第3章 動き出す鼓動 (4)
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「どうなってやがる……」
終演と城の前で合流したカイヤックが見たのは、自分よりも強いはずのサイロックの死を待つ姿。差し込む光が、変わり果てた部屋を鮮明に映し出す。天井はなく、爆発が起こったかのような床の傷跡、大きな石が壁に突き刺さる異様な光景の中、走り出す終演に戸惑いはない。
「お前さんはサイロックの様子を見ろ」
その言葉にただ従って、サイロックの前で立ち止まったカイヤック。迫り来る死を見つめるサイロックが向けた目を、直視できずに視線を逸らす。
「貴様か……。死ぬ前に、また貴様の顔、見るとは、付いてないな」
「チィ。悪かったな、俺で」
「相変わらず、悪態つきおって。そんな貴様に、言葉、呉れてやる。俺はもう、終わりだ。だから、俺に代わ、って、この国を守れ、いいな」
驚きで見てしまった目は逸らさなかった。
「な! 何言ってやがる、正気か! 俺はいくつもの村で村人を殺し、潰し、滅ぼしたんだぜ。それに今だって、星の守護の賞金首のリストに載ってる罪人だぞ! そんな俺が、この国の隊長なんかやってみろ! 何言われるか分かったもんじゃねぇぞ!!」
生気が薄くなる顔に、似合わない笑みを作る。
「フッ、貴様が理由も無く、そんな、こと、するはずないのは、俺が、一番よく知っている。それに、久しぶり、の、貴様の目は、相変わらず曇りがない、綺麗な目だ。分かったな? 貴様、しかいないんだ。俺を超すのは、貴様しか、な。守れ、この国を。いいな」
「おい、俺は―」
「終演、呼んでくれ」
サイロックの目は終演に向けられている。どんな事を言った所で、もう無駄だと思ったカイヤックは、終演の元に向かう。
「爺さん、サイロックが呼んでる」
「らしくないのう、暗い声は。それならお前さんには、雷祇を医者に連れて行ってもらおうかのう。ワシが最期を看取ろう」
片手で雷祇を拾い上げて、足早に部屋を後にするカイヤック。その姿から目線を外して向き合う2人。すると漏れる、懐かしむ笑顔。
「とうとう来たんじゃな、お迎えが」
「フ、そうだ、な。紫水の、次になるとは、思わんかった」
「同感じゃ。次はワシかルミナのババアだとばかり思うっとった」
「そうか、まだ、ルミナも、健在か。それでだ。お前、何処まで、知っている」
消える笑みで、十分理解できたサイロック。
「やはり、かなり、知っているん、だな。まあ、詳しくは、聞かん。無駄だ、からな。紫月の、所に、行けよ。今回、のことは、魔法、以上の力が、働いてるんだろ。それなら、魔法使いを、仲間、にするべき、だろ。それ以外に、も、もしかしたら、対抗、できる術が、あるんだ。強く、してやれ、よ。今のは、全部、最後の友の、言葉だ。必ず、い……け―」
「あ! やっと来たよ〜。何してたの?」
「ちょっとね」
「迎えに来い、って言ったのはキミだよ」
「ごめん」
そう謝ると、手を伸ばし撫でる頭。綻んだ笑顔が示す女の子の好意を、男の子は知らない。
「あれ、それ何?」
嬉しさで気づかなかった女の子は、男の子の手が離れた事で初めて気づいた剣を指差す。
「これかい? 風神ていう魔剣だよ。まだ風の力が弱いから、この魔剣の力を吸収しようと思って」
「ふ〜ん。まだ弱いもんね、キミ」
「……もうちょっと優しく言って欲しいな。あ、そんな事より皆の名前を考えたんだ」
「名前?」
「そう、名前。名前があった方がいいからね。ちなみに私は、風牙にした」
女の子が立てる笑い声で、曇り始めた空が少し明るくなったように感じる。
「私って変だよ。ボクでいいんじゃない?」
風牙も釣られて明るくなる。「そうだね」と言いながら。
「君の名前は‘こおりな’。確か、世界を氷で覆いたいって言ってたから、氷の菜の花で埋めてもらおうと思って。だから氷菜」
不満げな女の子が、頬を膨らます。
「え〜。それよりも……」
「それよりも、何?」
「やっぱりいいや。キミに決めてもらった名前だから、そのままで」
男の子の真剣な顔で、作ってくれた喜びを隠すように背を向ける。そして、女の子は氷のような肌に笑顔を作った。
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「おはよう」
「あ、おはようございます。あの、もしかして、もう皆さん起きましたか?」
「えぇ。終演とカイヤックは、サイロックさんの葬式に行きました。バラバラに」
「あ、そうなんですか……」
「静華はテーブルでご飯食べますよね。それとも先にトイレに行きますか?」
先にトイレに行きたいという事だったので、僕は静華の手を引いてトイレに向かった。
「もしかして、手で食べた事ない?」
トイレから帰ってきて、小動物のように両手で食べるハムサンド。
「いえ、大体手で食べます。零さないように両手で食べるんです」
「あぁ、そうなんだ」 “そうか、僕と終演を基準にするのは間違ってるんだな”
そして気になる事はもう1つあった。
「静華って、そんなパジャマ持ってたっけ?」
「今着ているパジャマですか?」
「そうだよ」
「これは、昨日終演さんがパジャマを着さしてくれる時に、新しく買ってきてくれた物のようです。そう言っていましたから」
「あ、そうなんですか。良かったですね、似合ってますよ」
「そうなんですか、ありがとうございます」
“……あのクソジジイ、金隠してるな。後で搾り取ろうか”
静華を見つめていたが、なぜか僕の心は灰色の町に移る。窓に触れると微かに伝わる振動と冷たさが、町の人たちの気持ちを表してるようで、なんだか切ない。そんな気持ちとは違う疑問が僕の頭を巡る。
“相手は確実に僕のことを知っている。僕の力も、僕が何者なのかも……”
城から続く天国への橋。それは町の人が造りだしたサイロックを送り出すための道だったのかもしれない。大通りの脇に立つ人々は傘など誰1人差さしておらず、地面に溜まる涙と雨の水溜り。その大通りの中心を、サイロックの棺を抱えて通るブリック・キングダム所属の部隊長達。その中に終演の姿が。
「雨宿りか。まだまだ止みそうにねぇな、この雨」
体の下に入り込んだ2つの命に対して、カイヤックは言葉を掛ける。
「パンでも食うか。って食えねぇかな。それなら、中のハムでも食いな」
立ったまま壁に凭れ掛かるカイヤックは、足元にパンを投げる。そのパンに警戒しながら近づいた2匹だったが、食べれると思ったようですぐに飛び掛る。
「おぉ、猫には随分優しいんじゃな。ならワシも雨宿りしていいかの?」
「ふざけるな、何で爺さんを宿らせねぇといけねぇんだ。それよりもいいのか、こんな所来て」
「路地裏という事か、それともお前さんの所という事か」
人々の行列が見える路地裏で、カイヤックは身を覆えるくらいの布を被っていた。
「両方だ」
「ほ、そうかの。ならいいんじゃないか。ワシはあやつのただの友人じゃ、お前さんと違っての」
「……。俺にはもう関係ねぇ事だ」
「そうか、それは残念じゃな。名門のロック家も、今日までという事じゃの」
少し体を壁から離したが、すぐに背中は壁に付く。
「何言ってやがる、分家が3つもあるじゃねぇか」
「お前さんは見とらんのか、そこの倅どもを。あれでは、ロックの名を継ぐのには役不足じゃ。お前さんのような器のデカさがないわ」
「そうかよ。けどな、俺が今あの列の中に入っちまったら、俺を知る人間が数え切れねぇほどいるしよ、それこそ終わりじゃねぇか。今までだって数え切れねぇほどの泥を塗ってきたんだ。世間じゃ、俺がサイロックの養子だなんて知れてねぇ。そっちの方が良いに決まってる」
「そうかのう。ワシはお前さんのことを気に入ってると、今でも思っとるがの。それに、怨むならワシを怨んでると思うが」
大きな布を脱ぐと、しゃがみ込む。
「別に気にしちゃいねぇよ」
「お前さんはな。で、どうするつもりじゃ、サイロックに最後に何か頼まれたんじゃろ」
「……この町を発つのは?」
「今晩にでも」
「そうか、それなら十分だ」
そして2人は別の場所を目指して歩き出す。路地には2匹の子猫の小さな宿が出来ていた。
「た、大変です、バルック団長!」
「騒がしい! 王の御前だぞ」
兵士が慌てて駆け込んだのは、城の一室に移された仮の王広間。
「も、申し訳ございません。ただ、この城にあまりにも大きな賊が侵入いたしまして」
「やはり来たか。兵をこの部屋に―」
兵士とバルックの会話に割り込むように開く扉。そしてそこには、大きな賊の姿。
「も、もう、こんなとこまで……」
狼狽する兵士とは違い、バルックの顔には驚きが。
「貴様は……。カイヤックか? あの、カイヤックなのか?」
頷くカイヤック。その姿に剣を抜くバルックの顔には、怒りが表れる。
「フィレンツ、お前は部屋を出て他の兵士たちがすぐに動けるようにしておけ」
その言葉にただ頷いて、カイヤックに触れないように部屋を出て行った。
「跪けカイヤック。貴様が王の御前に姿を現すなど、あってはならん事。貴様―」
床に跪き頭を下げる。
「王様、頼みがあるんです。俺をもう1度、もう1度この国の兵として雇ってほしいんです」
その言葉に、バルックの怒りが頂点に達する。
「貴様は貴様から我が国を去ったはずだ!! あのサイロックに拾われ、育てられ、全てを教わったはずのサイロックを捨ててだ!! それを今頃、もう1度兵として雇ってほしいだと? ふざけるのも―」
その言葉を聞かず、王を直視するカイヤック。
「今すぐにではなく、今回の、今俺が足を突っ込んじまった流れを最後まで見届けたいんです。その後、その全てが終わった後、この国の兵として雇ってほしいんです」
その言葉の終わりに、動き出すバルック。
「どの口がほざくか!!」
「分かりました」
斬りつけた剣が背中に触れたその時、王のその言葉で動きを止めるバルック。
「お、王……。正気ですか! こいつは―」
「いいんですよ、バルック団長さん」
「ただ―」
カイヤックが言いにくそうに付け加える。
「俺は、あの村々の生き残りがいたなら、そいつらの言葉を聞くと思います。それが例え、死を望む言葉だとしても。それが終われば、俺はサイロックの、団長の……。親父の最後の言葉を聞きたいんです」
「そうですか。ですがあなたには、生きて帰ってきてもらわないと。それは、ちゃんとあなたには罪を償ってもらいたいのと、サイロック団長さんの望みを叶えてもらいたから」
上げた顔には、決意と頭に溜まっていた雨が流れた後があった。
「ありがとうごいざいます」
「待ってますよ。あなたが帰ってくるのを」
雷祇達は列車に揺られていた。
「で、なんて町に行くって?」
「それが、教えてくれないんです。終演さん」
「ホテルに帰ってきてからは、殆ど喋らないんだ終演。多分……」
「多分、何なんだ?」
「あなたには、関係ありませんよ!」
「な、何キレてるんだよ? なあ、教えてくれよ」
「嫌ですよ、何で教えないといけないんですか!」
「教えてくれたって―」
「ふ、2人とも、暴れないでください!」
終演は雷祇達と離れ、月が見えない黒い空に心を馳せていた。
「紫月か……」