第7話:渋谷ダンジョンの魔王様
時刻は深夜。渋谷区二丁目――第2エリア。
僕と凛さんは、地下鉄へと続く駅の階段、その前に立っていた。
渋谷のど真ん中にぽつんと残された、使われなくなった古い入口。壁のタイルは煤け、手すりは錆び、照明は沈黙している。
立ち入り禁止のテープが雑に貼られ、シャッターが下ろされているだけ。……なのに、そこから先だけ空気が重い。まるで入口そのものが、黙って「来るな」と言っているみたいだった。
その前に立つ凛さんは、初めて会った時のようにセーラー服っぽいコスに身を包み、関節プロテクターにグローブ、ゴツい軍靴まで完備していた。配信用に見た目は派手なのに、装備だけはガチ。
そして何より目を引くのは、彼女が背負う背丈ほどの真っ黒なケースだ。
僕の方はというと――そんな装備を整える間もなく、サイズが近いこともあり、まきまき教授の黒いスポーツウェアに、寒さ対策のもこもこの白いアウター。武器なんて当然持っていない。
「あの……凛さん。本当にここなんですか? ただの地下通路に降りる階段にしか見えませんけど」
「ここで合ってるよ」
凛さんは軽く頷いた。
「第2エリアって、そこまで危険じゃないし、貴重な鉱物が出るわけでもないの。結界か何かの影響で、中のモンスターも外に出られない……って言われてる。政府にとって優先度が非常に低いダンジョン」
「それじゃあ、どうして僕たち、ここの調査なんて……?」
凛さんは一瞬だけ視線を泳がせて、でもすぐに僕の目を見て言った。
「何かある。……そんな気がするから。あくまで、あたしの勘だけどね」
彼女の瞳は、いつも通り真っ直ぐだった。
怖いのに、信じたくなる。そういう目。
「そのために、まきまきに頼み込んで、調査させてもらってるんだ」
凛さんはシャッターに近づき、鍵穴をいじり始めた。
ポケットから取り出した二本の細い針を差し込み、器用にカリカリと内部を探る。数秒後。
ガチリ。
鍵が開いた音がして、シャッターがわずかに持ち上がった。
「さ、いくよ」
凛さんが振り向き、僕の瞳を見つめる。
僕は言葉を返せず、ただ小さく頷いた。
先に広がっていたのは、何の変哲もない駅構内だった。改札も、広告も、ベンチもある。――人だけがいない。
二人並んで歩くと、駅の中に僕と凛さん二人分の足音だけが響き続ける。
その単調さが、逆に不気味だった。
「……整備されてないせいか、全体的に暗いですね」
「そうね。電気なんてとっくに切れてるだろうし。はい、これ」
懐中電灯を渡される。手の中で温度が生まれて、少しだけ落ち着いた。
凛さんは歩きながら、配信の準備に取り掛かる。
「ジンバルン、配信開始して。ライトもお願いね」
凛さんが言うと、彼女のポケットからスマホが飛び出した。背面から腕のような機械が伸び、プロペラじみた機構をバッと展開する。
それはドローンみたいに、ふわりと静かに浮かび、凛さんの顔の周りを追従し始めた。
「ハイシンヲ……カイシシマス……」
「しゃ、喋ったぁ!?」
突然の機械音声。僕の声が駅に反響して、余計に情けなく聞こえる。
「喋るよ。人工知能を載せたから、ある程度会話もできる」
「載せた……?」
「そう。ジンバルンは私のお手製改造スマホなの」
凛さんはドヤ顔で、僕の顔を覗き込んでくる。近い。良い匂いがする。
そのまま視線がスマホの画面に移って、何とも言えない顔になった。
僕も恐る恐る画面を覗く。
視聴者数――3人。
コメント――ゼロ。
「……しかたないな。祈里君、こっち来て」
「ひゃっ!?」
腕を掴まれて引かれ、そのままカメラの真正面に押し出された。
配信経験どころか、対人経験も薄い僕に何をしろと――!
「ほら、喋って!」
「え、ええ……そんないきなり……」
「なんでもいいから! ほら!」
促されるまま、僕はカメラを向く。
「ど、どうもこんばんは……」
その瞬間だった。
コメントが――洪水みたいに流れ出した。
視聴者数が、跳ね上がる。
『女神ちゃんじゃん!!』
『今日はなにするの~』
『守りたい、この困り顔……』
『声ちっさ、かわいい』
瞬く間に視聴者は百人を超え、さらに増えていく。
でも僕は、次に何を言えばいいか分からない。頭が真っ白で、喉が固まる。
困り果てた末、涙がにじんだ。
今まではこんなことで泣くことなんてなかったのに。……体が縮んだせいかな。変なところが敏感になってる。
助けを求めるように凛さんを見ると、彼女は優しい笑みを浮かべた。
「……しゃあない」
凛さんは僕の後ろに回り、腕を回して僕の手首を掴んだ。
背中に彼女の体温が近くて、呼吸が少し乱れる。……まずい、視聴者がいる。
そして凛さんは、僕を操り人形みたいに腕をぶんぶん動かしながら――
「はいどうも~……だんじょ~ん!ちゃんねる♪の新メンバー、女神ちゃんで~す」
まるっきり棒読み。
「今日は一昨日のダンジョン探索の続き。第4層まで行こうと思うよ~」
凛さんが、にやりと笑った。
何か悪だくみを思いついた顔。嫌な予感がする。
「今日は私のパンチラもあるから最後まで見ていってニャン!」
「いや、ありませんから!!」
凛さんは突然裏声で、かわいいっぽい声を出しながら、僕の手を使ってよからぬことを言い出した。慌てて訂正する。
「ていうか、スパッツですから! 今日!」
『女神ちゃんのスパッツ!?……わるくない』
『今日はこれでいいや』
『ちょっとコンビニ行ってスパッツ買ってくるわ。食べる用と履く用で2枚』
『よし、スパッツで出汁とってラーメン屋始めるわ』
……むしろ“ご褒美”になってる。
コメントの勢いはさらに増し、同時にこのチャンネルの視聴者がド変態しかいないことを僕は学んだ。僕の中身男だぞ変態ども。
<スパチャ5000円>『~スパッツ買い取ります~』
「マジ!? 毎度あり!!」
「毎度ありじゃないですよ! 売りませんから!!」
ていうかさっき凛さん、まきまきに対して「祈里君は高校生だからセクハラやめろ」って言ってませんでしたっけ!?
凛さんを見ると――めっちゃ悪い顔してる。
「こりゃ儲かるなぁ」
「口からいろいろ零れてますよ……凛さん……」
僕の中の凛さんのイメージが、ガラガラと崩れていく。
僕が昨日見た漆黒の天使はどこに行ったの!? 漆黒だけ残して、中身が銭ゲバじゃないですか!
コメントが流れ、ときどきスパチャが飛ぶ中、僕と凛さんはダンジョンを進んでいった。
第1層から第2層へ続く順路は、止まったエスカレーター。
凛さんは何度もここを探索しているらしく、迷いがない。エスカレーターの前で一拍、耳を澄ませ、問題ないと判断してから進む。
第2層は、少しばかり“ダンジョンじみて”いた。
駅構内のはずなのに、ありえない場所に謎の柱が生えていたり、壁の材質が途中から石に変わっていたり、空気が妙に湿っていたりする。現実が少しずつ侵食されていく感じ。
さらに、下へ続く階段を無視し、その少し先にある非常用通路を開ける。
そこには梯子があり、凛さんが先に降りた。僕も懐中電灯を咥えて続く。梯子の金具が冷たくて、手がかじかむ。
そしてついに、第4層手前――第3層へ。
ここに来るまで、昨日のドラゴンみたいなものどころか、モンスターらしき影すら見なかった。虫もいない。
僕の考えすぎだったのかもしれない。
――そう思った時だった。完全に油断しきったタイミングだった。
「案外ダンジョンって安全なんですね! もっとモンスターとか、たくさん出てくるものだと思ってました!」
「……ここまでは、ね」
凛さんの表情が硬くなる。
さっきまでの、ふざけて笑っていた顔が消えた。梯子を降りた先で待っていた凛さんは、鋭い目つきで周囲を警戒している。
「このダンジョンのメインはここ。第3層から。ミノタウロスって分かる?」
「……聞いたことはあります。頭が牛の人ですよね」
「牛頭の怪物。あれがそこかしこをうろついてる。絶対に油断したらダメ。いい?」
「……はい」
ごくりと喉が鳴った。
凛さんのギャップそのものが、この場所の危険さを物語っている。
実際、ここから先は現代らしさが一切ない。湿った空気。土と鉄の匂い。やけに天井の高い回廊。ライトの届かない先は、黒く、冷たい。
迷宮――その言葉がぴったりだった。
「ジンバルン。マッピング開始」
「ハイ……ゲンザイノマップカンセイド……65%」
「了解」
凛さんは短く頷き、僕を見る。
「祈里君。ここからはギフトを“私”に集中させておいて。何かあった時、痛いと思うけど許して。もしもの時は君を抱えて即座に離脱する」
「わ、分かりました……!」
集中だ。凛さんを守る。凛さんを守る。
その一点に意識を寄せる。
「あとこれ。君ならうまく使えると思うから」
凛さんは、例のお手製爆弾を三つ、僕の掌の上に置いた。小さくて軽いのに、嫌な重みがある。
「昨日の強化版。っていうか失敗作」
「失敗作をどうやって使えと……」
「威力が昨日のと桁違い。投げた本人も爆発に巻き込まれる」
「……僕なら怪我もすぐ治るから使える。そういうことですね」
凛さんは肯定するように、ゆっくり一度頷いた。
「子どもの怪我を容認するの、普通は大人として終わってるんだろうけどね。……でも、今は必要。行こう」
十字路、曲がり角、死角。暗さ。湿気。
緊張で背中に嫌な汗が伝う。
カツン……カツン……カツン……。
十字路を真っ直ぐ進もうとした、その時。
横から――視線。
僕は反射的にそちらを見た。
壁。……ただの壁。そう認識しかけた瞬間――
「伏せろ!」
凛さんが僕の腕を引き、強引に姿勢を落とさせた。
次の瞬間。
ブォン、と空気を裂く音。
轟音。地面が割れる音。砕けた破片が肌にちくちく当たった。
違う。壁じゃなかった。
巨大な二足歩行の怪物――ミノタウロス。
叫ぼうとした瞬間、凛さんと目が合った。
彼女は一瞬だけこちらに目配せし、ミノタウロスへ向き直る。背中越しに、親指を立てた。
「大丈夫。……あたし、強いから」
ミノタウロスが斧を引き抜き、横薙ぎに払う。
それを見ても凛さんは動かない。
祈る。凛さんを――!
けれど、それは杞憂だった。
凛さんは足を大きく開き、腰を落とす。
背負っていた黒いケースを前に回し、斧の横薙ぎを真正面から受け止めた。
ガン――ッ!
衝撃で床が鳴り、膝が沈む。凛さんの身体が押し込まれる――それでも、踏ん張った。
だが体格差は歴然だった。ミノタウロスがさらに力を込めた瞬間、凛さんは壁へ弾き飛ばされる。
――けれど、そこで終わらない。
凛さんは吹き飛ぶ勢いのまま壁に足を突き、反発で衝撃を殺した。
回転しながら着地。息も乱さず、そのまま黒いケースを片手で掴み直す。
――カチリ。
ボタンが押される音が、やけに冷たく響いた。
「《ジャイロ・クリーヴァー》……展開」
刹那、黒いケースが変形した。折り畳まれた機構が噛み合い、伸び、固定されていく。金属が伸びる音。ロックが掛かる音。骨組みが一段ずつ組み上がっていく、乾いた連続音。
凛さんの手に握られていたのは――
巨大な黒い斧。凛さんより大きい、2メートル級の大斧だった。
重い。見ただけで分かる。柄も刃も黒く鈍い光を帯びて、まるで工事現場の鉄骨みたいに“現実の重さ”をしている。ギフトなしの人間が、普通に扱えるサイズじゃない。
なのに凛さんは、それを“見せびらかす”みたいに肩に担いだりはしなかった。彼女は斧を低い位置に構え、腰を落とす。柄の付け根――ちょうど手元の近くに、小さな丸い窓があって。そこが、淡く灯った。
……ゥゥゥゥゥ。
低い唸りが、斧の腹の奥から立ち上がる。
「なに……それ……」
配信の向こうでも、コメントがざわつくのが分かった。
『ナニコレかっけえ!!』
『やっちゃえ姐さん!!』
『なんのギフト持ちだよ……』
『怪力系? ヘラクレスのギフト持ち見たことあるぞ』
ミノタウロスが地を蹴る。すさまじい速度で迫る。
凛さんは、常人なら持ち上げるだけでも無理なそれを片手で持ち――横薙ぎに払った。
ミノタウロスの動きが止まり、次いで、体がずれていく。
真っ二つ。
「祈里君! 走るよ! 今の物音で一気に集まってくる!」
その言葉と同時に、周囲からドスドスと重い足音が響いてきた。
凛さんが地面を蹴る。僕も置いていかれないよう全力で走る。
――が。
前方を塞ぐ、二体のミノタウロス。
凛さんはさらに加速し、僕を置いて距離を詰める。
そして片方に向かって――斧を投げた。
大斧が回転しながら飛び、脳天から胴体までを裂いて突き刺さる。
『待って武器投げたらまずくね!?』
『もう一体どうすんだよ!!』
残るもう一体が斧を振り下ろす。
凛さんはギリギリでくぐるようにしゃがみ、回避。曲げた膝をバネに、一気に懐へ潜り込む。
そして――顔面に大振りのフック。
ミノタウロスがひるみ、体重が後ろに傾く。
凛さんはさらに踏み込み、足を払うように引っ掛け、その巨体を“けたぐり”みたいに崩した。
『こ、これは相撲の決まり手けたぐりだああああ!!』
『格闘技オタクいて草』
『相撲は格闘技じゃなくて神事です』
ミノタウロスが倒れる。
凛さんは、倒れた体の上に跳び――後頭部が床に叩きつけられる瞬間に、落下の勢いごと顔面を踏み砕いた。
血しぶき。ミノタウロスの腕から力が抜ける。
『こんな強い人いたんだ……初めて知った』
『女神ちゃんうしろおおお!!』
「祈里君しゃがんで!!」
訳が分からないまま、その場にしゃがみ込む。
凛さんは隣で倒れるミノタウロスから斧を引き抜き、今度は僕の頭上を通して後方へ投げた。
風切り音。次の瞬間、背後で何かが倒れる音。
後ろにもいた――。
ものの数十秒で、凛さんは四体のミノタウロスを討伐していた。
『かわいい方は女神ちゃんだし……』
『こっちは渋谷の魔王様で良くね?』
『魔王様! ここに爆誕!!』
凛さんはゆっくり僕の方へ歩いてきて、後ろで倒れたミノタウロスから斧を引き抜いた。
「祈里君。やっぱりここはギフト使わないで大丈夫そう。だからギフトは第4層にとっておきたい。君には体力を温存していてほしい」
「分かりました。つまりこのまま、第4層まで駆け抜けるってことですよね」
「そういうこと。さ、走って」
凛さんに促されるまま走る。
凛さんの目は常に前。前に出てくるミノタウロス。死角。音。匂い。
その隙に僕は、改造スマホ(ジンバルン)の画面に目をやった。
無性に――見なくちゃいけない気がした。
そして、目に入った。
【視聴者:???】『止まれ』
一瞬で流れたコメント。
なのに、背中が冷たくなった。悪寒が走る。
「凛さん! コメントで“止まれ”って!!」
「止まってられるか!」
凛さんは目線を前に固定したまま叫ぶ。
確かにそうだ。後方からはざっと見ただけでも二体、前方にも一体。止まれば囲まれる。
凛さんは前方のミノタウロスを倒そうと、さらに加速しようと強く踏み込んだ。
その時だった。
パカッ――と、地面が開いた。
落とし穴。人一人分程度の小さな穴。
まるで、仲間を分断するためだけに用意されたみたいに、ぴったり凛さんの進行線上に口を開けていた。
下は闇。底がある気配すらない。
まずい――!
そう思った瞬間、僕の体は勝手に動いていた。
「凛さん!!」
地面を蹴り、僕は凛さんの背中を思い切り突き飛ばした。
凛さんは空中でバランスを崩しながらも、そのまま落とし穴を飛び越える。
――代わりに。
僕は、落とし穴の上に着地してしまった。
空中でどうこうできるわけがない。
ただ重力に身を任せて、闇へ落ちていく。
そして、即座に閉まる落とし穴の扉。
ガチン、と冷たい音。
視界が塞がれて、完全に分断された。




