第10章 真夜中の白昼夢 (2)
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「船長。行ってみましょうよ」
「お前が一人で行け。俺はこいつを見てる。機嫌が良くない……」
一人の少年が、タバコを吹かしながら船底を摩っている、老人とも中年とも見分ける事が出来ない船の仕事で付いたのだろう張りのある若い筋肉がタンクトップから覗く、黒と白の斑の髪を後ろで括る人物に話し掛けていた。
「いや、でも、何か凄いらしいっすよ。可愛い女の子がどうのこうのって話で――」
「聞こえなかったか」
「あ、はいっす……」
船を整備する器具らしき物を手に取り、少年を一度も見る事無くこの船の所有者にして、雷祇達を乗せる船の船長、ナダ船長は甲板に上って何やらいじり出す。その背中をちらりと見て、少年は暗くなった町に飛び出した。
“何だ。どうした。何故機嫌が悪い。……不安か? 心配するな。俺がお前を沈めさせるわけないだろ”
家々の光を浴びながら、一人少年は港を歩く。明るい声が、月の明かりにも負けないくらい賑やかな中を。
「はぁ。船長、オイラを雇ってから一度も女遊びとかしてないけど、そんなんでいいのか? やっぱ漁師つったら、豪快に女の一人や二人、いや船長クラスになりゃ十人や二十人居たって不思議じゃないって言うのに……。あ、そうだ、それだったら、その女の子連れて帰ればいいんじゃないか? そうだ、そうだそうだ。そうに違いない!」
かなり的外れらしき迷案を思いついた少年は一人、「そうだ!」と叫びながら港を走り出す。
「最悪だ……。まさか、まさか僕がこんなミスするなんて……」
「マアマア、雷祇。ワタシのムネでおナき」
足に鉛が付いているように、雷祇の一歩がとても小さく重たい物になっている。
「駄目だよ。雷祇君は私の胸で泣くの」
そんな雷祇を廻って、シャーミとミーシャは腕の引っ張り合いをし、その後ろでカイヤックが晩ご飯として買った魚の丸ごと塩焼きの身を食べ終わって、背骨に取り掛かる。他の皆はもう既に食べ終わっているには訳があり、カイヤックとバナン以外は自分達の顔程の大きさの魚を食べていたのだが、バナンは陸の動物と植物しか食べないので省き、カイヤックは自分の腕くらい、つまり一メートル五十くらいの魚を買っていたために、これ程遅れていた。
「どうしたの、バナン君」
《いや、にゃんでもにゃい。雷祇、お前がその船長の家を聞き忘れにゃかったら、今頃もう着いてたんだからにゃ》
「すいませんでした! 僕もその、事情があって、それでです。それに、この町がこの大陸で最大級の広さなのも忘れてたんですよ……。探し出そう何て甘かった」
また落ち込む雷祇を介抱するシャーミが、振り返りベロを出してバナンを睨む。その顔に、バナンの中に芽生え始めるのは、
“雷祇の事にゃんざどうでもいい。これ以上、静華のにゃかに入り込むようにゃら、例え静華の前でも……殺す”
太い幹を持つ殺意。そんなピリピリする雰囲気の中、カイヤックは背骨を食べ終わり頭蓋骨に取り掛かっている。その豪快な骨を砕く音が、港の風情ある夜を台無しにして、波の音が聞こえない。そんなこんなで町役場を目指して歩き出して三十分、漸く町役場が見えてきた。
「はあ、やっと戻って――」
「確かこの辺――」
歩いていた雷祇と、通りの曲がり角を急に曲がってきた少年が大きな音と共にぶつかり二人は尻餅をつく。
「イテテ……。おっと、ゴメン……」
ぶつかってきた方の少年が、すぐに立ち上がり雷祇を見た。するとそこには、
「大丈夫、雷祇君」
「イタい? ナめてあげようか?」
可愛い二人の女の子に介抱される美少年の姿。
“な、何だこの優男は! 自慢か、それともオイラに向けての当て付けか!”
そのあまりにも美しい映像に、意味の分からない嫉妬心剥き出しに少年は雷祇を指差す。
「やい、お前! オイラと勝負しろ! そんで、オイラが勝ったら、その二人の女の子は貰う。そして船長に、ナダ船長に抱かせる!」
あまりにも意味の分からない宣言と共に挑戦状を叩きつけられた雷祇は、苦笑いと共に何度も瞬きをする。
“え、何で? えっと、意味が分からないんですけど、何か僕がしたのか? それにナダ船長に抱かせるって自分じゃ……” 「ナダ船長!」
思わぬところで聞けたナダという名前。それに、船長という漁師を思わせる言葉まで。
「ねぇ君――」
あっけに取られていたと思った雷祇が、座った状態のまま腕の力だけで飛び上がり立ち上がる。少年はその勢いのまま肩を掴んできた事に、逆に驚き下がろうとするが、雷祇が逃がさないようにしっかりと掴む。
「ナダ船長知ってるんですか?! 僕たち用があるんです、そのナダ船長に」
「よ、用?」
「そう。僕たち星の守護で、町長から依頼があったはずなんですけど?」
「いや、そんなの、聞いてない」
その言葉に、雷祇のテンションは嘘みたいに下がって、夜よりも深いオーラを身に纏う。
「何だ、別の船長か。はぁ、これでゴチャゴチャと色々――」
「で、でも、この町には、ナダって名前の人物は、オイラのとこの船長以外居ないぞ」
皆の頭の上には大きな大きな?のマークが浮かんだ。
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明かりはただ屋根の隙間から入り込む月明かりだけの建物の扉が開かれた。
「あの、船長」
「何だ、まだ居たのか」
「そ、それが、っすね、星の守護が用があるとか何とか、言ってるんっすけど」
少年の言葉にナダ船長は甲板から飛び降り、明かりを点けに壁に近づく。パチパチと何度か消えたり点いたりを繰り返し、徐々に明るい光に照らし出される船体。それは、想像と違ってとても古く、巨大な物だった。
「帆船か。随分と珍しいねぇ」
二本の天井を貫く大きなマストが誇らしげに立っている船。
「あぁ、そうだ。不満か、デカイの」
タバコに火を点けながらカイヤックに視線を向ける。カイヤックは少し笑って「いや、楽しみだ」と返す。
「……で、お前が星の守護か?」
「ああ。それと、こっちの雷祇も」
強い衝撃で背が縮みそうな思いをしながら、雷祇は「どうも」と挨拶をした。
「そうか。それにしても遅かったな。夕方には着くと聞いていたぞ」
痛い質問に雷祇はカイヤックの手で潰されたいと思ったが、非現実的な妄想は置き事情を説明する。それを無言で船を見つめながら最後まで聞き、終わった所で話し出した。
「そうか。まあ、あの町長らしいか。出発時間だが、明日の朝早くに出る。それと、どうしてもハイデルンリッヒに渡りたいって奴等が居るから、そいつ等も乗せる。文句は無いな」
それは、一般人が危険な目に合う可能性がある行為。
「いや、それはダメです。もし、万が一僕たちが依頼を失敗した場合、その人たちに危険が及びますから」
「そうか。なら、俺はお前等を乗せて船は出せんな」
「え、いや、それも困り――」
船に向かい歩き出していたナダ船長は雷祇が喋り出そうとした瞬間、波のうねりを威嚇するような眼差しを雷祇に向ける。
「端から失敗を口にする奴は乗せん。万に一つも起こさんようにするのが、アンタ等の仕事だろう」
的確な言葉に、雷祇は反論する術を見つける事が出来ずに俯く。が、横のカイヤックは笑いと共に雷祇の考えを吹き飛ばす。
「違ぇねぇ。なら爺さんよ、死んでも成功させる、これなら乗せてもらえるか?」
「死人が出る限り、乗せる気は無い」
「はっははは、違ぇねぇ! 分かった。絶対成功させる、これでいいだろ」
「……あぁ。だったら俺は、黒霧にお前等を絶対に送り届ける」
特に考えもせずに、本能のまま絶対という言葉を口にしてナダ船長の信頼を勝ち取る。
「一緒に乗せる奴等は、俺の義妹の宿にいる。お前等もそこに泊まれ。ヨウ、連れて行け」
「あの、オイラは、明日休みって――」
「お前は元々乗せるつもりは無い」
驚きと共に、少年ヨウの顔には何故という疑問が浮かぶ。
「どうしてっすか! 何で――」
「お前は足手纏いだ。とっとと連れて行け」
奥歯を噛み締め暫く無言で俯いて、ヨウはナダ船長の顔を見る事無く「はい」と返事をした。
ナダ船長の言っていた宿は歩いて数分の所にあり、入ると港の女らしい明るい声が溢れ褐色の肌の女性が出迎えてくれた。シャーミはミーシャとその女宿主人、マルンの肌を見比べて「オナじだ」と騒ぎ、カイヤックと雷祇は用意されていた食事を汚く食べ、その速さと汚さにヨウが驚き固まる。その中にバナンと静華の姿が無く、二人はもう部屋に入っていた。
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朝霧立込める中、ナダ船長の船の上に集まった雷祇達以外の人間は七人。
宗教布教のために世界を回っている二人のシスター。一人は高齢のためか白髪が混じり始め、一人は隠しきれない胸の大きさを無理に小さく見せようとしている。
次に、一週間後に孫の結婚式があり、どうしても明日、遅くとも明後日には黒霧に居なければ、手元にある切符の期限が切れてしまうと少し焦り気味の老夫婦。
そして最後に、老夫婦と目的は同じ町で大工仕事がある、大工の棟梁と若い衆二人。
「で、星の守護が、お前等ってわけか。ケッ! 頼んネェなぁ」
「棟梁の方が強そうじゃ――」
砂浜を眺めれる海岸線に浮かぶ船の上で、雷祇に若い衆二人が絡む。黒く日焼けはしている物の、ナダ船長や町長、その二人の棟梁に比べればおしゃれで日焼けしているようにしか見えない二人が。
「何やっとる、この馬鹿どもが! 俺に恥じ掻かせに付いて来たのか!」
老夫婦と話をしていた棟梁が、この二人の話し声に気付いて怒鳴りながら近づいてきた。
「す、すいません!」
「そ、そんなつもりじゃ、ありません!」
先程の態度が嘘のように、雷祇の横で一瞬にして並んで頭を下げて待ち構える。
“怒られるの分かってたな、これ。だったら、そんな態度取らなきゃいいのに”
棟梁の一歩ごとに二人の肩がビクリと動き、踏み鳴らされる怒鳴り声の足音が二人の前で止まった瞬間、分厚く硬い日に焼かれた拳が二人の頭に振り下ろされた。
「すまんな、星の守護さ、お名前は……」
「あ、雷祇です」
「雷祇さん。この馬鹿二人は置いてくる予定だったんだが、下見だけで人工は裂けんので連れてきたんだが……。迷惑かかるようなら、いつでも海に放り出すから言ってくれ」
「はい、その時はお願いします」
笑顔でそう返した雷祇に、頭を押さえて蹲っていた二人は顔を上げる。
“そこでそんな風に返すのか!”
“ヤバイ、コイツの事見誤ったのかもしれない”
そして二人同時に、“下手したら海に落とされる!”と結論に達し震え出した。
「なあ、爺さんよ。何でこのマストにゃ、こんな厳つい補強してあんだ」
カイヤックでも腕が周らない程太いマストには、甲板との繋ぎ目部分に何重にも鉄板が補強され、マスト自体にも補強がされて、宛ら戦争直後の戦船のような雰囲気があった。
「普通はな、白霧は朝に、黒霧は昼に港は出ん。一番が吹くからだ」
「一番?」
「朝一番、昼一番。霧を晴らすために吹く風だ。その強烈な風に、帆船は愚か蒸気船まで転覆させられる。それ程強烈な風だ」
マストの鉄板を一度叩いて、出航の最終確認をし始めたナダ船長の後に付くカイヤックの顔は納得していない。
「じゃあよう、何で俺達は朝出んだ」
「泳いで帰ってきた奴の話だ。赤霧の時に皆が眠ったというな」
「あぁ、それは聞いた」
「漁師は他の大陸に続く海線の途中の出入り口から漁に出る。帰ってきたのがちょうど赤霧が発生する時間だった。だが、白霧から出て赤霧に遭遇するには早朝出るしかない。分かったか」
半分以上は理解出来たのか、「分かった」とあっさり答えてカイヤックは雷祇の下に向かう。その姿に、灰が落ちそうだった煙草を消して、ナダ船長は最終確認を本格的に始める。
“……怖いのか。心配するな、沈めさせるわけが無いだろう、お前を”
それが終わり、膝を突いて祈りを捧げるシスター二人の祈りが終わるのを待って、船の上にいた皆にナダ船長から部屋割りを当てられ、それぞれ部屋に向かう。そして、幽霊退治のために船が砂浜を後にする。
階段すぐの部屋に老夫婦、その前の部屋にシスター二人、次いでバナンと静華、前の部屋にシャーミとミーシャ、一番奥の二部屋に大工三人、前の部屋に雷祇とカイヤックとなっている。
「さあ、どうします。その話だと、夕方までは暇みたいですよ」
カイヤックがナダ船長に聞いた話を聞きながら、荷物の整理を終えた雷祇はベッドの上に腰を下ろした。
「俺ぁ、寝るわ」
「はい?」
「いやよ、昨日殆ど寝てねぇんだ。朝起きれねぇと思ってな。何かあったら起こしてくれ」
「いや、ちょっと――」
ギシギシと大きな音を立て、ベッドがカイヤックを迎え入れると、カイヤックは直に眠りに落ち、雷祇が揺すっても殴ってもビクリとも動かなくなった。
「ったく、この人は……」
その頃、静華・バナンの部屋では、出発したばかりなのに気持ち悪くなったらしく静華がベッドに寝転ぶ。
《大丈夫か、静華》
「少し、気持ち、悪いだけ、だから、大丈夫、だよ」
鬣で頭を撫でベッドの横で見守るバナン。それぞれがそれぞれの思うように部屋で過ごしている中、何かあった時のためにナダ船長が積み込んだ倉庫で蠢く者が。
“オイラだけ留守番なんて真っ平っすよ、船長”