第8章 死闘と私闘の狭間で (3)
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“気配が、消えた”
まるで蛇でもいるかのように、土門の周りを地面がうねりながらぐるぐると回る。元々は木の家まで続く土の道だったのが、その力によって原型なく隕石跡地のように草一つ生えなくなっていた。
“どういうことだ……。何故、足音が消える”
流れ出る血を一拭きすると、血の付いた親指を地面に付け目を閉じる。
“居ない。空を、飛んでいるのか? そんな力はない、はずだ……。なら――”
目を開き、周囲を見回す。一見見通しが良さそうに整列する木だが、身を隠すのは容易い。しかし、身を隠したところで、土門にとっては探し出すのはいとも簡単な事。それが出来ない原因がどこにあるのか冷静に立ち上がって観察する。
“どこに消えたのだ……”
ここでこの空間に相応しい、けれど今の現状では相応しくない、緩く子守唄のような優しい風が吹き、サラサラと擦れ風に流れて葉が漂う。その葉が土門の目の前を通り、地面に落ちてうねりの中に飲み込まれる。
“葉、か……”
風を感じ、その葉の動きを見る。血の通わない土の皮膚に覆われた全身。その中の人としての血が、トクンと一つ脈を打つ。その小さな波紋が徐々に全身に血を廻らせ、早く気付けと囁くように、トクントクンと速さを上げて脈を打つ。
“何、だ。吾が見逃しているも、! しまった、そうか、そうなるのが当然か!”
崩れ落ちるのよりも速く、地面と衝突するような速さで拳を振り下ろす。その土門に迫る、鳥の住まう空間からの攻撃、木の上からの砲撃。大きな爆音が前方の右に左に鳴り響き、砲弾が土門に迫る。その攻撃に、自ら攻撃するために振り下ろした拳が防御に回ってしまう。
“後手に回るには、厳しい”
そう思いつつも、土門の目の前には攻撃を阻むように自らの土の壁が現れ砲撃を防ぐが、代わりに視界がなくなり状況は悪化する一方。その間にも五発目の砲撃が土の壁にぶつかり破裂する。ただ、ここで止まる事無く続いていた砲撃が止まる。土門はすぐに反応して土の壁を払いのけ視界を取り戻した。
「浅いのう」
この時を狙い澄ましていた老猾な狼が、前方から来るものとばかり思い込んでいた土門の後ろに張り付き、一撃で仕留めようと後頭部にケルベロスの咆撃を繰り出す。一つ目の砲撃で二人が煙に包まれ、間髪入れずに二連続のショットガン。そして引き終わった撃鉄を持ち、二発三発と立て続けに砲撃を撃ち込む。
“最後の一発、決め、!”
終演が感じていた手応え、それは直撃しているという物。それが一瞬にして崩れ去った。一定の方向に向かって流れていた爆煙が動きを止め、まるで生きているように終演に向かって逆流し始めた。それは、
「うおぉぉ!」
煙を巻き込みながら反転と共に繰り出した土門の拳。砲撃よりも確実に土門の拳の方が先に体を捕らえると気付き、着地と共にケルベロスを引き上げガードの姿勢に入ろうとした終演だったが、体に付くより先に土門の拳に捉えられ、盾になるはずのケルベロスが巨大な鉄の塊の凶器となって終演に襲い掛かる。
“押さえ、きれん!”
どうにか力で押さえつけようとしたが、土門の攻撃を直に受けたケルベロスは言う事を聞かず、勢いそのまま終演の体に直撃した。そして先程と同じように終演の体が浮き上がり、制御しきれない勢いのまま体が地面にぶつかり、山から転げ落ちる人形のように転がり跳ね上がって、最後は木に激突して動きが止まった。
「う、ぐぉ。うぅ゛」
たった一撃、しかも直撃ではないにも拘らず、終演は体の奥底を何度も殴られた感覚になっていた。
“止まるんではない、動け! 分かってるじゃろうに!! 動かんか、体!!!”
雲に噛み付いて体を引き上げたのか、歯を食いしばりながら空を睨みつけて終演は立ち上がる。
「無駄だ」
そんな無防備にも近い終演のすぐ側には、爆煙を蹴散らしもう一度、今度は終演の体に打ち込むために握られた土門の拳があった。
「舐めるんじゃないわい」
その拳の速さはやはり大した物ではなく、普通に普段の終演ならばギリギリで避けれる速さ。それでも、掠っただけでダメージを貰うのは必至。そんな終演の考えと同じ事を思う土門は、避けられる可能性があるにも拘らず拳を思い切り打ち下ろす。
「むっ!」
その拳は、金属音と共に終演を吹き飛ばす。だが、
“それにしても、硬い金属だ。いい武器だが、吾にとっては危険。武器になり、盾になり、台にもなる”
今の攻撃で無傷のまま吹き飛ばされる終演。その手には、砲身に二つの凹みがあるケルベロスがしっかりと握られていた。先程から飛ばされる度にバランスを崩す終演だったが、その都度ケルベロスを振ったり、地面に擦らしたりしてバランスを保っていた。けれど今度は違っていた。
「沈め、大地の底に」
静かに呪文のようにそう言葉を発した土門が地面を殴りつける。銃の弾丸のように螺旋を描いて飛ばされていた終演は、土門が殴りつけた地面から拳と同じような形をした大地の拳に向かってケルベロスを放つ。
“随分とズレおるのう”
その反動で終演は上手く地面に着地できたが、砲弾は明後日の方向の木にぶつかり破裂した。
“残り一発ずつ”
着地して頭の中には二種類の砲弾の残りの数。それと共に次の動きを考えようとしていた終演の思考回路を働かせまいと、土門の大地の拳が迫る。その拳に、リュックから先程目眩ましに使った爆弾を取り出し投げつけた。大きな爆発と共に拳を吹き飛ばしはしたが、腕自体を吹き飛ばせずに勢いを削ぐ事すら出来ず、すぐに形を取り戻した拳が終演に向かい伸びてくる。
“止める方法……。残り一発、使えん”
拳が迫る中、終演は逃げるように走り出し、木のある方に向かう。その後ろを的確に土の拳が迫るが、捉えられる前に何とか森の中に入ることが出来た。けれど土の拳は終演の背中を追い続ける。
“時間を、稼げるだけ、稼ぐしかないかのう”
“逃げても無、また消えた、か。やはり、木の上。ならば”
終演を追いかけていた大地の拳が動きを止めた。それは、土門が終演の姿を見失ったため。けれどすぐさま大地の拳は動き出す。
“無茶な事を、しおる”
それは、木の上に逃げ込んだ終演の足場をなくす事。森の木々を殴り倒し、引き抜き、そしてまた殴り倒す。まったくの的外れの場所だとしても、不意打ちを出来にくくするには持って来いの方法。
“不味い。予想以上の速さじゃ。しかし、時間を稼げれば……”
「黒火」
終演と土門の戦いが始まり、すぐに黒水を抱えて木の家の中に非難し、木の家のありったけの布と布団をかき集め、子供達の上に被せていた黒火と紫月。
「何?」
「……私、外へ出て、精霊の力を直接借りにいく」
「え? な、何――」
「だから、この子達、お願い」
子供達を守る盾になるように二人は覆い被さり、さらに二人を守るように黒火の契約獣フレイがいた。その羽の下を通って、紫月が扉に向かう。
「ちょ、ちょっと、紫月」
その姿に、慌てて黒火も立ち上がり後を追う。
「ごめん、お願いだから――」
「終演さんを、助けるため?」
大きな木の家の中に響く木を薙ぎ倒す大地の拳の音。その音に、紫月の言葉も木々と同じように砕かれ黒火の元に届かない。それに気付いていたのか、微笑を浮かべて扉に向かっていた気持ちを黒火に向ける。
「そう、だよ」
短い四つの言葉。口の動きだけで読み取れるその言葉に、紫月と違って黒火は叫びながら尋ねる。
「でも、今出たら、多分、死ぬよ。それでも――」
微かに黒火の言葉が届くのか、紫月は頷き呟いた。
「ごめんね、黒火。私、やっぱり助けたい。ホントは喋りたいし、一緒にご飯も食べたい。今まで皆と違って私は結局は一人だった。だから、だから、おじいちゃんを助けたい」
木の上に潜む終演。ただ逃げ場が殆どなくなり、稼げる時間も短くなる。それにも拘らず、終演は一定以上、大きな木の家から離れない。
“……。漸くか”
それは紫月を守るためでも、子供達を守るためでもなく、ただこの自ら招いた戦いの幕を下ろすため。
「鬼ごっこは、終わりか?」
木の上から終演が無防備に大地に降り立つ。大きな木の家に続く道の上に降りたその姿を見つけ、土門もゆっくりと歩いて道の上に戻る。既に大地の拳は姿を消している。
「鬼ごっことは失礼な。こんな危険な遊び、子供達が出来んじゃろう。捕まれば死ぬような遊びなぞ」
先程壊した石の柱に腰を掛け、終演は全身から流れる血を見てふっと笑った。
「何を考えている。貴様は一体、この圧倒的不利な現状で、何故笑う」
炎火を守る土の壁の側で土門は止まり、膝に手を付き立ち上がる終演にそう言葉を投げる。土門の怪訝な表情に終演はさらに微笑み、後ろにリュックを投げ捨てる。それで姿を現す、ヤダ!カラス君とリュックの中から取り出した掌サイズの爆弾。
「なぁに、簡単じゃ。ワシ一つの命で、お前さんら二人を殺れると思うと、嬉しくて仕方ないんじゃ」
爆弾を上に投げ捨てケルベロスを二連射で放つ。
“ふざけているのか”
眉間に深い谷のような皺を寄せ、土門は大地を殴りつける。一つの砲弾は壁にぶつかり爆発し弾け、その後を追随するもう一撃も壁にぶつかる。それも同じように爆発したが、中から現れた散弾が今までとは違った。そうまるで、豆腐を銃で撃ったように散弾が大地の壁を貫通したのだ。
「何?!」
驚きはしたが、土門は大地を殴りつける構えをすぐに整える。が、
「どう、なって、いる」
先程炎火が地面に倒れこんだように、力なく土門が膝を突く。その振動が伝わったのか、終演が見つめていた、少し崩れ始めていた炎火を多い尽くしていた大地の壁が崩れ去る。
「言ったじゃろう、散弾はお前さんらの神との契約を停止させる為の物だと。そうそう、‘散弾は’と言ったのを、‘散弾も’に変えてくれ。散弾を当てるのも、神無水の気体をここいら一体に漂わせるのも、どちらも目的じゃったからな」
終演のその言葉で、土門の顔色が変わる。その姿に終演はケルベロスを投げ捨て走り出し、ヤダ!カラス君のエンジンを起動させ始める。
「ぐうぅぅう!!」
その声は誰に対して向けられた物だったのか、土門本人にも分からなかっただろう。ただ、体は自然と動き、雄たけびを上げながら大地を殴り始めた。鉛のように重たくなった体を振り回して。
「吾拳に力を! 吾拳に力を!! 吾拳に、力を!!!」
涎も汗も飛び散り、加減が出来ずに拳からは血が流れ出す。それにも拘らず、加減する事無く、止まらず何度も何度も。
「無駄じゃ! 諦めて、ワシと共にこの世から消え去るんじゃ!」
その姿に同情などするはずのない終演は、二人に向かってさらに速さを増して近づく。
「吾拳に、吾拳に!! こんな所では、死ねないのだ! ダグザよ、吾拳に力を!!!」
黒く戻っていた瞳と髪が先程までのような茶色の色に変わる。
その姿に終演は爆弾のピンを抜く。
力が戻った土門の拳が大地に叩きつけられると、カイヤックほどの岩の槍が現れる。
それと共にヤダ!カラス君からは第一陣の爆発音。
槍はゆっくりと動き出す。
終演の口からは、「無駄じゃ!!」と大きな声。
それに返すように、黒く戻った瞳と髪の土門は力なく座りながら口を動かす、「貴様ではない」
そして気付く、岩の槍が自分を狙う軌道ではないという事に。
槍の速さが終演が走るよりも速くなり、土門の口からもう一言語られる、「貴様の、孫だ」
爆弾を持つ手を伸ばすが無常にも大地の槍には届かない。
「どうする?」
体が捻られ後ろに目が行く、そこには木の家から出てきた紫月の姿。
“何故じゃ!”
土門に向かう次の足が踏み出される。ただ、上体は後ろに傾く。
「吾等を殺すか?! それとも、自分の孫か?!」
「ぐっ!」
大地の槍は終演が追いつける限界点に近づく。
言葉が廻る、一息吐く間に数千という言葉が。けれど時間がない、どちらの時間も。
「貴様は、どちらを選ぶ」
土門の言葉と共に機械仕掛けの烏の羽ばたく轟音が、死闘と私闘、どちらに幕を下ろすか選択の時を迫った。






