第4章 森の声 (2)
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“殺気!”
タンポポの綿毛が吹かれたように飛び散る僕の枕の羽毛。
“あ、危なかった……。最近されてなかったから、もう少し気をつけて寝なきゃな。テヘ” 「っておい! 何やってんですか!」
「何って、久々に動く的を撃つ練―」
「ほぉ〜。昨日おかしかったから、心配してやったっていうのに、その僕に対してこの仕打ちですか?」
綿毛の様に払ってもすぐに振り払えない羽毛が、僕の頭に血を昇らせる。
「いや、なんじゃ、その―」
「おはようございます」
そんな中で目を覚ました静華。僕の雷を避けたいらしく、静華を避雷針代わりにするように後ろに回りこむ。
「静華嬢、雷祇が怖いんじゃぁ〜。ワシを怒るんじゃよぉ〜」
「え、あ、そ、そうなんですか。駄目ですよ、雷祇。終演さんを苛めたら」
まったく状況を把握できていない静華が、見当違いの場所を叱る。
「……。まったく、昨日とは別人じゃないですか」
窓は黒く塗り潰されているので、出発までかなりの時間があるとすぐに分かった。
「まだ魔獣捕獲まで時間があるようなので、朝ごはん取ってきます」
「ワシもお願いするぞ。言っとかねば、静華嬢の分しか持ってこんじゃろ」
「だだ、おでも……」
絶命寸前のような声が、ベットの上から頼りなく飛んできた。
それから僕は、全員分の朝ごはんを部屋に運んだ。僕と静華、終演はすぐに食べはじめたが、カイヤックだけは体のネジを巻かれるのを待っているようだった。僕たちがご飯を食べ終わっても、まだ世界は目覚めようとしていない。
「あの、おトイレに……」
静華がトイレに行きたいとの事だったので、僕が手を引いて連れて行くことにした。
「なんだ、随分血の臭いさせてるじゃねぇか」
大分マシになったとはいえ、体を動かせるほどネジが巻かれていないらしく、起き上がれないでいるカイヤック。
「かなり消したつもりなんじゃがな。お前さんにはバレるか」
「当然だ。雷祇と嬢ちゃんは騙せたようだがな」
「まあ、この森に入ればこんな事もなくなるじゃろう」
「そうかい。ま、あんまり心配させねぇこった。嬢ちゃんはもちろんだが、雷祇もな。例え、その2人の事だとしても」
落ちる声の質が示すのは、カイヤックが核心に迫ったという事。
「お前さんは、どこまで想像できとる?」
「……さぁ、さっぱり」
僕が部屋に帰ってきても、テーブルの上には朝ごはんが残ったままでいた。
「食べないんですか、カイヤック」
「まだ動けそうにねぇんだよ。朝は苦手、って飯食ってねぇか、おい」
「ふぇんふぇん」
「……」
結局、カイヤックが動き出す頃には、世界は目覚める寸前になっていた。
静華には昨日の夜のうちに、危ないから部屋に残ってもらうと話しておいたので、僕たちは用意を済まして扉に向かう。
「初めまして」
するとその扉から、女性の警備隊員が部屋の中に入ってきた。僕が昨日のうちに、クローに女性の警備隊員を付けてほしいと話をつけていたからだ。その警備隊員を中に招いて、代わりに僕たちが部屋の外に出ようとした。
「みんな、気を付けて、いってらっしゃい」
静華の何気ない、けれど普通の送り出しの言葉に、終演とカイヤックは普段と変わりのない声で答える。そして僕も。
「それじゃあ、いってきます」
けれど僕の心の中は、柔らかな日差しを浴びた時のように暖かくなっていた。
“そうだよな、初めてだよな。いってらっしゃい、なんて言われたの”
集合場所に集まったのは、どうやら僕たちが最後だったようだ。森の見える位置に設けられた集合場所には、クローを初めとする警備隊員と、昨日の5人がいる。警備隊員はすでに準備を終えているのか、いくつかのグループに分かれているが、旅星はクローの周りに集まっていた。
「随分遅い到着で」
レイニアのその言葉に反応する者は誰も居らず、気まずくなったのかハリケーンの後ろに隠れるようにレイニアが下がったところで、今回の魔獣捕獲作戦が発表された。
旅星のテンペスト、音の3姉妹、そして僕たち。この3つの旅星は、そのままのグループとして森に入ることになった。警備隊は5グループ10人編成で組まれることになり、それぞれのグループ間は約2分でいける距離を保ち、虱潰しに森の中を調べるという内容だった。
“意外と簡単な内容だな”
僕の考えはどうやら皆が思っていることのようで、「何か、質問はありませんか?」とのクローの言葉を、聞こえなかったかのように殆どの人間が無視をした。ただ1人、レイニアだけを除いて。
「おいクロー。もし、魔獣を1つのグループが見つけて、その見つけたグループだけで捕獲した時、報酬はどうなるんだ? まさか、他のグループと同じ金額って事はないだろ?」
「報酬、ですか……。それは考えてませんでしたね……。分かりました。その場合は、5倍の金額をお出ししましょう。勿論これは、警備隊員諸君にも当て嵌まると思ってもらって構わない。だから、君たちには頑張ってもらいたい」
“まるで演説だ”
この演説の効果は絶大だったようで、警備隊員たちの士気の高まりが風に揺れる森のようにざわざわと広がっていく。警備隊員全員の士気が高まった頃合を見計らって、クローが暴発しないように鎮めた。そして、森に入る位置についた僕たちに、作戦開始を告げる星の目覚めの日の眼差しが世界に行き渡った。
僕には、森の中に入る前から不思議に思っていたことがあった。
立ち並ぶ木々と同じく、天を目指して聳え立つ大きな岩の柱。小さい物はカイヤックが背伸びをして腕を伸ばせば頭を掴めるほどの高さだが、大きい物はまるで青空を支える柱かと思うくらいの太さと長さがある。それが幾つも森には生えていた。
そんな事を思いながら森に入った僕たちは、暫くしてから話しを始めた。それは森の中に呼吸の音や、心臓の音が聞こえないため。
「おい、爺さん。あれだけの警備隊員は必要か? どう考えても―」
「無駄死にするだけじゃろうな。魔獣捕獲はかなりの手練れた旅星しか無理じゃ。ワシらの前に来た者達は、その道の人間。それが全滅したんじゃ。強いとはいえ、警備隊員は所詮旅星よりも遥かに劣る。10人いたところで、今回の魔獣には何も太刀打ちできんじゃろう」
「なら、どうしてこんな作戦を考えたんでしょうか?」
「意地でも生け捕りにしたいんじゃろ。じゃから、犠牲者がいくら出ても関係ない。魔獣の位置さえ分かればどうにかできると考えているんじゃ。まあ、それでどうにかできるとは思わんが」
「魔獣の位置、ねぇ。惨い事させる」
僕には分からなかったので聞いてみた。なぜ位置が分かるのか。
「……。断末魔の叫びじゃよ。その叫びが聞こえた方に、自然とワシらの意識が集中する事で、少しずつ魔獣を追い詰め、最後にワシら旅星の生き残ったグループが生け捕りにする寸法じゃろう。まあ、それほど上手い作戦とは思えんが、仕方なかろう。それに、断末魔を上げれるかどうかも分かりはせん」
「じゃ、じゃあ、初めから警備隊の人たちに期待なんかしてないってことですか? 彼らは、死ぬことを前提にされて……。そんなの酷いじゃないですか! クローさんは何を考えているんですか」
森の眠りを覚ますのには十分大きな音量で、僕の言葉は森に木霊した。けど、2人は僕の言葉に賛同してはくれなかった。
「クローが好き好んで立てた作戦ではなかろう。大体、こういう作戦は本部からの指令じゃ。あやつは旅星2チームを失ったんじゃ。断る事が出来んかったんじゃろう。それに、警備隊員達も理解できている者が大半じゃ。死ぬ覚悟なら出来とるじゃろう」
それから僕たちは無言を作る。ゆっくりと、僕たちが一歩踏み出すのと同じ位の速さで明るくなる森で、僕たちは闇に沈むように、ただ静かに神経を研ぎ澄ませるために。前方は終演、右がカイヤック、左が僕。それぞれが微かな物音ですら聞き逃さない覚悟で、ゆっくりと一枚一枚の葉の間にまで神経を張り巡らした。
そして僕たちが森に入って2時間が過ぎた。
それは何の前触れもなく、僕たちを明るい森へと引きずり出す。悲鳴というよりも、死に逝く者の体から漏れる、小さな虫が握りつぶされる時と同じ音。その音が咲いては消え、咲いては消えた。
「糞! 何で気づかなかったんだ! 俺はちゃんと集中してたはずだ!」
その音の演奏会が終わる前に、せめて奏でている者の姿だけでも見ようと走り出す。走っている最中でも、自分が気を張り巡らせていた右側から聞こえてきたことに、悔しさを面に出している。
「仕方なかろう。ワシとて気づきはせんかった」
「そういうことです。今は取り敢えず急ぎましょう」
演奏会は、僕たちが着く1分弱の間に綺麗に終わりを迎えていた。演奏に惚れた人々が流す涙の代わりに血の涙を、拍手と共に投げ込まれる赤い薔薇の代わりに新鮮な肉塊を残して。
「おい、嘘だろ……」
「こんな、短時間で、僅かな時間だったのに、どうして……」
「ワシらの予想を超えておるんじゃろうな、今回の魔獣は。10人を捌いて、音も気配もなくこの僅かな時間で消えたんじゃ。おそらくこんな事が出来る魔獣は―」
終演の言葉は、強烈な不思議な音に掻き消されて、僕の耳に届かなかった。
「な、なんなんですか、一体?」
「さあな」
「森が目覚めたんじゃろう。森を汚す人の血の匂いが充満した事で」
今僕たちを包んでいるのは、先程の演奏会のような音ではなく、荒れ狂うような森の声。打ち鳴らされる太鼓や、吹かれるラッパ、ハーモニーで奏でる合唱。その全てが森に住む動物たちによって、人の死の喜びを表現している。
「どうしたの? 一体何があったのよ! このバカみたいな音と関係が!」
その声が、森の声に掻き消されそうになりながら僕たちに届いたのは、この場所に着いてから約2分後だった。終演が何か攻撃の後を残していないか捜し、僕とカイヤックは少し離れた場所にいる。僕にカイヤックが付き添ってくれているから。
「少なくとも、1番下の嬢ちゃんは見ねぇほうがいいぜ」
「分かったわ。梨音、美音、2人はその子と一緒に残りなさい」
そして、石に座っている僕の横に2人が歩いてきた。僕の場所からなら、演奏会のあった場所は見えない。
「こ、これは……。い、一体何? 何があったのよ?」
「元は人、今は血と肉だけになってるがな」
「そんな……。ここには、どれくらいで着いたの?」
「約1分ってところじゃろう」
「1分。じゃあ姿ぐらいは見たんでしょ? どんな魔―」
「何も見とらんよ。ワシらがここに着く頃には、姿どころか気配すら残っておらんかった」
「な、何言ってるのよ? え、どういうこと? 訳が―」
「これをした魔獣は、一分、いや三十秒と掛からず、音と臭いと気配と共に姿を消したんじゃよ」
「そ、そんな、そんな魔獣聞いたこともないわよ!」
「だから未確認なんじゃねぇか?」
それからさらに4分後、テンペストの2人が到着した。
レイニアは先程の僕よりも酷い状態に陥っていたが、ハリケーンは驚くことなく冷静でいる。
「不思議だと思わないかい?」
「何がです?」
戻してしまった方が早く楽になっただろうけど、女の子の前だったので僕は飲み込んで、落ち着くまでに時間が掛かった。けれど、今はもう平気になった。
「なぜここに来たのが俺達だけなのか? 君は不思議に思わないかい?」
「あ……。言われてみれば、そうですね」
ここには僕たちを含む旅星8人しか来ていない。
「そんな事は決まっておるじゃろう」
そう前置きをしてから終演が話し始めた。
「悲鳴が聞えても持ち場を離れるな。これが警備隊員達の命令には含まれておるんじゃろう」
「やはりそう思いますか」
「当然じゃ」
大きな声を上げる代わりに、苛立ちをカイヤックは舌打ちで晴らした。確実に森の声よりも小さな音を敏感に聞き取った3姉妹とレイニアは、心の恐怖を出したかのようにビクリと体を縮ませる。
「お前さんの相棒は相当参っとる様じゃな」
「えぇ、こういう場面は見慣れていないのです。しかし、困りましたね。今戦力と呼べるのは、私を含めて4人しかいません。3姉妹とレイニアは役に立たないでしょう」
「だったら、全員で行動しませんか? その方がまだ安全だと思うんですけど」
「それが1番じゃろうな」
「分かりました」
そして僕たち旅星は共に行動することとなった。
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「よ、よ、よかったな。お、俺らが、一緒に、行動してやるんだ。心、細くは無いだろ。はは、はは、わははは」
「……。俺は別にいいぜ。俺とお前だけは、1人ずつ行動してもよ」
「な、なに強がりを。い、いいいぜ、俺も―」
「いい加減止めろ。声が震えているぞ。お前と3姉妹には、後ろを見てもらってるはずだ。この五月蝿い中、気配を読み取るのは難しいんだ。4人で後ろにいろ」
森の声が僕たちを包む中、レイニアは後ろの3姉妹たちのところにまで下がる。僕たち4人は前を、後の4人は後ろを見ている。
「すいません。あいつは、口だけは1人前なんです」
「いや、いいんじゃないのかのう。意外とああいう奴が大物になるやもしれん」
他愛もない話、絶対にないと僕に思わせる言葉。まだ脅したりなかったと悔やんでいるカイヤック。こういう時に、なぜだか緩む僕たちの雰囲気。しかし、緩んだ雰囲気が気に食わないのか、森の声を上げさした指揮者が一気に森を鎮めてみせる。
「森の声が、止んだ?」
森が死んだかのように静まり返る。
「随分と不気味じゃねぇか」
「どうなっている」
「また始めるんじゃろう、解体を」
そして響き渡る。静かな森に人が最後に上げる音が。
「後ろのお前さんたち、よく聞くんじゃぞ。これからあの音は3つ聞える。3つ目の音が終われば、次にワシらに来る。それまであの音を聞きたくなければ耳を塞いでおれ。残り3つが終わった時に、ワシのこのデカイので木を殴る。それが合図で、ワシらに続いて近くの石の柱に全速力で走れ!」
「わ、分かりました。梨音、美音、耳を塞いでおこうね」
「こ、コワイよ、おネェちゃん。あたしたちはどうなるの」
「大丈夫よ、美音。大丈夫だから耳を塞ごうね」
「うん、分かった……」
3姉妹は、美音を庇うように2人が脇に立って耳を塞ぐ。
「い、いや〜。じゃ、じゃあ、そ、それまで、お、俺は、寝る、でもしよう、かな」
最後は訳の分からない事を言って、レイニアも耳を塞いだ。
「おい爺さん、いいのかよ? あんなこと言って。何で俺たちが最後なんだ。そうとは限らねぇだろ」
「何言うとる。相手は分かっとるんじゃよ、ワシらが一番強いと」
「どういうことでしょう?」
「分からんか? 数の多さからいえばワシらが一番多いのに、ワシらには来ておらん。何せ、ワシらのすぐ右隣が殺られたというのに、今度は左隣。3姉妹がおった1つ横ののう。まるで生かされてるとは思わんか?」
「どうしてそこまで―」
「ワシを誰だと思っとるんじゃ? 終演じゃぞ」
1つ、また1つと、命の最後の演奏は奏でられ、そして聞こえなくなる。
その度に上がる森の声が、僕たち人間に対しての怨みのようでならない。
そして3度目の森の声が止んだ時、最後の演奏が始まり、そして終わった。
それと同時に終演は木を殴り、皆が一斉に石の柱に向かって走りだした。
大きな石の柱の影に入った僕たち。
「おい、ジジイ、どうすん、だよ」
何十キロも走ったかのような息の上がり方をしているレイニア。3姉妹も少しは息が上がっていたが、レイニアほどではない。後の、自分を含めての4人は息なんて上がっていないけど。
「もちろん迎え撃つんじゃ」
聞いてはいけない事を聞いてしまったような顔を作り、レイニアは声も出ていない。そのレイニアに代わり、祢音が何か言おうとしたが、その言葉は森の声ではないものに掻き消された。
グワァァァン!!!!!!!
その遠吠えは、全ての音を掻き消した。どの方向からでも聞こえる森の声よりも、さらに大きく、僕の心の中と体の奥深くに恐怖を植えつける。
「ひ、ひぃい」
逃げ出したくなる心が、レイニアの怯えた声で我に返る。
「邪魔になるから、柱にくっ付いといてください」
遠吠えから静まり返る森の中に、感覚が狂って大きくなった僕の声が響く。そんな僕の言葉に従って、レイニアと3姉妹は柱に抱きつく。そんな4人から距離を取って前に出た。
「さぁて、やろうじゃねぇか」
「お前に言われるまでもない」
「そうかよ。で、今回のような魔獣と会った事は?」
「……。一瞬で人を肉塊に出来る魔獣になど、1度も会った事はない」
「へっ。頼もしい限りじゃねぇか」
僕の左にハリケーンが、右にカイヤックが歩み出た。そのカイヤックの横に終演がケルベロスから布を剥ぎながら出てくると、僕たち3人も戦闘態勢に入った。
“来やがれ!”
“何処から来る?”
“もう少しじゃろうな”
“来る!!”
ゴーーゥ!!!!
風を切る音が僕たちを包む。
“あれ?”
先程まであった左の人影が、突然大きく僕を覆い隠すほどの大きさに変わっていた。
「ぐはっ」
僕の耳に届いた微かな呻き声は、石が崩れる音混じり。その呻き声はハリケーンからだと分かったが、後ろを振り返れずに、ただ僕は見つめていた。そう、今目の前に居る魔獣に見惚れていた。
「何をしとる!」
その声で現実に戻ったのは、僕とカイヤック。
「な、何なんだ、こいつぁ……」
“鬣がある。まるで、獅子だ。だけど、そんな魔獣聞いたことがない。獅子系の魔獣なんて”
まだ現実に戻りきれていない僕は、ただその魔獣を見ていた。勇猛にして美しく、威厳すら感じるその姿は正に威風堂堂。風に靡く鬣の奥から、大きく見開いた目が僕たちを捕らえる。その魔獣の威圧感に、後ろの4人は息すら出来ていないようで、吸いきれない呼吸音が聞こえる。
ドゥクゥン!!!!!!!!
そんな空気を諸共せず、終演は僕に目掛けてケルベロスを撃ってくる。
「ちょ!」
扱けるように避けた僕の目の前を、ケルベロスの弾が通過する。
“ギリギリ”
その弾は僕を狙った物でなく、僕を引き裂こうとしていた魔獣の前足を狙った物だった。しかし魔獣はその弾に前足を掛ける。すると弾は軌道を変えて地面にめり込んだ。
グワァァ!
どうやら弾を踏み台にしたらしく、魔獣は大砲に撃ち出されたかのように終演に飛び掛った。
「やらせるかよ!」
2発目を撃てないでいた終演を庇うように、魔獣の前に飛び出たカイヤックだったが、移動しながらの防御だったために、完全に防ぎきれずにすぐに防御ごと体を石の柱に向けて、投げられるように吹き飛ばされる。
「すまねぇな!」
「十分じゃ」
カイヤックが吹き飛ばされる方向とは逆に跳び、魔獣の顔を目掛けてケルベロスを放った。
“よし、直撃じゃ!!”
だが終演のこの攻撃も、ケルベロスから弾が出る瞬間には魔獣は後ろに跳んで避けていた。
「ちっ! 無傷かよ」
吹き飛ばされたはずのカイヤックが、もうすでに終演の横でイクリプスを構えていた。
“ケルベロス、避けるので精一杯だった……”
目の前の一瞬の出来事に、立ち上がりながら頭を整理する。そんな僕を、まるで見透かしたように喋りかけてきた。
《何も出来なかったと、悔やんでいるのか?》
“あぁ、何も出来なかったよ。お前……え?”
「やはりそうか。厄介じゃな」
「え……。ま、待ってよ! 今、確かに喋りかけられたよ。僕は今、ちょ―」
「そう慌てなさんな。こいつが世に‘話獣’。だろ? 爺さん」
頷く終演。
《ほぉ。我の存在に驚かんとは、中々の小僧どもよ》
「そ、そんな、魔獣が喋るなんて……」
「魔獣は言葉が理解できるんじゃ。その魔獣が何百年、いや凄い奴になれば何千年と生きれば、喋れるようになって当然じゃろ」
「俺の記憶が正しけりゃ、不死身じゃなかったけか? 話獣と神獣ってやつは。転生を繰り返し、死ぬことなく強くなり続ける。しかも、こいつは完全に喋れてやがる。ヤベェぐらい強いはずだろ。そうだな、爺さん」
「そうじゃろうな。さて、話獣相手にどうするかのう」
“何で、何でこの2人はこんなに冷静でいられるんだ?”
僕は2人の普段と変わりがない仕草や、声の高さが不思議でならなかった。しかし、そんなことを深く考える時間を、話獣は与えてくれない。
《貴様ら人間は、我らが住処にして、安息の地であるはず森林を汚した。伐採やくだらん人間どもの争いで、森は幾度となく汚された。貴様らくだらなき人間が、この星は自分達の物だと言わんばかりに……。例え貴様らが直接関係なくとも、愚の骨頂たる人という種族に生まれた事自体が、万死に値する罪なのだ。よって貴様らには、我らに死をもって償ってもらう!》
「ご高説ありがとよ!」
話獣は草むらから飛び出す前のように体を低く構えると、合図が出されたようにカイヤックに向かって飛び出した。
“さっきよりも、速ぇのかよ!”
先程よりも速く動き、一瞬で間合いを詰める話獣。振り上げられる爪も先程よりも速くなっているが、カイヤックも攻撃するのに十分な態勢から、振り下ろされる前足目掛けてイクリプスで斬りつけた。
「おらぁあ!!」
《無駄だ、小僧》
話獣のその言葉通り前足どころか、前足を覆う毛すら斬れてはいなかった。
“ヤベェ!”
話獣はカイヤックに攻撃するのではなく、イクリプスに斬りつけられた前足を地面に叩きつけた。それは同時にイクリプスを地面に叩きつけられたのと同じ。
“扱けちまえば、ここで終わりか!”
イクリプスと同じように体が地面に吸い寄せられそうになる。そこを両足を大きく開いて、四股を踏んだ後のようにして何とか止まった。
《これで終わりぞ!》
話獣は連撃を加えるように、イクリプスを押さえつけている前足と違う足で、踏み止まるカイヤックを引き裂こうとする。
「殺られて、堪るかぁ!」
全体重を後ろに掛け、体中を駆け巡る血管を皮膚に浮かび上がらせる。
“何!”
すると、爪がカイヤックに届く前に話獣の体が少し浮き上がり、その足の下の隙間からイクリプスを抜き取る。後ろに倒れながらも、イクリプスでその攻撃を防いだが、先程よりも明らかに強く僕の前を吹き飛ばされて木に激突した。
「この距離なら、どうじゃ?」
その後に出来た僅かな隙を見逃さず、話獣の額にケルベロスを押し付ける。そして聞こえる轟音と共に、一瞬にして話獣を包む煙。
“殺れたか? いや―”
その煙が晴れるのを待たず、逃げるように後ろに跳ぶ終演。その煙の中から、煙を纏いながら終演の顔に狙いを定めた話獣の前足が切りかかる。
「やはりか」
その攻撃があるのを予想していたかのように、終演は前足にケルベロスを撃ち込んだ。その爆風で、飛ばされるように攻撃を避けた。
“チィ! 先が触れたか”
木に激突したダメージは大した事ないらしく、首を1度振っただけで済んだカイヤックは、イクリプスを突き立て支えにして、立ち上がろうと腕に力を込める。
《止めておけ、小僧。貴様はもう戦力外だ》
包まれていた煙が晴れると、鬣が伸びて顔を覆っている姿があった。
「は! 何言ってやが―」
ブシャァ!!!
それは力を全身に込めた時に起こった。先程話獣の爪の先が軽く触れただけの脇腹から、待ちに待った火山の噴火の時の如き勢いで血が噴出したのだ。
「なぁ!」 “と、止まらねぇ!”
立ち膝で傷に栓をするように指をねじ込むが、血の勢いは一向に止まる気配がない。
“糞、ったれ!!”
一気に血が流れ出た事で、力が入らなくなったカイヤックが地面にゆっくりと倒れた。
「カイヤック!!」
“あやつは攻撃自体は完璧に防いだはずじゃった。それにも拘らず、あのダメージとは”
《だから戦力外と言ってやったのだが。さて、次は誰が―》
バチバチ
微かに聞こえるその音は、空気の間を光が縫って走る時に擦れる音。
「貴様!!」
視線はカイヤックに向いたまま、体だけは話獣に斬りかかる体勢。
「!」
カイヤックから話獣に視線を向ける時に一気にブレる色の中、突然大きな黒い物体が雷祇の視界を奪う。それに体が反応できたのは、体を覆う光のお蔭。直撃を防ぐためだったとはいえ、防御に使った雷命が体に斜線を付けてめり込む。
「グッ」
雷祇も2人と同じ様に飛ばされた。ただ、ハリケーンやカイヤックと違い、体重の軽い雷祇の飛ばされ方は、割り箸の銃から撃ち出された輪ゴムとピストルから撃ち出された鉛球ほどの速さの違い。
「ぅわぁ!」
自分の方に飛んでくる雷祇を受け止める事無く避けたレイニアのいた場所は、雷祇を埋めるような勢いで岩が崩れる。それは、雷祇の体重が軽かった事だけを示してはいない。
「雷祇!!」
“なんだったのだ、今のは? もしや、あれが恐怖というものか? 我があんな小僧に恐怖を感じたのか? あの小僧は何者だ? 正体は分からぬとも、我に恐怖を与えた事には間違いがない。生かしておくのは危険だ。まずは小僧から殺すべきだ”
ドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥドゥ
心の中に芽生えた僅かな恐怖。それが話獣を雷祇に向かわせる。だが、終演が黙っているはずもなく、隙の出来た話獣にマシンガンを撃ち込む。
“む、これは?”
「ワシ特製の毒じゃ。いくらお前さんが強いとしても、効かん事はなかろうて」
《小僧!!》
「心配せんでもええ。ほれ、解毒剤はワシが持っておる。ワシを捕まえれば、くれてやるわい!」
《よかろう……。そんなに殺して欲しくば、貴様から殺してくれる!!》
こちらに気が向いたのを確認して、不利になるはずの森の奥に向かい走り出す。その時に、こう叫びながら。
「元気な者は怪我人を宿に連れ帰れ、いいな!!」
「は、はは。お、俺は、少なくとも俺は、そんな事ごめんだ!!」
震える足が、逃げ出せと体に言い寄る。それに素直に従うレイニアは、ある意味素直なのだろう。
「こんな、ことも出来無いのか? おまえは、強いんじゃなかったっけ? 最強に、なるんじゃ、なか、った―」
触れてはいけない場所に触れられたのか、震える体を恐怖ではなく激昂で震えさせる。
「あ、ああ。そうだ! 俺は、強い。最強になる! だからこんなことぐらい平気でやってやる!!」
「そう、か……。よかっ……」
そして、ハリケーンはまた気を失った。
“あれ…体中が痛いな……。もしかして、今、血が流れてるのか? 痛いな…動かないや、体……。一体僕の体はどうなってるんだろう………。一体どう、ん? 何だ……光…―”