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底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。  作者: まぴ56
第二章:女神ちゃん、合宿に行く

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第33話:合宿へ向かうバスと、ダンジョン肝試しの話

 朝方。まだ日が昇りきらない薄い空の下、僕は学校の前に停まった大型バスの扉の前に立っていた。


 吐く息が白く――とまではいかない。でも、肌に触れる空気はちゃんと冷たくて、制服の袖口からじわっと寒さが入り込んでくる。アスファルトは夜の湿り気を残し、タイヤのゴムの匂いが少しだけ鼻についた。


 バスの横には、テニスバッグの山。ラケットケースの細長い影が折り重なって、ガットの張り替え直後みたいなナイロンの匂いが混じる。部活の朝って、こういう匂いがするんだ。


 今日から鏑木さんのお願いで、四泊五日のテニス部合宿にマネージャーとして同行することになった。

 僕の役目は、まず人数確認。チェックシートを手に、名前を目で追う。


(残りは鏑木さんと、部長さんだけ。……何してるんだろ。鏑木さんに限って遅刻は――いや、考えられるな)


 ちらりとバスの窓を見る。

 中では部員たちが身を乗り出すようにして、こちらをじっと見ていた。視線がまとわりつく感覚。背中の皮膚が、むずっとする。


「ねえ、あれ誰?」

「えっ!? 鈴木……って、D組の?」

「かわいいよねえ。お人形さんみたい」


 悪口じゃない。むしろ褒められてる。

 なのに、胸の奥がぎゅっと縮む。褒め言葉って、なんでこんなに逃げ道がないんだろう。笑って受け取れたら、きっと楽なのに。


 そんな中。


「おっはよう! ずっきー!」


 空気を切り裂くみたいに明るい声が飛んできた。

 反射でうつむいていた顔を上げると、鏑木さんがそこに立っていた。両手には紙コップ、ジャグ、そして何かよく分からない袋類――とにかく荷物がいっぱい。腕がちぎれそうなのに、顔だけは元気だ。


 その横には、もっとすごい荷物の山があって……それを持っている人は、荷物で顔が完全に隠れていた。テニスバッグにボール缶、救急箱っぽい箱まである。これ、マネージャーの荷物じゃなくて、ほぼ部活の生命維持装置だ。


「おはよう、鏑木さん……あと、その人――」


 僕の視線に気づいて、鏑木さんが肩越しに振り返る。両手が塞がっているから、口だけで紹介してくれた。


「あっちは部長の恵美めぐみ先輩。ほら先輩、自己紹介して。例のマネージャー引き受けてくれた子だよ」


 荷物の山が「マジ!?」って言って、あわてて左右に揺れる。

 そしてそのまま全部を地面に置いた。


 隠れていた姿が、露になる。


 褐色の肌。黒い髪は短く、前髪は眉より上でぱっつんと切り揃えられている。

 丸っこい黒い瞳が、僕を上から下まで一瞬でスキャンした。……うっ、目が合う。


「初めまして! 纒井恵美まといめぐみっす! ずっきー君だよね! よろしくっす!!」


 ぴしっと敬礼みたいに手を額に当てて、にかっと笑う。

 三年生。テニス部部長。――第一印象が、体育会系の太陽そのものだ。


 僕も慌てて頭を下げた。


「はい、鈴木祈里です。五日間の間ですが、どうかよろしくお願いします」


 頭を下げた、その瞬間――


 ひょこっ、と視界の下から恵美先輩が入り込んできた。

 しゃがみ込んで、上目遣い。


「ひあ!?」


 自分でも意味が分からない声が出て、反射でのけぞる。

 距離が近い。近いっていうか、心の安全圏にいきなり踏み込まれた感じ。僕の女性耐性、ゼロ。僕は知ってる。僕が一番知ってる。


「頭下げるんは、こっち側っすよ。こちらこそ改めて、五日間――お世話になるっす」


 恵美先輩はしゃがんだまま、目を閉じて、膝に手を置き、ゆっくり頭を下げた。

 さっきまでの勢いから想像できないくらい丁寧で、綺麗な所作だった。なんだろう、ただ明るいだけじゃない。ちゃんと部長なんだ、この人。


「ほら、恵美先輩。もう時間だから急いで」


 そう言いながら鏑木さんは、黙々と荷物をバスへ運び始める。

 バスの中でも部員たちがバケツリレーみたいに荷物を後ろへ回していって、ボール缶が「カン、カン」と乾いた音を立てた。ラケットケースが肩に当たって、小さく「いてっ」と声が上がる。


 僕もチェックシートの恵美先輩と鏑木さんの欄に、急いでチェックを入れる。


「全員揃いました。恵美先輩」


 報告すると、恵美先輩は勢いよく立ち上がって、ぐぐっと伸びをした。肩甲骨が鳴りそうな勢い。


「よし! それじゃ出発っすよ! 野郎ども!!」


 海賊の出航号令みたいに両手を広げて叫ぶと、バスの中から「お~!」と声が返ってきて、何人もが拳を突き上げた。

 その勢いのまま、エンジンが低く唸り、バスはゆっくり動き出す。


 ――そこから先は、意外なくらい静かだった。


 僕は一番前の席。鏑木さんの隣。

 通路を挟んだ反対側の席では、恵美先輩が二席を占領して、すでに爆睡していた。さっきの太陽どこいった。寝顔は、普通にかわいい女の子だ。

 顧問の先生と運転手さんのやり取りは、全部鏑木さんが捌いている。……どっちが部長なのか、分からなくなる。


(運動部の合宿って、もっと騒がしいものだと思ってたけど……案外、みんな静かなんだな)


 朝が早いせいか、眠っている子が多い。起きている子も、スマホをいじるか、隣の席と小声で喋るか。イヤホンの線が揺れるだけ。

 車内に漂うのは、柔軟剤と、スポドリと、テーピングテープの匂い。


「まだあと三時間くらいはかかるから、ずっきーも寝てていいよ」


 鏑木さんはメモ帳を開き、今日の日程を確認しながら、横目で僕に言う。

 優しい。……でも、僕は朝に気合いを入れてコーヒーを三杯、がぶ飲みしてきたせいで、まったく眠くない。心臓だけ元気。


「僕は大丈夫だよ。鏑木さんこそ、何度もあくびしてるけど大丈夫? 仮眠するなら、起こすよ」


 鏑木さんがこっちを向く。近くで見ると、目元に薄い隈がある。


「ありがとう。でもね、四日目にある肝試しの件で――合宿所の女将さんと相談しないといけないことが多くてさ。前もってまとめとこうと思って」


 そう言って、僕にも見えるようにメモ帳を傾けてくれる。

 少し身を乗り出して覗き込むと、ページいっぱいにびっしり文字が詰まっていた。箇条書きの項目も多い。準備の量が、ただごとじゃない。


「実はテニス部の恒例行事で、合宿所の近くにある廃ダンジョンを使って肝試しをやってるの。

 テニス部が持ってるチャンネルがあるんだけど、それを使って毎年ダンジョン配信みたいなことしてさ」


 ……廃ダンジョン。

 もうモンスターが湧かなくなった――とされている場所。危険があるとすれば落盤みたいな“物理”くらい。心霊スポットとして扱われることすらある。


 ……“とされている”。


 その部分が、やけに喉に引っ掛かる。


「奥にある祠まで行って、そこで自分の目標を言って帰るの。昔の先輩たちのアーカイブもあるけど、見てみる?」


 こくり、と頷く。

 鏑木さんがYouTubeを開いて、チャンネルから動画へ飛んだ。限定公開の文字。関係者だけが知ってる、合宿の恒例行事。


 動画の中では、暗い通路をライトで照らして、キャーキャー騒ぎながら進む先輩たちが映っていた。

 その中に――去年撮ったのだろう、今より少し幼さの残る鏑木さんがいた。声も、表情も、少しだけ柔らかい。


 その瞬間、鏑木さんがぱちん、とスマホの電源を落とした。


「ごめん。流石に去年の自分を見られるのは……ちょっと恥ずかしいかも」


 頬をぽりぽり掻いて、照れたようにはにかむ。

 その表情につられて、僕も少しだけ笑ってしまう。こういう時の鏑木さんは、ちゃんと同級生だ。


「でもよかった。最初ダンジョンって単語を聞いた時はびっくりしたけど……動画を見る限りだと、雰囲気は肝試しって感じだし……」


 言いかけて、言葉を選び直す。


「……安全、なんだよね?」


 その“安全”を口にした瞬間。

 鏑木さんの表情が、ほんの少し曇った。


(……やば。まずいこと言った?)


「安全……のはずなんだけどね。ちょっと怖いの」


 鏑木さんは、視線を落とす。声のトーンが、さっきより小さくなる。


「落盤とか、足場とか、そういうのももちろんあるんだけど……一番は――まだ、モンスターがいるかもしれないって思ちゃってさ」


 そこで、言葉が一度止まった。

 鏑木さんの指が、メモ帳の端をぎゅっと掴む。白くなるほど強く。


「廃ダンジョンって言ってもさ。絶対に“ゼロ”じゃないっていうか……一体くらい、どこかに残ってるかもしれないじゃん。奥の祠の影とか、崩れた瓦礫の下とか」


 バスがトンネルに入った。

 窓の外の光が消えて、黄色い照明が等間隔に流れていく。

 その灯りに照らされた鏑木さんの横顔は、明るいはずなのに、どこか影が濃く見える。


 そして――彼女の手が、わずかに震えていた。


 ミノスダンジョン。――肝試し感覚で訪れたダンジョンで出会った、非日常の様々な怪物たち。そして現代日本で生活するうえで遭遇することのない、死の恐怖。


 “あれ”を見た人にとって、「たぶん大丈夫」は、安心の言葉にならない。


「昨日、ずっきーの配信のアーカイブ――っていうより切り抜き、見つけちゃってさ。無断転載だから、あんまりよくないんだけど……見ちゃって。

 あの時のこと、少し思い出しちゃって」


 トンネルの壁に、バスの走行音が低く反響する。

 眠っている部員たちの呼吸音まで、少しだけ近く感じる。世界が狭くなる。


「だからね。合宿所の女将さんが、元々ダンジョン研究家で有名な人だったって聞いたから……より安全に肝試しができるように相談しようと思って。

 危険なこととか、注意した方がいいこととか、質問をリストアップしておいたの」


 ……強い。

 怖いなら中止にすることもできるのに、逃げずに、ちゃんと“安全にする”方向に動いてる。


 その姿勢が眩しくて、僕は思わず、口を開いた。


「その……一応僕も、ダンジョン配信者だからさ。多少は、気を付けた方がいいこととか分かるよ」


 僕程度で“配信者”を名乗るのは、正直、恥ずかしい。凛さんに頼りきりで、胸を張れるものじゃない。

 でも――鏑木さんの役に立ちたい。そう思って、おそるおそる言った。


 鏑木さんの肩から、ふわっと力が抜けるのが見えた。

 ちょうどトンネルを抜けて、眩しい朝日が車内に差し込む。光が戻る。影が薄まる。


「……本当に、ありがとう。じゃあ、まずは――ダンジョンの中で“モンスターが残ってるかもしれない”って前提で、特に気を配ること、教えてほしいな!」


 さっきまでの暗い影が嘘みたいに、鏑木さんは笑顔だった。

 僕は一瞬だけ――“肝試しが怖くて僕を呼んだのかも”なんて邪推をして、すぐに首を振って霧散させる。そんなふうに考える自分が、一番いやだ。


「まずは何より……視界に頼りすぎないこと。って凛さんが――」


 言いながら、僕は窓の外を見る。

 景色は街から山へ変わっていく。建物の密度が薄くなって、低い森と細い道。ガードレールの向こうに、朝の光を反射する川。水面がきらりと光るたび、胸の奥がざわつく。


 “廃”って付いてる。

 “安全”って言われてる。

 だから大事が起こるわけない――そう思いたい。


 けれど、“ダンジョン”であることには変わりない。

 心のどこかが、勝手に準備を始めてしまっている。


(……それに。例の女将さんって、何者なんだ?)

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