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底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。  作者: まぴ56
第二章:女神ちゃん、合宿に行く

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番外編:服だけを溶かすスライム

大体27話~32話までの間の話です。


 これは、とある一日の話である。


 いつも通り、僕は凛さんの家にいる。

 家事を終えて、今はお気に入りのクッションに腰かけ、スマホのショート動画を流し見していた。


 凛さんの部屋は、広くはない。けれど“生活が回っている匂い”がする。洗剤の残り香に、少しだけコーヒーの苦み。シンクの水滴が乾いた跡。換気扇の低い唸りと、冷蔵庫がときどき「うん」と頷くみたいに鳴る音。

 昼の光がカーテンの隙間から差し込み、床の上に細い線を引いている。空気の中の埃が、そこだけきらきら舞って見えた。


 今日もまきまきは出張中で、凛さんは研究室ではなく家にいる。

 パソコンを睨んで唸っていた。


 キーを叩く音がほとんどない。代わりに聞こえるのは、PCファンの低い回転音と、ゲーミングチェアがたまに鳴らす軋み。

 いつもの論文執筆よりも“詰まっている”感じがして、僕はちょっとだけ背筋が冷えた。


「あの……さっきからどうしたんですか? なにかあったんです?」


 声をかけると、くるりと椅子が回転する。

 凛さんがこちらへ振り返った。


 予想的中。腕を組み、眉をひそめ、口はおちょぼ口。ちょっとおちょぼ口になるのは、凛さんが考え事をしているときの癖だ。

 窓明かりの角度のせいで、頬に落ちる影がいつもより濃く見える。


「いや、ちょっと今月は出費が激しくてな。今月は大丈夫なんだが、来月の各種振り込みのための資金を考えてた。配信の方の収益も、そこまでは見込めないし。どうしたものか……」


 ゆっくりと目を閉じて、凛さんはまた唸り始めてしまった。

 吐息が、部屋の温度を一度だけ下げた気がする。


 これに関しては、僕に心当たりがあった。というか、おそらく原因は僕だ。


(僕がこの家で暮らすようになって、いろいろと生活用品を整えた。今腰かけているクッションだってそうだ。他にも歯ブラシやお布団、細かいものまで含めたら思い出せないほど。それに食費も僕のせいで増えている。その全てを凛さんが負担してくれていた。配信で得た収益だって言ってたけど、きっとそれだけでは賄い切れていないはず。自分の尻は自分で拭く。であれば僕にできること……そんなの一つだ……)


 僕は意思を固めるように、勢いよくクッションから立ち上がった。

 床が軽く鳴り、凛さんの眼がぱちりと開かれる。


 少しの沈黙のあと、僕は言った。


「凛さん。配信をしましょう! 自分で言うのも何ですけど、結構その……人気があるみたいなので、僕。だから僕が客寄せパンダになれば問題解決です! それに、まきまきから禁止されているのはダンジョン配信だけです。危なくない普通の配信なら問題ないはずです! なんなら、危なくなければダンジョン配信でも……」


 勢いよく言い切ると、沈黙が落ちた。

 空調のない部屋の“静けさ”が、やけに大きい。


 やる気満々の僕とは対照的に、凛さんは至って冷静に顎に手を当て、視線を下ろして考え込んでいる。

 目の動きだけが、画面の端から端へ走っていた。


 こうやって言葉の隙間――グレーなところを攻めようとするのは僕の悪いところだが、ここまでひどくなったのは凛さんのせいでもある。とはいえ、僕にできることと言ったらこれぐらいだ。


 やがて凛さんの視線が上がってきた。

 無言で、僕の眼をじっと見つめてくる。


 いつもとは違って、凛さんが座っているから、立っている僕の方がぎりぎり目線が上。

 だからこそ“下からの視線”が妙に圧が強い。


 汗が頬を伝う。生唾をごくりと飲み下したとき、凛さんの口がゆっくりと開かれた。


「祈里……あたしに、いい案がある。危険はなく、視聴率を絶対に取れる方法。でも、あたしとしてはあまり乗り気じゃない。これは君を完全に道具として扱う案だ。それにバレれば、間違いなくまきまきにとっちめられる。それでもやる――そんな勇気が君にはあるのか?」


 空気が重くなる。

 窓の外の車の走行音が遠くでぼんやり聞こえるのに、部屋の中心だけが別世界みたいに静かだ。


 それでも僕は、ゆっくりと首を縦に振った。


「もちろんです。僕は凛さんの道具です。それに、金欠なのは僕のせいっていうのも大いにあります。だから少しでも力を貸したいんです。できることなら、なんでもやります!」


 僕の真剣な表情を見て、凛さんの頬がわずかに緩んだ。

 引き出しが開く音。中で金属が触れ合う乾いた音。


 凛さんは机の引き出しを引き、何かを取り出す。

 そしてそれを、ゆっくりと僕に差し出した。


「ダンジョン配信をするぞ。でも今回闘うのは、あたしじゃない。祈里……君だ」


 差し出されたそれは、刀身から柄まで真っ黒なナイフだった。

 光を吸うような刃に、窓明かりが細く映る。


 もちろん凛さんサイズ。刃渡りでいえば三〇センチほど。それでも凛さんが持つと、小さな果物ナイフみたいに見えてしまうのがどこか面白い。


「内容は、ダンジョンでスライムと殴り合ってみた……だ。スライムはその特性上、あたしら人間に致命的なダメージを負わせることはできない。せいぜい足を引っ張る程度、できても服を溶か――」


 そこで凛さんの口が止まる。

 何かを言いかけたのは間違いないのに、急に飲み込んでしまった。


 少し唸って言葉を整え、また話し始める。いつもならすらすら言葉を出す凛さんが詰まるのは珍しくて、その一瞬がやけに不自然に見えたが――話は止まらない。僕も聞き逃さないよう集中する。


「しかし、だ。祈里、君のギフトの弱点の克服にはもってこいの相手だと思っている。君のギフトの一つは異常回復による、実質的な不死。しかしこれは拘束に対しては無力だ。いや、まあ……うまい言い訳……じゃなくてだな!? その……あれだ! あれ! そういった逆境からの逆転、はかない少女のハレ――いや、成長にリスナーは歓喜して、スパチャががっぽがっぽってわけだ!!」


 ところどころ言葉が詰まったり、声が小さくなって聞き取りづらい部分があったり。

 なぜだか言い訳をして、自分に言い聞かせているようにも聞こえたが――言っていること自体はその通りだ。


 どうして配信で皆がスパチャをくれるのか。それは何かに心を動かされたからだ。きっと僕みたいに弱い――いや、弱いからこそ、その成長が皆の心を動かせるはず。


 もちろん、断る理由なんてない。選択をすれば、いつかは後悔する。だからこそ今、良いと思う方を選べ――鏑木さんも言っていた。どうせまきまきには怒られる。だから答えは決まってる。


「やります。やらせてください、凛さん!」


 しっかり凛さんの眼を見て、差し出されたナイフを受け取った。


 僕の手には大きく、両手で持ってちょうどいい大きさ。

 刃の方を持っていた凛さんの力が抜けると、両手にずしりと鉄の重みが乗ってくる。武器を持ったのなんて生まれて初めてだ。緊張でじんわり手が湿る。


 ふと視線を上げると、気まずそうに目線をそらしていた凛さんが視界に入った。

 けれど凛さんは僕の視線に気づくと、焦ってこちらへ目を戻す。


(それもそうか。凛さんからしてみれば、子どもの僕に戦いをさせるんだ。きっと心苦しいんだろう。凛さんのためにも、しっかりスライムに勝って、スパチャもたくさんもらわないと!!)


 俄然やる気が湧いて、僕は鼻から息を鳴らした。


 その瞬間、凛さんのスマホから声が飛んできた。


「スライムとの戦闘ですね。では、スライムの特徴から習性までをお伝えいたしましょうか?」


 ジンバルンの声だ。前よりずっと発音がスムーズになっている。

 機械音声だと言われないと気づけないほど、一切の違和感がない。


 感心する僕とは裏腹に、凛さんはそれを聞いた瞬間に目を見開き、机へ振り返って焦った様子でスマホを両手で掴んだ。


「い、いやいやいや! 大丈夫だジンバルン!! これは祈里にとっての修行の意味も含んでいる!! だからこそ戦闘を通して、自身で敵の弱点や習性を理解し、打破することが大事なんだ!! リスナーもそれを求めているんだ!!」


 途中、ジンバルンが喋ろうとしたが、それを許さぬマシンガントークで凛さんは言葉をかき消した。


「……承知しました。しかし、どうか油断だけはなさらぬように、祈里様」


 一拍置いて、ジンバルンは僕を心配する言葉を残した。

 機械音声なのに、なぜだか“心配している”感情が伝わってくる。


「ありがとう。でも大丈夫だよ。もしもの時は逃げるし、なんなら凛さんに助けを求める。僕だって痛いのとか、つらいのとか好きなわけじゃないからね」


「そうですか。でしたら安心です。マスターも、くれぐれも祈里様からは目を離さぬようにお気を付けください。そういったところ、マスターは非常に甘いので。これまでの祈里様の危険は、全てマスターが祈里様から目を離したことが……」


 ジンバルンの声が若干やわらいだ気がした。

 というか、ジンバルンが軽口を叩くことに僕は驚いた。僕の前ではすごくしっかりしているのに、凛さんに対してはまるで友達みたいだ。


「わーってる、わーってる。お小言はやめて。自分でも分かってることだから、それ全部」


 凛さんは苦い表情で、スマホのスピーカーを手で塞いだ。

 掌の下から小さな声が漏れている。たぶん、まだ小言が続いているのだろう。もしかしたら、凛さんよりジンバルンの方がしっかりしているのかもしれない。


「それじゃ、向かうは江東区は深川。そこの飲み屋街の一角にあるバーの地下がダンジョンに繋がってるらしい。ボスは攻略済みで、危険度は最低レベル。それでも危険は考慮して、完全武装で潜る。いいね、祈里?」


 カチャン、と空中に投げたバイクの鍵をキャッチして、凛さんはにかっと笑った。

 久しぶりのダンジョン配信で、凛さんの表情もどこか明るい。


「はい。お金、がっぽり稼いじゃいましょう!!」


 もちろん僕にも気合が入る。凛さんがそばにいてくれるのは心強いが、それでも戦うのは僕だ。

 戦いには若干慣れてきたとはいえ、手の震えはどうしても出てしまう。それを抑え込むように力を入れて、僕は用意を整えた。


    ◆


 東京都江東区深川。飲み屋街の一角にある錆びれたバー。

 昼間の飲み屋街は、夜とは別の顔をしていた。


 シャッターの降りた店が並び、看板のネオンは消えている。色褪せたポスターが風でぱたぱた揺れ、どこかの厨房から出汁の匂いがふっと漂う。湿ったアスファルトの匂い、遠くの工事音、タイヤが水たまりを踏む音。

 人の声が少ないぶん、街の“物音”がくっきり聞こえた。


 目的のバーは、街の明るさに対してひとつだけ陰って見えた。

 建物には蔓が巻き付き、アスファルトの隙間から雑草が好き放題に顔を出している。入口の看板は半分剥がれ、錆が雨筋みたいに垂れている。


 立ち入り禁止の札も、柵も鎖もない。

 “誰も止めない”というより、“誰も気にしていない”――その気配が怖い。


 扉に手をかけると、木が湿気を吸って膨らんでいるのか、ぎぎ、と嫌な音を立てて開いた。

 中は古い酒と埃が混ざった匂い。床には割れたグラスの破片が光り、カウンターの裏には空瓶が無造作に転がっている。椅子の脚が折れたまま、まるで誰かが途中で立ち去ったみたいに残っていた。


 僕は装備を確認する。

 今日の装備は、青いラインの入った上下黒の半袖半ズボンのスポーツウェア。下には灰色のラインの入ったぴっちりしたインナー。凛さんが貸してくれた、白色のオーバーサイズのアウター。腰にはベルト型ホルダーを巻き、そこにナイフを挿していた。


「そのナイフはあたし特製の武器でな。いわゆる高周波ブレードってやつだ。手元のボタンを押すと刃が超高速で振動して、温度が数千度まで跳ね上がる。そのおかげで、どんなものでもバターみたいに切れるっていう逸品だよ。ただし高周波モードはもって十秒。使いどころは考えろよ」


 今回はそれだけ。関節プロテクターもない。軽装すぎて不安が拭い切れない。

 そんな僕の表情を察して、凛さんが肩にぽん、と手を置いた。


「大丈夫だ。ここで出てくるモンスター――主にスライム種は物理攻撃力がほとんどない。むしろ捕まるのが一番厄介なんだ。だから身軽な方が合ってる。……まあ、これ以上は配信の面白さ的に助言はなし。がんばれよ、祈里」


 そう笑う凛さんの装備は、いつも通り。

 やけに生地の分厚いセーラー服に関節プロテクター、オープンフィンガーグローブ、腰には短刀、背中には真っ黒で機械的な棍棒のような武器。日常の部屋着とは違って、ダンジョン用の“顔”をしている。


(たぶん、もしもの時のためにしっかり装備してくれてるんだろう。ダンジョンに潜るときの凛さんは、日常生活とは打って変わって本当に頼りになる。……でも甘えずに頑張ろう!)


 心の中で気合を入れて、凛さんを見て深く頷いた。


「それでは配信を始めます。お二人ともどうかお気をつけて」


 ジンバルンがそう言うと、スマホが変形し、プロペラを回して静かにホバリングを始めた。

 機械の羽音が、埃っぽい店内に小さく響く。


 僕の前でふわふわ浮かぶと同時に、チャット欄が流れ出す。


『きた~!!!』

『通知オンにしててよかった!!』

『今日はいつもの二人なんだね! やっぱり我らが魔王姐さんがいらっしゃると安心感が違いますわ』


 魔王姐さんは、おそらく凛さんのことだろう。

 あまり配信をしていないのに、始まってすぐ見に来てくれる人がいる。――正直、「飽きられてたらどうしよう」って不安があったから、ほっとした。


「はいど~も! だんじょ~ん!ちゃんねる♪へようこそ。今日はあたしじゃなくて、こっちの女神ちゃんがモンスターと戦っていこうと思います!」


 凛さんに肩を掴まれ、画面に無理やり押し出される。

 僕も少しは慣れてきたのか、緊張も少しぐらいだ。


「はい、その……頑張って戦うので! その、応援よろしくお願いします!!」


 ……いや、喋り出すと一気に緊張が噴き出してくる。

 それでもなんとかカメラから目を逸らさず、言い切った。


『前はあんなえぐい戦いしてた本人とは思えねえ。でもそこが好きだ、結婚しよう』

『今回も熱い戦い、期待してるよ~』

『あんまり無茶しないでよ!!』


 リスナーの伸びもテンションも問題なさそうだ。

 凛さんの表情も明るい。きっと凛さんも、リスナーが離れていないか心配だったのだろう。


 そして僕と凛さんは、バーの奥の扉を押し開いた。


 そこからはバーの階段を降り、さらに奥へと進んだ。

 足を一段踏み出すたび、木の階段がぎしりと鳴る。照明の切れた店内の暗さと、地下へ続く闇は質が違った。下へ行くほど、空気が冷たく、湿っていく。


 途中から、壁は灰色の石造りに変わった。

 石の表面はところどころ黒ずんで、水染みが地図みたいに広がっている。天井からはぽたり、ぽたりと水滴が落ち、落ちた場所だけ石が濡れて鈍く光る。

 足音が反響し、遅れて返ってくる。反響があるということは、空間が深い。暗い。


 長いらせん階段が、どこまでも暗い底へ続いていた。

 下りるほど地上の匂い――油、出汁、排気ガス――が薄れて、代わりに石と鉄と古い水の匂いが濃くなる。呼吸が喉の奥に冷たく刺さった。


『さっきの壁、違和感なかった?』


 目を引くチャットが流れる。


「凛さん、このチャット。少し引き返してみませんか? 何かあるかもしれませんし」


 無限に下り続けるだけでは画面映えもしない。そういう思惑もありつつ提案してみる。しかし凛さんは首を横に振った。


「今回は、あたしからの手助けはなしだ。何かあっても守ってやるから、君の好きなように動いてみろ」


 この感じ――おそらく凛さんはここまでの道中、あれこれ気づいていたのだろう。

 けれど僕のために黙っていてくれたのだ。


『さっすが魔王姐さん、頼りになる』

『惚れた、抱いて……』


「ちょ、ちょっと!? 抱いてって、何言ってるんですか! 凛さん、この人、ブロックしましょう!!」


「あのなあ……というか、君は普段もっとえぐいセクハラ受けてるんだぞ……」


 凛さんは呆れ気味にため息を零す。

 反響で、そのため息まで妙に大きく聞こえた。


 不服だが、凛さんが気にしていないなら僕がとがめる権利はない。画面を睨みつけるだけで、勘弁してやろう。


『かわいいなあ……舐めてえ』

『一応ダンジョンなんだし、もうちょっと緊張感を持った方が……』

『これが、このチャンネルなんだよ』


 チャットのおかげで我に返る。

 そうだ、緊張感を忘れていた。今、僕と凛さんの身の安全は、僕にかかってる。気を張らないと。


「それじゃ、いったん戻ります。確証はないんですけど、何かありそうな気がするので」


 少し階段を上ってみると、確かに石レンガで作られた灰色の壁の一部に違和感を感じた。他の壁とは微妙に色が違う。

 ライトを当てると、そこだけ表面が“濡れた皮膚”みたいに鈍く光った。


 気になって手で触れてみれば、やっぱり湿っている。

 指先に冷たさと、苔のぬめり。


 ゆっくり壁に耳を当てる。ひやりとした冷たさがじわりと体温を奪い――その奥から、若干の水音が聞こえた。


 ちゃぷん、ちゃぷん。

 水が滴っている音だ。


「水音がする。水が滴ってる……多分、この先に空間がある気がする」


 しかし困った。たとえ壁の先に空間があるとしても、こんな石造りの壁を壊すことなんて僕にはできない。


 ばれないように視線だけ移して凛さんを見る。凛さんは目を閉じ、聴覚で周囲を警戒しているようだった。

 呼吸の音すら、立てないようにしている。


「みんな、こういう時どうすればいいのかな。ごめん、教えてほしい……」


 悔しいが、どうしようもない。時間だけが過ぎても意味がない。

 だからこそ、僕はリスナーに聞く。リスナーの力をうまく使うのもダンジョン配信者の実力――凛さんが前にそう言っていた。


『ゲームとかなら、隠しボタンとかあるんじゃね?』

『近くにある石のどれかが、隠し通路を開くボタンになってるとか』

『パワーでぶん殴る』

『そこは萌え声で「開けゴマにゃん!」でしょ』


 目で追えないほどの速度でチャットが流れる。

 一つ一つ見る余裕はない。流し見しつつ、気になったところで止める。


「隠しボタンか。分かった、探してみるよ。みんなも相談に乗ってくれてありがとう!」


 みんなと一緒に攻略している気がして、少し嬉しくなって笑みがこぼれた。


『良いってことよ』

『笑顔かわいすぎ』


 そこからは必死にボタンを探した。

 石を押し、叩き、なぞり、ひとつずつ確かめる。指が冷たくなって感覚が鈍る。


 そして――。


 ゴゴ……と低い音。

 石が擦れる重い音が鳴り、壁がほんの少しだけ“ずれた”。


 その隙間から、冷たい風が吹き抜ける。

 風は濡れていた。湿気が頬に触れて、耳の奥がひやりとする。


 隠し通路は、さらに奥へと伸びていた。


 通路は細く、暗い。

 ライトを振ると壁の凹凸が陰影を作って、まるで何かが動いたように錯覚する。足元の砂利を踏む音が、やけにうるさい。

 時々、天井の水滴が肩に落ちる。冷たくて、びくっとする。


 気が付くと配信時間は数時間。

 喉は少し枯れ、手のひらは汗で湿っていた。緊張と熱が混じった嫌な汗。


 そして、細い通路の先に――円形の広場が見えた。

 中心に、水の止まった噴水。石の縁には乾いた藻の跡。水があった頃の“名残”だけが残っている。


 ……タポン


 水音。

 この空間に水のはずがない。だから怖い。


 音は鼓膜の裏を直接叩くみたいに重かった。

 僕は反射でナイフを抜く。金属が空気を切る音が、静けさに刺さる。


『来るな……』

『気を付けてよ、女神ちゃん』


「うん。分かってる。ここからが見どころ……だと思うよ。多分だけど」


 一歩、一歩。

 足裏で石の冷たさを確かめるように、噴水へ近づく。床はうっすら濡れていて、靴底が嫌な感触で吸い付いた。


 その時だった。


 ビュン!!


 噴水から、青色の触手がこちらへ向かって物凄い勢いで伸ばされた。

 空気が裂ける音。ライトが一瞬ぶれる。


 咄嗟に横へ飛んで避ける。

 床が滑った。噴水の周りは薄い水膜みたいなものが張っていて、石がぬめっている。


『来たぜ、来たぜ!』

『あの触手、スライムだ!』

『気を付けろよ、女神ちゃん! そんでぶっ飛ばせ!!』


 水の抜けた噴水が泡立ち出す。ぶくぶく、ぶくぶく。

 青色の流動体が膨らみ、形を成し――スライムが現れた。


 大きい。

 僕より少し大きいだけなのに、圧がある。体積が、こちらの逃げ道を圧迫してくる。


(さあ、どうやって倒す?)


「それじゃあ、バトル開始だ!!」


 刹那。狭い通路にいたら絡め取られる。

 僕はスライムのいる円形広場へ駆けだした。


 触手が追いかけてくる。避けるたび、靴底が石を擦り、砂利が跳ねる。音が響く。

 広場が僕の動きを全部“実況”しているみたいだ。


(関節プロテクター、してくればよかった……いや、ないものねだりしても意味ない!)


 ビュン!!

 考える間もなく触手が飛んでくる。


 その時だった。横に飛んだ先へ、スライムが青い塊を吐き出した。


『避けろ、女神ちゃん!!』


(だめだ、避ける余裕がない)


 判断した瞬間、僕は上着を脱ぎ捨て、盾のように広げた。


 ばしゃん――!

 凄まじい衝撃が両腕に走る。腕が痺れ、指先がじん、と痛い。


 直撃は避けられた。……が、目の前の光景に僕は絶句した。


「ちょ、なにこれ!?」


 スライムの塊を弾き返した服が、見る見るうちに溶け始める。

 溶ける音は、意外と静かだった。じゅわ、じゃない。しゅわ。泡が弾けるみたいに、繊維だけが消えていく。


 ぼとぼとと地面に落ちて、僕の両手には袖の部分だけが残った。


 完全に防ぎきれていなかったのか、小さな破片が僕の体に当たった部分の“服だけ”が溶けていく。

 大きな損傷はないが、あちこちに小さな穴が開いた。


「え!? 嘘、これ溶けて……! ……あれ、でも肌は溶けてない。溶けてるのは服だけ……はっ!!」


 凛さんの方へ勢いよく振り返る。

 眼が合った。


 少しの静寂。

 すぐさま凛さんは、緩く握った拳を自分の頭に当てて――ぺろっと舌を出す。


「ごめん。言ってなかったけど、ここに出てくるのは“服だけを溶かすスライム”だよ! BANされない程度に頑張ってね! てへぺろ☆」


 悪びれもしない、てへぺろ。

 ――ずっと、凛さんの態度に違和感があった。


 どれもこれも、このためだったのだ。

 僕の肌を使ってリスナーを呼び込む。

 それが“いい案”だったのだ。


『キタコレ!!!』

『運営来んなよ!! これは大事な戦いなんだ!!』

『悔しい! でも、モンスターを応援してしまう! 罪な僕を許してくれ、女神ちゃん!!』


 人類の浅ましさを目の前で叩きつけられている。

 さっきまで僕を応援していたリスナーが、一気にスライム側へ寝返った。


「そりゃあ、できることならなんでもやるって言いましたけど!! これは酷くないですか!?」


 必死の抗議に、凛さんはゆっくり頷き――


「ああ、だからこそ君の献身的な心に、あたしは心を打たれたんだ。自らの肌を晒して、家計を助けてくれるなんて……あたしは感動した、およよ……」


 わざとらしく涙を拭く仕草。

 だが僕は、その奥に隠れる凛さんの瞳を見逃さなかった。


 瞳に映るのは――¥マーク。


 忘れていた。凛さんは凄くいい人だが、お金が関わると本当のクズになることを。


 ドビュン!!


 もちろん、会話の最中もスライムの攻撃は際限なく飛んでくる。

 塊が壁に当たると「べちゃ」と鈍い音を立てて散り、その飛沫が石床を濡らして足場をどんどん悪くする。

 ライトが揺れるたび、濡れた床が不気味に光った。


 当たったら一発アウト。防いでも被害が拡大する可能性があるから、不用意に防げない。


「クッソオ! 一発も貰わずに倒すなんて無理ゲーじゃんよ!!」


 叫べば叫ぶほど、弱音を吐けば吐くほど、チャットは盛り上がる。

 よく分かった。ここで助けを求めても、助言なんて飛んでこない。


 この場に僕の仲間は――いない。

 いや、いる。


「ジンバルン!! BANになるかも!! 助けて!!」


 叫ぶと、すぐ反応が返ってきた。


「女神ちゃん様。スライムの弱点は“核”です。周囲を囲む青色の流動体は、言ってしまえば内臓――消化液のようなもの。本体は身体のどこかにある球状の核です。法律上、ダンジョン内での配信を止めることはできません。どうか勝ってください」


 的確すぎるアドバイス。やっぱり一家に一台のジンバルンだ。


 しかし現状、近づくのも困難。

 唯一の武器であるナイフを投げるのも、できればやりたくない。


 時間がない。考えている間にも、塊と触手が飛んでくる。

 少しずつ、僕の服は削られていく。なんとか大事なところは死守しているけど、これじゃじり貧だ。


「そうだ!!」


 走りながら、地面に転がる石を掴む。

 手のひらに石のざらつきが食い込み、指先が熱くなる。


 この前、らいこさんの戦闘で学んだ。

 武器は、ナイフや斧だけじゃない。


「くらえ!!」


 避けた瞬間に、スライムへ石を投げる。

 だが――たぷん、と流動体に受け止められただけで、決定打にはならない。


「そりゃあ、そうですよね!! うわっ!?」


 次の触手が飛び、ついに腰へ巻きつかれてしまう。


 しゅうしゅう、と嫌な音。掴まれた腰回りの服が一瞬で溶け、ベルトも溶け落ちた。


 僕はなんとか、死守していたナイフでぶよぶよの触手を切り裂く。

 力が抜けて、僕は地面へ放り出された。


 受け身は取れた。けど――


 しゅわしゅわしゅわぁ……


「ちょ、ちょっと待って! まずいってぇ!!」


 すり抜ける時にかすった胸元が溶け始めた。

 急いで腕で隠す。手に当たるのは柔らかい肌の感触。


 上半身の他の部分は残っているのに、胸元だけ綺麗に溶かされてしまった。

 本当にまずい。


『よっしゃあああ!!』

『神回キタコレ!!!!』

『ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう』


 ふざけるな、と汚い言葉を零しそうになる。

 でもそんな暇すらない。


 片手は胸元を隠すので精一杯で、片腕が埋まってしまう。

 ナイフを握る右腕が重い。


 そんな時だった。凛さんの声が響く。


「祈里!! 焦るな。今回は溶けるのは服だけだからいいが、もしも身体も溶かすような奴を相手に同じようなら、自分の身は守れないぞ!!」


 ちらりと見た凛さんの表情は、驚くほど真剣だった。

 いつの間にか手には、例の鉄の棍棒が握られている。


 なんだかんだ言いつつ、最低限の心配はしてくれる。

 凛さんのそういう真面目なところ――好……って、ダメだ!


 今、完全に惚れ直しそうだった。

 この件は後で絶対、本気で怒らないと!! 流石にライン越えだ!!


 でも凛さんの言っていることは正しい。

 焦るな。冷静にモンスターの動向を――そうだ!!


 僕はまた石を拾って投げる。何度も、何度も。

 避けては投げ、隙を見て投げ、また避ける。足元は滑り、靴底がぬめった石を噛むたびにヒヤッとする。


 もちろん、全て青色の流動体に受け止められてしまい、一切のダメージはない。

 だけど――


『次はもっと下だ! やれ、スライム!!』

『いやいや、流石にダメでしょ!? もう逃げてよずっきー!!』

『たまんねえな』


 まだだ。まだ足りない。

 そう思って投げた一投――それも吸い込まれ、噴水へ沈んでいった。


 だが、その時。


 ブルン、とスライムが一瞬だけ身じろぎした。

 ぬめった巨体が“嫌がる”みたいに震えたのが、確かに見えた。


「キタ!! ここだ!!」


 刹那、手に持った高周波ブレードのボタンを押した。

 刃が微細に震え、指先に“蜂が群れている”みたいな振動が伝わる。空気がほんの少し焦げた匂いを帯びた。


 そのまま――さきほどと同じ位置へ……いや、ダメだ。

 僕のコントロールじゃ、当たる確率の方が低い。


 即座に地面を蹴る。向かうはスライムの懐。


 しかし、その瞬間。飛んできたスライムの塊が直撃。

 上半身がスライムにデロリと包まれ、一気に上半身の服が全て溶かされる。視界が一瞬だけ青に染まり、ぬるい重さで息が詰まる。


 でも、どのみち上はもうダメだった。

 下が溶かされなければ問題ない。むしろ時間を取られる方が、高周波モードの制限が厄介だ。


 だから脚は止めない。

 滑る床を読んで、踏ん張って、懐へ。


 そして――さっき石を投げつけたポイントへ、ほぼ至近距離からナイフを投げ込んだ。


「いっけえええ!!!!」


 ジュアアアア!!


 水が煮え立つ音と共に、ナイフはスライムを焼き切りながら一気に沈み込んでいく。

 熱が噴き上がり、頬に熱風が当たった。


 数秒後。スライムの体が暴れ始めた。

 ぶるんぶるんと逃げ出そうと身をよじるが――体の中に沈んだ石たちが重いのか、噴水の中から逃げ出せない。


 そして、少しずつ動きが弱まっていき――


 最後には、ぶしゃん、と弾け飛んだ。


 空から、水色の雨が降り注ぐ。

 天井の暗闇から落ちてくる滴と混じって、勝利の雨が肌に冷たく貼りついた。


「やったあ!! 行けると思ったんだよ!! 弱点なら、少しでも触れれば反応が出る。石で弱点のおおよその位置を把握して、そこにとどめの一撃! 今まで投げ込んだ石が重りになるとは思わなかったけど、それはラッキー!!」


『マジか!? 勝ちやがった!!』

『これはこれで熱くていいな!!!』

『俺だけはお前のことは忘れない。ありがとう、スライム』


 配信も、めちゃくちゃ盛り上がっている。

 僕の息は荒く、汗と水滴で肌が冷えて、逆に熱が浮き彫りになる感じがした。


「どうですか、凛さん。思惑を潰された気分は! 僕だって、やるときはやるんですよ!!」


 ドヤ顔で腰に手を当て、胸を張る――のはいいが。


 凛さんは呆れたように、されどどこかほっとしたように鼻を鳴らし、ゆっくり口を開いた。


「ああ、よくやった。ただ……大事なことを忘れていないか?」


 忘れていること。武器の回収のことだろうか?

 少し悩んでいると、凛さんの視線が、少し下へずれた。


 下。

 下。

 むね――!?


「ふぇふうわあ!?」


 慌てて胸元を抑える。

 遅い。全部遅い。


 かくして、僕のスライムとの激戦は大勝利にて幕を下ろした。

 白熱した闘いと、赤熱した僕の顔のおかげで配信は伸び、帰り道でのスパチャは十万を超えた。


 BANについてだが、ぎりぎりのところでジンバルンがモザイクを入れたおかげで難を逃れた。

 ――ただし。


 最後の僕の情けない叫びは切り抜かれ、それで大量の音ハメ動画が作られるとは。

 この時の僕は、知る由もなかったのだ。

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