第5章 魔女の住む森 (3)
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「あそこがその塔らしいな」
「そうですね」
終演が黒火に教えてもらった塔は、そこで間違いないようだ。
木々に遮られていた視界が突然開け、木の代わりに目に飛び込んできたのは、水平線に半分以上が飲み込まれ沈みゆく太陽が染め上げる、血のように赤黒い海。そんな太陽に向かって伸びている一本道は、どうにか頑張れば雷祇が寝転べるくらいの道幅をしている。しかもその道はただ細いだけではなく、自殺の名所になってもおかしくない程の高さを誇っていた。それに加えて強烈な海風で、踏ん張らなければ忽ち海に向かって吹き落とされる。それでも、もし目的の塔までが近ければ踏み出す気にもなれるのだろうが、爪楊枝ほど大きさしか塔が見えない事でやる気をなくさせる。その爪楊枝ほどの大きさの塔が、黒火が言うには『黒の塔』なのだそうだ。
「……行くんですか?」
「当然じゃ」
「じゃあ、終演が先に行ってくださいよ」
「先頭はカイヤックじゃ」
「そうそう、俺……。何で俺?」
「何があるか分からんからのう。一番頑丈な盾が先頭の方がええじゃろ」
「あ、それもそうですね。ってことで、先頭どうぞ、カイヤック」
拒否権などカイヤックにあるはずも無く、渋々カイヤックは先頭に立ってその道に踏み出した。
“随分強烈だな。こりゃ確かに、俺が先頭でよかったかな”
吹き荒ぶ風は、肌を撫でるような気持ちよさなどは持ち合わせていなかった。それどころか、全身を殴りつけてきているかのような痛みが体中に走る。その風の中を、普段と変わりなく平然とカイヤックが先頭で歩き出して5分が過ぎていた。
「ちゃんと付いて来てるか?」
「付いてると言うよりも、乗っかってますけど」
そんなカイヤックでも、風が強烈だとは分かっているので後ろが心配になり声をかけた。そのカイヤックに返ってきたのは靴の上に乗っている雷祇の返事だった。終演も雷祇と同じように、カイヤック特注の馬鹿デカイ靴の踵の辺りにある段差に乗っている。
「おぉ、そんなとこに居たのか。軽いから気づかなかったぜ。爺さんも雷祇も、もっと飯食わねぇとデカくなれねぇぞ」
“なりたくもない! こんな馬鹿でかく。しかも、僕だけじゃなく終演にまで言うとは……。まさか今からでも終演の身長が伸びるとでも思ってるのか、この人は。そ、それなら恐ろしすぎる、色んな意味で”
そんな雷祇の考えなど知るはずもなく、カイヤックは笑いながら道を歩いていた。この道の強烈な風も、イクリプスとそれを平気で振り回せるカイヤックの筋肉の重さには音を上げたのか、徐々にだが弱まり、道の半分近くに差し掛かった頃には完全に止んでいた。
「風、止みましたね」
「そうだな、どうしちまったんだ?」
強烈に吹いていた風が止んだ事に、疑問を感じながらも進む3人。
“うん? 何だ今の音”
波の音すら立たないほど風が止み、太陽がすっかり海に吸い込まれて、目を閉じても大して変わらない暗闇が支配する道の上。月と星が道を照らし出さなければ、間違いなく踏み外すであろう道の上で雷祇が立ち止まった。
「どうしたんじゃ。立ち止まっているほど余裕はないんじゃぞ」
「何か、何か聞こえませんか?」
終演の言葉はよく理解できるものの、雷祇にはその音がどうしても気になったようで、終演の話は片隅に置き、微かに聞こえる音に集中する。
「……。確かに何か聞こえるような気もするが、波の音じゃねぇ――」
「走れ」
「へ?」
カイヤックは波の音だと思ったのだろうが、終演の耳にはどうやら違う音に聞こえたようだ。
「足を踏み外さんように注意しながら全力で走るんじゃ!」
言葉だけではなく本当に背中を押され、思わず扱けそうになりながらも雷祇とカイヤックは走り出す。
「い、一体、何なんだ爺さん」
「直に分か――」
終演の言葉は、空気を引き裂きながら飛んできた何かによって聞こえなくなる。その飛んできた何かは、先程まで雷祇達が居たであろう道上に、爆発で出来た道の石を含んだ光の煙を立ち上らせる。
「ほ、砲撃!」
「おいおい、こりゃ不味くねぇか? こんな狭い道に何発も打ち込まれたら――」
「崩れる可能性はあるのう」
「可能性じゃないですよ! 絶対崩れますって!」
「はぁ〜、お前さんは焦りすぎじゃ。よう考えてみい。あんな砲撃続けば、確かに道は崩れる。じゃったら、今まで誰もこの道に踏み込んだ事がないと言うんかお前さんは?」
皆が全力で走っている道の上に、容赦なく砲撃は繰り返される。そして、道に亀裂が走り出した。
「な、何でそんな事聞くんですか!」
「分からんか? もし道が崩れるんなら、誰もここまで辿り着いた事がないということじゃろう。砲撃は侵入者を拒むためなんじゃからな。じゃが、微かに見える道の上には、砲撃を受けた後がない。じゃからここでワシの結論が出る」
「あの砲撃では道は崩れねぇってことか」
「そういうことじゃ。そもそも先の風も、多分塔が持つ魔力で起こしておったんじゃろう。じゃから砲撃は、人には影響があるが、この道には影響が無い。大体こんなもんじゃろう。分かったかのう、雷祇」
「そ、それもそうですね。だったら、避けながら行きますか? 斬り落と――」
道の細さと暗さ、それに加えての砲撃で焦っていた雷祇が少し落ち着きを取り戻そうとした時、3人が走っていた道が一気に崩壊した。といっても、丁度3人がいる場所までだったが。それに気づき、大縄跳びの時のように3人揃って綺麗にジャンプをし、崩壊を起こしていなかった道の上に着地をする、と同時にまた走り出す。
「言った側から崩れてるじゃないですか!!」
「……。そういう事か。砲撃は本物で、道が塔の力で直るんじゃな」
先程崩れた道は、もうすでに元通りになっていた。
「どうするんだ? 塔まではまだ少し距離があるぜ。もしもう1度道が崩れちまったら、どうなるか分から、ってよう。思うんだが、下の海に飛び込んじまえばそれでいいんじゃないか?」
カイヤックの言葉に、雷祇と終演は驚愕する。
「馬鹿ですか?! ってか馬鹿ですよね! 海になんて飛び込めるわけないでしょ!」
「何でだ? それ程高くは――」
「飛び込みの高さを言ってるんじゃないわい。まあ、この高さを高くないというのは相当の馬鹿じゃろうが。それは置いておいても、お前さんは自分の興味があるものしか、頭の中に残しておかんのか。聞くがカイヤック、大戦後に起こった海の異変をお前さんは知らんのか?」
「あぁ、それか。もちろん知らねぇよ」
“それか、って何だよ!”
「はぁ〜、どいつもこいつも常識がないわ」
“終演が言うな”
「憶えておくんじゃぞ。下手したらお前さん、飛び込みかねんからな。世界大戦以降、砂浜と川以外の海に続く場所、つまり崖や岩で出来た海岸、人口の港などに起こった不可思議な海流。それは全ての物を海の底に引きずり込む、奈落の腕と呼ばれる海流じゃ。崖などから沖に向かい、短い物なら10メートル、長い物になれば1キロを優に越すその海流に捕まれば、たとえ海に住む魔獣ですら海底に縛られて命を落とす。しかもその海流は、川や砂浜がない限り永遠と崖などに寄り添って続くんじゃ」
「……ほぉ、スゲェな」
「分かってませんよね」
「大体は分かった。けどよ、もう崖からなら1キロは十分走ってるだろ。だったら――」
「じゃから言ったじゃろ、海流は崖に寄り添うと。この意味が分からんか? この今ワシらが走っとる道も、塔も、全ては砂浜でも川でもないじゃろ。じゃから、道の両脇も、塔周辺も、全て海流の始まりの場所じゃよ」
「…………ほぉ、スゲェな」
「諦めましょう、この馬鹿には理解できないみたいですから。ってそんな事より、早くしないとまた道が崩れそうですよ。どうするんですか終演」
人差し指を立て、振り子の様に何度も左右に振りながら終演は話し出す。
「考えるんじゃ雷祇よ。何故ワシがわざわざカイヤックを先に行かしたと思っとるんじゃ。まさか風のためだけ、とでも思っとるのか? 甘いんじゃよ、それではな。お前さん達には言ってなかったんじゃが、魔法の泉とは魔力を限界にまで高める泉の事じゃ。どういう経緯で作られたかワシは知らんが、その効果は聞いたことがある。それは、魔力を限界まで満たしてくれる水。これを紫月が飲めば、魔渇病の乾き以上の潤いで魔力が満たされ、魔渇病は消滅するはずじゃ。じゃがな、これには簡単に言えば、魔法の泉の水を飲めば、誰でも魔法を撃てるようになる、という事が言えるんじゃよ」
「え? じゃあ、修行もなしに、誰でも魔法使いになれるんですか、その水を飲めば」
「多分そうじゃろう。しかも、魔法使いのように、修行などで力などが弱くなる事もないじゃろうし、魔道丸と違って命を削らなくてもいいはずじゃ。どういう風に魔法が撃て、どの精霊に力を借りれるか、そこまでは分からん。だがな、こんな素晴らしい水を――」
「人間が放っとくわけねぇか。そんなものを狙うってんだから、相当自分に自信がある奴が来るんだろう。そうなりゃ、魔法と剣が使える魔法剣士になれるわけか」
「そうじゃ。言えば、確実に欲しがる奴は出てくる。それを魔法使いも予想して、塔などを作り、そこに保管した。もちろんそれだけでは、万が一に塔を見つけられた時に簡単に奪われてしまう。じゃから幾つものトラップなどを仕掛けているとワシは踏んどった。そしてその予想は当たり、今の様になっておる。分かるか? ワシは先頭に盾を歩かしとるんじゃぞ、盾を」
「……あのよう、何か無性に嫌な予感が――」
終演の言葉を理解したのか、少し走り疲れて険しくなっていた雷祇の顔に、満面の笑みが浮かび上がり、手を叩いて分かったアピールをする。
「あ、そういうことだったんですね。僕たちの前を行くのは盾なんですね。あぁ、そうか。さっき、僕の出番を取った盾なんですね」
「…………だからよう、嫌な予感が」
カイヤックの予感が現実に近づく。走っていたはずなのに、後ろから腰の辺りを2人に捕まえられ、足が前に進まなくなる。
「いや、な、何考えてんだ、2人とも。落ち着いて話そうじゃね――」
「何って、簡単ですよ。今飛んできている砲弾が、道に落ちなければ安全に塔まで行けるじゃないですか。だから、飛んできている砲弾、全部体で受けてもらいます」
顔中の筋肉が引きつるだけ引きつるカイヤックと、天使のような微笑を浮かべる雷祇。そんな3人に向かって砲撃は止む事無く続いている。そしてついに、砲弾が3人に降り注ぎだす。
「あれですよね、走らないほうがいいですよね。だって、面白くないですもんね」
「面白い云々じゃなく、俺の命が――」
「そうじゃ、確実に塔まで行かんことには始まらんからな」 “すまんのう、カイヤックよ。たまにこうして、雷祇のSのスイッチを押しとかんと爆発が怖いんじゃよ。この前のような、城のような状態がのう”
「さぁ、歩きましょう!」
「いや、ちょ、ば――」
一撃目は、カイヤックの顔面に直撃した。目の前で強い光と煙が上がるのを見ながら、雷祇はなんとも愛らしい声で歓声を上げる。
「目の前で見る打ち下ろし花火も、中々風流ですね、終演」
「そそ、そうじゃのう」 “塔に着くころには、死んでるかものう”
終演はそう思いながら、雷祇は楽しみながら、盾は盾の役割をしながら、塔に向かっていた。
7
「し、死、死ぬ……」
「……ォホン! カイヤック、誰にやられたんですか」
褒めることしか出来ない人間でも、思わず貶してしまうほどヘタクソな演技と棒読みをし終わると、雷祇はカイヤックを揺すり出した。力の限り、全力で揺する。首が折れてしまうんじゃないかというくらいカイヤックの首が前後する中、さらに力を増して揺する。それでもカイヤックが無反応なのを確かめて、徐に雷命を鞘から抜き、心臓に突き刺さるように繰り出す。
「何で!」
その時雷祇から溢れ出した殺気に気を取り戻し、突き刺さる寸前で雷命を掴んだカイヤック。
「チィ!!」
「……ものすっごい舌打ちしたような、今」
「何のことですか?」
作り出す笑顔は、人形でも作れないほど可愛らしいのに、カイヤックには恐怖の感情しか芽生えない。
「いや、あの、まあ、それは置いといていいわ。それよりも、何で雷命突き刺そうとしてんだ? 確実に殺そうとしてるだろ?」
「そんな事ないですよ。ただ、なんだか苦しそうだったんで、息の根止めてあげようと思って」
「丸々そんな事だと思うが……」
「チィ! 何で死んでないんだ? また僕の番を取るつもりじゃ」
“まだ、まだ怨んでんのかよ。それよりもなんで俺なんだ? 普通、2つ魔法を消した爺さんを怨むだろうが”
「ほれ、油断するんじゃないわい。本番はこれからなんじゃからのう」
ふざけていた、というよりも気を抜いていた2人に終演が言った言葉、それは正しかった。黒の塔を前にしても、なぜか緊張感が沸かないのは、塔の全貌が見えないことと関係はないようだ。けれど、先程までの道と違い、塔の周りや塔の扉の前に来ても何も起こらず、静かだった事が関係していた。雷祇とカイヤックの心の中には、塔に辿り着く事が最大の難関だと感じていたからだ。しかし本当は、辿り着くまではただの前段階でしかなかった。
「やっぱ、何もねぇか」
黒の塔の扉は普通に開き、開いた後も何も無く、中に入って1階を調べるも、特に変わったことや罠なども存在しなかった。その事に軽く残念な気持ちがあったのか、カイヤックから出た言葉は、直接そのままの言葉ではなかったが、つまらないと聞こえる言い方だった。
「そうですか? 僕は何もないに越した事は無いと思うんですけど」
「そうか? 何もねぇってのは、逆になんか怖くねぇか? 最後には何もねぇみたいに思っちまうぜ、俺は」
2人が2階に続く階段を上りながら、そんな感じに話し合ってるのを終演は無言で聞き流していた。
その階段の時でも何も起きずに、何も無く2階へと辿り着く。何もないといっても、2階に初めて足を踏み入れる時には警戒をしたものの、それも数歩でなくなり、部屋の真ん中に着く頃には気を完全に抜くカイヤック。
「はぁ〜、何もねぇなぁ。退屈だな」
「退屈って、何も……。何か音しますね? 鉄の音、かな」
気を抜くカイヤックに呆れる雷祇だったが、不意に聞こえてきた音に耳を欹てる。それは終演もカイヤックも同じで、その音を聞いた瞬間に一気に気が引き締まった。
「こいつは、鎧を着てる奴らが歩いている音だな。随分綺麗に揃ってるようだが、少し妙だな」
「妙?」
「あぁ、重量がまるで感じられねぇ。この音じゃあまるで――」
「中に人が入っとらん、か?」
「あぁ、そう感じる。だが、人が入らねぇで鎧が動くわけねぇよな」
「そうですか? ここは魔法の塔なんで何でもありなんじゃないですか」
「そういうことじゃ。何はともあれ、退屈は解決されそうじゃぞ」
3人が部屋の真ん中でそれぞれの武器を持って待ち構える。その3人の耳には、徐々に大きく響き渡る一糸乱れぬ足音が何者かが迫り来ていると知らせる。
「さあ、おいでなさったぞい」
その言葉と共に3階に続く階段から姿を現したのは、右腕には剣を、左手には盾を装備したプレートアーマーの軍団。装飾などなく至ってシンプルな作りをしている鎧達だが、色は戦場には似合わないであろう真紅の薔薇のような色をし、鉄ではなく鏡で出来ていると思わせるほど鎧は磨き上げられている。
「何体出てくるかな?」
階段から下りてきた鎧達は3人と少し距離を取り、行進を止めて今度は整列し始める。1列につき10体並ぶらしく、軍隊のようなきっちりした動きで最前列が並び終わると、次の列を作り始める。その2列目までが綺麗に並び終わり、3列目が並び始めたその瞬間、終演が躊躇い無くケルベロスを放った。
「ひでぇなぁ、爺さん。せめて並ぶまで待ってやれよな。けど今ので、確かめれたな鎧の中身」
「何も無かったのう。それよりもほれ、お前さん達2人は接近戦じゃろ? さっさといって片付けんか」
ケルベロスで丸々1列目が吹き飛ばされ、その時に吹き飛んだ鎧はカラカラと音を立てて飛び散り、中身がないことが確認できた。それを見ても先程話していたので、雷祇には特に驚きがなく、終演の言葉で鎧達に向かって走り出した。
「おい、置いてくなよ!」
終演と少し話したカイヤックは、その間に行動し始めた雷祇に遅れて鎧達に向かう。その時鎧達はというと、3列目がやっと並び終え、2列目が構えたところだった。
“まだ動かないな”
雷祇はそう考え、2列目の一番左端に斬りかかる。その雷祇の動きに鎧達はまったく反応できずに、あっさりと斬り倒されていく。とは言っても、雷祇は一撃で1体しか倒せなかった。それでも吹きぬけるそよ風のように4体の鎧を一瞬で倒した雷祇に、ようやく動き出した1体の鎧が雷祇に向かって斬りかかった。
“遅い!”
が、雷祇とは比較に出来ないほどの遅すぎる攻撃。それは雷祇も分かっているらしく、雷命で弾くのではなく一瞬にして斬り込んできている鎧の懐に入り込み、その勢いのまま鎧を斬り倒した。その時にはすでに雷祇の後ろに1体の鎧が回り込んでおり、雷祇の背中に斬りかかっていた。
「しゃがめ、雷祇!」
そこでようやく追いついたカイヤックが、雷祇に声を掛けたと同時にイクリプスを横薙ぎに振り回す。雷祇は雷祇で、そのカイヤックの姿が目の端に映っていたのでカイヤックの声が聞こえる前に屈んでいた。するとその雷祇のすぐ後ろに、床が抜け落ちそうなほど思いっきり踏ん張ったカイヤックの足が落ちてきた。
「うぉぅらぁ!」
その声と共に、雷祇の頭の上を突風を纏ったイクリプスが通過する。そして続けてイクリプスをカイヤックが横薙ぐと、たった二撃で残っていた15体の鎧を倒してみせた。
「もう少し加減してください。巻き込まれたらどうするんですか」
「お、すまねぇすまねぇ。つい力が入っちまってな。それよりも何だ、このショボイ鎧どもは。折角楽しめると思ってたんだが、これじゃあ――」
「楽に進めますね」
砕け散った鎧達の残骸の上で話している2人の横を、早足で無言のまま3階に向かう終演。その終演の姿に、一瞬顔を見合わせた2人は慌てて後を追う。
“おかしい。こんなに簡単に上に上がれるものなのか? 遠くじゃったから正確ではないがワシが見た限り、6階が最上階。そこまで、いや、魔法の泉の水を手に入れるまで何も無ければいいんじゃが……”
8
「あの人は?」
テーブルの上で子供達が起こした小さな戦争の後片付けをしながら、紫月が黒火に聞いた。食事の時、会話をするどころか1度も目を合わせてくれなかった紫月の言葉に、皿を洗う手を止めて黒火は体ごと紫月に向ける。
「え、あ、あの人って終演さん達の事?」
黒火の方を見ないで、紫月はテーブルの上を台拭きで拭いている。それでも黒火の言葉には、返事の代わりに頷き返した。
「よね。それ以外ないもんね。終演さん達は――」 “あ、言ったら不味いかも……。ど、どうしよ……。でも下手に隠してもバレるだろうし、でも本当の事言ったら――”
「ろひ、黒火。ねぇ、黒火!」
「あはい」
俯いてブツブツ言っている黒火に、紫月が怪訝な目を向けて名前を呼んでいた。
「本当の事言ってよ。別に黒火が嘘言ってもしょうがないんだから」
「分かった……。終演さん達は、その、黒の、黒の塔に行ったわ」
黒火が何か隠していると予想はしていた紫月だったが、意外な言葉に驚いてすぐには声が出なかった。ただその驚きは長くは続かず、顔にはすぐに憎しみが湧き出てきていた。
「バカじゃないの! 今更何のつもりなのよあの人は! 何がしたいかなんて知りたくもないけど、ただの人間が最上階に行けるはずないのに。まさか黒火、塔の秘密、あの人に教えてないでしょうね? といっても、教えたところで魔法使いがいないと一緒だけど。それでも、教えたなら村の掟を破る事になるから、教えてないでしょ?」
「教えてないよ、紫月……。けど、けどね、あなたは話さなくていいの、終演さんと。もしかしたら、もう2度と会えないかもしれないのよ。それでも――」
紫月はテーブルと黒火に背を向けて、「ないよ」とだけ言って喋るのをやめた。
「すげぇ〜、獅子の話獣なんて初めて見る……」
「カッコイイ」
「鬣、鬣が靡いてるぅ!!」
バナンを囲み、間近に見る話獣に感嘆の声を上げる男の子達。その声に、満更でもないバナンは格好よくポーズを付ける。その度に男の子達が感嘆の声を上げるので、またバナンはポーズを変える。バナンと男の子達は延々とそれを繰り返していた。一方、静華の周りには、女の子達が集まり、色々な事を話していた。主に、雷祇の事が中心のようだが。その部屋に、黒火と紫月がやって来て、紫月が静華を見る。
「ねぇ、黒火。あの女の子、目が見えないみたいね。それに――」
「それに?」
静華から黒火に視線を向ける。
「不思議な雰囲気じゃない? そうまるで、母のような」
「そうね、何だか不思議な力は感じるわ。けどそれがあなたのお母さんと同じ力かは、私には分からない。それに、魔法使いじゃないと思うけど……」
「うん、でもなんかね。それと、さっき居た男の子。あの子も力を感じた」 “けど、その力は私が最後に母を見た時のような感じだけど”
「そうかな? 私はあまり――」
少し前に出ていた黒火の耳に、後ろで何かが崩れた音が聞こえた。
「紫月どう、紫月!」