第11話:犯罪者入りおめでとう会
さっきまで、死ぬほど硬かった空気が――嘘みたいにほどけた。
引き戸を開けた瞬間、熱気と油の匂いと、笑い声がどっと押し寄せてくる。店内はやたら明るくて、壁には手書きの短冊メニューがぎっしり。厨房からは「はいよー!」の掛け声と、皿がぶつかる乾いた音。スピーカーから流れる安っぽいBGMのせいで、さっきまでの迷宮が遠い夢みたいに感じた。
案内されたのは、カーテンで仕切られた掘りごたつの個室だった。足を落とすと、畳の下からひんやりした空気が上がってくる。温かい店内と、掘りごたつの冷えのギャップで、変に現実感が増す。
僕たちは五人で卓を囲んでいた。未成年の僕と鏑木さんは隣同士。向かい側は、真ん中にまきまきを挟んで、凛さんとらいこさん。
「えーっと、とりあえず生大三つでいいよな?」
凛さんが、いつものノリで言い切る。
「ちょっと! 勝手に決めないでよ! 私がお酒弱いの知ってるでしょう!」
すかさず、らいこさんが噛みついた。ピンクの地雷系は居酒屋でも健在だ。視線が鋭い。
「あぁ……あたひは生大でいいよぉ……」
まきまきに至っては、入店した瞬間からもう酒の匂いがしていた。絶対さっきまでどこかで飲んでた。いや、たぶん“ずっと”飲んでた。
「ほらー。二票入った。らいこは……じゃあ、ソフトドリンクにしな。任務中なんでしょ? えらいえらい」
「うるさい。……私は烏龍ハイ。氷多めで」
「オッケー。じゃ、あたしも生大」
凛さんは言い切って、もうメニューも見ない。ぐびぐび飲むタイプの人間の注文の仕方だ。
「二人はどうする? ソフトドリンクもあるし、ここはまきまきさんの奢りだから、好きに選んで大丈夫よ」
らいこさんが僕と鏑木さんに視線を向けてくれる。さっきまで爆発で飛び回ってた人と同一人物とは思えないくらい、気遣いがちゃんとしてる。
「は、はい。ありがとうございます」
慣れない居酒屋で緊張して固まっている僕と鏑木さんに、らいこさんがちゃんと気を配ってくれる。その一方で、大人二人(凛さんとまきまき)は、もうつまみの話に突入していた。
「え、枝豆は絶対でしょ」
「ポテトも……から揚げも……」
「あんきもいける?」
「いけるいける、全部いける」
……テンションが、戦場じゃない。
「ど、どうしようか……鏑木さん?」
「……」
周りはこんなに賑やかなのに、僕と彼女の間だけ、変な沈黙が落ちた。ダンジョンの中だと妙に会話が成立してたのに。こうやって“普通の距離”で、しっかり向き合って話すのは……陰キャの僕にはきつい!
「ええと……ごめんなさい。女神ちゃん……だよね?」
驚いた。
さっきまでの、妙に焦点の合わない目じゃない。普通の目だ。それに「様」も付けてない。
「そ、そうだよ!」
「いやさ……わたし……途中からの記憶がすっごくあいまいで。すっごくおっきい化け物に追いかけられたところからが……なんか……すごい長い間、落っこちてたみたいな感覚があって……」
――来た。やっぱそこ聞くよね。
正直、最下層に落ちてからの鏑木さんはやりにくかった。僕を本当の神様みたいに扱ってきて。ここは申し訳ないけど、適当に流してしまおう。説明したらしたで、僕がどれだけ無様だったか全部バレる。
「まあ……色々とあったけど……気にしないで大丈夫!」
汗が背中を伝う。自分でも分かるくらい、強引に話を切った。
「そ……っか。なら、うん! いいや!!」
彼女が陽キャで助かった。真の陽キャとは空気に波乗りしながら生きている存在。突っ込むときは突っ込むけど、流すときは秒で流す。根掘り葉掘りされなくて内心ホッとする。
「ちょっとぉ~。二人とも、とりあえず注文~」
まきまきが卓を指先で軽く叩いてせかしてくる。酒の匂いが一段濃い。
「それじゃあ、僕はコーラで……」
「わたしはジンジャエール! 氷少なめで!! ごちになります!!」
鏑木さんが勢いよく手を挙げた。居酒屋テンションにあっさり順応している。強い。
凛さんが指を鳴らして店員さんを呼び、飲み物とフードをテンポよく注文していく。枝豆、から揚げ、ポテト、焼き鳥、あと謎に大盛りのキャベツ。
ほどなくして、僕たちの前にグラスが置かれた。コーラの泡が弾け、ジンジャエールの氷がカランと鳴る。生大のジョッキはずっしり重く、凛さんの前で金色の泡がきらきらしていた。まきまきのジョッキは、もう半分くらい消えていた。早すぎる。
そして――凛さんとらいこさんの視線に釣られて、全員の目線がまきまきへ向いた。
まきまきは一瞬「え、あたし?」みたいに目を泳がせたが、すっと立ち上がる。背筋が伸びる。空気がほんの少しだけ落ち着いた。
「ええ、それじゃあ僭越ながらあたしが。本日は以下略として……」
声のトーンが下がった。真面目モードのまきまきだ、とすぐ分かる。
「今回の主役は祈里君。彼は本日、初めてのダンジョンダイブから生還したということで――」
「祝! 犯罪者の仲間入りおめでとう! かんぱああああああい!!!!!」
「「「かんぱ~い!!」」」
「かんぱ……え?」
僕の声だけ、途中で止まった。今、聞き捨てならない単語が混ざった気がする。
「あの……まきまき。“犯罪者”っていうのは?」
「ええ、だって君の相棒……兼所有者の凛君。いちおう犯罪者だもん」
「え……えええええええええええええええ?」
理解が追いつかない。どうして? 凛さんが? 何を?
頭の中がフリーズして、口だけが勝手に開いたままになる。
「一応彼女、あたしからの推薦状を持ってダンジョンダイブしてるから。その点、完全にアウトではないんだけど……」
そこへ、らいこさんが落ち着いた声で補足する。
「もっと根本のところ。まず――ギフト持ち以外は原則、ダンジョンへの侵入は禁止なのよ」
「……え」
固まる。僕の視線だけが、ゆっくり凛さんへ向かった。その瞬間、凛さんは露骨に目を逸らした。
「だからまあ、グレーなんよねぇ……凛君」
まきまきは気を使って「黒」じゃなく「グレー」と言い直してくれた。でも、グレーでもアウト寄りのグレーだ。
いや、僕も不法侵入してるんだから偉そうなことは言えない。言えない……けど!
「ちなみに、私の仕事は凛みたいな悪い奴、イントルーダーってのを捕まえること。国に雇われてね」
「国!? 国家公認のダンジョン配信者なんてあるんですか?」
「あるのよ。ダンジョンに潜り込むネズミ――イントルーダーを捕まえるためにね」
重要情報のオンパレードだ。頭がパンパンになる。現実が、急に“制度”で殴ってくる。
凛さんは、ジョッキを一口ぐびっとやってから、開き直ったみたいに肩をすくめた。
「だってさー。世の中ってグレー多いじゃん。ねえ、祈里」
「ねえ、じゃないです……!」
反射で突っ込んでしまって、鏑木さんが「わかる!」みたいに頷いている。何がわかるんだ。
「で、今日のアーカイブ」
らいこさんが真面目な顔に戻った。目が、仕事の目だ。
「消して。……正確には、消した“ことにして”ほしい」
「え、消すの?」
凛さんが軽く言う。
「消さないと、私が怒られる。犯罪者を捕まえずに手を貸したってバレたら、めんどくさいのよ。ルールはルールだから」
「そ、そうだったんですか。ご迷惑おかけして申し訳ないです」
僕は反射で、深々と頭を下げてしまった。
「って!? ちょっと、頭なんて下げないでよ!」
らいこさんが慌てて止めてくる。
「私も久々にめちゃくちゃ暴れられて楽しかったしさ。今回はいいの。……ほんとに」
「……らいこさん」
いい人すぎる。目の奥が熱くなる。
凛さんに“道具”って言われたときに感じたものとは違う、別の熱さ。必要とされるって、こんなにも胸をいっぱいにするんだ。
そのとき。
「シンパイハ……イリ……マセン」
僕の隣で倒れているジンバルン――周りから見れば、ただ掘りごたつの上に置かれたスマホ――が、話に割って入ってきた。
「ライコサマノ……ゴジジョウハ……シッテオリマシタ。デスノデ……キセイオン……モザイクショリズミ……デス」
ひび割れたガラスの画面が、パッと光る。今日の配信アーカイブが表示された。
……すごい。いや、すごいけど。
画面の中で、かっこよく戦うらいこさんが――全身モザイクで隠されている。声には変なフィルター。名前が出るたびに「――こ」と絶妙に悪意のある規制音。
正直言っては何だが。
「な、なによこれ!!!」
「ちょ! まきまき聞いた今の!? ピーコだって!! ピーコ!!」
「ちょ、ちょっと……や、やめて……っ、フフ……やめなさいって……!」
まきまきが、顔を真っ赤にして笑いを堪えようとして、でも耐えきれなくて変な呼吸になってる。
その横でらいこさんが、両手で顔を覆いそうになるのを必死で堪えて、肩をすくめた。耳まで真っ赤だ。視線が泳いで、僕と目が合いそうになるたびに鋭く逸らされる。
「だめぇ……っ、ふふひひ……規制音のタイミングが……性格悪い……!」
「性格悪いのはジンバルンだろこれ!!」
凛さんが大笑いしながら、ジョッキをぐびぐび飲む。強い。飲み方が強い。
そして、切り抜き動画のコメント欄がひどかった。
『チャンネルの三人目のメンバー登場……全身放送禁止用語マン!!』
『ピーの位置が悪意ありすぎwww』
『モザイクマン……きもいけど強い』
僕はそーっとらいこさんの顔を覗く。酒のせいもあるんだろう、耳まで真っ赤だ。目尻に、ほんのり涙まで浮かんでいる。
「ら、らいこ……さん……」
「なによ!!」
「でも! “強い”って……書かれてますよ!」
励ますつもりで言った、その一言が、最後のとどめだった。
「……うぅ……」
らいこさんは、掘りごたつの縁に額をコツンと当てるみたいにして、机に撃沈した。全身から力が抜けていくのが分かる。
「やめて……優しさで刺さないで……」
「刺さるタイプの褒め方あるんだ……」
鏑木さんが妙に感心している。違う、感心しないでほしい。
それから僕たちは、他愛ない雑談を挟みつつ、鏑木さんが今回受けた被害の確認や、報告の段取りみたいな真面目な話もした。
らいこさんは国の組織に報告する。
まきまきは溜まっている“面倒な書類”をなんとかする。
凛さんは――アーカイブの扱いをどうにかする(と言いつつ、もう次の配信のネタを考えてる顔だった)。
僕は、事情聴取が来たら正直に話す。でも、鏑木さんを巻き込まないようにする。
「……女神ちゃん」
最後に、鏑木さんが小さな声で言った。
「ありがとうね。ほんと、よく分かんないけど……たぶん、助けてもらった」
「うん。……よかった」
嘘じゃない。
“必要とされた”って実感が、胸の奥でまだ熱い。
こうして、僕の「犯罪者入りおめでとう会」は、なんだかよく分からない温度のまま、幕を閉じた。
***
店を出ると、夜の空気がひやりと頬を撫でた。
油と笑い声で膨らんでいた身体が、外気で一気に現実へ引き戻される。
方向的に、僕と凛さんだけが皆とは別方向になってしまった。もしもここが山々に囲まれた自然の中なら、ロマンチックな星空でも眺められたろう。でも、ここは東京のど真ん中。ネオンが濡れたアスファルトに滲み、信号待ちの人波が途切れない。呼び込みの声、笑い声、車の走行音。ロマンなんて言葉は雑踏に揉まれて、あっさり形を失う。
「あのさ……」
そんな中、凛さんが口を開いた。喧騒の中でも、やけに凛さんの声だけが僕の耳に届く。ダンジョンで、あの人の声ばかりを頼りにしていたせいかもしれない。
「なんですか?」
ゆっくり顔を上げる。凛さんの身長だと、目を合わせるためにはしっかり見上げなきゃいけない。小さくなった身体が、こういう時だけ悔しい。
「……勢いとか……流れとか、あると思ってさ……」
「それでもです」
凛さんの言葉を先読みして、僕は答えを先に出した。
「それでも。僕は――あなたの道具になることを選びます」
凛さんの顔が曇る。まだ会って二日しか経っていないのに、その曇り方が普段じゃありえないのが分かってしまう。ダンジョンで、あの人が“本音”をぶつけてきた時と同じ顔だ。
「……凛さんには夢があるんですよね。きっと」
「そりゃまあ……トップダンジョン配信者になって……お金持ちに……」
静寂が落ちる。
周囲はうるさいのに、僕と凛さんの間にだけ薄い膜みたいな沈黙が張りついた。
「……君、中々のやり手だよね。気づいてるんでしょ。あたしの夢が別にあること」
驚いた。彼女から、その話をしてくるとは思っていなかった。
「……今はまだ言いたくない。けど、それを知ったうえで君が良いっていうなら」
凛さんは、少しだけ息を吸って――
「喜んで利用させてもらうよ」
言い切って、立ち止まった。数秒遅れて、僕も止まる。人の流れが僕らを避けていく。まるで川の流れに刺さった岩みたいに、僕らのところだけ時間が重い。
――利用。道具。
僕が欲しかった言葉。痛いはずなのに、不思議と逃げたくならない。むしろ胸の奥が、熱くなる。
僕は小さく息を吸って、今度は僕から言った。
「それなら……僕にも夢があります。言ったじゃないですか、誰かから必要とされることが好きだって」
凛さんが少しだけ目を丸くする。
「これが本当に……胸を張って言える夢なのかは分からないんです。それでも……しいて言うなら……」
雑踏の音が遠のく。
自分の声が、自分のものとして耳に返ってくる。
「僕の夢は皆が笑顔になること。そして凛さんも」
言い切る。逃げない。
「僕のその夢も……応援してくれますよね」
凛さんは一拍だけ黙った。
それから、ふっと息を吐いて――いつもの軽口じゃない、ちゃんとした声で言った。
「いい夢じゃないか。それなら。より多くの人が幸せになった分、君も幸せになれる」
そして、少しだけ照れたみたいに口角を上げる。
「幸せでいっぱいだ」
その一言が、胸の奥に落ちた。
“道具”って言葉の痛みが、ほんの少しだけ形を変える。僕が選んだのは、傷つくことじゃない。――必要とされる場所だ。
凛さんが、立ち止まったまま僕に手を伸ばしてきた。
「……」
更に一瞬の間。
そこから僕は、彼女の手をパンと払った。
凛さんの顔が驚き、そして絶望を混じった顔になる。
でも、そんなことはお構いなしだ。
僕はそのまま凛さんの腕をがしっと掴み、引っ張った。
払ったのは拒絶じゃない。守られる側で終わるのを拒んだだけだ。
「……行きますよ。僕が……連れて行ってあげます」
笑顔でそう言った。凛さんに僕の笑顔がどう映ったかは分からない。ぎこちない笑顔だったかもしれないし、無理して作った顔だったかもしれない。
でも、凛さんの表情で分かった。
彼女の眼に、光が宿っていた。きらりと光る輝きが。
そしてその輝きに引かれ、一歩、また一歩と歩き出す。踏み出すごとに、凛さんの顔は穏やかな笑顔に包まれていった。
ドキッとする。恥ずかしさもあって、僕は顔をそむけた。腕を引いたまま歩く。帰り道は分からないけど。
「ねえ祈里、そっちじゃなくて――」
「……分かんないので、教えてください」
「はいはい、案内されてるのどっちだよ」
「僕です」
「はいはい、“連れて行ってくれる”んだもんね」
凛さんが笑う。その笑い声が、さっきまでの喧騒よりもずっと近くて、ずっとあたたかい。
分からないときは恥ずかしげもなく凛さんに聞いて。
僕は彼女を家まで引っ張っていった。




