番外編:同居疑惑、確信へ。
凛さんの家。
ワンルームに、僕と凛さんの二つの影。
外はもう真っ暗で、窓に映る街灯の光が、薄いカーテン越しに四角く床へ落ちている。
僕は狭い一本道みたいなキッチンで夕飯の用意をしていた。包丁がまな板を叩く乾いた音。鍋の中で、肉じゃがが静かにコトコトと煮える匂い。魚焼きグリルからは、香ばしい煙がふわっと立ち上って、胃袋を刺激する。
今日はこのあと家に帰る予定だ。
――でも、僕が作らないと、凛さんはまたカップ麺で済ませてしまう。
だから今日の晩ごはんと、明日の朝と昼のぶんまで作っている。
僕の中では、もう当たり前の「凛さん用ルーティン」だった。
そんな中、部屋の方からは凛さんの楽しそうな声が聞こえてくる。
ヘッドホンをしてパソコンに向かっている横顔は、いつもよりずっとにこやかで――なんというか、やっと“人間らしい顔”をしていた。
「ジャイロ・クリーヴァーはだな、いわゆる“ジャイロ効果”を応用した巨斧型武器でな!
電源を入れてる間は、そのおかげでずっと軽くなるんだよ。
――しかしな。電源オフだと一〇〇キロ越えの鉄の塊だ。流石のあたしでも、そんなもん素で振り回すのは無理。
電池が切れたら一瞬でただの鉄塊。使い物にならなくなるうえに、電力消費も半端ない。
だから普段のダンジョン使いには不向き、ってわけなんだよな~」
パソコンに向かって、ひとりで喋り続ける凛さん。今は配信中だ。
画面の隅に、同時接続数とチャット欄。小さく鳴る通知音。たまに「チャリン」とスパチャの音が混じって、凛さんの口角がわずかに上がる。
今までの凛さんは、ダンジョン配信しかしていなかったらしい。
だからこの前、僕はアドバイスしたのだ。
――せっかくいろいろ知識があるんだから、雑談配信でそういう話をしたら人気出るんじゃない? って。
そしたら大成功。
すっごくニッチで学術的で、僕じゃ理解できないような頭のいい話だから、幅広い層に刺さるわけじゃない。
でも、刺さるところには刺さる。深く、鋭く。
同時接続数は一〇〇人ちょっと。前までと比べれば、とんでもない成長だ。
(少しずつ成長していくのを見てると……なんだか我が子のようで、チャンネルに愛着湧いてくるんだよな)
楽しそうな凛さんを見ていると、僕の頬も緩む。
朝から論文執筆で、凛さんはずっと難しい顔をしていたから。
(……あ、凛さんって卵焼き、甘いのとしょっぱいの、どっちが好きなんだっけ)
聞きたい。
でも、配信の邪魔をするのも申し訳ない。
どうしようか悩んだ末、僕は音を立てないように静かに近づいた。
凛さんは画面に集中していて、こちらに気づく気配がない。だから――そのまま耳元へ顔を寄せる。
「あの~……凛さん」
「きゃっ!?」
凛さんの体がビクンと跳ねる。
同時に、普段の凛さんからは想像もできないような――高くて、可愛らしい声が飛び出した。
振り返った凛さんの頬が、みるみる赤くなる。
『なに今のかわいい声? 乙女じゃん』
『マジ!? 今の声、魔王姐さん!?』
『反応可愛すぎんだろ!!』
『女神ちゃんの乱入キタ~~!!』
僕と凛さんの視線が、ゆっくり画面へ移る。
チャット欄の流れが急激に速度を増して、画面いっぱいに「かわいい」が洪水みたいに流れていく。
凛さんは必死で平静を装おうとしているのに、顔が真っ赤で、額に汗が滲んでいた。
「ご、ごめんなさい! 卵焼きの味付け、甘いのとしょっぱいのどっちがいいか、聞きたくて……! その、えっと……恥ずかしがらなくていいですよ! とってもかわいかったですし! ほら、スパチャも来てます、よ~」
フォローのつもりが、逆効果。
チャット欄がさらに加速していく。
凛さんははにかむように一瞬だけ目を逸らし、また画面に向き直った。
そして、取り繕うみたいに、咳払いを一つ。
「べ、別に恥ずかしがってないが。全然……余裕……っていうか、わざとだが。
このあたしが、素であんな声出すわけないだろ。スパチャを促す……その……作戦っていうか……」
声がだんだん小さくなっていく。
最後にはうつむいて、もごもご。
「……卵焼きは、甘いのでお願い……」
「いやいや! こんな凛さん初めて見たんだけど!? 可愛すぎないか?」
(そうですよね! 凛さんが素であんな声出すわけないですもんね!)
「心の声と口に出てる発言が逆だ!!」
赤面しながらツッコミを入れてくる凛さん。
いつも僕がいじられる側だから、なんか新鮮で――少しだけ優越感がある。
『ちょっと待て!? ていうか女神ちゃんと魔王姐さん、同居してんの?』
『俺の女神ちゃんを返せ! この魔王!!』
そして、僕が来た瞬間――というより、僕が配信に映った瞬間。
同時接続が、目に見えて跳ね上がった。
一気に倍以上。
自分でも、自分の“客寄せパンダ”としての才能に驚く。
「ハ、ハハハ!! 残念だったな。祈里はあたしのだ。お前らにはやらん」
凛さんの腕が僕の腰に回ったかと思うと、そのまま持ち上げられた。
軽々。ほんとに軽々。
そして僕は、子どもみたいに凛さんの膝の上に乗せられる。
「ちょ!? 凛さん、配信中ですよ! 恥ずかしいですって!!」
凛さんは止める気がない。
むしろ、さっきの仕返しみたいに、ぎゅーっと抱きしめる腕に力が入った。
僕の髪の中に、凛さんが顔をうずめてくる。
『うらやまけしからん!! 魔王そこを変われ!!』
『……これはこれでありか』
『どういう関係なんだ! 説明しろ!!』
「どういう関係って……見た通りだよ。どうだ、羨ましいだろう」
凛さんの声はまだ少し揺れていた。
でも、抱きしめる力だけは強い。
僕はもがいた。
――でも、僕程度の力で凛さんに適うはずがない。腕はびくともしない。
そして、僕にだけ聞こえる小さな声が、背後から落ちてきた。
「その……すまん。まだその……顔が熱くて……恥ずかしいから……」
「もうちょっと、このままでいさせてほしい」
いつもの凛さんの堂々とした声とは対照的な、弱々しい、震える声。
それがどうしようもなくいとおしく感じて、僕の抵抗する気持ちはすぐに溶けた。
――その瞬間。
『てか、女神ちゃんの家の今日のごはんなに? さっき言ってた卵焼き?』
流れた、普通のコメント。
僕の目はそれを逃さなかった。
凛さんの膝の上。
そのまま、僕は配信を引き継ぐ。
「……しょうがないなあ、もう。ちょっとだけですよ」
マイクを手に取って、少し僕の方へ近づける。
凛さんは顔を上げない。上げられない。
でも、僕の後頭部に額を押し当てたまま、聞いている。
「卵焼きは明日の朝ごはんだよ。今日の晩ごはんは肉じゃがと焼き魚。あと――」
「そこ、これ以上凛さんをいじめるようなチャットは書かない。……っていうか、せっかく僕が来たんだから、僕と喋ってよ」
わざと頬をぷくっと膨らませ、ジトッと上目遣いでカメラを睨む。
次の瞬間、チャットの流れが一気に変わり出した。
『あざとすぎんだろ……にやけちまう自分が悔しい』
『女神ちゃん、なんだかんだ魔王姐さんより頼りになりそうだよな~』
『飯テロ助かる。肉じゃが最強』
『卵焼き甘い派か……わかる(握手)』
自分でも、あざとい言い方だった自覚はある。多少の羞恥心もある。
でも、喜んでくれるなら悪い気はしない。
「ああ、真面目な話はちょっと休憩ね。少ししたら凛さん復活するから、そこから再開」
「真面目な話をしたい人は、それまでごめんね。申し訳ないけど、僕のお話に付き合ってくれたら嬉しいな」
僕は笑って、少しだけ声を明るくする。
「最近ダンジョンに潜るようになって、いろんなこと知ったから! 知識がある人に、もっといろんなこと教えてもらいたいんだ!」
残念ながら、僕には凛さんみたいな科学の知識も、武器の知識もない。
さっきまで凛さんの超ニッチな武器トークを聞いていた、コアなダンジョン好きの人たちを楽しませられるのか、不安で眉が下がる。
――けれど、反応は案外、優しかった。
『構わないでやんす! なんなら分からないことは全部教えてあげるでやんす!!』
『配信を前から見てるが、君の前のめりの姿勢は好きだ』
『チャット欄埋め尽くすかもだけど許してね!』
『魔王姐さん、今、照れて静かになってるの草』
このチャンネルの人たちは、優しい。
ほんとうに、優しい。
そして凛さんが立ち直るまでの、なんと三十分間。
僕は凛さんの膝の上で、雑談配信をやりきった。
配信が終わったあと。
凛さんはようやく顔を上げ、まだ少し赤いまま、ぼそっと言った。
「……祈里。今日は……ありがと」
僕は笑って、キッチンの方へ戻る。
なんだかんだ、いじりすぎて凛さんに後ろめたい気持ちもあったから、夕飯には凛さんの大好きなプリンも追加してあげた。
たったそれだけのことで、凛さんがまた少し笑った。
――その笑顔が、今日の一番の“配信映え”だった。




