表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。  作者: まぴ56
第二章:女神ちゃん、合宿に行く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/37

第28話:身長二メートルの赤ちゃんが『まま』って呼んでくる

 あれから数日――嘘みたいに、のんびりした日々が続いた。

 廊下ですれ違うだけで胸が縮むようだった一条君のグループも、今は妙に静かで、目が合っても逸らしてくるだけ。授業中も、背中に刺さっていた視線が消えたみたいに軽い。


 凛さんが手伝ってくれたおかげでレポートの進捗も良好。提出期限を見て喉が鳴ることもない。

 夢見ていた順風満帆な――いや、最高の高校生活だ。


 時刻は午後六時。

 今日の僕はキッチンに立っている。換気扇の低いうなりと、まな板に包丁が当たる乾いた音。湯気に混じって、だしの匂いがふわっと広がる。

 香苗は友達と遊んでくるらしく、帰りは少し遅いらしい。だからこそ、冷めてもレンジで温め直せるものを作っておこうと思って。


 先にお風呂も済ませて、髪をタオルで拭きながら――さて、一人で夕飯を食べ始めようか。

 そう思った、その時だった。


 ……ピロン。


 スマホが小さく鳴った。

 画面を覗く。通知の差出人は凛さん。


『すぐに……来てくれ……』


 たったそれだけ。

 いつもの凛さんなら、まず要件を端的に書く。必要な情報だけ、って感じで。だからこそ、この短文は――変だった。


「もしかして……また、何かあったんじゃ……」


 胸の奥が、嫌な冷え方をする。

 考えるより先に身体が動いていた。僕は「少し出るね」の走り書きをリビングのテーブルに置き、靴を引っかけて家を飛び出した。


 駅までの道は、夕方の匂いがした。アスファルトの熱が落ち始めて、どこか遠くで焼き鳥の煙が流れてくる。

 改札を抜け、電車に乗る。車内は部活帰りの学生と、疲れた顔の社会人。つり革が小刻みに揺れて、僕の心臓もそれに合わせて揺れた。


 最寄り駅に着くと、息を整える暇もなく凛さんのアパートへ向かう。

 建物の入り口に差し掛かった瞬間、空気が少し冷たくなった気がした。


 アパートの廊下。

 カチ、カチ、と点滅する蛍光灯が、視界の端で白く瞬く。虫の死骸が一つ、ライトの下に落ちていた。

 前ならこんなもの、気にも留めなかったのに――長いこと、ここから離れていたからだろうか。妙に不気味で、背筋がぞわっとした。


 それでも、凛さんの部屋の前までは勝手に足が動く。気づけば扉の前。

 インターホンを押した。


 ピンポーン!


 ……反応がない。

 コンコン、と扉を叩いても、沈黙。


 窓ガラスの隙間から、うっすら光が漏れている。いるにはいるはずだ。

 諦めて一度駅に戻ろう――そう思って踵を返しかけた時、ふいに、ドアノブに手をかけて引いてみた。


 ……開いた。


 鍵が開いている。チェーンもしていない。

 嫌な予感が、背中を押した。隙間から中を覗く。


 ワンルームの玄関は、開けた瞬間に奥まで見えてしまう。

 そして、凛さんがいた。


 電気がついていない、真っ暗な部屋。

 ちかちか光るデスクトップパソコンのモニターだけが、凛さんの輪郭を青白く縁取っている。

 凛さんは、いつものゲーミングチェアに体育座りで座り、ぼーっと画面を眺めていた。


 ……気づいていない?


「あの……凛さん?」


 声をかけても反応はない。ヘッドホンをしている。

 胸が嫌な速さで脈打つ。僕はゆっくり扉を開け、カチリ、と照明のスイッチを押した。


 ぱあっと明るくなる部屋。

 そして、全貌が明らかになる。


 ――汚部屋。

 僕が来なくなった、たった一週間程度でここまで? っていう勢いのゴミ溜め。カップ麺の容器、コンビニ弁当の空き、散乱した衣類、床に落ちたレシート。空気がアルコールと油の匂いで重い。


「ちょ、凛さん! 僕がいなくなっても掃除はしてって言いましたよね!」


 返事がない。

 怒り半分、心配半分のまま狭い通路を進み、凛さんの背後へ回る。


 そして――無理やりヘッドホンをむしり取った。


 その瞬間、目が合った。

 凛さんの頬は赤い。目は充血していて、頬には涙がつたった跡がうっすら残っている。

 さらに、デスク周りに散乱する大量の缶チューハイの空き缶とも目が合った。軽い金属音が、僕の足元でころりと鳴る。


「凛さ――ひゃ!?」


 凛さんが、突然抱きついてきた。

 次の瞬間、バタン、と床に押し倒される。


 まきまきレベルで酒臭い。いや、まきまきより濃いかもしれない。

(……酔っぱらってる。完全に)


「ちょ、ちょっと……!」


 凛さんは僕の上に重なり、僕の胸に顔をうずめてきた。

 大きい。重い。なのに、妙に力が抜けていて、抱きつき方が子どもみたいだ。


「……ままぁ」


「へあ!? まま?」


 猫なで声。

 凛さんの口から、今まで聞いたことがない種類の甘ったるい声が出た。普段なら絶対に言わない単語まで飛んできて、思考が一瞬止まる。


「ままぁ……おかえりぃ……」


 ぎゅっと抱きつく腕に、さらに力がこもる。

 僕の肺がきゅっと押されて、息が詰まりそうになる。


 そして――ぐわん! と、凛さんが僕を抱いたまま勢いよく立ち上がった。


「ままぁ、おなかすいた。ごはんつくって~」


 屈託のない笑顔。

 身長ほぼ二メートルの赤ちゃんが、胸の中の僕に懇願してくる光景、何??


「ちょ、ま、分かりましたから! 分かりましたから、降ろしてください!」


「まま、なんでそんな、へんなしゃべりかたするのぉ?」


 敬語のことだ。たぶん。

 ていうか、ここまで酔ってる凛さん、初めて見た。酔うとこうなるの……びっくりなんだけど。


 でも――正直、ここは合わせないと危ない。

 無邪気な顔をした凛さんに、背骨を抱き折られる可能性が普通にある。


 僕は今から……全力で、ままになるしかない。


 今ここに、身長ほぼ二メートルの赤ちゃんと、小さなままが誕生してしまった。


「ご、ごめんね~凛さ……凛ちゃん。ご飯作るから、ままのこと降ろしてくれるかな? できる?」


「うん、できる!」


 にこにこ笑顔。

 凛さんはそっと僕を下ろしてくれた。


(よし……とりあえず料理。凛さんが食べてる間に片づけ……!)


「まま! ごはん!」


「はいはい、わかったわかった」


 肩を掴まれて、ぐらぐら揺らされる。凛さんのパワーで、僕の視界がぐわんぐわんする。

 キッチンに向かおうとするのに、凛さんの手が離れない。


「あの~凛ちゃん。肩から手、放してくれないと……まま、ご飯作れないんだけど」


「やだ! りんもいっしょ!!」


 一緒と言われても、このワンルームのキッチンは玄関と部屋を繋ぐ細い通路にある。二人並んだら、まじで詰む。


「えっとね、料理中は油が跳ねるから、あついあついだよ?」


「あついのやだ……でも、ままといっしょがいい……」


 凛さんの顔が、しゅん、と暗くなる。

 その表情が、香苗が小さい頃に見せたものと重なって、胸がきゅっと痛くなる。


「……仕方ないなあ。分かりました。良い子にできる?」


「うん、できる!」


 得意げに言った次の瞬間、凛さんは後ろからぎゅっと抱きついてきた。

 後頭部に柔らかい感触。背中にあたる熱。――なのに不思議と、まったく変な気持ちにならない。というか、なる余裕がない。


 僕はそのままキッチンへ移動し、まずは上に散らばったゴミをまとめて玄関へ寄せる。処理は後。

 冷蔵庫を開けると、冷気が頬に当たった。


「これなら……焼きそばくらいなら作れるかな」


「やきそば! やったあ!!」


 嬉しそうな声が背後から響く。声、でかい。苦情来ないかな。

 来たら何て言えばいいんだろう。「でっかい赤ちゃんがいて……」で納得してもらえるかな。


「……考えてても仕方ないか。とりあえず作ろ」


 そこからは、意外と滞りなく進んだ。

 マフラーみたいに首に巻かれる腕が少し危なっかしいけど、怪我なく完成。ソースの香りが立ち上り、鉄板じゃないのに屋台みたいな匂いが部屋に広がる。


 後ろから時々聞こえる「おぉ……!」という子どもみたいな感嘆の声のおかげで、料理が少し楽しかった。


「ほら凛ちゃん。ご飯できたから、お椅子座れるかな?」


「うん、すわれる!」


 凛さんはどたどた走ってゲーミングチェアに座った。

 焼きそばを置くと、「いただきます」と礼儀正しく手を合わせて食べ始める。どこかお行儀がいいのは、さすが凛さんだな……いや、凛“ちゃん”か。


 さて。凛さんが食べている間にも、僕にはやることがある。


 まず掃除。

 溜まっていたカップ麺や冷凍食品の包装、空き缶を分別してゴミ袋へ詰めていく。缶は水で軽くすすげば、スーパーのリサイクル回収に出せる。

 明日は燃えるゴミの日。燃えるものは明日出して、燃えないものはまた今度。玄関にまとめる。


 凛さんの元へ戻って、食器を洗って、フライパンを洗って――。

 こうやってわたわたと動くのは久しぶりで、少し楽しかった。


 そして気づけば、日付が変わる時間になっていた。


(終電……なくなっちゃった。仕方ない。今日は凛さん家で寝よう。とりあえず香苗に連絡……)


 スマホを手に取った、その瞬間。

 後ろからぐいっと引っ張られて、僕は大きくよろけた。


 けれど待っていたのは硬い床じゃない。

 柔らかい凛さんの体だった。ぎゅっと抱きしめられて、まるで人形になった気分になる。


「そろそろ寝よっか」


「うん」


 耳元で吐息がかすれて、少しだけドキッとした。

 でも、続く言葉は――その温度を変えた。


「さいきんね……ずっと、さみしかった」


 後ろから聞こえる声が、急に弱い。


「……どうして?」


「まま、さいきんいなくて……ずっとひとりぼっちだったから……」


 腰に回された腕に、ぎゅっと力が入る。

 確かに、家に帰れるようになってから、僕は凛さんの家に一切来ていなかった。来たら迷惑をかけるかも、って思って、意識的に避けていた。


 でも――逆だったんだ。


「そっか……ごめんね。寂しい思いをさせて」


「よるに……ひとりは……さみしいよ……」


 僕は凛さんの腕の中で身をよじって、向き直る。

 そして僕からも、ぎゅっと抱きしめた。小さな体で凛さん全部は包めないけど、顔くらいなら、手のひらで優しく包める。


「……それじゃ、今度からは――ままが、一緒にいるね」


「あと、おふろと、ねるのも……いっしょ……」


「う、うん……そうだね、いっしょ……!」


 ここは、嘘を混ぜるしかなかった。香苗も心配だし、毎日一緒に寝るのは厳しい。お風呂はさすがに――色々とダメな気がする。

 でも、今ここで否定したら、凛さんはきっと拗ねる。


「あ、でもお酒の飲みすぎは駄目ですからね!」


「……むぅ……おさけのむのも、ままのせいだもん」


 凛さんは頬をぷくっと膨らませ、僕の胸に顔を埋めた。

 まんま、小さい頃の妹と同じで、可笑しくて、つい笑みがこぼれる。


「はいはい。これからはままが来るから、お酒は控えようね」


「……うん」


 消え入りそうな返事が、胸の中から聞こえた。


「それじゃ、そろそろ寝よっか?」


 僕は凛さんを布団に座らせ、電気を消す。

 真っ暗な部屋で、凛さんの気配を頼りに布団へ潜り込む。


 その瞬間、ひょいっと引っ張られて、抱き枕みたいに抱きしめられた。

 つい一週間前まで、これが当たり前だった。懐かしい。


「……ままがね……いなくなってから……ずっとさみしかったの」


「うん、うん」


 またか、と少しだけ呆れる。けど、酔ってるんだから仕方ない。


「ままがいなくなってから……ぱぱ、へんになっちゃってね……」


 ――違和感。

 それは僕に対する言葉じゃない。そう気づいた瞬間、背筋が冷えた。


「すごくきびしくて……おこってばっかで……それで……それで……」


 凛さんの声が震える。


「しぐれ……うみゅ……」


 僕は反射的に、凛さんの唇に人差し指を当てて止めた。


 名前――?

 酔いの舌で潰れた音。でも、確かに人の名前みたいだった。


「……もう大丈夫。ままは絶対どこにも行かない。ずっと凛と一緒にいる。だから、今日は寝よう」


 凛さんはこくり、と頷く。

 それから数分もしないうちに、すうすう、と寝息を立て始めた。


 さっきのは、きっと僕への言葉じゃなかった。

 凛さんの“本当の”お母さんへの言葉――そして、凛さんの過去の欠片だ。


 聞くなら、酔っている凛ちゃんじゃなくて。

 ふだんの凛さんから、ちゃんと聞かなくちゃいけない。


 凛さんは隠していることが多い。僕はまだ、凛さんのことをほとんど知らない。

 でも、だからこそ。少しずつでいい。歩み寄って、たくさん知りたい。


「ふわあ……僕も……そろそろ……」


 凛さんがしっかり眠っているのを確認して、僕も目を閉じる。

 耳に入ってくるのは、凛さんの寝息だけ。それが妙に安心できて――僕もすぐ夢の中に落ちた。


 翌日。

 カーテンの隙間から差し込む光が眩しくて、僕はゆっくり瞼を開けた。


 その瞬間。

 目の前で寝ていた凛さんも同じタイミングで起きたようで、ぱちり、と目が合う。


「……おはよう。どうして祈里がここに?」


「おふぁようごじゃいます……昨日のこと、覚えてないんですか」


 凛さんは一度目を閉じ、必死に記憶を探す顔をした。

 そして、ぱちりとまた目を開く。


「すまん……何か、しでかしたのか。あたしは」


 気まずそうに顔が青ざめる。

 ……絶対、別方向の“やらかし”を想像してる。


「そういうのじゃありません。凛さんに来いって言われたから来て、終電がなくなったから寝させてもらっただけです」


 凛さんは、ほっと息をついた。


「……しかし時間は大丈夫なのか?」


 凛さんがスマホを見せてくる。

 表示された時刻――八時過ぎ。


「まずい! 遅刻だ!?」


 ぐっすり寝すぎた。

 ここから電車で家に戻って、鞄回収して、学校――間に合うわけがない!


「どうしよ……大遅刻だ……」


「仕方ない。乗ってくか?」


「はい!!」


 凛さんの提案に全力で頷く。

 凛さんのバイクなら、電車よりずっと早い。なんとか一限の途中には滑り込めるはずだ。


 この日から、僕は二日に一度は凛さんの家に泊まることにした。

 表向きの理由は簡単。凛さんの生活力の欠如だ。


 配信の相棒として、相棒の体調管理も仕事の一つ。

 凛さん一人じゃ、料理も洗濯も掃除も――放っておくと、部屋がすぐ地獄になる。だからそれを名目にして、凛さんを説得した。


 幼児退行のことを理由にしなかったのは、良心からだ。

 もし僕が同じ立場で、酔った勢いとはいえ「まま」なんて呼んで抱きついてたって知ったら――多分、穴があったら入りたくなる。いや、普通に死にたくなる。


 だからこれは、ただの“相棒のメンテナンス”。

 そういうことにしておく。


 ……でも本当は、あの夜の「さみしい」の声が、ずっと胸に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ