第5章 魔女の住む森 (7)
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“は! 情けねぇ奴”
“! 君は――”
“こんなとこで死ぬつもりかよ。頼むから勘弁してくれ。これからが楽しいんだからよ”
“何を、何をするつもりだ!”
“何もしやしねぇよ。ただな、こんな女のために命散らすつもりがねぇだけだ。分かったらお前は消えてろ”
雷祇を包んでいた水の球体が反射鏡になり、光を乱反射して夜空を照らすミラーボールになった。その現象が徐々に弱くなるに連れて水が蒸発して液体から気体へと姿を変えていく。
“あれ、は、まさか、俺様を倒した奴か”
そして、1分と経たないうちにその現象は終わりを告げて、中からは雷祇とはまったくの別人が姿を現した。器を口に運ぶ寸前だった水希がその姿を見ると、金髪金眼の少年が話しかける。
「よお、久しぶりだな神水」
その声で水希の驚きがさらに増す。
「見た目だけではなく、まさか声まで元に戻るなんて。お久しぶりね、フェルハルト」
「そんな名前、お前以外に呼ばれた記憶がねぇな」
「それはお互い様よ。今私の名前は水希なんだから」
「なんだ、どうなってる。今度は雷祇が魔法使ったのか?」
その言葉を聞いた氷菜は、大声で笑い出した。
「あははは。あは、おじさん、魔法使いなわけ、ないじゃん。まさか、ジジイに、なぁ〜んにも教えてもらってないの? あはは、やっぱ冷たいんだ、あのジジイ」
“魔法じゃにゃいのは大体分かっていたし、この2人が魔法使いじゃにゃいのも分かる。それよりも気ににゃるのは爺さんの言動だ。この2人と、今現れた人間と一体どういう関係にゃんだ”
だがカイヤックには分からないらしく、目をハテナのマークにしている。
「魔法じゃねぇのか? だったらなんなんだ? 魔法以外にゃあ考えられねぇんだが」
“ったくこの糞人間には、常識って物がにゃいのか……”
このバカッぷりに、氷菜はお腹を抱えて笑い出した。
「あははははは! おじさん、変態な上に、バカなんだね。ちょっと、可哀想になってきたよ」
「何がだ?」
「だって、魔法使いがさ、ボクや雷祇、みたいに、動けるわけないでしょ? 魔法使いは、力と引き換えに、魔法を手に入れるんだから。もうちょっと、勉強しようよ」
カイヤックはこの氷菜の言葉に、ほぉ〜と感嘆の声を漏らす。その姿を見に、今度は涙まで流して氷菜が笑い転げる。
「それにしても、随分と不安定ね」
フェルハルトに水希が掛けた言葉は、どうやら図星だったようだ。全身から滝の様に汗が流れ出し、立ってることすらキツイといった表情になる。
「ふん、五月蝿せぇ、よ。お前に、は――」
膝に手を付こうとしたらしいが、その手が滑ってフェルハルトは思わず膝を付く。息遣いも荒く、とても正常とは思えない。
「はぁ、はぁ、はぁ。糞、ったれ……。もう、限界、が、来た、ってのか? 話獣の時に、使った体力が、まだ、回…復し……」
「雷祇!」
床に倒れた雷祇に近づく水希を見て、カイヤックが助けに向かおうとした時、また邪魔をするように後ろから声が聞こえてきた。
「ダメだって、何度言ったら分かるの」
3歩は先に雷祇の元に駆け出していたはずのカイヤックの前に、4歩目を拒むように氷菜が回り込んでいた。
「いくよ」
そういった氷菜が、武器を何も持たずにカイヤックに殴りかかった。一撃一撃の早さに重さは申し分なかったが、カイヤックは氷菜の次の手を完全に読切っているらしく、イクリプスを持ったまま当たる寸前の所でかわしている。
「ロリコンおじさんってさ、意外に強いの? だったらさ、もっと本気出してよ」
そういうと、届くはずのない顔面への攻撃を氷菜がカイヤックに繰り出す。もちろん後ろに下がりながらかわす気でいたカイヤックだったが、思わぬものに足をすくわれる。
“床を凍らしたか!”
後ろに出した足を取られ、股が大きく開いた状態になったカイヤックの後ろからまた氷菜の声が聞こえる。
「ほら、後ろがら空き」
手に一瞬で氷のナイフを作り出した氷菜は、カイヤックの背中に突き立てようとした。
「隙突くのは癖になるぜ」
カイヤックはまるで後ろに目があるように、氷菜のナイフに向かって手を伸ばして掌の真ん中に突き刺さらせた。そしてその手で氷菜の手を掴み、自分は体を反転させながら氷菜の体を引き寄せ丁度自分の正面辺りに来た時に、イクリプスを氷菜の首にそっと押し当てた。
「止めときな嬢ちゃん。あんたと俺とじゃ、経験が随分と違うらしいからな」
「フェルハルト、雷祇君。これで本当にお別れ――」
髪の色が元に戻った雷祇の背中に手を置き、水希の周りに雨らしき物がポツポツと現れだしたとき、水希に飛んできたのは圧縮された空気の塊。その塊が水希の顔にぶつかるその瞬間、集められた水が盾のようにして水希を守り、防波堤に打ち寄せる波のように辺りを水浸しにする中をバナンが雷祇を銜え奪い取って空に逃げた。
「ナイスだ! 糞猫!!」
「余所見とか、随分余裕だね」
言葉と共に感じた冷気にカイヤックは後ろに避けようとしたが、片足の靴と地面が凍りついていて一歩しか下がれず、両手も凍りに覆われていたが関係なくイクリプスで氷菜を斬りつけようとしたが上に飛び上がって攻撃を避けた。
“にゃんで止めなかった? 隙は突いたはずだが、止めれない事もにゃかっただろ――”
空に佇んでいるだけでも少しバランスを崩すバナンが考えながら睨む様に水希を見つめていると、常人には到底聞こえない声で話しかけた。
“チィ! 俺様とした事が願いが先に行ってそこまで頭が回らにゃいとは、にゃさけない”
そう思いながら空中から慌てて塔に戻ろうとしたバナンを阻むのは水希の力。
「霧雨の矢」
塔の最上階を一瞬にして霧が包み込む。その霧に触れる寸前でバナンは留まる事が出来たが、到底中に入る事が出来そうもなく塔の唯一の入り口がある一階から入ろうと地上に向かう。
それを確認してから水希は器に手をかけた。
「待ってくれ、嬢ちゃん!」
カイヤックが水希に向かって言うが、水希は止まる気配がなく器に口が触れる。それでも続けるカイヤック。
「紫月っつう嬢ちゃんが大変なんだ! なんかよくわからねぇがそれ――」
水が口の中に入る寸前で止まり、そのままの格好で水希が聞いた。
「紫月がどうしたんですか?」
「なんだかよくわからねぇが、魔渇病っつう病気らしい――」
水希は器から口を離し、顔だけを終演の方に向け微笑んだ。心の底から哀れな物を見るような目で。
「それはあの子もかわいそうに。結局お父様は、お母様も、私も、紫月も、全て自らの手で殺したんですね」
何も言わない、いや何も言えない終演がただ下を向いたまま固まっている。その姿を蔑むように睨みつけながら言った。
「お父様は一体どれだけの命を奪ったら気が済むのですか? このままだとこの地上の命は全てなくなってしまいますよ」
この言葉の最後には先程までの優しい微笑を取り戻していた水希は、改めて器を口に当て水を一気に飲み干した。そしてゆっくりと器を台座に戻す。
「よし、じゃあ次行こっか水希ネェ」
「えぇ、そうしましょう」
氷菜がゆっくりとカイヤックの側から離れ出そうとしたが、立ち止まって振り返りカイヤックに向かって蝋燭を消すようにふっと息を吐いた。するとカイヤックを縛っていた氷が小さなサイコロ状になって床に転がった。
「特別だよ、ロリコンおじさん助けてあげるよ。けど他の人間――」
「駄目よ、氷菜」 “今はまだ”
動き出そうとしていた氷菜の肩を水希が掴んで止めた。それに対して氷菜が不満げな表情をしたその時だった、カイヤックが塔を揺らすような怒鳴り声を上げたのは。
「おい待て! 嬢ちゃんが助からねぇって言ってんだぞ。なのになんで水飲んでんだ。どう見てもおめぇは病気じゃねぇだろ!! おめぇの理由なんざ聞くつもりもねぇし、何のためかなんざ分かりゃしねぇがな――」
「やめんか! もう済んだことじゃ……」
「だそうだよ。ロリコンおじさん。それじゃ、また会おうね」
カイヤックは終演から聞こえてきた言葉とは思えないらしく、終演を見たまま固まった。そんな状態の皆を置いて、氷菜は胸にかかっているペンダントを握り締める。すると2人は風に包まれ、蜃気楼のようにぼやけるとそのまま本当の蜃気楼が消えるように消えていなくなった。
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「どういうつもりだ、どういうつもりだ爺さん!! もう済んだだ? 何がいってぇ済んだってんだ! 嬢ちゃんは、苦しんでる嬢ちゃんはどうなる! 今も必死で生きようと苦しんでるんだろうが!! 爺さんとあいつらがどんな関係か、苦しんでる嬢ちゃんとどんな関係か俺は知らねぇ。けどなぁ、苦しんでる奴をほっとけるほど俺は利口じゃねぇんだ! さっきやめたのは、爺さんの後ろに黒の嬢ちゃんがいたからだ。俺ぁ今からでもあいつら追っかけて、水吐かして嬢ちゃん――」
まるで茶化すような笑いが最上階に響いた。
《にゃははは。やっぱりお前はバカだにゃ糞人間》
「あぁ?」
《追いかける? どうやって行った場所も分からない人間を追いかけるんだ? まあ、今確実に言えるのは、お前がもし、万が一水を手に入れてもその頃には紫月はとっくに死んでるって事くらいだにゃ》
それでなくてもイライラしているカイヤックに、バナンは油を注ぐように言う。この言葉に対しての反応は、怒りの教科書があれば完全な正解の行動だろう。イクリプスを持つ手に力を込め、バナンに体を向けて睨みつけるという行動だった。
「てめぇ、何が言いてぇんだ。あんま舐めてると殺すぞ」
《フッ! あんにゃ小さにゃおんにゃにビビってた奴が言う台詞か? だがまあいい、俺様1匹じゃ勝てそうもにゃいからにゃ》
意外な言葉だったのか、暫く考え込んだままカイヤックの動きが止まる。その次には唖然とした表情になり、言葉を理解した時には豪快に笑った。
「はーはっはは!! 何だ、おめぇ思ったよりも良い奴じゃねぇか」
《そんにゃ事はいい、さっさとせにゃかに乗れ。どこに言ったか捜すのは変わりにゃいんだからにゃ》 “そうしにゃいと静華に示しがつかにゃいからにゃ。まあこのバカは、どこか海に放りにゃげればいいか”
「んじゃまあ早速乗せて――」
カイヤックは背中にイクリプスを背負ってバナンに近づく、それを止めるのは終演。
「止めろと言っとるんじゃ」
「あぁ。ふざけんじゃねぇぞ。俺ぁ別にあんたのためににやるって言ってんじゃねぇよ」
「止めろ、そう言ってるんじゃ」
ここでカイヤックの足が止まった。言葉に従ったのではなく、後頭部に当たる物が何なのか分かっているからだ。
「どういうつもりだ」
「お前さんが止まらんからじゃ」
後頭部に押し当てていたケルベロスを終演はゆっくりと離し、布に包みだした。
「紫月を助ける方法がまだ1つだけ残されてるからじゃよ」
「どん――」
《まさか、静華の力じゃにゃいだろうにゃ?》
バナンの言葉が図星だったのか終演の手が一瞬止まったが、すぐに何もなかったようにケルベロスを布で包む。カイヤックはカイヤックで、バナンの言葉にかなり感心したようだ。
「そうだ、あの力なら治るんじゃねぇのか? なんだ、だったら先に――」
《もしアンタが静華の力を頼りにしているのにゃら、俺様はアンタを疑うぜ。といっても、最初から静華の力を使わにゃかったところを見ると、本当は使えにゃいのを知ってるんじゃにゃいのか? あの力は魔法じゃにゃい。もちろん雷祇の力も、さっきの2人の力も。とても似通った、おにゃじようにゃ力。そんにゃ得体の知れにゃい力を、静華に使わせるというにゃら、俺様は全力を持ってアンタを征すぜ》
ケルベロスに布を巻き終えた終演はゆっくりと話し出した。
「正確に言えば少し違う。ワシとて静華嬢が今のままで力を使えるとは思わんし、これから渡ろうとしてるのはかなり危ない橋じゃ。それでも、もし渡りきれればワシ等にとっても、静華嬢にとっても、紫月にとってもプラスになる」
《けれど危にゃい橋にゃんだろ? それ自体が俺様は反対にゃんだよ》
「だったらよ、嬢ちゃんに直接言えばいいんじゃねぇか?」
バナンはカイヤックを睨みつけると皆に背を向けた。ここでケルベロスを肩に担ぐと黒火に話しかける。
「黒火嬢、‘アスクレピオスの杖の遺跡’にはすぐに行けるんかのう? 行けねば場所だけでも教えてもらいたい」
整理が出来ていない混乱気味の黒火の頭に、終演の言葉が流れ込んだ。
「あ、はい行けますよ。私の契約獣を使えば行きだけですが、すぐにでも。でもどうしてアスクレピオス様の杖なんて必要なんですか?」
少し頭がパンク気味で明るくなっている黒火の声を聞いて、2人と1匹は思わず固まりそうになったが、すぐに行動しようと動き出す。バナンが黒火を背中に乗せ、カイヤックは塔の一階で寝ていた雷祇を担いで、大きな木の家に休む事無く走って戻った。
「分かりました」
《本当に、本当にいいのか静華》
「大丈夫だよ。もしかしたら私には紫月さんを助ける事が出来る力があるんだもん。私は出来る事をしたいんです。お願いします、私を連れて行ってください」
終演は頷くと、すぐにでも行きたい気持ちを抑えるように少しの腹ごしらえと仮眠を取る事にした。その余裕が生まれたのも黒火の言葉、紫月の状態が少しだけ良くなっているという言葉を聞いたからだった。
それから僕たちは仮眠を取って、と言っても僕は気を失っていただけだけど。それでも体力を回復させようと、日が昇る頃に起きてアスクレピオスの杖の遺跡に向かおうと決めた。まあ僕は知らないけど……。