第23話:そういうところだよ……鈴木君
紙袋が擦れる音が、二人分重なってしゃりしゃり鳴る。
歩幅が合う。肩が、触れそうで触れない。
ただ時々、風で袋が揺れて、指先だけがかすめる。
そのたびに、胸がちょっとだけ跳ねる。
「あのさ……鏑木さん」
「ん?」
振り向いた鏑木さんの顔は、モールの明かりから少し遠ざかったせいで、昼より柔らかく見えた。赤茶の髪が街灯の光を拾って、ほんのり金色に透ける。
「今日は……ありがとう。その、すごく楽しかった」
「ふふっ。そっか。なら良かった」
笑い方が、いつもの“元気!”じゃなくて、少しだけ静かだ。
その静けさが、なんだかずるい。僕の声まで小さくなる。
「次はさ、ずっきーから誘ってよ!」
「ぼ、僕から!? ……でも僕、誰かと遊んだこと、あんまりないから……」
「違うの。何やるかじゃなくて、とりあえず誘ってほしいの!」
鏑木さんは僕の前へ回り込むと、そのまま後ろ歩きで僕の顔を覗き込んだ。
距離が近い。近いと、目を逸らしたくなる。でも逸らしたら負けな気がして、僕は頑張って見返す。
「なにやるか、なんてそのとき一緒に決めればいいじゃん。今回だって、特段何も考えずにずっきー呼んだのが発端だし」
にこり。いつもの明るい笑顔が花開く。
「やりたいことがあって、ずっきーを呼んだんじゃなくて。ずっきーと遊びたいから、ずっきーとできることしたんだもん」
……胸のあたりが、きゅっとした。
そんなの、反則だ。僕はそういうのに慣れてない。
「……うん。分かった。次は僕が鏑木さんを誘うね」
「……」
鏑木さんが、むっとした顔で口を尖らせる。
「日香里ちゃんと志暖ちゃんは名前なのに……わたしは苗字なんだ……」
「え、えっと……それは、その、二人は名前しか知らないから……」
言い訳をした瞬間、鏑木さんが、じいっと僕の目を見てくる。
逃げ道がない目だ。まっすぐで、でもちょっとだけ揺れてる。
「……有栖」
ぼそり。
小さすぎる声だったのに、なぜか耳の奥にだけはっきり届いた。
「……あり、す」
僕が反射で復唱すると、鏑木さんの耳が、ほんの少し赤くなった。
そして――照れ隠しみたいに、ぷいっと顔を逸らして、急に走り出す。
「ちょ、ちょっと待って!」
追いかける。けど、僕の脚じゃ追いつけない。
視界から消えかけたとき、きい……きい……という音が、夜の静けさの中で揺れた。
公園だ。街灯の黄色い輪の中で、鏑木さんがブランコを立ちこぎしていた。
風で髪が揺れる。そのたび、月の光がきらっと跳ねる。
僕も隣のブランコに座ろうとして――手を止めた。鎖が濡れている。座面も湿っていた。地面の砂がじゃりじゃりしていて、靴底にまとわりつく。
(……雨、降ってたんだ)
鏑木さんは、前を見たまま言った。
「ずっきーってさ。誰にでも凄い優しいタイプだよね……」
胸の奥が、ふっと重くなる言い方だった。
「もしも……あのダンジョンにいたのがわたしじゃなくて、日香里ちゃんとか志暖ちゃんでも、ずっきーは助けてあげたよね」
「……うん。助けると思う」
僕が言うと、鏑木さんのまつ毛が揺れた。
雫が一つ、落ちた気がした。雨の残りか、それとも――。
「それじゃあさ……もし、そこにわたし達三人がいたら。ずっきーは誰、助ける?」
「それは……」
答えようとした、その瞬間。
「きゃっ!?」
ブランコの頂点。足が滑る。
鏑木さんの身体が、月を背にふわりと浮いて、落ちてくる。
僕は濡れた地面を蹴った。
間に合う。間に合わせる。
腕の中に、あたたかい重みが落ちてくる。
抱き止めた瞬間、顔が、近かった。
呼吸の温度も、心臓の音も、分かる距離で。
「だい……じょう……ぶ?」
声が、ひどく情けない。
でも鏑木さんは、しばらく固まったまま僕を見つめて、ようやく小さく頷いた。
「……うん」
それだけで、胸がほどけそうになる。
けど、足腰が限界で。
「……ぐぬぬ」
僕はそのまま座り込んだ。濡れた砂が冷たい。鏑木さんを抱えたまま、変な体勢になってしまって、余計に恥ずかしい。
「ご、ごめん! ずっきー!」
鏑木さんが慌てて抜け出そうとする。
「待って! 地面濡れてるから、ゆっくり……!」
「……うん。その……意地悪なこと言って……ごめん」
鏑木さんは慎重に立ち上がって、膝の砂を払った。
僕も立ち上がって、服についた砂をぱんぱんと落とす。
そして、さっきの質問に戻る。
「……僕は三人とも助けるよ。なんとしても」
鏑木さんの表情が、少しだけ笑って、少しだけ曇る。
その曇りが、たぶん答えなんだと思った。
「でも……」
僕は言ってしまう。言わなくていいのに。
「鏑木さん――有栖さんの前では、ちょっとカッコつけたくなるかも。今みたいに」
一瞬、鏑木さんの目が丸くなって。
次の瞬間、視線がふらっと揺れて、頬がゆっくり赤くなる。
「……そっか」
小さく笑って、でも声が震えていた。
「ありがとう」
沈黙が、甘くて、こそばゆい。
僕は耐えきれなくて、慌てて空を見上げる。話題、話題……。
そこで、ぽつりと口から落ちた。
「……月、綺麗だね!」
「――っ!?」
鏑木さんが、露骨に固まった。
耳まで赤い。いや、顔全体が真っ赤だ。
「え、えっ……それ、今……そういう……!? いや、その……まだ……! もうちょっと……心の準備っていうか……!」
「え!? ごめん、僕なんかまずいこと言った!?」
「……もう」
鏑木さんはジト目で僕を見て、わざとらしく大きくため息をつく。
「……そういうところだよ……鈴木君」
「なんで急に苗字!?」
「さあ、知りませーん。なんで怒られたか、明日までに考えといてください」
そう言って、鏑木さんは先に歩き出した。
……なのに、歩き出した背中が、さっきよりほんの少しだけ軽い。
「待って! 置いてかないで!」
僕は慌てて追いかける。
帰り道、ほとんど無言だった。
でも――鏑木さんの機嫌は、明らかに良くなっていた。
女の子になったけど、それでも女心は分からない。
……いや、たぶん。分からないままの方が、今はいい。




