第10章 真夜中の白昼夢 (7)
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“こんなに強ぇ訳ねぇしな”
練習の時でさえ力を制御しているように見えていた雷祇の動きが、刃を交える寸前だった今の戦いで明らかに別の物に変わっていた。だからこそ生じるカイヤックの気持ちの変化。
“加減はするが、少し寝て貰うしかねぇな。じゃねぇと、あっちの嬢ちゃんと戦えねぇ”
一人ではない相手。雷祇は自身を敵と見なして攻撃してきているが、シスター天使の方は何を考えてるのか分からない。早めに雷祇を止めないと、もっと大変な事になる。それら全てを総合して、カイヤックはイクリプスを両手持ちに切り替えた。
“それにしても、さっきの僕の動き……。あんなに早く動けたかな?”
内に芽生える違和感は自分の知らない体の反応の速さ。言い知れぬ矛盾を抱えつつ、雷祇は一歩踏み出す。
“来るか!”
たった一歩、その一歩が雷祇の身長よりも長い歩幅を移動させる。水面ギリギリを飛ぶ鳥のように、低い姿勢で甲板を駆け抜ける雷祇に、カイヤックはイクリプスを九十度反転させ、斬るのではなく叩くように振り下ろした。しかしまだ、雷祇はイクリプスの届く場所に来ていない。
「くっ!」
それでも歪む雷祇の表情が、カイヤックに確信を持たせた。
“自分の動きを制御出来てねぇな”
振り下ろしたタイミングは、雷祇が飛ぶように一歩踏み出した瞬間。まだ移動距離の半分にも満たないところで雷祇は甲板に足を着きブレーキを掛け、鼻先を掠めたイクリプスが甲板で跳ね上がる。
「これで寝てな!」
“避けれない”
跳ね上がる勢いとカイヤックの腕の力で切り替えされたイクリプスの軌道。弾くには力不足な自分の腕力に、跳び避ける方向は少しでも衝撃を減らすために右。雷命を左手に沿え、構えた瞬間にぶつかる衝撃。それは空から地面に落ちたように重く硬い。
“くぅ!”
先程避けたのとは明らかに違う勢いで吹き飛ばされる雷祇を、イクリプスの刃が通過した瞬間に見たカイヤックだが、その表情は険しい。
「チィ!」
バランスを崩して片足での着地だが、その一本の足に全体重を掛け、吹き飛ばされる勢いを打ち消す。もう一度雷命を構え踏み出す姿に思わず出る舌打ち。
“このタイミングじゃ振り戻せねぇ!”
自分自身で起こした勢いに負け、イクリプスに引っ張られ、よろける。
「遅いですよ」
イクリプスの勢いを殺し切って盾にしようと動き始めた時には、太陽の柄に雷祇の足が掛かっていた。そしてカイヤックの前で雷祇は飛び上がり顎を蹴り上げ、勢いそのまま飛び越える。完全に背中を取られたカイヤックだったが、出てきたのは心底楽しんでいる大きな笑い声。
「お前ぇ、ホントに雷祇か? それにしちゃぁ強ぇや」
「は? いや、あなたは――」
意味が分からない雷祇とは違い、あまりの強さにカイヤックの笑いは溢れ出す。
「俺も加減はしてたが、本気同士なら俺よりも強いってか。こりゃ参った。俺も――」
褒める訳ではなく本音を言っていたカイヤックの言葉が止まる。視線の先には、シスター天使が先程まで居た船の縁から消えた跡。
「何ですか?」
急に喋るのを止め、目の前でキョロキョロし出すカイヤック。「動かないでください」との言葉を無視して見上げた先で、カイヤックは雷命を向けている雷祇に手を伸ばした。
「何を――」
「下がってな!」
雷命でカイヤックの腕を斬りつけようとしたが、手が止まり言う事を聞かない。そんな雷祇の肩を押して突き飛ばした瞬間、カイヤックの頭や肩や腕から水風船に数百の針で穴を開けたような細い血の柱が吹き上がる。
「仲間想いですわね」
「あぁ、そうだな」
重く質量のある雨に体を押し潰されそうになっていたカイヤックに向かって、遠慮なく真上からシスター天使が翼の雨を降らせ、自身も降り注ぐように蹴りを繰り出す。まだ距離がある、ギリギリまで引付けるつもりだったが、抵抗なく打たれるのにも限界が達しイクリプスを振り上げた。
「まだ遠かったですわね」
「チィ!」
その事を、イクリプスを離していなかった事で前もって予知していたように蹴りを止め、急旋回で刃先を交わしつつ海の上へとシスター天使は飛んで逃げた。
“何が、起こったんだ……”
目の前で起こった、何もされていないのに細い血柱が上がった大男。その大男が蠅でも振り払うように、それにしては力強く振り回したイクリプス。そして睨みつける黒く星の死んだ霧の夜。別におかしくなった訳ではなさそうな大男の行動に、先程言っていた言葉が雷祇の頭を過ぎり、混乱で座ったまま立ち上がれないで居た。
“本当に僕は、この人や、あの女の子と一緒に、居たのか? そうかもしれない、けど、でも、終演は……”
そんな混乱を知るはずもないカイヤックは、未だ動けない戦力に怒鳴りつける。
「糞猫! 一人で雷祇とあの羽の生えた嬢ちゃん相手は無理だ、手ぇ貸せ!」
《無理はこっちだ!》
息の掛かる距離で出される大きな声に、静華の肩が大きく一度跳ね上がった。バナンはそれを見て、また小さな声で静華を宥め落ち着かせる事に集中し始めた。
「糞、どうすっかな。俺にぁ、羽ねぇしな」
「あの」
一枚一枚翼を抜きながらシスター天使を睨んでいたカイヤックに、雷命を収めて雷祇が話しかけた。その姿をちらりと見て、カイヤックは直ぐに視線を戻す。
「どうした、もういいのか?」
「本当に、僕は、その……」
「あぁ、一緒に旅してるぜ。爺さんと比べりゃ短けぇけどな」
思い出そうとしても思い出せない。食道に蓋をされたような気持ちで、静華を見る。
“本当に、そうなんだろうか……”
見ている夢。二人で何も考えずに、ただその日暮らしをしていた時の、ただ楽しかった時間。自分が急に背負わされた重圧から逃れるには、最適な夢。その心の揺れに入り込む甘く感じる囁き。
「では何故、終演は居ないのでしょう?」
「はぁ? 何言ってやがる」
船の縁に足が届く位置まで戻ってきたシスター天使が放つ言葉は、カイヤックにしてみれば行き成りの言葉。だがその言葉は、見えない筈の雷祇の耳に、意識されていなかった雷祇の中に入り込み、揺さぶるには十分な言葉。
「フフ、相手は私だけではありませんよ」
「何言、!」
感じる気配、自然と反応する体。太陽の鍔でどうにか受け止める事が出来た刃、雷命。雷祇の顔が近く、こちらを見ているようで定まらない視線にカイヤックは驚くが、唇が動き出すと同時に、全身を走り抜ける痺れを纏った光。
「ウ゛ゥ!」
「終演はどこなんですか、教えてくださいよ」
光の線に覆われた雷祇と同じような光をカイヤックも纏うが、カイヤックは紐で縛られているように体を動かせないでいる。
「またその話――」
「教えてくれないんですね」
その言葉を残して視界から消えた雷祇をカイヤックが見つけた時には、右脇腹から右肩に向かって一本の血の線が引かれた。痛みを感じる前に、勢いそのまま浮かび上がって切り落す事をしなかった右肩の上に乗る雷祇。だがこの時、この光を纏っている少年に一つ確信を持てた事が。
“やっぱ、こりゃ雷祇だな”
完全に姿を見失い、抵抗も避ける事も出来なかったカイヤックの肩を切り落とす事無く、しかも今雷命を横に薙げば首を切り落とせるのに、その素振りさえ見せない。肩の上に乗り、離れるように後ろに飛び、甲板の中央近くで着地した。ここで漸くカイヤックの体に痛みの信号が伝達される。
「あ〜、イテェな。だが、何でもっと深く斬らねぇんだ。俺ぁ、まったく反応出来てなかっただろ」
「……殺せば、終演の事が聞けませんから」
今まではしっかりと目を見て話してきていた雷祇が、一瞬目を逸らしてそう呟くのを見て「そうかい」とカイヤックはイクリプスを構えた。
「じゃあ、何遍でも言ってやるぜ。旅してんだ俺達はな、雷祇」
《にゃ、そ、そんにゃに、怖がらにゃくても、にゃにもしにゃいから》
もし汗が出ているなら、影くらいの大きさの汗の水溜りは出来ていそうなほど焦るバナン。けれど静華はただ、「帰して、ください」と呟くだけ。
“こ、こんにゃ時、ど、どうすれば……”
自分よりも弱い立場の者と触れ合ってこなかったバナンには、怯える少女の相手など出来るはずも無く、ただ落ち着いてとしか言えずにいる。どうにか頭の中から無い知恵で落ち着かせる言葉を搾り出そうと頭を動かしたり、歯をカチカチ鳴らしたり、尻尾を振ってみたりする。その微かな音でも、静華ははっきりと聞き取りその度に縮こまっていく。
“参った……。本当に、どうす――”
「私が静華ちゃんを戻してあげましょうか?」
完全に忘れていた警戒。最も見ていなければならないと考えていた者の声。振り返るバナンの視界の下を潜り、静華の後ろに回り込み背後から抱締めるミーシャの笑顔。
「どうもヨウ君は身が硬いので、諦めました」
《貴様!》
思わず出てしまった大きな声に、ビクリと跳ね上がるようにミーシャの腕の中で小さくなる静華の頭を撫で、笑顔を湛えたままバナンを見る目。完全に主導権を握られ、バナンの動ける道が絞られる。
「どうですか。私を倒すよりも、あの天使を消滅させた方が早くありませんか?」
《どういうつもりだ》
「そのまま、のつもりですよ。ほら、早くしないと静華ちゃんの心が眠りに閉じ込められますよ」
浮き上がる足、巻き起こる風。その中心では鋭い獣の視線がミーシャを食い殺さんと磨がれる。しかし今は、その牙は他の相手へと向けられる。背を向けるバナンを見ながら、ミーシャは静華の顎を掴んで自分の体液を口の中に流し込んだ。
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ぶつかり合う刃が、キリキリと音を立て均衡を保つ。力勝負で劣るはずの無いカイヤックだが、全身に纏わりつく光に自由を奪われ体が言う事を聞かないでいる。
“また来やがるか!”
それに加えて、雷祇に見えないように撃ち込まれる翼の矢。
「チィ!」
背中は既に巨大な鳥と言われてもおかしくないくらい、翼の羽毛コートが出来上がっている。噛み締める歯を見せ、突き刺さる翼に顔を歪めながら雄叫びを上げ、光の線と共に雷命を甲板に向かって弾き落とす。
“まだ、こんなに!”
崩されたバランス、膝を突く雷祇に向かって振り下ろされるイクリプス。
“こりゃ当たらねぇな”
振り下ろし出した時点で、カイヤックには結末が見えていた。風と遊ぶように光に身を任せてかわした流れそのままに、刃に乗り走り向かう雷祇。カイヤックは上に乗られた事よりも、イクリプスを伝って近づく光の線に不味さを感じ腕が抜けそうなほど強く振り払う。
「上がガラ空きですよ」
少し高い位置から落ちてくる言葉を見上げるカイヤックの肩に、雷命が浅く突き刺さる。そして、先程と同じように肩に乗って踏み台にする。今度は真上に、高く高く。
「だから、相手は一人でないと――」
意識が一切向いていなかった側から迫ってきていたシスター天使に、カイヤックの意識が一瞬だけ向くが、口元が緩んで雷祇を見上げながら屈む。
「やっとかよ」
《五分で、二分で方を付ける!》
シスター天使が後ろを振り返る間も無く、背中に感じる風。明らかな攻撃に、自身の攻撃を諦め急旋回を始めた途端に、斜めに構えられていたイクリプスに巨大な風の弾丸がぶち当たり暴風のドームを作り出す。
“風か!”
落ちて向かっていた雷祇も同じように風の渦に飲み込まれ、瞬き一つしている間に上としたが入れ替わる、荒れ狂う風の海。三半規管が弱い者ならば一呼吸の間に戻しているだろう風の中で、何とか意識を保っていた雷祇の側をシスター天使が通過し、帆にぶつかり空に弾き飛ばされた。
“今、何か”
その時、微かに何者かが居たように感じて雷祇は後ろを振り返るが、もう後ろではなく斜め前にシスター天使が飛ばされた方向があった。
「加減しろ、糞猫」
《それぐらいで死ぬならば疾うの昔に死んでおろう、糞人間が》
まだ動けずに斜めに構えていたイクリプスを蹴り上げ、バナンが空に飛び出す。その背中に言葉を掛ける「似合わねぇな、その格好」と。
“何とか、着地、!”
「ちょっとばかし痛ぇぞ」
空中で何も蹴る物が無く、避けようにも避けれない雷祇に向かってイクリプスが振り下ろされる。雷祇は雷命と鞘で懸命に防御の姿勢を取り、整った瞬間に強烈な衝撃が体を襲い甲板に叩きつけられ縁にまで転がった。
“あれ、私は――”
「起きた、静華ちゃん?」
少し動いた静華からミーシャが唇を離す。何が起こったのか理解出来ずに目を瞬かせる静華に、普通なら頬を叩くなり肩を揺するなりして意識をはっきりさせるのだろうが、ミーシャは今腕の中の寝起きの弱弱しい少女の香りに、堪らず唇にむしゃぶりついた。
「! フゥム、ファフ!」
突然塞がれた口の中に無理やり入ってくる舌を、押し返そうとすることで上手い具合に絡み合う。その事を分かりつつ、ミーシャは静華の味を存分に味わって唇を離した。
「おはよう、静華ちゃん」
「お、おはよう、ございま……あれ、私は今、何を――」
「説明は後でするわ。まずは、こっちに来て力を使って」
恥ずかしさの後に来た、今を理解できていないという現実。その事を確かめる前に、体を引き起こされ、静華はシャーミがヨウに迫っている近く、生き残っている皆が寝ている側に連れて行かれた。
「静華ちゃんの力でここに寝ている人たちを起こしてあげて」
「寝ている、人?」
「そう、静華ちゃんの力なら起こせるから」
ヨウに拒まれながら、“ワタシたちでも、デキるけどネ”とシャーミが笑う。その笑みの意味を、ヨウは違う意味に捉えてさらに抵抗を強める。
「ただし、半径は二メートル以内に押さえて。でないと効果ないから」
未だ自体が飲み込めずに戸惑う素振りを見せた静華だったが、漸く頭が正常に働き始め、思い出した今の状況、得体の知れない黒い霧の中に居た記憶。そして静華は頷く、「やってみます」と。
「お願い、力を貸して、アスクレピオス」
白く輝き始める瞳と髪。光だけの世界のような白髪の中から、白き光を放つ二匹の蛇が現れ空中で泳ぎ動き回る。外に出れた喜びを表しているように一定しない動きで遊んでいた蛇が、突然規則正しく円を描き出すと、大人二人が縦に並んで寝るには厳しい白き光放つドームが現れる。
「な、何だ、これ……」
「これで、ミーシャちゃん?」
横に居たはずのミーシャの気配が白きドームの中になくなっている事に気付いて、静華が辺りを探ろうとした時、ドームの外からミーシャが声を掛けた。
「ここだよ」
「どうして中に入ってこないの?」
「定員オーバーだからだよ。だから――」
「ヨウもソトにイるノ」
「ちょ、光の中は安全なんっすか? だったらオイラも――」
「ダメ」
そしてまたヨウはシャーミに抱きつかれ、顔をまともに見れずに大きな声を上げた。
「何だ? 随分騒がし、ほう、嬢ちゃんのテスタメント、って奴か」
ヨウの声に反応して起き始める人達を見ながら、カイヤックも一息つこうと一歩踏み出した。
「どこに行くんですか?」
その瞬間、聞えてくる背後からの声。
「教えてくれるまで、あなたと戦いますよ」
まるで先を読むように屈み、その頭上を雷命が通過する。カイヤックはその風を感じながら体を雷祇にぶち当てようと回転し、肩を雷祇の鳩尾にぶつける。と、同時に麻痺が音を立てながら体を走り抜ける。その体当たりで少し間が出来た二人が、同時に膝を突く。
“僕は本当に……”
“このままでは負けてしまう。こうなれば、あの者達を取り込むしかない”
廃船団の一つの中で身を潜めるシスター天使。見失っていたバナンは、苛立ちを隠さず遠慮する気配なく風の弾丸で一つの船を沈めてみせた。
《出てこい! 然もなくば、全ての船を沈めてみせるぞ!》
別にバナンの声に答えるつもりではないのだろうが、シスター天使が音を立てないように船の中を移動し始める。ただ、翼を広げきれずに進む速さが歩くのよりも遅い。バナンの強さが、ただ追いかけられただけなのに感じての行動だった。
「ここにいる!」
もう一歩、後一歩でバレずに船の外に出れたという所で、背後から上がった幼い声。その正体を確かめる暇無く、廃船がバナンの一撃によって跡形もなく粉砕される。
“仕留める!”
崩壊の時の衝撃波に飲み込まれ海に沈みそうになるのを堪えたシスター天使に注がれる、獣の王の殺気に、自然と体が動いて近くの廃船に潜り込もうとする。しかし、その廃船はバナンが溜めていた風の弾丸によって藻屑と化す。
“こ、このままでは! 船を、あの天使を!”
頭の中を支配する消滅の二文字に、シスター天使は我を忘れてナダ船長の船に直飛び向かう。
《見苦しい、散れ!!》
荒れない海に落ちる風の弾丸が、水柱を何本も吹き上げる。その返り水を浴びながら、当たらないように蛇行を繰り返しつつ震える翼で船に向かう。ドンドンと近づく船の上で、どういった状況か確認出来ると、シスター天使は光のドームの外に出ている三人に向かって翼の雨を降らせる。
「シャーミ、来るよ!」
後ろを振り返るシャーミとヨウ。動こうにも二人は避けれる程素早く反応できてはおらず、ミーシャが助けようにも間に合いそうにない。雷祇とカイヤックは剣を交えていて気付かない。
「これで動け、何!」
シスター天使の動きが一本調子になり、そこに風の弾丸が撃ち込まれる。自身でも分かっていたのか、一時停止して顔のギリギリ横を風の弾丸が通過する。驚きの原因はそれではなく、翼の雨が突き刺さった相手。
「いつ乗っていた、ヨウ」
三人を庇う大きな背中、ナダ船長の体。
「せ、船長――」
「心配ない、掠りき――」
「よくも邪魔を! そのまま殺してくれる!!」
視線を交わすシャーミとミーシャ。その事とは関係なく、ナダ船長は三人を強く抱締める。バナンは風の弾丸を撃とうとするが、シスター天使を捕らえられる場所は船の上。動きの読め切れないシスター天使をもし外した時を考え、舌打ちをしながらバナンは鬣を伸ばしてシスター天使の後を追う。
「死ね! そして私の糧になれ!」
「チィ! 後ろか!」
鍔迫り合いをしていたカイヤックが雷祇を見失い後ろを振り返る。そこには、居るはずの雷祇の姿はなく、煌く光が残っていた。
“これで少し――”
「僕を――」
思っていなかった横からの声。先程抱いた不審により伸ばしていた、光に混ぜて見えなくした雷の蜘蛛の糸に掛かる獲物を確かめに来た雷祇の物。
「ま、待って、わた――」
「舐めるな」
雷の線で写し出され、はっきりと見る事の出来る雷祇がシスター天使の腹を、聞えない言葉ごと一閃の剣線で断ち切った。
「そんな…私が……消えて……ゆ、く」
鞘に収められる雷命。それと共に晴れていく、空が。そして霞んでいく、バラバラと翼を残して。
「何だ、決めんのは雷祇かよ。まったく、嫌になるぜ」
カイヤックは頭を掻き、バナンは不満げに、それぞれの足が静華の下に向けられる。
「大丈夫、ですか?」
神々しき光が消え、ただの盲目の少女に戻った静華が周りに居た人達に声を掛ける。普通の、ただの少女に戻った静華の声にも拘らず、老婆は手を合わせ、一人生き残った若い衆が「天使様!」と抱きつこうとした、そこに透かさず飛んでくるバナンの蹴り。
《にゃにしやがる! 大丈夫か、怪我はにゃかったか?》
いつの間にか元の大きさに戻っているバナンの言葉に、「大丈夫だよ、バナン君」と笑顔を返す。いつもと変わりないはずの笑顔なのに、バナンは嬉しさのあまり静華に抱きついた。
「ちょっと、どうしたの、バナン君」
《にゃんでも、にゃい。けど、今――》
「嬢ちゃん、いいか?」
至福の時を噛み締めようとしていたバナンの邪魔をしたカイヤックは、静華をナダ船長の治療に連れて行こうとしていた。
「凄いね。どうやって倒したの、雷祇君」
汗だくで膝を突いていた雷祇の背後に、ミーシャが回りこんでいた。
「あまり、憶えてない、けど、多分、テスタメント、って奴の、力だと……」
最後のテスタメントという言葉を冷静に睨み、跡形もなく消えたシスター天使の方に向くミーシャの横をすり抜け、シャーミが勢いよく雷祇の背中に飛びついた。
「カッコヨかったヨ、雷祇ぃ〜!」
「ミ、ミーシャ、助けて」
「自分で解決してね」
穏やかに、黒い霧が晴れて見えてきた薄明の空のように落ち着くはずの船の上。その船の上で、苦痛ではなく状況の不味さに顔を歪めるのは、ナダ船長一人だった。
「ヨウ、舵を取れ、今すぐだ」
「何言ってんっすか。それより――」
「お前こそ何言ってる! 陸がそこに迫ってるのが見えないか! このままだと奈落の腕に捕まえられるだろ! おい、デカイの。乗客を客室に連れて行け」
集中的に受けた左腕から翼を毟り取り、ナダ船長はヨウの背中を押して舵に向かわせ、自分は船の縁へと歩き出す。背中に声を掛けようとするカイヤックに、ナダ船長は空の色を見て大きな声を上げた。
「さっさとしろ! もう日が出てくる、朝一番が吹く」