第8章 死闘と私闘の狭間で (4)
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一気に遠ざかる烏の羽ばたき。
「フン! あの、ジジイ。結局、は、自分の、戦い、かよ」
その姿に、土門と炎火の緊張感も薄くなる。
「当然、だろう」
「何で、や?」
握りしめるペンダントからは、団扇で扇ぐくらいの涼しい微風が漏れ出す。
「分からん、か? 何故、奴は、あんな勢いの付く、機械を、最後に隠して、いたのか?」
何もしていない炎火の息が上がる。それ以上に息が荒い土門が、体の重さとは違い少し軽くなった表情で話す。
「奴は、自ら、砲弾に、なるつもり、だったのだろう。撃ち出される、帰りのない、砲弾に」
「……気に喰わ、へんな。あの、糞ジジイ」
二人の視線の先には、ヤダ!カラス君に飛ばされる、小さな傷だらけの牙が隠れた老獣の姿があった。
「止まらんか」
もう既に威力のある攻撃手段は手に持つ爆弾のみ。試しに空中で足のマグナムと腕のマシンガンを撃つが、土門の攻撃は止まる様子がない。
“速く、速くじゃ! もっと速く”
無駄な事、それとも逆に遅くなるかもしれないのにも拘らず、足と手が同時に空を泳ぐ。その焦る気持ちに応えるように、ヤダ!カラス君のスピードが増し大地の槍の横にまで届く。まだ紫月達がいる木の家までは距離がある。
“すまんのう、偽者よ。また機会があれば、あのペンギンどもに作り直してもらう。じゃから、今回は我慢してもらうぞ”
生身の右足を大地に突き刺し独楽のように回転すると、終演が偽者と呼ぶ金属製の義足を大地の槍と地面の間にねじ込み、大地の槍に上半身をつけ右足で踏ん張る。
「止まらんか!」
ただ、喧嘩相手は大地の神の槍。一人の、人間の中では獣のような強さを誇ったとしても、所詮人は人。とてもヤダ!カラス君と終演の片足の踏ん張りだけでは止まる気配すらない。けれど、後ろにいる紫月との距離は瞬き一つの間に縮まり、終演に迷いを生じさせる暇を与えない。
“止めるしかない! 手段は一つ”
終演は左手から爆弾を右手に持ち替えると、迷わず足と同じ位置の槍と地面の僅かな隙間に義手をねじ込んだ。
「止まらんか!!!」
その声が爆発前の空白の瞬間に響き渡る。紫月が思わず走り出そうとするが、前には突然炎の羽が覆い被さる。今の聞こえないはずの終演の声が届いた黒火が、慌ててフレイを向かわせたため。そのフレイの体が紫月を完全に覆い隠す前に、大地が少し膨らみ、終演の手の中で大地の槍をも吹き飛ばす巨大な爆発が起こる。
ズドォォン!!!!!!!!!!
この爆発は、おとぎの国を地獄の園へと変貌させる。この空間に生えているただの木を、地面の下から爆炎が襲い、一瞬にして炎の実をつけた木に生え変わらせる。先程終演がいた場所からは煙と共に炎と終演を高く舞い上がらせる。
「何という、威力だ」
見渡す木々が炎から灰へと姿を変えていき、奥はまた炎に包まれる。この世界の変貌に、土門の口から思わず本音が漏れる。
「この姿では、もしか、いや、確実に、死んで、いたか」
「……」
遊び飽きて投げ捨てられる人形のように、先程の爆発でもまったく平気だった木の家の最上段部分に終演は受身も取れずに叩きつけられ、力なく、ピクリと動く事無く頭から地面に向かって落ち始めた。
「死んだ、か」
「……」
終演の力無い姿を見て土門がそう呟くが、横で座る炎火はその姿を無言で睨みつけるだけ。その間にも終演の体は重力に手招きされ、腕を広げて待ち構える大地に近づく。
「む?」
高さを考えれば、落ちた時点で生きていても即死は逃れられない。この状況の中、終演の体が動く。体を捻りながら背中のヤダ!カラス君を殴りつける。今まで爆発の衝撃で眠っていた羽ばたきが、突然復活して終演の体により一層落下の速度を与える。
「ちゃんと、働かんか」
瞑っていた目を見開き、木の家から伸びる掴めそうな枝を確認して、錆び付き動かなくなった歯車を無理矢理回し、左腕を伸ばす。速さを計算して動かしても、思い通りに行かない体の手綱を捌ききれず、枝を掴む事が出来ずに弾かれ、落下に横回転が加わっただけになる。
“う、ぐぅぅう。これは、不味い”
意識朦朧に高速回転。その間にも地面が迫る中、終演は今一度腕を木の家に伸ばす。火傷で膨れる皮膚が触れる。柔らかく、体を守る役目を果たせなくなっている皮膚に高速回転は酷過ぎ、触れた傍から下ろし金に掛けられたように皮膚が削られ血が飛び散る。それでも力を込め、回転を止めたと同時にヤダ!カラス君は動きを止めた。
「生きて、いるのか」
「……」
自然法則に反発する術をなくした終演は、五メートルほどの高さを縦に回転しながら尻から落ちる。普段なら平然と着地を決めれる高さも、今はただ落ちるしかない。地面に落ちた終演の姿は爆煙に隠され確認できなかった土門達だったが、先程の行動で確実に生きているという事に確信を持てた。
「何を、する」
「もう、風は、すぐ来る」
膝に手を付き、戦い合った三人の中でほぼ無傷のままの炎火が歯を食いしばり立ち上がる。
“生きとる、のか……。悪運強いのう、ワシ”
「ジジイ!!」
その声が、大地に生えた煙の木を吹き飛ばすほどの強烈な風に乗って、尻餅をつき、木の家に凭れかかる終演の耳に届く。
「何で、その力があって、この世界、変えよ、思わんのや! 俺は、な、お前みたいに、力ある、奴が、その力使わん、と、のうのう、暮らしてる言うんが、許せん、のじゃ! お前が出来んかった、世界を変える、人の数の整理の続き、俺らが、力で説き伏せ、やったらぁ! その障害が、お前や、言うんなら、真っ先に、俺が殺す。次は、必ず、俺の力で、殺す!!」
血まみれの顔に少し歯を見せる笑顔が現れる。
「フッ、元気な、奴じゃ。じゃったら、ワシから、一言。大きな犬はあまり、吠えん。じゃが、小さな、犬は盛んに、吠える。自分が弱いと、知っとるから、じゃよ」
金剛石でも砕けそうなほど歯を噛み締め、終演を睨み付けた炎火。その口が開くと同時に、風が凄さを増して二人の姿を吹き消した。
“行った、か……。情けない。全てを犠牲にしてでも、奴等二人を殺らねばならんじゃろうに……。それにワシは、そんな事のために――”
「しゅうえん、さん。だいじょぶ?」
目を閉じ天を仰ぐ終演の上に、幼い言葉が降り注ぐ。
「おぉ、お前さんは確か、黒土、じゃったな。なぁに、心配、いりゃせん、よ。何せ、ワシは、不死身、じゃからな」
その言葉と共に右腕を伸ばそうとする。だが、そこには偽者の腕がなくなっていた。それに気付いて、終演は左手で黒土の頭を撫でた。
“やはり、無理じゃった、いや……”
終演のとても優しい笑顔に、黒土はまだ動く事の出来ない紫月の元に向かう。その姿を見ていた終演が、辺り一帯に散らばる偽者の銀色に輝く皮膚を見つける。
“そうか。壊れたのはワシの作った、血管や伝達器官のみか。流石、伝説の鍛冶師どもといったところか。それにしても、あの時のようじゃ、あの時の――”
「終演さん……」
「おぉ、黒火、嬢、か。椅子、貸してもらえる、かのう」
体の傷を感じさせない笑顔を見せる終演だったが、言葉はいつものように出てこない。
「一体、何をするつもり、ですか?」
「何って、腕や足、集めて、速く、雷祇達、追わんといかん」
傷めていない場所を探し出す方が至難といった体の状態ですら、終演の心には余裕があった。ただ、その余裕は周りの人間には理解出来ない。
「な、何言ってるんですか、そんな傷で! 歩くのすら難しいじゃないですか!」
普通の考えの言葉に、終演はまるで痛みを感じていないような笑顔で笑う。
「大丈夫、じゃよ。ワシは、不死身、じゃ」
「け、けれど――」
「黒火。行きたいなら、行かせればいいよ」
黒土に手を握られていた紫月が、終演に背を向けたままそう言葉に出した。
「で、でも紫月」
「いいんじゃよ。本当なら、もう死んどった、身。少々、無理したところで、変わりわ、せん」
黒火は首を振りながら「駄目です」と終演に言葉を残し、俯く紫月の前に向かった。
「何、黒――」
紫月が黒火と呼ぶのと同時に、灰の森に頬を叩くパァン!、という綺麗な音が響いた。
「どうして紫月は、いつもそうなの。本当は、本当は――」
「黒火。いいん、じゃよ。お願い、じゃから、椅子を、持ってきて、くれ」
叩かれ横を向いたまま顔を上げない紫月を暫く見つめて、黒火は家の中に入った。
「しづきおねいちゃん、だいじょぶ?」
「うん……」
とても小さな、息を吹きかけただけでも消えてしまいそうなほど小さな返事を黒土に返して、紫月はまた黙り込んだ。その周りで、ばつが悪そうに子供達は目を合わせたりするだけで、どう行動していいのか分からずにいた。
「皆は、家の中に入って黒水の様子を見てあげて」
椅子を片手に木の家から出てきた黒火に言われて、子供達は逃げ出すように家の中に消えていく。
「立てますか?」
「あぁ、大丈夫、じゃよ」
そうは言った物の、一人で立つ事が出来ずに差し出されていた黒火の手を取って終演は立ち上がった。
「本当に――」
「心配いりゃ、せん」
左腕の脇の下に椅子を挟んで、杖代わりに終演は歩き出した。右足を出して踏ん張り、左椅子を出して踏ん張り、普段の歩く早さの半分以下の早さでケルベロスの元に向かう。
“しかし、情けない。この程度の傷、昔なら唾を付けておけば、いやさすがに無理かのう。じゃが、ここまで動かんようになる事はなかったじゃろうて。ゆっくりもしてられんし、早く追いつかねば。それに、神無水も尽きてしもうたし、集めねば対策が取れやせん。色々考えただけでも、頭がクラクラするわい。じゃがまあ、本当に情け、ない、この程、度、で……”
黒土の手を握ったまま、紫月は座り込んでいた。その横で、黒土はしっかりと手を握って、もう片手で紫月の頭を「いたいの?」と言いながら撫でる。
「黒土」
「くろひおねいちゃん。もう、おこらないで、あげて」
黒火は頷き、「お家に入ってて」と黒土の手を解いた。そして、黒土の変わりに黒火が屈んで紫月の手を取り、それを見た黒土は頷いて木の家に向かおうとした。その時だった。
「しゅうえんさん、ねてるよ」
同じように屈む二人が黒土の言葉で同時に道の先を見る。そこには、力なく死者のように横たわる終演がいた。
「終演、さん。終演さん!」
「おじ、いちゃん。おじいちゃん!!」
5
終演と別れてから一ヶ月。
「ウワァ〜、スッゴい」
「本当だ。これは凄い力だね。ほら、静華ちゃん、行こ」
静華は手を引かれて転びそうになる。それと共に、全身に感じたことのない寒さが絡みつく。
「ひゃ! さ、寒い」
そう、ここはホーラキが支配する町、ノースクロー。白のチョークで綺麗に線引きされたように、そこには熱い透明のガラスでもあるかのように、雪がある一定の線から積るのも、空から降り注ぐのも遮断されていた。それまるで、スノーグローブの中に作られた景色のように、外の世界からも、ノースクローからも干渉し合わない、作り物の世界のようだった。
《貴様等! いい加減にしろよ!》
その景色に感動するはずのない、普通の四本足の状態で、雷祇の肩の辺りに顔の高さがあるバナンが牙を剥いて吠えた。
「エェ〜。イイじゃん。そ・れ・と・も」
「ひゃ! つ、冷、たい」
「こういうエッチな事、して欲しいの?」
雷祇達よりも少し幼い少女二人が、雪の降る町には薄着過ぎる静華の股や胸に服の隙間から手を這わせて、絡み合うようにゆっくりと動かす。
「ホントは、バナンがシたいんじゃないノ?」
「こういう事」
雪にも負けない白い肌に、梅の花が鮮やかに咲く。それは冷たさのためか恥ずかしいためか。
「雷祇も混ざりてぇんじゃねぇか?」
「あなたの中では、僕は一体どういうキャラなんですか!」
間髪入れない雷祇のツッコミの横では、バナンの顔が完全にキレた事を物語る。それに気付いて、二人が慌てて静華の手を引いて、すぐそこに見えていた町の中に入っていった。
《糞人間。お前があんにゃ糞ガキ二匹買うからこんにゃ事ににゃったんだぞ。もし静華ににゃにかあってみろ。その時は、お前を殺してやる》
そう言い残して、バナンは三人が消えた町の入り口にある、星の守護支部に向かった。
そうです、そうなんです。終演と別れてから色々とありまして、髪の長い色白の片言喋りのシャーミと髪の短い色黒のしっかりした喋りのミーシャの双子と一緒に行動する事になってしまったんです。これがまあ、色々と大変で……。まあ、それはいいとして、この町には四大話獣のホーラキがいる。少し、僕の正体を聞きた――
「どうしたんですか、カイヤック」
僕の前で、動かずに雪の境界線で空を見上げていた。
「うん? いや、何でもねぇよ」 “雪、か……”