第9章 雪・乱レ、蠢キ、映シ出ス (1)
1
はぁ〜、暖かい。……じゃなかった。僕達は今、ってさっき言ったか。あの、ノースクローにある星の守護支部の建物の中にいます。人間に対して敵意を示さないホーラキだったとしても、いつ襲うかわからないと踏んで、星の守護がこの町に建てた支部に。僕は支部が建つのに理由があるとは知りませんでしたが。ま、まあ、そんな事はいいとして、なぜ僕達がここにいるのか。それは、ホーラキに会えるかどうかを聞くためと、色々とお金が掛かってレンが底を突いたので、この辺り、出来れば白霧での依頼がないかを調べてもらうためです。
「依頼を調べるのは時間が掛かるそうです。どうしますか?」
パチパチと音を立てながら薪が部屋を暖め、窓ガラスを子供の落書き用紙にする。共に行動するようになってから離れる事がなかった静華から離れ、シャーミとミーシャは案の定落書きをしている。
「私達は残ります」
「ソウソウ、だってサムいモン」
椅子から飛び降り、シャーミがバナンの横にいた静華に近づく。
《貴様、にゃにするつもりだ?》
音が立たないよう、つま先歩きで後ろまで近づいていたシャーミだったが、受付及び依頼確認所以外、薪ストーブを囲む椅子ぐらいしかないこの支部で、人が動くのを気付かない生き物は居ないだろう。当然、苛立ち毛が膨れるバナンが睨みつけて動きを制すが、狙われていた静華自身が宥める。
「そんなに怒らなくても――」
「ソウソウ! アタシたち仲良しだモン」
静華が宥めた意味も考えずシャーミは抱きつき、バナンに見せ付けるように鎖骨から細く折れてしまいそうな首に舌を這わせる。その行動に嫌がる様子を見せず、静華は真っ赤になるだけ。
「ね?」
睨む目が鋭さを増し、今すぐにでも噛み殺しそうな雰囲気を醸し出す。ただ、バナン自身、ここで襲い掛かるわけにもいかないのか、自分を抑えるように牙をギリギリと鳴らす。
「まったく。シャーミ、止めなさい。静華が嫌がってるじゃないか」
二人の相手をするうちに、何時の間にか父親のような喋り方で接するようになった雷祇。二人も満更でもないのか、雷祇の言葉だけはそこそこ聞いていた。
「エェ〜。でも、イヤじゃ――」
「シャーミ。雷祇君が言ってるんだし、離してあげたら」
と言うよりも、ミーシャがよく雷祇の話を聞き、シャーミを説得する形になっていた。
「ブゥー。ワカったヨ」
“はぁ〜、何故僕がこんな役目を……”
膨らました口のまま、シャーミがミーシャの横に並び絵を描き始めると、雷祇は溜息と共にどうするのか改めて聞く。
「カイヤックはどうするんですか?」
「俺か? 俺ぁ、ちょっとやる事があるんだ。すまねぇな」
「外に行くんですか?」
「そうなるだろうな」
雷祇は「じゃあ」と言いながら、椅子から立ち上がり受付に向かおうとしたが、それを止める声が。
《俺様も行くぞ》
静華の横からテコでも動きそうになかったバナンの声。
「え? でも、静華には厳しくありませんか、この森進むの。近ければ別ですが、中々歩かないといけないみたいですし。あ、そうか、背中に乗せて――」
雷祇を遮り予想出来ない言葉。
《元々静華を連れて行くつもりはにゃい》
「え! いや、でも、それじゃあ、三人だけになってしまいますよ」
静華の顔はまだ赤いまま。熱を出してもここまでなる事はそうないだろう、恋する真っ赤な心臓のような色。その静華の額に自らの額を当て、他の者に聞こえない程小さくバナンが一言二言言葉を掛け、終わると落書きする二人の傍に寄った。
《貴様等、もし静華に手を出してみろ。その時は……》
「どうするんですか? それにもし、もう手を出していたらどうです?」
ミーシャの臆する事のない言葉。ただ、二人の前で一度も戦っていない雷祇、カイヤック、バナンの強さを知らないとも取れる言葉。
《貴様の姉に、一生終わりのにゃい苦痛を与え、見せ付けじっくり殺す》
ミーシャとバナンの傍にいるカイヤックなら止めそうな言葉も、窓の外の雪に心が囚われていた。そして、誰も止める者が居ないままバナンは静華の傍に寄り、肩に頭を付けた事で漸く微笑んだ静華に頭を撫でてもらい、受付に居た雷祇の横にバナンが向かった。
「本当にいいんですか?」
《心配にゃい。もしにゃにかあったら、その時は――》
「変な事はしないでくださいね」
フンと吐き捨てた息を残してバナンは入り口に向かい、受付で防寒具を受け取っていた雷祇も慌てて防寒具を着て扉に向かう。
「何で僕が追いかけなきゃ――」
《簡単だ。俺様はホーラキがどの辺りにいるのかを知っていし、さっさと帰ってきたいからにゃ》
「でも道案内――」
《そんにゃ面倒くさいのはいらん。さっさと付いて来い》
不貞腐れながらも渋々雷祇はバナンの後を追って、支部を出て雪の道を歩きだした。
「あの、カイヤックさん」
「うん? 何だ、嬢ちゃん」
静華の三度目の呼びかけで漸く気付いたカイヤックが、今まで呼ばれていたのを知らなかったような反応を見せて静華の方に向き直る。
「何か、その、あったんですか?」
「何か? いや、まあ、ちょっとな。って、雷祇と糞猫は?」
ほぼ定位置にバナンがいないのに気付いて、支部を見渡し雷祇もいないのを知りカイヤックがそう聞き返した。
「もう、出て行きましたよ」
「あ、そうか。全然気付かなかったな……。それじゃあ、俺もちょっと行くわ。双子の嬢ちゃん、嬢ちゃんをあんまからかうなよ」
大きな手で落書き最中の二人の頭を撫でると、カイヤックは受付に向かった。
「あのヒト、キラい」
「そうは言っても、多分強い人だろうし、何より私達の力が効かない。今はまだ、嫌いでもどうする事も出来ないよ」
そんな事を言われているとも知らず、カイヤックは受付で防寒具を受け取り外に行こうとしたが、忘れ物でもしたように受付に戻って話し掛ける。
「あのよ、雪月鏡花って知ってるか?」
「えぇ、勿論」
「じゃあ、生えてる場所は?」
「昔は定期的に生えてたと聞きましたが、私がここを任されるようになってからは一度も見た事はありません」
「うーん、そうか。ありがとよ」
「いえ、何も出来ず申し訳ありません」
手を上げながらカイヤックは支部を後にする。大きな音が鳴らないように扉をゆっくりと閉め、すぐに歩き出すのではなく空を見上げるカイヤックの上に、この町にいる限り誰でも平等に降る雪が例外なくカイヤックの頬に降り、形を留めず涙のような水跡を付ける。
“冷てぇな……。雪はどこでも”
静華達以外に支部の人間しかいなくなった部屋。
「ねぇ、奥、誰もいない」
「ミてクるヨ」
すっと身を引いて、シャーミが支部の奥に続く扉を開けて入った。
「あ、ちょっと――」
「ねぇ、小父様」
その姿に気付いた受付がシャーミを呼び止めようとするが、ミーシャが顎を掴んで自分の方を向かせる。
「な、なんだい、一体」
その時に見せる顔があまりにも子供らしくない、男を知り尽くしている悪魔のような表情に受付が少し顔を赤らめる。
「結婚はされてるんですか?」
「あ、あぁ」
「じゃあ、子供はどうですか?」
「い、いるよ」
「男の子、女の子」
「男一人に、女二人――」
「じゃあ、私達と同じなんですね」
目を吸い込みそうな位置に来た唇の動きに、男の視線が釘付けになる。
「じゃあ、娘を犯したいと思ったことは?」
「そ、そんなことあるはず――」
「嘘は駄目ですよ。だって――」
男の視界から唇が消えると、男自身の唇に小さく柔らかな物が触れ、口の中に真っ赤なナメクジが入り込み、歯に、頬に、舌に体液を摺り込みながらゆっくりと這いずり回り、味わい尽くしたところで外に出た。
「こんなに糸を引いてるじゃないですか」
「ダレもイなかったヨ」
そう言いながら受付の男に抱きつき耳元で囁く。
「ソトにイこっか?」
「私達に魅力がなければいいですよ、ここにいて」
その全てが聞こえていた静華は椅子に座りながらただ俯くだけだった。
2
外で雪掻きをしていた人に首を振られ、カイヤックはまた一人歩き出した。
「はぁ……。やっぱねぇか」
独り言を呟き、木に凭れてもう一度溜息をつく。その時カイヤックが何を見ていたのか、それとも何も見ていなかったのか、視線は三十程しかない家が肩を寄せ合うように建つ町並みに向いていた。
“本当ならここみてぇに、静かに暮らしてたのかもな”
「うわ、スゲェデケェ!」
「な、言っただろ」
一人佇むカイヤックの耳に、男の子二人が珍しい動物を見た声を上げているのが聞こえてきた。
「何だ? ってそうだ、坊らよ、雪月鏡花って花知って――」
「うわぁー、喋りかけてきた!」
「に、逃げろ!」
木から離れて近づこうとしたカイヤックに、男の子二人は扱けそうになりながら走って逃げ出す。その姿があまりにも必至だったために、カイヤックは追わずに頭を掻く。
「そっか、俺の顔、怖ぇんだった。最近あんま怖がられねぇから忘れてた」
背の事は一切触れずに、腰に手を当て辺りを見回す。視線の中に人は入り込むが、全員に声を掛けていた。
「仕方ねぇか……。適当に探すか」
カイヤックは森に向かって歩き出そうとしたが、ズボンを引っ張られる感覚に足を止め振り返る。するとそこに、先程見回した時には見当たらなかった子供がいた。シャーミ達と同じくらいの背格好に、この町の人間がする目の辺りしか肌の露出がない子供が。
“いつ俺の後ろに――”
「雪月鏡花、探してるんですか?」
行き成りの事に驚いていたカイヤックだったが、雪月鏡花という単語にすぐに返事をする。
「私、ある場所知ってます。教えましょうか?」
明らかに怪しすぎるこの子供。当然カイヤックでも警戒す――
「本当か! 案内してもらえるか?」
いや、しなかった。いつもの如く何も考えていないらしい。
「はい。じゃあ、付いて来て下さい」
そう言うと子供が森に向かって歩き出した。その後にカイヤックも続く。まったく警戒する様子無く。
「いや、助かった。誰も知らねぇって言うからよ」
「人ならそうですね」
「うん? 何か言ったか?」
子供は首を振り、更に奥に向かって歩く速さを増した。
3
一人と一匹、珍しい雷祇とバナンの組み合わせが森の奥深くに突き進む。
「あの、ここ道じゃないですよ」
《こっちの方が近いんだ。お前は黙って付いて来い》
明らかに相性の悪い二人。雷祇は大きく息を吸い込み、素早く全て吐き出してバナンの後ろを歩く。ザクザクと雪を踏み締め歩く音以外、風すらも凍り付いてか一切吹く事がなく、静か過ぎるほど静かな森。もし雪が降り積もる際に、雨程の音が鳴るならば五月蝿くてたまらないだろうが、この森は土の中に埋もっているかのように音が無かった。
“まったく。何で静華と離れてまで僕に付いて来たんだ? 意味が分からない”
既に三時間は歩き続けていたが、一向にホーラキの気配はない。
「音……」
この森に入ってから初めて自分達以外から聞こえてくる、ガサガサという音。雷祇は思わず歩みを止めて警戒を強めようとしたが、バナンに邪魔をされる。
《心配しにゃくていい。この森には、人間を襲うようにゃ奴等はいにゃい。ただ――》
そのバナンを邪魔するようにガサガサ音が鳴る。あまりの数の多さに音だけでは計りかねない何かが、一斉に雪崩が起こっているような音を立てながら近寄る。そして、その音の主が雷祇とバナンの前に姿を現した。
《バナン、ダ》
《ウラギリオウノムスコダ》
《バナン、バロン、バナンバナンバロン、バナン?》
自分の体の倍ほどある長い手で木にぶら下がる、白と黒の雪の森で黒に頼る真っ黒な毛に包まれた猿達。もしここに雷祇以外の人間の仲間がいたとしても、全ての指を使っても数え切れない。
《話獣にも神獣にも退化型の話獣にすらにゃれにゃかった塵が無数にいるだけだ》
バナンの見え見えの挑発に、この猿達が一斉に騒ぎ出す。枝が擦れて摩擦熱で木々が燃え上がりそうな程激しく。そして口々に叫ぶ、《ウラギリオウ》と。
《黙れ塵ども! 貴様等に用にゃどにゃい! 俺様が――》
《おやぁ〜? これはこれは、塵が騒ぐと思えば、バナン様ではないですか》
祭りでもここまで騒がしくないと言い切れる五月蝿い森の中心に、随分と落ち着いた声が空から降り響き、風と共に二人の前に降り立った。
《メメティコア……。にゃんのようだ》
メメティコアと呼ばれた生物。それは、虎のような雰囲気の体にコウモリのような翼を生やし、尻尾の先に剣山のような無数の針を生やしている話獣だった。
《ププッ! なんで、にゃんですかその喋り方は?》
笑いながらも馬鹿にするのを忘れず、‘な’を‘にゃ’に言い換える。
《好きでこんにゃ喋り方をしている訳ではにゃい! 用がにゃいにゃら――》
《えぇ、まぁ。私は用はありませんが、ホーラキ様が迎えに行けと言いますのでこのように来たまでです。本当なら、本当にゃら今頃眠りの中でしたのに……》
《貴様……》
《何ですか? 何でしょう? にゃんですか?》
たまに思い出したようににゃと言い換えてはバナンの動きを見て楽しむメメティコアだったが、バナンの雰囲気が怒りの色に染まり始めたのを見てスッと頭を下げる。
《少しはしゃぎ過ぎました。それで、どういたしましょう。ホーラキ様の話ではここにはあまり来た事が無いので迷っているだろうと言う話だったのですが、道案内は必要でしょうか?》
メメティコアの言葉に、バナンは一度猿を睨みつけて《頼む》と言葉に出した。
“コイツ迷ってやがった! あれだけ自信満々だったくせに迷ってやがった!!”