第12話:久しぶりの我が家
さあ僕たちの闘いはこれからだ――そう思わせる一日だった。
……が、そこからすでに二週間が経過した。
あの日から凛さんは、例のミノスの迷宮ダンジョンの報告レポートに没頭し、ずっと研究室に籠りきり。
まきまきも僕の身元を保証する書類やデータの作成に時間を割き、この二週間は完全にダンジョンどころか配信からも離れていた。
「りんさ~ん! 起きてください! 研究室行くって言ってたじゃないですか。もう朝の八時ですよ!」
「んあ……んんん……あと……ごふん……」
「それ四回目です!! お~き~てえ!!」
僕はというと、凛さんの家に泊めてもらっている立場なので、家事は全部担当させてもらっている。
「うっわああ! おいしそう!!」
「今日はフレンチトーストです。頭使うでしょうし、お砂糖ほしいですもんね」
「うん! いただきま~す!」
親がほとんど家にいなくて家事をやっていたおかげで、料理にはちょっと自信がある。ワンルームの狭いキッチンも、小さくなった僕の体にはむしろぴったりで――ありがたい、のかもしれない。
「それじゃあ行ってきます」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ぱたぱたと走って、家を出ようとする凛さんを玄関で呼び止めた。扉を開けたまま振り返る凛さん。寝起きの髪を雑にまとめて、でも目だけはいつも通り鋭い。
「お弁当! 忘れてます!」
包みを二つ、凛さんに渡す。
「いつも悪いな。もう一つは……」
「一応、その……まきまきの分です。この前、菓子パンとお酒しか食べないって言ってたから。勝手に作っちゃってごめんなさい」
「いや、ありがたいよ。まきまきにも世話になってるしな。……じゃ、行ってくる」
「はい、いってらっしゃい!」
凛さんが出かけたら次は、掃除と洗濯と、それから夕飯の準備。
――と、思ったところで。
「あ!? いけない……トイレットペーパーがきれそうなんだった。ドラッグストア行かないと……」
家事を回していると、気づけば昼。僕も外に出る時間だ。向かうのは、まきまきの研究室。
いつも通り、パソコンに向かう凛さんとまきまき。
そして今日は――珍しく、らいこさんの姿もあった。
「こんにちは~」
「おっ!! 祈里く~ん。お弁当ありがとぉねえ」
「いえいえ、構いませんよ」
まきまき、今日は酒の匂いが薄い。飲んでいるには飲んでいるけど、真面目に働いている証拠だ。
それより気になるのは、やっぱり――。
「珍しいですね、らいこさん」
「あなたに関する書類を受け取りに来たのよ。上から任されちゃってね」
「僕に関する書類……例のギフト届ですか?」
「ええ、そうよ」
戸棚から紅茶の茶葉を取り出し、流しへ。やかんに水を入れて火をつける。茶器を手早く用意して、三人分のカップに注ぐ。
まきまきと凛さんにはそれぞれの作業机へ。中央の大きなテーブル、硬い椅子に座るらいこさんの前にも、かちゃり。
「あら、気が利くわね。ありがとう」
「僕のために皆さん頑張ってくださってるんですから。これくらいは……」
そう言って研究室から出ようとしたところで、らいこさんに呼び止められた。
「ちょっと、どこ行くのよ?」
「今から温室の方のダンジョン植物への水やりです。朝とお昼に一回ずつ必要なんですよ」
「……」
らいこさんの視線が、じとーっとデスクの二人へ刺さる。
「あなた達……さすがに祈里君に色々任せすぎじゃないの?」
「いいんですよ、らいこさん。お二人に僕が迷惑をかけてるのは事実ですし」
「……あなたがそれでいいならいいけど」
納得しきれない顔のまま、紅茶をひとすすり。らいこさんが立ち上がり、椅子に掛けていた上着を羽織った。
「祈里君。私も付いて行っちゃだめかしら? ちょうどまきまきを待ってて暇なの」
施設のことだし、僕には判断できない。ちらりとまきまきを見る。
まきまきはパソコンから目を離さず、言葉だけ投げた。
「構わないよぉ~」
らいこさんが、にこりと微笑む。
「らしいわ。ご一緒してもいいわよね?」
「はい。一人だと退屈しちゃいますし。嬉しいです」
昼から夜はこんな感じで、研究室の雑用がメインだ。温室の管理、備品の補充、データ整理の手伝い。夕方になったらスーパーに寄って帰る。
帰ったら夕飯。作りすぎても明日のお弁当に回せるから、いつも少し多め。
――ただ今日は、特別にもう少し多め。
夜七時。帰ってきた凛さんとまきまきが床に座ったところで、ようやく夕飯だ。
「……」
食卓に座った凛さんの表情が、少しだけ険しい。
「……もしかして、回鍋肉嫌いでした?」
「いや、回鍋肉はむしろ好物よ……でもね……」
次の瞬間。
「なんでこいつがいるんだ!」
凛さんの指さす先には――行儀よく正座するらいこさん。
「別にいいじゃない。減るもんじゃないでしょ」
「減るわ! ご飯の量が!!」
「大丈夫ですよ。いつもより多くご飯炊いてるので」
「そういう問題じゃ――……だあもういいや。お腹空いた。食べよ……」
狭いワンルームの、さらに狭いちゃぶ台が、今日はいつもより狭く感じる。
でもその分、妙に温かい。これがこの二週間の生活だった。
そして、二週間が過ぎ――さらに二日後。
今日の朝は、いつもと違った。
玄関で、忘れかけたお弁当を渡している最中。凛さんがふと、何か思い出したように声を上げた。
「あっ……そうだった。少し待ってるから、祈里も外に出る準備してくれるか?」
「いいですけど……どうしたんですか?」
「まきまきが朝、君を連れて来いって」
(まきまきが? 思い当たること、特に――)
そこで、はっとする。最近のまきまきの仕事は僕のあれこれ。身元照合、ギフト認証……つまり――。
「もしかして、僕の身元だったりギフトのことが終わったとか?」
「ぽいな」
凛さんは嬉しそうに笑っている。
なのに――どこか寂しそうにも見えた。
それがどうしてなのか、僕にはまだ分からない。
研究室に着く。
しかし――そこに、いつものまきまきがいない。
「あれ……まきまき~……まきまき!」
「いるっているいる」
研究室奥の扉が開き、出てきたのは――水色の髪をフォーマルにまとめ、スーツをびしっと着込んだ女性だった。酒の気配が一切ない。むしろ香水の、いい匂い。
「だ……だれ?」
「まきまきだよ。学会とかでは割とあんな感じ」
横から凛さんがさらっと教えてくれる。
いや、信じられない。別人みたいだ。
「……それで本物のまきまきは……」
「本物だよ!!」
即ツッコミが飛んだ。
声、間違いない。うん、本物だ。
「それで、今日呼び出された理由っていうのは?」
「あらかた察しはついてるだろぉ。お前さんの身元保証やギフト認証が終わった。ようやく家に帰れるって話だぁ」
家。
そうだ。二週間以上も家を空けてしまった。両親は海外。家には妹が一人だけ。
「心配……かけただろうなあ……」
肩を落とした僕の頭に、凛さんがぽん、と手を置く。温かい。
「祈里が悪いわけじゃないんだ。ここは普通に喜んでいいと思うぞ」
その柔らかな微笑みに、胸の奥の硬いものが少し溶ける。
「その前に……」
まきまきが、じとっとした目で僕と凛さんを交互に見た。こんな表情、初めてだ。
凛さんが不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんだ? まきまき」
「あのだねえ。祈里君はまあ……いいよ。でも凛君、君は一応この騒動の責任者でもあるんだから、しっかり正装しなさい。できれば祈里君も」
確かに凛さんの格好は変なTシャツにジャージ。僕もオーバーサイズのTシャツと短パンに、小さなエプロン。
凛さんが、僕の顔を覗き込む。
「……だめか?」
「凛さんは何を着ててもかっこいいですよ」
反射で言ってしまった。
まきまきは呆れたようにため息をつき、頭を抱えた。
そのまま凛さんは奥の部屋に連行。出てきた頃にはスーツ姿で、タイトなラインが日本人離れしたスタイルを際立たせ、まるでモデルみたいだ。
「すごい! さっきよりも更にかっこいいです!!」
そして流れるように僕も連行された。奥の部屋は実験室兼更衣室らしく、ロッカーから出てきたのは白のセミフォーマルなワンピース。少し大きいけど、裾が地面につかないギリギリ。サンダルも隠せる。
「さあ、行くぞお前さんらぁ~」
こうして僕ら一行は、僕の家へ向かうことになった。
まきまきと凛さんは監督責任者として。――まきまき、やっぱり相当偉い人なんだな。
電車に乗って、改めて思い知らされる。公共交通機関の人波の中で、自分がどれだけ小さくなったのか。登校中の小学生と、目線が同じだ。
そしてさらに驚かされたのは凛さんだった。身長が高いとは思っていたけど、電車の扉より背が高い。周りのサラリーマンと比べても頭ひとつ抜けている。存在感が違う。
「あの~……凛さんって身長何センチなんですか?」
「んーとね。計ったの結構前だからな……たしか……一九〇くらい?」
「デッカ!?」
予想よりはるかに高い。
でも、ギフト無しでモンスターと渡り合うなら、このくらいの体格が必要なんだろう――と妙に納得させられる。
まきまきは……うん。なんかちょうど良くて安心する。
「おい祈里……お前さんいま失礼なこと考えたろぉ……」
「そ、そんな! 微塵も!!」
「ホントかぁ?」
服装だけはビシッとしているのに、会話はいつものまま。
だから緊張も少しずつほぐれていった。
そして到着する。僕の家。二階建ての一軒家。駐車場はあるけど、車はない。
たった二週間なのに、妙に懐かしい。
まきまきが躊躇いなくインターホンを押す。
その瞬間、胸の奥がぎゅっと縮んだ。
妹が心配で体調を崩していたらどうしよう。
逆に、二週間空けた僕を見ても普段通りだったら、今度は僕が倒れそうだ。
(もう! どうしろってんだよ……)
ガチャリ。
扉がゆっくり開く。隙間から、懐かしい実家の匂い。
それでも鳴りやまない心臓。僕は、開かれていく扉の先を見つめた。
ひょっこりと顔を覗かせたのは――さらりとした黒髪を腰まで伸ばした少女。二歳下の妹、鈴木香苗だった。
扉が開け切られ、姿が現れる。ジャージ姿なのはいつものこと。背筋を伸ばして立つその姿を見て、僕の心配が杞憂だったと分かる。
(妹だというのに、香苗は僕よりずっと大人びている。……心配の必要なんて、なかったのかもしれない)
香苗が何かを言うより先に、まきまきが深々と頭を下げた。
「私、日本ダンジョン協会――通称NDKにて特別技術顧問、兼、ダンジョン生態・資源研究センター副センター長を務めております。包帯薪まきと申します」
続けて凛さんも、ふわりと優雅に頭を下げる。
「そして、包帯薪さんのもとで教鞭をとらせていただいております、桐生凛と申しますわ。此度は鈴木様の身辺のお世話を――」
……お世話をしていたのは僕の方だ。
言いたい。でも、飲み込んだ。空気が完全に“お上品モード”になっている。
「此度はご家族にご心配をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。情報機密などの問題上、ご連絡もできず……不徳の致すところです」
「そ、そんな。頭を上げてください。事情は……ら、らいこさん? って方から聞いてはいますので」
香苗は動じない。むしろ、対応が慣れているみたいに落ち着いている。
そして凛さんが、さらに上品に手土産を差し出した。
「こちら心ばかりの品ではございますが、お納めください」
「あらあら……カステラ。申し訳ございません。ありがたく頂戴します」
僕の実家の玄関が、いつの間にか上流階級の交流の場みたいになっている。
その中で物怖じしない我が妹よ……いつの間にそんな立派になって。お兄ちゃん立つ瀬がないぞ。
手土産を受け取ると、香苗は扉を大きく開け、中に招き入れるように手を差し出した。
「もしよろしければ、上がってください。立ち話もなんですから」
まきまきと凛さんは言葉に甘え、いそいそと中へ入っていく。
僕も追いかけようとした、その時――。
ドンッ。
玄関を塞ぐように、香苗の足が置かれた。
沈黙が落ちる。
「お二方。リビング、そこの左の扉です。先に入っていていただけますか?」
二人は状況を察したのか、軽く頭を下げてリビングへ。
入る瞬間、親指を立ててくれた……気がする。がんばれ、ってことだろう。
玄関に残されたのは、僕と香苗だけ。
「お兄ちゃん……ですよね?」
背筋がぞくりとする。
にこやかな笑顔。細い目。笑っているのに、その奥から漂う圧が告げている。
――怒ってる。
「え、えーっと……あは……あはは……」
「……やっぱり」
香苗は大きくため息をついた。
「よくわかったな」
「そりゃ分かりますよ。生まれてからずっと、ほぼ毎日見てきたんですから」
僕は、観念して視線を落とす。
「……悪かった。家を空けて……」
「そうじゃないですよね」
言葉を遮られる。
まずい。何で怒ってるのか分からない。分からないのに、怒ってるのだけは分かる。
焦っていると、香苗はもう一度ため息をつき、吐き出すように言った。
「どうして……話してくれなかったんですか?」
「その……こんな姿で会っても、僕だと分からなくて怖がるかと……」
香苗の“笑顔”が、ほんの少しだけ冷える。
表情は変わらないのに、怒りだけが濃くなる。
「それじゃあ……今のわたしは何ですか?」
「……はい。一切の弁解の余地もなく。お気づきになられてます……はい」
じりじりと押され、僕は数歩後ろへ。
香苗も玄関を出て、ゆっくりと扉を閉める。
――めちゃくちゃ怒られる。
そう覚悟した瞬間。
ぎゅっ、と抱きつかれた。
今では体格が逆転している。香苗の方が大きい。息が詰まるくらい、強い。
「ちょ、かな、香苗……つぶ……つぶれりゅ……」
「私を見くびった罰です。心配……したん……ですから……」
言葉が途切れ途切れになる。肩に、冷たいものが落ちる。涙だ。
「……ごめん。今後はもっと信頼する。でもさ、お兄ちゃんとして、怖がらせたくなかったんだよ。いきなりこんな体になって、僕自身も理解できず、慌ててたから」
「だったら尚更です。家族を信頼してください。家族は迷惑をかけ合うものだって――そう教えてくれたのは兄さんでしょう」
正論。ぐうの音も出ない。
僕は黙って、香苗の震えを受け止めた。
「……ただいま」
「……おかえりなさい」




