第7章 用意されていた別れ道 (1)
1
僕たちは、火の鳥の背中に丸一日乗り続けた。終演やカイヤックはずっと寝ていたけど、僕はあまり寝れなかった。静華は、バナンが鬣で包んでいて見えなかったので何とも。そのバナンは、まったく寝る様子がなく、火の鳥の背中の上なのに、辺りを警戒し続けていた。あまり寝付けなかった僕は、猛烈なスピードの中で、たまに景色を確認する。飛んでも飛んでも、一向に変わる事のない景色、緑の海。本当は、鳥が飛んでるんじゃなくて、前から何かで扇がれてるんじゃないかと思うほど、まったく変わらない。それでも、振り返って見える石の柱が、どんどんと、細く、小さくなっていくから、飛んでいるのだと確信が持てた。結局、殆ど眠れないまま、明け方になってようやく町が見え、町の近くに火の鳥は下りてくれた。そして僕たちは今……
「で、ですから、どうにか――」
「どうにかと言われてもねぇ〜」
「あ、あ゛、だがらよぶ、ほんぼずごじで――」
「お前さんは邪魔じゃ、地べたで寝ておれ。それで、お前さんはさっさと部屋を貸せばいいんじゃ。ワシ等は星の守護じゃぞ。ほれこの通り、指輪も手帳も持っておるじゃろう」
「そんな事言われてもねぇ〜。ってか、それ一体、何なんだい?」
「終演、一般の人に見せても無駄ですよ。それであの、皿洗いとか、なんでもしますから泊めて――」
「ほれ、こう言っておるんじゃ。雷祇は扱き使うていいから、泊め――」
「へぇー、誰のせいなんですかね、この事態は、だ・れ・の? 誰のせいでこうなったか教えてもらえますか、終演?」
雷祇達は今、宿の交渉をしていた。しかし、レンならバナンを倒した時の報酬などがまだ残っていたはずなのに、何故こんな事態になったのか。それは……
『あれ? おかしいな……』
『お客さん、どうしたの? 早くお金払ってくれないかい。一人、二万レンだよ』
『あ、ちょ、ちょっと待ってください』
慌てる雷祇は、ポケットを探るが財布が見つからず、上着とズボンの内側に仕込んであるポケットにもお金が入っていないのに、今始めて気付いた。
『あれ、ちょ、あれ?』
『どうしたんじゃ、随分慌ておって』
そんな慌てる雷祇に、終演が気づいて近づいた。
『いや、あの、財布がなくなって――』
『なんじゃ。ほれ、財布ならワシが持っておる』
終演は背負っているリュックを探ると、雷祇の財布を取り出した。
『あ、そうだったんですか、よかった』“あれ、でも、いつ渡したっけ?”
『お客さん? どうするの?』
欠伸をしている宿の主人に急かされ、雷祇は財布を開いてレンを渡そうとした。が、
『あれ、お金……』
『おぉ、そうじゃ。言い忘れておったが、レンなら殆ど使ったぞい。お前さんが寝ておる間に、紫の一族の小さい娘から、色々な薬草やらを買ったんじゃ。レンなんぞ使わんと思ったが、遊びで使うんじゃろうと、一応払ったんじゃ』
とまあ、いつものような流れだった。
「いや、た、多分、誰のせいでも、無いんじゃないかのう」
「はぁ? 誰のせいでもない? はは、そうですか、そうですか。誰のせいでも――」
「で、どうすんの?」
雷祇は慌てて、肘をつき瞼が半分くらいまでしか開いていない主人に向き直った。その時に、主人の後ろに何か書かれた紙が張られているのに気付いた。
「あの、あれは何ですか?」
「あ、これかい。これはうちの町で年一回開かれる、祭りさ」
「何の祭りですか?」
その紙に書かれているのが、牛の角を逆さに描いてある絵。どうも祭りと繋がりそうもない絵だったが、雷祇に質問されて目をちゃんと開いた主人があるポーズをした。それが正に、牛の角を逆さまにした格好だった。
「筋肉祭りさ」
力自慢が自分の腕の筋肉を見せ付けるために、体の前で輪を作るポーズ。
「で、その祭りは、競う物なんかのう? 勝負事かのう? 賞金なんて出るんかのう?」
雷祇に睨まれ縮こまっていた終演が、一瞬にして金の臭いを嗅ぎ付け、カイヤックの体の上に乗り、まだポーズを決めているカウンター越しの主人にそう聞いた。
「あぁ、出るぞ。でも、賞金目当てに来る者は殆どいないがな。大した金額じゃないし、何より、チャンピオン――」
「いや、そんなんはいいから、賞金はいくらなんじゃ? 五万か、十万か?」
「確か……優勝者だけに、百万、だっ――」
「百万!!」
同時に張り上げた声と共に、目の輝きが同じになった終演と雷祇は宿の片隅に走り寄っていた。
「百万ですよ、終演」
「十分、デカイ金額じゃ。やる価値はあるのう」
「そうですよ。星の守護の依頼でも、そんなに高いのは滅多にないですからね」
「それにじゃ、力比べなんじゃろ。じゃったら――」
二人の脳裏には同時に同じ言葉が、人物が思い浮かぶ。
「カイヤック、ですよね」
「そうじゃ。ワシの知る限り、あやつ以上の怪力の人間はおらん」
「優勝――」
「間違いなしじゃ」
二人は軽く咳払いをしながら、ゆっくりと服装を整えつつカウンターに歩み寄る。
「その祭りに絶対に優勝できるんじゃが、金は後払いにしてくれんか?」
「はぁ? 何言って――」
「ほら、この人」
主人の目に、カウンターの下から突然、大きな物体が浮き上がってくるのが見えた。
「ものすっごい、怪力なんです。見た目で、分かるでしょ?」
雷祇だけではカイヤックの大きさを表す事ができなかったので、終演もカイヤックの下に入り込み、二人で脇を高々と掲げた。それでも、カイヤックの足は伸びきっていない。
「ほぉ。こりゃ確かに。もしかしたら、勝てるかもしれないな。よし、面白そうだ。本当に星の守護か分からんが、あんた等が逃げ出さないよう、その手帳を預かるって事で、認めようじゃないか。この大会は三日後だから、二泊三日って事で良いな?」
その条件を断る理由など二人にあるはずがなく、二つ返事で承諾した。
そんなこんなで、どうにか交渉が成立し、二部屋を借りる事が出来た一同は一部屋に集まって話をしていた。
「何とかでしたね」
「まあ、何はともあれ、よしと――」
「今度勝手に財布取ったら、どうなるか分かってますよね?」
一つのベッドの上では、貯蓄蛇が浪費蛙を睨みつけ動けないようにしている光景が繰り広げられる。それとは対照的に、穏やかに話すのはバナンと静華。
《ところで静華、今からにゃにかするか?》
「取りあえず、お風呂に入ろうかなと思ってるけど」
《そうか。にゃらこんなむさ苦しい部屋さっさと出て、静華の部屋に行こう。その後、散歩でもしにゃいか?》
「うん、いいよ。雷祇は?」
違うベッドから静華に声を掛けられた事で、ブツブツと終演に言葉を突き刺していた雷祇が一瞬睨み付けを緩めてしまう。
「ワシは暫く研究する事があるから、部屋の中には入らんでくれ」
その僅かな隙を見逃さず、雷祇が話し出す前に終演がその言葉を残して一つの部屋の中に逃げ込んだ。
「チィ!」
「うん?」
「いえ、なんでもないですよ。散歩、でしたよね。本当なら“バナンと二人っきりというのが心配で”僕も行きたいんですが、ちょっとやりたい事があるので、今度でいいですか?」
静華は「分かった」と言って、バナンと共に部屋を出て行った。
「ふぅー。あの、カイヤック」
「だんだ?」
“まだ無理なのかよ”
心の中では毒を吐いていたが、表には出さずに雷祇は続けた。
「動けるようになってからでいいんで、ちょっと付き合ってほしいんです。いいですか?」
「ああ゛、わがっだ」
2
すでに太陽が放物線の下り坂に差し掛かっていた頃、二人は町の近くの森に来ていた。
「いやぁ〜、結構掛かっちまったな、今日は」
「掛かりすぎだ」
「うん? 何か言ったか?」
「いえ、別に」
そんな二人の手には、体の大きさに合わせた木の枝が握られていた。といっても、カイヤックの持っている枝を、果して枝と呼んでいいのかは疑問であるが。
「で、何がしてぇんだ?」
「剣の相手を、してほしいんです」
雷祇の言葉が理解できないカイヤックが、顔に表れている疑問をそのまま渡した。
「剣の相手って、今までイクリプスと雷命でやってきたじゃねぇか? 何で今更、枝なんだ?」
黒火達がいた木の家に着くまでの三週間の間、ほぼ毎日二人は剣のトレーニングをしていた。しかし、雷祇が考えていたのは、今までのような物ではなかった。
「本気で、相手をしてほしいんです」
「? いや――」
「僕を殺すつもりで、って事です」
真剣の思いが、言葉と雷祇の表情から読み取れる。
「殺すつもり、ねぇ。で、雷祇はどうすんだ?」
「もちろん僕も――」
「命を奪った事のねぇ殺意を、俺に向けるってか?」
そんな思いをあえて踏みにじるように、カイヤックが冷たい言葉で返した。
「雷祇、おめぇの戦い方や剣交えて分かったが、殆ど生き物と殺り合った事ねぇんだろ。きれぇ過ぎんだ、戦い方も、剣の軌道も、何もかもがな」
「……はい、ありません。けど、けど僕は、僕は!」
先程の決意が、もう既に揺らいでいるのがカイヤックには見て取れていた。そして、思い出すのは木の家での夜の事。
『お前さんには聞いてもらっておくか』
『あぁ? 何だ爺さん、俺ぁ、もう寝てぇんだが』
『まあ、少しじゃで、話を聞け。雷祇の事なんじゃ』
『雷祇がどうしたんだ?』
『もう気づいておるじゃろう、雷祇も静華嬢も、不思議な力を持っておるという事』
『あぁ、まあ、な』
『二人は、テスタメントという力を持っておるんじゃ』
『テスタメント? 何だそりゃ』
『神との契約者、じゃ』
『神と……』
『そう、魔法使いの精霊とは訳の違う、圧倒的な力じゃ』
『……そうか。じゃあ、あの塔の嬢ちゃん達も』
『そうじゃ』
『そりゃまた、すげぇな。で、話はそれだけか?』
『いや。静華嬢は、先の遺跡の杖で正式に契約を済ませたんじゃが、雷祇はまだなんじゃ。しかも、明日の朝、紫月に話してもらうまで、自分の正体をまったく知らん』
『爺さんは話さねぇのかよ』
『ワシよりも、紫月の方がまだいいじゃろうて。それでなんじゃが、多分、暫くの間雷祇の奴、相当不安定になるじゃろう。いきなり訳の分からん事を言われるんじゃし、思い当たる節もあるじゃろう。じゃから、もちろん危ない事以外でいいんじゃが、手を貸してくれと頼んできたら、手伝ってやってくれんか』
『何だそりゃ。爺さんに頼むんじゃねぇのか?』
『頼んできやせんよ。あやつは、そういう奴じゃ。まったく、誰に似たんかのう』
「あぁ、まあ、何だ。どの道俺も、イクリプス持ってちゃ、殺気もあんま出せねぇし、こういうのもいいかも知れねぇな」
少し言い過ぎたと思いつつ、カイヤックは頭を掻いていた。
「で、普通に斬り合うつもりでやればいいんだな?」
「は、はい。やってくれるんですか?」
「まあ」と答えながら、カイヤックは自分の腕ほどある枝を低く構え、雷祇に殺意を込めた眼差しを向けた。
「そういうこった」
そこで初めて、カイヤックという男の本質と向き合う事になった雷祇。
“体に走る、この痺れる感覚は……”
それはバナンや魔獣達からは感じ取れなかった、人が人に向けて放つ明確な殺意。枝では体を切り裂かれる事はないはずなのに、一歩でも進む道を間違えた時の事が何度も思い浮かんで雷祇の足を竦ませる。
「どうした? こねぇのか?」
しかし、カイヤックの言葉には、それほどの殺意が感じられない。
“そうだ、何で怖がってるんだ。僕は、僕が望んだんじゃないか。分かりたいんだ、僕の中のものを。掴みたいんだ、テスタメントという力がどういうものなのかを”「い、行きます!」
そうは言ったものの、直ぐに飛び込むのは危険だと、左右に飛び跳ね、カイヤックの隙を伺う。が、
“あれ、なんだろう。隙だらけのような……”
雷祇の目には、カイヤックが隙だらけに映っていた。それで試しに打ち込んでみようと、飛び跳ねるのを止め、素早く後ろに回り込む。
“いける!”
その動きにまったく付いてこれていないカイヤックを見て、確信を持った雷祇が背中を斬りつける。
「甘ぇな」
だが、枝がカイヤックの背中に触れる直前、その枝が何かによって受け止められた。
“あれ、掴ま――”「グフォ!」
そう、カイヤックは枝で雷祇の攻撃を止めるのではなく、回転しながら枝を掴んで受け止め、そのまま雷祇の腹に自分の枝で突きを繰り出していたのだった。
「お、おぉ、お」
まったく予想していなかった攻撃に、反応することが出来ずにまともに受けてしまった雷祇が、地面に蹲って呻いている。そんな様子に、カイヤックは笑いながら、「いやな、枝だし、受け止めちまえばこっちのもんだな、っと思ったんだが、大丈夫か?」と声を掛けた。
「大丈夫なわけ、ないじゃ、ないですか……」
「そうか、すまねぇすまねぇ。嬢ちゃんに治してもらうか?」
雷祇は「いいです」と断ると、腹を押さえながら何とか立ち上がった。
「あの、僕は、斬り合い、したいんです。何も、枝での戦い方、学びたいわけじゃない、んです」
「何だ、先に言ってくれりゃあいいのに。よし、分かった。次はちゃんとする」
“大体察してくれ……。ってかその前に、本当に分かったんだろうか……。もう少し説明するべきかな”
そう思った雷祇だったが、大丈夫と何度も言われたので、信用してまた枝で斬り合いを始めた。が、それから三度ほど、また同じ様にまともに斬り合う事は出来なかったが。
机の上に並べられる、無数の液体の入った瓶に、幾つもの薬草、そして、
「これは、使えるようじゃな」
終演が手に持つ遺跡で襲い掛かってきた杖。それらを組み合わせて、終演は何かを作っていた。
「……。よし、良い感じじゃ。後は試せればいいんじゃが……後で雷祇で試すかの。ちゃんと効果が出れば、神無水の無駄を省けるようになる」
それからさらに何かを呟きながら、終演は作業を続けた。