第8章 死闘と私闘の狭間で (1)
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森の中に二人の少年の影。
「で、この辺やろ、その魔女がおんの?」
長髪オールバックの少年の言葉にもう一人の、少年には見え辛い少年が頷く。
“なんや、やり難い奴やな。やっぱ、ミィネェの方がいいな”
“……風牙の方が、マシか……”
二人の感情そのままに、まったく噛み合わない微妙な雰囲気が辺りに漂う。
「まあええ。そんじゃあ、とっとと仕事終わらせるか」
“……仕事……”
長髪の少年は、まるで誰かを見下すようなにやけた表情を作ると、池にある飛び石みたいにポツリポツリと雲がある空に向かって叫んだ。
「来な! スルト!」
一方その頃、丸二日走り続けてもまだ止まらない額や脇腹辺りからの血を拭き取る事無く、終演はただ前に向かって、森の中を風よりも早く、どの動物よりも速く走り抜けていた。
「まだじゃ、待ってくれ。待って、!」
そんな終演の耳に聞き慣れない音と共に、空が変わって行くのが見えた。それは、
「空が、燃えて、る……」
「……い、一体、何、が」
「サラマンダーが、怯えてる」
「何なんだよ、これ」
「怖い」
雲は焼け落ち、太陽は火に炙られ、空が夕日の燃えるのとは違う神の炎に包まれる真っ赤に炎上する姿。その見たこともない空の焼かれる様子に、恐怖が募る子供達がさらに恐怖に陥る事態が襲う。それは、黒い花が咲く辺りの空間に細い炎が入り込み、ジリジリと空間を焼きながら切り裂いてきたのが見えたから。
「お、おお、おい、おい! お前達、準備、準備! 入ってきたんだよ、侵入者が!」
黒水が震える唇でどうにか言葉を発し、周りの魔法使いの子供達を奮い立たせようとするが、完全に怯え切って、誰一人として立ち上がることすら出来ない。その様子に、何とか自分だけでもと杖を構えて呟きだす。
「何や、あのガキ。一人でやるつもりか? なかなか根性あるやんけ」
その黒水の姿を見た、空間を焼き斬った炎の剣を手に持ちながら入ってきた、髪がまるで本物の炎のようにユラユラと揺れる、紅色に肌も瞳も髪も染まった少年が満面の笑みを浮かべて歩くのを止めた。
“……何が楽しいのか、吾には分からん”
前を行くその少年の声が高揚した事にもう一人の、少年には見えない岩のようにゴツゴツとした少年も立ち止まる。そこに、まだ膨らみきっていない風船ほどの大きさの小さな水の玉が飛んできた。
「根性は認めるが、これやったら話にならんな」
紅色の少年がその水の玉に対してなんら反応を起こさずに、ただぶつかるのを待つ。が、
「嘘、だろ……」
水の玉は紅色の少年に触れる前に、白い水蒸気となって一瞬にして蒸発してしまう。
「どうした? もう終わりか?」
どちらも目では互いを確認できないほどの距離に居るにも拘らず、黒水の耳にはこの言葉がはっきりと届く。そして、次の言葉も。
「ほんなら、全員殺そっかな」
今まで感じたことのない、心が速く動く音が全身に伝わり地面を揺らす。紫月や黒火の次に年上の部類に入る黒水は、ここに住んでいた人々が次々に砂に変わるのを目の前で見ていた。だからこそ、振り向くとそこに居る、頭を抱えて震える者やそれを励ます者、懸命に自分達を世話してくれている黒火や紫月を守ろうと、侵入者を倒すために頑張って自分なりに鍛えてきたはずだった。なのに、終演達の時も今も、足止めすら出来ない自分が悔しくて、何も考えずに黒水は杖を構える。
「ええやんか、あいつ。気に入った。あいつだけは殺さんとこうや、土門」
先程のサイズよりもどんどんと小さくなるが、飛んでくる水の玉の数は逆に増えていく。無駄な事だと分かっていても撃ち続ける黒水の事がよっぽど気に入ったのか、飛んでくる水の玉でダメージを負う事がないので、平然と視線を後ろの少年、土門に送る。
「駄目だ。吾等の目的は、ここに居る魔女及び魔法使いの排除。それと共に、終演の孫の紫月を目の前で殺す事。それ以外の行動は慎むべきだ。故に、そろそろやる気を出せ、炎火」
だが、紅色の少年、炎火の言葉は至って冷静に土門に却下されてしまう。
“おもんない奴や”
完全に相容れない性格の二人を象徴するようなこの会話の間に、黒水から放たれる水の玉が雨粒ほどの小ささになり終わりを告げた。
「く、そぅ……」
膝から地面に崩れるのではなく、顔から地面に倒れこむ黒水。黒水以外は空間の入り口から目を逸らせており、倒れた音で黒水の状態を知る。
「黒水!」
「もう、駄目だ……。殺される、全員」
「あちしたち、しぬの?」
「大丈夫。大丈夫だよ」
「お〜い! その水使いに免じて、紫月とかいう女だけ差し出せば、お前等見逃したってもええぞ」
恐怖に怯える子供たちの耳に、炎火の言葉が伝わる。ある子には悪魔の囁きに、ある子には天使の導きのように。ただ、どちらも絶対なる正解はなく、子供にとってはあまりにも重たい言葉。
「何を言っているのだ、炎火。そんな事――」
「そっちの方がおもろいやろ。幸い、紫月とか言う奴居らんみたいやし、どんな答えが聞けるか」
「だが――」
渋る土門に、炎火はキッパリと言い切る。
「俺はな、お前や風牙みたいに香煩に謙ってるわけやない。あいつかって、何企んでるか分からんやろ。俺は信用する気なんざ、サラサラない。だからこそ、あいつの目の届かんとこやったら好きなようにする。それだけや」
この言い合いは子供達には届かずに、子供達は恐怖に自我を保つので精一杯になった脳で懸命に考えを搾り出す。
「ねぇ、紫月ネェ、を、――」
「あんた、ふざけた事言わないでしょうね?」
「ふざけたもなにも、あいつ等には渡さない、って事だろ?」
「……死にたくないよ。私……」
「どう考えたって、敵う訳ないよ……。だったら――」
「皆、大丈夫!」
そこに駆け寄ってきたのは、墓参りから帰ってきた紫月だった。
「紫月、ネェ、逃げ、ろ」
紫月の姿にさらに動揺する子供たちとは違い、体を起こすどころか動かす事もままならない黒水が、何とか顔を横に向けてそう言葉を発していた。その言葉は炎火達にも届いてしまう。
「チィ! あれが紫月か……」
「帰ってきたようだな。これで――」
「まあ、居ってもおもろいやんか。本人前にして、どんな答え返ってくる――」
「大丈、夫……」
そこに紫月よりも遅れてきたにも拘らず、息を切らしてい黒火が着いた。
「黒、火ネェ、紫月、ネェ連れて、逃げ、ろ」
その黒火に気づいた炎火が目を凝らす。少し近づいてはいたが、顔を確認するには目を細めないと確認出来ない距離だったから。
「何だ? もう一人……!」
“うん? 何故スルトを送り返した?”
今の今まで燃える雲から火の雨が降り注いでいたのに、突然空がいつもの海を反射しているような青色に姿を戻した。
「あれ? 空が……」
「どうし、たんだ?」
「皆、あの二人は?」
荒ぶっていた空が静まり返ると共に、少し落ち着いた紫月が炎火と土門に気づいた。それとともに、黒火も二人を見る。
「おい、炎火。何を――」
「んん゛。あ、え、えっと、初めまして」
「……」
それは先程までとは違う、豪く他所いきな声。勿論、この突然の声の変化に、子供達は驚き固まる。いや、それだけではなく、炎火の横に居る土門も同じように固まっている。
「あの二人は――」
「あぁ、突然お邪魔しまして、その、初めまして」
どうにか声が届く位置まで来ていた二人の顔を見ようとした黒火は、その声を聞いて少しほっとしたような雰囲気に変わる。
「迷い込んだ方か――」
「違う。速く、逃げ――」
「あの〜、失礼ですけど、お名前を教えてもらえますか? そこの、美しい方の、お名前」
完全に先程までと変わった様子に、子供達と土門は唖然と口を開いてしまっていた。が、土門は首を振ると、炎火の肩を掴んで自分の方に向かせた。
「何を考え……」
それで見た炎火の顔に、土門は顔を引き攣らせた。それは、乙女の気持ちなど理解出来ない土門ですら分かる、炎火の表情が恋する乙女の表情になっていたから。
「なあ、人殺し、いや、魔女殺しなんて、僕はアカンと思うねんけど」
言葉も先程から代わっていたが、土門はこの恋する乙女の声に変わった炎火の声に、全身が鳥肌を超えて羽毛まで生えてしまいそうなほどの寒気が走り抜ける。
「……何を、突然」
「突然って、僕はいつでもそういう考えを持ってたんだ。けど、言い出すタイミングがなかっただけなんだよ」
寒さ以外で震える土門の事など知らずに、紫月と黒火は先程までの事を聞いて驚愕する。当然といえば当然な反応だったが、今二人が見るのは、先程までのような悪意に満ちた雰囲気など微塵もない炎火の姿。
「ほ、本当に、あいつ等が空を燃やして、空間を切り裂いたの?」
「間違いないよ。私達全員見たもん」
「でも、そんな風には見えないけど……」
「でもでもそうなんだって! 速く、今のうちに――」
「駄目だよ。だったら私は残らないと」
「紫月ネェ……」
「あの〜」
まだ満面に不満をたたえる土門を振り切って、炎火が黒火に話し掛ける。
「その可憐なお口から、そう、えと、こういう場合、何言えばいいん?」
「吾が知るはずなかろう」
炎火にそう尋ねられたが、土門は当然の答えを返す。その答えに炎火は鼻で不満の息を吐いて、また先程までの声を出した。
「お名前を、教えていただけたなら、教えていただけたならって変やな。教えていただけませんか? やな。んん゛、お名前を教えていただけませんか?」
少し変な発音の言葉に、先程の事を本当だと信じられない黒火は少し笑う。ただ、紫月の方は警戒心を露にする。
「あなた達、一体何者なんです? どうやってここに着たんです? この子達の話じゃ、さっきの燃える空はあなた達が起こしたって言ってますよ」
「そんな訳ありませんよ、紫月さん。僕等がここに来たのは――」
「お前を殺――」
「すぇそうぅ!」
殺すというだろう土門の口を、意味の分からない言葉を叫びながら抑えて慌てて炎火は黒火に笑顔を見せる。
「迷ったんです! 迷ってです! 迷い込んだんです!! いやぁ〜、この森大きくて。ははは」
「ころって、何です?」
だが、紫月は土門の言葉を聞き逃さなかった。
「へ! いい、いや、そ、それは――」
ドゥクゥン!!!!!!!! ドゥクゥン!!!!!!!! ドゥクゥン!!!!!!!!
その緩々に弛んだ雰囲気を吹き飛ばすように、機械的な咆哮が聞こえた次の瞬間、紫月や黒火、子供たちの頭上を掠めるように木の家の側から三つの砲弾が炎火と土門に向かって飛び出した。