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底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。  作者: まぴ56
第二章:女神ちゃん、合宿に行く

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第27話:静かな日曜日と、あの日の答え

 騒動が落ち着いて、ようやくやってきた日曜日。

 予定通り、今日は朝から研究室に入り浸り、自分のギフトについて調べていた。


 休日の大学は、驚くほど静かだ。廊下の足音もまばらで、窓の外の風が木の枝を揺らす音ばかりが目立つ。

 研究室も例外じゃない。蛍光灯の薄い唸りと、パソコンのファンの小さな回転音だけが、僕の背中を押してくる。


 とはいっても、少ない情報から「自分の神格」を同定するなんて、ほとんど暗闇で星座を当てるようなものだ。

 資料を広げては首をひねり、ノートにメモしては消し、また読み返す。——そんな作業を延々と繰り返して、絶賛悪戦苦闘中である。


「お疲れ様。コーヒーでも淹れようか?」


「ありがとうございます。いただきます」


 まきまきは学会で関西へ行っていて、研究室は僕と凛さんの二人で占領中だ。

 言ってはなんだが、まきまきがいないと、部屋のどこかに染みついたアルコールの匂いが薄まって——空気が少しだけ、すがすがしい。非常に失礼な話だが。


 凛さんは手際よく、ポットから湯を注いでいく。カップを温める仕草が妙に慣れていて、こういうところだけ、生活力があるんだな……と変な感心をしてしまう。


「ほら、熱いから気を付けて飲めよ」


「はい、ありがとうございます」


 コトリ、とカップが僕の机に置かれる。

 ふわっと立ち上る、コーヒーのやさしい香り。


 ズズッ、とひとすすり。

 凛さんの淹れるコーヒーは濃いめで、ちょっぴり苦い。けれどこの苦さは、ついこの前まで凛さんの家で過ごした日々を思い出させる。

 僕にとっては、もう「思い出の味」になりつつあった。


「……おいしいです!」


「なら良かった。レポートの方はどうだ?」


 それを聞かれて、僕は笑って誤魔化すしかない。

 正直、まきまきから出されたレポート——全然進んでいない。


 調べ物はしてる。してるんだけど……文章にする段階で、完全に固まっていた。

 画面のワードには、タイトルすらない。カーソルだけが、点滅して僕を煽ってくる。


「まあ、まだ四日程度ですし……ここからです。ここから……」


「まだゼロ文字……先が思いやられるな……」


 ノートパソコンを覗き込んだ凛さんの顔が、呆れとも心配とも取れる苦笑いになる。

 恥ずかしさで胸の奥が、ちくりと痛んだ。


「そうだ、箇条書きでもいいからまとめておけって言ってたやつは……」


 僕が汗だらだらで目を逸らしているのを見て、凛さんは察したらしい。


「……そっちもやってないと来たか」


「うぅ……自分からやるって言ったのに……面目ないです……」


 凛さんは腕を組んで、少し考えるように天井を見上げた。

 怒られなくてよかった、とほっとしてしまう自分が情けない。


「まあいい。今日はあたし暇だし、一日付きっ切りで教えてやる。サボれると思うなよ」


 にやり、と凛さんが笑う。

 その顔が、やけに頼もしく見えてしまった。


 正直、レポートなんて高校でもまともに書いたことがない。

 何も分からないまま「とりあえず開いたワード」とにらめっこして固まっていたのが現状だ。


「ありがとうございます。がんばります!」


 ぐうう〜……と、研究室に妙に響く音。

 音の主は、凛さんのお腹だった。


「……先に昼食にしましょうか」


「そうだな。昼は空いてるはずだし、せっかくだから食堂に行こう。日曜は貸し切り状態で気分がいいぞ」


 そう言い終えると、凛さんはデスクの端に置かれた財布を手に取り、研究室を出ていく。

 僕も慌てて追いかけた。


 廊下は静かで、窓の外の風の音が妙に大きく聞こえる。

 少し歩けば食堂棟。ほかの施設は日曜だと閉まっているところが多いのに、ここだけは開いている。まさしく学生の味方だ。


「祈里は何が食べたい? あたしのおごりだ」


「うーん……」


 悩む。カレー、うどん、からあげ丼……種類が豊富すぎて、逆に頭が真っ白になる。


「凛さんと同じの……じゃ、ダメですか?」


「構わんよ。それじゃあ先に席を取っておいてくれ」


「分かりました」


 そう言って凛さんと別れる。

 食堂はそこまで広いわけじゃないのに、今の僕の身長からすると、とてつもなく広く感じる。テーブルの脚が森みたいだ。


 今日は人がいなくて視界が晴れているから迷子にはならない。

 でも、前に一度凛さんに連れてきてもらった時は、学生の波に揉まれて食堂内で本気で迷子になった。今思い出しても恥ずかしい。


「やっぱり、どうせなら窓際だよね」


 窓際、食堂の角っこの席に腰を下ろす。

 今日は天気が良くて、ガラス越しに差し込む日光があたたかい。テーブルの木目に光が広がって、やさしい匂いがする気さえする。


 目を閉じると、眠ってしまいそうだった。


「ふああ……凛さんが来るまで……ちょっと、寝よっか……」


 気持ちがいい。

 最近は非日常の中に入り浸っていたせいか、こういう「なにも起きない時間」がどれほど貴重か、身に染みて分かるようになってきた。


「待たせてしまって、すまない」


 コトリ、とテーブルにトレーが置かれる音。

 ゆっくり瞼を上げると、凛さんがもう席に来ていた。ほんの数分のつもりだったのに、寝てしまっていたらしい。


「ふああ……ありがとうございます」


 トレーの上には、きつねうどん。

 もう四月も終わりなのに、まだ少しだけ肌寒い。だからこそ、この時期の汁物は倍おいしそうに見える。


「いただきます」

「いただきます」


 同時に手を合わせて、食事に手を伸ばした。


 数口すすったところで、凛さんがふと口を開く。


「そういえば、聞いていなかった。一昨日、どうやってあたしたちの場所が分かったんだ? それに、あのバイク……」


「えーっと……話すと長くなるんですけど、いいですか?」


「ああ、聞きたい」


    ◆


 時間をさかのぼること、屋上階段で例の“黒腕”の襲撃があった後。


 授業中、僕はずっと上の空だった。

 黒板の文字が視界を滑っていくのに、頭には入ってこない。ノートにペンを落としても、何を書いているのか分からない。

 胸の奥で、ざわざわとしたものだけが、ずっと鳴っていた。


 五限が終わっても、それは収まらない。

 むしろ時間が経つほど、じわじわと焦りだけが増していく。


 そんな僕を心配してか、鏑木さんが声をかけてくれた。


「ずっきー、授業中もずっとそわそわしてたけど、本当に大丈夫? 体調悪いんだったら、一緒に保健室行くよ」


 机で頬杖をつく僕と視線を合わせるように、鏑木さんはしゃがんで顔を覗き込んでくる。

 眉が下がっていて、とても心配そうだ。


 正直、僕は嘘や強がりが苦手だ。

 全部、顔に出てしまう。だから僕は観念した。


「……実は……」


 鏑木さんに全部話した。屋上階段で起きたこと。黒腕のこと。らいこさんが追跡に行ったこと。凛さんもそれを追っていること。

 そして、それがずっと心配でたまらないこと。


 鏑木さんは少し悩んだあと、僕の目を真剣なまなざしで見返してきた。


「……追わなくて……いいの?」


「……あんまり危険なことをするなって……凛さんからも、まきまきっていう人からも言われてて……自分から痛みに飛び込むようなことはしないって……約束したから」


 まきまきから怒られたばかりだ。約束もした。

 それに追いかけたところで、僕にできるのは痛みの肩代わり程度。

 ——僕は弱い。自分を傷つけなきゃ、人の役に立てない。


 言い切った途端、胸の奥がひゅっと縮む。

 「正しいこと」を言ったはずなのに、言い訳みたいに聞こえてしまうのが嫌だった。


 鏑木さんは、僕の顔をじっと見ていた。

 すぐに返事はしない。眉を寄せて、唇をきゅっと結ぶ。考えるように、短く息を吸って——


「わたし、馬鹿だからこういう時、かっこいいこととか言えないけどさ……」


 鏑木さんは僕の肩に両手をポン、と乗せて、優しく微笑んだ。


「どのみち、行っても行かなくても後悔するんだし。今、楽になれる方を選んだ方がいいんじゃない!」

「追わなかったら、ずっと苦しいまま。でも、追えば、追ってる間は苦しくないと、私は思うよ」


 短絡的、刹那的。言ってしまえばその場しのぎの考え方だ。

 だけど——それを言う彼女の目は、軽く笑っているのに澄んでいて、前だけを見ていた。


「とっても怒られても……」


「いいじゃん! 追わなかったら、自分で自分を責めることになるんだよ! 追えば人に怒られるだけ。申し訳なさそうな顔しておけば、喉元過ぎるって!」


 ようやく気付いた。

 鏑木さんは、僕の本心にもう気付いているんだ。

 だからこそ、その本心に従って動けるように、慣れないなりに背中を押してくれている。


「……あはは……女の子に励ましてもらうって……ごめんね、情けなくて」


「情けなくていいんだよ!」


 小さく、でも真剣に、鏑木さんが声を張った。

 その一言だけで、僕の意識が彼女に全部持っていかれる。


「誰だって、きっと凛さんとか、らいこさんだって……誰かに背中を押してもらいたい時、守ってもらいたい時くらいあるでしょ。だから、情けなくてもいいんだよ」


 いつもとは違う真面目な顔。

 肩に置かれた手が少し震えている。僕の乾いた瞳に、潤いが戻る。視界に色が差すみたいな感覚。


「やっちゃえよ、ずっきー!」


 にへら、と鏑木さんは笑った。

 華やかで、でも芯の強い笑顔だった。


「……鏑木さん! スマホ、借りてもいいかな?」


「うん!」


 思考がすっきりと晴れていく。

 確か、前に一度、ジンバルンが鏑木さんのスマホをハッキングしていたはずだ。もしかしたら、まだ繋がるかもしれない。


「ジンバルン……ねえ、ジンバルン。聞こえてたら応答して。ジンバルン!」


 何度も呼ぶ。

 反応がなくて諦めかけた、その時。


「いかがされましたか、祈里様?」


 鏑木さんのスマホから、なめらかな機械音声が響いた。


「え!? しゃ、喋った」


「今はそれどころじゃない! ジンバルン、凛さんたちの状況は?」


「……」


 ジンバルンは黙る。

 それもそのはずだ。僕が危険に身を投じようとしていることを、分かっているのだから。


「お願いだ、ジンバルン。嫌な予感がする。現場を見て、必要なければすぐ引き返す。だからお願い!」


 スマホ相手だというのに、僕は深々と頭を下げる。


「……しょうがない方です」


 パッと画面が明るくなり、地図アプリのようなマップが表示された。


「現在、マスターとらいこ様は共にバイクで通称“黒腕”を追跡中。このままいけば、高速道路に侵入する可能性が高いかと」


 高速道路で逃げるつもり——。

 だとしたら、問題は移動手段だ。


 残念ながら、僕は免許を持っていない。

 それにこの身体じゃ、バイクどころか自転車すら不安だ。


「鏑木さんって、免許持ってたりする?」


「ううん、ない!」


 じゃあ、免許を持っているのは——。


「思い出した!」


 勢いよく立ち上がる。椅子がきゅっと鳴って、教室中の視線が一斉に集まる。

 でも気にしている暇はなかった。


 僕は一直線に、廊下側の一番後ろ、固まっている席へ向かう。

 一条君のグループがいる場所だ。


「……なんだてめえ、いきなり」


 途中で止められる。

 僕の財布から金を抜いたり、裸にして写真を撮ったり、虫を食わせてきたりした——金髪の、あいつ。

 グループの中で、一番僕が苦手な相手。


 でも、用事があるのはこいつじゃない。


「ごめん、君じゃないんだ。そこ、どいてくれないかな?」


 金髪がずん、と背を曲げて顔を近づけてくる。

 圧が強い。息が、喉に引っかかる。


「お前……最近、調子乗りすぎじゃね?」


 横を通り抜けようとした瞬間、後ろから腕を掴まれ、グイッと引かれる。

 力の差は歴然で、こけそうになる。なんとか踏ん張った。


「おいおい、無視はひどくね」


「ごめん、急いでるんだ。後で——うわ!?」


 二の腕を掴む手を解こうとするが、無理やり引き寄せられ、顎を掴まれる。

 周りの声がすっと遠のいた。空気が一気に冷える。


「……結構顔いいよなあ、お前。相手、後でじゃなくて……今、してもらいてえな」


 言葉の端が、笑っている。

 顎を掴んでいた手が落ちて――胸元へ滑る。制服の布が引かれ、ぞわりと背筋が粟立った。


 声が出ない。呼吸が、浅い。

 教室が静まり返る。

 誰も止めない。止められない。——怖いから。


 その中で、唯一動いた影があった。


「その手、放しなさいよ」


 鏑木さんだった。

 つかつかと歩み寄ってくると、ガンッ! と金髪の足を全力で踏みつけた。


「っ!? いってえこの!」


「あんたらから聞いてたずっきーの噂。あれが本当だとしても、どっちがクズかって言ったら、あんたらの方よ」


「てめえ……ボコす!」


 金髪が拳を振り上げる。

 鏑木さんもボクシングみたいに構える——その時。


 ガラリ、と教室の扉が開いた。


 そこに立っていたのは、学校の中でも飛び抜けて筋骨隆々な男子生徒。

 一条君の親友で、前に僕に土下座をしてきた……えっと、名前は。


「おい、鈴木。その顔、もしかして俺の名前覚えてねえのかよ……」


 呆れたように睨まれる。

 仕方ないだろう。陰キャはクラスメイトの名前を覚える機会がない。誰とも喋らないんだから。


小鳥遊たかなしだよ、小鳥遊。んで、こりゃ一体どういう状況だよ」


 鏑木さんと金髪の一触即発を見て、大きなため息。


「すまん。多分、俺らが悪いんだよな」


「んな、なに言ってんだ小鳥遊! こいつが! 鈴木が舐めた態度取りやがったんだよ」


 小鳥遊君が肩を回しながら二人の間に入る。

 金髪は援軍が来たと笑い、鏑木さんは構えを崩さない。


 ……ドゴッ!!


 小鳥遊君の、腰の入った拳が金髪の腹に深く突き刺さった。

 金髪は声も出せず、そのまま崩れ落ちる。


「すまん、鏑木。こいつのやったことはこれで許してやってくれ。気が済まないなら、俺を殴れ」


「別にいいわよ。殴り合いがしたくて突っかかったわけじゃないし」


 そう言って鏑木さんは、隣の僕の腕を掴んで抱き込む。守るみたいに。

 「大丈夫?」と目が言っていた。


「えっと……実は、僕から小鳥遊君に……用事っていうか……頼みごとがあるっていうか……」


「……これまで俺たちが酷いことしてきたせい、なんだろうけど。そこまで怯えるなよ」


 鏑木さんがキッと小鳥遊君を睨む。

 子猫を守る母猫みたいだ。


 僕は——日頃の癖のせいで、体がすくむ。

 彼らを前にすると、どうしても。


「ああ、いや……そうだな。鈴木の頼みなら断らねえ。気兼ねなく言え」


 小鳥遊君は胸をドン、と叩いて、微笑混じりに言った。


「それじゃあ……お願い……してもいいかな」


「ああ。それが少しでもお前のためになるなら、何でもする」


 震える体を、必死で制する。


「小鳥遊君って、たしかバイク通学だよね。お願い、乗せてってくれないかな?」


「いいぜ」


 間髪入れずに親指を立てる小鳥遊君。


「つっても、どこまで乗せてきゃいいんだ?」


 鏑木さんがスマホを差し出してくれる。画面には地図。車のマーカーが点滅しながら、じりじりと進んでいた。


「ジンバルンが出してるこの位置まで、全力で頼む!」


「いいけどよ、ヘルメットはあんのか?」


 言われて、僕は一瞬だけ詰まる。教室の視線が刺さった。


「……大丈夫! 法律上ないとダメってだけで、死ぬわけじゃないから!」


「いやダメだが!? 俺が免許剥奪になる!」


「それは……ごめん」


「わーったよ。俺の予備ヘルメットある。バイク持ってくっから校門で待ってろ」


 呆れながら笑うのに、断るそぶりはない。


「うん! ありがとう、小鳥遊君!」


 まさかこんなにすんなり手を貸してくれると思っていなかった。

 嬉しくて、自然と笑みがこぼれる。背を向けた小鳥遊君の耳が、ほんのり赤かった気がした。


 短い足で校門まで急ごうとした時、後ろから鏑木さんの声。


「ずっきー!!」


 振り返った瞬間、何かが投げ渡される。

 あわあわしながらも、なんとかキャッチした。


 鏑木さんのスマホだ。


「それ、あった方が便利なんでしょ! 貸しいちね!!」


 ウインクして、親指を立てる鏑木さん。


「ほんとに……本当にありがとう!」


 僕も親指を立て返す。


 振り返ろうとした、その時。

 鏑木さんの口元が、わずかに動いた気がした。


 気になって、もう一度振り返る。


「でもさ! ……いや……な、なんでもないや!!」


 一瞬だけ、彼女の表情がしゅんと沈んだように見えた。

 でもすぐ笑顔に戻って、次はピースサイン。


 その笑顔に背中を押されて、僕は走った。


    ◆


「とまあ、そんなこんなで、凛さんたちの元へとたどり着いたわけです」


 話し終える頃には、どんぶりは空になっていた。

 凛さんの方は汁まで飲み干している。


「そうか……有栖ちゃんにも、その小鳥遊君にも、お世話になってしまったな」


 凛さんは申し訳なさそうに眉を下げる。

 けれどどこか、嬉しそうにも見える。


「でも、あたしとらいこの命があるのは、ひとえにお前が——祈里が来てくれたからだ。だから……」


 すっと、テーブル越しに凛さんの手が伸びる。

 僕は反射的に、頭を少しだけ傾けた。


 優しく、凛さんが頭を撫でてくれる。

 指先が髪を梳くたび、胸の奥の固いものがほどけていくみたいに、落ち着いた。


「ありがとうな。祈里」


 凛さんの微笑みを見て、何故だか僕も笑ってしまった。

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