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テスタメント  作者: 竜丸
68/82

第13章 不器用な悪魔のラブソング (1)

     1


第三大陸・ハイデルンリッヒには、交通が集中する場所がある。それがアーティックレイと僕たちが突き進む砂漠の真ん中にある町、ウェイポイント・ファイブ。昔、半世紀大戦以前は平原にあったらしいのですが、僕が知っているのは砂漠の真ん中にある、非常に行き難い町ということ。

アーティックレイは、世界で最も列車が集まる町で、星の守護本部に唯一直通列車があり、便利で流通の拠点なのは分かるんですが、ウェイポイント・ファイブは、何度も言いますが砂漠のど真ん中。一番近い森からでも十日、僕たちが進んでいる道では十二日、もっとも遠い森からは二十日掛かる。にも拘らず、廃れる気配が一向に無い、少し不思議な町なんです。

別に、これと言った名産があるわけでもなく、名所があるわけでもない。あるのは、星の守護がハイデルンリッヒで動く時には、なぜかこの町を使いたがる、という変な拘りぐらい。お陰で僕も、何度かこの砂漠を通ったことがあります。ただ、昔が平原だったこともあってか、草が生えていたり木が生えていたり、十本の道それぞれに、一日に歩ける大体の距離に設けられている星の守護警備が駐屯する小屋があり、普通の砂漠と比較すると相当楽ではあるんですが。

ウェイポイント・ファイブっておかしな名前ですよね。調べて知ったのが、最初は町じゃなくて、休憩所だったということ。それが徐々に大きくなっていき、二つの町を繋ぐように一直線に作られていった大通りが、四つの町、六つの町、八つの町、そして今の十の町を繋ぐ、五つの道の町になったようです。なので、最初の小屋は今では町の中心の跡を残すだけになってます。

長々と説明をしましたが、僕たちは今、ようやく町が見えるところにまで来ています。

「大丈夫です、歩けますから」

そうはいっても、静華にキツイのは目に見えて明らかだった。十二日間歩き通すだけでも辛いだろうけど、ここは砂漠。砂に足を取られるし、暑さも応える。だからいつものように静華は、

「嬢ちゃんは気にしなさんな。イクリプスより軽いからよ」

カイヤックの腕に乗っていた。そうです。バナンと口をきくどころか、静華は目を合わすのさえ躊躇っていました。まあ、カイヤックはいつも剣を担いでいるのだから、静華を抱え、って、その大きな剣と静華を比べるのはおかしいでしょ。まあ、この人には、そういう感覚はないのだろうけど。

僕たち三人は固まって動いてます。何度か後ろを振り返ると、バナンはついてきています。確かに二人を、二人の、命を奪ったことは許せない。けど、元はと言えば、僕のせいだから……。



 遮るものが何もなく、照りつける日差しは町を、人を焼く。ますます砂地が増えそうな町なのだが、住人にとってはこれがいつもの太陽との挨拶。汗を掻くことを嫌がりも、避けたりもせず、仕事に精を出している。仕事と言っても、大体が飲食店、武具店、食料などの販売店、宿泊施設の四つが占めている。相手は九割方、星の守護の旅星。歩いている人は、五割が住人、四割五分が星の守護、五分が観光客や配達業者になるのだから、当然なのだろうが。

 雷祇たち一行は、町に入った途端に襲い掛かる色々な誘いに乗ることなく真っ直ぐ、この町最大の建物の中に入った。どういう技術で出来ているのか見当がつかない、壁や床に埋め込まれている鉄の細い管から、水の粉が噴き出し、入った瞬間に外とは世界が一変。体が混乱を起こして逆に熱を高めてしまいそうなほどヒヤリと冷たい建物に。電話もそうだが、海線に、電気と、怪しげな物に関係していると言えば星の守護で、ここはウェイポイント・ファイブ支部。

 来るたびに天井を見上げる雷祇。毎回、首が痛くなっても全て見れないほど広くて高い、三階までの吹き抜け。星の守護の建物にしては、無駄に美しい装飾が施されている。木で出来ているのに紙の上に描いたように精巧に作られている彫り物や、色々な色のガラスを繋ぎ合わせて作られた虹を切り取ったような窓、今にも垂れてきそうな艶やかで乾いていないように見える色で塗られた壁、まだまだ種類も豊富で、遠目で見ていても飽きないほどだ。雷祇たちはまず静華の座る場所を確保しようとしたが、いかんせん、流れを無視して移動できるほど、人と人の流れの間に隙間が無く、ようやく抜け出せた時には、二階の階段の前だった。

「この町で仕事がねぇか聞きたかったが。仕方ねぇ、上に行くか」

 一階がなぜこれほど人で溢れ返っているのか。一般人の依頼受付もあるのだが、この町から続く道の先の十の町で仕事が無いか、その先の町で仕事が無いか調べてもらう受付も同じようにあるので、毎日が混乱状態。しかも、百数十人が入れるフロアなのに受付が無駄に少なく、一般受付一つ、仕事探し受付二つ。これでは込むのも当たり前だった。

 二階は休憩所、三階は依頼整理や事務。一階よりも少ない人とはいえ、二階も十分に多かった。ただ、一階に比べれば平和そのもの。座る席も十二分にある。カイヤックは静華を座らせ、雷祇も横に座った。バナンは一匹、近づくことなく窓際に飛んで行った。やはりここでもカイヤックは目立つ存在なのか、何十もの視線が突き刺さっていたが、本人は気にする気配なく、腰を下ろそうとした。

「おや、アンタ、カイヤックじゃないかい!」

 歌を歌っても、よく響くだろう建物に、歌手には抜群の美声が二階全体に響き渡った。先程までそれぞれの意志でかわされていた視線が、元々あった注目に混ざって一気に注がれる。多額の賞金が掛かっているのが、よく分かる光景だった。雷祇は腰に下げている雷命に手を伸ばす。これだけの数、静華を守るのだけでも手一杯になるだろう。俯いているが、いつでも対応できるように。

「な、何でこんなとこにいんだ、婆さん」

 カイヤック自身は注がれている視線を、先ほどまでと同じように気にしない。二階全体が緊張の糸をピンと張っている。それがプツリと切れてなくなった。耳を欹てていた雷祇にははっきりと聞こえていた。「なんだ、ビックママンズか」

「なんでっ、て。星の守護なんだ、此処ぐらい来るだろうさね」

 カイヤックの肩の辺りまで身長がある。五人ぐらい並んでも隠れてしまいそうな横幅を持った、皺が栄養の取りすぎで顔に一本もない五十は過ぎているだろう女性。二人の反応を見る限り、知り合いであるのは間違いない。静華は杖を握りしめて俯き、雷祇は今の今まで作っていた戦い用の顔を、瞬間的に変えて愛想笑いを送った。

「小ママン。カイヤックって、あのカイヤック?」

 真っ黒な帽子に隠れて見えない顔。黒い布を切っただけのような服を着た、雷祇と静華よりもかなり小さな少女が、小ママンと呼ばれた横幅の広いおばさんの裾を掴んだ。

「リンリ、君の言っているカイヤックは、雪鬼カイヤックのことか?」

 二本の細く長いサーベルを腰に下げ、白いピッタリとしたズボンに、どこかの国の紋章が描かれた服を着た、騎士の家の匂いがする丸く整えられた黒髪の少女が、黒一色のリンリと呼ばれた少女に言った。リンリは頷いた。

「雪鬼? 何その変な呼び方。アタシのとこじゃ、九村食いのカイヤックって呼ばれてたよ」

 こちらも女の子。薄い赤色の肩より少し長い髪をしている。騎士風の少女もスラリと長いが、細くともしっかりとした筋肉が付いているのが見て取れる。一方この少女は、薄く、肌が透けて見える白い繊維のワンピースに、赤い下着が見え隠れし、筋肉らしい筋肉も、脂肪らしい脂肪もついていない体型。どちらも元々ではない、日に焼けた肌をしている。身長は騎士風の女の子が雷祇よりも三センチほど、細い女の子は七、八センチほど高い。年はさして離れていないだろう。

「あんたも色々呼び名があるねぇ」

「好きで付いたわけじゃねぇよ。で、この嬢ちゃんたちは?」

 騎士風の女の子は「嬢ちゃん、とは――」と、明らかに不満そうな声を上げたが、小ママンが腹で吹き飛ばした。

「この魔女見習いがリンリ。知らないかい、白華びゃっかの魔女団っていう、最近大きくなってきてるグループ」

 首を傾げる。

「本当の名前は白い火と書いて白火なんだが、華に改名した大魔女。昔は一人で動いてたんだがね、最近になって無駄に大きくなってきてる怪しい、っと、言わない約束だったね」

 無言でリンリが頷いた。

「まあ、そんなところから預かった、まだ精霊とはお友達程度の見習いさ。で、こっちの子がハイアーク王国の騎士の末裔、フリシア。知ってるだろ、ハイアークぐらいは」

 答えなくても顔が当然だとなっていた。フリシアは軽く頭を下げ、カイヤックも下げる。

「腕はなかなかさね。で、最後がこの子、町で身売りしていた所をあたし等が連れ出した、鈴奈」

 鈴奈と呼ばれた女の子は、愛想良くカイヤックに手を出した。快くカイヤックも握手を交わす。

「大きいね、おじさん。面白そう。どう、今晩相手しますよぉ?」

 いきなりの発言に、フリシアが顔を赤くして言葉の種を発した瞬間、上から言葉が落ちてきた。

「別にいいぞ。飯の早食いか? それとも腕相撲か? どっちも俺が勝つか……。あんま遊びは得意じゃねぇが、それでいいならな」

 色気満載で言った。今までならこれで客を取っていたのは明らかだった。フリシアの様子からも伺えるし、鈴奈の顔からもそうだ。

「はっは! 無駄さね、鈴奈。カイヤックにや、色気なんて攻撃、微塵も効きやしないよ」

「色気? 何だ嬢ちゃん、そんなもんあんのか」

 握手していた手を離すと、そのまま鈴奈の頭に、イクリプスを下ろしてもう片手でフリシアの頭を撫でた。すぐにカイヤックの手を掴んだのはフリシア。払おうとしたがビクともしない。雷祇と同じような反応。この動きとは違い、鈴奈の方は素直に撫でられた。そして、カイヤックの手はリンリの帽子を取り、頭に伸びた。取り上げられた帽子に手を伸ばしているが、カイヤックの力の前に溺れているように手を動かすだけで、頭を撫でまわされた。一通り、頭を撫で終わると、帽子を返してイクリプスを担ぎなおす。

「で、あんたの連れは?」

 反応する様子のない静華とは違い、雷祇はもう一度顔を上げて笑顔を作る。

「初めまして、雷祇です」

 崩れた髪を整える二人。乱れた髪のままカイヤックを見上げていた鈴奈は、雷祇の声に反応して顔を近づけた。

「アンタ、大分作り笑顔上手いね」

 ド直球にも、表情は一切崩れない。「何のことですか?」

「鈴奈、お止め。で、そっちの子は?」

 鈴奈も満面の笑顔を作った。とても子供の、大人でもここまで見事な作り笑顔は出来ない二人が、冷たい目で笑い合っている。

「あぁ、静華の嬢ちゃんだ」

 下を向いているせいで、いつもよりさらに小さく見える。顔も上げず、反応も薄い。小ママンは鈴奈を手で払うと、二人の前に膝を突いた。行動の趣旨が飲み込めない雷祇と、見ても見えない静華。

「かわいそうに」

 雷祇の笑顔が消えた。不味いと思ったようだが、手を突っ張った時には小ママンの柔らか過ぎる身の中に取り込まれていた。

「静華ちゃん、泣きたい時には泣いていいんだよ。こんなガサツな男といたんじゃ、それもできないかね。雷祇君、あんたは随分苦労したんだね」

 耳からと言うよりも肉体を通して体全体に言葉が行き渡る。雷祇もカイヤックも、どうにか慰めていたが、ここまで素直な言葉はなかった。閉じていた心の鎖を開けられたように、静華は小ママンの脂肪に抱かれた。一方の雷祇は、どうにかして逃げ出そうと肉の海で泳ぐが息継ぎすらできない。

「雷祇、諦めな。俺でも昔抜け出せなかったんだ。あ、そうだ。ルットとファーリーは?」

 明るさしか持っていないように見えていた小ママンの顔が少し変わった。

「あ、あぁ、二人はホテルさね」

「そうか。じゃあ、俺たちもそこに泊まるかな。で、他の婆さんたちは元気なのか」

 一瞬だが暗くなった雰囲気が、この時にはまた明るさを取り戻していた。

「いや、大ネイは死んださね。最後には、見てられないほど痩せちまって……」

 泣く素振りだけで、涙は出ていない。後ろでは三人が驚いているのを見て、カイヤックは明らかに引っかかっている。

「痩せたって、一体どれぐらい痩せたんだ?」

 小ママンがフリシアに写真を見せなと言い、カイヤックに手渡させた。

「……どこが痩せてんだ」

 写真の中に映るのは、小ママンよりも身長は小さいが、横幅は三割増と、圧倒的に大きな女性。

「あんたは薄情者だねぇ! その写真は死ぬ直前に撮ったんだよ。ガリガリじゃないかい」

 他にも四人ほど大きな女性が映っているが、一番元気そうに笑い、一番大きいのが大ネイこと大ママン。

「俺には分からねぇな」

「最適体重から二キロも減ったんだよ!」

 見た感じだけでも百キロどころではない体重。

「……何キロのだよ」

「四百五十だよ!」

「婆さん。そりゃ、一般人にしたら数グラムだ」

「何言ってんだい! 一般人にしたら五十キロぐらいさね!」

 大してない脳味噌でも、おかしなことは分かる。

「ほとんど全部じゃねぇか」

「あたし等にすれば、ほとんど全部なんだよ」

「じゃあ、四キロ落ちちまえば――」

「いやぁ! 堪えられないね、そんなの」

 まだ言いたいことはあったが、ギブアップを告げたのは腹に埋まる二人からだった。普通なら、子供とはいえ二人も抱きしめていたら感覚など無くなるはずないだろうが、「ああ、すまない。いつも忘れちまって、許してちょうだいね」と小ママンが頭を下げた。鼻水が顔中についている静華。愛らしい顔が台無しだったが、汚れていない部分の服で拭う小ママンに、会ってから初めて笑顔を見せた。それでも、まだ暗さが見えはするが。

「ありがとう、ございます」

「あらまあ、随分愛らしい顔だこと。うちの娘たちじゃ、こういう笑顔ができる子が少ないから、失くしちゃだめだよ」

 雷祇には突っかかった鈴奈だったが、静華の顔を見ると、何も言えずにフリシアの肩に寄りかかっていた。

「あの子には勝てない」

「私の知ったことではない。肩を乗せるな!」

 嫌がるフリシアに、ちょっかいという名の女同士のスキンシップを取り出す。背中に回り込んで胸を鷲掴みにした。小さな悲鳴と「大きさはまあまあだな」の言葉が交互に出た。掴むだけではなく、揉み出した鈴奈に肘打ちを当てて、サーベルに手をかける。いつも同じようになっているのか、小ママンが間に入って止める。声だけだったが、静華も状況が掴めてか笑っていると、いつの間にか寄っていた鈴奈が静華の胸も揉んだ。「大きくないけど、良いおっぱい」

「雷祇は混ざらねぇのか?」

「だから、僕をどう思ってるんですか!」

 キャッキャと明るくなった雰囲気から、小ママンに解放された雷祇は少し離れてベンチに座っていた。その横に、カイヤックが腰をかけた。

「嬢ちゃんのおっぱいは、いいらしいぞって、揉んだから知ってるか」

「揉んでませんよ、触、ってもいませんからね! だから知りませんよ!」

 静華の前では明るく振舞っていた。自分でもビックリするぐらい落ち込んでいたのに、暗くなるのを恐れて。でも今は静華は少し持ち直しているし、自分が落ちる番だと、カイヤックには見えたらしい。

「無理しなさんな。お前ぇもまだ子供なんだ。辛ぇ時は辛ぇって声上げな」

「別に、いいですよ、僕は……」

 バナンは一匹でまだ外を見ている。静華の明るくなった声は聞こえているだろうに。

『お知らせします』

 建物に響く連絡事項。いつも大したことは流れない。大体が星の守護の旅星呼び出しで、今も続いて出てきたのは『星の守護、旅星様の中で』だった。

『雷祇様はいらっしゃいますか?』

 呼ばれ慣れた名前。今まで一度たりとも呼び出されることなどなかった雷祇は、まったく見当がつかなかったが、続く言葉ですぐに誰だか分かる。なぜなら、

『金にセコく、死ぬ寸前の老い耄れの趣味にまで口を出し、一レンでも無くなれば追い詰めるように問い詰め、自分は贅沢三昧の老人虐待趣味を持ち、自分の顔がいいのを知っているから、女を騙し込み、星の数ほど泣かせに泣かせてきた女たらしの守銭奴、雷祇様はいらっしゃいますか?』

 “出、出、出れるか!”

 とんでもない内容だったから。立ち上がってはいたが、あまりの内容に、館内放送で珍しく会話が止まる。これでは自分だと名乗り出るなどできるはずがない。一体誰なのか、横にいる人間を疑いの眼差しで見始める建物内の人々。該当者がいないか見に来ていた星の守護の事務方。この状況に、冷静を装い、ただズボンが気持ち悪くなって立ち上がっただけのように、少し弄って直すとゆっくりと、目立たないように腰を下ろしだしたのだったが。

「そんな性格じゃねぇが――」

 考えもよらなかった展開。先ほど注目を浴びたカイヤックの声。一度聞いた声に皆の注目が集まったところで、雷祇の体が皆から見えるように高々と浮き上がった。

「この坊が雷祇だ」

 “いやぁぁあ!! 僕の意志とは関係なく上げられてる!!”

 精神的に痛いだけでなく、肉体的にも本当に痛いほど視線が集まる。座っているとはいえ、カイヤックが持ち上げれば二メートルを優に超える高さに、雷祇の体は持ち上がる。どこに視線を持っていけばいいのか、迷いに迷った挙句、事務方の人に笑いかけた。いつものように、染み込んだ習性で、完璧な作り笑いとはほど遠い崩れた笑顔を。それでも十分に綺麗な子だと認識できる。無言が包み込んでいた建物内に一斉に、「あの子が」や「ああ、分かる」やら会話が溢れる。耐えられない、こんな状況は。雷祇は俯いてカイヤックの腕を振り払い、着地するとほぼ走っている早足で事務方の人の側に着いた。

「雷祇様ですね? こちらです」

 事務方は笑顔で手を添えて三階に向かった。

 受付ぐらいしか見たことが無い事務方が大勢いる部屋に連れて行かれると、「この電話です」と机に置かれていた受話器を差し出した。頑張って、何とか引き攣らないように笑顔で掴むと、耳に触れるか触れないかの位置で間髪入れずに名前が出てきた。

「終演!! あなたって人は一切連絡も寄越さ――」

 確実に怒っていると分かる、部屋の外どころか一階にまで届きそうな大きさに、事務方の人しかいない部屋だったが、歯を噛み締め、隙間から噛み潰したように声を捻りだした。

「うぅ、もう、いいですよ。随分長い間、連絡寄越さなかったですね」

『色々あっての。今でも死にそうじゃ』

「こっちも色々ありました……。終演は大丈夫なんですか? 死にそうって、そんな大きな怪我したんですか? 無理しちゃダメですよ。体に悪いですから。でも、よかった。連絡くれて」

 雷祇の優しく、淋しそうな聞き慣れない言葉の数々。離れていたと言えども、二か月程度。終演も気づかないわけがなく、暫く間が開いた。良い間になった頃合いに、終演が言葉を返す。

『なんじゃ、気色の悪い奴じゃのう。そうかそうか、そうじゃったんか。お前さんなんぞに心配されておったから、ワシは死にかけたんじゃな。なんちゅう疫病神じゃ。怖いの、おぉ、怖い奴じゃのぉ』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、死にそうという文字がどこに当てはまるのか見当もつかない、相変わらずの嫌味がふんだんに振りかけられた言葉たち。

「ああ、ああぁ、あなたって人は! 心配してるのに素直に――」

 また背中に冷たい物を感じて、トーンが落ちた。

「素直にありがとうぐらい、言ったらどうなんですか……」

『お前さんなんぞには死んでも御免じゃ』

「だったら死ね」

 抑えきれなかった。後悔をしながらも、勘違いされてもおかしくない。ただ、周りは勘違いしても、受話器の向こうでは違った。

『なんじゃ、もういつも通りに戻りおったか。つまらん奴じゃ。もっと愛らしい声出してみい。ほれ、ほれどおし――』

「いい加減にしろよジジイ」

 受話器の向こうでも背中を伸ばしたのが見える。『すいませんでした』

「で、話は何ですか」

『そうじゃそうじゃ。二月でそこについておると言う事は順調なんじゃろうが、なぜウェイポイント・ファイブなぞに行っておるんじゃ? 列車で進むのが無理だとしても、普通に進んでおればアーティックレイには着いておるじゃろうに。寄り道でもしたんか?』

 そうですと、また小さくなった。

『まったく、難儀な奴らじゃ』

 ここでまた間が開く。何かを考えているらしい。

『……。そうじゃのう、ウェイポイント・ファイブか。アーティックレイに向かうには、どこがいいかの……』

 トントンと机を弾く音。

『そうじゃ。この時期じゃと、湖畔町・魚周うおしゅうで豊漁祭をやっておるの。ワシの場所とウェイポイント・ファイブとの距離を考えれば、一日二日滞在すれば、落ちあえるはずじゃ。よし、次は魚周に向かってくれ』

「分かりました。ちゃんと来てくださいよ。決して、無駄遣いはしないでください」

 声の質がいつもと同じになった。

『そうじゃの、お前さんにバレない程度に使い込むわい。それじゃあの』


 雷祇が部屋を出る頃には建物内は先程までと変わりなく五月蠅く戻っていた。あの呼び出しでカイヤックも分かっていたらしい。「爺さんからか?」

「えぇ、他にいますか。終演からでした。で――」

「終演って、あんたは終演と一緒に行動してんのかい」

 まだ少し遠慮がちだが、静華は三人と仲良くなっていた。雷祇は腰を下ろそうとしていたが、小ママンの表情の動きが止まった。

「ああ、成り行きでな」

「成り行きってあんた。あのろくでもない男のせいであんたは――」

 驚きと怒り。感情的には相反してはいないが、同居させるのは意外と難しい感情二つを見せた小ママンに、カイヤックは頭を掻いた。

「別にありゃ、俺が選んだことだからよ。それに、今は一緒に動いてよかったと思ってるぜ。楽しいからな」

 嘘偽りはないし、カイヤックは出来もしない。小ママンは何とも言えない顔で首を振った。呆れか、憐みか、悲しいのか、どれも違うのか分からない顔で。その横では、また複雑な顔に雷祇はなっている。

「さあ、行こうぜ。ルットとファーリーに会うだからよ。久しぶりだなぁ」

 明るかったフリシアに鈴奈が、今度は暗くなった。なんだかよく分からない状況だったが、カイヤックが促すと、皆は小ママン達が泊まるホテルへと向かった。

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