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底辺ダンジョン配信者を追いかけたら、ぼく女神さまになっちゃいました。  作者: まぴ56
第一章:女神ちゃんになっちゃいました

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第14話:渋谷区第3エリア、放課後監獄

 抜き足、差し足、忍び足。

 息まで殺して、つま先立ちで廊下を進む。


 時刻は午後七時。リビングの方から、包丁がまな板を叩く小気味いい音と、油のはぜる匂いが流れてくる。――妹が夕飯を作っている。いつも通りの、平和な家の音。


 だからこそ、今から自分がやろうとしていることが、異物みたいに重かった。


 階段を二、三段――数歩だけ上ったところで、足が止まる。


「……お兄ちゃん?」


 背中に声が刺さって、心臓が跳ねる。振り返ると、階段の下に香苗がいた。エプロン姿。片手には菜箸。上目遣いの心配そうな顔――次の瞬間、視線が鋭くなる。


「どうされたんです? こそこそと……」


 一瞬、心配そうに揺れていた瞳が――すっと細くなる。

 眉が寄り、口元から笑みが消えた。睨むような、厳しい目。こんな顔を見るのは数年ぶりだ。


「……お兄ちゃん。何か私に隠してますよね。大事なことを」


 見透かされている。冷や汗が、首筋を伝った。


(友達を助けに、今からダンジョンに行ってくる)


 その一言が言えたら、どれだけ楽だろう。

 でも――言えない。言うなら、今じゃない。


「その……友達と、喧嘩しちゃってさ。だから……その……」


 苦しい。言葉が、喉で絡まる。


「……はっきり言ってください。私に何を隠してるんですか」


 逃げられない。僕は息を吸い込んで、半分だけの真実を差し出した。


「友達と仲直りしてくる。……もしかしたら、今日は戻れないかもしれない」


 嘘だ。

 いや、嘘“だけ”じゃない。――真実でもない。

 半分の事実と、半分の嘘。


 香苗は僕の目をじっと見て、唇を結んだ。納得したというより、飲み込んだという顔。けれど彼女は、それを表に出さない。


「……分かりました。明日には絶対、帰ってきてくださいよ?」


 しぶしぶ。だけど、眉を下げて笑う。

 その笑顔が、胸に刺さる。


 香苗は踵を返し、キッチンへ戻ろうとする。――その背中に、思わず声が出た。


「香苗!」


 彼女が振り返る。一瞬だけ、心配そうな素顔が覗いて――すぐにいつもの笑顔に戻った。


「どうされました?」


 言いたいことは山ほどある。けど、出てきたのは幼いほど短い言葉だった。


「……いってきます」


 香苗は大きくため息をついて、肩をすくめた。


「仕方のないお兄ちゃんです。いってらっしゃい」


 笑顔のまま去っていく。あれがポーカーフェイスなのか、それとも本心なのか。恥ずかしいくらい、僕には判断がつかなかった。


 ――でも一つだけ、確かなことがある。


(何としても、この笑顔は守らなきゃ)


 階段を上がり切り、僕は自分の部屋へ飛び込んだ。


 戻ってきた理由は一つ。

 凛さんにもらった関節プロテクターを、セーラーの上から装着する。少し不格好だ。でも、あるとないとじゃ、命の重さが違う。


 大きなリュックを引き寄せて、荷物を詰め込む。

 ホームセンターで買った手斧。胸に取り付けられるライト。ロープ、非常食、寝袋。使うか分からないものほど、捨てられない。――捨てた瞬間に後悔しそうで。


 よし、と息を吐いて部屋を出ようとした、その時。


「何を……されているのでしょうか?」


 ポケットの中から声がした。

 スマホから。機械音声にしては、妙に滑らかで、人の体温がない声。


「この声……ジンバルン!? どうして僕のスマホに?」


「先日のアップデートにて、祈里様の端末にも搭載可能となりました」


 冷たいのに、正確。……ジンバルンだ。

 そういえば、前のダンジョンで壊れたスマホの修理は凛さんに任せた。まさか、そこから――。


「……あの時か」


「はい。その時です」


 流石は凛さん。……いや、感心してる場合じゃない。


「それで、祈里様は一体なにを?」


 言葉に詰まる。

 一人でダンジョンへ行く――そんなことを言えば止められる。


「一人で……ダンジョンへ向かわれるからでしょうか?」


 バレてる。

 僕なんかの頭で、人工知能の目を誤魔化せるわけがない。半ば諦めて、聞いた。


「どこから聞いてたの?」


「祈里様がスマホを所持されている間の会話は、全て」


 つまり、全部。

 スマホを手放す時間なんて、ほとんどない。最初から丸裸だったわけだ。


「……そうだよ。でも、凛さんには言わないで」


「それは……どうして?」


 喉が詰まる。言えば楽になるのに、言えない。


「……これは僕の問題なんだ。凛さんには関係がない」


「だとしても――」


「頼っちゃいけないんだ」


 淡々と遮った。全部、本心だ。

 理屈ならジンバルンに勝てない。だから本心を並べるしかない。


「ここで凛さんを頼れば、きっと問題は楽に解決する。……でもそうしたら、僕は一生、苦しくなる」


 うまく言えない。けど、言わないと届かない。

 沈黙が部屋に落ちた。ジンバルンが、初めて“考えている”みたいに静かになる。


「……承知しました。ですが、一つだけ条件があります」


「条件?」


「私を連れて行ってください。現在の端末状態では機能の大半が制限されていますが、ダンジョン知識の提供、ならびにライト代わりにはなります」


 一瞬、迷う。

 できるなら誰の力も借りたくない。でもそれは、ただのわがままだ。


 僕が一人で突っ込むのは無謀だ。自殺と変わらない。

 一条君を助けることを最優先にするなら――。


「分かった。……手を貸してくれ、ジンバルン」


 返事の代わりに、スマホがぶるっと震えた。画面に表示されたのは渋谷区の地図。


「渋谷区のダンジョンは計三つ。一つ目はミノス。二つ目は凛さんと出会ったあそこ。……でもどっちも今は厳戒態勢で侵入は困難だったはず」


「その通りです。現在は戦闘後の修復、モンスターの解体・研究が進行中で、一般人の侵入は事実上不可能です」


 ジンバルンは正確で、容赦がない。

 でもそれが今はありがたい。僕の“逃げ”を許さず、考えさせてくれる。


「……一条君の性格なら、まず自分が被害にあったミノスダンジョンへ行く。でも入れない。だから次に“近い別のダンジョン”を調べる。ってことは……」


 画面が隣の区まで広がり、ダンジョン位置にピンが刺さる。


「渋谷区第3エリア。現状、最寄りです」


 経路検索。電車、徒歩。一時間もかからない。


 時間をかければかけるほど、一条君に迫る危険は増える。

 僕はスマホをポケットに戻し、リュックを背負って部屋を飛び出した。最後に、まきまきからもらった、もこもこの白いアウターを羽織る。……意味は薄い。けど、“戻ってこれる気”が少しだけ増える。


 電車を乗り継ぎ、歩いて数十分。


 渋谷区第3エリア。

 渋谷にある三つのダンジョンの、最後の一つ。


 目の前に佇むのは――廃校舎だった。

 元は中学校。長年放置され、いつの間にか“ダンジョン化”したらしい。


 ミノスの迷宮とは違う。

 身近すぎるものが壊れている恐怖。

 校庭の草は伸び放題で、窓ガラスは黒く濁り、夕闇の中で校舎だけが“待っている”みたいに立っていた。


「通称、放課後監獄。ダンジョンボスは討伐済みですが、それでもなおモンスターが溢れ、近隣住民に被害が出ています」


 ジンバルンの声が、静かな住宅街に小さく響く。


 僕はリュックの脇に固定した手斧を握り直した。小さい。頼りない。――でも、無いよりはずっとましだ。


 封鎖された校門をよじ登り、指先に冷たい鉄の感触を感じながら中へ入る。黒い門は不気味なほど冷たく、ところどころ錆びていた。


 よじ登って、跳ぶ。

 校庭に着地した、その刹那。


 キィーン、コォーン、カァーン、コォーン――


 不気味に響く無機質なチャイム。

 さっきまで、そんな音は一切なかったのに。僕が侵入した瞬間、校舎全体が“入室を検知した”みたいに鳴った。


 重低音が骨まで響き、鼓動が跳ね上がる。


 その震えと同期するように、ポケットの中で、スマホがぶるっと震えた。

 反射的に取り出す。


 画面が点灯する。――しかし、聞こえてきた声は、いつものジンバルンの“淡々”ではなかった。

 焦ったような、どこか不思議そうな震えが混じっている。


「これは……いったい……」


 僕は何も触っていない。

 それなのに、いつの間にかYouTubeライブが開始されていた。画面の隅で、赤い「LIVE」が点滅している。


 コメント欄が、ひとつだけ更新される。


【視聴者:???】『配信を始めよう』

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