にも、そのギムンさんは連絡する事が得意で、人を少しなら操れるそうなんです」
「もしかして、その力で僕たちに依頼してきたんですか?」
「はい……」
僕が終演の性格を好きになれないのは、こういうものの言い方をすることにもある。
「お前さんは目が見えんじゃろ。なのになぜ、まあ100歩譲っての話じゃが、その頭の中に来るのが、純白の烏じゃと分かるんじゃ? 純白も烏も見た事はないんじゃろ」
終演の棘のある物の言い方に、女の子は動揺せずに答えた。
「ギムンさんが言っていたんです。『私の名前はギムン。とてもとても、この世の物とは思えないほど美しい綺麗な純白の羽を持つ、透き通るような声で話す烏ですのよ。オーホホホホ』と」
僕たちは2人して少し無言になった。多分終演も思っていたであろう“胡散臭い”と。それは女の子ではなく、ギムンと名乗った烏の事を。
「ま、まあ、何にせよ。疑問が残る部分がある。なぜお前さんはここの娘なのに、こんな地下に幽閉されておるんじゃ」
女の子が話くそうに下を向く。
「終演、その話はいいじゃないですか。それよりも、依頼内容を聞きましょうよ。で、教えてくれますか、依頼内容を詳しく」
「はい。でも、私も詳しくは知らないんです。ただ、父が森を無くそうとしている以外は」
「森を無くす? この町の周りの森を」
女の子は頷く。
「そうギムンさんが教えてくれました。けど、それ程詳しく聞いてきてくれなかったんです」
「森を無くす……。どうやってだかは、知りませんか?」
「ギムンさんは、星の守護の方を使って魔獣に町を襲わせると言っていました。そこまでしか私も聞いていないので、それ以上は分からないんです」
女の子は頭を下げた。
「襲わせる? どうやって襲わせると思いますか、終演?」
「色々策があるのう。それに、人手は十分のようじゃしの。それだけの情報では、想像の域を出はせん」
「やっぱり、あのホテルにいた人たちを使うんですかね」
僕が終演を見ると、とても渋い顔をした。
「最後に出てきた奴は、こういう事は嫌いなはずなんじゃが……。しかしまあ、理由はともあれ、人間にも魔獣や動物達にもいい事はありゃせんからの。止めるしかなかろう」
この言葉を聞いて、女の子の顔が明るくなった。
「ありがとうございます。私にできる事なら何でもします。ですから、どうか父を止めてください」
終演が突然ニヤリと笑った。
「まあ、お前さんを完全に信用したわけではないからのう。それでも今のなんでもすると言う言葉を、早速してもらうかのう」
「?」
「何をしてもらうんですか?」
僕と女の子が終演を見つめた。すると終演は溜息をつきながら言う。
「何って決まってるじゃろうが。お前さん、今屋敷に戻れば警備員の人数が増えてるとは思わんのか? ワシはごめんじゃぞ、そんな中逃げ回るのは。それに、こんな夜中から森に行くわけにもいかんし、一旦ホテルに帰るのがいいじゃろ。じゃから、ここの娘なら、抜け道ぐらい知っておると思っての」
「確かにそうですね。あの、この屋敷から直接外に出ることって出来ますか?」
「あ、はい。この部屋から外に続く扉があります」
僕たちは、女の子の居た部屋から直接外に続く廊下を教えてもらい、そこを通って機械人形や警備員と会うことなく敷地を出られた。女の子には、「この道を通って明日も来ますね」と言って。まだ聞きたい事があったが、今日はもう遅いので女の子が、いや一番僕が眠いのだが、どちらにしろ、明日詳しく聞く事になった。ただ、女の子がどこまで知ってるかで、かなり状況は変わる。結構知ってくれてることに期待しながら、僕らは夜の動物たちの声を聞きながらホテルに帰った。