第17話:女神ちゃん、ブチ切れモード
すっと、身体に力が入る。
いや、僕が“体に戻って来た”みたいな感覚だ。
ぱっと視界が晴れる。――とはいっても、鮮血に染まった真っ赤な部屋なのだが。
「祈里様……祈里様……返事をしてください。祈里様……」
「ジンバルン!? ああ、ごめん。大丈夫、大丈夫だよ……」
さっきのあれは……夢?
いや、そんなわけがあるか。まさしく、さっきまで目の前にいたのは神様だった。
「ねえ、ジンバルン。僕、なにしてた?」
「何と申されましても……神を冒涜するような発言を続ける途中、突然静かになってしまわれて。十分間程、立ったままうつむき、何も喋らなくなってしまったのです。心配いたしました……」
左目に手を当てる。瞼の上から軽く触れる。
――しっかり、眼球はある。
「いや、そんなことより!」
急いでしゃがみ込み、一条君の顔を覗き込む。
「祈里様……一条様は……もう……」
……息をしている。
どころか、さっきまで真っ青だった顔に血の気が戻っている。
ギフトを発動しても、僕に痛みが来ない。
つまり今は、肩代わりの回線が繋がっていない。――それは、一条君が“危険域”から抜けたってことだ。
「ジンバルン。こっち、見て」
スマホを手に取り、配信に一条君の顔が映らないように表カメに切り替える。画角の端に、床に倒れた影だけがちらりと入る。
素人目には、すやすや眠っているようにしか見えない。
「……呼吸、安定。……目視できる限りの傷も塞がって」
ジンバルンの指示に従い、体の検査をしていく。
時々カメラを向けて確認してもらいながら。
「バイタル安定。命の危険、特段なし」
平坦な声――だけど、どこか揺れている。信じられない、みたいな。
「これは……祈里様が?」
「違うよ……神様」
首を横に振る。
ありがとう、まま。
……その時だった。
僕は、またミスをした。
ここは体育館倉庫。――でも、ダンジョンの中だ。安全なんて、どこにも無いのに。
僕はダンジョンで、気を抜いてしまった。いや、気を抜いていなくても、これは回避できなかったが。
「……ミィツゥケタァ」
「しまっ――」
背中に、扉の隙間から“気配”が滑り込んで来る。気付いた時には、もう遅かった。
ガンッ!!
重い体育館倉庫の扉が、内側から叩きつけられるように閉まる。
『逃げて! 女神ちゃんマジ逃げて!!』
『やば! また人体模型じゃん!!』
そして――
ガツンッ!!
人体模型は、自分の体に刺さった斧をずるりと抜くと、扉の両開きの隙間へ“鍵”みたいに突き立てた。
斧の柄が、扉同士を噛ませる。――これじゃ開けようとしても引っかかって動かない。
(それより状況がまずい。武器……武器は……)
無い。使えそうな武器が無い。
でも、一条君を守らないと――
そう思った瞬間、脳内で何かが噛み合わず、僕は自分を叱るみたいに呟いていた。
「……いや、そうか……これが駄目なんだ」
また忘れるところだった。
僕は“変わる”んだ。なら、今考えるべきは「守るために耐える」じゃない。「守るために壊す」んだ。
立ち尽くす僕へ、人体模型がねっとりした声を這わせる。
「サッキハ、ヒドイヨゥ……ズゥーット、サガシテタンダヨ……モゥ、ニガサナィ」
どたっ……どたっ……
ゆっくり、確実に距離を詰めてくる。
スタ……スタ……
距離は近い。だからこそ、一条君を巻き込まないように、僕も回り込むように位置をずらす。
「お前……僕のこと、好きなのか?」
「ソウダヨォ! ダッテ、カノジョ……」
「僕は! お前みたいにデリカシーがないやつ……嫌いだ」
人体模型が、目に見えるくらいびくっと跳ねる。
そして、がくんと肩を落とした。
『おお!! 言ってやれ女神ちゃん!!』
「ソッカァ……ナラ……コロスネェ」
声が、からりと乾いた。
目が合う。いやらしい目つきが消えて、ただの“殺意”だけが残っている。
「望むところだ……でもなあ。そのセリフ、こっちのもんなんだわ」
息を吸う。
「お前を殺す……」
『今のイケボ杉!!』
地面を蹴る。
――が、あっちの方が断然早い。
踏み込んだ瞬間には、もう目の前に“何か”があった。
ぐん、と視界が跳ねる。
弾かれた。吹き飛ばされた。
『うあ……やっぱ女神ちゃん……戦っちゃダメだって……弱いんだから……』
『そうだよ! 逃げてよ女神ちゃん!!』
『逃げろ! 勝てねえって!!』
狭い体育館倉庫の壁に衝突。骨が折れる感覚。
視線だけを動かして確認する。
庇うために後ろへ回した右腕が、ばっきり。肘関節が逆を向いている。
(……今の、なんだ)
人体模型の首元を見る。
巻き付いているのは――腸。赤黒い、湿った紐。
(首に巻いてた腸……? 自在に動かせるのか……)
理解するより早く、その腸が“槍”みたいに飛んでくる。
ダンッ!
壁を蹴って横へ逃げる。
次の瞬間、腸が真横を通過し――体育館倉庫の壁に突き刺さった。
(あっぶな……!)
息が熱い。
僕の弱点は、捕まることだ。たとえ死ななくても、締め落とされたり、拘束されることへの耐性はない。
ガッシャーン!!
飛んだ先にあったボール入れに突っ込み、道具ごと地面へ落ちる。
ボール、バット、謎の器具。ありとあらゆる物が散乱し、僕の体の下敷きになる。
『うわあ……痛そう……』
『マジで見てられねえ』
『あれっしょw このあと滅茶苦茶にエロい展開待ってんでしょww』
『お前流石にそういうこと言うなよ……』
考える暇もなく、追撃が迫る。
ヒュン――ッ!
風を切る音。
赤黒い腸マフラーが、槍みたいに伸びてきた。
(――また首を獲りに来る)
僕は反射で身を縮め、道具の“下”へ潜り込む。平均台の下。マットと棚の隙間。得点板の裏――人ひとりが通れないような狭い場所を、影みたいにすり抜ける。
腸が、僕のいた場所を貫く。
ズブッ!
バキッ!
木枠に刺さり、器具に絡み、引っかかる。
すぐ引き抜かれてまた飛んでくるけど、長いぶん、どうしても一拍“戻り”が遅れる。
(……絡まってる。だんだん)
僕は逃げるフリをしながら、わざと道具の間を縫っていく。
ロープ。支柱。ネット。棚の角。
腸はそのたびに巻き付き、ほどけて、また巻き付いて――まるで自分の首に自分で縄をかけてるみたいに、動きが鈍っていく。
そして、ついに。
ビンッ!!
腸が何かに引っかかったまま、ぴんと張った。
糸が張り詰めたみたいに、一本の線になる。
「――今だ!!」
僕は地面を蹴って、腸へ飛びついた。
ガブッ!!
噛みついた瞬間、口の中に嫌な味が広がる。鉄と湿り気と、腐った肉みたいな――。
(汚いとか言ってる場合じゃない!)
「イッタァア!! ヤメ! ヤメロォォ!!」
人体模型が甲高く叫ぶ。
噛みついた腸がびくんびくん跳ねて、僕の顎を引き剥がそうと暴れる。
でも、離さない。
ガブッ! ガブッ!!
噛み直す。食いちぎる勢いで、何度も。
『すげえ! リスみたいwww』
『噛みつき戦法は草www』
『でもガチで効いてるぞそれ!!』
腸が、目に見えて弱る。張っていた“線”が緩み、ずるりと床に落ちた。
(よし――これで、腸は)
……と思った、その瞬間。
人体模型の気配が、ぐん、と近づいた。
好きにやらせてくれるほど、あいつも甘くない。
ダッ!!
人体模型が突っ込んで来る。
腕の骨が伸びて、一本の刃――いや、ナイフみたいな“骨のかぎ爪”へ形を変えている。
(……やってみるか)
刹那、僕は地面を蹴った。
逃げるんじゃない。人体模型へ突っ込む。
ザンッ!!
一瞬だった。人体模型が横薙ぎに腕を振る。
骨のかぎ爪が、僕の首を捉えた。
『首が!!』
『だから逃げろって……』
視界が反転する。
――首が、飛んだ。
だけど。
跳ね飛ばされた頭部は、血の糸みたいな筋で胴と繋がっていた。
そして次の瞬間、がっちりと噛み合って再生する。
もちろん痛い。
でも、切られ、折られ、潰されるうちに――僕は自分の再生“速度”を、少しだけ調整できるようになっていた。
『あれ……そういや、頭再生したのに、ずっと腕折れてね?』
そう。
だからこそ、今――
怪我したばかりで、しかも大けがの“首の切断”は一瞬で直した。
でも右腕は、直していない。
(……今だ)
折れた腕に、回復力を集める。
“治す”んじゃない。治る勢いを、ぶつける。
ヒュ――バチーン!!!
反対に折れ曲がっていた腕が、凄まじい勢いで元へ跳ね戻る。
その反動に、体の捻りを乗せて――
ゴキャ!!
拳が、人体模型の顔面へめり込んだ。
「グフッ!!」
勢いそのまま――
バッキィン!!
顔面を、打ち砕いた。
拳の骨も砕ける。だけど構わない。貫いた。
人体模型だというのに、砕けた顔面から血しぶきが散る。
ドンガラガッシャン――そのまま倉庫内の道具へ突っ込んで転がった。
『すっげええええええええ!!!!』
『何今の!? 一撃で顔面粉砕!?』
『体が再生するときのスピードをパンチに上乗せしたのか……』
僕はその場に立つ。
息が荒い。
「……いってぇ」
腕が、だらりと落ちた。
「いっけない。また腕折れちゃった……でもさ」
僕は、ぬらりと折れた腕を揺らしながら、ゆっくり振り向く。
そこには、顔が潰れてもなお、ぴくぴくと動く人体模型がいた。
「……てことはさあ」
笑いがこみ上げる。
怖さで動けなくなるより、ずっとマシだ。
「何度も拳、撃ち放題だってわけだ!!」
『なんか……今日の女神ちゃん……魔王様っぽい』
『たしかに、なんか雰囲気似てる』
『なんにせよ良いぞ! もっとやれ!!』
一歩、一歩。散らばったボールや道具を蹴り飛ばしながら詰める。
「ワ、ワカァタ! モォヤラァナイカァラ!!」
「もう一発!!!」
バッキィイン!!!
次は胴体を打ち抜いた。
めり、と骨格が押し潰れる感触。人体模型の背中側が、道具の山へぶつかって跳ねる。
同時に、僕の腕もまた折れる。
「……はあ、っくぅ……」
だらりと垂れた腕。痛みで視界が白くなる。
でも――だからこそ、次が撃てる。
折れた腕に、回復力を集める。
“治す勢い”を、拳にする。
ヒュ――バチーン!!!
三発目。
再生の反動そのまま、今度は顎を抉るように打ち上げた。
ゴギャッ!!
「ガ……ッ……」
潰れた顔が、ぐにゃりと横にずれる。
それでもまだ、ぴくぴく動いている。腸が床を探るようにうねり、こっちを捕まえようとする。
『うわ、まだ動くのかよ……!』
『女神ちゃん止まらねえ!!』
『“折って治して殴る”が永久機関すぎるwww』
「じゃあ、四発目」
バチーン!!!
治る。
拳が走る。
ドスンッ!!
胸の真ん中。――心臓の場所を、えぐるように。
人体模型の胴体が、きゅ、と縮んでから――がくん、と一段落ちた。
動きが鈍る。腸のうねりが一瞬、ほどける。
でも、まだ止まらない。
『いやもうこれ、勝ち確だろ……』
『止まるまで行け!!』
「五発目!!」
ヒュ――バチーン!!!
今度は腰。骨盤の辺りを横から叩き潰す。
バキンッ!!
脚が、意味を失うみたいに崩れた。
人体模型が前のめりに倒れ、床に顔面から突っ伏す。伸ばした腕も、がくがくと震えて――
それでも、まだ、ぴくりと指先が動いた。
だから。
「……ラストだ」
息を吸う。
折れた腕に回復力を溜める。限界まで。反動が、拳のロケットになるまで。
ヒュ――――バッゴィィン!!!
ガゴンッ!!!
背骨を断つみたいに、首の付け根へ叩き込んだ。
人体模型の全身が、びくん、と跳ね――
そのまま、糸が切れたみたいに、だらん、と床に沈んだ。
……ぴくりとも、動かない。
僕は一歩近づいて、靴先でそいつの肩を軽く蹴る。
反応なし。腸も動かない。目も、もうこちらを見ていない。
『止まった……』
『完封した……』
『女神ちゃん、ガチで“魔王”になってる……』
僕はふらつきながら立ち、折れた腕をだらりと下げた。
「……はあ、っつ……僕の……勝ちだ」
さっきまで「逃げろ」だったリスナーの掌が、くるりと返っていくのが分かる。
ようやく分かった。
これが“変わる”ってことだ。変わろうとするってことだ。
「……なんだか……すっとするな」
完全に動きが止まったのを確認して、僕は人体模型に背を向けた。
『完全勝利!!』
『女神ちゃんさいきょおおおおおおお!!』
――その瞬間だった。
振り返った先から、情けない声が響いた。
「ひぇ……え、えと……お、お前……すず、き……だよ……な?」
「うん、そうだよ」
一条だった。
意識が戻ったらしい。怯えた目で、僕を見ている。
僕は、ゆっくりと彼へ近づいていく。
扉は斧で塞がれている。今は“外”からは入ってこられない。
「お、俺は……俺は……一人でもなんとかできたんだ……お前なんかに」
「君が無事でよかった」
彼の言葉を遮って、僕は言った。
率直な、僕の気持ちだ。
「……っく。なんで助けた。俺は確か……切り刻まれて死んだはずだ。なのに……傷が治ってる……お前のギフトか?」
中々に冷静だ。
自分が切り刻まれたことを覚えている――つまり、意識を失う直前まで“痛み”があったってこと。
「僕のギフトじゃないよ。神様が――」
「そういう話じゃ!」
「ああもう分かった! 話ならあとでいっぱいするから……いったん、帰ろう。ダンジョンから」
僕は中腰になって、彼へ手を差し出す。
一条は、一瞬だけ僕の手を取ろうとして――
でも眉を顰め、自分を止めるように手を引いた。そして、乱暴に立ち上がる。
「っち……んだよ……」
「あっ。……ただその前に」
僕は彼の前に立ち、にこりと笑って言った。
「一条。少ししゃがんで」
「……は? 何――」
「はいよいしょ!」
ガゴン!!
「ぐはっ!!」
僕の拳が、彼の顔面を捉えた。
普通に本気で殴っただけ。――それでも、不意打ちの衝撃で彼は尻もちをつく。
「てめえ! どういうつもりだ!」
「……別に、僕は何を言われたっていいし。何をされたって許す」
でも、と続ける。
「これは鏑木さんを危険な目に遭わせた分」
一条は苦い顔で、ぺっと血を吐き捨てて立ち上がった。
……やり返してくる気はないらしい。




